東京高等裁判所 平成9年(ネ)1563号 判決 1998年10月28日
控訴人(原告) 小野薬品工業株式会社
被控訴人(被告) 太田製薬株式会社
主文
本件控訴を棄却する。
控訴人の当審で追加した請求を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
一 控訴人
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は、平成一〇年七月二一日が経過するまで、原判決別紙目録記載の医薬品を販売してはならない。
3 (当審で追加した請求)
被控訴人は控訴人に対し、金三七五万〇五九一円を支払え。
4 訴訟費用は第一、第二審とも被控訴人の負担とする。
5 仮執行の宣言
二 被控訴人
主文と同旨
第二事案の概要
本件は、控訴人が被控訴人に対し、本件特許権(平成八年一月二一日存続期間終了)に基づき、又は被控訴人による不法行為の効果として、平成一〇年七月二一日が経過するまで原判決別紙目録記載の医薬品(以下「本件製剤」という。)の販売の差止めを求め、さらに当審における追加的請求として、本件特許権存続期間中に被控訴人がした本件製剤の製造使用につき、本件特許権侵害による不法行為に基づく損害賠償を請求した事案である。
一 争いのない事実
1 当事者及び本件特許権については、原判決事実及び理由欄第二(事案の概要)の一(争いのない事実)の1、2項(原判決四頁末行から一七頁一〇行目まで〔知裁集三〇巻四号七九七頁四行目から八〇一頁一二行目まで〕)記載のとおりであるから、これを引用する。
2 存続期間中の本件製剤の製造使用
被控訴人は、本件特許発明と同一のメシル酸カモスタットを含む医薬品である本件製剤につき薬事法一四条の定める製造承認の申請をするために、同法施行規則一八条の三により、その申請書に添付する必要のある、<1>規格及び試験方法、<2>加速試験、<3>生物学的同等性試験(以下、右<1>ないし<3>を併せて「各種試験」という。)に関する資料の作成を目的として、本件特許権存続期間中に、本件製剤を製造し、各種試験に使用した。
各種試験は、後発医薬品の製造承認申請において必要な資料を得るための試験であり、その試験内容は、次のとおりである。
(一) 規格及び試験方法
性状試験、確認試験、定量法試験、製剤試験等を含み、当該医薬品の製剤の性状、品質の規定、有効成分の組成、含量等の規定を試験するものである。
(二) 加速試験
一定の流通期間中の品質の安定性を短期間で推定するために実施する試験であり、市販の製品と同じ包装を施した状態の検体を、気温摂氏四〇度、湿度七五パーセントの条件下で六か月以上保存し、試験開始時を含め四時点で検体の状態を確認するために(一)の規格試験の一部を行うものである。
(三) 生物学的同等性試験
先発品と生物学的に同等であることを証明するために実施する試験であり、健康人に臨床投与経路で一回投与し、適切な休薬期間をおいた交叉試験によって血中濃度を測定し、先発品と比較するものである。
3 製造承認の取得及び製造販売の準備
被控訴人は、本件特許権存続期間中から、本件製剤の製造、販売のための準備を開始していたところ、平成八年三月一五日、本件製剤につき製造承認を受けた。
二 争点
1 被控訴人が、本件特許権存続期間中に、本件製剤を製造し、各種試験に使用した行為が、本件特許権の侵害に当たるか。
(一) 右行為が、本件特許発明を業として実施したことに当たるか。
(二) 右行為が、試験又は研究のためにする本件特許発明の実施(特許法六九条一項)に当たるか。
(三) 被控訴人が右行為によって製造した本件製剤が、控訴人の販売する本件特許権に係るメシル酸カモスタット製剤と市場で競合することがない故に、右行為が実質的違法性を伴わないものといえるか。
2 被控訴人による本件製剤の製造及び各種試験への使用行為が、本件特許権の侵害に当たるとした場合に、
(一) 控訴人は被控訴人に対し、本件特許権存続期間終了後に、本件特許権に基づき、又は本件特許権侵害の不法行為の効果として、平成一〇年七月二一日が経過するまで本件製剤の販売の差止めを請求することができるか。
(二) 被控訴人が控訴人に対して支払うべき損害賠償額はいくらか。
三 争点に関する控訴人の主張の要点
1(一) 争点1(一)について
物の発明において、その物を生産し、使用する行為は実施に当たり(特許法二条三項一号)、また、個人的あるいは家庭的な実施以外の実施を「業としての実施」と解するのが通説であるから、被控訴人が、製造承認申請のため、本件特許発明と同一のメシル酸カモスタットを含む医薬品である本件製剤を製造し、各種試験に使用したことが、本件特許発明の「業としての実施」に該当することは明白である。
被控訴人は、特許法六七条二項の「その特許発明の実施」等と「業としての実施」が同じ意味であるとして、特許法の規定から本件製剤の製造、使用が「業としての実施」に該当しないと主張するが、それが同一の意味であるとは解されないものであり、そのように解する必要もない。
(二) 争点1(二)について
被控訴人が本件製剤を製造し、各種試験に使用したことは、試験又は研究のためにする本件特許発明の実施(特許法六九条一項)に該当しない。
(1) 特許法六九条一項の文言上は、同項が、試験研究のための特許発明の実施一般に広く適用されるようにも読める。しかし、そのように解するとすれば、例えば、ある種の測定法に関する試験研究の方法そのものの特許発明に関しては、およそ侵害となるべき行為の想定が困難となり、あるいは大学や研究機関で行われる試験研究のすべてが特許権を侵害しないということにもなりかねない。
このようなことから、特許法六九条一項は、特許発明の技術的内容を確認する行為に限定して適用されるべきであるとするのが一般的な学説であり、そのような行為として、具体的には、特許発明の技術的効果を確認するための調査、特許の対象となっている技術についての新規性、進歩性等の要件を確認するための調査、特許発明を迂回し特許権を侵害しないような技術を探索する行為、発明の改良を遂げ、より優れた技術を開発するために行われる調査等が挙げられている。
これらの調査等は、特許法が、発明の開示を登録要件とし、特許発明の技術内容が当業者に理解されることを前提としていること、特許要件を具備しない技術が過誤登録されたときにこれを無効とすることは特許法の目的に沿うものであること、開示された技術を基礎として改良を加える行為は特許法の目的に照らして奨励されるべきものであることから、これらにつながるものとして特許権の効力の範囲外とされるのである。
これに対し、特許発明の経済的効果を確認する行為等については、将来の販売目的のみのための実施であり、特許発明の技術的効果の確認、特許の要件の存否の確認を目的とするものではなく、まして、何らかの技術進歩を目的とする行為でもないから、特許法六九条一項の対象外であると解すべきである。
しかるところ、後発医薬品の製造承認申請において必要な資料を得るために行われる各種試験は、いずれも極めて単純な試験であり、本件製剤の製造承認を得るために、本件製剤が本件特許発明の化合物と同一であることを証明するデータを作成することのみを目的にして行われるものであって、これらの試験によって、本件特許発明の対象に何らかの改良、新しい知見ないし情報をもたらすものでないことは明白である。
仮に、服用しやすい剤型の工夫等の改良の端緒となる資料を得られる可能性があるとしても、その程度の本件特許発明の価値と比較してあまりにマイナーな改良にすぎないものは、特許権者の利益を犠牲にしてまで適法と評価されるような改良であるとはいい難く、特許法六九条一項の試験研究には当たらない。
したがって、被控訴人が本件製剤を製造し、各種試験に使用したことは、特許法六九条一項の「試験又は研究のためにする実施」に該当する余地のないものであり、控訴人の本件特許権を侵害する行為であることは明らかである。
被控訴人は、後発医薬品について、製剤化の検討(製剤の処方、製造方法の検討)及び各種試験の遂行の過程で、後発品メーカーは、各種ノウハウを獲得し技術水準を高めるのであり、これはひいては社会一般の技術進歩にも貢献すると主張するが、後発品の製剤の処方、製法については、極めて特殊なものを除き、先発品の製剤を購入して分析することによって、これを可能とするだけのデータが得られ、先発品と同じ製剤の製造をすることができるのであり、特別な検討は不要であるし、各種試験は、製剤化に関する新たな技術、ノウハウの開発とは無縁のものである。
(2) 昭和六二年法律第二七号による特許法改正の際に、特許権存続期間の延長登録制度(特許法六七条二項、右改正当時は同条三項)が設けられたことも、右の解釈の妨げとなるものではない。
すなわち、同制度は、医薬品等の発明については、特許権自体は成立しても、薬事法等の許可を得るまでは特許権者といえども製造販売をすることができず、事実上特許期間が侵食される結果となって発明のインセンティブが不十分となることから設けられたものであり、アメリカ合衆国において、先発品メーカーの業界と後発品メーカーの業界との政治的な駆け引きの結果、五年を限度として特許権の延長を認めると同時に、製造承認を得るための試験は侵害を構成しないとする規定、先発品メーカーの特許権存続期間中は製造承認申請を行い得ないとする規定が新設されたことが、立法のきっかけとなったものである。その立法の際、アメリカ合衆国の新制度を研究したうえで、我が国の医薬品業界の技術開発の実態に即してどの程度の期間の延長が必要であるかが検討されたのであるが、医薬品を中心とする規制産業において、どの程度特許期間の延長を認めるべきかという問題と、特許権存続期間終了前に製造承認を得るために必要な試験の実施や製造承認申請を認めるべきかという問題とは密接不可分の関係にあり、特許権存続期間中に後発品メーカーが製造承認に関わる行為を行い得る場合と禁止された場合とでは、製造承認を得るための審査に二年六か月かかる現状において、実質的に独占できる期間が変わってくるのであるから、この点も充分考慮されたものと考えられる。そして、当時、農薬取締法二条に基づく農薬登録を得る目的でなされた試験につき、技術の進歩を目的とするものでなく専ら販売を目的とするものである場合には、特許法六九条一項にいう試験研究たる実施に当たらないとした東京地裁昭和六二年七月一〇日判決(無体裁集一九巻二号二三一頁)が存在し、学説の多くの賛同を得ていたのであるから、仮に、立法者に、特許権存続期間中における後発品の製造承認申請のための試験を適法とする意思があれば、明文の規定を置くか、少なくとも疑義の生じないような手だてが講じられたはずである。それにもかかわらず、何らの措置も講じられなかったのであるから、右の当時の判例学説を前提として、特許権存続期間の延長登録制度が設けられたと解すべきであり、したがって、同制度が存在することは、被控訴人が本件製剤を製造し、各種試験に使用したことを違法と解することの妨げとなるものではなく、また、右の立法過程からみても、少なくとも既存の医薬品と同一であることを示すための生物学的同等性試験は、これを特許権存続期間中に行うことが違法であることは明白である。
(3) 各種試験の特許法六九条一項該当性を肯定した裁判例中には、薬事法における製造承認の公益性を、同項の解釈において考慮するものがあるが、控訴人は、薬事法上要求される試験が、特許権を侵害しないよう特許権存続期間終了後に行われるべきことを主張するにすぎないから、薬事法上の公益性を損なうものではなく、同項の解釈において薬事法上の公益性を考慮することは誤りである。
仮に、特許法で公益性を考慮する必要があるとしても、それは特許制度との関わりで論じられるべき公益性に限られるべきであり、それ以外の公益性を特許法の解釈で考慮する理由はない。薬事法は、医薬品の品質、有効性及び安全性の確保を目的とし、特許法は、発明の保護及び利用を図ることにより発明を奨励し、産業の発展に寄与することを目的とするものであるから、両者で考慮されるべき公益性の内容は全く異なり、特許法の解釈において、薬事法で論じられるべき公益性を考慮すべき理由は全く存しない。もとより、特許法施行令一条の三の規定が、薬事法における公益性を、特許法六九条一項の解釈において考慮する根拠となるものではない。
(三) 争点1(三)について
特許法上、特許権者は業として特許発明の実施をする権利を専有するとされており(同法六八条)、実施とは、生産、使用、譲渡等をいうものである(同法二条三項一号)。すなわち、同法の趣旨、文理からいって、特許法六九条等明文の除外事由に該当しない限り、特許権存続期間中に特許権者の許諾なく特許発明を実施することが侵害に当たることは明らかであり、市場に出されるのが、特許権存続期間終了後であるからといって、特許権者が侵害を甘受しなければならない理由はない。
したがって、被控訴人が、本件特許権存続期間中に、本件製剤を製造し、各種試験に使用した行為が、実質的違法性を伴わないということはできない。
2(一) 争点2(一)について
(1) 本件特許権に基づく差止請求権について
ア 被控訴人が、本件特許権存続期間中に本件製剤を製造し、各種試験に使用したことは、前記1のとおり、本件特許権を侵害する行為に当たるところ、被控訴人は、その侵害行為の結果として本件製剤につき製造承認を取得し、本件特許権存続期間終了後直ちに本件製剤を販売して利益を得ようとするものである。
このように、被控訴人が、本件特許権存続期間中の侵害行為に基づいて、存続期間終了後にその成果を得ようとする場合においては、控訴人は、特許権存続期間終了後も、存続期間中の侵害行為がなかったとすれば、現在あるであろう状態に戻すという限度において、本件特許権に基づく差止請求権を行使することができるものと解すべきである。
そして、本件製剤のような、医療用の後発医薬品については、後記(二)のとおり、各種試験に着手してから製造承認を取得するまでに少なくとも二年六か月を要するので、被控訴人が、本件特許権を侵害することのないようにするため、その存続期間終了の日の翌日である平成八年一月二二日に各種試験に着手したとすれば、本件製剤につき製造承認を取得し得るのは、早くともその二年六か月後の平成一〇年七月二一日であり、被控訴人は、同日が経過するまでは本件製剤の販売ができないこととなる。
したがって、控訴人は被控訴人に対し、本件特許権に基づく差止請求権の行使として、平成一〇年七月二一日が経過するまで、本件製剤の販売の差止めを請求することができる。
イ 原判決は、特許権存続期間終了後は、もはや特許権に基づく差止請求権を行使することができないから、本件特許権に基づく差止請求が不適法である旨判示するが、それは誤りである。
すなわち、原判決は、特許権に基づく差止請求の訴えにおいて、特許権が有効に存続することを訴訟要件と解しているが、これは実体的な要件であって訴訟要件ではない。
のみならず、特許法は、発明について登録制度を設け、登録された発明に、一定期間に限り特許権という排他的独占的権利を付与するとともに、当該期間経過後は一般の自由利用に委ねることによって、発明の保護と発明の利用との調和を図り、発明への意欲を喚起して、社会の発展への寄与を確保しようとするものである。したがって、特許法は、特許権存続期間内に特許権侵害により排他的独占的利益が害されたときは、たとえ、その事実が存続期間終了後に判明した場合であっても、特許権者に右存続期間内の被侵害利益を回復することを認めているものと解すべきである。特許権に基づく差止請求権は、同じく特許法に根拠を有するとはいえ、特許権そのものとは別個の権利であるから、特許権消滅後も特許権に基づく差止請求権が存続し、元特許権者は、存続期間中の侵害行為による損害の拡大を防止するため、これを行使し得るものと解することが可能である。
また、特許権存続期間終了後は特許権に基づく差止請求権を行使することができないとすれば、差止請求以外の特許権侵害に対する救済方法である不法行為に基づく損害賠償請求、不当利得返還請求が特許権存続期間経過後であっても認められることとの均衡を失する。この場合に、損害賠償請求、不当利得返還請求が存続期間経過後も認められる理由が、存続期間経過後である現在ないし将来の侵害行為ではなく、特許権存続期間中の侵害行為を対象とするからであるというのであれば、特許権存続期間終了後は特許権に基づく差止請求を容認できないとする理由も、特許権の不存在ではなく、現在ないし将来の侵害行為の不存在に求められるべきであるところ、本件において、被控訴人は、本来存続期間経過後に着手すべき後発品の製造販売の準備行為を存続期間経過前から開始しているという意味で、特許権存続期間中からの侵害行為が現在も継続しているのであり、現在ないし将来の侵害行為が不存在であるという事情は存在しないのである。
さらに、原判決は、特許権者が、特許権存続期間終了後も、後発品につき製造承認がされるまでの期間に相当する間に受ける利益を、事実上のものにすぎないと判示するが、被控訴人が本件製剤を製造し、各種試験に使用した行為は、特許権存続期間中の実施であって、特許権を侵害する違法な行為なのであり、特許権存続期間終了後直ちに後発品が販売されることによって控訴人が失う利益は、その特許権存続期間中の違法行為の結果であるから、事実上の利益として法的保護に値しないというものではない。
(2) 不法行為の効果としての差止請求権について
被控訴人が、本件特許権存続期間中に本件製剤を製造し、各種試験に使用したことは、前記1のとおり、本件特許権を侵害する行為であり、控訴人に対する不法行為に当たる。そして、前記(1) のとおり、控訴人は、本件特許権存続期間終了後、各種試験に着手してから製造承認を取得するまでに要する少なくとも二年六か月間は後発品メーカーの参入を受けずに市場を独占し得る利益を有していたところ、被控訴人の右不法行為によってこの利益が侵害されているのであるから、控訴人は、不法行為の効果として、本件製剤の販売の差止めを求めることができる。
原判決は、不法行為に基づく差止請求が、権利侵害が現に継続する場合に認められるとしながら、本件特許権が存続期間の終了によりすでに消滅しているから、本件において、不法行為の効果としての差止請求を認める余地はないとしたが、本件における被控訴人の不法行為たる侵害行為は、特許権存続期間中に本件特許権を侵害する意図の許に実行された本件製剤の製造、各種試験への使用から、特許権存続期間終了後の販売行為までの一連の一個の行為として捉えるべきであり、かかる侵害行為は現在まで継続しているのであるから、本件は権利侵害が現に継続する場合である。
(二) 争点2(二)について
被控訴人は、本件製剤の製造承認取得のため、本件特許権存続期間中に本件製剤を製造し、これを各種試験に使用して、本件特許発明を実施し、本件特許権を侵害したものであるから、控訴人は被控訴人に対し、平成一〇年法律第五一号による改正前の特許法一〇二条二項に基づき、少なくとも、本件特許発明の実施に対し通常受けるべき金銭の額に相当する額を損害賠償として請求をすることができる。そして、本件における実施料相当額は、各種試験に使用するために製造された本件製剤の製造販売価額と本件特許権存続期間終了後二年六か月の期間中の本件製剤の製造販売価額を合計した額に、新薬の特許発明につき非独占的な実施権を付与する場合の通常の実施料率を乗じて算出すべきである。
すなわち、被控訴人は、本来本件特許権存続期間終了時より、各種試験に着手して後製造承認を取得するまでに要する期間の間は、本件製剤を製造販売できなかったのであり、その期間は、少なくとも加速試験に要する六か月と医療用後発医薬品の製造承認に係る承認申請受理から承認までの標準的処理期間二年を併せた二年六か月である。ところが、被控訴人は、本件特許権侵害行為によって、本件製剤を製造販売できない本件特許権存続期間終了後二年六か月の間に本件製剤を製造販売し、不当に利益を得ようとしているのであるから、実施料相当額を算定するに当たって、右期間中の本件製剤の製造販売額を考慮すべきは当然である。
そして、これによって算出した実施料相当額は、次のとおりである。
ア 各種試験に使用するために製造された本件製剤の製造販売価額
<1> 各種試験に使用するための最低使用量(一錠当たり一〇〇ミリグラムとする)
規格試験 二七〇錠
加速試験 一〇八〇錠
生物学的同等性試験 一六錠
合計 一三六六錠
<2> 被控訴人が各種試験を行った期間を含む平成二年四月一日から平成八年三月三一日までの間の控訴人が製造販売するメシル酸カモスタット製剤(フォイパン錠)の薬価 一七三円
<3> 製造販売価額 二三万六三一八円(173×1,366=236,318)
イ 本件特許権存続期間終了後二年六か月の間の本件製剤の製造販売価額
実勢価格による推定販売価額 三七一四万二四〇〇円
ウ 実施料率
製造販売価額の一〇パーセント
エ 実施料相当額 三七三万七八七一円
((236,318+37,142,400)×0.1=3,737,871)
四 争点に関する被控訴人の主張
1(一) 争点1(一)について
特許法六八条が「特許権者は、業として特許発明の実施をする権利を専有する。」と定めることから、第三者の行為が「業としての実施」に該当するものでなければ、その行為はそもそも特許権の侵害行為に当たらない。
そして、本件で、控訴人が本件特許権の侵害であると主張するのは、被控訴人が、本件製剤についての製造承認申請の添付資料を作成する目的で、本件製剤を製造し、各種試験に使用した行為であるが、被控訴人は、本件特許権存続期間終了後に本件製剤を製造、販売するため、当該製造承認申請をしたものであり、右のような製造承認申請のためにする行為を含めて、特許権存続期間終了後に実施をするための準備行為は、「業としての実施」に該当しない。
すなわち、「業としての実施」に該当しない典型例とされている個人的、家庭的実施は、それが市場において特許権と競業関係に立たず、権利者の独占の外に位置させても権利者に何らの損害も与えないから、「業としての実施」に該当しないものとされているのであるが、製造承認申請のためにする準備行為も、これと同様、特許権者に何らの損害も与えない。製造承認の取得は、行政法規で定められた義務であり、その取得を目的として、医薬品を製造し、各種試験に使用することはそれ自体利益を目的とした行為ではないし、各種試験のうち当該医薬品を人間に投与する生物学的同等性試験にあっても、投与は健康人に対してするものであって、患者に投与して治療するものではないから、特許権者と競業する行為ではなく、その点で個人的実施と何ら変わるものではない。
また、特許法六七条二項において「その特許発明の実施」が、医薬品の発明の場合には、製造承認の申請行為を含む準備行為を明らかに除外する意味で用いられており、特許法等を改正する法律である平成六年法律第一一六号の附則(改正附則)五条二項、特許法七九条においては、それぞれ「発明の実施である事業の準備をしている者」が「発明の実施である事業をしている者」と区別されているところ、ここでいう「その特許発明の実施」、「発明の実施である事業」が、特許法六八条の「業としての実施」と同じ意味であることは明らかであるから、特許法の規定からも、準備行為が「業としての実施」に該当しないことは明白である。
(二) 争点1(二)について
被控訴人が本件製剤を製造し、各種試験に使用したことは、試験又は研究のためにする本件特許発明の実施(特許法六九条一項)に該当する。
(1) 特許法六九条一項は、特許発明の実施が「試験又は研究」を目的にする場合には、特許権の効力が及ばない旨を定めているところ、その「試験又は研究」がいかなる目的を有するかによる限定は何ら付されていないから、客観的に「試験又は研究」に該当するものであれば、そのための特許発明の実施には同項が適用される。
そして、各種試験は、たとえそれが製造承認申請において必要な資料を得るための試験であるとしても、自らが製造し将来市場に出そうとする製品の内容、性状、機能等を調べるものであるから、典型的な「試験」行為である。
(2) 厚生省は、従前から、特許権存続期間終了後の実施に向けての製造承認申請を特許権存続期間中に受理していたが、同省薬務局審査課の各都道府県薬務主管課宛て平成七年六月二八日付事務連絡により、「先発品の特許期間満了日前の後発品の承認申請の取扱い」について、「特許期間の終了を見込み、承認審査の標準的処理期間を考慮して後発品の承認申請を行うことは差し支えないものとすること。」とした。このことからも、特許権存続期間終了前における製造承認申請のための準備行為が法的に問題のないことは明らかである。
(3) 控訴人は、各種試験が極めて単純な試験であり、これらの試験によって、本件特許発明の対象に何らかの改良、新しい知見ないし情報をもたらすものでないと主張するが、各種試験は先発品によって確認された有効性及び安全性を単に追認するのではなく、後発品固有の技術開発並びに有効性及び安全性のある新たな製剤を生み出すという社会的寄与がある。
すなわち、後発品について、製剤の処方(有効成分を服用しやすくするための剤型や有効成分以外の配合物質を決定し、製剤化すること)とその製造方法を検討する「製剤化の検討」を経て、各種試験を遂行する過程で、後発品メーカーは、各種ノウハウを獲得し技術水準を高めるのであり、これはひいては社会一般の技術進歩にも貢献する。また、医薬品は、その宿命として、市販された後においても有効性及び安全性が絶えず監視されなければならないのであり、より多くのメーカーが、当該医薬品について試験をすることは、各社それぞれの技術開発に加え、有効性及び安全性の面でも社会一般の利益に貢献するものである。
(4) 控訴人は、特許権存続期間の延長登録制度(特許法六七条二項)が設けられたことが、特許権存続期間終了前における製造承認申請のための準備行為を違法とする解釈の妨げとなるものではないと主張するが、医薬品特許に特有の薬事法上の実施制限のため、製造承認までの準備期間は特許発明の実施ができないことを理由として、その期間に相当する特許権存続期間の延長が制度的に確立したのであるから、後発会社の同じく製造承認申請のための準備行為を違法とするのは明らかに均衡を失するものである。控訴人は、特許権存続期間の延長登録制度が設けられた当時、東京地裁昭和六二年七月一〇日判決が存在していたのであるから、仮に、立法者に、特許権存続期間中における後発品の製造承認申請のための試験を適法とする意思があれば、明文の規定か疑義の生じないような手だてが講じられたはずであるとも主張するが、問題とされているのは、特許権存続期間終了後の実施に向けて同期間中に準備行為を開始することの適否であり、放置しておけば侵害者側が特許権存続期間中に製造販売を開始するおそれの十分あった事例に関する同判決とは、問題が異なる。特許権存続期間終了後の実施に向けて同期間中に準備行為を開始することは問題なく行われていたのであり、そのことは、右(2) の事務連絡によっても明らかである。
(三) 争点1(三)について
特許権者が独占の利益を享受するのは、特許権存続期間中における市場競争の場においてであるところ、各種試験に供した本件製剤が市場で控訴人の製剤と競合することはないから、控訴人には何ら損害は生じない。したがって、被控訴人が本件製剤を製造し、各種試験に使用した行為は実質的違法性を欠くものである。
2(一) 争点2(一)について
(1) 本件特許権に基づく差止請求権について
本件特許権は、平成八年一月二一日に存続期間終了によって消滅したのであるから、本件製剤の製造承認申請のための準備行為が違法であるか否かを問わず、本件特許権に基づく差止請求が成立する余地がないことは明白である。
そして、控訴人は、本件特許権がすでに消滅したことを自認しているのであるから、本件特許権に基づく差止請求の訴えは、訴えの利益を欠くものである。
控訴人は、特許権存続期間中に侵害行為があった場合には、存続期間経過後においても、利益回復のために特許権に基づく差止請求が認められるとして縷々主張するが、法律上の根拠のない独自の議論であるにすぎない。
(2) 不法行為の効果としての差止請求権について
本件特許権は、平成八年一月二一日に存続期間終了によって消滅しており、その後の被控訴人の本件製剤販売行為が特許権侵害の不法行為を構成することはあり得ない。
控訴人は、特許権存続期間中の本件製剤の製造、各種試験への使用から、特許権存続期間終了後の販売行為までを一連の一個の行為として捉えるべきであると主張するが、なぜそのように捉えるべきなのかが明らかでないし、仮に一連の一個の行為として捉えられたとしても、特許権存続期間終了後の行為までが違法とされる理由はやはり明らかではない。
結局、控訴人の主張はおよそ採り得ない議論である。
(二) 争点2(二)について
控訴人の主張のうち、各種試験に使用するための使用量が一三六六錠であったこと、フォイパン錠の薬価が一七三円であったことは認め、その余は争う。
第三争点に対する判断
一 争点1(一)について
被控訴人が、本件特許権存続期間中に、本件製剤を製造し、各種試験に使用したのが、本件特許発明と同一のメシル酸カモスタットを含む医薬品である本件製剤につき、薬事法一四条の定める製造承認の申請をするためであったことは、前示第二の一の2のとおりである。したがって、被控訴人の右行為は、本件製剤を製造販売するための準備行為として、被控訴人の事業活動の一環としてなされたことは明白であるから、それが控訴人による本件特許発明の実施と市場において競業しないとしても、業として本件特許発明を実施したことに当たるものといわざるを得ない。
特許法六七条二項の「その特許発明の実施」を同法六八条の「業としての実施」と同じ意味に解さなければならない理由はなく、また、平成六年法律第一一六号の附則(特許法改正附則)五条二項、特許法七九条の規定も被控訴人の右行為が業として本件特許発明を実施したことに当たるものと解することの妨げとなるものではない。
二 争点1(二)について
1 特許法六八条は、「特許権者は、業として特許発明の実施をする権利を専有する。」旨定め、特許権が独占的排他権であって、特許権者の了解がなければ、業として特許発明を実施することは、原則としてできないとの特許権の効力を明らかにしている。そして、「特許権の効力は、試験又は研究のためにする特許発明の実施には、及ばない。」旨を定める同法六九条一項は、右のような原則に対して例外に当たる場合を定めたものであるところ、同項の「試験又は研究」という概念自体相当程度広範なものであるうえに、同項は、その「試験又は研究」の目的、「特許発明の実施」の態様等につき何らの限定も伴っていない。しかしながら、右のような限定がないからといって、およそ「試験又は研究のためにする特許発明の実施」の外形を有するあらゆる行為がこれに該当すると解することは相当ではない。なぜなら、特許法が特許権を独占的排他権として構成した趣旨又は目的との関係において、その例外たるべき合理的・実質的な根拠を伴わない特許発明の実施についてまで、特許権の効力を及ぼさないとする理由は見い出せず、同項がかかる場合までも同項該当行為に含める趣旨であるものとは考えられないからである。したがって、特定の特許発明の実施が、その「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当するものであるかどうかは、特許法が特許権を独占的排他権として構成した趣旨又は目的を考慮したうえで、当該特定の特許発明の実施が、右の趣旨若しくは目的に沿い、又はこれに反しないものであるかどうか、あるいは右の趣旨又は目的に対して劣後するものではないと考えられる何らかの法的利益を実現するものであるかどうか等を検討することによって決せられるべきものと解される。
しかるところ、特許制度は、発明者にその発明を公開させ、その代償として、発明者に対し、一定の期間を限って、業としてその発明を独占的に実施する権利である特許権を付与することにより、発明に対する意欲を高め、発明を奨励するとともに、発明の公開をもって、社会一般の技術的進歩に役立たせることを制度の根幹の一つとするものであり、特許権が独占的排他権として構成される趣旨も、かかる制度目的に基づいて理解されるべきものである。
しかるときは、控訴人が主張する特許発明の技術的内容を確認する行為、具体的には、特許発明の技術的効果を確認するための調査、特許の対象となっている技術についての新規性、進歩性等の要件を確認するための調査、特許発明を迂回し特許権を侵害しないような技術を探索する行為、発明の改良を遂げ、より優れた技術を開発するために行われる調査等は、概ね控訴人が主張するとおり、右の特許権を独占的排他権として構成した趣旨ないしその前提をなす制度目的に沿うものであるか、又は、少なくとも、その制度目的との関係において、特許権を独占的排他権として構成した趣旨に反しないものとして、特許法六九条一項の「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当するものと解される。
しかしながら、同項の「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当する行為が、右のような特許権を独占的排他権として構成した趣旨ないしその前提をなす制度目的そのものに由来するものに限られると解することはできない。なぜなら、発明者に対し、発明の公開の代償として、一定の期間を限って、業としてその発明を独占的に実施する権利である特許権を付与するものとする一方で、右の一定期間経過後は、何人も自由にその発明の実施をすることができるものとして、これを自由競争のための社会一般の財産に帰せしめることも特許制度の根幹の一つであって、特許法の枠内における解釈のみからしても、このような他の制度目的との関係において、同項の「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当する行為の範囲を検討すべき場合があり得ることは当然であるのみならず、前示のとおり、特許法六九条一項の「試験又は研究」という概念が広範なものであり、また、同項が「試験又は研究」の目的、「特許発明の実施」の態様等につき何らの限定も伴わないことに鑑みれば、前示の特許法が特許権を独占的排他権として構成した趣旨又は目的が、直接には特許法がその目的とするところではない社会一般の利益、より具体的には、他の法令がその目的として保護する公益との比較衡量において、これに対し譲歩しても不当とは解されない場合として、同項の「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当すると認めるべき行為も存在するものというべきであるからである。
控訴人は、特許法で公益性を考慮する必要があるとしても、それは特許制度との関わりで論じられるべき公益性に限られるべきであり、それ以外の公益性を特許法の解釈で考慮する理由はないと主張し、本件証拠中にもこれと同旨の見解を述べ、あるいは示唆する論考が存在する。しかし、特許制度は、もとより我が国の諸法制の一分野であって、他の諸法制と無関係に存在するものでないことはいうまでもなく、したがって、特許法に基づく特許権者の利益にしたところで、特許法を含む我が国の諸法制全体によって構成される種々の法益の一つとして、他の法益、なかんずく公益との調整を欠くことのできないものであるし、また、かかる調整があり得ることを前提として、その存在意義が認められるものである。このように特許法に基づく特許権者の利益であっても、特許法がその直接の目的とするところではない公益との調整を図ることが必要であることは、特許法上、一条の「この法律は、発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もって産業の発達に寄与することを目的とする。」との定めのうちに既に示唆されているものというべきであるし、公益との調整を図る見地から特許権の成立を否定し、あるいはその効力を制限する規定である同法三二条、六九条二項一号、三項、九三条等において現実化しているところである。とりわけ、同法六九条一項と同様、特許権の効力が及ばないとする文言の規定によってその制限がなされている同条二項一号、三項においては、その制限をすることによって保護しようとする公益の内容(国際交通の混乱の防止、医療の混乱の防止)が具体的に明らかとなっており、かつ、それが特許法が直接その目的とするところではない公益であることからみても、特許制度との関わりで論じられるべき公益性以外の公益性を特許法の解釈で考慮する理由はないとする控訴人の立論が成り立たないことは明白である。そうすると、「試験又は研究」の目的、「特許発明の実施」の態様等につき何らの限定も伴わない同法六九条一項は、これらの規定と同様に、他の法令がその目的として保護するものを含む公益との調整を図る見地から、特許権の効力を制限する趣旨も包含する規定であると解することが自然である。
2 そこで、被控訴人が、本件製剤を製造し、各種試験に使用した行為について、これが特許法六九条一項の「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当するかどうかを検討する。
(一) 被控訴人が、本件特許発明と同一のメシル酸カモスタットを含む医薬品である本件製剤につき、薬事法一四条の定める製造承認の申請をするために、同法施行規則一八条の三により、その申請書に添付する必要のある各種試験(<1>規格及び試験方法、<2>加速試験、<3>生物学的同等性試験)に関する資料の作成を目的として、本件特許権存続期間中に、本件製剤を製造し、各種試験に使用したこと、各種試験が、後発医薬品の製造承認申請において必要な資料を得るための試験であることは、前示第二の一の2のとおりであり、各種試験の試験内容も前示第二の一の2の(一)ないし(三)のとおりである。これらの事実によれば、被控訴人が、各種試験のために、本件製剤を製造し、使用した行為は、「試験又は研究のためにする特許発明の実施」の外形を有するものと認められる。
(二) ところで、薬事法は、医薬品の製造業の許可を受けた者でなければ、業として、医薬品の製造をしてはならない旨(同法一二条一項)、厚生大臣は、基準を定めて指定する医薬品を除き、医薬品を製造しようとする者から申請があったときは、品目ごとにその製造についての承認を与える旨(同法一四条一項)、製造業の許可の申請者が製造しようとする物が製造承認を要するものであって、製造承認を受けていないときは、その品目に係る製造業の許可を与えない旨(同法一三条一項)をそれぞれ定めており、これらの規定によれば、結局、業として医薬品を製造しようとする者は、厚生大臣が基準を定めて指定する医薬品を除き、品目ごとに厚生大臣の製造承認を得る必要があることになる。そして、同法一四条二項は、製造承認は、申請に係る医薬品の名称、成分、分量、構造、用法、用量、使用方法、効能、効果、副作用等を審査して行うものとし、同条三項は、製造承認申請をしようとする者は、厚生省令の定めるところにより、申請書に資料を添付して申請しなければならないとしており、本件製剤につき製造承認申請をしようとする被控訴人は、右各規定の定めに従って、厚生省令である薬事法施行規則一八条の三により申請書に添付する必要のある資料を得るために、本件製剤を製造して各種試験に使用したものである。
薬事法は、「医薬品、医薬部外品、化粧品及び医療用具の品質、有効性及び安全性の確保のために必要な規制を行うとともに、医療上特にその必要性が高い医薬品及び医療用具の研究開発の促進のために必要な措置を講ずることにより、保健衛生の向上を図ることを目的とする。」(同法一条)ものであって、同法が医薬品の製造につき製造承認を要するものとする規制を行い、その申請に係る医薬品について所定の審査を行うのは、医薬品の品質、有効性及び安全性を確保して、保健衛生の向上を図るためであると解される。そうすると、製造承認の申請者が、申請書に添付する必要のある資料を得るために行う各種試験の目的も、同じく、医薬品の品質、有効性及び安全性を確保することに帰着することは明らかである。
控訴人は、後発医薬品の製造承認申請において必要な資料を得るために行われる各種試験は、いずれも極めて単純な試験であり、本件製剤の製造承認を得るために、本件製剤が本件特許発明の化合物と同一であることを証明するデータを作成することのみを目的にして行われるものであると主張するところ、仮に各種試験にその主張のような側面があるとしても、そのような各種試験についての資料の添付が要求され、製造承認に係る審査の対象とされるのは、既に製造承認を経て医薬品としての品質、有効性及び安全性が確認されている先発医薬品に係るデータを利用しつつも、後発品自体についての品質、有効性及び安全性を確認して、将来後発品の投与を受けることとなる多数の者の安全を確保するためであることは明らかであり、その意味で、後発品についての製造承認のための審査や、その申請のために行う各種試験が、内容的に先発医薬品の場合と異なるからといって、薬事法におけるその意義の点で相違があるものということはできない。そして、このような製造承認による医薬品製造の規制、審査及びそのための各種試験が、薬事法の実現しようとする法的利益と直接関係するものであり、かつ、多数の者の生命身体の安全に直接関わる極めて公益性の強いものであることは論ずるまでもないところである。
(三) 右のとおり、本件において被控訴人が実施した各種試験は、本件特許発明の実施に当たるものではあるが、薬事法の目的とする極めて強い公益の実現に関わるものである。それのみならず、前示の各種試験の内容等に照らすと、製造承認申請をしようとする者が各種試験を行うためにする特許発明の実施において、製造された製剤は、患者に投与されることなく各種試験を行う過程で費消されるのであるから、その特許発明の実施によって、製造承認申請をしようとする者に直接収益がもたらされるわけではなく、また、特許権者側の特許発明の実施と競業するものでもないから、特許権者が、その特許発明を実施するという側面において受ける実質的損害は皆無である。もっとも、この点は、特許権存続期間中に各種試験を経ることによって、後発品メーカーが存続期間終了後直ちに市場に参入することをもって特許権者の損害と捉えるのであれば別の結論に至ることになるが、そのように解することが許されないことは次に述べるとおりである。
(四) 製造承認を得るために、各種試験に着手してから製造承認申請を経て製造承認を取得するまでの間に、各種試験の期間及び審査期間等としてある程度の日時を要し、その間、医薬品の製造が規制されることはやむを得ないことであるが、仮に、特許権存続期間中に、製造承認申請を目的として、各種試験のために特許発明を実施することが特許権の侵害に当たる行為であるとすれば、製造承認申請をしようとする者は、特許権存続期間終了後に各種試験に着手しなければならず、その後各種試験の期間及び審査期間等を経て、当該薬剤の製造販売を行い得るまでには、控訴人の主張によれば二年六か月を要し、その間、特許権者であった者は、特許権存続期間が終了したにもかかわらず、その存続中と同様、当該発明を独占的排他的に実施し得る結果となる。しかしながら、先に述べたとおり、発明者に対し一定期間を限って、業としてその発明を独占的に実施する権利である特許権を付与するものとする一方で、右の一定期間経過後は、何人も自由にその発明の実施をすることができるものとして、これを自由競争のための社会一般の財産に帰せしめることも特許制度の根幹の一つであることを考えれば、医薬品の品質、有効性及び安全性を確保して保健衛生の向上を図るという、特許法の目的とは全く無縁というべき薬事法の目的に基づく規制が存するために、特許権者であった者が、特許権存続期間終了後においてまで、社会一般の財産となるべき発明を独占し、自由競争を阻害するようなこととなる事態は、特許法の観点からみても直ちに容認されるべきではないといわなければならない。
まして、右のような薬事法の目的に基づく規制から医薬品を製造できない期間がやむを得ず生じることを根拠に、特許権存続期間終了後直ちに他者によって当該発明が実施され、特許権者であった者の発明の実施と市場において競合することが、あたかも、特許法によって特許権者に認められた期間的な利益を侵害するものであるかのようにいう控訴人の主張は到底許容されるものではない。薬事法上の規制は、医薬品の品質、有効性及び安全性を確保して保健衛生の向上を図るという同法の目的に基づくものであって、当該医薬品に係る特許権者がその製造販売を独占的に行うことを保障することを目的とするものではないから、仮にその規制の影響で特許権者に何らかの利益が生じるとしても、それは単なる反射的利益にすぎず、法的利益とはなり得ないものである。
(五) 以上の各点を総合すれば、薬事法が製造承認の制度を設けて保護しようとする公益の内容が、前示の特許権を独占的排他権として構成した趣旨ないしその前提をなす制度目的との比較衝量において劣後するものとは考えられず、特許権存続期間中に、薬事法に基づく製造承認申請を目的として、各種試験のために特許発明を実施しようとする場面においても、かかる限度に止まる限り、これに対し特許権の効力が及ばないものとすることにより、特許権を独占的排他権として構成した趣旨ないし制度目的が、右薬事法の実現しようとする公益の前に譲歩するものとすることが不当であるとは到底解されない。のみならず、特許権存続期間中に、薬事法に基づく製造承認申請の目的で各種試験のためにする特許発明の実施に対しては特許権の効力が及ばないものとすることは、一定の期間を限って、発明者に対し、業としてその発明を独占的に実施する権利である特許権を付与するものとする一方で、右の一定期間経過後は、何人も自由にその発明の実施をすることができるものとして、これを自由競争のための社会一般の財産に帰せしめるという特許制度の他の目的にも符合するものである。
そうすると、薬事法に基づく製造承認申請の申請書に添付する資料の作成を目的とし、そのために必要な各種試験のために特許発明を実施することは、特許法六九条一項の「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当するものとして、特許権の効力が及ばないものと解するのが相当である。
3 昭和六二年法律第二七号により、特許権存続期間の延長登録制度(特許法六七条二項、六七条の二ないし同条の四)が設けられたことも、製造承認申請をしようとする者が特許権存続期間中に各種試験のために特許発明を実施することが、特許法六九条一項の「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当することを裏付けるものということができる。
すなわち、特許権存続期間の延長登録制度は、薬事法に基づく製造承認を含む(特許法施行令一条の三第二号)「その特許発明の実施について安全性の確保等を目的とする法律の規定による許可その他の処分」を受けることが必要であるために、その特許発明の実施をすることが一定期間以上できなかった場合に、一定の限度内で当該期間に相当する期間、特許権存続期間を延長することをその趣旨とするものであるが、かかる制度が設けられた以上、特許権者は、特許権存続期間のうち、自らの製造承認申請のために侵食された期間に相当する期間の補填を受け、原則として特許法の定める特許権存続期間と同じ期間だけ当該発明の独占的排他的な実施を確保し得ることとなったのであるから(延長登録制度上の最長・最短期間の制限のために、現実には特許法の定める特許権存続期間と同期間とならないことがあり得るものとしても、それは同制度内部の問題であるにすぎない。)、その上さらに、製造承認申請をしようとする者が特許権存続期間中に各種試験のために特許発明を実施することが特許権侵害に当たるものとして、延長された特許権存続期間の終了後においてまで当該発明の独占的排他的な実施の期間を生じさせることは、およそ合理的な説明のなし難いことであるといわなければならない。
この点につき、控訴人は、延長登録制度の立法当時、農薬取締法二条に基づく農薬登録を得る目的でなされた試験につき、技術の進歩を目的とするものでなく専ら販売を目的とするものである場合には、特許法六九条一項にいう試験研究たる実施に当たらないとした東京地裁昭和六二年七月一〇日判決(無体裁集一九巻二号二三一頁)が存在し、学説の多くの賛同を得ていたのであるから、仮に、立法者に、特許権存続期間中における後発品の製造承認申請のための試験を適法とする意思があれば、明文の規定を置く等の手だてが講じられたはずであるにもかかわらず、何らの措置も講じられなかったのであるから、右の当時の判例学説を前提として、特許権存続期間の延長登録制度が設けられたと解すべきである等と主張し、本件証拠中にもこれと同旨の見解を述べる論考が存在するが、同項は、右立法前から、その「試験又は研究」の目的、「特許発明の実施」の態様等につき何らの限定も伴っていなかったことに鑑みれば、右立法当時の立法者意思が製造承認申請のための試験を同項から除外するというものであれば、むしろ、その旨を明文の規定により明らかにしたはずであると考えるのが自然である。また、主張の地方裁判所の判決一例があったからといって、それが一般論として説くところが当時の確立した判例であったといえないことも明白である。したがって、右主張は到底採用できるものではない。
また、本件証拠中には、特許法は、そもそも先発メーカーと後発メーカーとの間に二〇年(特許権存続期間)プラスαのタイム・ラグを予定しているものとして、特許権者であった者の延長された特許権存続期間の終了後の当該発明の独占的排他的な実施の期間を説明しようとする論考もあるが、特許法上、延長登録制度の適用を受ける特許権に限って、かかるプラスαが付与されることを相当とする実質的な根拠は見い出し難い。
4 以上のとおり、薬事法に基づく製造承認申請の申請書に添付する資料の作成を目的とし、そのために必要な各種試験のために特許発明を実施することは、特許法六九条一項の「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当するものと解すべきであるから、被控訴人が、本件製剤につき製造承認申請をするために、薬事法施行規則一八条の三により、その申請書に添付する必要のある各種試験に関する資料の作成を目的として、本件特許権存続期間中に、本件製剤を製造し、各種試験に使用して、本件特許発明の実施をしたことが本件特許権を侵害するものということはできない。
三 控訴人の本件請求は、いずれも、被控訴人が、本件特許権存続期間中に、本件製剤を製造し、各種試験に使用して、本件特許発明の実施をしたことが本件特許権を侵害するものであることを前提とするものであるから、右行為が本件特許権を侵害するものといえない以上、その余の点について判断するまでもなく理由がないものである。
したがって、原判決が、控訴人の、被控訴人による不法行為の効果としての差止請求を棄却したことは相当であるから、該請求に係る控訴は棄却すべきであり、また、控訴人が当審で追加した不法行為に基づく損害賠償請求は棄却すべきである。
これに対し、原判決が、控訴人の本件特許権に基づく差止請求の訴えを不適法であるとして却下した点については、その理由とするところが、本件特許権の存続期間終了後は、控訴人は本件特許権に基づく差止請求権を有しないというものであり、要するに控訴人が訴訟物とした実体法上の権利が不存在であるという点にあるのであるから(なお、当審の判断も結局はかかる結論に至るものである。)、その不存在である所以が当該権利の存否に関わる事実の有無によるものであると、法律上の判断によるものであるとにかかわらず、控訴人の請求を理由なしとして棄却すべきであったのであり、不適法としてその訴えを却下したことは誤りというべきである。しかしながら、仮に右の理由で、原判決を取り消したとしても、原判決が右訴えに係る訴訟物である本件特許権に基づく差止請求権が不存在であるとの判断をし、当審も結局これと同じ判断をするものであって、事件につき更に弁論をする必要はないから、民事訴訟法三〇七但書を適用して、当審において自判すべきところ、当審の判断に従って請求棄却の判決をするものとすれば、控訴人にとって原判決よりも更に不利益な判決をすることになって、控訴人のみの控訴に係る本件においては同法三〇四条に反することとなる。したがって、かかる場合においては単に控訴棄却の判決をすべきものと解するのが相当である。
以上の次第で、本件控訴を全部棄却するとともに、控訴人が当審で追加した請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条、六七条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 田中康久 石原直樹 清水節)
【参照】原審判決の主文、事実及び理由
主文
一 原告の本件特許権に基づく差止請求の訴えを却下する。
二 原告の本件不法行為に基づく差止請求を棄却する。
三 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、平成一〇年七月二一日まで、別紙目録記載の医薬品を販売してはならない。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 被告の答弁
1 本案前の答弁
原告の訴えをいずれも却下する。
訴訟費用は原告の負担とする。
2 本案の答弁
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
第二事案の概要
本件は、原告が特許権に基づき、もしくは被告の不法行為を理由として、被告に対し医薬品の販売の差止を請求した事案である。
一 争いのない事実
1 原告も被告も、共に医薬品の製造販売を目的とする株式会社である。
2 本件特許権
原告は、メシル酸カモスタットの物質及び医学用途(膵臓疾患治療剤、抗プラスミン剤)について次のとおり特許権を取得し(以下、これを「本件特許権」といい、右権利に係る特許発明を「本件特許発明」という。)、右特許権に係るメシル酸カモスタット製剤(商品名フオイパン錠)の販売を行っている。
(一) 特許番号 第一一二二七〇八号
発明の名称 グアニジノ安息香酸誘導体及び該グアニジノ安息香酸誘導体を含有する抗プラスミン剤と膵臓疾患治療剤
出願日 昭和五一年一月二一日
公告日 昭和五七年三月二五日
登録日 昭和五七年一一月一二日
存続期間終了日 平成八年一月二一日
(二) 本件特許発明の技術的範囲
特許公報における本件特許権の特許請求の範囲の記載は、以下のとおりである。
(1) 一般式
<化学式省略>
(式中Zは炭素―炭素共有結合メチレン基エチレン基及びビニレン基よりなる群から選択された基を表しR1とR2は同一でも異なってもよいが各々水素原子又は低級アルキル基を表す)で示される化合物又はその薬理学的に許容できる酸付加塩。
(2) カルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)ベンゾアート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩である前記(1) 記載の化合物。
(3) N―メチルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)ベンゾアート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩である前記(1) 記載の化合物。
(4) N,N―ジメチルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)ベンゾアート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩である前記(1) 記載の化合物。
(5) N,N―ジ―n―プロピルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)ベンゾアート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩である前記(1) 記載の化合物。
(6) N―N―ジメチルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)フェニルアセタート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩である前記(1) 記載の化合物。
(7) N,N―ジメチルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)シンナマート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩である前記(1) 記載の化合物。
(8) N,N―ジメチルカルバモイルメチルp―(pグアニジノベンゾイルオキシ)フェニルプロピオナート又は薬理学的に許容できる酸付加塩である前記(1) 記載の化合物。
(9) N―メチルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)フェニルアセタート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩である前記(1) 記載の化合物。
(10) 一般式
<化学式省略>
(式中、Zは炭素―炭素共有結合、メチレン基及びビニレン基よりなる群から選択された置換基を表し、R1とR2は同一でも異なってもよいが各々水素原子又は低級アルキル基を表す)で示される化合物又はその薬理学的に許容できる酸付加塩を含有する抗プラスミン剤。
(11) カルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)ベンゾアート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩を含有する前記(10)記載の抗プラスミン剤。
(12) N―メチルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)ベンゾアート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩を含有する前記(10)記載の抗プラスミン剤。
(13) N,N―ジメチルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)ベンゾアート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩を含有する前記(10)記載の抗プラスミン剤。
(14) N,N―ジ―n―プロピルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)ベンゾアート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩を含有する前記(10)記載の抗プラスミン剤。
(15) N,N―ジメチルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)フェニルアセタート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩を含有する前記(10)記載の抗プラスミン剤。
(16) N,N―ジメチルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)シンナマート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩を含有する前記(10)記載の抗プラスミン剤。
(17) N,N―ジメチルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)フェニルプロピオナート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩を含有する前記(10)記載の抗プラスミン剤。
(18) N―メチルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)フェニルアセタート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩を含有する前記(10)記載の抗プラスミン剤。
(19) 一般式
<化学式省略>
(式中、Zは炭素―炭素共有結合、メチレン基、エチレン基及びビニレン基よりなる群から選択された置換基を表し、R1とR2は同一でも異なってもよいが各々水素原子又は低級アルキル基を表す)で示される化合物又はその薬理学的に許容できる酸付加塩を含有する膵臓疾患治療剤。
(20) カルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)ベンゾアート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩を含有する前記(19)記載の膵臓疾患治療剤。
(21) N―メチルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)ベンゾアート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩を含有する前記(19)記載の膵臓疾患治療剤。
(22) N,N―ジメチルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)ベンゾアート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩を含有する前記(19)記載の膵臓疾患治療剤。
(23) N,N―ジ―n―プロピルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)ベンゾアート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩を含有する前記(19)記載の膵臓疾患治療剤。
(24) N,N―ジメチルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)フェニルアセタート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩を含有する前記(19)記載の膵臓疾患治療剤。
(25) N,N―ジメチルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)シンナマート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩を含有する前記(19)記載の膵臓疾患治療剤。
(26) N,N―ジメチルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)フェニルプロピオナート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩を含有する前記(19)記載の膵臓疾患治療剤。
(27) N―メチルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)フェニルアセタート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩を含有する前記(19)記載の膵臓疾患治療剤。
3 被告は、別紙目録記載の医薬品(以下、「被告製剤」という。)につき、平成八年三月一五日、薬事法一四条に定める製造承認を受け、現在、右製剤の製造・販売の準備をしており、被告製剤は、本件特許権と同一のメシル酸カモスタットを含む医薬品である。
4 被告製剤は、いわゆる医療用の後発医薬品に属するものであり、その製造承認の申請には、薬事法施行規則(以下、「施行規則」という。)一八条の三により次の資料を添附することが必要である。
(一) 物理的化学的性質並びに規格及び試験方法等に関する資料として規格及び試験方法に関する資料
(二) 安定性に関する資料として加速試験に関する資料
(三) 吸収、分析、代謝及び排泄に関する資料として生物学的同等性に関する資料
(四) 当該有効成分の毒性、薬理作用、吸収分布、代謝、排泄及び臨床試験等に関する文献等のリスト及びその内容、概要並びに評価結果の資料
5 右加速試験については、六か月以上の試験期間が要求されている。
6 被告は、本件特許権の存続期間満了前から被告製剤の販売に向けて準備を開始した。
二 争点
1 特許権者は、特許権の存続期間満了後においても、当該特許権に基づく差止請求権を有するか。
2 不法行為の効果として差止を請求することは、可能であるか。
3 被告製剤は、本件特許発明の技術的範囲に含まれるか。
三 当事者の主張
1 原告
(一) 原告は、本件特許権の存続期間満了後においても、被告に対し、本件特許権に基づき、被告製剤の販売差止請求権を有する。
(1) 被告は、加速試験を実施するため、本件特許権の対象であるメシル酸カモスタットを製造、輸入又は購入して、被告製剤を製造した。
そして、加速試験については、六か月以上の試験期間が要求されており、医療用の後発医薬品の製造承認の標準的処理期間は、都道府県知事が承認申請を受理した日から二年を要するので、右試験に着手して製造承認を得るまでには少なくとも二年六か月を要する。したがって、被告は被告製剤について薬事法一四条の製造承認を得た平成八年三月一五日の二年六か月以上前から販売に向けて準備を開始した。
(2) 特許法六九条においては、特許権の効力は試験又は研究のためにする特許発明の実施には及ばないと定められているが、右規定は技術の進歩を目的とした規定であるから、本件のように専ら販売を目的とし、それに必要な製造承認を得るための試験は、右の「試験又は研究」には当たらない。したがって、被告が行った試験は、本件特許発明の実施そのものであって、違法に本件特許権を侵害するものである。
(3) 被告が本件特許権を侵害することなく被告製剤の製造・販売の準備を行うためには、本件特許権の存続期間満了日の翌日である平成八年一月二二日以後に製造承認申請を受けるための各種試験を開始することとなるから、製造承認を受けることが可能となるのは、早くとも、その二年六か月後である平成一〇年七月二一日である。
(4) 被告は、本件特許期間中に侵害行為を行い、その侵害行為の結果に基づき製造承認を取得し、特許期間満了直後から被告製剤を販売して利益を得ようとするものである。このように特許期間中の違法な行為により特許期間満了後にその成果を得ようとする場合には、原告は、本来特許期間中の侵害行為がなかったとすれば、現在あるであろう姿に戻すという限度において、いわば特許期間満了後の特許権の余後効力として、特許期間満了後も差止請求権を行使できると解すべきである。
このような効力が認められる理由は、次のとおりである。
<1> 本件特許権の対象は、製造販売の開始について薬事法の規制を受ける医薬品であるから、原告は、特許期間満了後も、試験及び製造承認の事務処理のために必要な期間である、少なくとも二年六か月間は、他業者による後発品医薬品の参入を受けず、市場を独占できる利益を有している。ところが、被告は、本来特許期間満了後に着手すべき後発品発売のための準備行為を、特許期間満了に合わせて二年六か月以上前から行い、いわばフライングスタートを切っているのであって、このまま推移すれば、被告の侵害行為がなければ得られたであろう特許期間満了後約二年六か月間の原告の独占的利益が侵害される。このような侵害行為(フライングスタート)に対しては、侵害行為のなかった状態すなわち特許期間満了後からスタートした状態に戻させることが最も有効かつ合理的である。そこで、原告は、特許権侵害行為がなかった状態に戻すため、平成一〇年七月二一日までの間の販売差止を求めているに過ぎず、それ以上のものではない。
<2> 新薬を研究開発し、薬事法上の製造承認を得て販売に到るまでには、多大な労力、年月、費用を必要とするのであり、本件特許権に係る製剤を原告が販売するについても、昭和五一年一月二一日に特許出願をしてから、同六〇年一月三一日に製造承認を取得するまでに九年を要している。これに対して、他の業者が後発医薬品を開発する場合、準備期間は概ね一年間、これに要する費用は約二〇〇〇万円程度で済むといわれており、原告の払った労力に対比すれば格段に容易である。それにもかかわらず、被告は、製造承認申請に必要な各種の試験・研究を原告に察知されないように秘密裡に行っていたため、原告は、被告が製造承認を取得するまで被告の侵害行為を知ることすらできなかった。仮に、特許期間中に侵害行為が発見されていれば、特許法一〇〇条に基づき、製造・販売の差止と侵害行為を組成した物の廃棄、侵害の行為に供した設備の除却その他の侵害の予防に必要な行為を請求することができる結果、被告は特許期間満了後少なくとも二年六か月間は被告製剤の販売を行えないこととなる。本件のように特許期間満了後に初めて侵害行為が発覚した場合に差止請求ができないとすれば、被告の権利侵害を追認する結果となるとともに、特許期間満了の前後で救済内容に不均衡が生ずる。そして、被告は被告製剤の製造・販売について何らの制約も受けないことになってしまい、多大な労力と費用を投じて新薬を開発する者と後発医薬品を開発する者との間に著しい不公平が生じ、また、特許法を遵守し、特許期間満了後から新薬を開発しようとする後発品メーカーとの間でも著しい不公平を生じ、特許法がその目的としている発明の保護が不十分なものとなってしまう。更には、秘密裏に準備行為を行ってきた被告が、偶々期間中に発見されなかったことを奇貨として、特許期間の満了後であることを理由に差止請求権は認られないとの主張を行うこと自体、クリーンハンドの原則や信義則に照らして、許されないものである。
(二) 被告は本件特許権侵害という不法行為を行い、これによって原告の利益は著しく損なわれるのであるから、原告は、被告に対し、不法行為に基づく差止請求として、平成一〇年七月二一日まで、被告製剤の販売の差止を求める。
前記のように、原告は本件特許権の存続期間満了後少なくとも二年六か月間は後発医薬品メーカーの参入を受けず市場を独占できるという利益を有している。被告は、本件特許の存続期間中に各種の試験・研究を行い、その成果に基づいて製造承認を取得し、期間の満了を待って市場に参入しようとしているのであって、これら一連の違法行為によって原告の独占的利益が侵害されたのであるから、原告は不法行為の効果として被告製剤の差止を請求することができる。
(三) 被告製剤は、本件特許発明の技術的範囲に属する。
2 被告
(一) 特許権に基づく差止請求について
(1) 本件特許権は、平成八年一月二一日に存続期間が終了したことにより消滅したのであるから、本件特許権に基づく差止請求は、成立する余地がない。したがって、本件特許権に基づき差止を求める訴えは、訴えの利益を欠くものである。
原告は期間満了前の準備行為の違法を主張するが、本件特許権の期間満了前に被告がどのような行為を行っていようとも、右期間満了に伴って差止請求権が消滅することに何ら影響を及ぼすものではない。
(2) 何人も特許期間満了後における発明の実施は自由であって、期間満了直後から市場へ参入するためにその準備行為をしておくことは当然であって、特許法及び行政上もこのような準備行為を肯定としている。すなわち、
<1> 平成六年の特許法の改正により、特許権の存続期間が一律に二〇年に改正され、これに伴い右改正法施行の際存続し従来公告から一五年で満了していた特許権の期間が自動的に延長されることになった。そこで、右改正法附則は、その五条二項において、「この法律の施行がないとした場合におけるその特許権の存続期間満了日後、その準備をしている発明及び事業の範囲内において、通常実施権を有する。」と定め、旧法下の権利満了に備えて実施準備行為をしていた者に通常実施権を認める利益権衡の規定を設けている。
<2> 厚生省は、従前より、特許期間後の実施に向けての製造承認申請を特許期間中に受理していたが、平成七年六月二八日付けの各都道府県薬務主管課宛の連絡により、先発品の特許期間満了日前の後発品の承認申請の取扱について、「特許期間の終了を見込み、承認審査の標準的事務処理期間を考慮して後発品の承認申請を行うことは差し支えないものとする。」との通知を出している(ちなみに、製造承認の標準的処理期間は、現在においては二年ではなく、約一年半である。)。
したがって、特許期間の終了前の申請準備行為が法的に問題にならないことが明白である。
(3) 特許法六八条は、特許権者は、業として特許発明の実施をする権利を専有すると規定しており、特許権者が専有する権利は「業としての実施」であるから、第三者の行為が「業としての実施」に該当しなければ、特許権を侵害するとはいえない。そして、第三者が特許期間中に市場に参入しない限り、他製品の開発のために試験研究をしたり、特許期間終了後の実施に向けて各種の準備行為をしたとしても、特許権者は法が授与した権利を何一つ侵されるものではない。
本件のような製造承認申請のための準備行為は、当該医薬品を患者に投与するのではなく、健康な人間に投与し先発医薬品と比較して有効成分の血中濃度を測定する試験であり、先発医薬品と競合して患者に投与して治療する行為ではないから、市場競争に参画するものではなく、この点において個人的実施と変わるところがない。したがって、製造承認申請のための準備行為は特許法六八条にいう「業としての実施」に当たらない。
(4) 準備行為は、特許法六九条にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当する。同条は、「試験又は研究」の目的まで限定している訳ではなく、その目的は種々雑多であって一定の概念に固定することはできないのであって、例えば後発医薬品の製造販売業者が先発医薬品とその薬効成分を同一にする製剤を製造する場合も、単に承認申請の目的のみで製造するのはなく、服用しやすいように剤型を工夫したり、安定化を図ったりするなど諸々の研究や試験を行うのであり、その過程で、製剤化に関する新たな技術が開発されることも少なくない。そして、製薬産業における後発会社が行う準備行為は、たとえそれが製造承認申請に向けてのものであったとしても、自ら製造し将来市場に出そうとしている製品の内容、性状、機能などを調べるものであるから、まさに典型的な試験行為である。
(5) 仮に、特許期間満了後における製造販売に備え、特許期間中に行う製造承認に向けての準備行為が特許法六八条の「業としての実施」に該当し、かつ、同法六九条の「試験又は研究のための実施」に該当しないとしても、特許権者が独占の利益を享受するのは権利存続期間中における市場競争の場においてであり、被告製剤が市場で原告製剤と競合することはないから、原告に何ら損害は生ぜず、したがって、被告の準備行為は実質的違法性を欠くものである。
(二) 不法行為の効果としての差止請求について
不法行為は、特許権が存在しその侵害行為があって初めて成立するものであって、特許権消滅後の行為が特許権侵害という不法行為を構成するということは背理である。本件特許権は、平成八年一月二一日に存続期間が満了したことにより消滅したのであるから、差止の対象となるべき不法行為は存在せず、したがって不法行為の効果としての差止請求を求めることも許されないのであって、本件差止を求める訴えは、訴えの利益を欠くものである。
(三) 被告製剤の内容は、「融点が一九四度から一九八度であって、式(請求原因2(一)記載のものと同じ。)で示されるN,N―ジメチルカルバモイルメチル四―(四―グアニジノベンゾイルオキシ)フェニルアセタート モノメタンスルホネート(一般名・メシル酸カモスタット)を有効成分として含有し、慢性膵炎における急性症状の緩解を効能又は効果とする経口蛋白分解酵素阻害剤(商品名・オーメット錠一〇〇)」である。したがって、被告製剤は、本件特許発明の技術的範囲に含まれない。
第三争点に対する判断
一 本件特許権に基づく差止請求の可否について
1 本件特許権の存続期間の終了日は、平成八年一月二一日であるから、本件特許権は、同日の経過をもって消滅したものである。
2 特許法一〇〇条一項は、特許権者又は専用実施権者は、自己の特許権又は専用実施権を侵害する者又は侵害するおそれがある者に対し、その侵害の停止又は予防を請求することができると定めているから、現在特許権を有している者又は専用実施権を有している者が、現在その権利を侵害され、又は将来においてその権利を侵害されるおそれがある場合にその侵害の停止又は予防を請求することができると解するのが文理上素直な解釈である。
次に、特許法六七条が特許権の存続期間を一定期間に限った趣旨は、特許権の付与によって発明を保護するとともに、一定期間経過後は発明を自由に利用できるようにすることによって産業の発達を阻害しないように配慮したものである。
そして、特許法一〇〇条に定める差止請求権は、特許権によって発明者の利益を保護するための最も直截的かつ効果的な手段であり、特許権に付与された主要な効力の一つである。したがって、仮に特許権の存続期間を過ぎてもなお特許権に基づき差止請求権を行使することができるとすれば、特許法六七条に定められた特許権の存続期間を越えて特許権の効力の存続を認めることに他ならず、右法定期間を延長することと同様の結果をもたらすものである。しかし、このような結果は、特許権の存続期間が法定され、これを延長し得る場合も特許法に定める場合に限定されている(特許法六七条二項参照。)ことと矛盾することは明らかである。
そこで、以上のような特許法一〇〇条の文言、特許権に存続期間が定められている趣旨、差止請求権の本質等に基づけば、特許権の存続期間の満了後は、最早特許権に基づく差止請求を認めることはできないというべきである。
3 ところで、原告は、被告は特許期間中の違法な行為により特許期間満了後にその成果を得ようとするものであるから、本来特許期間中の侵害行為がなかったとすれば、現在あるであろう姿に戻すという限度において、いわば特許期間満了後の特許権の余後効力として、差止請求権を有すると主張する。
しかし、原告が主張するような特許権の余後効力は、本件特許期間中に行った被告の準備行為の適法性を検討するまでもなく、これを認め得るような法的根拠は全くないから、独自の見解として採用することはできない。
また、原告は、特許権の存続期間満了後に準備を始めた場合、他の業者が後発医薬品について製造承認を得るためには少なくとも二年六か月を要するのであるから、その期間中は、原告が本件特許に係る医薬品の製造・販売について市場を独占できる利益を有するとし、その独占的利益の侵害を防止するために侵害行為のなかった状態に戻すことを特許権の効力として認めるべきであると主張する。
しかし、特許法が特許権の存続期間を法定しているのは、特許権者が有する経済的利益も、右期間内に限って法的に保護する趣旨であり、特許権の存続期間満了後における利益までも保護するものではなく、また、医薬品につき製造承認を得るために通常二年六か月が必要であり、そのため医薬品につき特許権を有していた者が、後発医薬品の発明者がこれにつき特許を取得するまで、その存続期間満了後も右期間に相当する間利益を受けることがあるとしても、右利益は事実上のものにすぎないから、これをもって、特許権に存続期間満了後も差止請求を認める根拠とすることはできない。
原告が本件差止請求を認めるべき根拠として挙げるその他の事由は、すべて事実上の利害関係にすぎないのであって、いずれも、本件特許権の存続期間の満了後に差止請求を認めるべき理由とはなりえないものである。
なお、原告は、被告は本件特許期間中に秘密裡に準備行為を行ってきたのであるから、特許期間の満了後であることを理由に差止請求権は認められないとの主張を行うことは、クリーンハンドの原則や信義則に照らして許されないと主張するけれども、そもそも被告が原告に対し本件特許期間中に準備行為を行っていることを報告すべき義務はなく、また本件特許権の存続期間の満了後は、原告は最早差止請求権を有しないのであるから、原告の右主張は、失当として、採用することができない。
4 したがって、本件特許権に基づく差止請求の訴えは、不適法である。
二 不法行為の効果としての差止請求について
不法行為の効果として差止請求が認められるためには、不法行為による権利の侵害が現に継続しているか、又は将来において存在するおそれが高い場合でなければならないが、原告が主張する権利侵害の内容は本件特許権の侵害であるところ、前記のように本件特許権は存続期間の満了により既に消滅しているのであるから、本件において不法行為の効果としての差止請求を認める余地はない。
なお、原告は、特許の存続期間の満了後二年六か月は市場を独占できる利益を有すると主張しているが、原告の主張する右利益は、前記のように事実上のものであって、法的に保護された利益と認めることはできないから、右利益の侵害を理由として、被告が不法行為を行うものと認めることはできない。
したがって、不法行為に基づく差止請求は、理由がない。
三 よって、本件特許権に基づく差止請求の訴えは、不適法として却下し、不法行為に基づく差止請求は、その余の点を判断するまでもなく理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(別紙)目録
左式で示されるN,N―ジメチルカルバモイルメチル四―(四―グアニジノベンゾイルオキシ)フェニルアセタートモノメタンスルホネートの化合物(一般名「メシル酸カモスタット」)を含む医薬品(商品名「オーメット錠一〇〇」)。
<化学式省略>