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東京高等裁判所 平成8年(行ケ)304号 判決 1998年6月24日

神奈川県厚木市長谷398番地

原告

株式会社半導体エネルギー研究所

代表者代表取締役

山崎舜平

訴訟代理人弁理士

加茂裕邦

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官 伊佐山建志

指定代理人

片寄武彦

小谷一郎

井上雅夫

小川宗一

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1  当事者の求めた判決

1  原告

特許庁が、平成7年審判第4102号事件について、平成8年9月2日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

2  被告

主文と同旨

第2  当事者間に争いのない事実

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和62年7月27日に名称を「強誘電性を示す液晶の注入方法」とする発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願をした(特願昭62-188442号)が、平成7年1月10日に拒絶査定を受けたので、同年3月2日、これに対する不服の審判の請求をした。

特許庁は、同請求を平成7年審判第4102号事件として審理したうえ、平成8年9月2日に「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年10月30日、原告に送達された。

2  本願発明の要旨

2種類以上の分子の液晶を混合して、構成された強誘電性を示す液晶を表示装置内部に注入する工程において、液晶材料および表示装置用セルを構成分子の各々が持つIso相(液体相、無秩序相、アイソトロピック相)への転移温度のうち、最高温度以上の温度を保ち液晶セルの一辺の一ケ所のみに設けられた注入口よりセル内部へ液晶を注入することを特徴とする強誘電性を示す液晶の注入方法。

3  審決の理由の要点

審決は、別添審決書写し記載のとおり、本願発明が、特開昭60-21028号公報(以下「引用例」という。)に記載された発明(以下「引用例発明」という。)、特開昭61-43724号公報(以下「周知例1」という。)に見られるように本願出願前周知の事項である「強誘電性を示す液晶を2種類以上の分子の液晶を混合して構成すること」及び本願出願前周知の事項である「注入される物質の温度を一定以上に保ちたい場合、注入される物質と注入される物質を受け入れる容器自体を一定温度以上に保ち、注入物質と容器の温度差による温度低下を防止すること」に基づいて、当業者が容易に発明することができたものと認められ、特許法29条2項の規定により特許を受けることができないとした。

第3  原告主張の審決取消事由の要点

審決の理由中、本願発明の要旨の認定、引用例の記載事項(1)~(4)の認定(審決書2頁末行~4頁9行)、本願発明と引用例発明との相違点2の認定は認め、その余は争う。

審決は、引用発明の誤認により本願発明と引用例発明との相違点1、3の各認定を誤り(取消事由1、2)、引用例発明及び周知事項の誤認により相違点1~3についての各判断を誤り(取消事由3~5)、さらに本願発明の作用効果を看過した(取消事由6)結果、本願発明が引用例発明及び周知事項に基づいて当業者が容易に発明することができたものとの誤った結論に至ったものであるから、違法として取り消されなければならない。

1  引用例発明の誤認

本願発明は、2種類以上の分子の液晶を混合して構成された強誘電性を示す液晶を表示装置内部に注入する工程を前提とする。混合液晶材料は、全体としては複合特性を持ちながらも、単一液晶とは異なって、Iso相への転移温度にある種の幅を持ち、不明確であること、この温度幅は、任意の温度に対し、複数種の構成分子のうちのある材料はIso相であるにもかかわらず、他の材料はSmA相をとり、相の混合が起きているために生ずるものであることが、本願発明によって判明した(これらの点は本願出願前は誰も認識していなかった。)。そのため、従来の注入方法により混合液晶材料を液晶セルに注入した場合、液晶セル内が均一な組成の液晶材料によって満たされない状態になるという欠点があったが、本願発明は、その要旨記載の構成によって、この課題を解決したものである。

これに対し、引用例発明は、その名称を「光学変調素子およびその製法」とするものであるが、審決が認定した引用例の記載事項(1)~(4)(審決書2頁末行~4頁9行)は、Sm*C又はSm*H液晶という単一の液晶だけについてのものであり、その全体を見ても、混合液晶については何の記載もない。すなわち、引用例は混合液晶について何らの認識も問題意識も有していない。したがって、引用例発明の認定に当たっては、引用例が単一の液晶だけを対象とすることを明記すべきであったのである。

ところが、審決は、「引用例には、強誘電性を示す液晶を空セルに注入する工程において、液晶材料を予め加熱し等方相として、空セルの一辺に設けた1つの注入口より液晶材料を注入する強誘電性を示す液晶の注入方法が記載されている。」(審決書4頁10~15行)と認定したのみで、引用例が単一の液晶だけを対象とすることを看過したのであるから、その認定は誤りといわなければならない。

のみならず、引用例に「液晶材料を予め加熱し等方相と」することが記載されていると審決が認定したのは、上記引用例の記載事項(4)のうちの「又、前述の方法に従って空セル中にSm*C又はSm*H液晶を充填する場合には、ボート404に加熱手段(図示せず)を設けて、この内の液状物質411を予め等方相となしておくことが望ましく、」(審決書3頁末行~4頁4行)との記載を根拠とするものであるが、引用例の「注入口402を液状物質411によつて覆い、しかる後に毛細管403を注入口402から離脱させる。」(甲第3号証7頁左上欄3~5行)との記載から見て、引用例に記載されているのは、注入口402を覆った液状物質411を予め等方相となすことであり、かつ、毛細管403を加熱することは記載されていない。したがって、引用例には「液晶材料を予め加熱し等方相と」することは記載されていないのであり、この点からも、審決の上記引用例発明の認定は誤りである。

2  取消事由1(相違点1の認定の誤り)

審決は、「本願発明が、2種類以上の分子の液晶を混合して、構成された強誘電性を示す液晶としたのに対して、引用例記載のもの(注、引用例発明)が、強誘電性を示す液晶を混合液晶とする記載がない点」(審決書5頁8~11行)を、本願発明と引用例発明との相違点1と認定したが、上記1のとおり、引用例には「強誘電性を示す液晶を混合液晶とする記載がない」どころか、混合液晶については何らの認識も問題意識も有していないのであるから、相違点1の認定のうち、引用例発明に係る部分は誤りである。

3  取消事由2(相違点3の認定の誤り)

審決は、「本願発明が、表示装置用セルを、液晶材料の構成分子の各々が持つIso相転移温度のうち、最高温度以上に保つようにしたのに対して、引用例記載のものが、表示装置用セルの温度管理に関する記載がない点」(審決書5頁17行~6頁1行)を、本願発明と引用例発明との相違点3と認定したが、上記1のとおり、引用例には「表示装置用セルの温度管理に関する記載がない」どころか、混合液晶に関する認識も問題意識もない結果として、表示装置用セルの温度管理について何らの認識も問題意識も有していないのであるから、相違点3の認定のうち、引用例発明に係る部分は誤りである。

4  取消事由3(相違点1についての判断の誤り)

審決は、上記相違点1について、周知例1を引用して「強誘電性を示す液晶を、2種類以上の分子の液晶を混合して構成する点は、・・・本願出願時において、従来周知であり、引用例記載のものの強誘電性液晶材料として、前記従来周知の事項を適用し、前記相違点1にあげた本願発明の構成のようにすることは、当業者が容易になしうる程度のものである。」(審決書6頁5~12行)と判断したが、誤りである。

すなわち、上記1のとおり、本願発明は、2種類以上の分子の液晶を混合して構成された強誘電性を示す液晶を表示装置内部に注入する工程において、従来の注入方法により混合液晶材料を液晶セルに注入した場合に液晶セル内が均一な組成の液晶材料によって満たされない状態になるという課題を前提として、これを本願発明の要旨記載の構成により解決したものである。これに対し、引用例発明は単一の液晶を充填する場合の技術であり、2種類以上の分子の液晶を混合して構成された強誘電性を示す液晶を表示装置内部に注入する工程については何の認識もない。それにもかかわらず、強誘電性を示す液晶を2種類以上の分子の液晶を混合して構成する点が周知例1にあったからといって、上記のように判断することは、断片的な技術を単純につなぎ合わせたにすぎないものである。

また、審決は、周知例1の1例のみを引用して、混合液晶が周知であったとするが、それだけで混合液晶が周知であったとすることはできないし、また、被告が本件訴訟において周知例として追加した特開昭60-92276号公報(以下「周知例2」という。)及び特開昭61-183256号公報(以下「周知例3」という。)によっても、その周知性を認め得るものではない。さらに、周知例1記載の複数の切欠きを設けて液晶を注入する技術によっては上記の課題を解決することもできない。

5  取消事由4(相違点2についての判断の誤り)

審決は、本願発明と引用例発明との相違点2、すなわち「本願発明が、液晶材料を、混合液晶の構成分子の各々が持つIso相転移温度のうち、最高温度以上の温度を保つようにしたのに対して、引用例記載のものが、液晶材料を予め加熱し、液晶材料をIso相とするという記載しかない点」(審決書5頁12~16行)につき、「構成分子の各々が持つIso相転移温度のうち、最高温度以上に保つという本願発明の構成は、注入される液晶材料全体をIso相に保つということであるから、引用例における強誘電性液晶材料に代えて、強誘電性を示す液晶を、2種類以上の分子の液晶を混合したものを適用した場合、各構成分子全部をIso相に保つために、相違点2にあげた本願発明の構成のようにすることは、当業者が容易になしえる程度のものである。」(同6頁14行~7頁2行)と判断したが、混合液晶特有の問題を無視したものであって、誤りである。

(1)  1985年7月15日初版発行の岡野光治外1名編「液晶 基礎編」(以下「岡野・基礎編」という。)に「室温強誘電性を得るためには、・・・室温より高い温度で強誘電性となる既存の材料をいくつか混合するのが常套手段である。注目に値するのは、薄いセルにおいてSA-SC*相転移点が10℃も低下する事実である。」(乙第3号証145頁末行~146頁3行)との、特開昭59-118744号公報に「既存の強誘電性液晶化合物の強誘電性を示す温度範囲(SmC*相或はSmH*相を示す温度範囲)が室温より高いものが多く、・・・強誘電性を示す温度範囲が室温付近となる様な分子構造を鋭意追及した」(甲第5号証3頁左上欄1~10行)との、特開昭62-298559号公報に「発明が解決しようとする問題点」として「本発明は、・・・強誘電性SmC*相を室温付近の広い温度範囲で示す新規な液晶性化合物を提供しようとするものである。」(甲第6号証2頁右上欄5~8行)との各記載があり、さらに1990年5月25日発行の福田敦夫外1名著「強誘電性液晶の構造と物性」(以下「福田文献」という。)に「応用上Sc*相の転移温度に関しては、室温付近でなるべく広い温度範囲をとるにこしたことはない。事実、上で述べたようなMORA8をはじめ多くの室温強誘電性液晶が合成された。しかし、一般には実用上、何種類もの材料を混合して用いるので、単一の材料が室温で広い温度範囲をもつ必要はない。Sc*相の低温側が結晶相であるとき、一般に混合によってSc*-Crystの転移点は下がる。」(甲第7号証277頁6~17行)と記載されたうえ、その図8.3(同頁)に、Iso相転移温度が約78℃のフェニルピリミジン3種(PP-3)と同約62℃のMBRA8とを25:75の割合で混合した混合材料のIso相転移温度が約57℃となることが示されているように、本願出願当時、当業者には、強誘電性液晶のSmC*相温度を室温まで下げたいとの願望、つまり、Iso相転移温度を含む強誘電性液晶全体の相転移温度を低くしたいという要望があり、かつ、複数の異なるIso相転移温度を有する液晶を混合することで、混合液晶のIso相転移温度を下げることができるという周知の技術認識があった。これは、高価な強誘電性液晶を大量に使う実験が行なわれないため、液晶の混合による不均一性の認識がなかったことによるものである。

したがって、注入される液晶材料全体をIso相に保つために、構成分子の各々が持つIso相転移温度のうち最高温度以上に保つことは、本願出願当時の技術認識に基づいて当業者が想到する構成とは逆の構成である。

そうすると、審決の「構成分子の各々が持つIso相転移温度のうち、最高温度以上に保つという本願発明の構成は、注入される液晶材料全体をIso相に保つということである」との説示は、上記構成が、注入される液晶材料全体をIso相に保つために当然とるべき技術手段であるとの趣旨が窺えるから、誤りであり、また、混合液晶の「各構成分子全部をIso相に保つために、相違点2にあげた本願発明の構成のようにすることは、当業者が容易になしえる程度のものである。」との審決の判断も誤りである。

(2)  被告は、強誘電性液晶はその相転移が温度変化に依存するから、強誘電性液晶を液晶セルに注入する際に流動性を増すため加熱しなければならず、正確な温度制御が必要であること、強誘電性液晶の液晶セルのギャップ(厚み)は通常の液晶の液晶セルのギャップより非常に小さいことは引用例出願当時においてもよく知られていたとし、本願発明において、混合液晶材料を液晶セルに注入中に、その温度変化によって混合液晶材料がIso相から他の相へ相転移することを防止することは当然考慮すべきことであり、また、引用例発明においても、液晶セルに注入する際、強誘電性液晶材料を、そのIso相への相転移温度以上に保っていると主張する。

しかし、上記1のとおり、混合液晶をセルへ注入するとき、混合液晶がどのような性質を持ち、どのような熱的挙動を示すのかは本願出願以前は分っていなかったのであり、本願発明は、その点を解明して、「液晶材料および表示装置用セルを構成分子の各々が持つIso相への転移温度のうち、最高温度以上の温度を保ち液晶セルの一辺の一ケ所のみに設けられた注入口よりセル内部へ液晶を注入する」という構成としたものである。他方、引用例は、単一の液晶を充填する場合にボート(貯槽)に加熱手段を設けて、この内の液状物質を予め等方相(Iso相)とすることが望ましいと記載されているだけであり、それが何故に望ましいのかは開示されていないし、注入前や注入後でなく、注入時にどのような構成をとり、どのような配慮をするかも記載されていない。

したがって、引用例発明から、本願発明の構成に想到することが容易であるとはいえない。

6  取消事由5(相違点3の判断の誤り)

審決は、相違点3につき、「注入される物質の温度を一定以上に保ちたい場合、注入される物質と注入される物質を受け入れる容器自体を一定温度以上に保ち、注入物質と容器の温度差による温度低下を防止するようなことは、各種技術分野において、例を出すまでもなく従来周知である。引用例に記載のものにおいて、注入される液晶材料がセルによりIso相転移温度以下に冷却されるような場合には、液晶材料とセル自体を一定温度以上に保つという前記従来周知の事項を適用して、相違点3にあげた本願発明の構成のようにすることは、当業者が容易になしえる程度のものである。」(審決書7頁4行~15行)と判断したが、誤りである。

すなわち、審決の判断の前提部分である「注入される物質の温度を一定以上に保ちたい」という点に関し、上記1記載のとおり、混合液晶をセルへ注入するとき、混合液晶がどのような性質を持ち、どのような熱的挙動を示すのかは本願出願以前は分っていなかったのであり、本願発明は、その点を解明して、「液晶材料および表示装置用セルを構成分子の各々が持つIso相への転移温度のうち、最高温度以上の温度を保ち液晶セルの一辺の一ケ所のみに設けられた注入口よりセル内部へ液晶を注入する」という構成としたものである。混合液晶において、温度を一定以上に保ってよいのかどうかは本願出願によって初めて明らかになったのであり、この点を無視して、「従来周知の事項を適用して、相違点3にあげた本願発明の構成のようにすることは、当業者が容易になしえる」と判断することはできない。

7  取消事由6(本願発明の作用効果の看過)

審決は、「本願発明と引用例記載のものの効果を比較しても、両者に格別の差異がない。」(審決書7頁16~17行)と判断したが、誤りである。

すなわち、上記1記載のとおり、本願発明は、単一の液晶と異なる独特の特性を示す混合液晶を対象として、これをセルに注入するために、本願発明の要旨記載の独自の構成を必要としたものであるのに対し、引用例は、混合液晶につき、何の記載もなく、何の認識もなく、何の問題意識もないのである。したがって、引用例発明に、本願発明の効果と対比し得る何らの効果も存在しない。

第4  被告の反論の要点

審決の認定判断は正当であって、原告主張の審決取消事由はいずれも理由がない

1  引用例発明の内容について

引用例記載の「カイラルスメクティックC相(Sm*C)」、「カイラルスメクティックH相(Sm*H)」とは、温度変化に応じて転移する液晶の相を表現するものであり、この記載によってそれが単一液晶であることを意味するものではない。その他、引用例には、強誘電性を示す液晶の材料を単一液晶とするか、混合液晶とするかについての記載がなく、そのどちらであるかは不明であり、単一液晶だけを対象とする旨の認定をすべき根拠はないから、審決の引用例発明の認定に誤りはない。

なお、引用例の「空セル401は、・・・真空装置409の内に配置する。この時、真空装置409の内に光学変調可能な液状物質405(例えば、液晶、エレクトロクロミツク材料など)を満たしたボート404と毛細管403をそれぞれ配置しておく。」(甲第3号証6頁左下欄18行~右下欄3行)との記載から見て、審決が認定した引用例の記載事項(4)のうちの「又、前述の方法に従って空セル中にSm*C又はSm*H液晶を充填する場合には、ボート404に加熱手段(図示せず)を設けて、この内の液状物質411を予め等方相となしておくことが望ましく、」(審決書3頁末行~4頁4行)との記載中、「この内の液状物質411」とあるのは「この内の液状物質405」の誤記であることが明らかである。

2  取消事由1(相違点1の認定の誤り)について

審決の本願発明と引用例発明との相違点1に係る引用例発明の部分は、引用例の記載事項に基づいて認定したものであり、誤りはない。

なお、原告の主張する引用例に混合液晶のついての記載がない点は、この相違点に含まれている。

3  取消事由2(相違点3の認定の誤り)について

審決の本願発明と引用例発明との相違点3に係る引用例発明の部分は、引用例の記載事項に基づいて認定したものであり、誤りはない。

4  取消事由3(相違点1についての判断の誤り)について

周知例1の記載のほか、周知例2の「(1)式の化合物の大部分は強誘電性を利用する表示方式に適したSC*相を示す。更に(1)式の化合物は他の化合物(SC*相、SH*相を有する化合物及びコレステリツク相を呈する化合物)との相溶性にすぐれているので混合して、そのSC*相を呈する温度範囲を拡大するために使用できる。」(乙第1号証2頁右上欄13~19行)との記載、及び周知例3の「又(Ⅰ)式の化合物は他のSC*相、SH*相又はコレステリツク相を呈する化合物等との相溶性にすぐれているので、それらと混合して、そのSC*相を呈する温度範囲を拡大するために使用できる。SC*液晶組成物を構成する場合、(Ⅰ)式の複数の化合物のみより構成することも可能である。又、光学活性基を含まず従つてSC相を呈する物質に、(Ⅰ)式の物質を混合してSC*液晶組成物を構成することも可能である。」(乙第2号証5頁右上欄1~10行)との記載からみて、強誘電性を示す液晶を混合液晶とすることは本願出願時において従来周知であったことは明らかである。

そして、強誘電性を示す液晶の液晶セルへの注入において、強誘電性液晶材料を混合液晶とした場合の課題は、本願発明の記載事項からみて、液晶セル全体をいかにして均一な材質となるように注入するかということであるところ、周知例1は、強誘電性を示す混合液晶材料を液晶セルに注入する際、液晶セル全体に組成の相違がないように、つまり均一な材質とするように注入することを課題としており、強誘電性を示す液晶を混合液晶とする場合の課題については本願出願前に認識されていた。

また、周知例1には、従来例として、混合液晶を一穴式で注入すること及び混合液晶材料を液体状態(Iso相)まで加熱して液晶セルに注入することが記載されている。

したがって、相違点1につき、引用例発明の強誘電性液晶材料に代え、強誘電性を示す液晶として、2種類以上の分子の液晶を混合したもの(混合液晶材料)を適用して、本願発明の構成のようにすることは当業者において容易になし得るとした審決の判断に誤りはない。

5  取消事由4(相違点2についての判断の誤り)について

岡野・基礎編及び1985年7月20日初版発行の岡野光治外1名編「液晶 応用編」(以下「岡野・応用編」といい、岡野・基礎編と併せて「岡野各文献」という。)に見られるように、強誘電性液晶は常温では層構造が形成され流動性に乏しく、液晶セルに注入する際には、流動性を増すため加熱しなければならないこと、強誘電性液晶はその相転移が温度変化に依存するから、正確な温度制御が必要であること、強誘電性液晶の液晶セルのギャップ(厚み)は通常の液晶の液晶セルのギャップより非常に小さい(1μm~3μm)ことは引用例出願当時においてもよく知られていたことである(なお、岡野各文献の初版発行日は、引用例の出願日である昭和58年(1983年)7月15日に遅れるが、岡野・基礎編にその原稿が1983年夏に執筆されたことが記載されており(乙第3号証130頁欄外注書き)、岡野各文献が液晶技術の教科書的なものであることからみて、その記載事項は、引用例の出願当時の強誘電性液晶に関する技術常識であるとみることができる。)。

そうすると、本願発明の「構成分子の各々が持つIso相への転移温度のうち、最高温度以上の温度を保ち」という構成の意義は、本願明細書上明確に記載されてはいないが、強誘電性液晶の相転移が温度変化に依存することから、混合液晶材料を液晶セルに注入中に、その温度変化によって、混合液晶材料がIso相から他の相へ相転移すること(粘度の変化)を防止することは当然考慮すべきことであり、混合液晶材料を液晶セルに注入中、その温度変化がないようにすることを目的としたものと解される。

この点に関し、原告は、本願出願当時、当業者には、強誘電性液晶のIso相転移温度を低くしたいという要望があったとし、これを前提として、構成分子の各々が持つIso相転移温度のうち最高温度以上に保つことは、本願出願当時、当業者が想到する構成とは逆の構成であると主張する。しかし、原告が引用する各刊行物には、強誘電性を示す液晶を実際に使用可能な表示素子とするために、強誘電性を示す液晶相、すなわち、SmC*相あるいはSmH*相への相転移温度を低くし、その温度範囲を室温付近まで下げることに対する要求についての記載はあるものの、強誘電性を示す液晶のIso相転移温度を低くしたいという要望が当業者にあったことは記載されていない。表示素子として実際に使用可能とするために強誘電性を示す液晶相(SmC*相あるいはSmH*相)の温度範囲を室温付近まで下げることと、液晶セルに注入するための液晶のIso相転移温度を低くすることの意義は同列で比較することができないものである。したがって、原告の上記主張は、その前提を欠くものであって失当である。

そして、複数の液晶材料を混合した場合に、混合液晶材料のIso相転移温度が構成分子の各々が持つIso相転移温度のうち最高準度以下となることが自明であったとしても、最高温度以下のどの温度になるかが不明確であるため、混合液晶材料全体を確実にIso相に相転移させ、Iso相状態に保ち、液晶の混合の不均一性が生じないようにするために、構成分子の各々が持つIso相転移温度のうち、最高温度以上に保つようにするとの本願明細書の記載事項に基づいて、審決は、「構成分子の各々が持つIso相転移温度のうち、最高温度以上に保つという本願発明の構成は、注入される液晶材料全体をIso相に保つということである」と認定したものであり、この認定に誤りはない。

他方、引用例発明においても、引用例に、液晶セルに注入する前に液状物質を加熱し等方相とし、注入後Iso相にまで加熱された状態より、精密に温度コントロールしながら徐冷することにより強誘電性液晶とするとの記載があり、また、上記の場合と同様、液晶材料を液晶セルに注入中に、その温度変化によって、液晶材料がIso相から他の相へ相転移すること(粘度の変化)を防止することは当然考慮すべきことであることから見て、液晶セルに注入する際、強誘電性液晶材料を、そのIso相への相転移温度以上に保っているものと解される。

そうしてみると、引用例発明における強誘電性液晶材料に代えて、強誘電性を示す混合液晶材料を適用した場合に、各構成分子全部をIso相に保つために、相違点2にあげた本願発明の構成のようにすることは当業者において容易になし得るとした審決の判断に誤りはない。

6  取消事由5(相違点3の判断の誤り)について

上記5において主張したとおり、液晶材料を液晶セルに注入中に、Iso相への転移温度以上に加熱された液晶材料の温度を変化させないようにすることは、本願発明と引用例発明との共通の課題である。本願発明はその解決のため、液晶材料と液晶セルの双方をIso相への転移温度以上に保つ構成としたのに対し、引用例には、液晶セルの温度管理に関する記載はないが、液晶材料の温度を変化させないようにするとの課題がある以上、液晶材料の温度変化に密接に関係する液晶セルの温度管理の必要性の認識はあるものと考えられる。

そうすると、引用例発明において、注入される液晶材料がセルによりIso相転移温度以下に冷却されるような場合には、液晶材料とセル自体を一定温度以上に保つという従来周知の事項を適用して、相違点3にあげた本願発明の構成のようにすることは、当業者において容易になし得るとした審決の判断に誤りはない。

7  取消事由6(本願発明の作用効果の看過)について

上記1~6に記載したことから、本願発明は、引用例発明における強誘電性液晶材料に代えて強誘電性を示す混合液晶材料を適用した場合と比較して、特に顕著な作用効果を奏するものでないことは明らかであり、両者に格別の差異がないとした審決の判断に誤りはない。

第5  当裁判所の判断

1  引用例発明の内容並びに取消事由1(相違点1の認定の誤り)及び取消事由2(相違点3の認定の誤り)について

(1)引用例に、<1>「本発明で用いる光学変調可能な液状物質としては、強誘電性を有するものであって、具体的にはカイラルスメクテイツクC相(Sm*C)又はH相(Sm*H)を有する液晶を用いることができる。」(審決書2頁末行~3頁4行)、<2>「この帯状スペーサ104には、下述の液状物質注入時に、この液状物質が1つの注入口から注入され、さらにこの注入された液状物質が帯状スペーサ104に設けた導通口115を通して一対の基板101と109の間に亘って一様に注入されることができる。」(同3頁6~11行)、<3>「本発明の光学変調素子は、周辺がエポキシ系接着剤や低融点ガラスで封止された一対の平行基板間に強誘電性液晶を注入した後、isotropic相にまで加熱された状態より、精密に温度コントロールし乍ら除冷することによって得ることができる。」(同頁13~18行、なお、引用例の「除冷する」との記載は「徐冷する」の誤記と認められるので、以下、この部分の記載は「徐冷する」と訂正したうえで引用する。)、<4>「又、前述の方法に従って空セル中にSm*C又はSm*H液晶を充填する場合には、ボート404に加熱手段(図示せず)を設けて、この内の液状物質411を予め等方相となしておくことが望ましく、注入終了後注入口402を適当な封口材(例えば、エポキシ接着剤、ハンダなど)で封口してから、冷却してセル中にSm*C又はSm*H液晶に相転移させて光学変調素子とすることができる。」(同3頁末行~4頁8行)との各記載があることは当事者間に争いがない。

そして、引用例(甲第3号証)には、上記各記載のほかに、「第4図において、401は液晶などの光学変調可能な液状物質を注入するための空セル、402はその注入口を示す。」(同号証6頁左下欄8~10行)、「空セル401は、・・・真空装置409の内に配置する。この時、真空装置409の内に光学変調可能な液状物質405(例えば、液晶、エレクトロクロミツク材料など)を満たしたボート404と毛細管403をそれぞれ配置しておく。毛細管403の一方の口は、液状物質405に浸潰されて配置されており、この時毛細管403の他方の口まで液状物質405が毛管現象によつて吸い上げられる。次いで、・・・真空装置409の内を真空状態とする。・・・次いで、空セル401の注入口402にそれぞれ毛細管403を接触させて、注入口402を液状物質411によつて覆い、しかる後に毛細管403を注入口402から離脱させる。しかる後に、・・・真空装置409の内を大気圧に戻すと、空セル401の気圧と大気圧との気圧差により注入口402を覆つていた液状物質411が空セル401の各帯状スペーサ412間に・・・一様に各帯状スペーサ412間に注入される。」(同6頁左下欄18行~7頁左上欄12行)との各記載がある。

引用例のこれらの記載に照らして、引用例には「強誘電性を示す液晶を空セルに注入する工程において、液晶材料を予め加熱し等方相として、空セルの一辺に設けた1つの注入口より液晶材料を注入する強誘電性を示す液晶の注入方法」(審決書4頁11~14行)が記載されているものと認められる。

なお、前示<4>の「ボート404に加熱手段(図示せず)を設けて、この内の液状物質411を予め等方相となしておくことが望ましく」との記載中の液状物質411はボート404に満たされた液状物質405が毛細管403の一方の口から吸い上げられ、その他方の口が空セル401の注入口402に接触したことにより、注入口402を覆ったものであり、かつ、加熱手段は毛細管403でなく、ボート404に設けられているから、液状物質411を等方相とすることは、ボート404中の液状物質405を予め等方相としておくことに他ならず、したがって、引用例に「液晶材料を予め加熱し等方相と」することが記載されていることは明白である。

(2)  ところで、引用例には、前示のとおり、「光学変調可能な液状物質」として強誘電性を有する液晶を用いることの記載はあるが、その液晶を混合液晶とすることについての記載はなく、したがって、これを混合液晶とした場合に生ずる固有の課題に関する記載も存在しない。

しかしながら、引用例には、その「光学変調可能な液状物質」を液晶とする場合に、それが単一の液晶に限定される旨の明示の記載はなく、また、それを混合液晶としたときには、引用例記載の技術の実現に何らかの支障が生ずることを認めるに足りる証拠もない。すなわち、引用例の記載に即して引用例発明を認定する場合において、引用例発明が対象とする強誘電性を示す液晶を混合液晶とすることについて引用例に記載がないことは認定し得ても、さらに進んで、引用例発明が強誘電性を示す液晶として単一の液晶だけを対象とする旨が引用例に記載されていると認定することはできないのであるから、審決が、引用例発明につき、前示のように「引用例には、強誘電性を示す液晶を空セルに注入する工程において、液晶材料を予め加熱し等方相として、空セルの一辺に設けた1つの注入口より液晶材料を注入する強誘電性を示す液晶の注入方法が記載されている。」(審決書4頁10~15行)と認定するに止めたうえ、改めて、「本願発明が、2種類以上の分子の液晶を混合して、構成された強誘電性を示す液晶としたのに対して、引用例記載のものが、強誘電性を示す液晶を混合液晶とする記載がない点」(審決書5頁8~11行)を本願発明と引用例発明との相違点1として認定したことに何ら誤りはないものといわなければならない。

また、このように相違点の認定をすることによって、原告の指摘に係る点について判断が示されることになるのであるから、その意味でも審決の結論に影響を及ぼすような問題は生じない。

したがって、相違点1の認定が誤りであるとする原告の主張(取消事由1)は採用し難い。

(3)  さらに、このような見地に立って検討した場合、審決が、本願発明と引用例発明との相違点3として、「本願発明が、表示装置用セルを、液晶材料の構成分子の各々が持つIso相転移温度のうち、最高温度以上に保つようにしたのに対して、引用例記載のものが、表示装置用セルの温度管理に関する記載がない点」(審決書5頁17行~6頁1行)を認定したことについても、引用例の記載に即した相違点の認定として何の誤りもないことが明らかである。したがって、相違点3の認定が誤りであるとする原告の主張(取消事由2)も採用し難い。

2  取消事由3(相違点1についての判断の誤り)について

周知例1(甲第4号証)には、「本発明は強誘電性液晶のうちカイラルスメクティック液晶を用いた液晶表示素子に関し、特にカイラルスメクティック液晶を液晶表示素子に封入する為の液晶セル構造に関する。」(同号証1頁左下欄下から3行~右下欄1行)、「カイラルスメクティック液晶を用いた液晶表示素子においては液晶セルの間隙を1μmから3μmと薄くしなければならず、且つカイラルスメクティック液晶は粘度が高く流動性が低い。従って液晶セルに液晶を注入する場合従来の真空注入法を用いた一穴方式・・・では注入の能率が著しく悪いという問題があった。」(同2頁左上欄17行~右上欄4行)、「さらに充填すべき液晶として複数のカイラルスメクティック液晶材料の混合物を用いた場合、充填の際の拡散速度が成分毎に異なる為、切欠き近辺の液晶の組成と、切欠きから離れた部分の液晶の組成に相違が生じるという問題点があった。本発明は上記に述べた問題点を解決することを目的とし、速やかに且一定の組成を有する液晶を封入する為の液晶セルの構造を提供するものである。」(同2頁左下欄2~10行)、「カイラルスメクティック液晶が液体状態になるまで加熱する。・・・なお圧入する際さらに加熱し液晶の温度を液化温度よりさらに上げ粘度を下げれば、充填速度は改善される。」(同3頁左上欄2~12行)との各記載があり、また、周知例2(乙第1号証)には、「(1)式の化合物の大部分は強誘電性を利用する表示方式に適したSC*相を示す。更に(1)式の化合物は他の化合物(SC*相、SH*相を有する化合物及びコレステリツク相を呈する化合物)との相溶性にすぐれているので混合して、そのSC*相を呈する温度範囲を拡大するために使用できる。」(同号証2頁右上欄13~19行)との記載が、周知例3(乙第2号証)には、「又(Ⅰ)式の化合物は他のSC*相、SH*相又はコレステリツク相を呈する化合物等との相溶性にすぐれているので、それらと混合して、そのSC*相を呈する温度範囲を拡大するために使用できる。SC*液晶組成物を構成する場合、(Ⅰ)式の複数の化合物のみより構成することも可能である。又、光学活性基を含まず従つてSC相を呈する物質に、(Ⅰ)式の物質を混合してSC*液晶組成物を構成することも可能である。」(同号証5頁右上欄1~10行)との記載がある。

これらの各周知例の記載に照らして、本願出願当時、複数の強誘電性を示す液晶を混合して混合液晶とすることが周知技術であったことは明らかである。

そして、本願発明が、従来例に係る注入方法により混合液晶材料を液晶セルに注入した場合に液晶セル内が均一な組成の液晶材料によって満たされない状態となることを技術課題とすることは、原告の自認するところであるが、周知例1の前示記載によれば、周知例1は、本願発明及び引用例発明と同様、強誘電性を示す液晶の液晶セルへの注入方法という技術分野に関するものであり、かつ液晶セル内の場所によって液晶の組成に相違が生ずること、すなわち、液晶セル内が均一な組成の液晶材料によって満たされない状態となることを技術課題とする点でも本願発明と共通するものであるから、相違点1につき、引用例発明に係る強誘電性を示す液晶材料として、従来周知の混合液晶材料を適用することは当業者おいて容易になし得る程度のものと認められる。

なお、原告は、周知例1記載の技術では上記の課題を解決することができないと主張するが、この点は相違点1に直接かかわる問題ではない。

したがって、審決の相違点1についての判断に原告主張の誤りはない。

3  取消事由4(相違点2についての判断の誤り)について

岡野・基礎編(乙3号証)には、「棒状低分子から成る系は、・・・層状構造がないかあるかにより大きく分類される。・・・あればスメクティック(S)相である。・・・S相はさらに層内で分子の重心の位置に秩序がないかあるかにより分けられる。ない場合には、分子長軸が層法線と平行であるかないかにより、また誘電率のような2階テルソンを考えて、1軸性であるか2軸性であるかにより分類される。平行で1軸性ならばスメクティックA(SA)相、平行でなく2軸性ならばスメクティックC(SC)相である。」(同号証3頁16~25行)、「棒状低分子がカイラルであり(不斉炭素をもち)、系がラセミ体でないときは、ねじれ(らせん)構造が発生する。すなわち、・・・Sc*・・・相などが出現する。」(同7頁1~4行)、「Meyerらは1975年に・・・Sc*相が強誘電性であることを確認した。」(同133頁9~11行)、「通常は、スペーサーで隔てられた2枚のガラス基盤の間にS液晶を充填し、セルとして取り扱う。高温相から徐冷して配向させようとするのが一般的方法である。高温側の相系列には

<1>  液体→SA→SC*

・・・

<4>  液体→SC*

の4種類が考えられる。」(同141頁2~9行)、「冷却過程を温度制御し、モノドメイン形成のようすを見たのが図7.8に示したクロスニコル下における偏光顕微鏡写真である。温度制御さえきちんと行い、スペーサーエッジからのみSA相が成長していくようにすれば、大きなモノドメインも作れる。」(同143頁下から7行~下から4行)、「室温強誘電性を得るためには、適切な分子設計によって新材料を合成したり、室温より高い温度で強誘電性となる既存の材料をいくつか混合するのが常套手段である。注目に値するのは、薄いセルにおいてSA-Sc*相転移点が10℃も低下する事実である。」(同145頁18行~146頁3行)、「厚さが1μm程度のセルは、応用的見地から非常に注目されている。このように薄いセルにおいては、らせん構造が消滅している。・・・らせん構造の消滅したSc*相は分子長軸方向を光軸とする1軸性であると近似的にみなせる。・・・ClarkとLagerwallにより提唱されたこの電気工学効果の特徴は、高速応答性、メモリ性、および望ましいしきい値特性の3点に要約できる」(同154頁2~21行)との各記載があり、また、岡野・応用編(乙第4号証)には、「Sc*(カイラル)は・・・“らせん”になっている。これは液晶としては、強誘電性を示す唯一のものである。容器のギャップを薄くして、このねじれをほどくようにしてやると、・・・電気的双極子(偏極)が壁の面に垂直に上または下を向いた2通りの安定状態が生じる。」(同号証45頁下から7行~下から2行)との記載がある。

これらの記載によると、岡野各文献には、混合液晶を含む液晶において、強誘電性を示す液晶相は、カイラルスメクティック(Sc*)相であること、これをセルに導入するには、加熱して液体相としてからセルに注入した後に、徐冷してSc*相に戻すことが一般的方法であり、その際、きちんとした温度制御をする必要があること、本来らせん構造を有するSc*相の液晶は、ギャップが1μm程度の薄いセルにおいてはらせん構造が消滅し、優れた電気工学的特性を示すことが記載されているものと認めることができる。

そして、岡野各文献が液晶に関する一般的体系的な概説書の体裁を有することのほか、岡野・基礎編に「強誘電性液晶の研究は非常に活発に行われている。原稿執筆時(1983年夏)以降の発展に関しては、福田敦夫、竹添秀男:応用物理、54(1985)412-428を参照。」(乙第3号証130頁欄外)、「原稿執筆時(1983年夏)以降の発展に関しては、幡野智彦、福田敦夫:機能材料(シーエムシー)5(1985)21-30を参照。」(同号証139頁欄外)との各注書きがあることに照らすと、前示事項は、岡野各文献の初版発行時である1985年(昭和60年)7月当時はもとより、1983年(昭和58年)夏当時においても(したがって、昭和62年7月の本願出願当時はもとより、昭和58年7月の引用例(甲第3号証)出願当時においても)、当業者に周知の技術常識であったものと推認することができる。

そうすると、本願発明の「構成分子の各々が持つIso相(液体相、無秩序相、アイソトロピック相)への転移温度のうち、最高温度以上の温度を保ち」という構成は、前示技術常識に則って、混合液晶材料をごく薄い液晶セルに注入する過程において、注入される混合液晶材料全体をIso相(液体相)とし、かつ、温度変化によって混合液晶材料がIso相から他の相へ相転移して粘度が変化することを防止するために、その注入中に温度変化がないようにすることを目的としたものと解することができる。

原告は、本願出願以前には、混合液晶をセルへ注入するとき、混合液晶がどのような性質を持ち、どのような熱的挙動を示すのかという点が分っていなかったと主張するが、前示のとおり、本願出願当時、混合液晶を含む液晶をセルに注入する際に加熱してIso相とすることが周知事項に属するものと認められるのであるから、その主張は採用できない。

また、原告は、注入される液晶材料全体をIso相に保つために、構成分子の各々が持つIso相転移温度のうち最高温度以上に保つことは、本願出願当時の技術認識に基づいて当業者が想到する構成とは逆の構成であると主張する。しかし、原告が引用する岡野・基礎編(乙第3号証)145頁末行~146頁3行の記載部分、特開昭59-118744号公報(甲第5号証)3頁左上欄1~10行の記載部分、特開昭62-298559号公報(甲第6号証)2頁右上欄5~8行の記載部分、福田文献(甲第7号証)277頁6~17行の記載部分には、いずれも強誘電性を示す液晶相(岡野・基礎編及び福田文献におけるSc*相、特開昭59-118744号公報及び特開昭62-298559号公報におけるSmC*相又はSmH*相)の温度範囲が通常は室温よりも高いので、これを室温付近とすること、あるいは室温付近のなるべく広い温度範囲とすることが課題である旨、さらに、岡野・基礎編及び福田文献の上記記載部分には、一般に液晶材料を混合することによって、この課題が達成される旨が記載されているが、Iso相(液体相)への転移温度を下げること、すなわちIso相の温度範囲を下方に広げることが課題であるとする記載はない。この点につき原告は、当業者に強誘電性液晶のSmC*相温度を室温まで下げたいとの願望があることから、当然Iso相転移温度を含む強誘電性液晶全体の相転移温度を低くしたいという要望があるかのような主張をするが、液晶表示素子を室温で使用するために、強誘電性を示す液晶相を室温付近のなるべく広い温度範囲とする要求が生ずることは当然のこととして理解されるものの、液晶をセルに注入するために一時的に相転移させるにすぎないIso相への相転移温度を下げなければならない理由は特段考えられず、その必要性が存在することを認めるに足りる証拠もない。

そうすると、液晶をセルに注入すべく、注入される液晶材料全体をIso相に保とうとする場合に、それが混合液晶であったとしても、構成分子の各々が持つIso相転移温度のうちの最高温度よりも低い温度とすることが本願出願当時の当業者の技術認識であったものとは認められないから、原告の上記主張を採用することはできない。

他方、引用例の前示「本発明の光学変調素子は、周辺がエポキシ系接着剤や低融点ガラスで封止された一対の平行基板間に強誘電性液晶を注入した後、isotropic相にまで加熱された状態より、精密に温度コントロールし乍ら徐冷することによって得ることができる。」(審決書3頁13~18行)、「又、前述の方法に従って空セル中にSm*C又はSm*H液晶を充填する場合には、ボート404に加熱手段(図示せず)を設けて、この内の液状物質411を予め等方相となしておくことが望ましく、注入終了後注入口402を適当な封口材(例えば、エポキシ接着剤、ハンダなど)で封口してから、冷却してセル中にSm*C又はSm*H液晶に相転移させて光学変調素子とすることができる。」(同3頁末行~4頁8行)との各記載、及び、この「前述の方法」として、「空セル401は、・・・真空装置409の内に配置する。この時、真空装置409の内に光学変調可能な液状物質405(例えば、液晶、エレクトロクロミツク材料など)を満たしたボート404と毛細管403をそれぞれ配置しておく。毛細管403の一方の口は、液状物質405に浸潰されて配置されており、この時毛細管403の他方の口まで液状物質405が毛管現象によつて吸い上げられる。次いで、・・・真空装置409の内を真空状態とする。・・・次いで、空セル401の注入口402にそれぞれ毛細管403を接触させて、注入口402を液状物質411によつて覆い、しかる後に毛細管403を注入口402から離脱させる。しかる後に、・・・真空装置409の内を大気圧に戻すと、空セル401の気圧と大気圧との気圧差により注入口402をを覆つていた液状物質411が空セル401の各帯状スペーサ412間に・・・一様に各帯状スペーサ412間に注入される。」(甲第3号証6頁左下欄18行~7頁左上欄12行)と記載されていることによれば、引用例には、光学変調可能な液状物質としての液晶を空セルに注入する場合に、液晶材料を満たしたボート(貯槽)に加熱手段を設け、予め液晶材料を加熱してisotropic相(Iso相、等方相)に転移させておいてから空セルに注入し、注入後は精密に温度コントロールしながら徐冷することによって、isotropic相からSmC*相又はSmH*相に転移させて光学変調素子とする技術が記載されているものと認めることができる。この場合、前示周知事項に加えて、「加熱手段・・・を設けて、この内の液状物質411を予め等方相となしておく」、「強誘電性液晶を注入した後、isotropic相にまで加熱された状態より、精密に温度コントロールし乍ら徐冷する」との各記載に照らして、液晶を空セルに注入する間、isotropic相(Iso相、等方相)の状態を保つものであることは明白である。

原告は、引用例には、液状物質を予め等方相(Iso相)とすることが何故に望ましいのかが開示されていないとか、注入前や注入後でなく、注入時にどのような構成をとり、どのような配慮をするかが記載されていないとも主張するが、以上のとおりその主張は失当である。

そして、このように、引用例に液晶材料を液晶セルに注入する間、液晶材料をIso相を保つよう加熱することが示されているのであるから、引用例発明における強誘電性液晶材料に代えて、強誘電性を示す混合液晶材料を適用した場合に、前示のように各構成分子全部をIso相に保つために、混合液晶の構成分子の各々が持つIso相への転移温度のうち最高温度以上の温度を保つ構成とすることは当業者において容易になし得るものと認められる。

したがって、審決の相違点2に対する判断に原告主張の誤りはない。

4  取消事由5(相違点3の判断の誤り)について

混合液晶を含む強誘電性液晶を液晶セル内に注入する場合に、注入の間、液晶をIso相(液体相)に保つことが周知事項であり、混合液晶では、そのために混合液晶の構成分子の各々が持つIso相への転移温度のうち最高温度以上の温度を保つ構成とすることが容易であることは、上記3のとおりである。

したがって、審決が、引用例発明における強誘電性液晶材料に代えて、強誘電性を示す混合液晶材料を適用した場合について、「注入される物質の温度を一定以上に保ちたい」ことを前提としたことに何ら誤りはない。

そして、注入される物質と注入される物質を受け入れる容器自体を一定温度以上に保ち、注入物質と容器の温度差による温度低下を防止することが、各種技術分野において周知であることは明白であるから、引用例発明における強誘電性液晶材料に代えて、強誘電性を示す混合液晶材料を適用した場合に、この周知事項を適用することにより、表示装置用セル自体も、液晶材料の構成分子の各々が持つIso相転移温度のうち最高温度以上に保つ構成とすることは当業者において容易になし得るものと認められる。

したがって、審決の相違点3に対する判断に原告主張の誤りはない。

5  取消事由6(本願発明の作用効果の看過)について

審決の「本願発明と引用例記載のものの効果を比較しても、両者に格別の差異がない。」(審決書7頁16~17行)とした判断について、原告は、本願発明が混合液晶をセルに注入するために本願発明の要旨記載の構成を必要としたのに対し、引用例には、混合液晶については、何の記載等もなく、本願発明の効果と対比し得る何らの効果もないとして、これを誤りであると主張する。

しかし、審決の上記記載部分は、引用例発明の強誘電性液晶材料に代えて、強誘電性を示す混合液晶材料を適用した場合に奏する作用効果と比較して、本願発明は特に顕著な作用効果を奏するものでないとの趣旨であることは明らかであり(混合液晶についての記載のない引用例それ自体に、混合液晶に関する本願発明の作用効果がないことは当然であり、そうであるからといって、本願発明の進歩性の有無に直ちに影響が及ぶことにはならない。)、そのことは、前示各認定判断により首肯されるところである。

6  以上のとおりであるから、原告主張の審決取消事由はすべて理由がなく、その他審決にはこれを取り消すべき瑕疵は見当たらない。

よって、原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 田中康久 裁判官 石原直樹 裁判官 清水節)

平成7年審判第4102号

審決

神奈川県厚木市長谷398番地

請求人 株式会社 半導体エネルギー研究所所

昭和62年特許願第188442号「強誘電性を示す液晶の注入方法」拒絶査定に対する審判事件(平成1年2月1日出願公開、特開平 1-31118)について、次のとおり審決する。

結論

本件審判の請求は、成り立たない。

(手続の経緯・発明の要旨)

本願は、昭和62年7月27日の出願であって、その発明の要旨は、明細書及び図面の記載からみて、特許請求の範囲に記載された次のとおりのものである。

「2種類以上の分子の液晶を混合して、構成された強誘電性を示す液晶を表示装置内部に注入する工程において、液晶材料および表示装置用セルを構成分子の各々が持つIso相(液体相、無秩序相、アイソトロピック相)への転移温度のうち、最高温度以上の温度を保ち液晶セルの一辺の一ケ所のみに設けられた注入口よりセル内部へ液晶を注入することを特徴とする強誘電性を示す液晶の注入方法。」(以下、「本願発明」という。)

(引用例)

これに対して、原査定の拒絶の理由に引用された特開昭60-21028号公報(昭和60年2月2日出願公開)(以下、「引用例」という。)には、例えば、次のような記載がある。

(1)、「本発明で用いる光学変調可能な液状物質としては、強誘電性を有するものであって、具体的にはカイラルスメクライツクC相(Sm*C)又はH相(Sm*H)を有する液晶を用いることができる。」第2頁左下欄第4行から第2頁左下欄第8行。

(2)、「この帯状スペーサ104には、下述の液状物質注入時に、この液状物質が1つの注入口から注入され、さらにこの注入された液状物質が帯状スペーサ104に設けた導通口115を通して一対の基板101と109の間に亘って一様に注入されることができる。」第4頁左下欄第10行から第4頁左下欄15行。

(3)、「本発明の光学変調素子は、周辺がエポキシ系接着剤や低融点ガラスで封止された一対の平行基板間に強誘電性液晶を注入した後、isotropic相にまで加熱された状態より、精密に温度コントロールし乍ら除冷することによって得ることができる。」第6頁左上欄18行から第6頁右上欄第3行。

(4)、「又、前述の方法に従って空セル中にSm*C又はSm*H液晶を充填する場合には、ボート404に加熱手段(図示せず)を設けて、この内の液状物質411を予め等方相となしておくことが望ましく、注入終了後注入口402を適当な封口材(例えば、エポキシ接着剤、ハンダなど)で封口してから、冷却してセル中にSm*C又はSm*H液晶に相転移させて光学変調素子とすることができる。」第7頁右上欄第10行から第7頁右上欄第18行。

前記(1)から(4)の記載からみて、引用例には、強誘電性を示す液晶を空セルに注入する工程において、液晶材料を予め加熱し等方相として、空セルの一辺に設けた1つの注入口より液晶材料を注入する強誘電性を示す液晶の注入方法が記載されている。

(対比)

そこで、本願発明と引用例記載のものを対比する。引用例記載のものにおける「空セル」、「等方相」は、本願発明における「表示装置用セル」、「Iso相」にそれぞれ相当するものであるから、本願発明と引用例記載のものは、強誘電性を示す液晶を表示装置内部に注入する工程において、液晶材料をIso相として、液晶セルの一辺の一ケ所に設けた注入口よりセル内部への液晶を注入することを特徴とする強誘電性を示す液晶の注入方法である点において、両者は一致し、次の点で相違する。

相違点1、本願発明が、2種類以上の分子の液晶を混合して、構成された強誘電性を示す液晶としたのに対して、引用例記載のものが、強誘電性を示す液晶を混合液晶とする記載がない点。

相違点2、本願発明が、液晶材料を、混合液晶の構成分子の各々が持つIso相転移温度のうち、最高温度以上の温度を保つようにしたのに対して、引用例記載のものが、液晶材料を予め加熱し、液晶材料をIso相とするという記載しかない点。

相違点3、本願発明が、表示装置用セルを、液晶材料の構成分子の各々が持つIso相転移温度のうち、最高温度以上に保つようにしたのに対して、引用例記載のものが、表示装置用セルの温度管理に関する記載がない点。

(当審の判断)

次に、各相違点について検討する。

まず、相違点1について検討する。

強誘電性を示す液晶を、2種類以上の分子の液晶を混合して構成する点は、拒絶査定時に周知例としてあげた特開昭61-43724号公報に示されているように、本願出願時において、従来周知であり、引用例記載のものの強誘電性液晶材料として、前記従来周知の事項を適用し、前記相違点1にあげた本願発明の構成のようにすることは、当業者が容易になしうる程度のものである。

次に、相違点2について検討する。

構成分子の各々が持つIso相転移温度のうち、最高温度以上に保つという本願発明の構成は、注入される液晶材料全体をIso相に保つということであるから、引用例における強誘電性液晶材料に代えて、強誘電性を示す液晶を、2種類以上の分子の液晶を混合したものを適用した場合、各構成分子全部をIso相に保つために、相違点2にあげた本願発明の構成のようにすることは、当業者が容易になしえる程度のものである。

続いて、相違点3について検討する。

注入される物質の温度を一定以上に保ちたい場合、注入される物質と注入される物質を受け入れる容器自体を一定温度以上に保ち、注入物質と容器の温度差による温度低下を防止するようなことは、各種技術分野において、例を出すまでもなく従来周知である。引用例に記載のものにおいて、注入される液晶材料がセルによりIso相転移温度以下に冷却されるような場合には、液晶材料とセル自体を一定温度以上に保つという前記従来周知の事項を適用して、相違点3にあげた本願発明の構成のようにすることは、当業老が容易になしうる程度のものである。

そして、本願発明と引用例記載のものの効果を比較しても、両者に格別の差異がない。

(むすび)

以上のとおりであるから、本願発明は、本願出願時点において従来周知の事項を考慮すれば、本願出願前日本国内において頒布されたことが明らかな引用例記載のものに基づいて当業者が容易に発明することができたものであり、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができない。

よって、結論のとおり審決する。

平成8年9月2日

審判長 特許庁審判官 (略)

特許庁審判官 (略)

特許庁審判官(略)

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