東京高等裁判所 平成8年(行ケ)263号 判決 1998年9月22日
東京都千代田区丸の内2丁目5番1号
原告
三菱重工業株式会社
代表者代表取締役
増田信行
訴訟代理人弁理士
渡辺秀夫
東京都千代田区霞が関3丁目4番3号
被告
特許庁長官
伊佐山建志
指定代理人
高木茂樹
同
主代静義
同
後藤千恵子
同
廣田米男
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第1 当事者の求めた裁判
1 原告
特許庁が平成7年審判第24236号事件について平成8年9月6日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告
主文同旨
第2 請求の原因
1 特許庁における手続の経緯
原告は、発明の名称を「排ガス中へのアンモニアの注入方法」とする発明(以下「本願発明」という。)につき、昭和60年4月22日に特許出願(昭和60年特許願第84617号)をしたところ、平成7年6月29日に拒絶査定を受けたので、同年11月16日に審判の請求をし、平成7年審判第24236号事件として審理された結果、平成8年9月6日に「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決を受け、平成8年10月7日にその謄本の送達を受けた。
2 本願発明の特許請求の範囲
ガスタービン排ガス中にアンモニアを注入する方法において、蒸発に十分な温度を有するガスタービン出口排ガス又はガスタービン圧縮機出口空気を混合してアンモニア水をいったん蒸発させてアンモニアガス、水蒸気及びガスタービン出口排ガス又はガスタービン圧縮機出口空気からなるアンモニア混合気体とし、該アンモニア混合気体をガスタービン排ガスダクトに注入することを特徴とするアンモニア注入方法。(別紙図面1参照)
3 審決の理由
別添審決書「理由」の写のとおりである。以下、審決と同様に、特開昭52-113363号公報を「第1引用例」、特開昭53-11162号公報を「第2引用例」という。第1引用例については別紙図面2を、第2引用例については別紙図面3を各参照。
4 審決の取消事由
審決の理由Ⅰは認める。同Ⅱのうち、第1引用例に(C)の記載があることは認め、その余は争う。同Ⅲ、Ⅳは争う。審決は、第1引用例記載のものが非発明であることを看過し、「圧縮機出口空気」の点で一致点を誤認し、かつ、相違点の判断を誤ったものであって、違法であるから、取り消されるべきである。
(1) 取消事由1(第1引用例記載のものは非発明である点)
特許法は、1条に規定するように、発明の保護及び利用を図ることにより発明を奨励し、もって産業の発達に寄与することを目的とするものであり、発明は、同法2条に規定するように、自然法則を利用した技術的思想の創作である。そして、第1引用例に適用される特許法施行規則24条からも明らかなように、発明は、解決すべき課題(目的)があり、特定の手段(構成)を用いることにより特有の効果が奏されて目的が達成されるものである。したがって、目的を達成することができないもの、事実に反するもの、自然法則を利用しないものは発明ではなく、同法29条2項における発明も、そのような非発明を意味しないものである。
ところで、ヒドラジンを用いてガスタービン排ガス中の窒素酸化物(NOx)を除去することはできないことは、村上信明著「燃焼排ガス中のNOの生成とその酸化・還元反応に関する研究」(昭和58年9月30日国立国会図書館受入、以下「甲第11号証刊行物」という。)で明らかなとおり、公知であった。したがって、第1引用例記載のものは、目的を達成することができないものであり、記載されているもの全体が事実に反するものであるから、発明ではない。
さらに、ヒドラジンを用いて気相分解法により窒素酸化物を無害のN2に還元分解することはできないから、第1引用例記載のものは、窒素酸化物をN2と水に還元分解する自然法則を利用していない。
したがって、第1引用例記載のものは、同法29条2項の「刊行物に記載された発明」に該当しないから、第1引用例及び第2引用例の記載内容に基づき当業者が容易に発明をすることができたとして、同条項により本願発明は特許を受けることができないとした審決は誤りである。
(2) 取消事由2(「圧縮機出口空気」の一致点の誤認)
ガスタービンにおいて、圧縮機出口空気とは、圧縮機で圧縮されて高温高圧となり、ガスタービンの燃焼に使用される空気のことである。ガスタービンの燃焼空気としては300℃以上の空気が使用され、150℃程度の空気はガスタービンの燃焼空気とはならない。
一方、第1引用例の圧縮機抽出空気は、圧縮機の途中から抜き出した空気であって、通常運転時はタービンの冷却用、制御機器の作動制御用空気等として使用される150℃程度の低温の空気である。このように、出口空気と抽出空気は全く異なる用途に使用される異なる性能の空気である。したがって、第1引用例記載のものの圧縮機抽出空気を圧縮機出口空気とした審決の認定は誤りである。
(3) 取消事由3(相違点の判断の誤り)
ア 審決は、排ガス中から窒素酸化物(NOx)を除去するための気相分解による脱硝方法において、アンモニアを水溶液の形態で用いることができる事実が第2引用例に開示されているとした。しかし、第2引用例には気相分解による脱硝方法は記載されていない。気相分解法は、NOxと還元剤を気相で反応させる方法であって、触媒を使用するものではなく、触媒を用いて触媒上でNOxと還元剤を反応させる接触分解法とは異なる。
また、第2引用例には、アンモニア水を間接熱交換により加熱して気化させることが記載されているのみで、ガスタービン出口排ガス又はガスタービン圧縮機出口空気を混合して直接接触加熱することは記載されていない。このような加熱方法では、加熱効率が悪く、大量のアンモニア水を急速にガス化することができず、ガスタービン排ガスのように量の多いガスの脱硝には適用できない。
イ 前記(1)で述べたとおり、ヒドラジンには、タービン排ガス中のNOxの脱硝作用がないから、これに代えてアンモニアを用いることは想到困難である。
また、ヒドラジンは、発火点52℃で爆発的に燃焼し、極めて有毒であって、アンモニアとは全く異なる性質を有する化合物である。このような特殊な化合物を特に使用する第1引用例において、ヒドラジンをアンモニアに置換することは容易に想到できたものではない。
第3 請求原因に対する認否及び被告の主張
1 請求原因1ないし3は認める。同4は争う。
(1) 取消事由1について
ア 原告は、甲第11号証刊行物を根拠として、ヒドラジンは排ガス中のNOxを除くことができないと主張する。しかし、同刊行物には、著者がその結論を導くに至った実験データ等の根拠は何も示されておらず、かつ、当該箇所が含まれる文章の末尾には、「・・・ようである。」とあることからも、推測の域をでるものではない。また、その反応及び化合物の特定さえも行われていないから、このような漠然とした記載をもって、「ヒドラジンはNOxを除去できない」ことが当業者に周知であったとすることはできない。
逆に、同刊行物は、「(ヒドラジンは)薬品価格を考えれば、排ガス処理用の薬品としては実用的ではない」、「これらの還元剤は無触媒で用いる限り、本章で述べる二方式には、性能、経済性とも対抗し得ないように思われる」と述べており、還元剤としてのヒドラジンは一定の効果があるが、ただ、薬品価額や効果の程度の面から、同刊行物で述べている方式に対抗できないとしているにすぎない。
イ 仮に第1引用例記載のものにその効果が見いだせないとしても、原告の指摘する特許法施行規則24条は、願書に添付する明細書について規定しているのであって、引用例に適用することを規定していないから、原告の主張は、法的論拠に欠けるものである。
また、発明の容易性の判断時点は、当該発明の出願前であるから、たとえ、第1引用例に本出願後の技術常識からみて事実に反する記載があったとしても、本出願前に当業者がヒドラジンは脱硝剤として有効であると認識していたことは明らかである以上、第1引用例の記載内容を容易性判断の根拠とすることに誤りはない。
(2) 取消事由2について
本願発明において、圧縮機出口空気を用いる技術的意味は、アンモニア水を蒸発させるに足りる温度を有するガス(空気)であればよいとするものである。したがって、圧縮機出口空気とは、アンモニア水を蒸発させるに足りる温度まで昇温された圧縮機からの吐出空気を意味するものである。
そして、圧縮機からの出口空気温度は定温ではなく、ガスタービンの種類によって様々な温度のものが使用されている。結局、圧縮機の途中段での空気の温度と最終段での空気の温度は、同じ圧縮機において後者が前者に比べて相対的に高温であるにすぎず、異なる圧縮機においては、両者を特に区別し得る実質的な差異はない。
(3) 取消事由3について
ア 原告は、第2引用例記載の発明は、<1>気相分解法ではなく、また、<2>本願発明とはアンモニア水の気化方法が違うのに、審決はこれらの点を看過していると主張する。しかし、第2引用例には、アンモニアを還元剤として用いた場合の還元剤の供給方法として、アンモニアを水溶液の形態で用い、これを蒸発(気化)し排ガス中に注入する手段が開示されているから、原告主張の点にかかわりなく、審決に原告主張の看過はない。
原告は、「気相分解法」と「接触分解法」の相違をとらえて、両技術が全く無関係であるかのように主張しているが、そもそも本願発明は、還元剤(脱硝剤)の注入方法に係るものであって、上記いずれの分解法にも適用できるものである。したがって、アンモニアの注入方法においては、両技術は同一の範疇のものである。
第2引用例は、排ガス中にアンモニア水をあらかじめ気化することなく直接注入すると十分に分散しないことが述べられているものであって、アンモニア水を予め気化する際の加熱方式について「直接加熱」が駄目であることが示されているものではない。原告が、第2引用例について「直接加熱」が駄目であるとする解釈は、論拠に欠けるものである。
イ 原告は、ヒドラジンには、タービン排ガス中のNOxの脱硝作用がないことを前堤として、これに代えてアンモニアを用いることは想到困難であると主張する。しかし、前記(1)に述べたとおり、ヒドラジンはNOxの脱硝作用がないことが当業者に周知であったとすることはできないから、原告の主張は前提を欠く。
原告は、ヒドラジンとアンモニアの相違を主張するけれども、第1引用例において、余剰の酸素を含むガスタービン排ガスにおける還元剤として具体的化合物名があげられているのは、「アンモニア、尿素、ヒドラジン」であるから、第1引用例記載のヒドラジンに第2引用例記載のアンモニアを適用することは容易である。
第4 証拠
証拠関係は、本件記録中の書証目録のとおりであるから、これを引用する。
理由
第1 請求の原因1ないし3の事実は、当事者間に争いがない。
第2 本願発明の概要
甲第2号証中の本願書添付の明細書、甲第3号証(平成6年8月30日付手続補正書)、甲第4号証(平成7年12月15日付手続補正書)によれば、本願明細書に記載された本願発明の概要は、以下のとおりと認められる。
1 本願発明は、ガスタービン排ガス脱硝方法におけるアンモニアの注入方法に関する。特に、アンモニア水として貯蔵されたアンモニアを排ガスダクト内に均一に注入する方法に関する。(上記明細書1頁12行ないし15行、平成7年12月15日付手続補正書2頁3行ないし4行)
従来の液体アンモニア貯蔵システムを第2図に示す。第2図において液体アンモニアは、液体アンモニアタンクから気化器に移し気化させた後、アキュムレータを介して混合器にて希釈用空気で希釈して排ガスダクトに注入するが、液体アンモニアタンクと気化器が高圧ガス設備となり、設備が複雑で取扱い上、留意すべき点が多い。
また、アンモニア水貯蔵システムを第3図に示す。第3図においてアンモニア水はアンモニア水タンクからポンプを介して排ガスダクトに直接注入する。この場合は高圧ガス設備を必要とせず、装置が簡素化され取扱いも容易になるが、排ガスダクト内に噴霧注入されたアンモニア水を均一分散混合させることが難しく、更に、蒸発し切れない水滴が飛来する可能性があったり、排ガス温度を低下させるおそれがあり、脱硝を円滑に行うことができないという欠点があった。(上記明細書1頁下から4行ないし2頁15行)
2 本願発明は、特許請求の範囲記載の構成を採用するものである。(平成7年12月15日付手続補正書3頁3行ないし末行)
3 本願発明は、上記の構成を採用することにより、次のような効果を奏する。
(1) 排ガスの温度を低下させることなく、排ガスダクト内におけるアンモニアの均一分散混合効果を飛躍的に向上させた。
(2) アンモニア水貯蔵システムの採用により、高圧ガス設備を用いることもなく、設備が簡単になるとともに、アンモニア注入操作も大変容易になった。
(3) アンモニア水の蒸発には、身近なガスタービン圧縮機出口の空気あるいは排ガスを用いることができ、格別に蒸発用ガス源を求める必要がないという利点もある。(上記明細書4頁6行ないし下から2行、平成6年8月30日付手続補正書2頁12行ないし末行)
第3 審決の取消事由について判断する。
1 取消事由1について
(1) 甲第5号証(第1引用例)によれば、第1引用例には、「特許請求の範囲 1.窒素酸化物を含有する排気ガス中にヒドラジンを注入して窒素酸化物を気相分解する脱硝プラントにおいて、前記ヒドラジンを水溶液とすると共に、この水溶液を注入前に加熱し気化させて注入することを特徴とする脱硝プラントにおけるヒドラジンの注入方法。」(1頁左下欄5行ないし11行)、「本発明は窒素酸化物(以下NOxと称す)を含有する排気ガス中にヒドラジンを注入してNOxを気相分解する脱硝プラントにおけるヒドラジンの注入方法およびその装置に関するものである。」(1頁右下欄16行ないし19行)、「NOxを含有する排気ガス中に還元剤を注入し、触媒を介してNOxを還元する方法および無触媒下における気相分解法が重要である。前記還元剤としてはメタンなどの炭化水素、一酸化炭素、アンモニアおよびアミノ基、イミノ基を有する物質が使用される。」(2頁左上欄12行ないし17行)、「しかし還元剤としてアンモニアおよびアミノ基、イミノ基を有する物質、例えば尿素、ヒドラジンを使用する場合には、酸素が共存する場合であってもNOxと選択的に反応する・・・これらの還元剤は触媒を使用しなくとも注入領域のガス温度を適切な範囲に選ぶことにより、NOxを気相で分解可能であることが知られている。そのガス温度範囲はアンモニアでは850~1100℃であり、ヒドラジン、尿素では250~850℃である。いづれの場合でもこれらの温度範囲で高い脱硝率がえられる。NOxの還元分解に触媒を必要としないことは脱硝プラントとして建設費および運転コスト上非常に有利である。」(2頁右上欄7行ないし末行)、「排気ガス流量が非常に多いガスタービン・・・などの場合には、技術的な面からしても触媒を使用しないNOx気相分解法が有利である。」(2頁左下欄3行ないし8行)、「還元剤注入によるNOx気相分解法において、・・・排気ガス中に還元剤を迅速にかつ均一に混合させることが重要である。」(2頁左下欄16行ないし20行)、「この粒子の蒸発時間が脱硝反応の遅延時間を支配する大きな要因となる。」(2頁右下欄14行ないし15行)、「本発明は上記の点にかんがみヒドラジンを効果的に注入し、NOxの気相分解反応を促進させて脱硝性能を向上させると共に、脱硝プラントのコンパクト化をはかることを目的とする」(3頁左上欄5行ないし8行)、「本発明の実施例を図面を参照して説明する。・・・この加熱器7には圧縮機1より抽出された抽気空気が配管8を介して供給されている。・・・この供給されたヒドラジン水溶液は加熱器7内でこれに供給された圧縮機1の高段落から抽出された約150℃以上の高温空気により蒸発、気化される。・・・加熱器7内で蒸発、気化したヒドラジンは空気流と混合しながら・・・排気ガス流17中に注入される。」(3頁左上欄18行ないし左下欄4行)との記載とともに、別紙図面2の図面が図示されていることが認められ、以上の記載によれば、引用例1記載のものは、排気ガス中のNOxの気相分解反応を促進させて脱硝性能を向上させるために、ヒドラジンを水溶液とすると共に、この水溶液を注入前に加熱し気化させ空気流と混合注入することを特徴とする脱硝方法であると認められるから、これは、自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものということができる。
したがって、第1引用例記載に上記認定に係る技術的思想が記載されている以上、これを特許法29条2項にいう「発明」として、本願発明の進歩性を判断するために対比することができないものではない。
そして、審決が第1引用例を引用例として本願発明と対比したことに誤りはない。
(2) 原告は、第1引用例記載のものは自然法則を利用していないと主張する。しかし、第1引用例には、前記(1)の認定のとおりの技術的思想が記載されており、これを自然法則を利用していないということはできないから、原告の主張は失当である。
(3) また、原告は、第1引用例記載のものは産業上利用できない旨の主張をする。しかし、第1引用例は、本願発明に特許を付与することを拒絶する理由の根拠として示されたもので、本願発明の進歩性を判断するためにそこに記載の技術的思想が対比の対象とされているにすぎず、第1引用例記載のもの自体に特許を付与するか否かが問題とされているのではないから、それが全体として、「産業上利用することができる」発明(特許法29条1項柱書参照)であるか否かまでは問うところではない。したがって、原告の主張は採用することができない。
(4) 更に、原告は、ヒドラジンを用いてガスタービン排ガス中の窒素酸化物(NOx)を除去することができないことは、甲第11号証刊行物で明らかなとおり公知であったから、第1引用例記載のものは、目的を達成することができないものであり、記載されているもの全体が事実に反するものであると主張する。
ア しかし、第1引用例は、本願発明の進歩性を判断するためにそこに記載の技術的思想が対比の対象とされているにすぎないから、第1引用例に前記(1)の認定のとおりの技術的思想が記載されている以上、第1引用例記載のものが全体として目的を達成することができるか否かまでは問うところではない。原告は、目的を達成することができないものは発明ではないする根拠として特許法施行規則24条をあげるけれども、同条は、特許願書に添付する明細書についての規定であって、当該発明に特許を付与するか否かについて問題となるにすぎないから、同条に反しているものが「発明」ではないということはできない。したがって、この点に関する原告の主張は採用することができない。
イ また、第1引用例に記載されているもの全体が事実に反するとの原告の主張は、結局のところ、第1引用例記載のものが目的を達成することができないという旨を主張するにすぎないものであって、前記アのとおり、やはり採用することができない。
ウ 更に、甲第5(第1引用例)、第8(特開昭52-35163号公報)、第9号証(特開昭52-6368号公報)、乙第4号証(特開昭53-94257号公報)によれば、昭和53年ころには、余剰の酸素を含む排ガスを対象とした脱硝方法において、ヒドラジンを還元剤として用いれば脱硝効果があげられることは、技術常識となっていたことが認められる。
一方、甲第11号証によれば、甲第11号証刊行物には、「N2H4については下式のように熱分解によって容易にNH2を生じ、そのためNH3より低温度で効果的にNOに作用すると期待され、特許出願もなされた。」(50頁下から3行ないし末行)、「しかし、筆者らの試験ではO2が不在の場合には800℃以上でNOは確かに上式によってN2に還元されているようであるが、O2が共存する場合には単純ではない。その場合には、NO低減率は400~600℃において最大値をもち、共存O2濃度が高いほどNO低減効果は大きいという特性を示すが、NOは無害なN2に転換しているのでなく、NO2基を含む複雑な化合物を形成しているようである。いずれにせよ薬品価格を考えれば、排ガス処理用の薬品としては実用的ではない。」(51頁3行ないし9行)との記載があることが認められる。しかし、上記記載のうちの「NOは無害なN2に転換しているのでなく、NO2基を含む複雑な化合物を形成しているようである。」との部分は、推定の域をでないものであることはその記載自体から明らかであり、また、これを導くに至った「筆者らの試験」の実験データ等の根拠も示されておらず、更に、甲第12号証によれば、甲第11号証刊行物は技術常識を掲載した雑誌等ではなく、博士論文であることが認められ、以上の事実に照らせば、甲第11号証刊行物の上記記載によっても、本出願当時、そのような疑問も呈されていたということはともかくとして、当業者が、第1引用例記載の技術的事項について、目的を達成できないとか、事実に反すると考えるようになっていたと認めることはてきない。そして、本願発明の進歩性は、本出願の時点で判断されるべきであるから、当業者が、第1引用例記載の技術的事項こついて、目的を達成できないとか、事実に反するとは考えない以上、これを本願発明の進歩性を判断するために対比することができないものではない。
また、甲第10号証には、触媒を利用し250℃~400℃では、ヒドラジンを還元剤として使用した場合、脱硝は進行しない、触媒を使用せず450℃~950℃でヒドラジンを使用すると脱硝率はほぼ0である旨の実験結果の記載があるが、上記記載は、平成8年の実験結果に関するものであるから、前記認定を左右するに足りるものではない。
したがって、原告の主張は、この点においても採用することができない。
(5) 以上のとおりであるから、原告の主張は失当である。
2 取消事由2について
(1) 本願明細書の特許請求の範囲には「蒸発に十分な温度を有する・・・ガスタービン圧縮機出口空気を混合してアンモニア水をいったん蒸発させてアンモニアガス、水蒸気及び・・・ガスタービン圧縮機出口空気からなるアンモニア混合気体とし、」との記載があるところ、上記記載によれば、上記「圧縮機出口空気」とは、還元剤であるアンモニア水を蒸発させるに足りる温度まで昇温された圧縮機からの吐出空気を意味するものと解される。
この点に関して、原告は、ガスタービンにおいて、圧縮機出口空気とは、圧縮機の最終段から出る300℃以上の空気のことであると主張するものと解される。しかし、特許請求の範囲から理解される「圧縮機出口空気」の技術的意義は前示のとおりであり、しかも、本願明細書(甲第2号証)によれば、本願明細書の発明の詳細な説明の欄にも、「アンモニア水はアンモニア水タンクから蒸発器に導入し、・・・蒸発用媒体を用いて蒸発させ、」(3頁16行ないし18行)、「アンモニア水の蒸発用ガス源としては、脱硝装置を付設する火力発電装置等にけるガスタービン圧縮機出口空気、あるいはガスタービン出口排ガスを用いると有利である。」(4頁1行ないし4行)との記載があるのみであって、「圧縮機出口空気」を限定するような記載は全くみられないことが認められるから、「圧縮機出口空気」を原告主張のように限定して理解することはできないものといわざるをえない。
(2) 第1引用例に「これらの還元剤は触媒を使用しなくとも注入領域のガス温度を適切な範囲に選ぶことにより、NOxを気相で分解可能であることが知られている。そのガス温度範囲はアンモニアでは850~1100℃であり、ヒドラジン、尿素では250~850℃である。いづれの場合でもこれらの温度範囲で高い脱硝率がえられる。」(2頁右上欄12行ないし18行)、「この加熱器7には圧縮機1より抽出された抽気空気が配管8を介して供給されている。」(3頁右上欄2行ないし4行)、「この供給されたヒドラジン水溶液は加熱器7内でこれに供給された圧縮機1の高段落から抽出された約150℃以上の高温空気により蒸発、気化される。」(3頁右上欄14行ないし17行)との記載があることは前記1(1)の認定のとおりであるところ、上記記載によれば、第1引用例記載のものの「圧縮機1より抽出された抽気空気」は、還元剤であるヒドラジンの蒸発に必要な温度を有する高温の空気であることが認められる。そうすると、第1引用例記載のものの「圧縮機1より抽出された抽気空気」は、圧縮機出口空気ということができる。
なお、上記「圧縮機1より抽出された抽気空気」は、圧縮機の途中段から吐出された約150℃以上の空気であり、当該圧縮機の最終段からの吐出空気よりも低温であることが認められるけれども、上記は、ヒドラジンのガス温度範囲が250℃~850℃であって、アンモニアのガス温度範囲よりも低いためこの程度の温度が選択されているものと解されるから、この点をもって、第1引用例記載のものの「圧縮機1より抽出された抽気空気」が圧縮機出口空気ではないということはできない。
(3) そうすると、本願発明と第1引用例記載のものが、「圧縮機出口空気」の点で一致するとした審決の認定に誤りはない。
3 取消事由3について
(1) 原告は、第2引用例には、<1>気相分解による脱硝方法は記載されていない、<2>アンモニア水を直接接触加熱することは記載されていないとして、第1引用例記載のものと第2引用例記載の発明の組み合わせの困難を主張するので、この点について検討する。
ア 甲第6号証(第2引用例)によれば、第2引用例には、「本発明は乾式排煙脱硝法に関し、詳しくは乾式脱硝装置のアンモニア供給方法並びにその設備に関する。
ボイラ排ガスや鉄鋼焼結炉排ガスなどに含まれるNOxは大気汚染防止の見地から除去することが重要な課題であり、・・・アンモニア水を使用する方が安価でありまた取扱も容易である。一方排煙中にアンモニア水を直接スプレーで噴霧するとアンモニアは充分に分散せず、極部的に温度低下を生じて排煙中のSOxと反応しNH4HSO4などの化合物を生じて触媒層の閉塞を起こすことにもなるので乾式脱硝法においてアンモニア水を使用する場合には噴霧に先立って予め気化し昇温する必要がある。
本発明は乾式脱硝法に使用するアンモニア水を高温排出ガスの保有する熱量を利用して気化昇温することにより上記問題を解決しようとするものである。」(1頁左下欄末行ないし2頁左上欄1行)、「本発明により・・・アンモニア水を直接供給する不利を排除するとともにアンモニア気化設備のコスト並びに燃料を節減し、さらに操作の安定を図ることができる。」(2頁左上欄16行ないし20行)との記載とともに、別紙図面3の図面が図示されていることが認められる。以上の記載によれば、第2引用例記載の発明は、乾式排煙脱硝法において、排煙中へのアンモニア(還元剤)の効率的分散と局部的温度低下防止のために、アンモニア水を高温排出ガスの熱量を利用して予め気化昇温させ、排煙中に注入する脱硝方法であるものと認められる。
イ そして、第1引用例には、「本発明は窒素酸化物(以下NOxと称す)を含有する排気ガス中にヒドラジンを注入してNOxを気相分解する脱硝プラントにおけるヒドラジンの注入方法およびその装置に関するものである。」(1頁右下欄16行ないし19行)、「還元剤注入によるNOx気相分解法において、・・・排気ガス中に還元剤を迅速にかつ均一に混合させることが重要である。」(2頁左下欄16行ないし20行)との記載があり、第1引用例記載のものが、排気ガス中のNOxの気相分解反応を促進させて脱硝性能を向上させるために、ヒドラジンを水溶液とすると共に、この水溶液を注入前に加熱し気化させ、空気流と混合注入することを特徴とする脱硝方法であることは、前記1(1)の認定のとおりである。
ウ そうすると、第1引用例記載のものと第2引用例記載の発明は、ともに排煙脱硝法に係る発明であり、その技術分野を共通し、かつ、排気ガス中に還元剤を効率よく均一に混合させるという技術的課題を達成するために還元剤の水溶液を予め気化昇温して注入するという解決手段においても共通しているというべきである。
したがって、このように技術分野及び解決手段を共通にしている以上、第2引用例に気相分解による脱硝方法及びアンモニア水を直接接触加熱することが記載されているか否かにかかわらず、第1引用例記載のものの還元剤のヒドラジンに代えて、第2引用例記載の発明のアンモニアを適用することに困難はないというべきである。
(2) 原告は、ヒドラジンには、タービン排ガス中のNOxの脱硝作用がないから、これに代えてアンモニアを用いることは想到困難であると主張する。
しかし、第1引用例に、「NOxを含有する排気ガス中に還元剤を注入し、触媒を介してNOxを還元する方法および無触媒下における気相分解法が重要である。前記還元剤としてはメタンなどの炭化水素、一酸化炭素、アンモニアおよびアミノ基、イミノ基を有する物質が使用される。」(2頁左上欄12行ないし17行)、「しかし還元剤としてアンモニアおよびアミノ基、イミノ基を有する物質、例えば尿素、ヒドラジンを使用する場合には、酸素が共存する場合であってもNOxと選択的に反応する。・・・これらの還元剤は触媒を使用しなくとも注入領域のガス温度を適切な範囲に選ぶことにより、NOxを気相で分解可能であることが知られている。」(2頁右上欄7行ないし15行)として、還元剤としてヒドラジン、アンモニア等が列挙されていることは前記1(1)の認定のとおりであるところ、本出願当時、ヒドラジンにタービン排ガス中のNOxの脱硝作用がないことが当業者の技術常識とはなっていなかったことは、前記1(4)の認定のとおりであるから、本出願当時、当業者が、ヒドラジンにはタービン排ガス中のNOxの脱硝作用がないと認識したと認めることはできない。したがって、原告の主張は、その前提を欠くものであって、採用することができない。
なお、原告は、本願発明は、第1引用例記載のもの及び第2引用例記載の発明から予測できない顕著な作用効果を奏する旨主張するものとも解されるけれども、甲第2ないし第4号証によれば、本願明細書に原告主張のごとき顕著な作用効果がある旨の記載は存在しないことが認められるし、また、それが、本出願当時技術的に自明のことであったと認めることもできないから、この点についての原告の主張も失当である。
(3) 原告は、ヒドラジンは、発火点52℃で爆発的に燃焼し、極めて有毒であって、アンモニアとは全く異なる性質を有する化合物であるから、これをアンモニアに置換することは容易に想到できたものではないと主張する。
しかし、第1引用例記載のものの還元剤のヒドラジンに代えて、第2引用例記載の発明のアンモニアを適用する場合には、両者の還元剤としての性質に着目されるのであるから、ヒドラジンとアンモニアが、原告主張の点で性質を異にするとしても、そのことにより、その適用が困難となると認めることはできない。
(4) 以上のとおりであるから、第1引用例記載のものの脱硝剤(還元剤)をヒドラジンからアンモニアに代えて同じ水溶液の形態で気化してガスタービン排ガス中に注入することは、当業者が容易に想到し得たこととした審決の認定判断に誤りはない。
4 以上のとおり、本願発明は第1引用例記載のもの及び第2引用例記載の発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものとした審決の認定判断は、正当であって、審決には原告主張の違法はない。
第4 よって、原告の本訴請求は、理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。
(口頭弁論終結日・平成10年9月8日)
(裁判長裁判官 清永利亮 裁判官 山田知司 裁判官 宍戸充)
別紙図面1
<省略>
別紙図面2
<省略>
別紙図面3
<省略>
理由
Ⅰ、 手続の経緯・本願発明の要旨
本願は、昭和60年4月22日の出願であって、その発明の要旨は、出願公告後の平成6年8月30日付け及び同7年6月29日付け手続補正書により補正された明細書及び図面の記載からみて、その特許請求の範囲に記載された次のとおりのものと認める。
「ガスタービン排ガス中にアンモニアを注入する方法において、蒸発に十分な温度を有するガスタービン出口排ガス又はガスタービン圧縮機出口空気を混合してアンモニア水をいったん蒸発させてアンモニアガス、水蒸気及びガスタービン出口排ガス又はガスタービン圧縮機出口空気からなるアンモニア混合気体とし、該アンモニァ混合気体をガスタービン排ガスダクトに注入することを特徴とするアンモニア注入方法」
Ⅱ、 引用例
原査定の拒絶の理由となった特許異議の決定の理由において引用された特開昭52-113363号公報(以下、「第1引用例」という)には、以下に示す点が開示されている。
(A)排ガス中から窒素酸化物(NOx)を除去するための気相分解による脱硝方法において、その脱硝剤(還元剤)としては、アンモニァやヒドラジンが代表的である(第2頁左上欄第7行~右上欄第12行等)。
(B)ガスタービン排ガスにあっては、排ガス流量が非常に多いこともあり、脱硝剤(還元剤)を用いた上記気相分解による脱硝方法が有利である(第2頁左下欄第3行~8行等)。
(C)ガスタービン排ガスにあっては、ガスタービンの排気ガス温度及び組成の点から、脱硝剤(還元剤)としてヒドラジンを用いた方法が適応性が非常に大てある(第2頁左下欄第9行~13行等)。
(D)脱硝剤(還元剤)としてヒドラジンを用いた上記気相分解による脱硝方法において、ヒドラジンを直接排ガス中に注入するのに替えて、予めヒドラジンをその水溶液としたうえで、蒸発に十分な温度を有するガスタービン圧縮機出口空気(150℃以上)を混合して、ヒドラジン水をいったん蒸発させた後、これをガスタービン排ガスダクトに注入することで高い脱硝性能を得ることができる(第3頁左上欄第5行~左下欄第11行及び第1図等)。
同じく、原査定の拒絶の理由となった特許異議の決定の理由において引用された特開昭53-11162号公報(以下、「第2引用例」という)には、排ガス中から窒素酸化物(NOx)を除去するための気相分解による脱硝方法において、その脱硝剤(還元剤)としてのアンモニアを水溶液の形態で用い、これを蒸発(気化)し排ガス中に注入する手段が開示されている(第1頁右下欄第3行~17行及び第1乃至2図等)。
Ⅲ、 当審の判断
本願発明と第1引用例の上記記載内容(D)とを対比すると、両者は、ガスタービン排ガス中から窒素酸化物(NOx)を除去するための気相分解による脱硝方法において、脱硝剤(還元剤)の水溶液に、蒸発に十分な温度を有するガスタービン圧縮機出口空気を直接混合して、該脱硝剤(還元剤)の水溶液をいったん蒸発させ、その蒸発混合気体をガスタービン排ガスダクトに注入するものである点で軌を-にするが、そこで用いる脱硝剤(還元剤)としては、前者が「アンモニァ」であり、後者が「ヒドラジン」である点で相違するものである。
しかしながら、一般に、排ガス中から窒素酸化物(NOx)を除去するための気相分解による脱硝方法において、その脱硝剤(還元剤)としては、アンモニアやヒドラジンが代表的であること、更には、排ガスの内でも、とりわけ、ガスタービン排ガスにあっては、これら脱硝剤(還元剤)を用いた気相分解による脱硝方法が適していることは、上記第1引用例((A)、(B))にも記載があるとおりこの出願前周知といえるものである。
そして、第1引用例にあっては、脱硝剤(還元剤)の水溶液として具体的に記載されたものはヒドラジン水のみではあるが、ここでヒドラジンの水溶液を選択的にとりあげているのは、上記第1引用例(C)に記載されているとおり、単に、ガスタービン排ガスにあっては、ガスタービンの排気ガス温度及び組成の点から、脱硝剤(還元剤)としてヒドラジンを用いた方法が適応性が非常に大であるとの認識によるものであるから、この第1引用例にあっても、排ガスの脱硝剤(還元剤)としてヒドラジンと共に周知のアンモニァについても、同様に、アンモニア水として注入し得ることが示唆されているとみるのが相当であるし、また、一方で、排ガス中から窒素酸化物(NOx)を除去するための気相分解による脱硝方法において、アンモニアを水溶液の形態で用いることができる事実が第2引用例に既に開示されている以上、これらを併せみれば、第1引用例の脱硝剤(還元剤)をヒドラジンからアンモニアに替えて同じ水溶液の形態で気化してガスタービン排ガス中に注入することは、当業者が容易に想到し得ることというほかはなく、本願明細書及び図面の記載を精査しても、この点に、格別の技術的創意工夫がなされたものと認めることはできない。
また、その結果得られる効果をみても、それは、上記第1乃至第2引用例に開示された範囲内のものというべきものであり、この点においても、本願発明に格別の技術的意義を見いだすことはできない。
Ⅳ、 むすび
したがって、本願発明は、この出願前頒布されたことの明らかな第1及び第2引用例の記載内容に基づき当業者が容易に発明をすることができたものと認められ、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができない。