東京高等裁判所 平成9年(う)1437号 判決 2001年6月28日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人岡崎敬、同田鎖麻衣子及び同松井武共同作成名義の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官渋谷勇治作成名義の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。
第一 控訴趣意中、自白の信用性に関する事実誤認の主張(控訴趣意書第二章)について
一 所論の概要
1 所論は、要するに、次のようなものである。すなわち、原判決は、被告人の捜査段階における捜査官に対する供述(以下「捜査官に対する供述」という。)の総体と原審公判段階における供述(裁判所外における鑑定人らに対する供述を含む。以下「原審供述」という。)の総体とを対比させ、捜査官に対する供述の方が信用性が高いとして原審供述の信用性をすべて否定し、捜査官に対する供述に基づき、被告人が乙野花子に対する誘拐、殺人及び死体損壊(原判示の「認定事実」第三の二の1ないし3の各事実。以下「乙野花子事件」という。)、丙野春子に対する誘拐及び殺人(同第四の二の1及び2の各事実。以下「丙野春子事件」という。)、丁野夏子に対する誘拐、殺人及び死体遺棄(同第五の二の1ないし3の各事実。以下「丁野夏子事件」という。)、戊野秋子に対する誘拐、殺人、死体損壊及び死体遺棄(同第六の二の1ないし3の各事実。以下「戊野秋子事件」という。)並びに己野冬子に対するわいせつ目的誘拐及び強制わいせつ(同第七の二の事実。以下「己野冬子事件」という。)の各犯行にそれぞれ及び、かつ、各犯行時点において被告人には完全責任能力があったとの事実を認定判示している。
2 しかしながら、被告人の捜査官に対する供述は、長期間にわたり長時間かつ追及的な取調べの末になされたもので、内容的にも幾多の問題点を含むのに対し、被告人の原審供述は客観的な裏付けを有するから、捜査官に対する供述を全面的に信用し、原審供述の信用性を否定することは一概にできないというべきである。そして、被告人の原審供述に従えば、各犯行に至る経緯、各犯行状況及び各犯行後の被告人の行動、各犯行時における被告人の精神状態に関する認定が大きく異なってくることとなり、ひいては被告人の責任能力に関する認定判断に大きな影響を及ぼすことになる。したがって、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実認定の誤りがあるというのである。
二 当裁判所の判断
そこで、原審記録及び証拠物を調査して検討すると、原判決が被告人の捜査官に対する供述について基本的にその信用性が極めて高いとする一方、被告人の原審供述についてはこれをそのまま信用することが到底できないとした判断は、正当として是認することができ、被告人の捜査官に対する供述を含む原判決挙示の関係各証拠を総合すれば、原判決が「認定した事実」の各項においてそれぞれ認定判示するところも、正当として是認することができ(なお、被告人の責任能力については、後記第二において検討する。)、当審における事実取調べの結果を併せて検討しても、原判決には所論のような判決に影響を及ぼすことが明らかな事実認定の誤りはない。以下補足して説明する。
1 判断の前提となる事実等
(一) 審理の経過及び被告人の供述(概要)
原審記録によれば、原審における審理経過の概要は原判決が「争点及びこれに対する当裁判所の判断」の第二の項(以下「補足説明」という。)一の2(原判決書77頁以下(以下「判77以下」などという。))において、被告人の捜査官に対する供述の概要は原判決が補足説明三の1(判138以下)において、被告人の原審供述の概要は原判決が補足説明三の2(判287以下)においてそれぞれ摘示したとおりである。
(二) 捜査の経過(概要)及び客観的証拠等によって裏付けられる事実
被告人の捜査官に対する供述及び原審供述を除く関係各証拠によれば、本件捜査経過の概要は原判決が補足説明一の1(判74以下)において、客観的な証拠等によって裏付けられる事実は原判決が補足説明二(判81以下)においてそれぞれ認定したとおりであると認められる(なお、この認定のとおり、被告人には、生来両側の橈骨尺骨部が癒合し、前腕での回内・回外ができず、肩関節、手関節の動きで代償しているが、左側が橈尺骨の交差が強く、左六〇度回内、右三〇度回内しかできないという障害がある。以下この障害を「手の障害」という。)。
(三) 客観的な証拠等によって裏付けられる事実から推認できる事実
(二)認定の客観的な証拠等によって裏付けられる事実に照らせば、原判決が補足説明五の1(一)で説示するとおり(判390以下)、①本件一連の犯行は、直接には幼女らを対象にしたものではあるが、被告人の性的興味及び関心の総体に根ざす犯行であり、幼女らの性器等を写真撮影ないしビテオ撮影するなどして収集したいとの気持ちに動機付けられた面もあったこと、②本件各犯行の態様は、いずれの事件においても、周囲から見とがめられないように配慮しつつ、あるいはカメラマンを装うなどしたりして被害者の幼女らに近付き、言葉巧みに話し掛けて同女らの警戒心を解いた上、巧みに車内に誘い込み、あやすなどしながら人目に付かない山中等に連れ去るなどして誘拐したもので、冷静で巧妙な手口の犯行であること、③乙野花子事件については、当初からの誘拐意図までは認められないものの、わいせつ目的で幼女を探しているうちに被害者を見付け、周囲に人目がなかったことから誘拐の犯意を抱くに至ったもの、その後の丙野春子事件、丁野夏子事件及び戊野秋子事件については、乙野花子事件の経験を踏まえ、わいせつ目的で誘拐しようとの意図で幼女らが遊びに出ている可能性の高い場所に行き望むような幼女を探しているうちに被害者を見付け、それぞれ周囲に人目のない機会をとらえて各誘拐の犯行に及んだもので、いずれも計画的な面があること、④被告人は、本件一連の犯行についてテレビ報道等を注視して捜査情報等の入手に心掛ける一方、報道内容に触発されて、犯行を遺族や報道機関に告知したり、戊野秋子の遺体を切断し、胴体部を誘拐現場から遠く離れた埼玉県内の発見されやすい場所に捨て、頭部は発見されにくい山中に捨てるなどして、捜査のかく乱を図るとともに自己を顕示し、犯跡の隠ぺいを図るなどしたもので、被告人の冷静かつ冷酷で、自己顕示的かつ大胆な態度を窺わせるものであることをいずれも推認することができる。
2 被告人の捜査官に対する供述及び原審供述の信用性
原判決は、補足説明五(判390以下)において、以下に列挙するような諸事情を総合考慮すると、被告人の捜査官に対する供述は、被告人が捜査官から厳しい取調べを受けて供述した面があることは否定し難いにしても、被告人が自ら体験し記憶している事実を基にし、その中で犯情が悪質とみられる要素をできる限り否定して自己の刑事責任の軽減を図ろうとの意図をも交えつつ、自らの判断で述べたものと認められるのであって、基本的に、その信用性は極めて高いものと認められるのに対し、被告人の原審供述は、前記1(二)認定の客観的な証拠等によって裏付けられる事実との乖離が著しく、同事実等に基づき同(三)で推認した本件各犯行の動機、目的、態様、計画性、自己顕示と捜査かく乱の意図等との整合性にも欠けるものである上、供述態度に率直さが欠けており、これをそのまま信用することは到底できないものであるとの判断を示しているが、原判決のこの各判断はいずれも関係各証拠に照らし正当として是認することができる。
(一) 被告人の捜査官に対する供述の信用性を基礎付ける事情
被告人の捜査官に対する供述の信用性を基礎付ける事情としては、以下の諸点が認められる。
(1) 被告人の捜査官に対する供述は、原判決が補足説明五の1(二)の(1)①で説示するとおり(判412以下)、被告人の行動として、乙野花子を誘拐して殺害し、その遺体を陵辱した上、その場面をビデオ撮影したこと、丙野春子を誘拐して殺害したこと、丁野夏子を誘拐し、全裸にして性器を中心にして写真を撮った上、殺害し、その遺体を被告人の自動車で運搬中に同車が脱輪したことから山中に捨てたこと、これら事件の報道を注視し、乙野桜子宛及び丁野二郎宛に犯行を告白する旨のはがきを出したこと、乙野花子の遺骨を持ち帰り、頭蓋骨を破砕して遺骨を焼き、段ボール箱に入れて乙野三郎宅に届けたこと、乙野桜子宛及び朝日新聞社東京本社社会部宛に犯行声明文と告白文を郵送したこと、戊野秋子を誘拐して殺害し、その遺体を自室に運び込んで陵辱した上、その場面をビデオ撮影等し、さらに、遺体から頭部、両手両足部を切断して、胴体部、頭部、両手両足部をバラバラに捨てたこと、己野冬子を誘拐して全裸にしたことといった本件一連の犯行経過等の中核をなす事実について、前記1(二)認定の客観的な証拠等によって裏付けられる事実とよく符合している(なお、被告人の自動車が犯行時に脱輪したかどうかは後記3(四)の(3)において、被告人が戊野秋子の切断した両手部及び両足部を投棄したかどうかは後記3(五)の(4)においてそれぞれ更に検討する。)。
(2) 被告人の捜査官に対する供述は、原判決が補足説明五の1(二)の(1)②ないし⑥で説示するとおり(判414以下)、被告人が女性性器自体に興味を持ち、幼女及び少女らに対し強い性的関心を向けていたばかりでなく、発育した女性に対しても強い性的関心を向け、男女の性交にも興味を持っており、また、被告人が最初に警視庁八王子警察署で取調べを受けた己野冬子事件及び次いで警視庁深川警察署で取調べを受けた戊野秋子事件がいずれもわいせつ目的等に出た冷静で巧妙な手口の犯行であり、戊野秋子事件が計画的な犯行であるといった前記1(三)で推認した結果とよく整合している。これに対し、被告人がその後に埼玉県狭山警察署で取調べを受けた乙野花子事件、丙野春子事件及び丁野夏子事件については、わいせつ目的等に出た冷静で巧妙な手口の犯行で計画的な面があり、乙野花子事件等における遺族らへの犯行の告知が自己顕示の意図の現れであるとそれぞれ推認されることとの整合性に欠けるところがあるが、これは、わいせつ目的、冷静さ、計画性、自己顕示の意図等の犯情において悪質とみられる要素をできる限り否定しようとする被告人の態度を窺わせるにとどまるものと解され、被告人の捜査官に対する供述の全体としての整合性を否定すべき事情とはいえないから、なお大筋において整合性が保たれていると認められる。
(3) 原判決が補足説明五の2(一)で説示するとおり(判435以下)、被告人の捜査官に対する供述によって、戊野秋子の頭蓋骨及び下顎の骨等が発見されてその各遺棄現場が判明するに至り、乙野花子の遺骨の一部及び丙野春子のほぼ一体分の遺骨が発見されてその各殺害現場が特定されるに至り、被告人方前の畑から人骨等が発見されて被告人が同所で乙野花子の遺骨を焼いた事実が判明するに至り、また、戊野秋子の遺体及び丁野夏子の性器等を撮影したフィルムや写真等が発見されてその隠匿場所が判明するに至ったものである。このように、被告人の捜査官に対する供述は、捜査官が把握していなかった極めて重要な事実につき自ら真実を語ったものであって、被告人は、捜査段階において、これらの事実を自らの体験として記憶していたからこそ、自ら供述することができたものといえる。
(4) 被告人の捜査官に対する供述は、原判決が補足説明五の2(二)で説示するとおり(判441以下)、内容的に具体的かつ詳細である上、被告人自らが多数の図面を作成して丁寧に説明しており、とりわけ、乙野花子、丙野春子、丁野夏子及び戊野秋子を殺害した際の状況、乙野花子の遺体を陵辱しビデオ撮影した際の状況、乙野桜子宛にはがきを出した経緯、乙野花子の遺骨入り段ボール箱を乙野三郎方に届けるに至った経緯、乙野桜子宛及び朝日新聞社宛に犯行声明文や告白文を郵送した経緯、丁野二郎宛にはがきを出した経緯、丁野夏子の遺体を遺棄した状況、戊野秋子を誘拐した際の状況、同女の遺体を陵辱しビデオ撮影した状況、同女の遺体を切断して遺棄した状況等についての供述は、臨場感に富むものであるが、その中には、①乙野花子事件における被害者の遺体のビデオ撮影と犯行声明文に添付した同女の顔写真作成の経緯、乙野桜子に宛てたはがきの「魔が居るわ 香樓塘安觀」との記載の意味、遺骨入り段ボール箱を乙野三郎方に届けるに至った経緯、犯行声明文及び告白文の作成方法等、犯行声明文及び告白文の差出人を「今田勇子」としたこと、②丙野春子事件における被害者殺害後のわいせつ行為及びこれを中止した事情、③丁野夏子事件における被害者の失禁等の状況、④戊野秋子事件における被害者を殺害するまでの経緯、被害者の遺体を自宅へ運搬した際の心理状態、被害者の遺体を陵辱した際の状況、遺体の臭いを消そうとしたこと、遺体を切断してバラバラに捨てた理由、遺体の頭部を捨て直した理由について、体験した者でなければ語り難いと思われる内容のものが多く含まれている。
(5) 被告人が戊野秋子事件を自供するに至った経過は、重大事件の犯人が、捜査官から証拠に基づき追及を受け、その追及に抗し難くなり、ついに手の障害等自分の生い立ちの悩みを強調して、犯行に出るに至った経緯について取調官の理解を求めようとしつつ自供に至ったものとみられるのであって、原判決が補足説明五の2(三)の(2)で説示するとおり(判459)、誠に自然な経過といえる。また、被告人は、現行犯人として逮捕され客観的証拠のそろっている己野冬子事件については、当初、わいせつの意図という主観的な事実のみを否認したが、間もなくわいせつの意図を含め事実を認めるに至ったものであり、遺体や遺骨が発見され、遺体等を撮影したビデオテープや写真等の客観的証拠のある乙野花子事件、丁野夏子事件及び戊野秋子事件については早期に自供したものの、このような証拠のない丙野春子事件については当初は自供せず、目撃者の可能性に言及した取調べを受けて自供するに至ったものであり、原判決が同(3)で説示するとおり(判459以下)、これまた犯行を自供する犯人の心理状態に照らしてごく自然な経過といえる。
(6) 被告人の捜査官に対する供述内容、供述経過等をみると、原判決が補足説明五の2(四)で説示するとおり(判460以下)、①被告人の捜査官に対する供述には、当初、事実を否定したり、殊更事実と異なる趣旨の供述をしたりし、その後に追及されて供述を修正するに至るという態度や、追及を受けてもなお不自然な供述に終始して先にみたような犯情が悪質とみられる要素をできる限り否定しようとする態度が現われていること、②被告人の捜査官に対する供述調書には、戊野秋子を誘拐する直前の状況として、電話ボックス内にいた二〇歳くらいの女性と目が合い、自分と同様に誘拐や写真撮影を企てている人かなと一瞬思った(原審検察官請求証拠番号乙69号。以下甲、乙、物の番号は同証拠番号を、弁の番号は原審弁護人請求証拠番号を、職の番号は原審職権取調べ証拠番号をそれぞれ示す。)とか、祖父の声を聞くために乙野花子の遺体を撮影したビデオテープを部屋に飾って呪文を唱えた(乙36号)などという特異と思われる供述がそのまま録取されていること、③被告人の捜査官に対する供述調書には、逮捕前の捜査の進展状況に対する不安感、家族や親戚に対する気持ち等(乙13号)のほか、宝物であり、また、後で世間がとやかく言ったときに自分の言いたいことを裏付けるものとして持っていたいなどという特異な理由を付して、乙野花子や戊野秋子の遺体を撮影したビデオテープ等の返還を求める気持ち(乙14号)がそのまま録取されるなど、被告人がその心境を吐露したところがそのとおり録取されていること、④被告人の捜査官に対する供述調書には、己野冬子事件の取調べにおいて、自分や家庭に問題がないことを強調し(乙155号)、他方、戊野秋子事件を自白した後においては、手の障害の悩みや両親への不満等その心情を交えつつ身上経歴につき具体的かつ詳細に供述し(乙3号)、これがそのまま録取されていること、⑤被告人は、当初供述調書の指印を拒否したことがあり(乙155号)、また、捜査官に対する供述調書の録取内容につき供述の細かい表現等にまでこだわって訂正申立てをするなどの態度がみられること(乙95号、140号、76号、80号、17号、23号)などが認められ、これによると、被告人は捜査官の意向に合わせるままに供述したのではなく、自らの判断で供述したことを窺い知ることができる。
(7) 本件各犯行の重大性や被告人の供述態度が犯情の悪質とみられる要素をできる限り否定しようとするものであったことからすると、原判決が補足説明五の2(五)で説示するとおり(判475以下)、警察において厳しい取調べがされた可能性は否定し難い。しかしながら、取調官から暴行や脅迫を受けたために取調べでは警察に合わせ創作して述べたなどとする被告人の原審供述は、原判決が同三の2(二)の(7)及び同四の3で摘示するように(判331以下、387以下)、場当たり的で、内容も具体性に乏しいほか、前記(1)ないし(6)に認定した被告人の捜査官に対する供述内容及び供述経過に沿わないものである。しかも、後記(二)の(3)認定のような被告人の原審公判における率直さや誠実さに欠ける供述態度をも考慮すると、取調べ状況に関する被告人の原審供述をそのまま信用することは困難である。ちなみに、当審におけるこの点に関する被告人の供述も原審供述と大差ないか、むしろ、例えば、供述調書添付の図面について警察官から内容や構図を言われて描かされたと原審で言っていたのが見本を示されてこのように書けと言われたとか、取調べ時警察官だけでなく検察官からも暴力を受けたなどと供述の変遷につき何らの理由を示すことなくより誇張した供述に及んでいる。さらに、被告人の取調べを担当した警視庁所属の大峯file_3.jpg廣警部補(当時(以下同じ。))及び埼玉県警察本部所属の佐藤典道警部の原審公判における各証言等の関係各証拠に照らして検討しても、原判決が補足説明五の2(五)で説示するとおり(判475以下)、取調官が被告人に暴行を加えるなど、被告人の意思を制圧して一方的に供述を押し付けるなどした疑いがあるとは認められない。
(二) 被告人の原審供述の信用性に疑問を生じさせる事情
他方、被告人の原審供述の信用性に疑問を生じさせる事情としては、以下の諸点が認められる。
(1) 被告人の原審供述は、本件一連の犯行に被告人が関わったこと自体を全面的に否定するものではないが、原判決が補足説明五の1(二)の(2)で説示するとおり(判431以下)、乙野花子事件、丙野春子事件、丁野夏子事件及び戊野秋子事件についていずれも、偶然出会った被害者と行動を共にして一緒にドライブ等をしたところ、被害者がぐずり出して「ネズミ人間」が現れ、後は分からなくなったと述べるなど、誘拐及び殺害の犯意(更には誘拐及び殺害の事実自体)を否定するものであって、その内容自体極めて不自然かつ不合理である上、前記1(二)認定の客観的な証拠等によって裏付けられる事実との乖離が著しい。
すなわち、前記客観的な証拠等によって裏付けられる事実から明らかなとおり、被告人は、各殺害行為に先立って、被害者らに声を掛け自分の自動車内に誘い入れた上遠くに連れ去るなどして、人目に付かず被害者らを自由に扱うことのできる状況を自ら作出したばかりでなく、乙野花子及び戊野秋子の遺体にわいせつ行為をしてその様子をビデオ撮影するなどし、さらに、乙野花子事件や丁野夏子事件の各犯行を遺族や報道機関に告知したり、戊野秋子の遺体を切断してその胴体部を誘拐現場から遠く離れた埼玉県内の発見されやすい場所に捨てるなどしたものであって、これら被害者を殺害した前後の被告人の一連の行動は、各殺害行為を含めて、被告人の一貫性のある意思に基づくものであることを端的に示すものである。
しかも、「ネズミ人間」出現に関する供述は、各事件の被害者らを殺害した場面に限られており、被告人は他の場面における同様の体験については述べていないのである。もっとも、鑑定人保崎秀夫外五名共同作成の鑑定書(甲784号)添付の面接記録によれば、被告人は、平成三年一二月一〇日の同鑑定人による問診の際に、「ネズミ人間を最初に見たのはいつか」という質問に対して、小学校ころに顔がネズミで身体は灰色で大人の大きさの男が洋間の外に立ってこちらをにらんでいたことが一、二回あると答えたことが認められるが、鑑定人中安信夫作成の鑑定書(職9号)によれば、被告人は、平成五年五月一九日の同鑑定人による問診の際には、本件犯行以外にネズミ人間を見たことはなく、小学校ころに見たのは正確には「黒っぽい影」であったと述べたことが認められるだけでなく、被告人は、原審第三五回公判期日の被告人質問の際にも、本件各犯行時以外にネズミ人間が出たことはないと明言しているのであって、保崎鑑定人に対する上記供述は信用することができない。なお、「黒っぽい影」は、仮に被告人がそのような体験を有したとしても、錯視にとどまるとする中安鑑定人の指摘が存する。
このように、「ネズミ人間」が出現したとする被告人の供述は、内容的に極めて不自然かつ不合理で、被告人の一連の行動状況にも沿わないばかりでなく、本件各殺害行為に関連付けて自己の責任を回避しようとするものであって、本件各犯行時に実際に体験したことをそのまま供述したものでないと認めるのが相当である。
(2) 被告人は、原審公判において、乙野花子及び戊野秋子の遺体の性器に手指やドライバーを挿入するなどしてその場面をビデオ撮影したことや丁野夏子の裸の写真を撮ったことなどビデオテープや写真が動かし難い客観的証拠として存在する事実については認めるものの、女性に対する性的興味や関心の存在を含め、本件一連の犯行についてわいせつの意図があったことはこれを否定する趣旨の供述をしている。また、戊野秋子の遺体を切断して宮沢湖霊園等にバラバラに置いたことは認めるものの、捜査かく乱、犯跡隠ぺいの意図を否定し、乙野花子宅へはがきを出したこと、遺骨入り段ボール箱を届けたこと、犯行声明文や告白文の郵送等についてはあいまいな供述に終始している。このように、被告人の原審供述は、原判決が補足説明五の1(二)の(2)で説示するとおり(判431以下)、内容的に前記1(三)で推認した結果と著しく整合性に欠けるものである。
(3) 被告人の原審供述は、原判決が補足説明五の2の冒頭で説示するように(判434以下)、原審弁護人の質問に対する供述と検察官の質問に対する供述との間で、例えば、乙野花子事件に関し犯行声明文や告白文を送ったことについて、原審弁護人には「あるように思う」と答えながら、検察官には「覚えていない」と答え、乙野花子や戊野秋子の遺体をビデオ撮影したことについて、原審弁護人には、ビデオ撮影をしたことを認めるとともに、乙野花子についてはその性器にドライバーを挿入したことまで認めていたのに、検察官には、人にカメラを向けたことは覚えているが、後のことは覚えていないと答えるなど、一貫性に欠ける部分がみられる。また、被告人は、検察官の質問に対し、乙野花子の遺骨入りの段ボール箱に入っていた紙片にある「花子」を「かし」と呼び、犯行声明文等の差出人の氏名として記載された「今田勇子」を「いまだいさこ」と呼ぶように殊更的を外した応答をしたり、被告人自身が幼女の性器等を撮影した写真や被告人自身が作成した図面、犯行声明文、告白文等を示されて質問されても、覚えていないとか、自分で書いたか思い出せないなどとまともに答えることを回避するなど、供述態度が率直さや誠実さに欠けるものである。ちなみに、当審における被告人質問においても、供述内容の一貫性の欠如、率直さに欠ける応答等が原審同様に窺えるのである。
(4) 被告人の原審供述は、原判決が補足説明七の3(一)の(3)で説示するとおり(判513以下)、それ自体、時間の経過に従って自己の刑事責任を否定する方向に向け、合目的的に変化していっている。例えば、被告人は、乙野花子や戊野秋子の遺体のビデオを撮影し、その遺体の性器に触り、戊野秋子の遺体を切断したことなどについて、原審第一七回及び第一八回公判期日には、自分の意思でビデオカメラを借り、自ら遺体の性器にドライバーを入れたり遺体を切断したりしたと述べていたのに、原審第三五回公判期日には、不思議な力を持つ者たちの命令に従ってやったとか、自分の前に出てきた自分の姿をした者が直接やったことで自分がやったのではないなどと述べている。また、被告人は、乙野花子事件の犯行声明文や告白文を郵送したことについて、原審第一七回公判期日には、送ったことがあるように思うし、犯行声明文を送った理由は遺族が葬式をしそうになかったからと具体的に述べていたのに、原審第三五回公判期日には、これらを書いて送った覚えはないし、これらの字は自分の字ではないと述べるに至っているのである。
3 被告人の供述の信用性に関する所論について
所論は、前記のとおり、被告人の供述の信用性に関し、捜査官に対する供述は長期間にわたり長時間かつ追及的な取調べの末にされたもので、内容的にも幾多の問題点を含むのに対し、原審供述は客観的な裏付けを有するから、捜査官に対する供述を全面的に信用し、原審供述の信用性を一概に否定することはできないとして種々主張するので、以下、所論に即しつつ更に検討を加えることとする。
(一) 取調べ状況に関する所論について
(1) 所論は、被告人が自白に至った経緯について、平成元年八月七日(以下(一)の項において「平成元年」の表記を省略する。)に己野冬子事件で起訴されて精神的ダメージを受けていた被告人が、同月九日午前一〇時三分から翌一〇日午前〇時二七分までの長時間に及ぶ追及的な取調べを受けて、初めて戊野秋子事件への関与を認める内容の同月九日付け上申書(乙99号)を作成し、その後も全事件について起訴が完了した一〇月一九日までの二か月余りにわたり、警視庁と埼玉県警察本部との熾烈な競争の下での過密かつ過酷な取調べを受け続けたことを考慮すると、被告人の捜査官に対する供述には、客観的にその任意性が疑われる状況があり、少なくともその信用性の判断においては能う限りの慎重さを要するというのである。
(2)ア そこでまず、八月九日の取調べ状況について検討するに、大峯file_4.jpg廣作成の取調状況捜査報告書(甲787号)によれば、同日は、被告人に対し、午前一〇時三分ころから午前一一時三二分ころまで、午後〇時二二分ころから午後五時ころまで、午後五時四二分ころから翌一〇日午前〇時二七分ころまでの三回、合計一二時間余りに及ぶ取調べが行われたことが認められる。
イ そして、同日に被告人の取調べを担当した大峯警部補は、原判決が補足説明四の1(二)の(1)で摘示するように(判365以下)、原審公判において次のように証言している。すなわち、同日は、被告人が己野冬子事件で起訴された後であり、余罪及び同種犯罪の有無を調べるという観点で被告人の取調べをした。午前中は、被告人の生育歴を聞き、午後は被告人の行動半径を中心に聞いた。雑談の中で、有明コロシアムにテニスのパンチラ写真を撮りに行ったという話があり、戊野秋子事件発生現場と非常に近接していること、被告人の使用車両の運転席シート下に血痕様付着の軍手とポリプロピレンテープが束ねてあったことから、もしかしたら関連を有しているのではないかと考え、夕食後、本格的な取調べに入った。最初に、今までの生活の中でやった悪いことについて聞くと、交通事故、ガス欠により交通渋滞を引き起こしたこと及び立ち小便を挙げたので、被告人の車のトランク内に血痕様の物が付着していたことなどについて追及したところ、被告人がいたずら半分に友人をトランクに乗せて走り回ったために友人がけがをした旨の弁解をした。そこで、その裏付けを取らせたが、そのような事実がなかったことから、そのことを被告人にぶつけたり、被告人の車から発見された軍手やポリプロピレンテープの使い道等について追及したところ、午後一〇時半ころ、被告人が「じゃ、刑事さん、私の話を黙って聞いてください」と言い出したので、質問を発せずに被告人の供述を聞いた。被告人は、手の障害のことを含め生い立ちについて話をし、その流れの中で、戊野秋子の殺害を自供するに至った。被告人の自供は、非常に嘘が混じり矛盾だらけだったが、半分くらいは事件の核心を突いた内容だった。矛盾点を何点か突くと、被告人が動揺して、小鼻をぴくぴく動かしたり、生つばを飲むこともあった。なお、被告人の手に障害があるということは知らなかったが、夕食後の調べで、午後六時近くころからぼちぼちその話をしており、自供をする前段階で、被告人は、非常に悩んでいることがあるとして手の不自由さの苦労をとうとうと話したので、その話は身上調書という供述調書の中で詳しく書いてあげることにして、後に身上調書を取るときに詳しく聴いた。大峯は以上のような証言をしている。
以上の大峯の証言は、八月九日時点では被告人と己野冬子事件以外の各事件とを結び付けるに足りる証拠が未発見であり、同日に被告人が自供した後に戊野秋子の頭蓋骨が発見されるなどして本件各事件の捜査が一挙に進展したという関係各証拠から認められる本件捜査の進展状況、いずれも同日に作成された上申書(乙99号)、頭蓋骨等の遺棄場所への案内に関する承諾書(乙100号)及び犯行状況の概要に関する司法警察員調書(乙135号)並びに同月一四日及び同月一九日に作成された被告人の身上、経歴や犯行の動機等に関する司法警察員調書(乙1号、3号)の記載内容等に照らし、当時の客観的状況に沿うものであって、高い信用性が認められる。
ウ これに対し、被告人は、原判決が補足説明三の2(二)の(7)及び同(三)の(6)で摘示するとおり(判331以下、341以下)、原審第一六回公判期日において、八月九日付けの上申書を自分で書いたことを認めた上、これを作成するに至る経緯について、その一日か二日前から調べられたが、警察官から、机におっぺされて(押し付けられて)、息ができないようにされたり、髪の毛をつかんで引っ張られたり、額を突かれたり、胸ぐらをつかまれたりされて怖かった、「人の死を何とも思わないか」とか言って机をたたいたり、大声でにらみつけながら怒鳴ってきたなどと述べて、取調官から暴行や脅迫を受けたことを強調し、原審第一九回公判期日においては、この上申書について、警察でこういう話が向こうから出たし、遺体を切った道具も向こうで言った、頭部を入れた手提げ式紙袋は創作で言ったなどと述べて、取調官の誘導に従いあるいは自らの創作で作成した旨の供述をしている。
しかしながら、大峯の証言を含む関係各証拠に照らしても、被告人が八月九日より前に大峯警部補から取調べを受けた形跡はないから、被告人の上記供述は、この点において事実に反するものである。また、被告人は、原判決が補足説明四の3(一)の(1)で摘示するとおり(判387)、大峯の証言終了後である原審第三五回公判期日においては、大峯から、威圧的態度で、机におっぺされ、息ができないようにされて苦しかったと供述するのみで、その余の暴行や脅迫については述べていない。しかも、同月一六日に国選弁護人に選任された近藤智孝弁護士の原審公判における証言によれば、被告人は、九月二日に接見した際に、取調べ状況について、怖いとか面倒くさいから合わせているとは話したが、机におっぺされたということは、同月八日に狭山警察署に移監された後の取調べの際の出来事として話していることが認められるなど、供述内容が不自然に変遷している。さらに、前記上申書はB四版の白紙四枚で構成され、そこには被告人が戊野秋子を誘拐して自分の自動車の中で殺害し自分の部屋でその遺体をナイフのような物と両刃の鋸を使い頭部、胴体部及び両手両足部に切断して遺棄した概要について記載されているとともに、その余の三枚に三か所に及ぶ遺棄現場の見取図が図示されているところ、関係各証拠によれば、この記載のうち同女の頭部及び両手両足部を遺棄した場所は八月九日時点では捜査機関が全く把握しておらず、その後に被告人の指示した場所から同女の頭蓋骨が発見されており、その余の記載も、遺体を切断したナイフのような物及び遺体の両手両足部が未発見である点を除き、前記1(二)認定の客観的な証拠等によって裏付けられる事実のうち被告人が同女を誘拐して殺害し遺体を損壊して遺棄した状況(原判決の補足説明二の5(五)の(2)(判129以下)参照)に沿うものであることが認められるのであって、被告人が前記上申書を警察官の誘導や自らの創作で作成したものでなく、その記憶に基づき作成したものであることは明らかである。加えて、被告人が、九月二八日付け検察官調書(乙111号)において、戊野秋子事件を始め一連の殺人事件等を自白したのは、大峯がそれまでに会った誰よりも自分に優しく接してくれ、自分の言うことをよく理解してくれると思ったからであると供述していることも考慮すると、八月九日の大峯警部補による取調べ状況に関する被告人の原審供述は、到底信用することができない。
エ このように、高い信用性の認められる大峯の前記証言に関係各証拠を総合すると、被告人は、八月九日の夕食後である午後五時四二分ころから、大峯警部補による戊野秋子事件についての取調べを受け、最初に、被告人が過去に行った悪事について質問され、次いで、被告人の車のトランク内に血痕様の物が付着していたことなどを追及されたのに対し、弁解するや、その弁解が事実に反することを指摘された上、被告人の車から発見された軍手やポリプロピレンテープの使い道等を追及されて、同日午後一〇時半ころに同事件を自供するに至り、それから翌一〇日午前〇時二七分ころまでの間に、前記上申書及び承諾書を自ら作成するとともに、同事件の犯行状況の概要を七丁の調書に録取した同月九日付け司法警察員調書(乙135号)が作成されたものと認められるのであって、その間に、被告人の捜査官に対する供述の任意性や信用性に疑問を生じさせるような状況は存在しなかったということができる。
(3)ア 次に、その後の取調べ経過をみるに、関係各証拠によると、被告人は、八月九日以降、戊野秋子事件、乙野花子事件、丙野春子事件及び丁野夏子事件について順次取調べを受け、そのうち主に戊野秋子事件を担当した大峯警部補は、同日から九月六日まで取調べを行い、取調べ時間は、おおむね午前七時二〇分ころないし午前八時過ぎころから、おおむね午後八時ないし午後九時半ころまでであり、最も遅い日が八月一三日の午後一〇時三〇分ころであったこと、その余の事件を担当した佐藤警部は、九月五日及び同月八日から一〇月中旬ころまでほぼ連日のように取調べを行ったこと、八月九日から各事件の起訴が完了した一〇月一九日までに、各事件について、被告人が上申書を九通作成するとともに、司法警察員調書五九通、検察官調書八五通等(弁解録取書四通、勾留質問調書三通を含む。)の合計一七〇〇丁余りに及ぶ多数の被告人の供述調書が作成されたほか、被告人が多数回にわたり犯行現場等への引き当たりや犯行状況の再現に応じていること、被告人は、各供述調書の作成に際し、独特の筆致によるかなり綿密で詳細な図面を多数作成していることが認められる。
イ しかし、本件各事件は、前記1(二)認定の客観的な証拠等によって裏付けられる事実から明らかなとおり、被害者が四名、犯行期間が前後一〇か月近くに及ぶだけでなく、そのすべてにおいて誘拐及び殺人を内容とし、更に乙野花子事件では死体損壊、丁野夏子事件では死体遺棄、戊野秋子事件では死体損壊及び死体遺棄をも含んでいるほか、いずれの事件も犯行の共犯者や直接の目撃者がいないなど、事案が極めて重大かつ複雑で真相の解明に多くの困難を伴う事件であったことを考慮すると、上記認定のような捜査の期間、取調べの時間、作成された供述調書の数量や現場引き当たり等の回数は、いずれもやむを得ないものであったというべきである。しかも、被告人の作成した図面が多数に及ぶとともにいずれもかなり綿密で詳細な記載がされていることや、捜査段階で被告人から現場での指示説明を受けるなどした各警察官の原審公判における証言並びに犯行再現状況等に関する実況見分調書等により認められるとおり、被告人が一連の捜査に拒否的態度をとることなく協力していたことも併せ勘案すると、このように長期間にわたる捜査の状況自体が被告人の捜査官に対する供述の任意性や信用性に疑念を生じさせるものでないことが看取できる。
ウ ところで、被告人は、全般的な取調べ状況について、原判決が補足説明三の2(二)の(7)及び同(三)の(1)並びに同四の3で摘示するとおり(判331以下、333以下、386以下)、原審公判において、警察官の気に入らないことを言うと、胸ぐらをつかまれたり、机をたたかれたり、拳を振り上げられたり、急に立ち上がって迫ってこられたりした、相手に合わせるように言わないと、またひどい目に遭うと思い、気が気でなかった、警察署の房に監視カメラがあったし、いつも何人かが監視していたので、夜あまり眠ることができず、取調べ中眠かった、疲れた、相手に合わせないとおっかないから、早く終わらせたかった、そのため、警察官に合わせるように言ったり、創作でつなげたりした、大峯警部補も佐藤警部もどちらも話しにくかった、検察官の方がやや威圧的なところが少なかった、供述調書添付の絵は、警察官から内容や構図を言われて描かされたものであるなどと供述しているところ、原判決も同五の2(五)で説示するとおり(判476)、本件各犯行の重大性や被告人の供述態度にかんがみると、警察において厳しい取調べがされた可能性は否定し難く、被告人の取調べを担当した大峯警部補及び佐藤警部も、被告人が当初は嘘を織り交ぜながら供述したため矛盾点を突くなどして追及して自供を引き出したなどとして、かなり厳しい追及をしたことを認めている。
しかしながら、前記2(一)の(7)で説示したとおり、取調べ状況に関する被告人の上記原審供述は、場当たり的で、内容も具体性に乏しいほか、同(1)ないし(6)で認定したような被告人の捜査官に対する供述の内容や経過に沿わないものであり、被告人の原審公判における率直さや誠実さに欠ける供述態度をも考慮すると、これをそのまま信用することは困難である。さらに、大峯及び佐藤の各証言を含む関係各証拠に照らして検討しても、取調官が被告人に暴行を加えるなど、被告人の意思を制圧して一方的に供述を押し付けるなどした疑いがあるとは認められないとした原判決の認定(判476)はこれを肯認することができる。
なお、被告人の上記原審供述のうち、狭山警察署に移監になった後に監視カメラ等が気になって夜あまり眠れなかったとする部分は、佐藤及び近藤の原審公判における各証言により、被告人が取調べ担当の佐藤警部や当初の国選弁護人である近藤弁護士にも同様の訴えをしていたことが認められるが、佐藤証言によれば、監視カメラは事故防止のための措置であったと認められるばかりでなく、関係各証拠に照らし検討しても、監視カメラの存在や狭山警察署への移監後にしばらく眠りにくい状態にあったことが被告人の捜査官に対する供述の任意性や信用性に影響を及ぼしたような状況も窺われないのである。
(4) 以上のとおり、被告人の捜査官に対する供述には、その任意性及び信用性に疑いを生じさせるような状況があるとはいえないから、前記所論は前提を欠くというほかない。
(二) 乙野花子事件に関する所論について
(1) 所論は、乙野花子事件に関し、①被告人の捜査官に対する供述は漠として臨場感に欠ける内容であること、②被告人の捜査官に対する供述中で被告人が乙野花子(以下、(二)の項において「被害者」という。)を殺害した直前に出会ったとされる男性が特定されていないこと、③被告人が被害者を殺害したとされる山林からは被害者の焼骨が三本発見されているが、被告人の捜査官に対する供述は被告人がその骨を焼いたことについての供述を欠いていること、④被告人の捜査官に対する供述は、被害者殺害後にその遺体を見に行った状況について不自然に変遷しており、その内容も信憑性に欠けるのに対し、被告人の原審供述は「告白文」が遺体の変化をリアルに表現していることや殺害現場付近で被害者の焼骨が三本発見されていることとよく整合することに照らし、同事件に関する被告人の捜査官に対する供述の信用性は著しく低いというのである。
(2) そこでまず、所論①についてみると、確かに、所論が指摘し、原判決も補足説明五の1(二)の(1)③において説示するとおり(判423以下)、被告人が捜査官に対して述べるところの被害者を誘拐した際の誘いの言葉や走行中の車内におけるあやし方等は、被害者に「涼しい所に行かないかい」などと話し掛けて車内に誘い込み、走行中の車内では、ラジオの選局ボタンを押させて遊ばせるなどし、東京都八王子市内の東京電力株式会社新多摩変電所駐車場に至ると、「今度は電車に乗ろうね」と声を掛けて、林道を歩いて殺害現場まで連れて行ったというもので、やや単純と考えられる。そして、前記1(二)で認定したとおり、被害者が見ず知らずの被告人の運転する車に乗り込み、埼玉県入間市内の被害者方近くから前記駐車場までの三〇キロメートル余りも走行する同車に同乗した上、さらに、殺害現場である同都西多摩郡五日市町内の山林内までの約1.2キロメートルも被告人に付いて歩き、その間、他人の不審を招いた形跡が窺われないことを考慮すると、原判決が同③において説示するとおり(判424)、実際には、被告人が述べるところに加えて更に巧みな誘い掛け等がされたのではないかと疑われるのであり、このことは、時の経過による被告人の記憶の希薄化の可能性を考慮しても、原判決が同⑥で説示するとおり(判430以下)、丙野春子事件及び丁野夏子事件に関する被告人の捜査官に対する供述と同様に、冷静さ、計画性等犯情において悪質とみられる要素をできる限り否定しようとする被告人の態度を窺わせるものということができる。そうすると、所論指摘の被告人の捜査官に対する供述内容のあいまいさは、被告人のこのような供述態度、すなわち、犯情において悪質とみられ被告人にとり不利益と思われる部分について一部真実を述べていないことを窺わせるものとして、その限りでこの供述の信用性を吟味する際に配慮すべきものではあるが、被告人が自己に不利益な事実を承認した供述部分の信用性についてまで疑問を生じさせるものとはいえない。したがって、この所論は理由がない。
(3) 所論②に関して、被告人は、捜査官に対する供述において、原判決が補足説明三の1(六)の(4)②で摘示するとおり(判161)、被害者と山道を歩いて殺害するのに適当な場所を探していると、三、四〇歳くらいの男性に出会った、その男性から、「どこに行くんですか」と予期しない言葉を掛けられ、一瞬返事に詰まったが、前に友人と遊びに来たときの記憶で、「今熊バス停の方」と答えた、男性は、口の中でもぞもぞ言ったので、変なことを言ってしまったかなと思ったが、このまま話していては被害者の誘拐がばれてしまいそうに思い、そのまま歩き出したところ、被害者も付いてきたのでほっとしたなどと述べているところ、所論指摘のとおり、関係各証拠を検討しても、この男性が特定されたことを窺わせる証拠は存在しない。
しかしながら、被告人のこの供述によれば、被告人が出会ったとされる者の特徴としては、本件誘拐が行われた昭和六三年八月二二日の夕刻に前記山道を歩いていた三、四〇歳くらいの男性ということのみであり、被告人が乙野花子事件を初めて自供したのは翌年の八月一三日であることも考慮すると、捜査機関がこの供述のみからその男性を見付け出すことは不可能若しくは著しく困難であったと思われる。また、被告人が同事件について詳細な供述を始めたのは平成元年九月九日以降であり、本件誘拐現場について報道されたのはそのころ以降であったと推認されるところ、被告人の述べるような状況で被告人及び被害者と出会っただけであれば、この報道がされた時点では、その男性が明確な記憶を失っている可能性は高いと考えられる。しかも、被告人の述べるような状況を前提とすると、その男性がその時点で被告人を見とがめておれば、被害者の殺害だけでなくその後の一連の事件の発生を未然に防止することもあながち不可能でなかったとも考えられることを考慮すると、その男性が仮に当時の記憶を保持していたとしても自責の念から捜査機関に申し出ることを躊躇することもあり得るところと考えられる。したがって、被告人が供述する男性が自ら名乗り出なくても、決して不自然なこととはいえない。さらに、被告人として男性との出会いの話を特に作出すべき理由も必要性も認められないことも考慮すると、被告人が出会ったとされる人物が特定されなかったとしても、被告人の捜査官に対する供述の信用性に影響を及ぼすものとはいえないから、この所論も理由がない。
(4) 次いで、所論③についてみると、確かに、吉野峰生作成の鑑定書(甲208号)を中心とする関係各証拠によれば、被害者殺害現場である原判示の山中から発見された被害者の遺骨のうち左肩甲骨、左上腕骨遠位端部及び右腓骨の一部に暗褐色を呈する焼焦部のあることが認められ、被告人の捜査官に対する供述中にこの焼焦部の成因を説明した部分のないことは、所論指摘のとおりである。
しかしながら、前記(2)で説示したとおり、乙野花子事件に関する被告人の捜査官に対する供述は、犯情において悪質とみられ被告人にとり不利益と思われる部分について一部真実を述べていないことが窺われるのであり、被告人が捜査官から追及を受けなかった遺骨の損傷行為について述べなくても、特に不自然とはいえない。しかも、被告人は、原審第一七回公判期日において、沢戸橋近くの川原で木や葉っぱやゴミや草と被害者の遺骨を三本くらい焼いて元の場所近くに置いたと供述していて、その焼焦部の成因について一応の説明を加えているのである。もっとも、被告人は、それと同時に、祖父をよみがえらせたいと思って焼いた遺骨をかじったとも供述しているが、上記鑑定書及び吉野の原審公判における証言によれば、被害者の焼焦部のある遺骨のうち左肩甲骨には損傷がなく、左上腕骨遠位端部及び右腓骨の損傷は人間以外の肉食動物による咬傷であると認められるから、被害者の遺骨をかじったとする被告人の供述部分は事実に反するというほかないが、被告人の同事件に関する捜査段階以来の既にみたような供述態度に照らすと、同供述部分が事実に反するからといって、被害者の遺骨を焼いたとする供述の信用性まで否定されることにはならない。
したがって、被告人の捜査官に対する供述中に焼焦部の成因を説明した部分のないことは、供述全体の信用性に影響を及ぼすものとはいえないから、この所論も理由がない。
(5)ア 所論④において指摘のとおり、被告人の捜査官に対する供述は、被告人が被害者を殺害した後にその遺体を確認しに行ったかどうかについて、平成元年八月一四日付け上申書(乙103号)及び同月二六日付け司法警察員調書(乙72号)では、遺体を見に行ったと供述していたが、同年九月一三日付け司法警察員調書(乙15号)及び同月二三日付け検察官調書(乙28号)では、同年一月中旬ころないし同年二月初めころに被害者の骨を拾いに行くまで遺体のある場所には行っていないと供述するようになり、さらに、同年九月二五日付け司法警察員調書(乙21号)及び同月二七日付け検察官調書(乙31号)では、殺害してから一、二週間後に殺害現場に行き、掛けてあったシーツの足元を少しめくって遺体の足の部分を見たと供述するに至っている。
イ しかしながら、被告人は、同年九月一三日以降は、原判決が補足説明三の1(九)の(2)及び(5)ないし(7)で摘示するとおり(判206以下、211以下)、被害者方に犯行声明文、告白文等を郵送し遺骨を届けるなどしたことについて、遺族を慰め、悲しみを和らげる意図であったなどと述べて、原判決が同五の1(二)の(1)⑤で説示するとおり(判429)、これら各行為から窺われるところの被告人の自己顕示的で大胆かつ冷酷な態度にそぐわない供述をしている。しかも、乙野花子事件に関する被告人の捜査官に対する供述は、前記(2)で説示したとおり、犯情において悪質とみられる要素をできる限り否定しようとする態度が窺われるものであることをも考慮すると、同月一三日以降の供述変更は、被害者の遺体を繰り返し確認しに行くという犯情において悪質とみられる事実を否定しようとする被告人の供述態度の現れとみることができる。また、同月二五日以降の各供述の内容に照らすと、被告人が、捜査官から、同月一三日以降の供述変更に至る経緯や、被告人が同年三月に新聞社及び被害者方に郵送した告白文(物11号、14号)(甲333号参照)中に「ひきつったしわが体全体にでき、あのこちこちに硬かった体が、今度は、水のようにぶよぶよに柔らかくなってゆきました。とても、この世の臭いとは思えない程の強臭。」などという実体験に基づくと思われる生々しい表現のあることに基づき追及を受けて、再度供述を変更し元の供述に戻したことが窺われるのである。すなわち、このような供述の変遷はここにみたような被告人の供述態度や取調べの経過等に照らすと必ずしも不自然とはいえないから、この所論も採用することができない。
ウ この点に関し、弁護人は、被告人が、同年九月二七日付け検察官調書(乙31号)において、被害者の遺体をビデオ撮影した後に白かピンク色のシーツで遺体を隠したが、その後シーツを置いていたのではかえって人目に付くのではないかと不安になり再び殺害現場に行った旨供述しているのに、結局そのまま放置し、その後の丙野春子殺害時にも遺体にシーツを掛けているのであって、遺体を確認に行った動機に関する被告人のこの供述は場当たり的で信憑性に欠けるとも主張する。
しかしながら、関係各証拠によれば、被害者を殺害した現場は、車両が通行できない幅約0.6ないし一メートルの林道を約一二〇〇メートル入り、更にその林道から十数メートルの地点で、林道から分岐する幅約0.5メートルの獣道からも約七メートル山林内に入った地点であり(甲353号、354号)、また、丙野春子の着衣等が発見された場所は、この林道から六〇メートル余り下った山林内で、同女の遺骨が発見された場所は、この山林内を更に六〇メートル余り下った地域であること(甲414号ないし416号)が認められ、その各現場の状況に照らすと、いずれも奥深い山林内であって、通常は人が足を踏み入れることがほとんど考えられない場所であったことが窺われ、現に、両事件の各犯行から被告人が警察官を現場まで案内するまでの一年前後の間に、被害者らの遺体や着衣等が発見された形跡は全くない。しかも、被告人は、前記検察官調書において、被害者を殺害した一、二週間後に再び殺害現場に行った際の状況として、生臭いとても嫌な臭いがした、シーツの足元を少しめくってみると、皮膚が黒ずんで少し膨れていた、私はその少し膨れてぶよぶよになったのを見て、それ以上シーツをめくってみる気にはなれなかったなどとも述べているのである。このような被害者の遺体が放置された現場の状況や遺体の状態にかんがみると、被告人が、被害者の遺体の上にシーツを放置したことを不安に思って殺害現場に赴いたものの、それ以上遺体を見たりシーツに触わることをしなかったとしても特に不自然とはいえないし、被告人が被害者を殺害した現場よりも更に人目に付きにくい場所で殺害した丙野春子の遺体にシーツを掛けただけで遺体を地中に埋めるなどしなくても、このことはそのような経験を踏まえたものとして十分にあり得べきことと考えられる。したがって、弁護人のこの主張も理由がない。
(6) 以上のとおり、乙野花子事件に関する被告人の捜査官に対する供述の信用性についての所論はいずれも採用することができない。
(三) 丙野春子事件に関する所論について
(1) 所論は、丙野春子事件に関し、①原判決は、補足説明五の2(二)の(2)(判449以下)において、丙野春子(以下、(三)の項において「被害者」という。)の両足が殺害後にけいれんを起こしたとする被告人の捜査官に対する供述について医師渡辺博司の証言を根拠に体験した者でなければ語り難い臨場感に富む供述であると判示するが、渡辺の証言は被告人のこの供述と符合するものではなく、被告人のこの供述自体、重要な変遷を伴う不安定なものであって、体験供述とはいえないこと、②原判決は、補足説明五の2(一)の(3)(判437以下)において、被告人の供述どおりに被害者の遺骨が発見されたかのような認定をしているが、被告人は捜査官の誘導なくして殺害現場及びそこに至る経路を特定できなかった疑いがあり、被告人作成の図面も自らの意思で作成したものか疑問が残ること、③被告人の捜査官に対する供述において、被告人が被害者の遺体にシーツを掛けたとするのは不可解であること、④被害者の両手首から先及び両足首から先の各骨が発見されていないのに、被告人は捜査官に対する供述においてこの点に触れていないことに照らし、同事件に関する被告人の捜査官に対する供述は信用性に欠けるというのである。
(2)ア そこでまず、所論①についてみると、被告人は、捜査官に対する供述において、原判決が補足説明三の1(七)の(五)②及び③で摘示するとおり(判180以下)、被告人が被害者の首を絞めて殺害した後に、同女の上着、運動靴、半ズボン、パンツを脱がせて裸にし、左手指で性器を開いて、右手中指を性器の中に入れ、深さを確かめたりしながら三〇秒くらい性器を触っていると、同女の遺体の両足が突然ビクビクと動いた旨述べている(乙43号)のに対し、埼玉医科大学法医学教室教授の医師渡辺博司は、原審公判において、原判決が補足説明五の2(二)の(2)で摘示するとおり(判449以下)、窒息、首絞めの場合にはときによるとけいれんを起こすということは法医学の書物にも書いてあるし、急激な酸素不足のときにけいれんが起こるのはあってもおかしくない旨証言しているところ、所論は要するに、渡辺医師は殺害行為の最中に起こるけいれんについて証言しているのに対し、被告人のこの供述は、殺害行為の後に被害者の着衣を脱がせた上、性器を触り始めて三〇秒くらいしてからけいれんが起こったというものであって、被告人のこの供述は渡辺医師の証言によって裏付けられることにはならないというのである。
しかしながら、同医師のこの証言は、所論のように殺害行為の最中に起こるけいれんに限定するものではなく、首絞め等により急激な酸素不足が生じたときにけいれんが起こってもおかしくないとする趣旨であることは、その証言内容から明らかである。しかも、この証言によると、同医師は、警察から、丙野春子事件についての被告人の自供内容が法医学の観点からみて説得的であるかどうかについて意見を求められ、その供述に基づき調書が作成されたことが認められるのであり(なお、この供述調書は原審検察官が甲425号として証拠調べ請求したが、被告人(原審弁護人)が不同意の意見を述べたために請求が撤回されている。)、同医師はその証言においても被告人のこの供述を前提としていることが明らかである。そうすると、この証言は、被告人のこの供述が法医学の観点からみても矛盾はないとする趣旨を含むものと解されるのであるから、被告人のこの供述の信用性を裏付けるものである。したがって、この所論は理由がない。
イ なお、弁護人は、この点に関する被告人の捜査官に対する供述は重要な変遷を伴う不安定なものであって、体験していないことを語ったものであるとも主張する。しかし、所論が指摘する変遷とは、被告人が一貫して供述するところの被害者の両足の動きについて、「ピクッと動いたことを覚えています」(平成元年九月四日付け司法警察員調書・乙172号)、「動いたのです。私は動いたように感じたのかもしれませんが、このときは動いたと思いました。」(同月二七日付け司法警察員調書・乙37号)、「ビクッと動いたように感じ」(同月二九日付け司法警察員調書・乙38号)、「突然ビグビグと動いたのです」(同年一〇月二日付け司法警察員調書・乙40号)、「突然ビクビクと動きました」(同月三日付け検察官調書・乙43号)とそれぞれ供述している点にとどまり、これらは表現の仕方が微妙に異なるものの、いずれも被害者の両足がけいれんするように動いたという点において一貫しており、被告人が感知したところを記憶に基づいて供述していると解されるのであって、その信用性に影響を及ぼすような重要な変遷があるとはいえないから、弁護人のこの主張は前提を欠くというほかない。
(3)ア 次に、所論②は、帰するところ、関係各証拠に照らすと、被告人の指示によって被害者の遺骨が発見されたとすることには疑問があるというのである。
そこで検討するに、原判決は、補足説明五の2(一)の(3)(判438)において、平成元年九月六日、被害者の殺害現場の検証に際し、被告人が捜査官を案内して、いったん現場付近のY字路で迷いながらも、東京都西多摩郡五日市町内の原判示の山林内に至り、殺害場所を指示したことから、捜査官が、被告人の指示した地点周辺を捜索したところ、被害者の靴、キーホルダー付き鍵、ピンク色長袖ブラウス、黄色半ズボン、白色パンツを発見し、さらに、同地点から約六〇メートル余り南方の地点において、被害者の頭蓋骨等おおよそ一体分の人骨を発見するに至ったと認定した上、同(一)の末尾(判440)において、被告人の捜査官に対する供述によって被害者の遺骨が発見されて殺害現場が特定されるに至ったと説示するところ、この前段部分の認定は関係各証拠により優に肯認することができる。また、関係各証拠を精査しても、捜査官が被害者の遺骨や着衣等を事前に発見していたことを窺わせる状況はなく、前記(二)の(5)認定のような遺骨等の発見場所の位置関係、とりわけ被害者の自宅から遠く離れ、山中深く分け入った山林内であることに照らすと、被告人の指示なくして捜査官が被害者の遺骨や着衣等を発見することは不可能であったと認められるのであり、被告人の指示や現場図面の作成に際し、捜査官の誘導があったことを窺わせる状況は全く存在しないのである。したがって、原判決の上記後段部分の説示も正当として是認することができる。
イ この点、弁護人は、Y字路で迷うことは現場付近に少なくとも三回来ていた被告人としてはあり得ないし、被告人が指示した殺害現場が警視庁に対するものと埼玉県警に対するものとで六〇メートル余り離れているということもあり得ないことである旨主張する。そして、関係各証拠によれば、平成元年九月六日に警視庁により実施された本件犯行現場についての検証に際し、被告人は、秋川街道から今熊神社の鳥居をくぐって約九〇〇メートル進行した地点にある今熊神社方面と前記東京電力新多摩変電所方面とに分岐するY字路において、被害者殺害現場に至る道として最初に今熊神杜方面を指示して一二〇〇メートル余り進行した後に前記変電所方面に訂正していること(甲416号、413号参照)、被告人が被害者を殺害した現場として同日指示した地点(以下「甲地点」という。)と同年一〇月五日に埼玉県警察本部所属の警察官に指示した地点(以下「乙地点」という。)とが約六三メートル離れていたこと(甲414号)が認められる。
しかしながら、被告人は、前記1(二)認定のとおり、この山林内において、昭和六三年八月二二日に乙野花子を、同年一〇月三日に被害者をそれぞれ殺害しており、関係各証拠によれば、平成元年一月中旬ころ両名の遺骨を捜すためにこの山林内に立ち入り、その後は立ち入ったことのないこと、このY字路は進行してきた道路から見て左右に近似した角度で分岐する道標のない交差点であること(甲413号)が認められるとともに、被告人は、この山林を含む山一帯には、小学校のころに遊びに行ったり遠足に行ったりしたほか、犯行の一、二年前に友人と遊びに行ったことがある程度であったことが窺われるのである(乙野花子事件関係で取り調べられた乙16号参照)。しかも、被告人が、同年九月六日付け司法警察員調書(乙173号)において、このY字路で迷った理由につき、このY字路のことを今まで思い出すことができなかった、私は春子ちゃんを山の中に連れて行くことに集中していたから周りの光景等を見る余裕がなかった、現場に行くまでに記憶しているポイントは鳥居、車をUターンさせる余裕のある道の行き止まり、山道という程度であり、今日案内して気が付いたり思い出したりしたと説明しているところ、この説明は前記認定のような現場の状況、被告人がそれまでに現場付近に行った経験や目的等に照らすと納得のいくものである。さらに、被告人がこのY字路で迷った後に捜査官を被害者の遺骨や着衣等のある現場まで実際に案内していることも考慮すると、被告人がこのY字路で迷ったことが不自然ないし不合理であるとはいえない。
また、関係各証拠によれば、この山林は、同年九月六日の時点では、桧や杉の林の中に樅の木や細い木々が点在するほか、地面には枯れ葉や枯れ枝が堆積し、野草が多数自生する状況にあった(甲416号)が、同年一〇月五日の時点では、立木のほかは雑草等が刈り取られ、地肌が見える状態となっており、地勢や立木以外には目印となるべき物がなかったこと(甲415号)、甲地点付近からは被害者の前記着衣、靴及びキーホルダー付き鍵が発見され、乙地点付近からは被害者の頭蓋骨を含む骨及び歯牙がおおよそ一体分発見されたことが認められる。そして、被告人自身、同月七日付け検察官調書(乙46号)において、被害者を殺害した現場は、乙野花子を殺害した場所よりももっと奥に入り、少し急になった斜面を左の方にカーブする感じで五、六〇メートル下りた所の広くなった斜面というよりは平らになっている林の中であったという程度の記憶しかなく、その林の中でここだという目安になるものはなかった、同年一月中旬ころに被害者と乙野花子の遺骨を拾いに行った際に、辺りの様子が殺害時と少し変わっているなと思った、被害者については同女の遺体に掛けたシーツしか発見できなかったなどと供述しているのであり、このような比較的あいまいな被告人の場所的記憶に照らすと、現場の状況が一変し、地勢や立木以外に目印となるものがない状況下で、被告人が殺害現場につき着衣等と遺骨の各発見地点の間で迷うのもやむを得ないところと考えられる。しかも、被告人がこの検察官調書で、記憶を喚起した経緯や理由、被害者の着衣等及び遺骨の各発見地点が離れている理由等について説明を加えていることも考慮すると、被告人が指示内容を変更したことに特に不自然な点は窺われないのである。
ウ したがって、この所論はすべて理由がない。
(4) 所論③は、要するに、被告人が被害者の遺体にシーツを掛けたとする被告人の捜査官に対する供述の内容は不可解であるというのであるが、この所論が理由のないことは、前記(二)の(5)でみたとおりである。
(5) さらに、所論④についてみると、関係各証拠によれば、前記山林内から被害者の頭蓋骨を含む骨及び歯牙がおおよそ一体分発見されたが、両手及び両足の指骨、手根骨及び足根骨が発見されていないこと(甲420号)が認められるところ、被告人が捜査官に対する供述においてこの点に関する供述をしていないことは所論指摘のとおりである。
しかしながら、司法警察員作成の解剖立会報告書(甲420号)、吉野峰生作成の鑑定書(甲423号)及び証人吉野峰生の原審公判における証言によれば、被害者の遺骨のうち、両手及び両足の指骨、手根骨及び足根骨だけでなく、頚椎一個、腰椎二個、仙骨一組及び橈骨一個も不明であること、発見された腰椎、胸骨柄、鎖骨、腸骨及び四肢骨長幹の近位及び遠位端部等に損壊が認められ、その周辺部には犬程度の大きさの肉食動物の歯痕と思われる傷が認められることから、これらの損壊はこうした動物による咬傷であると考えられること、四肢骨の両側端が非常に短くなっているのは、途中で噛みちぎられたものと考えられることが認められる。そして、これらの認定事実によれば、被害者の両手及び両足の各先端部は付近に生息する肉食小動物等により食され又は他所に動かされたものと推認されるのであり、そのことは、被告人の全く知り得ないことであるから、被告人が捜査官に対する供述においてこの点に触れなかったとしても何ら不自然とはいえない。したがって、この所論も理由がない。
(6) 以上のとおり、丙野春子事件に関する被告人の捜査官に対する供述の信用性についての所論はいずれも採用することができない。
(四) 丁野夏子事件に関する所論について
(1) 所論は、丁野夏子事件に関し、①原判決は、補足説明五の2(二)の(3)(判450以下)において、丁野夏子(以下、(四)の項において「被害者」という。)が殺害時に大便を漏らすなどしたとする被告人の捜査官に対する供述について、体験した者でなければ語り難い内容であると判示するが、その供述経緯に照らし、捜査官の誘導による可能性があること、②原判決は、補足説明二の5(三)の(2)②(判117以下)及び五の2(三)の(1)(判458)において、被告人が被害者殺害直後に車の右前輪を脱輪させて走行不能にした事実は客観的な証拠等によって裏付けられる事実であり、この事実に基づき追及を受けて被告人が自供したと認定しているが、被告人がその場で脱輪させたことを直接に裏付ける証拠はなく、この点に関する被告人の捜査官に対する供述は、あいまいで矛盾ないし変遷しており、捜査官の誘導に基づくものであること、③被害者を殺害した状況に関する被告人の捜査官に対する供述は変遷しているのにその理由についての説明がないこと、④被告人の捜査官に対する供述は、誘拐行為の核心部分について不明確であること、⑤被告人の捜査官に対する供述は、誘拐現場で車を止めた位置について不自然に変遷していることに照らし、同事件に関する被告人の捜査官に対する供述は信用性に欠けるというのである。
(2)ア まず、所論①は、要するに、捜査の経緯及び被告人の供述の変遷状況に照らすと、被害者の失禁やおう吐に関する被告人の捜査官に対する一連の供述は、捜査官の誘導によるものか、被告人の思いつきによるものといわざるを得ず、体験供述とみることはできないというのである。
イ そこで、まず被告人の供述経過をみると、被告人は、丁野夏子事件の本格的取調べが始まる前の平成元年九月一日付け検察官調書(乙59号)では、被害者が尿をたくさん漏らして死んでいたとのみ供述していたが、同事件で逮捕された同月二九日付け(乙51号)及び同年一〇月九日付け(乙54号)各司法警察員調書では、被告人が所有し同事件の犯行にも使用した原判示の普通乗用自動車(以下「被告人車両」ともいう。)の中で被害者を絞殺した後、車内で変な臭いがした、座席に汚い物が着いていたので、糞かあるいは口から吐いた物と思い、被害者の衣類で拭いて投げ捨てたなどと供述するに至り、さらに、同月一三日付け検察官調書(乙61号)並びに同月一五日付け(乙56号)及び同月一六日付け(乙58号)各司法警察員調書では、人尿を漏らした跡があり、吐物も漏らしたかもしれないと述べる一方、被害者が大便を漏らして車内に臭いがこもり被告人がこれを拭きとった状況などについて詳細に述べ、とりわけ乙58号調書では、大便の着いた座席シートを帰宅後湯や石けんを使って洗ったとも述べるに至っている。
他方、関係各証拠(甲546号、547号)によると、捜査機関は、同年八月三一日までに、鑑定等により、被害者の遺体及び着衣や靴に吐物が、パンツに人尿がそれぞれ付着していたが、肛門の周囲に糞便等の付着はなく、被告人車両の後部座席シートについて実施された体液付着の各検査結果がいずれも陰性であったとの情報を得ており、さらに、同年一〇月一三日には、上記シートに人尿、糞便及び吐物のいずれの付着も証明されないとの鑑定結果を得て、専門家の意見も聴いて、同月一五日付けで、糞便や人尿が座席シートに付着したが検出されない原因についての検討結果を記載した捜査報告書(乙547号)を作成していることが認められるのである。
以上のような被告人の供述経過と捜査の経緯とを照らし併せると、被告人は、被害者が漏らしたことについて客観的裏付けのある吐物や人尿ではなく、客観的裏付けのない大便について特に印象の強い出来事として詳細に供述し、これを受けて、捜査官側で、この供述が他の証拠と矛盾しないかを検討しているのであるから、その間に捜査官による誘導が行われたものとは認められない。しかも、被告人が大便の形状や車内にこもった臭い、大便を拭きとった状況等について詳細で生々しく供述していることからすると、捜査官の誘導や被告人の思いつきでこのような臨場感に富む供述をするとは考えにくい。さらに、被告人が被害者と同様の方法で絞殺した乙野花子、丙野春子及び戊野秋子については大便を漏らしたと述べていないことも併せ考慮すると、原判決が被害者の失禁やおう吐に関する被告人のこの供述について体験した者でなければ語り難い内容といえるとした判断は正当として是認することができる。
ウ なお、ここにみたとおり、被害者の肛門の周囲に糞便等の付着がなく、その着衣等や被告人車両の後部座席シート等にも糞尿等の付着の証明がないなど、被害者が大便を漏らしたことを客観的に裏付ける証拠は存在しない。しかし、被告人は、乙61号調書等において、被害者の衣類とポケットティッシュで大便の付着した後部座席シートと被害者の肛門の辺りをきれいに拭き取った、大便を拭き取るのに使った被害者の衣類が具体的に何であったかは覚えていないが二、三着だったような気がする、大便を拭き取ったティッシュペーパーや衣類を他の被害者の衣類等とともに自分の車のそばのガードレールの向こう側に全部投げ捨てたと述べているところ、関係各証拠によれば、被害者の本件犯行当時の着衣のジャンパー、ハイソックス左右及び布巾着は、本件犯行場所である駐車場を管理する埼玉県立名栗少年自然の家の女性職員がこの投棄場所付近からゴミとして拾って焼却したことが認められる(甲471号)。しかも、同職員が、この衣類等を拾い上げる際に汚れや臭い等には気付かなかったと述べる一方、衣類等を拾った場所は、弁当の残り物なども捨ててあり、いつもゴミの臭さを感じる所であったとも述べているのであって、この衣類等に大便が付着していた可能性も十分考えられる。そして、被告人は、前にみたとおり、乙58号調書では、大便の着いた座席シートを湯や石けんを使って洗ったとも述べており、被告人車両の後部座席シートを検査したのが事件から八か月余りも後のことであり、前記捜査報告書(甲547号)及び田嶋敏彰作成の鑑定書(甲546号)によれば、人尿や糞便が付着していても、それらが極めて微量であるか、経時変化による変性ないし分解、拭き取りや洗浄等の人為的要因により検査成績が陰性になることもあり得ると認められることも考慮すると、被害者が大便を漏らしたことについて、これを客観的に裏付ける証拠がなくても、同事実に関する被告人の捜査官に対する供述を体験的供述と評価する妨げとなるものではない。
エ したがって、この所論は理由がない。
(3) 次に、所論②は、要するに、被告人が被害者の遺体発見の現場付近で被告人車両を脱輪させたことを直接に裏付ける証拠はないとして、この点に関する被告人の捜査官に対する供述は、あいまいで矛盾ないし変遷しているとか、捜査官の誘導に基づくものであるなどとして、その信用性に欠けるというのである。
しかしながら、被告人の捜査官に対する供述を除く関係各証拠により、被害者が昭和六三年一二月九日午後四時三〇分ころに埼玉県川越市内の原判示の自宅付近から行方不明になったこと、同月一五日に、原判示の「埼玉県立名栗少年自然の家」駐車場付近から散乱している被害者の行方不明になった際の着衣等が、同駐車場から約五〇〇メートル離れた同県入間郡名栗村の原判示の道路付近の杉林内からは被害者の遺体がそれぞれ発見されたこと(甲475号、481号)、同月二九日、同杉林付近の道路で鈴木裕及び菅沼仁が立ち会って実況見分が行われ、この両名が指示した側溝の南側側面に擦過痕及びタイヤ痕が発見されたが、両名は、「同月九日夜に前照灯をつけた車が止まっていた。その車の前まで行って見たところ、前輪右タイヤが側溝に落ちていたので止まった。車から降りたが車には誰もいなかった。車の方に行こうとした時、急に男が出てきたのでびっくりした。鈴木がバックで動かせば上がると思ったので運転した。このとき、菅沼と男とで車を持ち上げた。すぐに車が上がり、男はすぐに車に乗って行ってしまった。」などとこの痕跡に関して指示説明したこと(甲548号)、その後、この痕跡から窺われる脱輪した車のタイヤの種類と被告人車両に装着されたタイヤの種類が符合し(甲556号、561号、564号)、また、この痕跡から窺われる車の脱輪状況と被告人車両に残る損傷から窺われる脱輪状況とが符合すること(甲565号、569号)が判明したこと、被害者の遺体が発見された場所はこの痕跡から杉林の中に約8.8メートル入った斜面上であったこと(甲548号)、被害者の裸体が撮影された写真のネガフィルムが被告人の供述に基づき被告人の自宅の物置内から発見された(甲538号、734号)が、その背景に写っているシートは被告人車両のシートと同種のものであったこと(甲544号)は明らかである。そして、これらの事実からすると、被告人が、被害者を前記駐車場で殺害した後、その遺体を被告人車両に積んで運搬中に、同駐車場から約五〇〇メートル離れた道路側溝に同車の右前輪を脱輪させて走行不能となったため、同所から約8.8メートル離れた杉林の中に遺体を置き去りにしたことが優に認められるのであり、被告人の捜査官に対する供述は、このような客観的証拠により認められる事実とよく符合し、これらにより裏付けられているのである。そうすると、被告人が遺体発見現場近くで被告人車両を脱輪させたことに基づき追及を受け丁野夏子事件を自供したとする原判決の認定は、これをすべて肯認することができるのであって、その間に不当な取調べがあったことを窺わせる状況は存在しない。
また、弁護人は、被告人の捜査官に対する供述が脱輪後の車の状態や車を上げた状況についてあいまいで変遷しているとも主張するが、被告人の前記供述によれば、被告人は、被害者の遺体を遺棄する場所を探そうとしたところ、突然被告人車両が脱輪したため付近に遺体を遺棄して車に戻ったが、予期に反して見知らぬ男二人が同車のそばにいたというのであり、被告人にそのような状況の下で焦りと狼狽から記憶の一部にあいまいさが残ることはごく自然なことであり、弁護人指摘の点も、このような被告人の記憶のあいまいさに基づくものとして理解することが十分可能である。しかも、被告人が脱輪状況について述べるところは、細部はともかく根幹部分で一貫しており、原審段階においても、原審鑑定人保崎秀夫に対し、「おじいさんに呼び止められ、車がガクンとなって止まった」、「どぶか溝か分からぬががくっとなって、近くに斜面があって、甘い斜面でおじいさんが呼び止めて」などと本件犯行の際の脱輪の事実を認めるような供述をしているのである。したがって、この脱輪状況に関する被告人の供述に弁護人指摘のようなあいまいさがあるとしても、その信用性に影響を及ぼすものとはいえない。
したがって、この所論も理由がない。
(4) 所論③は、要するに、被害者を殺害した状況に関する被告人の捜査官に対する供述は、まず、被害者が仰向けになった経緯について、当初は、被告人が仰向けに押し倒したと述べていたのに、後に、ずるずると私の方に滑って仰向けになったと述べるに至り、また、その際の被告人の体勢についても、当初は、両膝を立てていたと述べていたのに、最終的には、左足を被害者の右足の外側に立て膝をして右足は後部座席前方の床に置いていたと述べるなど、合理的な説明もなく変遷しているから、その信用性には疑問があるというのである。
そこで検討するに、被告人は、被害者を絞殺した際の状況について、平成元年一〇月九日付けの乙54号調書では、被告人車両の後部座席で、被害者の正面から両手を伸ばして首に当てながら被害者を仰向けに倒して首を絞めて殺した、自分は被害者の上に馬乗りとなるような格好で両膝を立てて、両手の親指が交差して被害者の喉の正面に当たるようにし、他の指が首を巻くようにして、両手に体重をかけて力を入れて四、五分間絞め続けた旨供述し、同月一〇日実施の被告人による犯行再現の状況を記載した同月一三日付け実況見分調書(甲602号)では、被害者を仰向けに押し倒し、左足を被害者の右足の外側に立て膝をして右足は後部座席前方の床に置き、馬乗りの状態で被害者の首を絞めた両腕に体重をかけて五分くらいしたら動かなくなった旨指示説明し、同日付けの乙61号調書では、首を正面からつかみ、絞めながら上から下の方へと押えつけた、被害者の体はずるずると自分の方に滑ってシートの上に仰向けになった、自分は右足を後部座席右側の床に置き、左足で被害者の体を跨いで左膝を後部座席のシートの上に突いて、被害者の上に覆い被さるような格好で被害者の首を絞め続けた旨供述しているのである。
そしてまず、所論中前者の供述変遷の点に関しては、絞殺前の被害者の体勢について、被告人は一貫して被告人車両の後部左側ドアに背中をもたせかけて両足を後部座席シートの上に投げ出すような格好で腰掛けていたと述べているのであるから、このような被害者の体勢に照らすと、乙54号調書及び甲602号調書中の被害者を仰向けに押し倒したとする供述ないし指示説明と、乙61号調書中の被害者の首を正面からつかみ、絞めながら上から下の方へと押えつけ、被害者の体がずるずると滑ってシートの上に仰向けになったとする供述とは矛盾するものではなく、同じ状況を別の言葉で表現したものとみることができる。
また、後者の供述変遷の点に関しては、確かに所論指摘のとおり、絞殺時の被告人の体勢について、被告人は、乙54号調書では、被害者の上に馬乗りとなるような格好で両膝を立てていたと述べているのに対し、甲602号調書では、左足を被害者の右足の外側に立て膝をし右足は後部座席前方の床に置き、馬乗りの状態となったと指示説明していて、若干の食い違いがみられる。しかし、食い違いがあるのは被告人の右足の姿勢に関する部分にとどまり、被告人が被害者の身体をまたいで馬乗りの状態となったことについては供述が一貫しているところ、当時被告人が被害者を殺害しようとして興奮状態にあったことが窺われることも考慮すると、同月一〇日に実施された犯行再現に際して、被告人が犯行時と同様の行為を実際に再現してみて正確な記憶を喚起したものと考えられるから、このような食い違いの存在が被告人の捜査官に対する供述全般の信用性に影響を及ぼすものとはいえない。
したがって、この所論も理由がない。
(5) 所論④は、要するに、被告人の捜査官に対する供述は、被害者に対する誘いかけの言葉やあやし方という誘拐行為の核心部分について不明確であって、その信用性に乏しいというのである。そして、所論が指摘し、原判決も補足説明五の1(二)の(1)③で説示するとおり(判424)、被告人が捜査官に対して述べるところの被害者を誘拐した際の誘いの言葉や走行中の車内におけるあやし方等は、被害者に「暖かい所に寄っていかない」と話し掛けて車内に誘い込み、ラジオの選局ボタンを押させて遊ばせるなどしたり、「一回りして帰ろうね」と話し掛けるなどして殺害現場まで連れ去ったというもので、やや単純な感もしないでもない。
しかしながら、前記1(二)で認定したとおり、被害者が見ず知らずの被告人の運転する車に乗り込み、埼玉県川越市内の被害者方近くから同県入間郡名栗村内の前記「埼玉県立名栗少年自然の家」駐車場までの約五一キロメートルも走行する同車に同乗した上、同所に駐車した被告人車両の後部座席で全裸となりその陰部を中心とする写真撮影をされ、その間に、他人の不審を招いた形跡が窺われないことを考慮すると、実際には、被告人が述べるところに加えて更に巧みな誘い掛け等がされたのではないかと疑われるのであり、このことは、犯情において悪質とみられる要素をできる限り否定しようとする被告人の態度を窺わせるものである。そうすると、所論指摘の被告人の捜査官に対する供述内容のあいまいさは、被告人のこのような供述態度を窺わせるものとして、被告人が自己に不利益な事実を承認した供述部分の信用性にまで疑問を生じさせるものとはいえないことは、前記(二)の(2)で乙野花子事件に関する供述についてみたのと同様である。
したがって、この所論も理由がない。
(6) さらに、所論⑤は、要するに、被告人の捜査官に対する供述は、誘拐現場で車を止めた位置について不自然に変遷しているから、信用できないというのである。そして、関係各証拠によると、被害者の自宅のあった原判示の川越グリーンパークB1号棟及びその北側に位置するA1号棟はいずれも東西に長い南向きの集合住宅で、この両棟の東側には小学校があり、両棟と小学校の間には南北に走る歩道の付設された道路があることが認められるところ、被告人は、被害者を誘拐する直前に被告人車両を停止させたこの道路上の位置について、同年九月二九日付けの乙51号調書添付の図面では、この両棟の間付近であるように図示していたのに、同年一〇月八日付け司法警察員調書(乙53号)添付の図面では、B1号棟の東側南寄りであるように図示し、また、同月一一日実施の検証結果を記載した同月一五日付け検証調書(甲600号)では、同棟の東側北寄りであるように指示説明し、その理由について、同月一一日付け司法警察員調書(乙132号)において、今日行ってみたところ、前に書いた図の位置よりも少し前方だったことが分かった旨供述し、さらに、同月一三日付けの乙61号調書添付の図面では、同棟の東側中央寄りであるように図示している。
このように、誘拐前に車を止めた位置に関する被告人の供述は微妙に変遷しているが、その食い違いは同検証調書に照らすと最大二〇メートル前後にとどまるものと認められる。しかも、被告人が本件犯行時を除いてはこの現場付近に赴いたことを窺わせる証拠はなく、被告人の供述する犯行状況に照らしても、被告人が被告人車両の停止位置について細かく気を配るなどして特に銘記すべき状況は見当たらない。さらに、同検証時に現場に行ってみたところ記憶を喚起したという供述変遷の経緯にも不自然な点のないことも併せ考慮すると、被告人の供述のこのような変遷は、その信用性に影響を及ぼすものとはいえない。
したがって、この所論も理由がない。
(7) 以上のとおり、丁野夏子事件に関する被告人の捜査官に対する供述の信用性についての所論はいずれも採用することができない。
(五) 戊野秋子事件に関する所論について
(1) 所論は、戊野秋子事件に関し、①原判決は、補足説明五の2(二)の(4)①、②、⑤及び⑥(判451以下、455以下)において、戊野秋子(以下、(五)の項において「被害者」という。)を殺害するまでの経緯、被害者の遺体を自宅へ運搬した際の心理状態、被害者の遺体を切断してバラバラに捨てた理由及び被害者の遺体の頭部を捨て直した理由に関する被告人の捜査官に対する供述は体験した者でなければ語り難い内容であると判示するが、いずれも実際に体験した者でなくても容易に語り得る内容であること、②被害者の遺体切断に使用した道具についての被告人の捜査官に対する供述は、警察官に誘導されたもので、客観的裏付けにも欠けること、③被害者の両手両足部を御嶽神社に投棄したとする被告人の捜査官に対する供述は、客観的裏付けを欠くだけでなく、原判決が補足説明六の3(判481以下)で判示するところのこの供述が信用できるとする理由付けも説得力に欠けること、④被害者の頭蓋骨等の発見状況は犯跡の隠ぺいとは程遠く、この頭蓋骨に脳硬膜が付着していなかった点は、被告人の捜査官に対する供述と符合せず、被告人の原審供述に適合するものであること、⑤被告人の捜査官に対する供述中の被害者を誘拐した状況や被害者殺害を決意した経緯は不自然であり、原判決も、この点の自白を採用していないことに照らし、同事件に関する被告人の捜査官に対する供述の信用性は明確に否定されるというのである。
(2) まず、所論①は、要するに、原判決が補足説明五の2(二)の(4)①、②、⑤及び⑥(判451以下、455以下)で被告人の体験供述であるとして摘示する被告人の捜査官に対する供述はいずれも体験した者でなければ語り難い内容であるとはいえないというのである。
しかしながら、この補足説明①摘示の供述部分は、被害者を殺害する場所を決めるに至る経緯、とりわけ、殺害場所として被告人車両をいったん駐車場に止めたところ、別の車が一台入ってきたために場所を移し、一台分の駐車スペースのある道路脇に車を止めて被告人を殺害した経緯について、同②摘示の供述部分は、被害者の遺体を自宅に運搬した際の心理状態、すなわち、過去に自分の自動車にいたずらされたとの被害届を駐在所に提出した際の経験を踏まえ、被告人が、被害者の所在不明の届けが先で、事件としての捜査はその後であると予想して自動車検問を受けることはないと考えたことについて、同⑤摘示の供述部分は、被害者の遺体を切断してバラバラに捨てた理由、とりわけ、乙野花子事件と同一の埼玉県に住む犯人によることを窺わせて捜査を同県内に引き付けるために、身元の判明しにくい胴体を被告人の母親や好きなタレントの名前によるパズル的発想から宮沢湖霊園に捨てた経緯について、同⑥摘示の供述部分は、被害者の遺体の頭部を捨て直した理由、すなわち、頭部が発見されて髪の毛のDNAから身元が判明することが心配になり、頭部を拾ってきて髪の毛をむしり取り頭蓋骨を洗って奥多摩に捨て直したことについてのものであるところ、いずれも詳細で具体的かつ明確に語られ、迫真性や臨場感にも富み、他の供述との一貫性も有しており、前記1(二)で認定した被告人の当時置かれていた状況ないし被告人の性格や趣味にも符合しているとともに、被告人自身のかつての経験に裏打ちされたものであって、所論指摘の点を考慮して検討しても、原判決がこのいずれの供述部分も体験した者でなければ語り難い内容であるとした判断はいずれも肯認することができる。
したがって、この所論は理由がない。
(3) 所論②について検討すると、被告人の捜査官に対する供述は、両刃の鋸と刃物様の物を併用したことでは一貫しており、とりわけ、被告人が被害者の遺体を切断するのに自宅の物置から取り出した両刃の鋸を使用したとの供述は、被害者の各骨の切断痕が手引き鋸によって形成され、左前腕骨の尺骨側には厚みが約0.8ミリメートルでナイフ状の鋸目を持った鋸で形成されたと思料される切削痕があるとする内容の高橋豊治作成の鑑定書(甲663号)に加え、被告人方の物置には工具類が数多くあり、その中には平成元年八月一五日に捜査機関に発見されて押収された全長が六〇センチメートルくらいの柄が木製で普通の形の手引き両刃鋸のほか、それより全長が一〇センチメートルくらい、柄の長さが七、八センチメートル短い柄が木製で普通の形の手引き両刃鋸や同月一〇日に被告人の父親が任意提出した全長約27.2センチメートルで柄がプラスチック製の手引き両刃鋸もあったが、被告人の家族もこれらの工具類のすべてを知っていたわけではないとする趣旨の甲野梅子の検察官調書(甲724号)によって客観的に裏付けられている。
なお、弁護人は、被告人が同月一二日に作成した同月二五日付け司法警察員調書(乙109号)添付の鋸及び両刃の刃物の図面について、大峯警部補からあらかじめ作成された図面を見せられてそれを基に作成したものである旨主張し、被告人も、当審公判廷において、この主張に沿う内容の供述をする。しかしながら、被告人は同月一二日作成のこの図面において全長六〇センチメートルくらいの手引き両刃鋸を図示しているところ、被告人の同月九日付け司法警察員調書(乙135号)及び甲野梅子の前記甲724号調書によれば、被害者の遺体を切断した道具について、被告人が同日「物置に置いてあった両刃鋸とやはり自宅にあった刃物様のもの」と供述したことから、警察が被告人の父親に協力を求めて同月一〇日に被告人方保管の両刃鋸の任意提出を受けたが、この鋸は全長が約27.2センチメートルで柄がプラスチック製の小型のものであり、同月一五日に至って被告人方物置から全長約六〇センチメートルの柄が木製で普通の形の両刃鋸が発見領置されたことが認められる。このような捜査の経緯に照らすと、大峯警部補があらかじめ全長約六〇センチメートルで柄が木製の両刃鋸の図面を作成して被告人に示すことはあり得ないというべきである。しかも、被告人が当審に至りこのような供述をするに至った理由について何ら合理的な説明をしないことも考慮すると、被告人のこの当審供述は到底信用することができない。
また、弁護人は、同月一三日に実施された実況見分の結果を記載した同月一八日付け実況見分調書(甲673号)において、被告人が被害者の遺体を切断した両刃鋸を秋川の川原に投棄した際の状況について「ヒラヒラと落ちました」と指示説明したのは常識的に考えてその表現自体不自然である旨主張するが、被告人の供述するところの全長約六〇センチメートルで刃幅の広いというこの鋸の形状、秋川の土手から下り斜度約四五度で幅約3.7メートルの護岸斜面の先の雑草の生い茂った川原に向けて投げ捨てたという投棄の状況等に照らすと、この鋸がヒラヒラと落ちるように見えることもあり得ると考えられるから、弁護人のこれら各主張はいずれも理由がない。
イ 他方、刃物様の物についてみると、被告人が同年八月九日付けの乙135号調書では「自宅にあった刃物様の物」、同月一二日付けの司法警察員調書(乙67号)では「外の物置にある両刃の刃物様の物」と供述し、同日付け図面(同月二五日付け司法警察員調書(乙109号)添付のもの)では長さ一三センチメートルくらいの黄色っぽい色で木製と思われる柄に鉄製の全長三〇センチメートルくらいの刃物と図示し、同月一三日付け検察官調書(乙140号)では「物置にあった両刃の刃物」と供述し、乙109号調書では「ヤスリに刃を付けたような形の両刃の刃物を物置の工具箱から見付けた」と供述していたが、同月二九日付け検察官調書(乙77号)では、ヤスリに刃を付けたような形の両刃の刃物だったような気もするし、両刃ではなく片刃だったような気もしてその形をはっきり思い出すことはできない旨供述し、同月三〇日付け司法警察員調書(乙138号)では「ヤスリに刃の付いたような刃物」と供述し、同年九月一日付け検察官調書(乙143号)では、首の後ろの肉を切り掛けた刃物がどのような形だったかどうしても思い出せないとしつつ、この刃物は片手で握るような一〇センチメートルくらいの木かプラスチック製の柄が付いており、刃の長さは一五センチメートルくらいで刃はそんなに分厚くはなかった記憶であり、刃の幅がどのくらいか思い出せないし、刃は片刃だったと思うが、その形は思い出せない旨供述しているのである。
このように、両刃の鋸とは別に被害者の遺体切断に使用した刃物についての被告人の供述は、当初から「刃物様の物」というあいまいな内容にとどまり、その後の供述経過もやや一貫性に欠けるものではある。しかし、被告人が両刃の鋸以外の刃物も併せて使用したことについて、捜査機関が事前に探知していたことを窺わせる状況は全く存在しないし、被告人が述べるこの刃物の特徴は、長さ一〇ないし一三センチメートルくらいの木製かプラスチック製の柄が付き、刃の長さが一五センチメートルくらいのヤスリに刃を付けたような刃物であることではおおむね一貫している。しかも、被告人は、これを使用した状況について一貫して、この刃物で被害者の首の後ろの肉を切り始めたが、刃を押したり引いたりするのに合わせて肉が動くのが気持ちが悪くなったので鋸に替えたと供述していることも考慮すると、この刃物に関する被告人の供述がこのようにあいまいでやや一貫性に欠けるとしても、それは、この刃物の形態等についての被告人の記憶がもともと不確かであったためと考えられるのである。そして、捜査官が被告人に対しこの刃物についての供述を強いて押し付けたような状況は全く窺われないから、被告人の捜査官に対する供述自体の信用性に影響を与えるものとはいえない。
ウ したがって、この所論も理由がない。
(4) 所論③は、要するに、原判決が、「認定した事実」第六の項中二の3(判31以下)において、被告人が切断した被害者の両手部及び両足部をその頭部とともに原判示の杉林内に投棄したと認定した点について、この認定に沿う内容の被告人の捜査官に対する供述は、客観的裏付けを欠くばかりでなく、原判決が補足説明六の3(判481以下)で判示するところのこの供述が信用できるとする理由付けも説得力に欠けるから、その信用性には疑問があるというのである。
しかしながら、原判決が、補足説明六の3(判481以下)において、file_5.jpg被告人の指示ないし案内により、被害者の頭蓋骨や下顎の骨、乙野花子の遺骨の一部、丙野春子の衣類や遺骨等がそれぞれ発見されたこと、file_6.jpg被告人が被害者の両手両足部を投棄したと述べる場所や付近の植生、投棄の状況、被害者の年齢や捜索までの期間から、付近に生息する小動物等がこれを他所に動かした可能性も否定できないことに照らし、被告人がこの場所に捜査官を案内した際に被害者の両手両足部が発見されなくても、直ちに被告人のこの供述に疑問があるとすることはできないこと、file_7.jpg被害者の両手両足部の遺棄についての被告人の供述は、その切断及び遺棄の理由が合理的である上、遺棄場所の選定、遺棄状況につき具体的かつ詳細で、捜査段階を通じて一貫しており、被告人は、捜査官に対し、被害者の両手部を食べたなどと述べた形跡のないこと、file_8.jpg被告人の原審供述中の被告人が捜査官に被害者の両手部を食べたことを供述しなかった理由として述べるところは一貫しないこと、file_9.jpg被告人の原審供述によっても、被害者の両手部のみを食べた理由が判然とせず、また、両手の骨まで全部食したとする供述自体不自然であること、file_10.jpg被告人の捜査官に対する供述と原審供述とを対比すると、全体として、前者の信用性が高いと認められるのに対し、後者は到底信用し難いものであることを理由として、被害者の両手両足部の投棄についての被告人の捜査官に対する供述が十分信用できるとした判断は、所論指摘の点を踏まえて関係各証拠に照らし検討しても、すべて正当として是認することができる。しかも、被告人は、戊野秋子事件について初めて自供した直後に作成した上申書(乙99号)添付の図面において、被害者の両手両足部を捨てた場所として既に御嶽神社の参道途中の地点を具体的に図示しており、その後も捜査段階において一貫して同様の供述をしていることも、被告人のこの供述の信用性を裏付けるものということができる。
なお、前記file_11.jpgの点に関し、弁護人は、乙野花子の遺体は死後一年以上経過した後においても殺害場所の山中から両手両足の各指骨が発見されているのに対し、丙野春子の遺体は乙野花子とほぼ同様の期間、同様の環境にさらされていたのに、両手両足部の遺骨が発見されていないことから、被告人が丙野春子の遺体を食したことが推認され、これと同様に、被害者の両手部を食したとする被告人の原審供述は、同女の両手部が発見されないことにより、客観的に裏付けられている旨主張する。しかしながら、前記(三)の(5)で説示したとおり、丙野春子の両手両足部は、その遺骨の状況等から、遺体が放置された現場付近に生息する小動物等により食され又は他所に動かされたことが推認されるのであり、ひいて、切断されて投棄された被害者の両手両足部も、丙野春子の両手両足部と同様、投棄現場付近に生息する小動物等により食され又は他所に動かされたことが推認されるというべきである。そして、被害者の両手部を食したとする被告人の原審供述は、原判決が説示するとおり(判485)、被害者の両手両足部が発見されていないことに乗じて虚偽を述べた疑いが濃厚であり、被告人が両足部を食したと述べないのは、手に比べて骨が大きく足の骨まで食するのはさすがに不可能であると考えたからではないかと疑われるのであって、信用できないのである。
したがって、この所論も理由がない。
(5)ア 所論④は、要するに、原判決は補足説明七の3(二)の(2)(判580以下)において、被告人が被害者の頭蓋骨を水できれいに洗った上、頭蓋骨と下顎骨を道端に別々に遺棄したことについて、被告人が遺体の頭髪等から身元が発覚することを恐れて犯跡隠ぺいの意図に出た行為であり、遺棄した場所も特に発見されやすい場所とはいえないと判示するが、被害者の頭蓋骨等の発見状況は犯跡の隠ぺいとは程遠く、犯跡を隠ぺいしようとしたとする被告人の捜査官に対する供述とは符合しないものであるから、捜査官に対するこの供述の信用性は否定され、原判決の認定も誤りであるというのである。
イ そこで検討するに、関係各証拠(甲676号、691号)によれば、被害者の頭蓋骨は、平成元年八月一〇日に警視庁青梅警察署の西北西図測約11.5キロメートル、同五日市警察署の北西図測約一〇キロメートルの位置で、青梅街道と並行して走る通称吉野街道から一八メートル余り入った東京都西多摩郡奥多摩町梅沢所在の杉林の中から、枯れ枝や枯れ葉が被さった状態で発見され、また、被害者の下顎骨等は、同年九月一日に頭蓋骨発見場所から吉野街道及び青梅街道を約19.2キロメートル西進し、同町河内所在の東京都西部公園緑地事務所管理の坂本園地駐車場から奥多摩湖沿いに更に一七〇メートル余り進行した遊歩道から上り斜面を山側に約2.3メートル上がった地点にある合歓木の山側根元から、枯れ枝が上にのった状態で発見されたことが認められる。このように、各遺棄地点が一九キロメートル余りも離れているほか、いずれも被害者や被告人の自宅や殺害現場からばかりでなく被害者の胴体部の遺棄現場からも遠く離れた地域であり、しかも、頭蓋骨遺棄現場は道路から一八メートル余りも杉林の中に分け入った地点で、下顎骨等遺棄現場は人里離れた奥多摩湖沿いの遊歩道から山側に約2.3メートル上がった地点にある立木の陰に位置していて、所論が指摘するような土中に埋めるとか枯れ枝等で覆うなどしなくても、原判決が説示するとおり(判581)、いずれも発見されやすい場所とは認められず、頭蓋骨や下顎骨等の遺棄の状況も犯跡の隠ぺいを目的とすることが十分窺われるものである。したがって、頭部等が見付かって被害者のものと分かるのが不安になってこのような各場所に捨て直したとする被告人の捜査官に対する供述の信用性はこの遺棄の場所や遺棄の状況によって客観的に裏付けられているということもできる。
ウ この点、弁護人は、被害者の頭蓋骨や下顎骨等が遺棄された場所がいずれも被告人が行こうと思えばいつでも行ける場所であり、しかも、被害者の頭蓋骨に脳硬膜が付着していないことも考慮すると、このような遺棄状況は、遺棄した後も一、二回これらの骨を見に行ったことがある、その目的は、なくなっていないかを見に行くことと、あったらおじいさんをなでてあげようと思ったからであるとする被告人の原審供述と符合するものである旨主張する。
しかしながら、被告人は、検察官の反対質問に対しては、被害者の頭蓋骨の発見場所の写真を示されて、がい骨のようなものが写っている、黄金バットにみえる、誰のものか、骨で分かるわけがないと述べ、下顎骨の発見場所の写真を示されて、写っているものが何であるか分からない、あんな黄色いのも見たことがないと述べるなど、弁護人指摘の供述とは大きく異なる供述をしており、被告人の原審供述の信用性自体に重大な疑問が残る。
しかも、被告人は、捜査官に対する供述において、被害者の頭部を捨て直したり頭蓋骨を洗ったりした理由や状況等について、原判決が補足説明三の1(二)の(8)⑤ないし⑦で摘示するとおり(判266以下)、被告人が髪の毛のDNAから被害者の頭蓋骨であることが発覚することを恐れて、いったん自宅近くに捨てた被害者の頭部を捜して見付け出した上、工場の流し台で頭の骨から髪の毛をむしり取り、頭の骨に付いた皮などを亀の子たわしでゴシゴシこすって洗い落とした、頭の骨の中にはうじ虫が何匹かいた、目や首の穴から頭の中に水道の水を入れてジャージャー洗い流した、頭の骨を洗っていると、顎の骨が外れてしまった、歯からこれが被害者の骨であることが分かるかもしれないと思い、上顎に付いている前の歯を四本くらい手で引き抜いた、頭を夢中で洗ったり、途中で客が来たりして慌てていたので、歯を全部抜き取るのを忘れてしまった、頭の骨と顎の骨や抜き取った歯とは別のウエスに包み、自分の車で出掛けて奥多摩を目指して走り、道路脇の急斜面を下った林の中の木の根元に頭の骨を置き、更に三、四〇分奥多摩湖沿いに走って、駐車場から山道に入り、山の斜面の大きな木の根元に顎の骨と歯を捨てたなどと述べているところ、この供述は(前記認定のような被害者の頭蓋骨や下顎骨等を遺棄した場所や遺棄の状況に沿うものである。
さらに、被害者の死因について捜査段階の鑑定をした石山昱夫は、原審公判において、所論指摘のとおり、頭蓋骨にくっついた脳硬膜は、特に骨の縫合部分にはかなり強くくっついていて、水道水のようなもので洗った程度ではとても落ちるものではないが、爪のようなもので縫合部分に入れると取れないことはない、脳硬膜が残っていないということは、例えば蛆や昆虫類のようなものが全部食べたか、あるいは人工的に何か特別な手段を使ったという可能性も十分考えなければならないという証言をしているところ、この証言内容を踏まえて検討しても、被告人の前記供述は、脳硬膜が付着しておらず上顎の歯が数本抜け落ちていたという発見時の頭蓋骨の状況と矛盾するものとはいえないから、弁護人のこの主張は採用できない。
エ したがって、この所論は理由がない。
(6) 所論⑤は、要するに、被告人の捜査官に対する供述のうち、被告人が被害者に声を掛けてから被告人車両に乗せるまでに原判示の都営東雲アパート四号棟の外周道路を一周するなど約四四五メートルもの距離を連れて歩いたとする部分及び被害者が被告人の手の障害を指摘されたことから同女の殺害を決意したとする部分はいずれも不自然であり、原判決もこの各供述部分を採用することなく、外周道路を一周したことも、同女を殺害した動機も認定していないことに照らしても、被告人の捜査官に対する供述の信用性は大きく減殺されるというのである。
そこで検討するに、被告人は、捜査官に対する供述において、同四号棟の外周道路を一周した理由について、原判決が補足説明三の1(二)の(2)⑧で摘示するとおり(判238)、被害者を誘導して被告人車両に近付こうとしたところ、四〇歳くらいと三〇歳くらいの女性二人が歩いてきたので、そのまま被害者を車に連れていくのはまずいと考え、その女性たちと擦れ違い、被害者が付いてくるのを時々確認しながら四号棟の周囲を一周したと述べており、この供述は四号棟の外周道路を一周せざるを得なくなった理由として納得のいくものである。しかも、被告人の述べるところの被害者を連れ歩いた状況は、同女の歩く速さに合わせるようにして七メートルくらい先を間隔を取りながら歩くというものであって、被告人が同女を誘拐しようとしていることを、付近にいる人々が気付かないことも十分あり得るものであり、被告人としても、付近の人々から見とがめられても、同女を連れ歩いていたことを否定するなどして弁解することも容易であったと考えられるから、四号棟の周囲を一周したとする被告人のこの供述が不自然ということはできない。
また、被害者を殺害した動機についてみると、被告人は、捜査官に対する供述において、所論のように被害者から手の障害を指摘されたことを同女を殺害した唯一の動機としているわけではなく、原判決が同③及び④で摘示するとおり(判233以下)、前記都営アパートに行く前から、乙野花子を誘拐したときのように、一人でいる女の子に声を掛けて車に連れ込んで、人目に付かないところに連れていって殺し、その性器を見たり触ったり写真撮影をしたりすることができるかもしれないと考えていたところ、被害者を誘拐した後、同女が自分の手の障害に気付いて「おじちゃんはできないからしないんだ」と言うなどしたことから、蔑まされたように思え、頭に血が上り、ためらいが吹っ切れ、同女に自分の特徴が知られたこともあって、同女を殺してしまおうと思うに至ったと述べているのである。このような被告人の供述に照らすと、被告人が被害者から手の障害を指摘されたことは、あらかじめ同女を殺害することまで念頭において誘拐した被告人が実際に殺害の実行行為に及ぶ契機となったにすぎないものとみることができるから、被告人の述べるような殺意を抱くに至る経緯に特に不自然な点があるとはいえない。そして、原判決が「認定した事実」の第六の項中、一の犯行に至る経緯(判26)において、被告人が、うまくいけば、一人で遊んでいる幼女らを車で誘拐し、人目に付かない場所で殺害して、その性器を弄んで写真撮影することができるかもしれないと考えて、前記都営アパートと東雲小学校の間の道路に被告人車両を乗り入れたと認定判示した上、同二の罪となるべき事実の2(判29以下)において、その場で同女を殺害しようと決意したと認定判示しているのであり、しかも、補足説明六の2(判480以下)において、被害者に対しては誘拐を決意した時点で殺意を抱いたものとみるのが合理的であり、戊野秋子事件については、これと同旨の被告人の警察官及び検察官に対する各供述に依拠するのが相当であると説示しているのであるから、原判決は、所論のように、被告人の捜査官に対する供述のうち動機に関する供述部分を特に排斥しているともいえない。
したがって、この所論も理由がない。
(7) 以上のとおり、戊野秋子事件に関する被告人の捜査官に対する供述の信用性についての所論はいずれも理由がない。
4 まとめ
以上の次第で、被告人の捜査官に対する供述は基本的にその信用性が極めて高いのに対し、被告人の原審供述はこれをそのまま信用することが到底できないとした原判決の判断は、正当として是認することができる。そして、被告人の捜査官に対する供述を含む原判決挙示の関係各証拠を総合すれば、原判決が「認定した事実」の各項においてそれぞれ認定判示するところは、後記第二で検討するところの本件各犯行時における被告人の責任能力の点を除き、すべて正当として肯認することができるのであって、原判決には所論のような判決に影響を及ぼすことが明らかな事実認定の誤りはない。論旨は理由がない。
第二 控訴趣意中、責任能力に関する事実誤認の主張(控訴趣意書第三章)について
一 所論の概要
所論は、要するに、次のようなものである。
1(一) 被告人の本件各犯行時の精神状態については、原審鑑定人である内沼幸雄及び同関根義夫が共同で反応性精神病により心神耗弱の状態にあったと鑑定し、同じく中安信夫が精神分裂病により心神耗弱の状態にあったと鑑定しており、いずれも説得力に富むものであって、被告人が本件各犯行時に反応性精神病又は精神分裂病等の精神病様状態にあった可能性が十分に認められる。
(二) 他方、原審鑑定人である保崎秀夫外五名は共同で、被告人の捜査官に対する供述が信用でき、被告人の原審供述は信用できないことを前提に、被告人の本件各犯行時の精神状態は人格障害にとどまり精神分裂病は否定されるとして完全責任能力があったと鑑定しているが、その前提において誤っているばかりでなく、同鑑定人らは被告人の能力に多少の問題があるとしているのにその「多少の問題」の内容や影響について十分な検討を加えていないから、その結論は確たる根拠を有するものではない。
2 ところが、原判決は、被告人の捜査官に対する供述の一部のみを採用するなどそこには御都合主義的な態度がみられ、また、客観的裏付けのある被告人の原審供述を信用できないとするなど、前提事実の認定に誤りがあるほか、精神医学の専門家の見解を尊重することなく、自らの精神医学的見解に合致する保崎鑑定人らの鑑定結果を肯定し、これに反する内沼及び関根共同鑑定並びに中安鑑定の各結果を否定して、本件各犯行当時、被告人には完全責任能力があったとの事実を認定判示している。
3 したがって、原判決には、被告人の責任能力について判決に影響を及ぼすことが明らかな事実認定の誤りがあるというのである。
二 精神鑑定の経過及びその内容の概要
1 精神鑑定の経過
原審記録によれば、被告人の本件各犯行時の精神状態については、原判決が補足説明七の1で摘示するとおり(判489以下)、捜査段階において、①医師徳井達司による精神衛生診断結果(同医師作成の精神衛生診断書(甲783号)参照。以下「簡易鑑定」という。)、原審段階において、②鑑定人保崎秀夫外五名の共同鑑定意見(同鑑定人六名共同作成の精神鑑定書(甲784号)並びに原審公判における証人保崎秀夫の証言(以下「保崎証言」という。)、同馬場禮子の証言及び保崎秀夫作成の意見書(甲788号。以下「保崎意見書」という。)参照。以下「保崎ら共同鑑定」という。)、③鑑定人内沼幸雄及び同関根義夫の共同鑑定意見(同鑑定人二名共同作成の精神鑑定書(職9号。以下「内沼・関根鑑定書」という。)並びに原審における証人内沼幸雄の証言(以下「内沼証言」という。)、同関根義夫の証言(以下「関根証言」という。)、内沼幸雄作成の意見書三通(職11号、17号、弁33号)及び関根義夫作成の意見書一通(弁34号)参照。以下「内沼・関根鑑定」という。)、④鑑定人中安信夫の鑑定意見(同鑑定人作成の精神鑑定書(職10号)及び原審における証人中安信夫の証言(以下「中安証言」という。)参照。以下「中安鑑定」という。)がそれぞれ得られていることが明らかである。
2 簡易鑑定(診察は平成元年八月二四日)
簡易鑑定は、原判決が補足説明七の1(一)で摘示するとおり(判492以下)、要旨次のような理由に基づき、敏感関係妄想様の態様は否定し得ず、精神分裂病の可能性を全く否定することはできないが、診察の段階では人格障害の範囲と思われると診断した。
(一) 被告人は、問診の過程で、異性に対する性的な興味が全くないとし、犯行後の被害者に対する性器のいたずらも、女性性器に関する知識を得るためと一見異質と思われる理由を述べたが、再質問では成人女性の性器に興味があること、正常な性行為を欲求する気持ちのあることを述べ、思考伝播体験についても再質問では否定した。また、注察関係妄想に相当する体験は小学校当時から不変であると述べたが、分裂病では通常その年代では起こり難いこと、結果的には上肢の運動障害に起因する精神的外傷、劣等感に帰着し、了解可能性が感じられることなどから、仮にその体験が真実であったとしても、分裂病を直ちに診定するのは相当でない。
(二) 被告人は、生後両上肢に運動障害が認められ、幼児より深刻な精神的苦痛を伴い、精神的外傷となっており、このことが交友や生活態度にも影響を与え、非社交的、自閉的傾向を持つ人格を形成するとともに、深い劣等感、対人不信感から攻撃性も醸成されている。これらは、発達上、性的成熟にも重大な影響を与え、女性との通常の異性関係を断念して映像や雑誌に関心を集中させているが、成長するに及び次第に実際の女体に触れることを求め、本件の動因を形成したと思われる。本質的な性倒錯は認められず、性的処理は自慰に集約され、自己愛的であり、このような性的関心の中で、成人女性の代替として相手にしやすい幼児を自己の性的欲動を達成するために殺害していると思われ、その後の行為も極めて非情なものとなっているが、この点は、前記成育史上の人格の発達障害として情性の著しい未熟が挙げられる。
3 保崎ら共同鑑定(鑑定期間は平成二年一二月から平成四年三月まで)
保崎ら共同鑑定は、原判決が補足説明七の1(二)で摘示するとおり(判496以下)、要旨次のような理由に基づき、被告人は、本件各犯行時、極端な性格的偏り(人格障害)はあったが、精神分裂病を含む精神病様状態にはなかったと結論付けた。
(一) 被告人は、元来知的には問題なく、性格はクレッチマーのいう極端な分裂気質ないし分裂病質に相当し、非社交性、自己中心性、空想性、顕示性、未熟、過敏性、易怒性、情性欠如の傾向が目立っていた。さらに、生来性の両側橈尺骨癒合症に関する劣等感が強く被害的になりやすく、そのために成人女性に対する興味はあるものの交際はあきらめていた。
(二) 本件各犯行当時は、(一)の状態に加えて性的興味が幼女に向けられ、収集癖と相まって犯行に及んだものと思われる。この状態は、極端な性格的偏り(人格障害)によるもので、精神分裂病を含む精神病様状態にはなかった。したがって、本件各犯行当時、被告人は物事の善し悪しを判断し、その判断に従って行動する能力は保たれていたと思われる。
(三) 鑑定時の被告人の精神状態は、(二)の状態に加え、拘禁の影響が強く現われている状態で、無表情、無愛想で、簡単なことも分からず、一見退行したように見える面と、事態をかなり把握しているように見える面が混在し、家族や犯行の動機、態様について、独自で奇妙な説明を行っているが、これらの供述は逮捕後になされたものである。この状態は、精神分裂病を疑うものであるが、総合的にみれば拘禁反応によるものと考えるのが妥当であり、鑑定時点では精神分裂病は否定されよう。したがって、被告人の鑑定時の精神状態は、物事の善し悪しを判断し、その判断に従って行動する能力に多少の問題はあるとしても、著しく障害されている程度には至っていない。
4 内沼・関根鑑定(鑑定期間は平成四年一二月から平成六年一一月まで)
内沼・関根鑑定は、原判決が補足説明七の1(三)で摘示するとおり(判498以下)、要旨次のような理由に基づき、被告人は、犯行時、手の奇形をめぐる人格発達の重篤な障害の下に敏感関係妄想に続く人格反応性の妄想発展を背景にし、祖父死亡を契機に離人症及びヒステリー性解離症状を主体とする反応性精神病を呈していたと結論付けた。
(一) 被告人は、乳児期から神経質な子であったが、手の奇形をめぐる恥辱的体験から地元の仲間が集まる狭い環境の中で著しく被害関係妄想を発展させており、敏感関係妄想の概念規定に当てはまる。
(二) 家族は解離状態にあり、孤独な被告人の心の支えにはならず、唯一の支えは解離性家族から浮き上がっていた祖父であった。被告人は、高校以後、分離・自立への要請が求められていくが、新たな社会環境に適応していくために不可欠な、安定した人間関係を形成するための人格発達の基礎固めができていなかったため、かえって退行を促し、かつての不安のない懐かしい早期の生育史の時期に戻りたいという願望を強く抱かせるとともに、分離・自立への不安を背景にして極めて幼児的な収集強迫が強まっていき、ますます真の人間関係から遠ざけられることとなったのであり、敏感パラノイア、願望パラノイア、好訴パラノイアと同じ傾向が認められ、人格反応的な妄想発展の流れが認められる。また、被告人はもともと解離症状を起こしやすく、長い生活史の間に分割の機制が培われた。
(三) このような長い生活史にわたる人格の異常発展の中で、一心同体幻想で自らの心の支えにしてきた祖父を失ったとき、潜在していながらも徐々に高まる迫害的不安が一気に噴出したもので、被告人は、祖父の死亡を契機として、迫害妄想、幻視、幻聴を急激に顕在化させており、反応性精神病と診断できる。その病像は、迫害妄想、幻視、幻聴を伴うが、何よりも目立つのは、離人症、二重身、フーグ(遁走)、生活史健忘、人格変換、解離性同一性障害(多重人格)、ガンゼル症候群(的はずれ応答が中核症状)といった多彩な解離症状である。
(四) 被告人が他人に様々な顔を見せていること、人格変換を起こしやすいこと、別人の存在を認めていることなどから、被告人に解離症状としての解離性同一性障害(多重人格)を認め得る。乙野花子、丙野春子、丁野夏子、戊野秋子の誘拐殺害は、被告人の供述を額面どおり受け取れば、夢幻様の意識変容化における被害者との「一心同体」、「相手性のなさ」とその破綻による憎しみの噴出に基づく衝動的殺人ということになるが、各犯行には、別人格である、ペドフィリア(小児愛)的・ネクロフィリア(死体愛)的な倒錯的嗜癖を持った「今田勇子」が関与したと思われるのであり、被告人の場合、一つの人格は衝動的殺人犯であり、他の人格「今田勇子」は計画的殺人犯である。
(五) 被告人は、解離性家族を背景にして四歳から始まる敏感関係妄想に続く人格反応性の妄想発展の流れが歴然として認められ、唯一の支えであった祖父の死亡を契機として、更に別種の反応性の精神病状態に陥り、自由な自己決定の可能性が制約されるに至ったことは明らかであり、被告人は犯行時善悪是非の弁識能力もその弁識に従って行為する能力もともに減弱していて、完全責任能力を求めるのは無理ではないか(心神耗弱)と考えられる。そして、被告人は、鑑定時、引き続き同様の精神状態にあると診断される。
5 中安鑑定(鑑定期間は平成四年一二月から平成六年一一月まで)
中安鑑定は、原判決が補足説明七の1(四)で摘示するとおり(判502以下)、要旨次のような理由に基づき、被告人は、本件各犯行時、精神分裂病(破瓜型)に罹患していたと結論付けた。
(一) 鑑定時における被告人の精神状態は、本件各犯行以前に発する精神分裂病(破瓜型)、収集癖、本件各犯行以後に生じた拘禁反応の三者によって構成されたものである。
(1) 第一の精神分裂病(破瓜型)は、高校時代かどんなに遅く見積もっても××印刷退職以前に極めて潜勢的に発病したものであり、その後は、一方では集中力及び意欲の低下、感情鈍麻(殊に情性欠如の形で)、易怒性ないし攻撃性の亢進が徐々に進展するとともに、他方では注察念慮、関係・被害念慮、被注察感が断続的に出没していた。昭和六三年五月の祖父の突然の死は、被告人にいささかの心理的動揺を与え、この時期には易怒性ないし攻撃性の亢進が強まり、これは家族・親戚に対する暴言・暴行となって現れ、また、情性欠如と相まって動物虐待が頻発するようになった。しかし、分裂病が明確に増悪したのは、保崎ら共同鑑定終了後から本鑑定開始前の間であり、この時期になって初めて、家族及び不明の他者に対する被害妄想(家族に対するものは妄想追想として)、被注察感(様相が変化し、持続的)、幻声(迫害的内容・対話傍聴型)などからなる幻覚妄想状態が顕現するに至ったものである。
(2) 第二の収集癖は、正確な時期は不詳ながら祖父死亡の数年前に発し、祖父死亡後に亢進したものであるが、それは祖父や父と同様の生来性の性癖と考えられる。
(3) 第三の拘禁反応は、簡易鑑定終了後より保崎ら共同鑑定初期の間(平成元年八月二四日ないし平成三年二月一三日)に発病したものであり、「本件犯行の認否」ばかりでなく、「祖父の死亡の認否」、「両親の認否」にも及ぶ現実否認・願望充足性の妄想追想(本件犯行に関して)及び妄想と幻覚(祖父の死亡の認否、両親の認否に関して)を呈したものである。
(4) 以上のうち、収集癖は、拘置所という限定された状況においてもなお持続しており、また、精神分裂病(破瓜型)と拘禁反応はなお増悪・進展しつつある。拘禁反応はそれ自体として妄想・幻覚化したものであるが、基底にある精神分裂病(破瓜型)の増悪に伴って、より一層の妄想・幻覚化が促進されていると判断される。
(二) 本件各犯行は、各々どの段階まで進展したのかという点で互いに異なるとはいえ、誘拐、殺害、死体損壊・遺棄へと段階的に犯罪行為が付け加えられて成立したもので、主要な犯行のすべてが、「女性性器を観察したい」という性的欲求と、「自分だけが所有するビデオテープを持ちたい」という(収集癖に基づく)収集欲求を動因とし、情性欠如を抑止力低下の原因として成立したものと考えられる。
(1) 「女性性器を観察したい」という性的欲求は、すべての事件に共通する誘拐行為の動因と判断されたが、殺害行為の動因とも考えられ、丙野春子事件(少なくとも丁野夏子事件)以降の殺害は、前記性的欲求を容易かつ十分に行うために誘拐の当初より計画されていたものと判断された(乙野花子の殺害のみは、易怒性ないし攻撃性の亢進によって突発的になされたものと判断された。)。
(2) 「自分だけが所有するビデオテープを持ちたい」という収集欲求は、突発的に行われた乙野花子の殺害の後に生じてきたものと判断され、これは丙野春子事件(少なくとも丁野夏子事件)以降の誘拐、殺害に対しては、上記性的欲求に重なって動因として作用したものと思われる。「自分だけが所有するビデオテープ」の内容についての被告人の関心は、乙野花子事件においてはいまだわいせつ行為のみであったが、戊野秋子事件においてはそれに死体の切断行為あるいは切断された死体が付け加わり、よって死体損壊が行われたものと判断された。
(3) 一方、情性欠如は、当該行為が倫理的に許されることか否かという情的判断に障害をもたらし、各動因の行為化に抗する抑止力の低下をもたらしたものと判断された。ただし、抑止力の一方である、当該行為が社会的に許されるか否か(犯罪行為に該当するか否か)という知的判断は保たれており、この知的判断の残存ゆえに、後に、「犯行に対する自己の不関知」をその具体的内容とする現実否認・願望充足性の妄想追想が生じてきたものと思われる。
(4) 本件各犯行時には、被告人は既に精神分裂病(破瓜型)に罹患していたと考えられたが、当時存在した分裂病症状の本件各犯行への関与は、易怒性ないし攻撃性の亢進が動因のごく一部として、また、情性欠如が抑止力を低下させたものとして認められたにすぎない。動因のほとんどを占める前記性的欲求と収集欲求は、分裂病に関するものでも、また、他のいかなる精神疾患に関連するものでもなく、それ自体は正常の心性に属するものであると判断された。
(5) 以上の考察を通して、被告人は本件各犯行当時において是非善悪を弁別する能力はほとんど完全に保たれていたが、行為に対する制御能力の一半に欠けるところがあったと判断する。司法精神医学的にいえば、これは広く心神耗弱に相当するものであるが、免責される部分は少ないと考えられる。
三 当裁判所の判断
そこで、原審記録及び証拠物を調査して検討すると、原判決挙示の関係各証拠を総合すれば、原判決が、被告人の本件各犯行当時の精神状態についての保崎ら共同鑑定及び簡易鑑定の結果を採用し、被告人は本件各犯行当時に性格の極端な偏り(人格障害)以外に反応性精神病、精神分裂病等を含む精神病様状態になかったとして完全責任能力を認めたことは、すべて正当として是認することができ、原審で取り調べたその余の証拠及び当審における事実取調べの結果を併せて検討しても、原判決には所論のような判決に影響を及ぼすことが明らかな事実認定の誤りはない。以下所論に即しつつ補足して説明することとする。
1 原判決による被告人の供述の信用性判断について
所論はまず、原判決が、被告人の責任能力の判断において、被告人の捜査官に対する供述は基本的にその信用性が極めて高いのに対し、被告人の原審供述はこれをそのまま信用することが到底できないとの判断を前提としていることを種々論難するが、原判決による被告人の供述の信用性判断に誤りはなく、この所論が理由のないものであることは、前記第一で詳細にみたとおりである。
2 原判決による被告人の責任能力の判断方法について
(一)(1) 所論は、原判決が、被告人の生活状況や本件各犯行当時の行動について検討を行い、被告人の行動等について「了解可能である」「精神病理を表すものとはいえない」「病的異常を疑わせるものとはいえない」などとして、本件各犯行当時被告人が病的な精神状態にあったことは窺われないとの自らの判断を下した上、これを本件各鑑定を検討する上での前提としているが、被告人の行動等の了解可能性や病的な異常の有無等は精神医学的判断であり、原判決がこれらの点について独自の判断を行ったこと自体問題であるというのである。
(2) しかしながら、被告人の精神状態が刑法三九条にいう心神喪失又は心神耗弱に該当するかどうかは法律判断であって専ら裁判所に委ねられるべき問題であることはもとより、その前提となる生物学的、心理学的要素も、その法律判断との関係で究極的には裁判所の評価に委ねられるべき問題であるというべきである(最小決昭58.9.13裁判集刑事二三二―九五)。そして、所論が指摘する原判決の認定判断は、本件各犯行ないし被告人の生活状況等における被告人の行動そのものに了解可能性や被告人の異常若しくは病的な精神状態があるかどうかについてのものであるところ、このような認定判断はそれ自体、精神障害の種類や程度等に関する精神医学上の診断ではなく、そのような生物学的要素にその是非弁別能力や行動制御能力に与える影響という心理学的要素を総合して行う規範的評価としての被告人の責任能力を判断するために、その前提として、関係証拠及び経験則に従って行われるものである。換言すれば、この認定は裁判所の評価に委ねられ、精神医学の専門家による事実評価に関する意見に依拠する必要のない判断ということができる。したがって、この所論はその前提を欠くものというほかない。なお、鑑定人間において鑑定資料とするための諸事実の認定評価を異にすれば自ずと異なる鑑定意見が表明されることともなるであろうことは特段異とするものではないと考える。
(二)(1) また、所論は、原判決が被告人の捜査官に対する供述の信用性を認めながら、原審弁護人が被告人の精神病理を表すものとして指摘する供述のみ信用できないとするのは極めて御都合主義的態度であると論難するところ、原判決が①乙野花子事件や丙野春子事件において衣類を脱がせたなどしたことが生き返らせないためであり、翌日現場に行ったが遺体が見当たらないことから生き返ったと思ったとする捜査官に対する供述、②殺害現場に残されていた乙野花子の骨を焼いてかじったとの原審供述、③切断した戊野秋子の手指を食べ血を飲んだとする原審供述等原審弁護人指摘の被告人の供述部分について信用できないと判示していること(判582以下)は、所論指摘のとおりである。
(2) しかしながら、原判決は、補足説明五の2で説示するとおり(判432以下)、被告人の捜査官に対する供述については基本的に信用性が極めて高いと認められるものの、犯情が悪質とみられる要素をできる限り否定して自己の刑事責任の軽減を図ろうとの意図を交えており、犯情において悪質とみられ被告人にとり不利益と思われる部分については一部真実を述べていないことが窺われるとし、また、被告人の原審供述についてはこれをそのまま信用することができないと判断しており、原判決の判断がすべて是認できることは、前記第一において、詳細にみたとおりである。なお、原判決は、①の供述部分のうち前者の衣類を脱がした行為は、実際には性的いたずらをする意図を隠した供述と思われること、後者については、そのような供述をした後に被告人が乙野花子の遺骨を拾いに行くまで現場には行かなかった旨捜査官に訂正の供述をしており、前記供述のように現場に行ったこと自体疑問であることなどを指摘して信用できないと判示しており、②の供述部分については、前記第一の二の3(五)の(4)において信用できない旨説示した③の供述部分と類似の内容のもので、かつ、これと一体をなす被告人の主張として原審公判段階で初めて述べられるに至ったものであることに加え、被告人が焼いてかじったと述べる乙野花子の焼焦部のある遺骨のうち左肩甲骨には損傷がなく、左上腕骨遠位端部及び右腓骨の損傷は人間以外の肉食動物による咬傷であり人のかじった痕跡は認められないことを理由として信用できないとしているのであって、これらの各判断はいずれも合理的な根拠に基づくものとして肯認することができる。
したがって、この所論も理由がない。
(三)(1) さらに、所論は、原判決が本件各犯行当時の被告人の行動について了解可能なものであるとするのは根拠を欠くというのである。
(2) そこで、原判決のこの点に関する判断内容をみると、原判決は、被告人の行動の了解可能性及び被告人の生活状況等の病的異常の有無について、補足説明七の3(二)(判574以下)及び(三)(判601以下)において、次のように判示している。すなわち、
ア(ア) 被告人の本件各犯行は、幼女らを対象にした、かつ、同女らの性器を見たり触ったりしたい等のわいせつの意図に出た一連の誘拐殺人等の事件であり、また、同女らに対するわいせつ行為の場面等を映像にして所持したいとの意図をも伴ったものであるという犯行の動機・目的、被告人のビデオテープ等の収集癖に加え、被告人は両手の障害を原因とする強い劣等感から自ら女性との交際を求めることは余りなかったが、女性に対する性的関心は強く、少女らの写真撮影等を繰り返すうちに、小さい女の子は恥じらいがないからその性器を見たり触ったりすることができるのではないかと思うようになったという犯行に至る経緯等に照らし、保崎ら共同鑑定が指摘するように、両手の障害を原因とする劣等感から成人女性との交際をあきらめた被告人が性的興味を幼女に向け、収集癖と相まって本件犯行に及んだものとみることができ、被告人の本件各犯行は十分に了解できるものである。
(イ) 本件各犯行の態様及び経過からすると、被告人に思考障害等の病的な面があるとは思われないし、本件一連の犯行の経過は、被告人が、まず乙野花子の誘拐殺人等に成功したことから、それに味を占めるとともに犯行に対する抵抗感を弱め、更に犯行を反復しつつますます抵抗感、罪悪感を失っていき、他方では犯行が発覚しないことに自信を深めると同時に自己の趣味であるパズル的な遊びの気持ちが頭をもたげてきて自己顕示の行動に出るようになり、大々的にマスコミに取り上げられ、社会を震憾させたことに満足感を覚えつつ、一層大胆かつ非情で扇情的な行動に出るようになっていったものと解されるのであって、それなりに了解できるものであり、それ自体病的とは思われない。
(ウ) 原審弁護人が被告人の異常な精神病理を表す事実として指摘する被告人の本件各犯行に関する諸行動は、その点に関する被告人の供述が信用できないか、(ア)及び(イ)でみた点等に照らし、それなりに了解可能であるか、殊更に異常な行動や不自然な行動とはいえないか、若しくは被告人の異常な精神病理を表すものとまではいえないかのいずれかである。
(エ) 以上のとおり、本件一連の犯行における被告人の行動は、極めて冷酷かつ非情なものであって、その意味では異常なものであるが、それなりに了解可能なものであり、被告人は、己野冬子事件で現行犯人として逮捕されるまでの間、自己が犯人であることに直接結び付くような証拠を残すことなく、四回もの誘拐・殺人等の犯行を反復するとともに、大胆にも乙野花子らの遺族に犯行を告知する行為を繰り返し、かつ、この間、家族等周囲の者らにも、自己の犯行に気付かれることがなく、捜査の網をかいくぐって立ち回ってきたものであって、結局、そこには、被告人が本件各犯行当時病的な精神状態にあったことを窺わせる事情は見受けられない。
イ(ア) 被告人は、地元の小、中学校を卒業後、明治大学付属中野高等学校、東京工芸大学短期大学部画像技術科を経て、××印刷で約三年間働き、昭和六一年二月に同社を退職すると、その後、家業である△△社で働くようになったものであって、その間、非社交性、他者との協調性の欠如、自己中心的な態度、学業意欲の低下や仕事の熱意不足等は見られたものの、日常の生活等において、周囲の者に被告人の病的異常を疑わせるような破綻があったとは認められず、学業意欲の低下や仕事の熱意不足についても、少なくとも高校の受験勉強の反動や通学に長時間を要して疲労したこと、パズルやビデオテープの収集等の趣味に関心が振り向けられたこと、××印刷では昼夜交替勤務で疲労したことが原因となっているであろうことは否定できず、それ自体直ちに被告人の病的異常を疑わせるものとはいえない。
(イ) 被告人は、テレビ番組のビデオ録画やビデオサークルクラブ等を通じてのビデオテープの収集等に熱中し、そのため仕事に対する熱意に乏しかったが、△△社で印刷した新聞の折り込み広告を新聞販売店に配達するなど与えられた仕事はそれなりに従事していた。また、××印刷を退職して時間に余裕ができ、交友範囲は狭いものの、友人との交際を復活させて、一緒にドライブをしたり、被告人自らが編集したパンフレットを友人に手伝わせてコミックマーケットで販売したりしていたもので、他者との協調性の欠如、自己中心的な態度や仕事の熱意不足等はこれまでと同様見られたものの、日常の生活等において、周囲の者に被告人の病的異常を疑わせるような破綻があったとは認められない。このころ、△△社の従業員や家族、親戚らに対する暴言、暴行等が目立ち、それらは、被告人の自己中心的な態度や易怒性等を示すものといえるが、自分のわがままをぶつけられる相手や自分より弱い立場の相手に向けられたもので、個々にそれなりの原因・理由があって、了解ができる。また、飼い犬や猫等に対する残虐な行為もあったが、被告人には幼少時のころにも乱暴な行為や動物の虐待等類似の行為が認められ、いずれも本件各犯行当時初めて出現したものではなく、直ちに被告人の病的異常を疑わせるものとはいえない。
(ウ) 原審弁護人が被告人の異常な精神病理を推測させる事実として指摘する被告人の日常における諸行動は、その点に関する被告人の供述が信用できないか、上記(ア)及び(イ)でみた点等に照らし、了解可能であるか、特に異常な行動とも思われないか、被告人の病的な異常を疑わせるほどのものとはいえないかのいずれかである。
(エ) 以上のとおり、本件各犯行当時ころに至るまでの間及び本件各犯行当時ころの被告人の生活状況等からは、被告人の、他者との協調性の欠如、自己中心的な態度、易怒性等を認めることができるが、それ以上に、被告人が病的な精神状態にあったことを窺わせるような事情は見受けられない。
(3) 原判決の以上のような判断は、関係各証拠に照らし、その判断の前提とした事実認定に誤りはないばかりでなく、その認定した事実に基づき、被告人が本件各犯行当時ころに至るまでの間及び本件各犯行当時ころにおいて病的な精神状態にあったことを窺わせるような事情は見受けられず、本件一連の犯行における被告人の行動は了解可能なものであったとの判断も、十分な根拠に基づくものであり、かつ、経験則に照らし合理的なものということができるから、この所論も採用できない。
(四) 以上のとおり、所論指摘の点を踏まえて検討しても、原判決による被告人の責任能力の判断方法に誤りはない。
3 内沼・関根鑑定について
(一) 所論は、原判決による内沼・関根鑑定の評価について、原判決は、被告人の捜査官に対する供述は信用できるのに対し、被告人の原審供述は信用することができないとする立場を前提として、これと相いれない見解に立つ同鑑定の結果を排斥しているが、その前提自体に疑問があるばかりでなく、同鑑定による被告人の精神症状についての検討はいずれも被告人の具体的な供述に即して詳細で説得力があるから、同鑑定の結果を十分な根拠もなく排斥する原判決の判断は誤りであるというのである。
(二)(1) そこで検討するに、被告人は、前記第一の二の1(一)でみたとおり、原審段階において、本件各犯行等に関し、捜査段階とは大きく異なる供述をするに至り、各鑑定人の問診においても、原審公判における供述とおおよそ同趣旨で捜査段階とは大きく異なる供述をするに至っているところ、原判決が補足説明七の3(一)の(1)で説示するとおり(判511以下)、保崎ら共同鑑定及び中安鑑定はいずれも、被告人が本件各犯行等に関し原審段階で供述する内容はその当時に体験として存在したものではなく拘禁後に生じたものであるとするのに対し、内沼・関根鑑定は、被告人の原審段階で供述する内容をそのまま犯行時の体験として理解する立場に立った上、現実に行われた犯行と被告人の原審供述の内容との間に著しい乖離があり、そのことから被告人には解離性同一性障害(多重人格)の症状が認められるとの見解を導いたものである。
(2)ア しかしながら、前記第一で詳細に検討し、原判決も補足説明七の3(一)の(2)で説示するとおり(判513)、被告人の捜査官に対する供述は、被告人が捜査官から厳しい取調べを受けて供述した面があることは否定し難いにしても、被告人が自ら体験し記憶している事実を基にし、その中で犯情が悪質とみられる要素をできる限り否定して自己の刑事責任の軽減を図ろうとの意図をも交えつつ、自らの判断で述べたものであり、刑責軽減の意図に出た部分を除き、被告人がその体験した事実を語ったものと認められる。これに反する被告人の原審供述は、被告人が犯行当時の体験を語ったものとは到底いえず、原判決が補足説明七の3(一)の(3)で指摘するとおり(判513以下)、その内容が著しく事実と乖離し、自己の刑事責任を否定する方向に向けて合目的的に変化していっていることも明らかである。この被告人の原審供述の評価については、保崎鑑定人も中安鑑定人も同様の指摘をしている。
イ この点、内沼・関根鑑定は、内沼・関根鑑定書及び内沼証言において、①被告人の捜査段階における供述調書は、被告人が被害者宅や報道機関に送りつけた犯行声明(物5号、8号)や告白文(物11号、14号)に準拠しすぎた嫌いがあり、また、余りに明確にすぎるものであって、被告人により「警察の創作だ」とされるのも誠に自然でその内容には疑問を持たざるを得ないとするとともに、②捜査段階の取調べの際には警察の威圧によって本件各犯行に関与した被告人の別人格が出現して供述をした可能性も否定し得ないとも指摘している。
しかしながら、①及び②の各指摘はその調書の記載内容が警察官の創作であるか被告人の別人格の供述であるかという点において既に相いれないものである。しかも、①の指摘は、前記第一の二の3(一)で詳細に検討した点に照らして採用できず、また、②の指摘も、原判決が補足説明七の3(一)の(4)で説示するとおり(判572以下)、被告人が、原審公判において、自らの体験としての認識を前提として、捜査段階における取調べ状況や供述状況を具体的に供述していることに照らして、採用することができない。
(3) したがって、被告人の原審供述をそのまま本件各犯行時の体験として理解する内沼・関根鑑定の前記所見はその基本的前提において疑問があるといわざるを得ない。
(三)(1) また、内沼・関根鑑定は、前記二の4で摘示し、原判決が補足説明七の3(四)の(3)で摘示するとおり(判704以下)、被告人は、本件各犯行時、手の奇形をめぐる人格発達の重篤な障害の下に敏感関係妄想に続く人格反応性の妄想発展を背景にし、祖父死亡を契機に離人症及びヒステリー性解離症状を主体とする反応性精神病を呈していたものであり、その主要な病像としては、離人症(感情消失)、二重身(自己像視)、祖父再生と「真」の両親への願望妄想、もらい子妄想、祖父の幻視と幻聴、黒い影の幻視、被害関係妄想と幻聴、収集強迫、フーグ(健忘に伴う遁走行為)、人格変換(多重人格)、家族否認(生活史健忘)、ガンゼル症候群があるというのである。
(2) そこでまず、祖父の死亡を契機として反応性精神病を呈したとする点についてみると、関係各証拠によれば、昭和六三年五月一六日の祖父の死亡に接着してみられた被告人の動揺は、原判決が補足説明七の3(四)の(3)③で指摘するとおり(判714以下)、死亡直前に友人の甲山に電話をし、「病院のおじいちゃんをビデオに撮りたい。死ぬ前の姿を写してほしい。」と、気が動転した様子で依頼したこと、息を引き取り家族らが祖父の身体を拭くなどした後、携帯していたテープレコーダーから録音した飼い犬の鳴き声を聞かせたこと、死後、生前の祖父の姿を撮影したビデオを集まった親戚に見せたことが認められる程度であり、原判決も説示するとおり、これらの被告人の行動はいずれも祖父への強い愛着ないし思慕の情を示すものとしてそれ自体特に不自然なものとは考えられない。
また、前記第一の二の1(二)認定のように、被告人が祖父の死亡後に父母や妹に暴行を加え、親戚の者に暴言を吐き、動物を虐待するなどしてはいる(原判決の補足説明二の3(二)の(2)、同(三)の(4)ないし(9)・判104以下)が、被告人は祖父の死亡前からも同様の行為を繰り返してきたのであり(同(二)の(1)、同(三)の(1)ないし(3))、しかも、この暴行や暴言は、被告人の自己中心的な態度や易怒性等を示すものといえるが、自分のわがままをぶつけられる相手や自分より弱い立場の相手に向けられたもので、個々にそれなりの理由・原因があって了解できるものであることは、原判決の説示するとおりである(補足説明七の3(三)の(2)・判603以下)。したがって、祖父死亡に接着した時期におけるこのような被告人の言動を反応性精神病の発病を窺わせるものとする内沼・関根鑑定の結果は肯認することができない。
ちなみに、保崎ら共同鑑定は、祖父の死が被告人にショックを与えたと思われるが、心因反応を起こしても別に分からなくなった状態ではないし、発病の原因となるほどのものでもないとし、中安鑑定も、各種症状に関する被告人の供述の信頼性を詳細に検討した結果として、被告人が祖父死亡後に現われたと供述する多くの症状が実は簡易鑑定終了後に現われたものであることが明らかとなり、しかも、祖父死亡直後の被告人の行動異常がそれほど大きくなかったことを理由として、祖父の死亡による衝撃は、被告人にいささかの心理的動揺を与えた程度にとどまり、被告人が述べるような大きな精神状態の変化はなかったと結論付けているのである。
(3) 次いで、内沼・関根鑑定の指摘する反応性精神病の主要な症状についてみると、まず、家族否認(生活史健忘)、祖父再生と「真」の両親への願望妄想、もらい子妄想、祖父の幻視と幻聴、黒い影の幻視及び被害関係妄想と幻聴といった各症状は、同鑑定によると、祖父の死亡を契機として生じた家族関係の否認を内容とし又は前提とするものとされている。しかし、被告人は、祖父の死後に周囲の者に対して家族との関係を否定するような態度や言動をとった形跡はなく、また、捜査官に対しても簡易鑑定における問診においても、自分の手の障害に十分な配慮をしてくれなかった両親に対する不満は述べるが、両親や妹との家族関係を否認するような供述は全くしていないこと、保崎ら共同鑑定の問診においては、「実の親ではない。本当の親は別にいる。」と述べる一方、自分を妊娠中に母親が病気になったとも述べるなど矛盾した供述をしている。しかも、関係各証拠(東京拘置所長作成の捜査関係事項照会回答書・甲793号)によれば、被告人は、平成元年一〇月二三日から平成八年五月二九日までの間に合計二六〇回以上両親の双方又はその片方との接見に応じているばかりでなく、当初の国選弁護人である近藤弁護士を介するなどして両親(平成六年一一月に父親が死亡した後は母親)に対し多数回にわたり書籍や食物の差入れを求め続けていることが認められるのである。ちなみに、当審において取り調べた東京拘置所長作成の平成一二年一月二六日付け及び同年一一月一〇日付け各捜査関係事項照会回答書によっても、母とほぼ毎週のように合計一六九回接見し、同様の差し入れを受けていることが窺える。このような被告人の言動や態度等に照らすと、家族関係の否認を内容とし又は前提とすることによって前記各症状の存在を認める内沼・関根鑑定の指摘には疑問がある。
また、離人症(感情消失)は、前記のように、祖父の死亡後に被告人の生活状況が大きく変化したことが窺われないことに照らし、二重身(自己像視)、フーグ(健忘に伴う遁走行為)及び人格変換(多重人格)の各症状は、前記第一で詳細にみたとおり、内沼・関根鑑定がその診断の前提としている被告人の原審供述が本件各犯行当時の体験を述べたものとみることができないことに照らし、ガンゼル症候群は、前記第一の二の2(二)の(3)でみたとおりの被告人の率直さや誠実さに欠け意図的に的を外して合目的的な方向に持っていこうとする供述態度等に照らし、これらの各症状の存在を認める同鑑定の指摘にはいずれも疑問があることとなる。
(4) したがって、被告人が祖父の死亡を契機として多種多様な症状を伴う反応性精神病を呈したとする内沼・関根鑑定の前記所見の内容にも数多くの疑問があるというほかはない。
(四) そうすると、内沼・関根鑑定は、被告人の原審供述をそのまま犯行時の体験として理解するという基本的立場に疑問があるばかりでなく、祖父の死亡を契機として反応性精神病を呈したとする所見や同鑑定の指摘する主要な症状の存在についての所見にも疑問があるのであって、これと同旨の理由に基づき同鑑定の結果が採用できないとした原判決の判断は正当として是認することができるから、原判決のこの判断を論難する前記所論はいずれも採用することができない。
4 中安鑑定について
(一) 所論は、原判決による中安鑑定の評価について、中安鑑定は被告人の精神分裂病の陽性症状、陰性症状及び易怒性ないし攻撃性の亢進について鑑定時ばかりでなく被告人の生育歴等を十分に考慮して結論付けており、高い説得力が認められるのに、原判決は、被告人の陽性症状が拘禁反応であるとする保崎ら共同鑑定の結論を鵜飲みにし、あるいは陰性症状が著しいものとはいえないとか、被告人の性格傾向の現れとみるのが自然であるなどとする自らの精神医学的見解に基づき中安鑑定の結果を排斥しており、十分な根拠に欠けるものであるから、原判決のこの判断は誤りであるというのである。
(二) そこでまず、中安鑑定の指摘する精神分裂病の陽性症状について検討する。
(1) 中安鑑定は、原判決が補足説明七の3(四)の(2)①及び③で摘示するように(判664以下、670以下)、被告人には、正常な精神機能には認められないもので内容が迫害性を帯びた精神症状として、注察念慮、関係・被害念慮、被注察感が高校から短大在学時代にかけて発現して軽微で断続的に出没する程度にとどまっていたが、保崎ら共同鑑定終了後にこの症状が進展増悪して、家族並びに不明の他者に対する被害妄想、被注察感(様相が変化し持続的)、幻声(迫害的内容・対話傍聴型)の形を帯びてきたものと認められ、これらの症状特性からすると、前者は精神分裂病の軽微な陽性症状であり、後者は明らかな陽性症状として顕在化したものであるとして、これら各症状の存在及び推移を、被告人が高校時代(どんなに遅く見積もっても××印刷退職前)に潜勢的に破瓜型精神分裂病を発病して比較的緩徐な進展を示したとする診断の主要な根拠の一つとするものである(中安作成の鑑定書(以下「中」という。)293以下)。
(2)ア この点に関し、原判決は、補足説明七の3(四)の(2)③のアないしウ(判670以下)において、中安鑑定が精神分裂病の陽性症状として指摘する各症状について、前記第一の二の1(二)で認定した客観的な証拠等によって裏付けられる事実を前提として、簡易鑑定、保崎ら共同鑑定及び中安鑑定における各問診記録を直接の資料としつつ、保崎ら共同鑑定や保崎証言ばかりでなく、簡易鑑定や内沼・関根鑑定及び関根証言を参考としながら、各症状はいずれも分裂病性の症状ではなく拘禁反応に基づくものと解するのが自然であると判示しており、その判断の方法ないし資料に照らし、保崎ら共同鑑定の結果を鵜飲みにするものでないことは明らかである。
イ(ア) 次に、中安鑑定が精神分裂病の陽性症状として指摘する各症状ごとに検討するに、中安鑑定は、原判決が補足説明七の3(四)の(2)③のアⅡ(判672)で摘示するような関係・被害念慮、注察念慮が手の障害とは無関係なものとして高校時代ころから存在したとしているが、このような関係・被害念慮、注察念慮を手の障害に基づく注察念慮と区別すべき理由として、①注察主体が級友ないし近所の人たちか不特定多数であるか、②注察理由が手の障害か理由不明か、③見られた時の感情が「いやだった」か「どうしたのかな。変だな。不思議だな。」という特別の陰性の感情を含んだものかどうか、④症状の存在時期が幼児期以来か高校入学以後かによって異なることを指摘している(中161以下)。
しかしながら、簡易鑑定の問診記録中には、被告人が手の障害に起因する強い劣等感を持っていることが随所に現れていること、中安鑑定がこの症状の現れとして指摘する同記録中の問答部分やその前後にも、手の障害を理由に被害的になっていることを窺わせる問答や子供時代からの体験と内容が大きく変わっていないことを窺わせる問答が含まれていること、被告人が周囲の者によるヒソヒソ話の内容として思ったと述べることも、手の障害から劣等感を持ち内向的になり女性との交際にも消極的になっていることに結び付く内容と考えられること、簡易鑑定も、仮に注察関係妄想に相当する体験が真実だとしても、結果的には上肢の運動障害に起因する精神的外傷、劣等感に帰着し、了解可能性が感じられること等から、直ちに分裂病を診定するのは相当でないとしていること、保崎ら共同鑑定の問診において、被告人は高校時代以降についても手の障害と関係付けて被害感、恐怖感を語っていること、さらに、保崎証言においても、被告人が高校時代以降も破綻することなくそれなりの日常生活を送っていることを踏まえて「まともと思われる行動が同時に併存しているところが問題である」とされていることは、原判決が説示するとおりである(判676以下)。
また、中安鑑定自体、保崎ら共同鑑定の問診記録では、手の障害とは無関係の被害妄想(関係・被害念慮を含む。)や注察念慮と手の障害に基づく注察念慮とが渾然一体となっていることを認めている(中264以下)。のみならず、中安鑑定が手の障害とは無関係の注察念慮の現れと指摘する同鑑定の問診記録中の問答(中152以下)にも、「(高校のころの手のことはいつも悩みだったでしょう?)いや、一秒一秒ではない。(高校のころのね、周りの人が手のことを噂しているような感じあったの?)あっちこっち見ているなー、私のこと見ているなー。どうして見ているのか分かんない。(手のことは同級生も見ている感じ?)どうして見ているのか分かんない。顔向けているだけで、こっち見ていると思うんだけど。手のことかなーと。分かんない。」、「(高校の時、周りの人が君のこと見ると言っていたでしょう?それは、理由分かんなかったと言っていたよね。手のことと関係ない?)時期として真っ黒な学生服終わるころ。どうしてか分かんない。『どうしてかなー?』たまに『手のことかなー?』と思うくらい。」、「顔、こっちの方向けると、見てんだなーと。(それは高校のころからたまに?)いやー。小さいころから。最初は、どうしてかなー?手のことかなー?で高校、大学で、手のことじゃなくて純粋に私を見ようとして見た。どうしてなんだろーと。(小さい時は、手のことかどうか分からない?)どうかなーと。(高校入ると?)見ようとして、見てんだなーと。(手のこと関係ない?)手のことは出てこない。純粋に見てる。どうしてかなー?」というように手の障害との関連を窺わせたり幼児期からの体験との区別が明確でない部分が見受けられるのであり、一方「(手のことと関係ない?)ない。(手のことで…)<言葉を遮って>高校は手のことじゃない!」のように被告人が手の障害との関係を明確に否定する部分(中155)は、注察念慮ではなく高校時代に殴られたりいじめられた体験に関する問答部分である。しかも、この問答中にも、「(大学の時、後ろから視線感じて振り向くといない。これではなくて、周りのいろんな人に注目されていると感じたのはいつごろから?)だから、こっち見て視線向けている人がいたから。(高校生のころからあった?)うん。(中学生のころは?)…まだ電車乗っていないから。」との部分(中154)があるように、被告人は高校入学後にJR武蔵五日市駅から中野駅までの電車通学を始めることにより行動範囲が地元の狭い地域社会から無数の見知らぬ人に囲まれる都心部に飛躍的に広がったのであって、それに伴い周囲の者に対する被告人の受け止め方に中安鑑定の指摘するような変化が生じることも十分考えられるのである。
したがって、中安鑑定指摘の諸事情を踏まえて検討しても、手の障害と関連する被害感や恐怖感と明確に区別される関係・被害念慮等が存在したことは窺われないとした原判決の判断は、これを首肯することができる。
(イ) 中安鑑定は、原判決が補足説明7の3(四)の(2)③のアⅠ及びⅢ(判671以下)で摘示する家族及び不明の他者に対する被害妄想は、正常な精神機能には認められないもので、かつ、その内容が迫害性を帯びたものであるとした上、それらの発現時期が思春期から青年期にかけてであり、被告人にこれといった明確な身体的異常所見が得られないことを前提にすると、症状特性からは精神分裂病の陽性症状を示していると結論付けている(中291、293)。
しかしながら、中安鑑定自身、被告人が両親との家族関係を否認して「本当の両親がいる」と述べる点及び祖父の死を否認してその再生を願望する旨述べる点については、拘置所に拘禁された後に発現しており、その置かれた立場から心理的にも物理的にも拘禁反応を生じやすい状況にあること、祖父の死の認否や両親の認否のみならず本件犯行の認否に関しても現実否認と願望充足が認められることなどを理由として、いずれも拘禁反応であると確定診断し(中294以下)、また、被告人が乙野花子の死体遺棄現場に行く際に「不思議な力を持つ者」の指示を受けたと述べる点(中380以下)についても、現実否認・願望充足性の妄想を示していること、その指示の内容が祖父再生願望に関連したものであること(中592)、この供述を含む妄想追想と両親の否認や祖父の死の否認等との発現時期が一致することを理由として、拘禁反応に基づく否認機制としての妄想追想であると診断している(中594以下)。そして、被告人は、両親に対し、手の障害等に起因する強い敵意を抱き、これが基調となって、保崎ら共同鑑定の問診において、家族を否定する供述をするに至ったものと解されるほか、元来、手の障害から被害的になりやすい傾向にあって、拘禁されて以後、次第に、親戚、家族その他の者へと被害感を向ける対象を広げていっており、原判決説示のとおり(判679以下)、各被害妄想も、これらの延長上にあるとみるのが自然である。また、被告人がその発現時期を祖父の死亡に結び付けて述べている点(中141以下)は、祖父に現われてもらいたいとの願望の裏返しともいえること、特に家族に対する被害妄想については、被告人が親戚に敵意を抱いて自分の方から暴言を吐いておきながらその後には親戚が怖いと言っており、保崎証言によれば、こうした変化はある程度理解できる面があるとされるが、同様の家族に対する態度は親戚に対するものと共通するところがあることが認められ、したがって、不明の他者に対する被害妄想も結局のところ、「不思議な力を持つ奴。その一派」に対する被害妄想として述べられるに至っているのである(中142)から、乙野花子の死体遺棄現場に行く際に「不思議な力を持つ者」の指示が出た旨述べている点(中380以下)と同様拘禁反応によるものと解される。
さらに、中安鑑定は、前記各被害妄想は精神分裂病が増悪した後の症状であり、これに対応する増悪前の軽微な症状として前記関係・被害念慮、注察念慮等を位置付けるところ、(ア)でみたとおり、この関係・被害念慮や注察念慮は手の障害と関連する被害感や恐怖感と明確に区別することはできず、したがって、その発現時期は、中安鑑定のいう高校入学後という思春期ないし青春期ではなく幼児期にまで遡ることができると考えられる。
そうすると、中安鑑定指摘の諸事情を踏まえて検討しても、前記のような理由付けにより、家族に対する被害妄想を分裂病性の症状とみることには疑問があり、不明の他者に対する被害妄想は拘禁反応に基づくものと解するのが自然であるとした原判決の判断に誤りがあるとはいえない。
(ウ) 中安鑑定は、原判決が補足説明七の3(四)の(2)③のイ(判682以下)で摘示する被注察感、すなわち、「見られている」ことが根拠なく感知されるという意識性の病理としての被注察感が短大在学時代に始まり(街頭や大学キャンパスで時折)、祖父死亡後に顕著となり(自宅の部屋の中で)、中安鑑定人の問診時には一週間に三回以上、一回が一時間以上(一日中のときもある。)にわたって拘置所の独居房内で感じられる状態となっており、注察主体も「人間以外か、不思議な力を持った人間」と述べて二次的な妄想形成をなしていると指摘した上、家族及び不明の他者に対する被害妄想と同様の理由によって、当初断続的に出没していた被注察感は、分裂病の軽微な陽性症状であり、保崎ら共同鑑定終了後に発現したところの様相が一変し持続的な被注察感は、分裂病の明らかな陽性症状であると結論付けている(中139以下、291以下)。
しかしながら、原判決の説示するとおり(判683)、中安鑑定が分裂病の陽性症状として指摘する被注察感も、被告人が拘禁状態の下で被害的な心情を拡大していっていることと密接に関連すると思われるとともに、被告人は、視線が送られるようになったのは祖父死亡後であると述べている(中137)ところ、これは家族及び不明の他者に対する被害妄想と同様に、祖父に現われてもらいたいとの願望の裏返しともいえるのである。
また、中安鑑定も指摘するとおり、各種精神症状の発現時期に関する被告人の供述は全般的に信用性に乏しく、その信用性の有無については客観的証拠との照合ないし簡易鑑定及び保崎ら共同鑑定の各問診時における被告人の供述との比較等によって慎重に検討する必要があるところ(中280以下)、被告人は簡易鑑定及び保崎ら共同鑑定の問診の際に被注察感の存在を窺わせるような供述を全くしていないし(中252)、保崎ら共同鑑定終了前に被注察感が存在したことを窺わせる証拠も他に見当たらない。しかも、この被注察感と同様に祖父の死亡と関連付けて述べられている家族及び不明の他者に対する被害妄想等の症状については、中安鑑定自身、その発現時期に関する供述が誤りであるとしていること(中281以下)も考慮すると、被注察感の発現時期に関する被告人の供述をそのまま信用することは困難である。
そうすると、中安鑑定指摘の諸事情を踏まえて検討しても、中安鑑定が被注察感として指摘する感覚を殊更他の症状と区別して分裂病性のものとみてしまうことには疑問があるとした原判決の判断は、これを首肯することができる。
(エ) 中安鑑定は、原判決が補足説明七の3(四)の(2)③のウ(判684以下)で摘示する幻声(迫害的内容・対話傍聴型)、すなわち、一週間に四日以上、一回一時間程度、複数の不明な他者が話し合っていて、その中に「太郎」、「リンチ」という明瞭な声を含む、全体としては不明瞭な「さわさわ」とした声が聞こえるという幻声(中167以下)について、保崎ら共同鑑定終了後に発現したものではあるが(中281以下)、正常な精神機能には認められず、その内容が迫害性を帯びており、祖父の死の否認と再生願望という現実否認・願望充足という内容とは無縁であるという意味で祖父の幻視幻聴(中186以下)とは区別され、前記注察念慮、関係・被害妄想、被注察感等との関連が強く示唆されることから(中210)、この幻声は、前記注察念慮、関係・被害妄想、被注察感等という分裂病の軽微な陽性症状が保崎ら共同鑑定終了後に顕在化した分裂病の明らかな陽性症状であると結論付けている(中293以下)。
しかしながら、この幻声(追害的内容・対話傍聴型)は、中安鑑定も指摘するとおり、保崎ら共同鑑定終了後に生じたものであるところ、中安鑑定がこれに先行する分裂病の軽微な陽性症状として指摘する注察念慮、関係・被害妄想、被注察感がいずれも分裂病性のものとみることに疑問のあることは、前記(ア)及び(ウ)でみたとおりであり、中安鑑定(中293以下)のいうように思春期から青年期に断続的に発現した関係・被害妄想等の分裂病の軽微な陽性症状が顕在化したものではないと考えられるから、その発現時期の点からも分裂病性のものであることには疑問が残るのである。加えて、原判決説示のとおり(判684以下)、被告人は、この幻声の発現時期を祖父の死亡と結び付けて述べており(中164以下)、このことは、祖父に現われてもらいたいとの願望の裏返しともいえること、保崎証言によれば、幻聴そのものの数は非常に少なく判断しにくい、「太郎」、「リンチ」という幻声は、きれいに分けにくく、それだけでは判断できない、分裂病性の幻聴は、一般的にはっきりした声で自分の悪口を言ったり、自分の行動を批判したりするような形で外から来る場合が多いが、断片的な場合は余り意味付けをしないことが多いとされていること、内沼・関根鑑定によれば、分裂病に幻視がみられることは珍しく、また、現在持続的な精神病状況にあるにもかかわらず数少ない断片的幻聴を示すにとどまっていることは、分裂病の可能性を強く否定する根拠となるとされていること、被告人は、保崎ら共同鑑定の問診において、小学校三年生の時、手のことで「リンチ」に遭ったなどと「リンチ」という言葉を使っていることから幻声の内容もそこからの連想が考えられることなどを考慮すると、この観点からもこの幻声を分裂病性のものとみることには疑問が存する。
そうすると、中安鑑定指摘の諸事情を踏まえて検討しても、前記のような理由付けにより、幻声について、拘禁反応と区別して分裂病性の症状とみることには疑問があるとした原判決の判断に誤りがあるとはいえない。
ウ なお、中安鑑定は保崎ら共同鑑定終了後に分裂病が増悪して家族及び不明の他者に対する被害妄想、持続的な被注察感、迫害的内容で対話傍聴型の幻声などの明らかな陽性症状が顕在化したというのである(中293)が、関根鑑定人は、分裂病患者の精神症状が幻覚妄想状態で増悪するときには、周りから見て明らかに変化があり、当然刑務官がその異状に気付き、日常生活の行動が変化するのが当然であるが、被告人と40数回会ったのに、そこで被告人の中に幻覚妄想状態が活発に動いているというようなことを感じたことはないし、少なくとも拘禁されて以後に急激に幻覚妄想が悪化したというふうな考え方は、分裂病臨床の経験からすればほとんど例がないと証言し、保崎鑑定人も、保崎ら共同鑑定終了後、被告人の状態が余り大きく変化しているようには見えず、変化した点は、新たに被害的なことを言ったり、新たな説明が加わったものであると証言していることは、原判決が補足説明七の3(四)の(2)③のエで指摘するとおりである(判686以下)。ちなみに、東京拘置所長作成の平成四年二月二五日(保崎ら共同鑑定実施中)付け(職3号)及び平成八年七月一二日(中安鑑定終了後)付け(甲793号)各捜査関係事項照会回答書によれば、保崎ら共同鑑定終了の前後を通じて東京拘置所における被告人の生活状況に特段の異状のないことが認められるのである。また、当審において取り調べた同拘置所長作成の平成一二年一月二六日付け及び同年一一月一〇日付け各捜査関係事項照会回答書によっても、被告人の生活状況に特段の異状は認められない。弁護人は、事実取調べの結果に基づく弁論において、この回答書二通が、中安鑑定の分裂病が明確に増悪したのは、保崎ら共同鑑定終了後から中安鑑定開始前の間であるとの判断が信用できることを裏付けている旨主張し、同回答書に被告人が断続的に向精神薬(一日ドグマチール五〇ミリグラム三ないし四錠、一時期リントン一ミリグラムも併用)を投与されていること及び被告人が一回大声を出し、一回幻聴の申出があり、二回口笛を吹きこれの注意に対して一回は素直に謝罪し、一回はわざと大きなくしゃみをして注意されたことが記載されている点を指摘する。しかし、向精神薬が投与されたからといってその症状が直ちに拘禁反応と異なり分裂病性のものと断ずることができないことは多言を要しないところであり、なお、特異行動があったといっても生活状況に特段の異状は認められないのであるから、弁護人の主張は当たらない。
しかも、中安鑑定は、被告人の述べる前記注察念慮、関係・被害念慮、被注察感と保崎ら共同鑑定終了後に述べるに至った家族ないし不明の他者に対する被害妄想、被注察感(様相が変化し持続的)、幻声(迫害的内容・対話傍聴型)とは連続性がある(中293以下)と説明しているところ、前記イの(ア)及び(ウ)でみたとおり、手の障害と関係する被害感や恐怖感と明確に区別される注察念慮、関係・被害念慮が存在したとは認められず、被告人の述べる被注察感を殊更区別して分裂病性のものとみてしまうことに疑問があり、その上、中安鑑定自体、その問診における被告人の供述のうちの中核を占める本件各犯行時の精神状態に関する供述はすべて拘禁反応に基づく否認機制としての妄想追想によるものであるとしているのである(中589以下)。
そうすると、被告人の述べる被害妄想、被注察感、幻声は、迫害性を帯びているといっても、保崎ら共同鑑定の段階で既に被告人に現われていた症状の延長上にあるにすぎないものであり、中安鑑定が分裂病の陽性症状として指摘するこれらの各症状は拘禁の影響を考えるのが自然と思われるとした原判決の判断に誤りはないということができる。
(三) 次に、中安鑑定の指摘する精神分裂病の陰性症状について検討する。
(1) 中安鑑定は、原判決が補足説明七の3(四)の(2)①及び④で摘示するように(判664以下、688以下)、被告人には、おおよそ高校時代に始まり鑑定時に至るまで持続的に徐々に進展した(中安証言によれば、感情鈍麻の進展は著しいとする。)正常な精神機能の減退としての集中力及び意欲の低下、感情鈍麻(殊に情性欠如の形で)などの症状が認められ(中291)、その発現時期が思春期から青年期にかけてであり、被告人にこれといった明確な身体的異常所見が得られないことを前提にすると、これらの症状特性からは精神分裂病の陰性症状を示しているとして、これら各症状の存在及び推移を、被告人が高校時代(どんなに遅く見積もっても××印刷退職前)に潜勢的に破瓜型精神分裂病を発病して比較的緩徐な進展を示したとする診断の主要な根拠の一つとするものである(中293以下)。
(2)ア そこで、中安鑑定が精神分裂病の陰性症状として指摘する各症状ごとに検討するに、中安鑑定は、原判決が補足説明七の3(四)の(2)④のアで摘示するとおり(判689)、被告人は、高校入学後、学業成績が低下したこと、短大への入学、××印刷への就職及び家業への従事につき父親の言うがままになっており、自ら希望を述べたふしが全く見当たらないこと、××印刷において仕事の意欲に乏しかったこと、××印刷退職後も自動車の教習所通いとビデオ作業に熱中して半年近く仕事をしなかったこと、家業に従事後も仕事の意欲に乏しかったことなどを指摘して、集中力及び意欲の低下の現れであるとする(中213以下)。
イ しかしながら、本件各犯行当時ころに至るまでの間及び本件各犯行当時ころの被告人の生活状況等は、原判決が補足説明2の1ないし4認定のとおりであり(判81以下)、前記2(三)の(2)でみたとおり、日常の生活等において、周囲の者に被告人の病的異常を疑わせるような破綻があったとは認められないのであり、学業意欲の低下や仕事の熱意不足も、それ自体直ちに被告人の病的異常を疑わせるものとはいえないことは、原判決の説示するとおりである。
ちなみに、関係各証拠によると、被告人の高校時代の成績は、一年生の一学期は一クラス五九名中二〇番くらいであったのが、二学期に四五番くらいまで急降下したものの(庚野四郎の司法警察員調書)、三年生時点でも五六名中四〇番くらいを維持し、学級担任からは数学がよくできたとの評価を得ており、東京工芸大学短期大学部への進学も被告人の方から申し出ていること(申野五郎の検察官調書)、被告人の父親は、高校の成績が下がった原因について、公立と違って全体のレベルが高くてついていけなくなったことと、いずれは家の仕事に戻れるという甘えがあり、勉強する意欲をなくしたことを指摘し、高校時代に生活態度が変わったり性格が変わった印象はないと述べていること(甲野六郎の検察官調書)、被告人は、同短大へ進学後も、同級生から、好きなことは一生懸命するタイプで、数学や数式はよくでき、物を組み立てたりコンピューターのように一つ一つ積み重ねて考えることは得意であると見られており、一人でした卒業制作については担当の教授から「よくできている」とほめられたこともあること(甲山七郎の検察官調書)、被告人は、××印刷の新入社員研修において、自分の希望として「工場や現場で汗や泥にまみれた仕事をするのが嫌だ。芸術家的な仕事や企画・立案関係の仕事をしたい。」という内容の作文を書いており(乙山八郎の検察官調書)、家業についても、被告人の父親は、昭和六三年一二月ころまで被告人がよく手伝ってくれたと述べ(甲野六郎の証言)、被告人の母親も、印刷することと伝票の製本、新聞や印刷物の配達は一生懸命やってくれたと述べていること(甲野梅子の司法警察員調書)が認められるのであり、これらの事情に照らせば、原判決が説示するとおり(判690)、被告人は、△△社の社長の長男として家業を継ぐことを周囲から期待されるような環境に置かれており、高校入学後学業が低下して明治大学への進学も望めない状態となり、その上、関心が趣味に向けられるとなれば、家業を前提とした進路に抵抗感なく進むことはむしろ自然の成り行きと思われるとともに、被告人が自分の将来に無関心であったものとも思われないのである。
なお、中安鑑定は、被告人が短大への入学、××印刷への就職及び家業への従事につき父親の言うがままになっており、自ら希望を述べたふしが全く見当たらないことも集中力及び意欲の低下の現れと指摘するが、関係各証拠により認められるとおり、被告人の父親は、自分の妻や子供に対して頭ごなしに命令口調で物を言い、反抗すれば暴力を振るうこともあったこと(庚山九郎の検察官調書)も考慮すると、中安鑑定のこのような見方には疑問が残るのである。
そうすると、中安鑑定の指摘するところから、被告人について分裂病の陰性症状としての集中力及び意欲の低下の発現を認めるには疑問があるとした原判決の判断はこれを肯認することができる。
(3)ア また、中安鑑定は、原判決が補足説明七の3(四)の(2)④のイで摘示するとおり(判690以下)、被告人は、短大卒業後に身だしなみがだらしなくなったこと、友人に対する一方的・自己中心的な態度をとっていることなどを指摘して、これらは祖父死亡前に生じた感情鈍麻の現れであるとする(中214以下)。
イ 確かに、被告人の友人である甲山七郎は、昭和六一年に被告人と三年ぶりに再会した際の印象として、髪の毛もぼさぼさして、目つきも少し変わっており、歯もほとんど虫歯になっていて、顔もむくんだように丸くなっていたと述べているが、その原因については、印刷の仕事が辛かったからではないかと思ったと述べてそこに病的な異常を感じた趣旨のことは述べていない。また、捜査段階の被告人を撮影した写真(甲367号、442号、602号、751号、752号)によっても、病的異常を疑わせるような身だしなみのだらしなさは認められないし、平成元年六月に被告人と面談した写真店の店員は、被告人の写真を見せられて、その面談時には写真よりも髪をきちんとしていたと述べているのである(甲川竹子の司法警察員調書)。さらに、原判決が指摘するとおり(判607)、××印刷の上司、△△社の従業員、隣人、被告人が当時交際していた甲山以外の友人らからは、被告人の身なり、容ぼう等につき特異であったという供述は得られておらず、本件一連の犯行の間に、被告人が幼女らに言葉巧みに近付いて同女らのパンティが見える姿を写真撮影するなどしていた際にも、幼女らが被告人の風体を怪しんだような様子は窺われないこと、××印刷勤務中は昼夜交替勤務で疲労していたとも考えられ、また、被告人が家業に従事するようになった後は、仕事も私生活の延長のような甘やかされた状態にあって、身なり等に対する注意がおろそかになることも十分あり得ること、被告人はビデオテープの収集に熱中しており、身なり等を含め趣味以外のことに対する関心が低下することも怪しむに足りないと思われることも考慮すると、中安鑑定が指摘する身だしなみのだらしなさを感情鈍麻の現れとみるには疑問があるとする原判決の判断(判692以下)は是認できるのである。
ウ また、確かに、関係各証拠によれば、被告人がその家族や友人らに対して一方的で自己中心的な態度をとっていたものと認められるが、被告人の家庭内での態度、交友関係、対人関係等は、原判決が補足説明二の2で認定するとおり(判89以下)、小さいころから非社交的で、グループ内における協調性に欠けていたこと等に照らすと、友人等に対する被告人の一方的な態度は、むしろ被告人の性格傾向の現れとみるのが自然と思われ、感情鈍麻の現れとみるには疑問があることは、原判決の説示するとおりである(判694)。
エ さらに、被告人には、××印刷勤務中から捜査段階に至るまでの間も、その母親や友人に対して情を向ける態度を示したり、その加盟するビデオサークルの会員や捜査員に対しても打ち解けた生き生きとした感情表出を見せるようなエピソードが数多く存在すること、関根証言では、最初は感情表出が非常に少ないという印象が強くあったが、面接を重ねていくうちに、こちらの動静を注意深くうかがっており、テーマ次第で自分の方から溢れるように感情を吐露するということがあり、いろいろ動く面があることが分かってきたとされていること、原審第三五回公判期日における被告人質問の際の被告人の応答状況等に照らしても、自己の置かれた立場や状況を十分に把握していると窺われること(当審においても同様と認められる。)、保崎ら共同鑑定でも、被告人が鑑定時には無表情で簡単な質問にも答えず、一見するとぼーっとしているかのごとき状態でありながら、状況はかなり把握しており、鑑定人に反論したり、自己の主張したいことをきちんと述べるなどしているとされていることは、原判決が補足説明七の3(四)の②イのⅢ指摘するとおりである(判694以下)。そして、これらの事実関係に照らせば、原判決が説示するとおり、被告人の性格傾向とは別に、被告人の感情鈍麻の進展が著しいとする中安鑑定の見解も疑問とせざるを得ないのである。
(4) したがって、中安鑑定の分裂病の陰性症状に関する指摘について、分裂病の陰性症状としての集中力及び意欲の低下の発現を認めるには疑問があり、感情鈍麻の進展が著しいとする中安鑑定の見解にも疑問があるとした原判決の判断は、これを首肯することができる。
(四) 次いで、中安鑑定の指摘する易怒性ないし攻撃性の充進について検討する。
(1) 中安鑑定は、原判決が補足説明七の3(四)の(2)⑤で摘示するとおり(判699以下)、易怒性、攻撃性の亢進は、具体的には、家族・親戚に対する暴言・暴行あるいは動物虐待となって現われたものであり、対象や暴行の程度こそ異なるとはいえ、本件犯行における被害者の殺害と共通する部分も認められるところ、分裂病の始まりの時期に「理由の定かでない」暴力行為を見ることは臨床的に時々あることではあるが、それだけで分裂病と診断できるほどの特異性があるわけでも、常に見られるものでもなく、実際は往々事後的、遡向的にそれが分裂病の始まりであったのかということがある蓋然性をもって判断できるにすぎないのであり、被告人については、他に原因を求め得ないという除外診断のレベルで、この時期認められた易怒性ないし攻撃性の亢進を分裂病性であろうと判断するとしている(中296以下)。
(2) しかしながら、前記3(三)でみたように、確かに、被告人が祖父の死亡後に父母や妹に暴行を加え、親戚の者に暴言を吐き、動物を虐待するなどしており、この暴行や暴言は、被告人の自己中心的な態度や易怒性等を示すものといえるが、自分のわがままをぶつけられる相手や自分より弱い立場の相手に向けられたもので、個々にそれなりの理由・原因があって了解できるものであり、「理由の定かでない」暴力行為と同視することには疑問がある上、飼い犬や猫等に対する残虐行為も、被告人には幼少時のころにも乱暴な行為や動物の虐待等類似の行為が認められ、いずれも本件各犯行当時初めて出現したものではないこと(判603以下)に照らすと、被告人にみられる易怒性や攻撃性が分裂病以外に原因を求め得ないものとは思われないとした原判決の判断(判700以下)はこれを是認できるのである。
(五)(1)ア 原判決は、①本件一連の犯行における被告人の行動はそれなりに了解可能なものであり、被告人は己野冬子事件で逮捕されるまで約一年間のうちに四回もの誘拐・殺人等の同種犯行を反復し、その間に周囲の者らにも不審を抱かれることなく、捜査の網をかいくぐってきた上、拘禁されると、捜査段階ではおおむね犯行を認めたものの、原審公判段階に至り次第に犯行を否定して妄想的な説明を漸次付加し発展させていっているのであって(そこには自己の刑事責任の重大さの認識とこれを免れたいとの強い願望が潜んでいる。)、こうした経過は通常人が犯人であるならばよく理解できるものであるが、凶悪な犯行を犯した者が精神分裂病者であるとしながら拘禁されている状況がその者に影響するとは思い難いとの趣旨を説示する(判701以下)一方、②中安鑑定は、①の経過を被告人か本件犯行当時に思考障害は極めて軽微であるが感情障害が著しかったとの点から説明する(中595以下)が、関根証言によると、分裂病は人格全体の障害であるから、ある一部分の精神機能だけが冒されて他が正常だということは考えにくく、理性が障害を受ければ感情の面にも障害が及ぶとされ、保崎証言によると、高等感情が障害されているが知的な部分は保たれているということはあってもいいが、情意の面が冒されると知的な面でも以前よりレベルが下がってきたのではないかと考える点が多いなどとされていて、中安鑑定の説明には疑問のあることを説示しており(判702以下)、原判決のこれらの説示は、関係各証拠及び経験則に照らし十分合理的なものとして首肯し得るものである。
イ この点、所論は、中安鑑定人が被告人の行動における精神病様状態や了解可能性の有無について専門家として示した結論を真摯に検討することなく頭から了解可能と決め付けたものであるとして、原判決の前記ア①の判断は誤りであるというのであるが、この所論が理由のないことは、前記2(三)の(2)でみたとおりである。
(2)ア 加えて、中安鑑定は、被告人に対する問診結果から、同鑑定時において、主として病的機制である無意識的否認により、被告人には犯罪行為を行ったとみなされていることの認識が欠けており、精神鑑定の意味が理解されていないと判断し、これを同鑑定の前提ともしている(中16以下)が、保崎証言によると、被告人は保崎鑑定人の動機に対する発問に対して「それは先生のする仕事じゃない。先生は状態だけを聞けばいい。」などと言って答えを拒否する一方、同鑑定人に対し、精神病の状態とはどういう状態かとか、実感がないのは精神病かなどと発問するなどしており、共同鑑定人の一人である皆川邦直鑑定人に宛てた手紙においては、「そんなんで人を診られるわけがない。鑑定の手伝いなどと決まったそうだが、自分から辞退されるくらいの姿勢は見たいものだ。今まで人を何人も診てきたと聞くが、今まで「何人ひとを決めつけてきたか、診てこなかったか」を数えてみるといい。私はあなたを拒否する。」と書き送っており、被告人が同鑑定の問診の初めのうちは自分の精神鑑定のための問診であるという認識を有したことは明らかである。しかも、前記(三)の(3)エでみたとおり、原審第三五回公判期日における被告人質問の際の被告人の応答状況も、自己の置かれた立場や状況を十分に把握していることが窺われることも考慮すると、中安鑑定のそのような前提自体にも疑問が残るのである。
イ しかも、中安鑑定は、被告人の精神分裂病について、保崎ら共同鑑定終了までは、潜勢的な発病、緩徐な経過、軽微な症状で推移したものの、感情鈍麻のうちの情性欠如のみは重篤であったと判断しているが(中293以下)、保崎証言によると、このように分裂病として重いという説明とそれほど重くないという説明とが共存することには賛同できないとされるのである。
(六) 以上のとおり、被告人につき精神分裂病の罹患を認める中安鑑定の結果には数多くの疑問があるといわざるを得ないのであって、これが採用できないとした原判決の判断は、所論のように保崎ら共同鑑定の結論を鵜飲みにしたり、自らの精神医学的見解を優先させたり、十分な根拠もなく判断したりしたものではなく、客観性のある確たる根拠に基づくものとしてこれを是認することができ、この判断を論難する前記所論はいずれも採用することができない。
5 保崎ら共同鑑定について
(一) 所論は、原判決による保崎ら共同鑑定の評価について、同鑑定は被告人の捜査官に対する供述は信用できるのに対し被告人の原審供述は信用できないという誤った前提に立ち、しかも、被告人の是非弁別能力及び行動制御能力に「多少の問題」があるとしながらその影響について十分な検討を行っていないものであるから、同鑑定の結果には重大な疑問があるのに、原判決は、自らの精神医学的見解と一致することから同鑑定の結果を採用しており、十分な根拠に欠けるものとして、原判決のこの判断は誤りであるというのである。
(二)(1) そこで検討するに、所論のうち、保崎ら共同鑑定が被告人の捜査官に対する供述は信用できるのに対し被告人の原審供述は信用できないとするその前提が誤りであるとする点が理由のないことは、前記1でみたとおりである。
(2) また、所論は、被告人の是非弁別能力及び行動制御能力に「多少の問題」があるとしながらその影響について十分な検討を行っていないとして、保崎ら共同鑑定の結果に疑問があるというのである。しかしながら、前記二の3でみたところから明らかなとおり、同鑑定が被告人の是非弁別能力及び行動制御能力に「多少の問題」があるとしているのは、拘禁による影響が加わった後である同鑑定時の精神状態についてであって、本件各犯行当時の精神状態については、後記(三)の(2)でみるような詳細な検討を加えた上、極端な性格的偏り(人格障害)によるもので、精神分裂病を含む精神病様状態にはなく、被告人は是非弁別能力及び行動制御能力がいずれも保たれているとの判断を示しているのである。すなわち、被告人の刑事責任能力として本件で問題とされる本件各犯行当時の被告人の是非弁別能力及び行動制御能力について同鑑定が十分な検討を加えたものであることは明らかである。ちなみに、保崎証言では、本件各犯行当時の精神状態について全く問題はなかったとしている。したがって、この所論は前提を欠くというほかない。
(三) 次に、原判決が保崎ら共同鑑定の結論を採用したのは十分な根拠に欠けるという所論について検討を加える。
(1) 原判決は、まず、補足説明7の3(二)(判574以下)及び(三)(判601以下)において、関係各証拠から認められる事実関係に基づき、①本件一連の犯行における被告人の行動は、極めて冷酷かつ非情なものであって、その意味では異常なものであるが、それなりに了解可能なものであり、被告人は、己野冬子事件で現行犯人として逮捕されるまでの間、自己が犯人であることに直接結び付くような証拠を残すことなく、四回もの誘拐・殺人等の犯行を反復するとともに、大胆にも乙野花子らの遺族に犯行を告知する行為を繰り返し、かつ、この間、家族等周囲の者らにも、自己の犯行に気付かれることがなく、捜査の網をかいくぐって立ち回ってきたものであって、結局、そこには、被告人が本件各犯行当時病的な精神状態にあったことを窺わせる事情は見受けられないし、②本件各犯行当時ころに至るまでの間及び本件各犯行当時ころの被告人の生活状況等からは、被告人の、他者との協調性の欠如、自己中心的な態度、易怒性等を認めることができるが、それ以上に、被告人が病的な精神状態にあったことを窺わせるような事情は見受けられないとの判断を示しており、この判断が十分な根拠に基づくものであり、かつ、経験則に照らし合理的なものということができることは、前記2(三)でみたとおりである。
(2) 次いで、原判決は、補足説明七の3(四)の(1)(判614以下)において、保崎ら共同鑑定は、まず、被告人の家族歴、生育歴、行動傾向、性格傾向、知的な面、本件各犯行の動機、犯行についての記憶等について検討を加え、被告人につき人格障害者である可能性を示唆しつつ、同鑑定当時の被告人の現在症に拘禁の影響を考慮する一方で、精神分裂病を疑わせる要素もあるとして、その疑いにつき拘禁反応と対比しつつ検討し、結局精神分裂病の疑いを否定して、同鑑定の結論を導いているのであり、同鑑定が理由とするところに疑問とすべき点はなく、その結果も十分納得できるとの判断を示している。そこで、この判断の当否について検討することとする。
ア(ア) 保崎ら共同鑑定は、被告人の家族歴として、父方祖母の兄の孫(原判決が「父方祖母の兄の妹」と記載するのは誤記と認める。)が「自閉性精神遅滞」の病名で養護学校に通っている以外に狭義の精神病者等は知られていないことを指摘するほか、被告人の生育歴や行動傾向等として、被告人に両手の先天的障害があったが治療されないまま経過したこと、被告人の生育環境が情緒的に必ずしも恵まれたものではなかったこと、被告人がビテオやパズルに熱中して学業意欲や仕事に対する意欲の低下を招いたこと、ビデオテープ等の収集癖があること、小学生のころまで及び××印刷退職後に乱暴な行為や動物に対する残酷な行為が目立ったこと、家人も本件一連の犯行の前後での被告人の変化に気付いていないことなどを指摘していることは原判決摘示のとおりである(判616)。
(イ) そして、保崎ら共同鑑定が被告人の家族歴、生育歴、行動傾向等として指摘するところは被告人の乱暴な行為や動物に対する残酷な行為の細部の相違点を除いて正当と認められるとする原判決の認定判断(判617)は、関係各証拠に照らし是認することができる。
イ(ア) 保崎ら共同鑑定は、被告人の性格傾向として、内向的、非社交的で、一人での行動を好み、考えていることを周りに打ち明けることがなかったこと、犯行前の被告人は、目上の者にははっきりした意思表示をしないが、家族や友人には、自己中心的でわがままな行動が目立ったようであり、言い出したら聞かないようであったこと、動物などに対する残酷な行動が目立ったこと、被告人が、手の運動障害を気にして、擦れ違う人が自分のことを言っているのではないかと思うことがしばしばであった旨述べていることなどを挙げた上、被告人のこれらの性格傾向は、クレッチマーによる気質類型に従えば、極端な分裂気質あるいは分裂病質に属すると思われ、互いに相反する性質が混ざり合い共に存在しているところに分裂気質の特徴があって、被告人の性格傾向の特徴をかなり示しており、分裂病質型人格障害の国際診断基準ICD―10(国際疾病分類第一〇版。臨床的記述と診断ガイドライン一九八八年)、DSM―Ⅲ―R(精神障害の診断・統計マニュアル修正第三版)等にも照らして検討すると、被告人が人格障害者である可能性を示唆している(保96以下)とともに、神経学的検索、脳波検査、頭部CT検査、頭部MRI検査、染色体検査などいずれも異常を認めないことなどから脳器質障害の存在も否定されるとしていることは、原判決摘示のとおりである(判617以下)。
(イ) そして、被告人の性格傾向及びそこから被告人につき分裂病質型人格障害者の可能性を示唆する保崎ら共同鑑定のこの見解に疑問とすべき点があるとは思われないとする原判決の判断(判622)は、前記アでみたような被告人の生育歴や行動傾向、対人関係等を踏まえ、同鑑定が言及する国際診断基準等に照らし、正当として肯認することができる。
ウ(ア) 保崎ら共同鑑定は、被告人の知的な面について、心理検査では知能低下の所見がみられているが、少なくとも犯行当時は、被告人の供述や犯行の態様、最後に逮捕されるまで被告人の犯行が露見していないことや被害者宅に出した手紙の内容などから、知的に問題があったとは考えられないこと、また、鑑定時には無表情で簡単な質問にも答えず、一見するとぼーっとしているかのごとき状態でありながら、状況はかなり把握しており、鑑定人に反論したり、自己の主張したいことをきちんと述べるなど、精神内界はかなり活発であること、拘置所内の動静によると、読書や書き物をしているということであることを指摘し、被告人が知的には問題ないとの見解を示していることも原判決摘示のとおりである(判622以下)。
(イ) そして、被告人が知的に問題ないとする保崎ら共同鑑定のこの見解に疑問とすべき点があるとは思われないとする原判決の判断(判628)は、関係各証拠に照らし判断の前提とする事実認定に誤りはなく、被告人が知的に問題がないとした結論部分も経験則に照らし首肯できるから、この判断はこれを肯認することができる。
エ 保崎ら共同鑑定は、本件一連の犯行について、被告人は、成人女性に興味はあるもののあきらめて、その代償として幼女を対象としたものであり、殺害した後に性器を弄んだり、見ながら自慰を行ったというが、いわゆる小児愛、死体性愛の傾向が前からあったというわけではないようであるし、被告人の収集癖による貴重な自分だけの物を集めたいという欲望も加わって、ビデオテープに収めたものであろうとする見解を示していて、同鑑定のこの見解が正当であるとした原判決の判断(判629)は、前記第一の二の1(三)で検討した点等に照らしこれを肯認することができる。
オ 保崎ら共同鑑定は、被告人の本件各犯行に対する記憶について、被告人は少なくとも逮捕直後には犯行に対する記憶はほぼ保たれていたと推測されるとした上、原審公判に至り、犯行に対する実感がなくなってきたような説明をし、ニュースを聞いていろいろ想像したとか、覚えがないなどと主張していく一方で、「ネズミ人間」が現われたこと、おじいさんに「肉物体」を捧げるためにビデオ撮影をしたり切断したりしたこと、血を飲み指を食べたこと、両親は他人であることなどははっきり主張しているが、これらの訴えは、拘禁後に出てきたものであり、被告人に迷信的、神秘的、魔術的なものを信じやすい傾向がもともとあったとしても、収集した雑誌やビデオの影響と、特に拘禁の影響が強く現われているものと考えられるとの見解を示している。そして、同鑑定のこの見解が正当であるとした原判決の判断(判630以下)は、前記第一で検討したとおり、被告人の捜査官に対する供述が基本的に信用できるものであること、同鑑定の問診におけるこのような被告人の主張が拘禁後に生じてきたものであること、関係各証拠によれば、被告人が少年のころから悪魔などの神秘的、空想的なものに興味を持っていて、そうした事柄に関連する書籍やビデオテープを所持していたと認められることに照らし、すべて肯認できる。
カ(ア) 保崎ら共同鑑定は、原判決が補足説明七の3(四)の(1)⑥で摘示するとおり(判631以下)、要するに、被告人の性格傾向、学業成績の低下、被告人が二三歳時に三年ぶりに再会した友人の被告人に対する印象、同鑑定時の問診における被告人の態度や状態、奇妙な説明や考え、心理検査の一部の結果等から精神分裂病が疑われるとして精神分裂病と拘禁反応とを対比させつつ更に考察を加えた結果として、以下の点を指摘して精神分裂病を否定している。すなわち、
Ⅰ 被告人が訴えている体験の中で、祖父が傍らにいるとか話し掛けてくるとかの体験は、被告人が祖父を慕っていたという関係や祖父に現われてもらいたいという被告人の願望からみて、通常の精神分裂病の幻覚、幻視とは異なるようであり、質問すれば、いつもいると答える程度で、犯行当時の前後に祖父の声が聞こえたという訴えはない(保崎ら作成の鑑定書(以下「保」という。)107。保崎証言)。
Ⅱ 両親が実の親ではないとの被告人の訴えは、当初は「手の問題のある自分をわざと幼稚園にやってひどい目に遭わせる。本当の親ならそんなことをするはずがない。」との趣旨であったのが、時間とともに、両親が被告人の手の問題に十分対応してくれなかったことなどに強く反発してするようになったものであり、非実子妄想とか家族を否認する妄想というような感じではないし、家族関係の中における病人の有無について被告人自身が被告人を妊娠中に母親が病気になったと主張するなど矛盾した面があり、被告人が両親の面会を拒否していないことからも、分裂病の非実子妄想とは異なるものである(前同)。
Ⅲ 「ネズミ人間」が現われた、「肉物体」を捧げて手指を食べたとか覚えがない犯行であると述べたり祖父に関連して「甘い場所」という表現を使うなどする犯行等に関する被告人の供述は、要するに覚えがない犯行という主張であって、自己の責任を否定しようとするものであり、奇妙な説明ではあるが、この主張に関連する合目的的な内容のものであって、拘禁による影響が考えられ、精神分裂病によるものではない(保107以下。保崎証言)。
Ⅳ 被告人は、当初、「人が話していると自分のことを言っているんじゃないかと思った」とか、親戚が襲ってくるのではないかとおびえたりしていたが、被告人には、当初から、級友に手のことで噂されるという関係念慮がみられ、また、祖父の形見分けのことで親戚とやり合ったことがあるというそれまでのいきさつからみて、了解可能なものであり、精神病というほどではない(保112)。
Ⅴ 被告人には、強迫症状、させられ体験、考想伝播、思考奪取、思考吹入等の精神分裂病を特徴付ける他の症状は認められない(保47。保崎証言)。
Ⅵ 被告人は、鑑定の状態については、ほぼ認識しているようであり、被告人の既往歴や家族関係の病人などについては詳しく述べていた(保111。保崎証言)。
Ⅶⅰ 以上の点から考えると、被告人の逮捕時にされた犯行に関する説明は了解できるものであり、記憶はほぼ保たれていたと思われ、性格の極端な偏り(分裂病質型人格障害)以外に特に精神病的な状態にあったとは思われないし、簡単なことも分からないと言ったり年齢よりも子供っぽく感ぜられたり矛盾することも述べて追及されると分からないと言ったり、一見すると退行しているように見えても、結構周囲の状態は把握しているようであり、合目的的な内容が多いことから、鑑定時点では拘禁の影響が強く現われている状態であって、精神分裂病の状態にはないということができる(保111以下)。
ⅱ すなわち、被告人は、こうした犯罪を犯せば結果的に罪責感は薄れると思うし、強烈に罪悪感を持っているという感じではないが、ある程度はあるため、大事なことは否定していると考える。拘禁反応になってからは言を左右にして答えない。最初はおっかなびっくりやって思いがけない結果になり逃げ帰ったが、最後は割合大胆にやっている。情性欠如の犯行が行われたときは、情性欠如を中心とした性格異常者か精神分裂病を考えるが、冷情にも段階があり、家族やいろんな人に一方的であっても愛情を向けたり、日常生活では目立たないことが多く、部分的にそういう傾向を持っているということである。被告人の供述内容は了解でき、不思議なことはなく、枠を超えたといっても段々大胆になってこういうふうになったという被告人の説明は納得できる範囲である(保崎証言)。
ⅲ そして、被告人の現在症としては、拘禁時の精神障害の分類として指摘されるところの神経症ないし心身症、広い意味での反応性もうろう状態、反応性妄想に近いものが認められる。外見は表情がなくなって元気がないような状況に見えていて、内容的には拘置所で読書したり書き物をしたりしているのは矛盾ではなく、ある部分は妙に見えてある部分はそうでない面があるというところが拘禁的な状態になっている。被告人の拘禁反応の一番の特徴は、全体的に子供っぽくなっているという退行したような状態、表情や態度が普通でないこと、犯行に関する話の内容が、初めは否定しないで漠然とした印象を持っているという形から、行為そのものははっきり分からないと言い、「ネズミ人間」が現われたとか、おじいさんに捧げるための行為であったとか、裏返しのような説明をして、前に述べたことを否定している点にある。なお、ビデオテープについては、絶対に否定しないで非常にこだわっており、宝物だから返して欲しいと言っているが、子供っぽい状態になって大事なものに固執しているところだけが残っている(保崎証言)。
(イ) 以上のとおり精神分裂病を否定し被告人の現在症を拘禁反応とみる保崎ら共同鑑定のうち前記ⅠないしⅢ摘示の見解は、前記アないしオでみた事実関係に照らし、その結論を導く思考過程に疑問とすべき点はなく、その結論も、被告人の供述過程の詳細な検討に基づきこれら各症状が精神分裂病ではなく拘禁反応に基づくものであるとした中安鑑定の結果と符合するものである。また、同Ⅳ摘示の見解は前記4(二)で検討したところに照らし、同Ⅴ摘示の見解は簡易鑑定及び保崎ら共同鑑定における問診記録に照らし、同Ⅵ摘示の見解は前記4(五)の(2)アで検討したところに照らし、同Ⅶ摘示の見解は以上みてきたところを総合して、いずれも首肯することができるのであるから、保崎ら共同鑑定の以上の見解に疑問とすべき点はないとする原判決の判断(判631以下)はこれを肯認できるのである。
キ 保崎ら共同鑑定は、躁鬱病との関連について、犯行の一部が約二か月おきに行われていて一見周期性を思わせるが、被告人が犯行前及び犯行後に気分の高揚や落ち込みや意欲の低下を示した形跡はなく、被告人も周囲も気分や意欲について特別な変化は述べておらず、鑑定時にも、被告人は時に机をたたいて怒ったり涙ぐんだこともあったが、全般的には感情の起伏を表に出すことはなかったとして、犯行前後を通じて、また鑑定時も躁鬱病は否定されるとする見解を示していることは、原判決摘示のとおりである(判660)。そして、被告人の供述によっても各犯行時に被告人が特に高揚したような状況が窺われないことは、保崎証言指摘のとおりであり、また、内沼・関根鑑定及び中安鑑定がいずれも躁欝病の可能性を否定していることに照らしても、保崎ら共同鑑定のこの見解に疑問とすべき点はないとした原判決の判断(判661)はこれを肯認することができる。
ク したがって、被告人について精神分裂病の疑いを否定し、被告人の鑑定時の症状について拘禁反応であるとした保崎ら共同鑑定の理由とするところに疑問とすべき点はなく、その結果も十分納得できるものであるとする原判決の判断も、首肯できるのである。
(3) そうすると、原判決が十分な根拠もないまま保崎ら共同鑑定の結果を採用したとする所論もまた採用することができない。
(四) 以上のとおり、保崎ら共同鑑定の結果を採用した原判決を論難する所論はいずれも理由がない。そして、本件捜査段階の初期に行われた簡易鑑定がその問診内容に照らして検討しても特に疑問とすべき点がなく保崎ら共同鑑定の結果にも沿うという原判決の判断も首肯できるものであるところ、以上詳細に検討してきたことに加え、簡易鑑定の結果をも総合考慮すると、原判決が保崎ら共同鑑定及び簡易鑑定の各結果をいずれも採用したことは正当としてこれを是認できるのである。
6 まとめ
以上の次第で、原判決が保崎ら共同鑑定及び簡易鑑定の各結果をいずれも採用したことに誤りはなく、これらの各結果を含む関係各証拠を総合すれば、被告人は、本件各犯行当時、性格の極端な偏り(人格障害)以外に反応性精神病、精神分裂病等を含む精神病様状態にはなく、したがって、事物の理非善悪を弁別する能力及びその弁別に従って行動する能力を有していたと認められるのである。してみると、原判決が挙示する関係各証拠を総合すれば、原判示の各犯行に際して、被告人がいずれも完全な責任能力を有していたことは、合理的な疑いを超えてこれを肯認することができるのであって、原判決には所論のような判決に影響を及ぼすことが明らかな事実認定の誤りはない。論旨は理由がない。
第三 控訴趣意中、憲法違反の主張(控訴趣意書第四章)について
所論は、要するに、死刑確定者の処遇及び死刑執行の実態に照らせば、死刑は、最高裁昭和二三年六月三〇日大法廷判決(刑集二巻七号七七七頁)にいう「不必要な精神的・肉体的苦痛を内容とする人道上残酷と認められる」刑罰に当たるから、被告人に死刑を言い渡した原判決は、残虐な刑罰を禁ずる憲法三六条に違反するというのである。しかしながら、死刑が残虐な刑罰とはいえず同条に違反しないことはその後の累次の最高裁判所判例に徴して明らかであるが、所論にかんがみ、被告人に死刑を科すことの当否について検討を加える。
本件各犯行の罪質、回数、その動機・目的、経緯、態様、結果、社会的影響、被害感情等について、原判決が量刑の理由の項において説示するところは、いずれも正当としてこれを肯認することができるというべきである。
すなわち、本件は、原判示のとおり、被告人が昭和六三年八月二二日から平成元年六月六日までの一〇か月に満たない期間に、埼玉県内及び東京都内において、四歳、五歳、七歳の女児合計四人を次々とわいせつ目的で誘拐してその生命を奪った上、三人の死体を損壊あるいは遺棄し、更に同年七月二三日六歳の女児を言葉巧みに誘い出し全裸にしカメラで撮影しようとしていたところを同児の父親に逮捕されるに至ったというものであって、希にみる凶悪非道な連続犯行である。その一連の犯行の主たる動機は、女性性器を見たい、触りたいなどという性的欲求及び遺体やその性器等を陵辱玩弄する場面を撮影し、他人が持っていない珍しいビデオ、写真等を所持していたいという収集欲であって、人を疑うことを知らない幼い純真無垢な女児らが意のままになりやすいことに目を付けて、成人女性の代償としてその欲望充足の対象にしたという点において卑劣である上、その欲望充足のために生命を奪うことすら躊躇しない点において極めて自己中心的で冷酷、非情な犯行というほかない。
いずれの犯行も計画的なものであり、各誘拐の手口は巧妙である上、当初の犯行の成功によって味を占めて大胆さ、計画性を増している。すなわち、被告人は自動車を駆使して東京都西多摩郡五日市町内の自宅から埼玉県入間市、飯能市、川越市、東京都江東区、八王子市と広範囲の地域で誘拐するのに手頃な幼女らを求めて団地や小学校付近を徘徊し、団地内の路上等に一人でいる幼女を見付けると、周囲の人目に細心の注意を払いながら自車内に誘い入れ、遠く離れた山中まで連れ去って殺害していたが、ついには、誘い込んで間もなく殺害し、遺体を自宅に持ち帰るに至っている。各殺害の態様は、抵抗するすべもない幼い被害者にいきなり馬乗りになるなどしてその首を力一杯絞め付けて絶命させている上、中には被害者を全裸にして陰部を中心に写真撮影し、直後に殺害したものもあり、無慈悲かつ残忍な犯行というほかない。死体損壊・遺棄の犯行についても、遺体を陵辱玩弄してその場面をビデオ撮影したり、全裸の遺体を紐で縛ったまま山中に遺棄したり、被害者の頭蓋骨を叩き割ったり、遺体を頭部、胴体、手足首と切断して、ばらばらに遺棄し、その全裸の胴体部分のみを人目に付く場所に放置するなどしており、故人の尊厳、遺族の心情を著しく踏みにじるものというべきである。
被害に遭遇した幼児らは、その純真さ無邪気さから被告人を疑わずについて行ったがために、いずれも、被告人の欲望の餌食となり、幾多の可能性を秘めた幼い命を無惨に奪われてしまったものであって、誠に哀れというほかない。その遺族らは、愛児らの身を思いやり、一縷の望みを抱きながらその帰りを待ちわびた挙げ句、変わり果てた姿の我が子と対面せざるを得なかったのであって、本件により遺族らが蒙った精神的衝撃は極めて甚大で到底いやされようもないというべきである。現に、遺族らの中には心身に変調を来し、家庭崩壊にまで追い込まれた者もいるなど誠に悲惨な状況を呈しているのである。遺族らが被告人に対し極刑を強く求めているのも誠に無理からぬものというべきである。
加えて、本件各犯行は、連続して行われた衝撃的なものであって、冷酷非情な連続犯行として社会を震憾させ、犯行場所の近隣のみならず、被害者らと同年代の幼女のいる家庭に多大の恐怖を及ぼしたのであって、その社会的な影響にも甚大なものがあるというべきである。しかも被告人は、本件の報道を録画するなどして確認しながら、愛児の安否を気遣う遺族の下に遺骨を焼いて届けたり、手がかりを残さないように虚偽の内容の犯行声明文や告白文を送りつけ、あるいは報道機関に送付するなどして、一五年は捕まりたくないと公訴時効期間に相当する期間を持ち出してうそぶくなど遺族や社会を嘲笑する行動に出ているのであって、その冷酷さ、反社会性も際だっている。なお、被告人は捜査段階では一応事実を認め、動機も含めて詳細な供述をしていたものの、原審公判以降、拘禁の影響を受けていると思われる不自然、不合理な供述に終始して自己の非を全く認めておらず、反省の情は何ら示していない。
他方、被告人には、原判示のとおり、生来、両手の機能に不全があったにもかかわらず、両親らが適切な対応をとらなかったため、幼少時期から、これを悩みながら幼稚園や学校生活等を過ごし、家庭内では、両親の不和のみならず、同居している祖父母の不和にもさらされる一方、経済的には比較的裕福で、子供の躾、教育への関心が乏しいという状況の中で長男として甘やかされ、適切な躾や家庭教育を受けずに成育したことが、生来の性格傾向の歪みを増大させたものであって、これらが本件各犯行の背景をなしていると思われること、幼女も含めてその対象とした、即物的に性的興味を煽ったり、残忍さを売りものとするような映像や出版物等の影響を被告人が受けた可能性も否定できず、本件各犯行の遠因として幾ばくか機能した側面も否定しきれないこと、被告人の母が被害者らの冥福を日々祈っていること、原審国選弁護人の助力によって被告人宅の敷地を引き当てにするなどして合計八〇〇万円を工面し、遺族らに対し各二〇〇万円を慰謝料の一部として送金していること、被告人の父が本件犯行に対する世間からの厳しい批判等の重圧に耐えきれずに自殺していること、被告人には前科前歴がないことなど被告人にとって斟酌することができる事情も存する。
以上の諸事情、とりわけ、前記のとおり、自己の性欲充足等のため幼女を誘拐の上殺害しあまつさえ死体損壊、遺棄に及んだという本件犯行の罪質・動機の悪質性、殺害等の態様の残忍性、四人のいたいけな女児を殺害したという結果の重大性、遺族の被害感情の峻烈さ、社会的影響の重大性などに照らすと、本件の罪責は誠に重大であって、前記被告人に有利な事情をできる限り考慮し、死刑がその適用において慎重であるべき究極の刑罰であることを考え併せても、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむを得ないものと認められるのであって、このような罪責の重大性に徴し、被告人に対しては死刑をもって臨むほかないとの結論に達して、これを選択した原判決の量刑は、やむを得ないものというべきであって、その選択に誤りがあるとはいえない。結局、論旨は理由がない。
第四 結論
よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用は、同法一八一条一項ただし書を適用して、被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官・河辺義正、裁判官・廣瀬健二、裁判官・大谷直人)