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東京高等裁判所 平成9年(ネ)906号 判決 1998年2月25日

第一〇三八号事件控訴人・第九〇六号事件被控訴人

第一審原告

黒川美與子

外二名

三名訴訟代理人弁護士

赤尾時子

第九〇六号事件控訴人・第一〇三八号事件被控訴人

第一審被告

財団法人厚生年金事業振興団

代表者理事

八木哲夫

訴訟代理人弁護士

加藤済仁

松本みどり

岡田隆志

主文

一  第一審原告らの本件控訴をいずれも棄却する。

二  原判決中、第一審被告敗訴の部分を取り消す。

三  第一審原告らの請求(当審における予備的・追加的請求を含む)をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、第一、二審とも第一審原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  第一審原告ら

1  原判決中、第一審原告ら敗訴の部分を取り消す。

2  第一審被告は、第一審原告黒川美與子に対し一八〇四万九八八〇円、第一審原告黒川浩吉及び第一審原告黒川吉子に対しそれぞれ九〇二万四九四〇円並びにこれらに対する平成五年九月九日から支払済みまで年五分の割合による金額を支払え。

3  (当審における予備的・追加的請求)

第一審被告は、第一審原告黒川美與子に対し一〇〇〇万円、第一審原告黒川浩吉及び第一審黒川吉子に対しそれぞれ五〇〇万円並びにこれらに対する平成五年九月九日から支払済みまで年五分の割合による金額を支払え。

4  第一審被告の控訴を棄却する。

5  訴訟費用は第一、二審とも第一審被告の負担とする。

二  第一審被告

第一審原告らの当審における予備的・追加的請求に係る訴えにつき、第一次的に、却下の裁判を求めたほかは、主文と同旨。

第二  事案の概要

本件事案の概要は、次のとおり、原判決を補正し、第一審原告らの当審における予備的・追加的請求に係る当事者双方の主張を付加するほかは、原判決の「第二 事案の概要」に記載のとおりであるから、これを引用する。

一  原判決の補正

1  原判決八枚目表一行目の「拍動」の次に「を」を加える。

2  原判決一四枚目裏三行目の「同日」を「六日」と、一五枚目裏一一行目の「血圧」を「血液」と、同行から一六枚目表一行目の「クレアチンホスホキナーゼ」を「クレアチンホスホキナーゼ」と、それぞれ改める。

3  原判決一八枚目表一行目冒頭から一九枚目表八行目末尾までを削る。

4  原判決一九枚目裏一行目の「同人は、」を削り、同行の「子からは」を「子らは」と改め、同行の「独立し、」の次に「宗一郎は、」を加える。

二  第一審原告らの当審における予備的・追加的請求関係

1  第一審原告らの主張――死因解明・説明義務違反

(一) 病院に入院中の患者が死亡した場合において、死因が不明であり、又は病院側が特定した死因と抵触する症状や検査結果があるなど当該死因を疑うべき相当な事情があり、かつ、遺族が死因の解明を望んでいるときは、病院としては、遺族に対し、病理解剖の提案又はその他の死因解明に必要な措置についての提案をして、それらの措置の実施を求めるかどうかを検討する機会を与え、死因を解明した上、これを遺族に説明する信義則上の義務(以下「死因解明・説明義務」という。)を負っているものというべきである。

すなわち、死体解剖保存法は、人の死亡という重大かつ厳粛な事態が生じた場合には、できる限り死因を明らかにすることが公衆衛生の向上及び医学の進歩のうえで必要であるという立場から、死体の解剖の要件等について規定しているところであり、また、解剖が死因解明の最も直接的かつ有用な手段であることは、社会的に承認されている事実である。

そして、右のような公衆衛生及び社会的要請に応えるべき病院の機能及び社会的責務、当該病院を信頼して診療行為を申し入れた患者自身の死者となってからも続く尊厳及び病院に対し寄せた信頼、更には患者の家族が病院に対し寄せていた信頼と依頼からも、死因解明・説明義務は、患者及び患者の家族と病院との間の診療契約上の義務の一環として存在し、したがって、病院は診療契約上の善管注意義務の一内容として、あるいは、社会的信義則上の義務の一つとして、死因に疑問がもたれる患者については、病院側が、病理解剖の提案その他の死因解明に必要な措置についての提案を遺族になし、死因を解明して、これを遺族に十分説明すべき義務を負うというべきであるからである。

なお、右の死因解明・説明義務は、インフォームド・コンセントの法理からも導き出せるというべきである。インフォームド・コンセントの法理は、必ずしも病院側と患者本人との間の医療行為そのものに関する信義則上の義務であるに止まらず、その医療行為が患者の死という結末を迎えた場合において、その死因を解明し、患者の遺族に対し納得のいくまで説明する義務をも包摂する法理であると解するのが相当であるからである。

(二) 本件においては、宗一郎が第一審被告病院における四日間の入院期間中に訴えていた主訴(腰部の不快感、腹部膨満感、拍動痛、手足の冷え等)やレントゲン撮影、超音波診断で確認された左脇腹の小石灰化像、更には尿検査、血液検査の結果から顕著であった尿潜血、CPK一六〇〇という数値などから、宗一郎が腹部大動脈瘤の破裂による失血を原因とする心不全により死亡したのではないかという疑いがあった。

しかも、宗一郎の娘の第一審原告吉子は、宗一郎と同じく第一審被告病院に入院していて、宗一郎の訴える腹部ないし腰部の痛みなどの症状に対して、第一審被告病院の医師らが適切な処置をしていない旨を度々病院側に訴えていた。

ところが、第一審被告病院側は、宗一郎の死亡後、第一審原告ら遺族に対し、死因を説明するに当たり、急性心筋梗塞以外の死因を一切告げず、集中治療室において複数の医師によって確認されたハイポボルミックショックの疑いについても全く説明がなかった。これに対し、宗一郎の死亡の際に臨場していた妻の第一審原告美與子は、急性心筋梗塞であるとする第一審被告病院側の右のような死因の説明に疑問を呈していた。

このように、本件においては、第一審原告ら宗一郎の遺族は、明らかに宗一郎の死因について疑問を持っており、しかも、第一審被告病院側がこれに対し明確な説明をなし得なかったのであるから、第一審原告らからの請求がないまでも、第一審被告病院側が第一審原告らに対し病理解剖を提案して実施していれば、宗一郎の死因が単なる急性心筋梗塞による心不全か、腹部大動脈瘤の破裂による失血を原因とする心不全であるかを明確にすることができたはずである。

しかるに、第一審被告病院側は、第一審原告ら宗一郎の遺族に対し、宗一郎の死について、急性心筋梗塞以外の死因が疑われることのないように、遺族の再三の説明の求めに対しても、急性心筋梗塞以外の死因に関する説明を一切避け、解剖の提案をなすどころか、体内に大量の出血があった可能性があることについても一切触れなかった。

このような第一審被告病院側の対応は、死因解明・説明義務に違反するものである。

(三) 右のような第一審被告病院側の死因解明・説明義務違反行為により第一審原告らが被った損害は、第一審原告美與子については一〇〇〇万円、第一審原告浩吉および第一審原告吉子については各五〇〇万円が相当である。

2  第一審被告の認否・反論等

(一) 第一審原告らの当審における予備的請求に係る訴え(第一審被告病院の第一審原告らに対する死因解明・説明義務違反を理由とする損害賠償請求)の追加的変更の申立ては、却下されるべきである。

なぜならば、第一審原告らの当初請求は、宗一郎の死亡前の宗一郎に対する診療行為が適切でなかったことを理由とする損害賠償請求であるが、追加的変更の申立てに係る請求は、宗一郎の死亡後の第一審原告らに対する死因の説明等が適切でなかったことを理由とする損害賠償請求であって、両請求は、時間的にも内容的にも紛争の場面を異にし、被害の主体も異にするものであるから、請求に基礎に同一性がないものというべきであり、かつ、当初請求の訴訟資料や証拠資料を追加的変更の申立てに係る請求の審理に利用できるという関係にもなく、訴えの変更により著しく訴訟手続を遅滞させることになるからである。また、控訴審における訴えの変更については、第一審被告の審級の利益も考慮されるべきである。

(二) 第一審原告らの死因解明・説明義務違反に関する主張は争う。

(三) 第一審原告らは、その主張する病院の死因解明・説明義務を死体解剖保存法の規定から基礎づけようとするが、失当である。

すなわち、死体の解剖は、刑事上、正当な理由のない限り、刑法一九〇条の死体損壊罪に該当することから、仮に遺族の承諾があったとしても、解剖することは許されないし、また、民事上、死体の所有権は遺族に属するから、遺族の承諾のない限り、解剖を行うことはできないが、死体解剖保存法は、「公衆衛生の向上及び医学の進歩」という政策的、科学的目的の見地から、例外として、一定の条件の下に、遺族の承諾なくして死体を解剖することを認めたものである。しかし、死体解剖保存法は、「公衆衛生の向上及び医学の進歩」という政策的、科学的目的の見地から、一定の場合に、刑事上・民事上の制約を外すという、行政法規に過ぎないし、しかも、そもそも死体解剖保存法は、行政上も、解剖あるいは死因解明そのものを医療機関の義務としているわけではないのである。したがって、死体解剖保存法を根拠として、私法上の「死因解明・説明義務」を導き出そうとすること自体、誤った法解釈といわなければならない。

(四) 確かに、死体解剖保存法をまつまでもなく、医学的見地からも、社会一般においても、死因解明の手段として、解剖が最も望ましいものと考えられていることは明かである。

問題は、そうであるからといって、なぜ医療機関が患者の死因を解明しなければならない私法上の義務を負うのか、という点である。

この点、第一審原告らは、これを医師の説明義務あるいはインフォームド・コンセントの法理(以下「説明義務」と総称する。)からも導き出せるとするようである。

しかしながら、医師の説明義務の根拠は、一般に、患者の自己決定権に求められている。すなわち、患者は、自己の生命、身体、機能をどのように維持するかについて、自ら決定する権能を有しているのであり、医師は、原則として、患者の病状、医師が必要と考える医療行為とその内容、これによって生ずると期待される結果及びこれに付随する危険性、当該医療行為を実施しなかった場合に生ずると見込まれる結果について、患者に説明し、その承諾を受ける義務があるとされているのである。右のように、説明義務は、まさに「生きている患者」が、疾病や医療に対しどのように対応するかについて、自ら決定していくために認められるものなのである。

そして、患者が死亡すると、患者の生命、身体、機能に関する自己決定権の主体自体が無くなるのであるから、死因解明・説明義務を、患者の自己決定権を前提とした医師の説明義務あるいはインフォームド・コンセントの法理から導き出すのは、論理的に破綻しているといわなければならない。

したがって、医師の説明義務あるいはインフォームド・コンセントの法理から第一審原告らの主張するような死因解明・説明義務を導き出すことは到底できないというべきである。

(五) 医師の職務は、「医療及び保健指導」であって(医師法一条参照)、その「医療」の対象が「生きた人」であることは明らかであり、また、診療契約も、患者の疾病の治療を内容とするものである。したがって、患者の死因の解明それ自体は、臨床医の本来の業務とは質的に異なるものである(なお、診療契約終了による報告義務としては、その時点で判明し得たことの報告で足り、それ以上に、死因の解明をするべき義務まで含まれ得ないことは明らかである。)。

右のように、一般臨床においては、医師が患者の死因を積極的に究明することは何ら要請されていないのである。

(六) ところで、原判決は、宗一郎の死因は不明とするかのようであるが、本件において、臨床診断として、死因を不明としなければならない、あるいは、死因を急性心筋梗塞としたことが誤りであったとするような証拠は全くない。原判決は、本件では「病院側が特定した死因と抵触するような症状や検査結果があるなど当該死因を疑うべき相当な事情がある」とするようであるが、本件では、そのような事情は特にない。

また、第一審原告らが、宗一郎の死因について、第一審被告病院に対し、積極的にそれを知りたいと述べた事実はない。第一審原告らが、真に宗一郎の死因に疑問を持ち、真実を知りたかったというのであれば、解剖が死因解明の最も直接的かつ有用な手段であることは社会的に承認されていて、第一審原告らにおいても、このことを知っており、あるいは容易に知り得たはずであるから、警察に通報するなどにより、司法解剖あるいは行政解剖を行おうとすることができたはずである(現実にも、死因について疑問を持った遺族が、自ら警察に通報し、司法解剖を求めることは何ら珍しいことではない。)。

なお、一般に診療中の患者の死亡の場合に死因解明義務などを認めることは、当該死亡が医療過誤による可能性がある場合、関係者に自己に不利益になり得る事実(業務上過失致死罪に関わる事実)を自ら解明しなければならないとするに等しく、憲法三八条の規定の趣旨と抵触するというべきである。

第三  当裁判所の判断

一  宗一郎の死因について

1  宗一郎の死因についての当裁判所の判断は、次のとおり補正するほかは、原判決二三枚目表一行目から二五枚目裏一行目までの説示と同旨であるから、これを引用する。

(一) 原判決二三枚目裏六行目の「原因とする」の次に「急性」を加え、九行目の「鑑定人が」から一〇行目の「掲げるのは、」までを「鑑定人は、鑑定書において、急性心筋虚血(急性心筋梗塞を含む)による心不全に合致する所見がどのような所見であるかについて直接的に掲記していないが、鑑定書の記載に照らせば、」と、一一行目の「ことである。」を「こと、その後の心臓超音波検査所見のカルテ上の記載も、心臓の収縮力の不全を示す所見であったこと、がそれに該当するものと認められる。」と、それぞれ改める。

(二) 原判決二四枚目表一、二行目の「乙第三号証及び潟永医師の証言によれば、」を「前示のとおり、」と、四行目の「認められる。」を「「認められることや、午後零時二〇分ころ行われた腹部超音波検査によっても、腹腔内に明らかな液体貯留は認められなかったことも、急性心筋虚血(急性心筋梗塞を含む)による心不全に合致する所見の一つであるということができる。」と、五行目の「鑑定人が」から六行目の「掲げるのは、」まで該当するものと認められる。なお、鑑定人は、カルテに「心臓の収縮力不全よりもハイポボルミックショックが疑われた。」との記載がされたのは、病態の把握のため実施されたスワン・ガンツ・カテーテルによる血行動態の測定値及びカテーテルの静脈内挿入時の状況等が、心臓の収縮力不全よりむしろハイポボルミックショックの所見に合致したからであると推測しているが、」と、裏四行目の「推認」を「推測」と、それぞれ改め、同行の「ところと」の次に「やや」を加える。

2  第一審原告らは、宗一郎の死因が腹部大動脈瘤の破裂による失血を原因とする心不全であるとの主張の論拠として、当審において提出した医師村主千明の意見書(甲二六号証。以下「村主意見書」という。)を援用する。

確かに、村主意見書には、宗一郎の死因について、「動脈瘤破裂による失血にて循環血液量の減少があり、ショック状態に陥り死亡したことは、確定されていないがかなりの蓋然性で推定される」旨の記載があるが、そのような推定の基礎となる事実についての指摘は必ずしも十分なものとは認めがたく、また、鑑定人の鑑定書において指摘されている急性心筋虚血(急性心筋梗塞を含む)による心不全に合致する所見が存在する点に関する記載及びそのことをどのように評価すべきかに関する記載が全くないなどの問題点もあり、右の村主意見書の記載をもって、宗一郎の死因に関する前示の認定判断を左右することはできない。

二  診療義務違反の有無について

1  診療義務違反の有無について当裁判所の判断は、次のとおり補正するほかは、原判決二五枚目裏三行目から二九枚目表一〇行目までの説示と同旨であるから、これを引用する。

(一) 原判決二五枚目裏六行目の「破裂」の次に「を原因とする心不全」を加え、六、七行目の「病院においてこれを」を「病院における診療期間中に腹部大動脈瘤を」と、九行目の「次に」を「次の」と、一一行目の冒頭から二六枚目表六行目末尾までを「よるが、これらの検査を実施すれば、発見は可能である。」とそれぞれ改める。

(二) 原判決二六枚目裏七行目の「入院から死亡までの間に」を「五日から八日までの診療期間中に」と改め、八行目と九行目の間に次のとおり加える。

「また、腹部大動脈瘤が破裂後に治療措置をとっていた場合の宗一郎の救命可能性について、鑑定人は、次のように述べている。

腹部大動脈瘤が破裂した場合、多くの例では急激に循環不全に陥るので、ショックに対する薬物療法に加え、補助循環等を実施しながら循環動態の改善を図り、諸検査により診断を確定し、緊急手術を行うことになるが、このような例での救命の可能性は極めて低い。

宗一郎の場合、破裂前の診断が必ずしも容易でなく、また、破裂後の循環動態が極めて悪く、種々の治療により改善を認めなかったことにより判断すると、救命の可能性は低い。」

(三) 原判決二七枚目表八行目の「宗一郎に」から九行目の「これが」までを「宗一郎の死因が腹部大動脈瘤の破裂を原因とする心不全であった場合、腹部大動脈瘤が」と改め、裏八行目の「また、」の次に「宗一郎が」を、一一行目の「病院が」の次に「宗一郎の」をそれぞれ加える。

(四) 原判決二八枚目裏六行目の「大動脈瘤」を「大動脈の石灰化(腹部大動脈瘤)」と改める。

2  第一審原告らは、宗一郎は入院後単なる腸炎とは考えにくい激痛を訴えていること、尿潜血は単なる腸炎では出ないこと、尿路結石を疑うにしては腎盂の拡張が見られなかったこと等から、第一審被告病院の医師らは、大動脈解離も含めて循環器系の疾患の存在を疑い、腹部CTあるいはMRI、腹部超音波検査を行うべきであったのに、漫然と痛み止めの注射を繰り返し、腹部CTあるいはMRI、腹部超音波検査を行わなかった診療義務違反がある旨主張する。

確かに、村主意見書には右の第一審原告らの主張と同旨の見解の記載がみられるところであり、仮に、宗一郎の死因が腹部大動脈瘤の破裂を原因とする心不全であった場合、早期に腹部CTあるいはMRI、腹部超音波検査等を行っていれば、腹部大動脈瘤を発見することができたということはできるものと思われる。しかしながら、前示のとおり、鑑定人において、宗一郎の場合、入院当初の自覚症状、理学的所見、腹部レントゲン写真及び臨床検査所見において、腹部大動脈瘤の存在を示唆する所見は乏しく、入院当初より腹部大動脈瘤の存在を第一に疑い、腹部CT、腹部超音波検査等を実施することは容易でなかったとの見解を示していること、第一審被告病院に与えられた診療期間が、平成五年九月五日午後一時ころから同月八日午前九時ころまでの、実質、僅か三日ほどの期間でしかなかったこと等に照らせば、右の村主意見書の記載によって、第一審被告病院の医師らに、第一審原告ら主張のような診療義務違反があったものと認めることはできない。

三  第一審原告らの当審における予備的・追加的請求について

1  第一審被告は、第一審原告らの当審における予備的請求に係る訴え(第一審被告病院の第一審原告らに対する死因解明・説明義務違反を理由とする損害賠償請求)の追加的変更の申立ては却下されるべきである旨主張する。

しかしながら、第一審原告らの右請求の基礎となる事実は、宗一郎に対する診療行為が不適切であったため宗一郎を死亡に至らしめたことを理由とする当初の損害賠償請求の基礎となる事実の外延にあって、社会的、時間的に連続性を有するものであり、また、本件訴訟における審理の経過に照らせば、既に提出された証拠資料を判断の基礎として有効に利用することができるものと認められるから、両者は請求の基礎を同一にするものというべきであり、かつ、請求の追加により著しく訴訟手続を遅滞させるものとは認められないから、右の訴えの追加的変更の申立ては、これを許容すべきである。

2 第一審原告らは、病院に入院中の患者が死亡した場合において、死因が不明であり、又は病院側が特定した死因と抵触する症状や検査結果があるなど当該死因を疑うべき相当な事情があり、かつ、遺族が死因の解明を望んでいるときは、病院は、遺族に対し、病理解剖の提案又はその他の死因解明に必要な措置についての提案をして、それらの措置の実施を求めるかどうかを検討する機会を与え、死因を解明した上、これを遺族に説明する信義則上の義務、すなわち死因解明・説明義務を負うとし、本件において、第一審被告病院は右の死因解明・説明義務に違反した旨主張する。

そこで、以下、右の点について検討する。

(一)  第一審原告らは、病院が入院中に死亡した患者の遺族に対しその主張のような死因解明・説明義務を負うとする論拠として、死体解剖保存法の規定を挙げる。

しかしながら、死体解剖保存法は、専ら「公衆衛生の向上を図るとともに、医学の教育又は研究に資する」ことを目的として(同法一条)、厚生大臣が適当と認定した者が解剖する場合(同法二条一号)、医学に関する大学の解剖学、病理学又は法医学の教授又は助教授が解剖する場合(同条二号)等の例外的な場合を除いて、死体の解剖を保健所長の許可にかからしめる(同条本文)とともに、右の許可の基準について、「公衆衛生の向上又は医学の教育若しくは研究のために特に必要があると認められる場合でなければ、……許可を与えてはならない。」とし(同条二項)、あるいは、一定の例外的な場合を除き、死体を解剖しようとする者は、その遺族の承諾を受けなければならない(同法七条)とするなど、死体の解剖等の適正を期すべく、一定の行政上の規制を定めた法規であって、同法の規定を通覧しても、第一審原告らが主張するような、医療機関と患者の遺族との私法上の法律関係を規律する死因解明・説明義務なるものを導き出す根拠を見出すことはできない。

(二)  また、第一審原告らは、その主張のような死因解明・説明義務は、診療契約上の義務の一環として存在し、病院は、診療契約上の善管注意義務の一内容として右の義務を負うとも主張する。

しかし、医療機関は、患者との間の診療契約に基づいて、患者に対し、医療水準に適合した真摯かつ誠実な医療を尽くすべき義務を負うのであるが、右の診療契約の内容として、医療機関が死亡した患者の遺族に対し、その主張のような死因解明・説明義務を負担していると解することには無理があるといわざるを得ない。

(三)  さらに、第一審原告らは、その主張のような死因解明・説明義務は、いわゆる医師の説明義務ないしインフォームド・コンセントの法理(ここでは以下「医師の説明義務」という。)からも導き出せる旨主張する。

しかし、いわゆる医師の説明義務は、基本的には、患者の自己決定権の尊重の理念に基礎をおくものであって、患者自らが、その受けるべき医療行為の内容を主体的に選択、判断することを可能とするための前提条件の提供に関わるものであるから、第一審原告らの主張するような、患者の死亡後における遺族に対する医療機関の対応に関わる死因解明・説明義務を、いわゆる医師の説明義務から直接に導き出せるということも困難であるように思われる。

(四)  もっとも、医療行為が高度に専門技術的な性質を有する行為であることや、そのような医療行為を提供する医療機関に寄せる患者及びその配偶者と子ら近親者の期待や信頼、そして、患者に施行した医療行為の内容や患者が死への転帰をたどった経過については、患者の死亡の時点においては当該医療機関のみがこれをよく知る立場にあること、したがって、患者の死因についても、当該医療機関が最もよく知り得る立場にあるということができること、等を考慮すると、医療機関においては、死亡した患者の配偶者及び子ら遺族から求めがある場合は、信義則上、これらの者に対し、患者の死因について適切に説明を行うべき義務を負うものと解することができよう。

そればかりでなく、右のような諸事情に加えて、一般に病理解剖が患者の死因解明のための最も直接的かつ有効な手段であることが承認されていることを併せ考慮すれば、具体的な事情のいかんによっては、社会通念に照らし、医療機関において、死亡した患者の配偶者及び子ら遺族に対し、第一審原告らの主張するように、病理解剖の提案をし、その実施を求めるかどうかを検討する機会を与え、その求めがあった場合には、病理解剖を適宜の方法により実施し、その結果に基づいて、患者の死因を遺族に説明すべき信義則上の義務を負うべき場合があり得ることを完全に否定しさることはできないものと思われる。

(五)  しかしながら、本件においては、第一審被告病院においては、前示のような宗一郎の入院後の診療経過や容態の急変後死亡に至る経過から、宗一郎の死因は急性心筋梗塞であると判断したものであるところ、その判断については、宗一郎がショック状態に陥った直後に記録された心電図に典型的な心筋梗塞を示す所見が認められること、容態の急変後に第一審被告病院の医師らによって行われた急性心筋梗塞に対する措置によって、一時的ではあったものの、症状の改善がみられたこと、ハイポボルミックショックの疑いから行った心臓超音波検査の所見も心臓の収縮力不全に合致するものであったこと、また、腹部超音波検査によっても、腹部に大動脈瘤破裂を疑わせるような液体貯留は認められなかったこと等、客観的な裏付けが存在することが認められるところであり、第一審被告病院の医師らは、右のような判断に基づいて、第一審原告吉子らに対し、宗一郎の死因に関する説明を行ったことが認められるのである(原審におけ第一審原告吉子の証言、弁論の全趣旨)。

もっとも、宗一郎の死因については、客観的にみる限り、急性心筋虚血(急性心筋梗塞を含む)による心不全の可能性のほか、失血(腹部大動脈瘤の破裂を含む)による心不全である可能性も十分に認められるのであって、これと急性心筋虚血による心不全のいずれであるかを推定又は断定することが困難であることは前示のとおりであるが、第一審被告病院の医師らが第一審原告吉子らに対して行った宗一郎の死因についての説明においては、第一審被告病院の医師らにおいても、宗一郎にハイポボルミックショックが起きたのではないかとの疑いを持った経過があることについて全く触れていないし、また、第一審原告吉子らが、第一審被告病院の医師らの右のような説明に納得していなかったことも明らかである(原審における第一審原告吉子の証言、弁論の全趣旨)。

しかしながら、宗一郎に対する医療行為に携わった医療機関である第一審被告病院の医師らにおいて、右のように、相応の客観的な根拠に基づいて宗一郎の死因を急性心筋梗塞と判断し、その判断に基づいて、第一審原告ら宗一郎の遺族に対して宗一郎の死因に関する説明を行ったものである以上、第一審被告病院において、第一審原告らに対し、宗一郎の死因に関する説明義務を怠ったものと判断し難く、また、たとえ第一審原告らがその説明に納得しなかったとしても、社会通念に照らし、第一審被告病院において、第一審原告らに対し、病理解剖の提案をし、その実施を求めるかどうかを検討する機会を与え、その求めがあった場合には、病理解剖を適宜の方法により実施し、その結果に基づいて、改めて宗一郎の死因を第一審原告らに説明すべき信義則上の義務を負っていたものと認めることはできないものといわざるを得ないところである。

3  右のとおりであるから、その余の点について判断するまでもなく、第一審原告らの当審における予備的・追加的請求は、理由がない。

第四  結論

以上のとおりであるから、第一審原告らの本訴請求は、当審における予備的・追加的請求を含め、すべて理由がなく、したがって、第一審原告らの本件控訴も理由がないから、これらをいずれも棄却すべきものである。

よって、訴訟費用の負担について民事訴訟法六七条一項、二項、六一条、六五条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官塩崎勤 裁判官橋本和夫 裁判官川勝隆之)

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