東京高等裁判所 平成9年(ネ)4694号 判決 1999年5月27日
控訴人・附帯被控訴人 松本敏夫
被控訴人・附帯控訴人 ちちぶ農業協同組合
右代表者監事 町田法儀
同 山口弘
右訴訟代理人弁護士 木村晋介
同 飯田正剛
同 今井秀智
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 附帯控訴に基づき、原判決中控訴人に関する部分を次のとおり変更する。
三 控訴人・附帯被控訴人は、被控訴人・附帯控訴人に対し、金三〇〇〇万円及びうち一〇〇〇万円に対する平成六年三月一六日から、うち二〇〇〇万円に対する平成九年一〇月一五日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
四 被控訴人・附帯控訴人の控訴人・附帯被控訴人に対するその余の請求を棄却する。
五 訴訟費用は、第一、第二審を通じてこれを三分し、その一を控訴人・附帯被控訴人の負担とし、その余を被控訴人・附帯控訴人の負担とする。
六 この判決は、第三項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求める裁判
一 控訴事件
(控訴人・附帯被控訴人(以下単に「控訴人」という。))
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人の請求を棄却する。
3 訴訟費用は第一、二審とも、被控訴人の負担とする。
(被控訴人・附帯控訴人(以下単に「被控訴人」という。))
控訴棄却
二 附帯控訴事件
(被控訴人)
1 原判決中控訴人に関する部分を次のとおり変更する。
2 控訴人は、被控訴人に対し、金九七五四万八一四九円及びこれに対する平成六年三月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は、第一、第二審を通じて控訴人の負担とする。
4 仮執行宣言
(控訴人)
附帯控訴棄却
第二当事者の主張
一 請求原因
請求原因は、原判決を次のとおり改めるほか、原判決の事実摘示「第二当事者の主張一請求原因」記載のとおりであるから、これを引用する。
1 原判決書二枚目表二、三行目の「農業用同組合」を「農業協同組合」に、同八、九行目の「一九六二・八九平方メートル、以下「本件土地」という)」を「一九六二・九八平方メートル、以下「本件土地」という。)及び建物(所在秩父市大字寺尾字尾崎三二一八番地一、三二一八番地二、家屋番号三二一八―一、種類工場、構造鉄骨造メッキ鋼板葺平家建、床面積六四二・一〇平方メートル、以下「本件建物」という。)」に改める。
2 同三枚目表五及び六行目を「本件売買契約が締結された当時の本件土地の適正価格は、一億七六五九万四〇〇〇円であった。」に、同九行目の「が相当価格の役二・四倍であった。」を「右適正価格の約一・七倍であった。」に、同裏二、三行目の「相当価格」から同四行目の「知りながら」までを「右適正価格の約一・七倍であり、右金額で本件土地を購入すれば右適正価格と本件建物の適正価格(九七五万七八五一円)の差額分一億一〇五四万八一四九円の損害を被控訴人に与えることを知りながら、近隣の地価調査をせず、また、固定資産を取得する場合であるのに、総務委員会、理事会などの承認を得るという被控訴人の規則が定める手続を経由せずに、」に改め、同一二行目冒頭から同四枚目表三行目末尾までを削除する。
3 同四枚目表七行目の「一億七二八三万九六六四円」から同八行目の「金一〇〇〇万円」までを「一億一〇五四万八一四九円」に改める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1、2は認める。
2 同3は否認ないし争う。
三 控訴人の反論
1 本件訴訟の提起は、被控訴人の意思に反して右提起当時の被控訴人代表者監事中村正平が権限を濫用して行ったものであり、また、原判決は、被控訴人代表者として監事中村正平と表示しているが、同人は原審の口頭弁論終結前の平成九年五月一〇日に任期満了で監事を退任しているから、原判決は取り消しを免れない。
2 本件売買契約は、国土法が施行された平成三年四月より前の取引であり、その当時不動産価格が現状のようになるとはだれも予想できないことであった。そして、経営者が将来高騰すると予想される不動産をたとえある程度割高でも取得しておこうと考えるのは、一つの経営判断であったというべきであり、思いがけず不況が到来し、不動産の価格が下落している折りに、将来含み益をもたらすとの判断のもとに本件売買契約をした後に、結果として予想が外れたとしても、責任を問われるべきではない。
3 被控訴人の平成三年五月の通常総会において、控訴人の平成二年四月から平成三年三月三一日までの業務執行が法令、定款に違反しないことについて承認を受けており、また、平成四年一〇月五日開催の被控訴人理事会で本件土地を自動車整備工場用地として使用するため、被控訴人の固定資産として取得することを可決した際、出席した理事は、本件土地の購入価格を承認したのであるから、控訴人の責任は免除されている。
四 控訴人の反論に対する認否
控訴人の反論は否認ないし争う。
第二証拠関係《省略》
理由
一 控訴人の反論1について
控訴人は、前記事実の「第二当事者の主張三控訴人の反論1」のとおり主張する。
しかし、本件全証拠によるも、被控訴人代表者であった中村正平が本件訴訟を提起したことが権利の濫用であると認めることはできない。また、被控訴人(前身たる旧秩父農業協同組合)が本件訴訟を提起した平成六年三月四日当時、被控訴人(旧秩父農業協同組合)の監事であった中村正平は平成九年五月一〇日任期満了により監事を退任していることは記録上明らかであるが、同人が監事在任中の平成六年三月一日に選任した被控訴人訴訟代理人らの訴訟代理権は、中村正平の右監事退任によりなんらの影響を受けるものではなく、右代理人らによる本件訴訟の追行行為は違法となるものではない。なお、中村正平は右のとおり原審口頭弁論終結の平成九年五月一六日より前に監事を退任しているにもかかわらず、原判決は被控訴人代表者の表示を中村正平としている点で過誤があるが、そうであるからといって、原判決に取消すべき違法があるということはできない。控訴人の前記主張は採用することができない。
二 請求原因1、2の事実は当事者間に争いがない。
三 忠実義務違反について
1 事実関係
当事者間に争いのない事実と、《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。
被控訴人は、平成八年四月一日に旧秩父市農業協同組合(昭和三七年五月一日設立)等が合併して設立された農業協同組合であるところ、被控訴人(旧秩父農業協同組合、以下旧秩父農業協同組合の意味で「被控訴人」ということがある。)には、理事二七人と監事五人とが置かれ、理事会の議決により組合長が選任され、組合長は組合の業務を統括することとされていた。被控訴人の定款では、固定資産の取得に関する事項は、理事会においてこれを決すると規定されており(五二条)、職制上、被控訴人総務部が右事項を管掌していたが、被控訴人が棚卸資産として不動産を取得する際には、理事会の議決を得ることを必要とはされていなかった。
当時、控訴人は平成二年四月から平成六年一月まで被控訴人の組合長理事であり、髙橋は平成二年六月から平成五年一月まで被控訴人の理事であった。
被控訴人では、製茶工場建設の計画や、三〇周年記念事業として自動車整備工場建設やガス充填場建設の計画が立てられていた。被控訴人の総務委員長であった髙橋は、新井に対し、本件土地を売却するときには声を掛けるように伝えていたところ、新井から、本件土地は一坪六〇万円でなければ売らないといわれた。そこで、髙橋は、平成三年二月末ころ、控訴人にその話を伝えたところ、控訴人から、一坪五〇万円ならば被控訴人において購入する旨の了解を得た。髙橋は、同年四月一日に国土法の施行が予定されていたので、本件土地を、国土法の適用を免れるために、その前に買い入れる手続を進めようと考え、被控訴人の指導部長兼経済部長兼開発課長の斉藤美昭(昭和四五年宅地建物取引主任の資格取得、昭和四七年登録)に早急に手続をとるよう指示した。斉藤美昭は、これを受けて、本件土地付近の土地の価格調査を行った。被控訴人では、通常、広範囲に価格情報を収集し、近隣の土地の時価についても業者に当たって裏付け調査を実施していたが、本件売買契約については、髙橋から告げられていた契約締結予定日までの期間が短かく、通常被控訴人が行っていた取引のように取引をまとめるための時間を掛けることができなかったので、近隣の土地の価格に関する情報等の調査を十分に行うことをしなかった等、本件売買契約は、通常被控訴人が行う不動産取引に比べると異例な手順、態様で進められた(証人斉藤(原審)。もっとも、同証人が本件売買契約について禀議書も作成しなかったと証言しているのは、乙B一二に照らして、採用することはできない。)。控訴人は、被控訴人の組合長理事として、平成三年三月二九日、新井との間で、同人所有の本件土地及び本件建物を二億九六九〇万円で購入する旨の不動産売買仮契約書及び不動産売買契約書を作成した。そして、被控訴人においては、「土地、建物売買契約の締結について標記について別紙の通り契約を締結しましたので報告いたします。尚手付金支払については、4月になって手続いたしたいと思います。」と記載され、右不動産仮契約書が添付された禀議書が作成され、常務理事、専務理事、組合長の決裁に回された。本件土地及び本件建物は、被控訴人の棚卸資産として会計上処理されたため、本件売買契約の締結については事前に理事会の議決を経ることはしなかった。そして、控訴人は、後日平成四年一〇月五日開催の被控訴人理事会に、本件土地のうち一一八四・〇七平方メートルを自動車整備工場用地とし、本件建物を自動車整備工場として使用するため、被控訴人の固定資産として取得し、その運営を埼玉秩父石油ガス株式会社が行うことを内容とする協議事項を提出し、被控訴人理事会はこれを可決し、本件土地の約六割である一一八四・〇七平方メートルは被控訴人の固定資産とされた。鑑定人新井寛久の鑑定の結果によれば、本件土地の平成三年三月二九日時点における更地価格は、一億七六五九万四〇〇〇円(一平方メートル当たり九万円)、平成九年三月一日時点における更地価格は一億五八五四万二〇〇〇円と鑑定評価されており、登記済権利証によれば、本件建物の平成三年八月三〇日時点における課税価格は一〇二七万円になり、証人新井の原審証言によれば、本件建物の建築費は、土地造成費を含めて五〇〇〇万円である。なお、髙橋と被控訴人とは、髙橋の被控訴人に対する損害賠償請求事件について、和解金一三〇〇万円を支払う旨の裁判上の和解を成立させ、髙橋は被控訴人に対し、同金員を支払済みである。以上のとおり認められる。
これに対して、原審の本人尋問において控訴人は、髙橋に対して本件土地を一坪五〇万円で購入するように話したことはなく、髙橋が独断で本件売買契約を決めたものであり、平成三年四月になってから、本件売買契約が締結されたことを知った旨供述するが、右供述は証人新井芳二の原審証言に照らして採用することができず、他に右の認定を動かすに足りる証拠はない。
2 農業協同組合は、その行う事業によってその組合員及び会員のために最大の奉仕をすることを目的とし、営利を目的としてその事業を行ってはならないとされており(農業協同組合法八条)、また、理事は、法令、法令に基づいてする行政庁の処分、定款、規約等を遵守し、組合のため忠実にその職務を遂行しなければならず、理事がその任務を怠ったときは、組合に対して連帯して損害賠償の責任を負うとされているから(同法三三条)、農業協同組合である被控訴人の組合長理事であった控訴人としては、右の趣旨に従い、法令、定款等に則って業務を忠実に執行し、被控訴人に損害を与えないように職務を遂行しなければならないものであったところ、右認定の事実によれば、控訴人は髙橋と共同して、本件土地の売買契約について、売買代金額が当時の時価よりかなり高額であることを知りながら、国土法の適用を免れ売買代金額の規制を受けないようにするため、短期間のうちに、通常被控訴人が行う不動産取引で採用している価格等の調査を十分にしないまま、あえて平成三年四月の国土法による規制が施行される直前の時期に本件売買契約を締結し、しかも本来固定資産の取得として、理事会の議決等の手続を経なければならないにもかかわらず、右の手続を要しない棚卸資産として購入することとして、理事会の議決を得る手続を回避する等、被控訴人が通常行うべき不動産購入とは異なる手順、態様で本件売買契約を締結させたものであり、右の点で控訴人は本件不動産購入に当たって、被控訴人に対する忠実義務に違反したものと認めるのが相当である。
なお、前記のとおり後日理事会において本件土地の約六割である一一八四・〇七平方メートルを固定資産とすることが議決されたからといって、右はすでに本件土地を購入した後のことであるから、控訴人の右忠実義務違反の判断を覆すべきものではない。また、《証拠省略》によれば、被控訴人の組合員浅見弘が、控訴人、高橋らは忠実義務に違反して本件売買契約を締結し、被控訴人に損害を与えたものであるとして、損害賠償請求訴訟を提起することなどを求めてきたことから、監事中村正平が控訴人に対し、本件売買契約の成立の経過や売買代金決定の経過等について報告を求めたところ、被控訴人組合長理事控訴人名で、右中村に対し、「価格の決定につきましては、髙橋茂樹前専務理事(当時総務委員)と新井芳二の二人の間で行なわれ、農協役職員は一切タッチしていない。髙橋茂樹は、この土地を宅地建物取引事業で農協で取得したいと組合長に申入れたが、組合長から価格が高いと指摘された。髙橋前専務は、近隣の学校前の土地が当時六〇万円で売買があり、この土地を他の業者が買いたいとの話がある等、組合長の内諾を得るため巧みな説明を行った。同土地は処分されていないので、農協の損害は現在生じていない。尚、同土地の処分に当たって、処分損が生じた場合は、別添の念証により髙橋茂樹が損害の賠償を行うこととなる。」と回答し、髙橋作成名義の念証を右回答に添付して送付したことが認められるが、右回答や念書があるからといって、前記認定の事実に照らせば、控訴人の右忠実義務違反の判断を左右することができるものではなく、他に右認定判断を動かすに足りる証拠はない。
したがって、控訴人は、被控訴人に対し、右忠実義務違反により被控訴人に生じた損害について賠償する責任を負うものといわなければならない。
3 控訴人は、前記「第二当事者の主張三控訴人の反論2」のとおり主張する。しかし、本件は、右のとおり、控訴人が、売買代金額が相場よりかなり高額であることを知りながら、国土法の適用を免れるため、通常被控訴人の不動産取引で行っている調査をしないまま、しかもあえて棚卸資産として購入し理事会の議決手続を回避する等、被控訴人が本来取引の場合にとられるのとは異なる手順、態様で、本件売買契約を締結し、不当に高価な額で本件土地を購入して、被控訴人に損害を負わせたことによる控訴人の忠実義務違反が問われているものであって、単に地価が上昇するとの控訴人の予想が結果として外れ、購入後本件土地の価格が下落したことについて控訴人の責任が問われているというものではないのである。控訴人の前記主張は採用することができない。
4 控訴人は、前記事実の「第二当事者の主張三控訴人の反論3」のとおり主張する。
しかし、前記のとおり本件土地を棚卸資産として購入後、理事会においてその約六割の一一八四・〇七平方メートルを固定資産とすることが議決されており、監事中村正平の求めに対する被控訴人組合長控訴人名の前記のような回答がされているのであるが、これらによって、被控訴人の通常総会や理事会の決議が、控訴人の責任を免除した趣旨のものと認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
四 損害額について
前記認定のとおり、本件売買契約の代金額は二億九六九〇万円であるのに対し、鑑定結果によれば本件土地の平成三年三月二九日時点における更地価格は一億七六五九万四〇〇〇円と鑑定評価されており、甲二九によれば本件建物の平成三年八月三〇日時点における課税価格は一〇二七万円であることが認められるが、不動産取引における実際の売買価額は、買主側において当該物件を必要とする度合や売主側において売り急ぐ必要があるかどうかなど当事者双方に存する諸々の要因がからみあい、交渉の結果合意により決定されるものであって、必ずしもその時の時価どおりに決定されるものではないから、本件における損害額の算定に当たっては、単純に実際の売買代金額と右鑑定による時価との差額をもって算定するのは必ずしも合理的であるとは言い難いこと、前記のとおり被控訴人としては、製茶工場建設計画や、三〇周年記念事業として自動車整備工場建設やガス充填場建設の計画が立てられており、右計画遂行のためその用地取得を必要としていたと考えられ、現に本件土地を棚卸資産として購入後であるが、その約六割を固定資産とすることが決議されていること、髙橋と被控訴人との間では、髙橋は被控訴人に一三〇〇万円を支払うことで、訴訟上の和解が成立し、これに基づいて支払がされたため、被控訴人は附帯控訴の趣旨を減縮していること、控訴人と被控訴人との間でも、当裁判所の和解勧告により、控訴人が被控訴人に対し二七〇〇万円を支払うということで、いったんは事実上合意に達したものであること、建物については、一般に課税価格で取り引きされるとはいえないことはつとに知られているところであり、本件建物の建築には五〇〇〇万円(造成費を含む。)を要していること前記のとおりであること、その他当時の不動産市場の情勢等を考えると、控訴人の本件忠実義務違反と相当因果関係ある被控訴人の損害としては、三〇〇〇万円と認めるのが相当である(なお、本件においては、本件売買契約締結後は土地のいわゆる時価が下落していることは公知の事実であるが、控訴人において当時そのことを予見することができたとの主張立証はないから、右の事情は本件損害賠償額の算定上考慮しない。)。
五 以上によれば、被控訴人の控訴人に対する本件損害賠償請求は、三〇〇〇万円及びうち一〇〇〇万円について催告のあった訴状送達の翌日である平成六年三月一六日から、うち二〇〇〇万円について催告のあった附帯控訴状送達の翌日である平成九年一〇月一五日から各支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるのでこれを認容すべく、その余は理由がないのでこれを棄却すべきものである。
よって、控訴人の本件控訴は理由がないからこれを棄却し、被控訴人の附帯控訴に基づき、右と異なる原判決は右の趣旨に従って変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六七条二項、六一条、六四条を、仮執行宣言について同法三一〇条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 小川英明 裁判官 宗宮英俊 裁判官長秀之は、差し支えのため署名押印することができない。裁判長裁判官 小川英明)