東京高等裁判所 平成8年(行コ)158号 判決 2002年3月28日
控訴人 A ほか23名(仮名)
被控訴人 国
代理人 松村葉子 茂木善樹 日景聡 川崎利夫 鈴木秀幸 向山敏明 岡村雅彦 巣山真須美
主文
1 本件控訴をいずれも棄却する。
2 控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実及び理由
第1控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は、控訴人らそれぞれに対し、各200万円及びこれに対する訴状送達の日(原審・東京地方裁判所平成3年(行ウ)第253号事件原告及び同平成4年(行ウ)第15号事件原告たる控訴人らについては平成4年2月1日、同第75号事件原告及び同第97号事件原告たる控訴人らについては平成5年3月24日)から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え(当審で請求を減縮した。)。
3 被控訴人は、控訴人らそれぞれに対し、原判決別紙二の謝罪文記載のとおり誠意ある謝罪をせよ。
4 訴訟費用は、第1、第2審とも被控訴人の負担とする。
5 上記2につき仮執行宣言
第2事案の概要
次のとおり当審における当事者双方の主張等を付加するほかは、原判決事実及び理由欄の「第二 事案の概要等」のとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決9頁9行目の「国家賠償訴訟」を「国家賠償請求訴訟」に改め、同12頁4行目の「理由とす」を「理由とする」に改め、同22頁7行目の「主張立証責任を負い、」の次に、「これらの事実が立証されたときは、」を加え、同27頁6行目の「時期に遅れた」を「時機に後れた」に改める。)。
1 権利の承継(弁論の全趣旨により認められる。)
(1) 一審原告Bは、本件訴訟提起後の1995年(平成7年)9月20日死亡し、その子である控訴人Cが、前戸主である一審原告Bを相続し、その権利義務を承継した。
(2) 一審原告Dは、本件訴訟提起後の1996年(平成8年)9月28日死亡し、その子である控訴人Eが、前戸主である一審原告Dを相続し、その権利義務を承継した。
(3) 一審原告Fは、本件訴訟提起後の1996年(平成8年)9月8日死亡し、その妻である控訴人Gが、一審原告Fの本件損害賠償請求債権等を相続により承継取得した。
2 控訴人らの補足主張
(1) 不法行為について
<1> 明治憲法下の国家無答責の法理(正しくは「公権力無責任の原則」というべきである。)は、実定法に根拠のない判例の所産である。しかも、戦前において、国や公共団体の責任を認める実定法は存在しなかったから、公権力の行使については民法の適用を全面的に否定できたにもかかわらず、判例はそうした方向には動かず、大審院の判例は、非権力的公行政については国・公共団体の損害賠償責任を認め、他方、権力的公行政については、理由付けに多少の揺れはあったものの、損害賠償責任を否定していたが、必ずしも一義的で一律ではなく、公権力ないし行政行為の観念には動揺が見られ、被害者救済の見地から徐々に民法適用の範囲を拡大してきた。このように、国家無答責の法理が立法政策として確立していた事実はなく、公権力の行使に対する民法の不適用は、天皇制イデオロギーを背景とする政治的配慮によるものである。基本的人権の保障を中核とする現憲法下においては、憲法の思想に合致した最新解釈によるべきであり、天皇制イデオロギー理論にその根拠を求める国家無答責の法理に基づいて判断することは許されない。
<2> 国賠法附則6項の「従前の例による」との規定は、新しい法律の遡及効を否定したものであって、旧法令下での裁判例や法令の解釈を含めて「従前の例」によるとしたものではない。そして、国の不法行為によって生じた国の損害賠償義務は、原因行為が権力的行為に起因しているか否かにかかわらず、私益の保護を目的とするものであって、私法的性質を有するから、公法、私法の二元論を前提としても、そこから直ちに民法の適用が排除されるものではない。戦前の司法裁判所が、権力的行為に起因する国の賠償責任について民法の規定を排除していた理由は、管轄の範囲外であるため適用法条がないという訴訟法上の理由によるものである。そして、判例は、国家無答責の法理を支える実体的根拠を示しておらず、専ら管轄の範囲外の問題であることを根拠に適用法条を欠く旨を宣言してきたにすぎず、行政裁判法16条も、国の賠償責任訴訟の管轄権を行政裁判所が有しない旨を規定するだけで、司法裁判所の管轄権を明示的に否定していないほか、ボアソナード民法草案393条の損害賠償責任を負う主体から「公私ノ事務所」の文言が削除されて「総テノ委託者」とされ、公私の事務所に責任があることを明記しなかったのは、国又は公共団体に賠償責任があることを前提に、国の賠償責任が否定される範囲について裁判所の判断に委ねたものである。したがって、国の損害賠償責任について司法裁判所に管轄が認められた現在では、民法の適用を否定すべき理由はない。
<3>ア 強制連行は、国内企業の強い要請に基づきこれに追随する形で国家が動員政策、動員システムを構築し、労働市場を通じて労働者を発見掌握して、私企業に配転する行政作用である。その主な目的は労働力の供給であって、国家だけが独占的、優越的に行う国家作用ではなく、非営利的、非権力的な公共事業ないし公益事業たる労働力供給事業である。民法の適用を排除する権力的作用とは、本来的に国家しかなし得ない統治権(ないし支配権)に基づく権力作用たる行政行為であると解するのが論理的かつ合理的であり(そうすると、統治権を根拠とする国家無答責の法理は、統治権に服しない外国人にはそもそも適用されないものである。)、強制連行によって控訴人らが被った損害の賠償責任については、国家無答責の法理の領域にはなく、民法が適用されて被控訴人の賠償責任が認められることになる。
イ 仮に強制連行が公権力の行使であり、明治憲法下における国家無答責の法理の適用領域であったとしても、前記のとおり、国家無答責の法理は、立法政策といえるほど自明の理でも、確固不動の法原則でもない上、国賠法附則6項の「従前の例による」との規定は、新しい法律以前の法令を指すのであって、旧法令下での裁判例や法令の解釈を含むものではないから、人権規定を擁する新憲法下においては、この人権規定や国際人権規約等の国際人権法を指針とする最新の解釈により、本件に不法行為規定を適用して、重大な人権侵害の救済を図るべきである。
<4> 控訴人らが本件訴訟で述べた、控訴人らが本件訴訟提起に至るまでの歴史、事情にかんがみれば、被控訴人が、控訴人らの本件損害賠償請求権について除斥期間経過の主張をすることは、権利濫用に当たり、信義則上も許されない。
(2) 安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求について
<1> 実体的な安全配慮義務は、その発生根拠たる社会的接触の関係の性質に応じて定められるべきものであり、そのようにして定められた安全配慮義務の内容に応じて、正義公平の理念から主張立証責任の分配も決定されるべきところ、本件のように、控訴人ら又はその被相続人らの身体を強制的に拘束し、あるいは自由を強制的に制限するような強度の包括的支配従属関係である場合には、被控訴人の負う安全配慮義務は高度のものとなり、この場合の主張立証責任は、その実体的な安全配慮義務の程度に応じて、控訴人らが原審で述べたとおりに分配されなければならない。すなわち、本件のような包括的人格支配の場合には、被控訴人において、安全配慮義務を尽くしてもなお被害が生じたことについての主張立証責任を負うのである。安全配慮義務が生じる特別な社会的接触は、「雇用関係ないしこれに準ずるような法律関係」又は「直接具体的な労務の支配管理性が存在する関係」に限定されるものではない。国民徴用令は、一方的に公法上の義務を発生させるものであるが、かかる公法関係が安全配慮義務を発生させることも信義則上当然である(双務的な忠誠関係を伴う身分関係が存在することを要するものではない。)。また、徴用後の被控訴人と控訴人ら又はその被相続人らとの特別の社会的接触はこれに尽きるものではない。被控訴人は、戦争という非常事態などというが、戦争を行ったのは被控訴人であり、控訴人ら又はその被相続人らではない。控訴人ら又はその被相続人らである被連行者らは、被控訴人によって侵略された韓民族であり、被控許人は、控訴人ら又はその被相続人らに対する責任を戦争を理由に免れることはできない。
<2> また、被控訴人は、自由募集、官斡旋、国民徴用令に基づき控訴人ら又はその被相続人らを強制連行し(自由募集、官斡旋もその運用の実態は強制連行である。)、これらの被連行者は、被控訴人から命じられた職場の事業主とは直接の雇用関係には立たず、あくまで被控訴人との公法関係に立つのであるから、「ある法律関係」によって被控訴人との社会的接触の関係が設定されたものであり、事実行為によって設定されたものではない。被控訴人は、強制連行した控訴人ら又はその被相続人らを自己の管理下に置き、強制労働に服せしめていたのであり、このような強制労働の実態からも、「特別の社会的接触の関係」が発生していたものである。
<3> 軍需産業については、国策として被控訴人によって統制されていたのであり、被控訴人と軍需会社との間には注文者と請負人との関係に類似した関係があり(実態は、被控訴人は軍需会社に対し注文者的立場を超えて直接的積極的な関与を行っていた。)、「特別の社会的接触の関係」は、注文者と請負人補助者との間においても成立し得ること、また、被控訴人は、被連行者たる控訴人ら又はその被相続人らを民間の軍需工場等に配置して労働させたという点で、派遣会社ないし出向元と類似の関係にあったことを考えれば、被控訴人は、かかる特別な社会的接触の関係に基づき、控訴人ら又はその被相続人らに対し安全配慮義務を負ったものである。
<4> 被控訴人は、被徴用者が働かされていた就業場所に警察官や憲兵を派遣し、被徴用者の労務を直接具体的に支配管理していたほか、協和会なる組織を作り、中央協和会、地方協和会を通じて労務管理を行っていた。協和会は完全に被控訴人の御用組織であり、被控訴人と同一視されるべき組織であるから、協和会を通じた労務管理は、実態的には何ら間接的なものではない。警察官や憲兵を派遣しての一方的な労務管理は、控訴人ら又はその被相続人らに対する強度の包括的な人格支配であって、強度の安全配慮義務が発生する事実的根拠となるものである。
<5> 被控訴人の控訴人Hに対する安全配慮義務発生の事実的根拠及びその違反行為の具体的な態様は次のとおりである。
ア 控訴人Hは、昭和17年10月ころ被控訴人によって朝鮮から強制連行され、日本鋼管株式会社(以下「訴外会社」という。)の第二報国寮に入寮させられた。控訴人Hは、昭和18年3月ころ川崎駅近くの書店で「半島技能工の育成」と題する本を購入し、その中に朝鮮人労働者全体を蔑視・侮辱する記載があったためこれに憤慨し、これを回し読みした他の朝鮮人労働者達も不満、憤りを募らせた。同年4月10日ころ、訴外会社の川崎製鉄所の朝鮮人労働者約800名がその日の就労を拒否し、現場を離脱して須田町食堂に集合し、「故郷に帰してくれ。」、「会社は謝れ。」と要求した。訴外会社は、訓練隊長や現場の組長、指導員を動員して、ストライキ参加者を解散させようとし、大勢の警察官や憲兵も導入された。第二報国会指導員のIは、大食堂の壇上に立ち、「自分の教育が間違っていた。」と言いながら、自分の人差し指を包丁で切り落とした。控訴人Hは、事態の発端に責任を感じ、手を挙げて発言を求め、「捕まった人を返してくれ。」と要求した。控訴人Hは、すぐにストライキの首謀者と疑われ、憲兵や私服警察官によって現場事務所に連行され、同所で私服警察官、憲兵及び訴外会社の従業員らに取り囲まれ、私服警察官から「こんな方法で朝鮮の独立が達成できると思っているのか。」と質問された上、私服警察官や訴外会社の従業員など4、5人によって天井から吊され、拷問とストライキへの報復として相当長期間にわたり木刀や竹刀で殴打された。この暴行により、控訴人Hは、右肩胛骨骨折及び右腕脱臼の傷害を負った。訴外会社は、その後控訴人Hを軽作業には回したが、治療は受けさせてくれず、5、6か月位経過したころ、控訴人Hは、私病を装って日本鋼管病院に行き、ようやく手術を受けるなどの入院治療が行われた。しかし、控訴人Hの傷害は完治せず、右腕脱臼が習慣性脱臼に代わり、同年10月ころまでには症状が固定したが、控訴人Hには右肩関節の運動障害が残った。
イ 当時被控訴人の朝鮮人差別政策の下で被控訴人官憲による朝鮮人に対する暴行は常態化していたことに加え、朝鮮人労働者によるストライキという異例の事態が発生したこと、被控訴人官憲がその弾圧に当たったこと、控訴人Hがストライキの首謀者と疑われたことといった事情を考慮すれば、被控訴人の憲兵、私服警察官が控訴人Hに対し拷問とストライキへの報復のため強度の暴行を振るい、その結果控訴人Hに傷害、後遺障害が発生することは、被控訴人にとって容易に予見が可能であった。
ウ 憲兵、私服警察官は被控訴人の指揮命令下にあったものであり、被控訴人が憲兵や私服警察官に対し、控訴人Hを含む朝鮮人労働者に対し拷問とストライキへの報復としての暴力を振るわないよう指示していれば、上記の暴行、傷害、後遺障害の発生は容易に防止できた。
エ また、当時訴外会社の労務管理は被控訴人の統制下にあり、訴外会社には被控訴人の憲兵も常駐していたのであるから、被控訴人が自らあるいは訴外会社に指示して、上記の暴行直後に控訴人Hに対し適切な治療を受けさせることも可能であり、そうすれば、後遺障害の発生という結果は容易に防止できた。
オ(ア) 上記のとおり、控訴人Hに対する拷問やストライキへの報復としての暴力行為は、何ら法律に基づくことなく、正に私刑として行われたものであり、被控訴人は、その指揮下にある憲兵や警察官に対し、そのような暴力行為を行わないよう指示すべき義務があった。
(イ) また、被控訴人の憲兵や警察官が、控訴人Hに対し相当長期間暴行を加え、その結果右肩胛骨骨折及び右腕脱臼の重傷を負わせたものであるから、被控訴人は、かかる先行行為から生じる強度の保護責任を負い、その一内容として、控訴人Hに対し直ちに適切な治療を受けさせる義務があった。
カ しかるに、被控訴人は、上記オ(ア)、(イ)の安全配慮義務を怠り、その結果控訴人に対し上記の傷害及び後遺障害を負わせたものであるから、これにより控訴人Hが被った損害を賠償すべき責任がある。
(3) 国際法違反に基づく損害賠償・謝罪請求について
<1> 国家による不法行為は、国家責任を生じさせ、当該国家はかかる国家責任を解除する義務を負うとの国際責任法理は、国際法の一般原則である。この責任追及の主体は国際法主体である国家であって、原則として、国際法主体性を欠如する個人は、国家責任を追及する主体とはなり得ないとする見解があるが、国際法には国際的平面と国内的平面があって、この見解はあくまで国際的平面における国際法の解釈にすぎない。日本国憲法は条約等の国際法規について一般受容体制を採り、明治憲法下でも同様であって、日本国を拘束する国際準は全て国内法化している。国際法規が国内で直接適用可能となるための要件として、ア それを国内裁判所において執行可能な内容のものとするとの締約国の主観的意思(主観的要件)と、イ 当該規定が「明白、確定的、完全かつ詳細」であること(客観的要件)が必要であるとされるのは、締約国が条約を国内で直接適用可能なものと意図しているかどうかという国際的平面における問題であって、国内法化した特定の国際法の規定がそのまま国内裁判所の裁判規範として援用できるかどうかという「自動執行性の問題」とは別個の問題である(ヨーロッパ人権規約ですら「主観的要件」、「客観的要件」を充足しておらず、自由権規約においてこのことは一層明白であるが、両条約とも国内裁判で適用できないというわけではなく、我が国でも自由権規約は多くの裁判で現実に適用され、自動執行力があると判断されている。)。個人の権利保護を定めた人権条約等の国際法規に違反した国家の行為により権利を侵害された個人は、権利義務の法主体としての国際法主体性を有するのであり、国内法化した国際法規が裁判規範としての効力を有する場合、国内の裁判所に対してその損害賠償請求権を行使する訴訟追行資格としての法主体性を有するのである。そして、国内法化した当該国際法規が裁判規範としての効力を有するためには、他の国内法令が裁判規範としての効力を有するための要件と同じ要件を充足すれば足り、他に特別の要件を必要とするものではない。個人が国内裁判所において、国際法を裁判規範として援用する場合、国内法化し自動執行性を具備した国際法そのものに基づいて主張する場合(直接的適用)と、国内法の解釈基準として国際法を主張する場合(間接的適用)があるが、大正11年の山東懸案解決に関する条約の適用が問題となった塩業買収代金請求控訴事件において、東京控訴院は、当該条約が公布などの手続を経て国内法化されることにより、日本臣民をき束するに至ったと判示しており、間接的適用の判例としては、土地収用法20条3号の要件審査に当たり、少数者の権利について定めた自由権規約27条が斟酌された札幌地方裁判所平成9年3月27日判決、受刑者との接見を制限する監獄法・同施行規則の解釈に当たり、自由権規約14条1項が参考にされた徳島地方裁判所平成8年3月15日判決などがあるが、いずれも、個人の国際法主体や直接適用可能性は問題とされていない。なお、間接的適用の場面においては、国内法は国際法に抵触しないように、あるいは国際法に適合するように解釈適用されなければならない。
<2> 上記<1>の国際責任法理の内容は、「個人が国家の国際不法行為によってその権利を侵害された場合に国家はその損害を賠償する義務を負い、原状回復、金銭賠償等の方法でその義務を履行しなければならない」というものであって、民法709条の規定や国賠法1条の規定と大きな相違はなく、裁判規範として認めることができる。仮にこの国際責任法理に自動執行性が認められないとしても、国内法の解釈基準として援用することができる。国賠法施行前の公権力の行使についての公務員の違法行為については、国は責任を負わないとする解釈(国家無答責)が、多くの裁判で採用されてきたが、そのような解釈は、国家責任法理に合致するように国内法を解釈すべきであるとする間接的適用によって変更を余儀なくされるものである。
<3> ILO憲章は、世界平和のため社会正義ないし労働条件の改善が必要である旨を述べ、労働条件は国境を越えて改善されなければならないとするものであって、ILO条約は、加盟各国の狭義の国益を目的とするものではなく、国家によるこの条約の批准によって利益を得るのは各国の労働者であり、労働者に権利を保障しているのであって、この条約の権利主体は労働者である。そして、植民地における強制労働を念頭に設けられた強制労働条約は、強制労働の廃止を批准国に義務付け、労働者の自由を確保しようとするものであり、批准国の労働者は、この条約により強制労働に使用されることはないという権利を保障されている。したがって、この条約に違反してされた強制労働の犠牲者は、この条約に照らして個人補償を請求する権利を有するものであり、強制労働条約は直接的適用が可能である。平成11年のILO条約勧告適用専門家委員会は、被控訴人の強制連行は強制労働条約に違反し、政府間の支払は適切な犠牲者救済としては不十分であるとする見解を示しているから、控訴人らは被控訴人に対し、強制労働条約違反による損害賠償請求権を有するものである。
<4> 以上のとおり、強制労働条約上の実体規定と賠償請求にかかる一般国際法規則は、日本国内において裁判規範となるから、強制労働条約に被害者個人の損害賠償請求権を認める規定が存在しなくても、控訴人らは当該条約違反による損害の賠償を請求することができる。
(4) 立法不作為について
日本国憲法の根幹的価値である個人の尊厳を侵害するような立法不作為が生じている場合において、これが国会議員の政治責任に解消できる範囲を超えている場合には、裁判所は、この立法不作為を国賠法上違法であると判断すべき義務が生じるというべきであり、これを国会と裁判所の役割分担に即して要件化すると、<1>当該人権侵害の重大性とその救済の高度の必要性が認められる場合であって、<2>しかも、国会が立法の必要性を十分認識して、立法可能であったにもかかわらず、一定の合理的期間を経過しても、なおこれを放置したなどの状況的要件、換言すれば、立法課題としての明確性と合理的是正期間の経過がある場合には、立法不作為による国家賠償を認めることができるものというべきである。被控訴人の強制徴用、強制連行行為が、憲法前文、第13条、第14条に違反することは明白であり、憲法前文が「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」「日本国民は、恒久の平和を念願し」「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」と宣言し、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」と結んでいるのは、単に基本原理を宣言するだけでなく、具体的に我が国が行うべき行動を特定しているのであって、戦争犠牲者の救済立法を命じる具体性を有しているのである。他民族である控訴人ら及び本件犠牲者らか、被控訴人によって母国を植民地化された上、被控訴人が侵略戦争を遂行するための強制徴用、強制連行によって、ある者は軍務に就かされ、ある者は被控訴人の民族的差別政策のもとにあった炭鉱等の企業において過酷な労働条件下に強制労働を強いられ、それぞれ癒し難い障害を負ったり、死亡したりした。このような強制徴用、強制連行、強制労働が日本国憲法の根幹的価値である個人の尊厳を蹂躙し、民族の誇りを徹底的に踏みにじる非人道的行為であることは明らかである。生き残った控訴人ら及び犠牲者の相続人たる控訴人らは、身体的損害及び精神的損害を半世紀以上も慰謝されず、被控訴人に対する怨を抱き続けて過ごしてきたのであり、高度の救済の必要性がある。国会には、アメリカ、カナダの日系人に対する戦後補償立法がマスコミで大きく取り上げられるようになった1988年ころか、仮にそれより遅い時期であるとしても、戦後補償訴訟の提起が相次ぎ、文献においても戦後補償に言及するものが増加してきた1990年代初めには、立法義務が発生したものと解すべきである。
(5) 控訴人らの当審における金員支払請求の内容について
<1> 原判決「(別紙三)原告(控訴人)らの主張」の第二、一、二のとおり、控訴人A、同J、同K、同L、同M、同N、同O、同P、同Q、同R、同H、同S、同T、同U、同V、同W、同AA、同ABは、被連行者の孫、子、甥、姪又は弟であり、また、控訴人Cは被連行者ACの孫、控訴人Eは被連行者Dの子、控訴人Gは被連行者ADの子であるFの妻(相続人)であるから、上記の各控訴人らは、当審において、それぞれ、相続法理に基づく被連行者の請求権の一部である100万円と、被連行者の親族(ただし、控訴人Hについては被連行者本人)としての控訴人固有の請求権の一部である100万円との合計200万円の支払を求めるものである(控訴人Gについては、被連行者の子である亡夫が相続法理により承継した請求権及び亡夫固有の請求権をさらに相続し、この200万円の請求をするものである。)。
<2> また、控訴人AE、同AF及び同AGは、当審において、それぞれ被連行者本人として請求権の一部である200万円の支払を求めるものである。
3 被控訴人の補足主張
(1) 不法行為について
<3> 明治憲法下において、行政裁判法と旧民法が公布された時点で公権力行使についての国家無答責の法理を採用するという基本的法政策が確立したものであり、この事実は次に述べる事情からも裏付けられるものであって明らかである。
ア 行政裁判法の制定過程をみると、「官制關資料」所収の「行政裁判所設置ノ問題」と題する資料により、行政裁判法案を作成する段階で、「要償ノ訴ハ一般ニ民事裁判ニ譲ルベキカ、又ハ或ル部分ニ限リ行政裁判ニ於テ處分スベキヤ。」が検討された上、政府の主権に基づく処置すなわち公権力の行使に該当する措置によって生じた損害については、憲法学上当時一般に是認されていた国家無答責の法理により、原則として行政裁判所に対して損害要償の訴えを提起できないとしたのであり、この立法過程をみれば、行政裁判法16条は、行政裁判所が民事上の問題を扱わないという管轄の問題として定められたのではなく、国家無答責の法理を当然の前提として行政裁判所の損害賠償請求事件にかかる事物管轄の範囲を定めたものである。行政裁判法の原案を作成したモッセは、「国ノ民法上損害賠償義務ニ関スル意見」と題する答議において、国が民事上の活動を行う場合には、国は民法に従って責任を負い、民事裁判所に損害賠償請求訴訟を提起することができるが、官吏が国権を執行するに際し、義務違反の処置もしくは怠慢により第三者に加えた損害に対し財産上責任を負わないと述べている。したがって、モッセは、公権力主体としての国家と私経済主体としての国家を区別し、前者については無答責、後者については私人と同様の責任を負うという解釈をとっていたのである。明治23年に制定された裁判所構成法は、国家無答責の法理を根拠に国家賠償請求訴訟を司法裁判所に提起できないとした井上毅の意見により法律取調委員会案から国家責任に関する訴訟を受理する明文の規定が削除され、この意見が客観的に通った形で裁判所構成法は制定された。このように、明治憲法下の起草者の法意識としては、国に対する賠償請求は、行政裁判所のみならず、司法裁判所においても否定する考えであったのであり、その基本的な構造は、権力的作用に関する限り、以後日本国憲法に至る約半世紀の間継続したといえる。
イ ボアソナード民法草案393条から国家賠償責任を認める文言を削除したのは、この点の判断を裁判所の判断に委ねる趣旨であったのではなく、国家無答責の法理が根拠とされたものである。ボアソナードは、国又は公共団体の権力的作用にも民法を適用すべきことはフランスその他の諸国において異論のないところであり、日本においても同様にすべきであるとして、民法草案373条に「公ノ事務所ノ責任」の規定を盛り込んだが、当時の法制局長官であった井上毅が、今村和郎に対し、諸外国においては国権を執行する官吏の処置及び怠慢については学者の間で見解の対立があり、国家はいかなる場合でも民法上の責任を負わないという見解と、ある場合には民法上の責任を負うという見解があるが、実際の裁判例では特別に賠償を認める規定がある場合を除き国に賠償責任を認めていないと指摘する書簡を送るなど、旧民法の審議過程で様々な意見が表明された。そして、最終的に国家責任に民法を適用する主張は退けられ、旧民法373条から国家責任の規定が削除されたのであり、井上毅は、旧民法公布の翌年、「民法初稿第三百七十三條ニ對スル意見」を発表し、国家無答責の法理を根拠に、国家責任を認めていたボアソナード民法草案の規定を削除したものである、と明確に述べている。そもそも明治憲法の下では官吏は人民に対してではなく、天皇に対して責任を負うのみであるから、官吏の権力的行為によって生じた人民の損害を国が官吏に代わって責任を負うということは一般的にはあり得なかったのである。
<2> 判例は、権力的作用とは国の統治権に基づく優越的な意思の発動としての強制的・命令的作用を指し、非権力的作用とはそのような優越的な意思の発動としての強制的・命令的な作用以外の公行政作用及び私人と同様の立場においてされる経済的作用を指すとしている。大審院の判例には、非権力的作用に基づく損害についての私法上の不法行為法の適用範囲を拡大し、国の責任を肯定するものが見られたが、権力的作用に基づく損害については一貫して国の損害賠償責任を否定していた。大審院昭和7年8月10日判決は、国の施した井戸掘工事のため、他人の有する温泉利用権を侵害してなおその状態が存続するときに、温泉利用権者が国に対しその除去を請求した事案について、傍論として不法行為責任を論じたものであり、国の権力的作用について、正面から民法の不法行為責任を認めたものではない。
日本国憲法下の判例(最高裁昭和25年4月11日判決)においても、権力的作用による損害について国家賠償責任を認める少数説の見解は明確に否定されている。同判決は、国賠法施行前に生じた警察官の防空法に基づく家屋破壊の不法を理由に提起した国家賠償請求事件に関し、上告理由書記載の「従前の判例学説が本件の如き場合に上告人に請求権なしとするものが多かった事は事実であるが、少数なるも請求権ありとする学説もあった。通説必ずしも真ならず。」とする上告理由に対し、「本件家屋の破壊行為が、国の私人と同様の関係に立つ経済的活動の性質を帯びるものでないことは言うまでもない。而して公権力の行使に関しては当然には民法の適用のないことは原判決の説示するとおりであって、旧憲法下においては、一般的に国の賠償責任を認めた法律はなかったのであるから、本件破壊行為について国が責任を負う理由はない。」、「従前といえども、公務員の不法行為に対し、国が賠償責任を負うべきものであって、新憲法はこれを法文化したに過ぎないと主張するのであるが、国賠法施行以前においては、一般的に国に賠償責任を認める法令上の根拠のなかったことは前述のとおりであって、大審院も公務員の違法な公権力の行使に関して、常に国に賠償責任のないことを判示して来たのである。」とした上で、「当時仮に論旨のような学説があったとしても、現実にはそのような学説は行われなかったのである。」と判示した。
<3> 前述したとおり、国家無答責の法理は、公権力の行使については国の賠償責任を認める法律がないという実体法上の法理であり、司法裁判所の訴訟法上の制約を根拠とするものではない。国賠法附則6項は、「この法律施行前の行為に基づく損害については、なお従前の例による。」と定めているところ、この「なお従前の例による」との法律用語は、法令を改正又は廃止した場合に、改廃直前の法令をそのままの状態で適用することを意味するものであり、国賠法施行前の公権力の行使に伴う損害賠償が問題とされる事例については、国賠法それ自体の遡及適用を否定するにとどまらず、それまでに採用されてきた国家無答責の法理という法制度がそのまま適用されることにより、国又は地方公共団体が責任を負わないことを明らかにしたものである。前掲最高裁判決は、この理を明確に判示している。
<4>ア 控訴人らは、国家無答責の法理は統治権に基づくものであるから、統治権に服しない外国人には適用されない旨主張するが、行政裁判法及び旧民法が公布された明治23年の時点で、公権力の行使については、国は損害賠償責任を負わないという立法政策が確立していたのであるから、このような法政策を採用した当時の我が国の法制において、外国人が被害者である場合に権力的作用について国家責任を肯定し、日本人が被害者である場合のみに国家無答責となるという立場を採っていたとは到底考えられない。東京高等裁判所平成12年12月6日判決も、国家無答責の原則の根元は、国家それ自体の主権性や権力性に求められるべきものであって、国家と被害者との同質性にその根拠を有するものではないと判示し、当該行為が権力的作用である以上、被害者が日本人であると外国人であるとを問わず、これによる損害については外国人も民法に基づくその賠償を請求することはできないと判示している。
イ 国民徴用令に基づく徴用は、戦時における国防というすぐれて国家的な目的のため国の力を最も有効に発揮できるよう人的資源を統制運用するための制度であって(国家総動員法1条)、公権力による制裁を背景とし、権力をもって特定人に対し一方的に公法上の勤務義務を命じる行政処分であるとされているから、対等な地位において行う労働力の供給事業ではなく、戦時における経済統制の一環として、公権力に基づき、国策として行われた権力的作用であることは当然であって、私経済的活動とか、非権力的な公共の事業であるとは到底いえないのである。
<5> 控訴人らは、国の賠償義務は私法的性質を有するから、原因行為が権力的行為であっても、民法の適用ないし類推適用により国の賠償責任を認めるべきであり、また、国家無答責の法理は現憲法下で解釈し直すべきであり、さらに国家無答責の法理は本件のような残虐性の著しい非道行為に対してまでは適用できないなどと主張する。しかし、国の権力的作用については国の損害賠償責任を認める法律自体が存在しなかったのであるから、国家の賠償義務を観念してその性質を議論しても無意味である。また、控訴人らは、現憲法下において国家無答責の法理を解釈し直すべきであると主張するが、国賠法附則6項が「この法律の施行前の行為に基づく損害については、なお従前の例による。」と定め、国家無答責の法理によるべきことを規定しているのであり、このことは、前掲最高裁判決によって現憲法下においても認められている。
<6>ア 不法行為に基づく損害賠償請求権は民法724条の除斥期間の経過により当然に消滅するものであって、裁判所は、不法行為に基づく損害賠償請求権が除斥期間の経過により消滅したときは、当事者からの主張がなくとも、除斥期間の経過によりその請求権が消滅したと判断すべきものであるから、除斥期間経過の主張が信義則に違反し、又は権利濫用に当たるとの控訴人らの主張は、主張自体失当である。
イ 控訴人らは、被控訴人が日韓請求権協定を韓国政府との間で締結することによって韓国国民の個人補償の途を閉ざしたものであり、控訴人らの社会的、経済的立場からも日本政府に訴訟を提起することは不可能であったから、被控訴人に除斥期間を適用して責任を免れさせるのは、著しく正義、公平に反すると主張するが、最高裁平成10年6月12日判決は、不法行為を原因として心身喪失の常況にあった者について、民法158条の法意を不法行為の除斥期間にも援用して限定的に例外を認めたものにすぎないのであり、本件の事実関係の下で不法行為の除斥期間の進行が妨げられ、あるいは除斥期間の適用が制限される理由はない。
ウ 不法行為による損害賠償請求の除斥期間に関する民法724条後段の規定は、除斥期間が20年という長期であり、この期間内に訴えの提起を要求されても多くの被害者が権利を失う結果となる事態が考えられないという実質的な理由のほか、除斥期間の満了までに裁判外で権利を行使することによって損害賠償請求権が保存されるとすれば、除斥期間に中断を認めたのと同様の結果となり、除斥期間に中断がないとする通説の考え方と相容れないことになる上、民法153条が、催告が6か月内に裁判上の請求等一定の手続をすることを条件に時効中断の効力を認めていることとも、彼此均衡を失することになるから、不法行為に基づく損害賠償請求の除斥期間について、裁判外の権利行使により請求権が保存されると解することはできない(最高裁平成4年10月20日判決は、除斥期間1年の売主の担保責任に関するものであって、本件とは事案を異にする。)。したがって、控訴人らは、20年の除斥期間経過前の昭和36年(1961年)12月21日に日韓会談における交渉に際し、韓国政府が日本国政府に対し賠償金額等を具体的に示し、控訴人らの損害賠償請求権を含めて裁判外の権利行使がされているから、控訴人らの損害賠償請求権は保存されている旨主張するが、失当である。
(2) 安全配慮義務に基づく損害賠償請求権について
<1> 安全配慮義務は、「ある法律関係に基づき特別な社会的接触に入った」当事者間において、「当該法律関係」の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して負担する信義則上の義務であり、上記の「特別な社会的接触の関係」とは、不法行為規範が妥当する無限定かつ社会的な接触関係を意味するものではなく、契約関係ないしこれに準ずる法律関係が介在することが必要である。次に、安全配慮義務が認められるためには、当事者間に直接具体的な労務の支配管理性が存在する法律関係が必要である。すなわち、安全配慮義務は、労務ないし公務遂行に当たって支配管理する人的及び物的環境から生じ得べき危険の防止について信義則上負担するものであるから、当事者間に事実上の使用関係、支配従属関係、指揮監督関係が成立しており、使用者の設置ないし提供する場所・施設・器具等が用いられ、これらの物的側面ないし労務の性質が、労務者の生命・健康に危険を及ぼす可能性がある場合等当該労務に対する直接具体的な支配管理性が認められることが必要である。そして、安全配慮義務違反の法的性質は、広い意味での不完全履行の一種と解され、履行が完全ではないことが損害賠償債権の発生要件となるから、生命、健康等を侵害されたとされる者ごとに、その結果が発生した具体的状況を明らかにした上で、発生した結果との関係から、義務者がそのような結果を予見できたか、どのような手段を講じていれば結果の発生を回避できたか、義務者と被害者との法律関係及び当時の技術やその他社会的な諸事情に照らし、義務者に対し、その結果の発生の防止措置を採ることを義務付けるのが相当であるかといった点を判断するに足りる具体的な事実を明らかにして主張する必要がある。
控訴人らの主張は、「包括的支配」とはまさに「特別の社会的接触」にほかならず、かかる関係に基づき、被控訴人は被徴用者である控訴人らに対し、その身体・生命の安全について万全を期すべき安全配慮義務を負っていたのであるなどと概括的かつ抽象的な内容を述べるにとどまり、個々の控訴人らについて主張するところも一般的、抽象的な主張にすぎず、個別具体的な状況に即した主張ということは到底できない。そうすると、控訴人らの安全配慮義務違反の主張は、そもそも同義務違反を問うために不可欠な要件事実の主張を欠くから、主張自体失当である。
<2>ア 国民徴用令17条は、「被徴用者總動員業務ニ従事スル場合ニ於テハ官衙ニ使用セラルル者ニ在リテハ當該官衙ノ長ノ指揮ヲ受ケ管理工場又は指定工場ニ使用セラルル者ニ在リテハ當該管理工場又ハ指定工場ノ事業主ノ指示ニ從フベシ」と定め、同18条1項は「被徴用者ニ對スル給與ハ其ノ者ノ技能程度、從事スル業務及場所等ニ應ジ且從前ノ給與其ノ他之ニ準ズベキ収入ヲ斟酌シテ被徴用者ヲ使用スル官衙ノ長又ハ事業主之ヲ支給スルモノトス」と定めているから、これらの諸規定に照らせば、徴用の結果生ずる使用関係は、被徴用者と事業主の間に発生することが予定されていたと解されるのであって、国と被徴用者との間においては、「雇用関係ないしこれに準ずる法律関係」、「当事者間に直接具体的な労務の支配管理性が存在する法律関係」が生ずることは予定されていないということができる。また、国民徴用令に基づく徴用については、権力をもって特定人に対し一方的に公法上の勤務義務を命ずる行為であるとされ、戦争という緊急事感において国民に対する一方的な処分が存するにすぎないのである(安全配慮義務を考える上で参照されるべきドイツ官吏法における安全配慮義務の生成過程においては、安全配慮義務発生の根拠として国と官吏との双務的な忠誠関係を伴う身分関係が存在した。)。
イ 国民徴用令による者以外の被連行者についても、控訴人らの主張によれば、いずれも一方的に強制連行されたというのであるから、その社会的接触は、強制連行という事実行為によって設定されたものであって、「ある法律関係」によって設定されたものではなく、これらの者と国との間に、「雇用関係ないしこれに準ずる法律関係」があるとも、「直接具体的な労務の支配管理性が存在する法律関係」があるとも認められない。
ウ 控訴人らは、軍需会社支配に基づく特別な社会的接触の関係があった旨主張するが、控訴人らが労務に服した企業が軍需会社に該当するかどうかがそもそも明らかではない上、軍需会社法は、私企業の自主的運営を前提として、その経営の強化、戦力の増強を図ることを目的とするものであり、被控訴人が行う労務管理は、同法に基づき企業に対して必要な命令を発して行うものであって、被控訴人と軍需会社従業員との関係は、被控訴人の会社に対する必要な命令を介してのみ行われる間接的な関係である。したがって、これをもって、「雇用関係ないしこれに準ずる法律関係」があるとも、「直接具体的な労務の支配管理性が存在する法律関係」があるともいえない。
エ 控訴人らは、そのほか、「協和会」を通じて被控訴人が控訴人らの労務を直接支配していたと主張するが、そのこと自体被控訴人と控訴人らの関係が間接的であり、「雇用関係ないしこれに準ずる法律関係」あるいは「直接具体的な労務の支配管理性が存在する法律関係」が存在しないことを示すものというべきである。また、控訴人らは、被控訴人が控訴人らの就業場所に警察官や憲兵を派遣して労務を直接的に支配管理していたと主張するが、控訴人らのこの主張は、被控訴人が被連行者らに対し一方的に権力作用を行使していたと主張するにすぎず、それが被控訴人の控訴人らに対する労務管理の根拠となるものではない。
オ 控訴人Hが被控訴人に安全配慮義務違反があったと主張する事実は、結局は、憲兵、私服警察官から、拷問とストライキへの報復としての暴行を受けたというものであるから、安全配慮義務発生の要件となる「ある法律関係に基づく特別な社会的接触の関係」があることは何ら主張していないものというべきであり、また、暴行をさせない義務は、一般的には何らかの社会的接触の有無とは関係のない義務ということができるから、一般不法行為法における義務ないし行為規範をいうものにほかならない。被控訴人において控訴人Hに対し適切な治療を受けされるべき義務が生じる根拠についての主張内容は必ずしも明確ではなく、先行行為による注意義務の発生をいうのであれば、「ある法律関係に基づく特別な社会的接触の関係」との関連が明らかであるとはいい難く、一般不法行為法上の義務と異なるところはない。よって、控訴人Hの上記主張は失当である。
(3) 国際法に基づく損害賠償請求について
仮に条約が国内法的効力を有するとしても、条約は国際法の―形式で、これを締結するのは国家であり、国家間の権利義務関係の定立を主眼とするのであって、条約が国内法上の効果を期待し、国民に権利を与え義務を課すことをも目的とする場合には、原則として、立法機関が法律を制定し、また、行政機関が法令に基づきその権限内にある事項について行政措置を採ることになる。例外的に条約の規定がそのままの形で国内法として直接適用可能である場合があり得るとしても、第1に主観的要件として、当該規定が私人の権利義務を定め、直接に国内裁判所で適用可能な内容のものにするとの条約締結国の意思が確認できること、第2に客観的要件として、当該規定により私人の権利義務が明白、確定的に、完全かつ詳細に定められていて、その内容を具体化する法令を待つまでもなく、国内での直接適用が可能であることなどの要件が必要であり、これらの点を検討して自動的執行力の有無を認定する必要がある。とりわけ、国家に一定の作為義務を課したり、国費の支出を伴うような場合には、権利の発生等に関する実体的要件、権利の行使等に関する手続的要件が明確であることが強く要請される。ところが、控訴人らは、個人として加害国に対して損害賠償を請求しているにもかかわらず、この損害賠償請求権を根拠づける条約条項を指摘しておらず、主観的要件、客観的要件を具備していることについての主張もないものであって、主張自体失当である。条約ないしそれと同旨の国際慣習法は、国家間の賠償責任を定めたものであって、個人を賠償請求の主体として認めたものではないのであるから、仮にこれに国内法的効力が認められたからといって、個人の権利が創設されることはあり得ない。
(4) 立法不作為に基づく損害賠償請求について
議会制民主主義の下において、国会は、国民の間に存する多元的な意見及び諸々の利益を立法過程に公正に反映させ、議員の自由な討論をとおしてこれらを調整し、究極的には多数決原理により統一的な国家意思を形成すべき役割を担い、国会議員は、多様な国民の意向を汲みつつ、国民全体の福祉の実現を目指して行動することが要請されているのであり、国会議員の立法過程における行動で、立法の内容にわたる実体的側面に係るものは、議員各自の政治的判断に任せ、その当否は終局的には国民の自由な言論及び選挙による政治的評価に委ねるのを相当とするのであるから、国会議員は、立法に関して、原則として、国民全体に対する関係で政治的責任を負うにとどまり、個別の国民の権利に対応した関係での法的義務を負うものではない。したがって、国会議員の立法過程における行動で、国賠法1条1項の適用上違法の問題が生じることがあり得るのは、憲法上具体的な法律を立法すべき作為義務が、その内容及び立法の時期を含めて明文をもって定められている場合や憲法解釈上作為義務の存在が一義的に明白な場合において立法措置を講じなかったという誰が見ても違憲であることが明らかな場合であって、このように容易には想定し難い場合に限られる。控訴人らは、本件について、日本国憲法の根本的価値である個人の尊厳が侵害されたのに、これを救済するための立法措置が講じられていない事態は、国会議員の政治責任に解消できる範囲を超え、国賠法上違法であると主張するが、現憲法が効力を生じる以前の公権力の行使による権利侵害について、現憲法上もその損害回復が要求されているといった誤った前提に立つものであって、憲法上、国会議員に対し控訴人らのような立場にある者を救済するための立法措置を一義的あるいは一見明白に義務付けた規定は存在しない。したがって、現憲法施行前の公権力の行使により生じた損害について救済のための立法措置を採るかどうかは、国会の広範な裁量に委ねられているのである。また、国会が、政府の認識や国内外の各種機関等からの意見、陳情を取り上げるかどうか、かかる意見に基づいて立法作業をするかどうかは、正に国会の裁量に属する事項であって、立法すべき期間について国会の裁量権を制限すべき根拠はない。
第3当裁判所の判断
当裁判所も、控訴人らの本件請求はこれを棄却すべきものと考える。その理由は、次のとおり付加、訂正するほかは、原判決事実及び理由欄の「第三 当裁判所の判断」のとおりであるから、これを引用する。
1(1) 原判決63頁9行目から同64頁5行目までを、次のとおり改める。
「しかしながら、警察官や面の職員が、右法律・命令に基づかずに本件各被連行者らを騙したり、脅かして行った場合は、官吏が公権力の行使に名を借りて行った職権乱用行為であって、もはや官吏としての行為とみることはできないから、国の行為とはいえないものというべきであり、また、仮に法律・命令を執行するに当たって行われたという官吏の行為の外形から国の行為とみるべきであるとすれば、この行為は権力的作用と解すべきものであり、この場合当時の法律・命令を根拠としてその責任を問うことができないことは既に説示したとおりである。」
(2) 同64頁9行目の「明治憲法下において、」の次に、「国の権力的作用についての救済のため」を加える。
2 当事者双方の当審における主張にかんがみ、次のとおり付加する。
(1) 不法行為責任について
<1> 控訴人らは、明治憲法下の国家無答責の法理は、実定法に根拠のない判例の所産であり、しかも、必ずしも一義的、一律ではなく、確固不動の法原則ということはできないものであり、公権力の行為に対する民法の不適用は、天皇制イデオロギーを背景とする政治的配慮によるものであって、現憲法が施行された後は、明治憲法下における国の権力的作用についても国家無答責の法理を適用することは許されない旨主張する。
しかし、<証拠略>によれば、ア 行政裁判法は「モッセ案」に直接的発足点を持つものであるが、モッセは、公権力主体としての国家と私経済主体としての国家を区別し、前者については無答責、後者については私人と同様の責任を負うという解釈をとり、国が民事上の活動を行う場合には、国は民法に従って責任を負い、民事裁判所に損害賠償請求訴訟を提起することができるが、官吏が国権を執行するに際し、義務違反の処置もしくは怠慢により第三者に加えた損害に対し財産上責任を負わないとの意見を述べ、「行政裁判所ハ損害要償ノ訴訟ヲ受理セズ」と定めた行政裁判法16条は、この国家無答責の法理を前提として行政裁判所の事物管轄の範囲を定めたものであること、イ ボアソナードは、旧民法草案において、国又は公共団体の権力的作用にも民法を適用すべきことは、フランスその他の諸国において異論のないところであり、日本においても同様にすべきであるとし、同草案393条に「公ノ事務所」の損害賠償責任を肯定する規定を設けたが、当時法制局長官であった井上毅が、司法大臣らに対し、この条項は各国の学説と大いに異なるとしてその学説を紹介した上、実際の裁判例では特別に賠償を認める規定がある場合を除き国に賠償責任を認めていないとして、この規定に反対する意見を表明した書簡等を送り、審議の結果最終的に旧民法373条から国家責任の規定が削除されることになり、井上毅は、旧民法公布の翌年に発表した「民法初稿第三百七十三條ニ對スル意見」において、国家無答責の法理を根拠にして、国家責任を認めたボアソナード民法草案の規定を削除したものであると明確に述べていること、ウ 明治23年に制定された裁判所構成法の立法過程において、法律取調委員会案33条では、地方裁判所の事物管轄として、「第一 第一審トシテ (イ) 金額若クハ価額ニ拘ラス政府(中央政府ト其配下ノ官庁トヲ問ハス)ヨリ為シ又ハ之ニ対シテ為ス総テノ請求 (ロ) 金額若クハ価額ニ拘ラス官吏ニ対シテ為ス総テノ請求但其請求公務ヨリ起リタル時ニ限ル (ハ) 其他区裁判所若クハ特別裁判所ニ専属スルモノヲ除キ総テノ請求」とされていたが、井上毅は、「裁判所構成法案意見」と題する書面において、「官吏ノ公務ニ對シテハ要償スルコトヲ得ス何トナレハ其ノ公務ハ國權ノ一部ニシテ國權ハ民法上ノ責任ナキ者ナレハナリ官吏ニ對スルノ要償ハ其官吏ノ私事トシテ訴フル者ニ限ルヘシ」との意見を述べてこれに反対し、客観的にはこの意見が採用される形で、法律取調委員会案から国家責任に関する訴訟を司法裁判所が受理するとした規定が削除され、司法裁判所においても国家賠償請求訴訟を受理しないとされたこと、以上の事実が認められる。また、<証拠略>によれば、当時の支配的見解であった美濃部達吉、佐々木惣一の所説も、官吏の権力的作用による損害について国の賠償責任を否定し、あるいは公法関係に民法の規定を適用することに反対するものであり、判例は、一貫して権力的作用による損害についての国の賠償責任を否定していたことが認められる。上記の立法過程、学説及び判例のいずれの点から考察しても、明治憲法下においては、国の権力的作用について民法の適用を否定し、その損害について国が賠償責任を負わないという国家無答責の法理が基本的法政策として確立していたものというべきである(控訴人らは、旧民法373条は、その立法過程に照らして、国又は公共団体に賠償責任があることを前提に、国の賠償責任が否定される範囲について裁判所の判断に委ねたものであると主張するが、控訴人らが当審で提出した<証拠略>にも、むしろ、旧民法373条の立法経緯からは国・公共団体の責任を全面的に(私経済行政の分野を含めて)否定することも不可能ではなかった旨が記載されている。)。
<2> 控訴人らは、「この法律施行前の行為に基づく損害については、なお従前の例による。」と定めた国賠法附則6項は、新しい法律の不遡及を定めたものであって、旧法令下での裁判例や法令の解釈を含めて従前の例によるとしたものではないとした上、国家無答責の法理には実体法的根拠がなく、国家無答責の法理は法政策といえるほど自明の理でもなかったから、新憲法下においては、戦前の国の権力的作用による損害について民法を適用して国の賠償責任を肯定する解釈が可能であると主張する。
しかし、<証拠略>によれば、諸外国においても、近代国家成立後長きにわたり主権免責の法理に由来する国家無答責の原則が採用され、国家賠償制度が肯定されるに至ったのは比較的最近のことであり、それまでは官吏の職務違反行為の効果は官吏個人に属するものとされ、第三者に加えられた損害に対しては原則として私人としての官吏が個人的に責任を負うものとされていたのであり、各国はこの国家無答責の原則をそれぞれの国の特殊性に合わせて法体系の中に持ち込んでいたことが認められ、この事実と上記<1>認定の旧民法、行政裁判法、裁判所構成法の立法経過に照らせば、明治憲法下においても、主権免責の法理の考え方を取り入れて実体関係を含めた法原則として国家無答責の原則を採用したと考えられるのであり、この価値基準に基づいて上記<1>の各法規等からなる法体系を構築したものと考えられるから、控訴人らの上記主張はその前提を欠くものというべきである。そして、国の権力的作用について民法の適用が否定されていたのであり、国賠法附則6項は、「この法律施行前の行為に基づく損害については、なお従前の例による。」と定めているのであるから、現憲法下においても、明治憲法下の国の権力的作用については民法の適用が否定され、国の不法行為責任が否定されることは明らかである。
<3> 控訴人らは、強制連行は、労働市場を通じて労働者を発見掌握し、私企業に配転する行政作用であり、その主な目的は労働力の供給であって、非営利的、非権力的な公共事業ないし公益事業たる労働力供給事業であると主張するが、<証拠略>によれば、国民徴用令に基づく国民の徴用は、支那事変勃発後労務者に対する需要の激増により、職業紹介その他の自由募集によっては必要な人員を確保することはできない状況になったため、国の行う総動員業務について強制的に労務者を徴用してこれに従事させようとするものであり、権力をもって特定人に対し一方的に公法上の勤務義務を命じる行政処分であると解されるところ、控訴人らは、国民徴用令によらない強制連行についても運用の実態はこれと同様であったというのであるから、控訴人ら又はその被相続人らに対する強制連行は国の権力的作用によるものというべきであって、非権力的な公共事業ないし公益事業たる労働力供給事業であるとはいえない。また、控訴人らは、国家無答責の法理が妥当する権力的作用とは、本来的に国家しかなし得ない統治権(ないし支配権)に基づく権力作用たる行政行為であるとするのが論理的かつ合理的であるとし、統治権に服しない外国人にはそもそもこの法理は適用されないものであると主張するが、いずれもそのように解すべき根拠は見当たらない(なお、強制連行当時控訴人ら又はその被相続人は日本国民であったものである。)。
(3) 安全配慮義務について
<1> 安全配慮義務はある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随的義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負担する保護義務であるが、安全配慮義務違反の法的性質は広い意味での不完全履行の一種と解され、安全配慮義務が発生するための当事者間の法的結合関係は契約関係もしくはこれに準ずる法律関係であることを要するものというべきであり、安全配慮義務は契約的接触から生じる付随義務としての相手方の身体、生命及び財産等に対する保護義務であると解すべきである。そして、労務の供給、業務の執行関係という社会的接触に基づき、使用者が被用者に対して負担する安全配慮義務は、使用者が被用者の就業場所に必要な施設、器具等を設置管理し又は被用者の勤務条件等を支配管理することによるのであるから、このような社会的接触によって安全配慮義務が生じるためには、当事者間に上記の設置管理又は支配管理関係があることを要するものというべきである。
そこで検討すると、前示のとおり国民徴用令は一方的に公法上の勤務義務を発生させる行政処分であって、これによって生じる社会的接触は契約的接触であるとはいうことができず、控訴人らが、国民徴用令に基づく強制連行とその実態は同じであったという自由募集、官斡旋によって生じる社会的接触についても同様である。また、控訴人ら又はその被相続人である被連行者らは、民間企業に配置され、就業先の企業が設置管理する施設において、同企業が行う労務管理の下で労務の提供を行っていたのであるから、被控訴人による就業場所の施設等の設置管理や、控訴人ら又はその被相続人らの勤務条件等についての支配管理があったとはいえない。
したがって、強制連行という公法関係に基づく社会的接触により、被控訴人が控訴人ら又はその被相続人らに対し安全配慮義務を負担したとの控訴人らの主張は採用することができない。
<2> 軍需会社についても、被控訴人がその施設等の設置管理や被用者の勤務条件等についての支配管理を行っていたとは認められないから、軍需会社で就業させられた被用者に対しても、被控訴人が使用者として安全配慮義務を負うものとはいえない。
<3> <証拠略>によれば、協和会は、内務省、厚生省の外郭団体としての性格の強い財団法人であり、中央協和会とその下部組織の都道府県協和会があって、主として皇民化教育や治安対策の事業を行っていたものであることが認められるが、協和会と国とを同一視することはできないほか、協和会は、被用者の労務管理を行っていたとはいえないから、協和会の事業や活動を理由に、被控訴人が、控訴人らやその被相続人らに対し安全配慮義務を負担したとの控訴人らの主張も採用することができない。
<4> 控訴人Hについても、被控訴人が同控訴人に対し安全配慮義務を負うべき特別な社会的接触の関係が生じたことを認めるに足りる証拠はない。
(3) 国際法に基づく損害賠償請求について
<1> 条約は国家間の権利義務関係の定立を主眼とするのであり、仮に条約が国内法的効力を有するに至った場合でも、国内の裁判所で直接適用可能な条約規定であるためには、ア 当該規定が私人の権利義務を定め、直接に国内裁判所で適用可能な内容のものにするとの条約締結国の意思が確認できること、及びイ 当該規定により私人の権利義務が明白、確定的に定められていることの要件を具備する必要があるものと解され、これに反する控訴人らの主張は採用することができない。そして、強制労働条約には個人の損害賠償請求権発生の要件、効果を具体的に定めた規定はないから、強制労働条約は国内の裁判所で直接適用することはできない。控訴人らが主張する国際責任法理が、国内裁判所で直接適用可能な法規範たり得ないことも明らかである。
<2> 控訴人らは、国際法規の間接適用により国際法規が国内法の解釈基準になる旨の主張もするけれども、明治憲法下の確立した法原則である国家無答責の法理により、国の権力的作用については、民法の適用が否定されていたのであるから、国際法規の間接適用によってこれに反する法解釈をすることはできない。よって、控訴人らのこの点の主張も採用することができない。
(4) 立法不作為について
原判決が説示するとおり、日本国憲法前文やその他の規定によっても、被控訴人に対し戦後補償を行うべき立法義務が課せられているものということはできない。戦後補償について、いつ、いかなる立法をすべきか、あるいは立法しないかの判断は国会の裁量に属するものというべきであり、国民全体に対し政治的責任を負う国会議員各自の判断に基づき、議員の自由な討論によって決定されるべき事項というべきである。したがって、被控訴人の立法不作為の違法をいう控訴人らの主張も採用することができない。
第4結論
よって、原判決は相当であって、本件控訴はいずれも理由がないから、これを棄却し、控訴費用は控訴人らに負担させることとして、主文のとおり判決する。
(裁判官 矢崎秀一 高橋勝男 佐村浩之)
当事者目録<略>