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東京高等裁判所 平成9年(行ケ)205号 判決 1999年4月27日

岡山県倉敷市酒津1621番地

原告

株式会社クラレ

代表者代表取締役

松尾博人

訴訟代理人弁理士

辻邦夫

辻良子

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官

伊佐山建志

指定代理人

菅野芳男

船越巧子

吉村宅衛

廣田米男

石井勝徳

主文

特許庁が平成8年異議第70406号事件について平成9年7月7日にした特許取消の決定を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第1  当事者の求めた裁判

1  請求の趣旨

主文と同旨

2  請求の趣旨に対する答弁

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第2  請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、発明の名称を「人工皮革用基材シート用絡合不織布」とする特許第2506742号発明(昭和62年3月30日出願、平成8年4月2日設定登録。以下「本件発明」という。)の特許権者である。

原告は、訴外帝人株式会社から、本件発明に係る特許について特許異議の申立てを受け、平成8年異議第70406号事件として審理された結果、平成9年7月7日に「特許第2506742号の特許を取り消す。」との決定(以下「本件決定」という。)を受け、平成9年7月22日にその謄本の送達を受けた。

2  本件発明の特許請求の範囲請求項1

性質の異なる少なくとも2種類の熱可塑性ポリマーからなる混合紡糸繊維から構成された人工皮革用基材シート用絡合不織布において、該混合紡糸繊維の横断面構造が、少なくとも1種類のポリマーが分散媒成分、他のポリマーが分散成分を形成し、該分散成分の大きさの分布が、外周から半径の1/4以内に存在する主体分散成分の繊度Ds、中心から半径の2/3以内に存在する主体分散成分の繊度Dcとして、DsとDcの関係が1.5Ds≦Dcを満足する繊維構造であることを特徴とする人工皮革用基材シート用絡合不織布。

3  本件決定の理由の要点

(1)  本願発明の要旨は、前項記載のとおりである。

(2)  引用刊行物

(イ) 高分子学会1981年(昭和56年)4月1日発行の「ポリマーアロイ 基礎と応用」374頁ないし376頁、383頁(以下、同書籍を「引用刊行物」といい、その374頁ないし376頁及び383頁を「引用刊行物前段」という。)の376頁の図5・57(c)及び383頁の図5・63(a)、(b)に記載の混合紡糸繊縦の断面写真には、性質の異なる少なくとも2種類の熱可塑性ポリマーからなる混合紡糸繊維において、該混合紡糸繊維の横断面構造が、少なくとも1種類のポリマーが分散媒成分、他のポリマーが分散成分を形成し、その横断面構造が外周領域に分散する成分の繊度が、該断面の中心部に分散している成分の繊度に比較して相対的に小さい繊維構造を持つ繊維であることが記載されている(以下「引用技術A」という。)。

また、上記図5・57(c)及び図5・63(a)、(b)の混合紡糸繊維の全分散成分を約6倍に拡大して切り抜き、その重さと分散成分の数とから前記DsとDcの関係を求めると、

図5・57(c)には、Dc/Ds=3.5

図5・63(a)には、Dc/Ds=3.2

図5・63(b)には、Dc/DS=2.5

となることが開示されている。

(ロ) 引用刊行物の389頁ないし395頁(以下「引用刊行物後段」という。)には、性質の異なる少なくとも2種類の熱可塑性ポリマーからなり、該少なくとも1種類のポリマーが分散媒成分、該他のポリマーが分散成分により形成した混合紡糸繊維の該ポリマー1成分を抽出除去して特殊形状繊維を形成し、該特殊形状繊維を人工皮革基材シート用不織布に用いることが記載されている(以下「引用技術B」という。)。

(3)  対比

本件発明と引用技術Aとを比較すると、両者は、「性質の異なる少なくとも2種類の熱可塑性ポリマーからなる混合紡糸繊維において、該混合紡糸繊維の横断面構造が、少なくとも1種類のポリマーが分散媒成分、他のポリマーが分散成分を形成し、該分散成分の大きさの分布が、外周から半径の1/4以内に存在する主体分散成分の繊度Ds、中心から半径の2/3以内に存在する主体分散成分の繊度Dcとして、DsとDcの関係が1.5Ds≦Dcを満足する繊維構造である」点で一致し、一方、ポリマーブレンドの特殊形状繊維を、前者は、人工皮革用基材シート用絡合不織布として用いたのに対して、後者は、人工皮革用基材シート用絡合不織布として用いることまでは記載されていない点で相違する。

(4)  同一性の認定判断

引用刊行物には、上記の断面写真に関する引用技術Aが記載されている項、すなわち、「5・8・1 ポリマーブレント繊維の相の形成」、「5・8・2 ポリマーブレンドの繊維形成とその繊維の性質」の項に続いて、引用技術Bが「5・8・3 特殊形状繊維の応用」の項に記載されており、その記載の内容は、まず第1番目にポリマーブレンドの特殊形状繊維を人工皮革基材のシート用不織布に用いることが掲載されているから、当業者が引用刊行物をみれば、引用技術Aにおけるポリマーブレンドの特殊形状繊維を人工皮革基材のシート用絡合不織布(なお、人工皮革基材用の不織布は、通常「絡合」を有するものである。)に用いることを強く認識することは明らかである。

したがって、引用刊行物前段における引用技術Aにおいて、ポリマーブレンドの特殊形状繊維を人工皮革基材のシート用不織布に用いることの直接的記載はないが、引用技術Bを加味すれば、直接的記載がなくても人工皮革基材のシート用絡合不織布に用いることは、記載されているに等しい自明の事項である。

よって、本件発明は、引用刊行物記載の技術と実質的に同一である。

(5)  結論

以上のとおりであるから、本件発明は、引用刊行物記載の技術であり、特許法29条1項3号の規定に違反して特許がされたものであるから、特許法113条2号に該当し、特許を取り消すべきものである。

4  本件決定を取り消すべき事由

本件決定の理由の要点(1)は認める。(2)(イ)の前段は争い、後段は知らない。(2)(ロ)は争う。(3)のうち、引用技術Aには、人工皮革用基材シート用絡合不織布として用いることまでは記載されていない点は認め、その余は争う。(4)は争う。

本件決定は、引用技術A、Bの認定、本件発明と引用技術A、Bとの対比の認定を誤り、かつ、本件発明の同一性についての認定判断を誤ったのであって、違法であるから、取り消されるべきである。

(1)  引用技術A、Bの認定の誤り

(イ) 引用技術A

引用刊行物前段には、混合紡糸繊維が、混合組成、溶融粘度、相溶性、機械的混合条件などの因子によって「分散相であるか連続層であるか不明確な状態をとっている」(375頁下から4行)ことをも含め、「各種の混合状態をとる」(375頁下から9行)旨の説明が一貫してされているのであり、本件決定で指摘する写真は、この説明を例証する16枚中の一部に過ぎないものであって、混合紡糸繊維が、少なくとも1種類のポリマーが分散媒成分、他のポリマーが分散成分を形成する、すなわち、混合紡糸繊維は分散形態をとるなどとは説明されていないし、まして、横断面構造が外周領域に分散する成分の繊度が、診断面の中心部に分散している成分の繊度に比較して相対的に小さい繊維構造を持つ繊維であるなどとは全く説明されていないから、上記引用刊行物に、引用技術Aが記載されているとした本件決定の認定は、誤っている。

(ロ) 引用技術B

引用刊行物後段には、「特殊形状繊維の応用」の項中「人工皮革への応用」の欄に、「ポリマーブレンド繊維の不織布から一成分を抽出除去して人工皮革を製造する技術」についての説明がされているが、ここでいう「ポリマーブレンド繊維」は何らかの特定された混合紡糸繊維を意味するものではなく、引用刊行物375頁の説明にある「分散相であるか連続相であるか不明確な状態をとっている」ものをも含め、どのようなものでもあり得るのであって、分散相を形成した「少なくとも1種のポリマーが分散媒成分、該他のポリマーが分散成分により形成した混合紡糸繊維」を指すものではない。したがって、上記引用部分に、引用技術Bの技術が記載されているとした本件決定の認定は、誤っている。

被告は、引用刊行物後段に、「ナイロンとPPのブレンド繊維からナイロンを溶解するとPPのきわめて細い繊維」との記載がされていることを根拠として、引用技術Bの「混合紡糸繊維の該ポリマー1成分を抽出除去」するという技術が記載されている旨主張するが、引用刊行物後段の上記記載は、その文言のとおり「ナイロンを溶解する」ものであって、溶媒を用いてナイロンを抽出除去するものではないから、引用技術Bの「混合紡糸繊維の該ポリマー1成分を抽出除去」するという技術が記載されているとはいえず、被告の上記主張は、理由がない。

(2)  対比の認定の誤り

本件決定は、本件発明は「人工皮革用基材シート用絡合不織布」についての発明であるにもかかわらず、「混合紡糸繊維」についての発明と誤認し、引用技術Aとの対比において、「混合紡糸繊維」である点で一致するとしており、本件発明と引用技術Aとの根本的な相違点を看過している。また、本件発明は、一般的な「ポリマーブレンドの特殊形状繊維」を人工皮革用基材シート用絡合不織布として用いるものではなく、特許請求の範囲請求項1に記載されているとおりの特定の繊維構造を備えた混合紡糸繊維を用いるものであるにもかかわらず、この点も相違点として看過しているものである。

(3)  同一性の認定判断の誤り

(イ) 本件決定は、前記3(4)のとおり、当業者が引用刊行物をみれば、引用技術Aにおける混合紡糸の特殊形状繊維を人工皮革基材のシート用絡合不織布に用いることを強く認識することは明らかであると認定判断しているが、本件決定の理由中には、上記認定判断の理由として引用刊行物における記載事項の掲載順序が挙げられている以外には、他に何も理由が付されていないところ、引用刊行物における記載事項の掲載順序について見ても格別の意義はないから、「当業者が強く認識すること」の判断の根拠にはなり得ないのであって、本件決定の上記認定判断は誤っている。

(ロ) 被告は、そもそも、混合紡糸繊維といっても、何らかの用途に用いるのであって、代表的な用途が引用刊行物に記載されているように人工皮革及びエアフィルターなのであり、混合紡糸繊維を人工皮革に用いることは、昭和49年頃から周知の事実である。したがって、当業者が引用刊行物をみれば、引用技術Aにおける「混合紡糸繊維」(ポリマーブレンドの特殊形状繊維)の用途を、まず「人工皮革基材シート用不織布」と認識するなどと主張するが、混合紡糸繊維は、混合した成分の特性をそのまま利用する用途向けに、一成分を除去することなくそのまま衣料用等の広範な用途分野に用いられてきているし、また、一成分を除去して極細繊維とし、広範多岐の用途分野に用いられている汎用性のある素材であって、混合紡糸繊維は、専ら、絡合不織布となし人工皮革用に用いる目的で設計・製造される素材ではないのみならず、一般論として混合紡糸繊維が何らかの用途を持ち、その用途として人工皮革が特殊なものでないからといって、このことから、特定の混合紡糸繊維の用途を、まず「人工皮革用基材シート用不織布」として認識するなどというのは論理の飛躍である。

(ハ) 本件発明は、従来、当業界で問題となっていた人工皮革用基材シートの繊維の繊度に関する強度と染色性の逆比例の関係を解消して、強度及び染色性の両方に優れた従来にない新規な人工皮革用絡合不織布の提供を可能にしたものであって、全く新しい技術的思想に基づく発明である。これに対して、引用刊行物では、本件発明が解決しようとした技術上の問題点の存在すら認識されていない。したがってまた、当該問題点を解決するための手段がどのようなものであるかは記載も示唆もなされていない。また、本件発明により特許明細書記載の優れた作用効果が奏されることなど全く記載も示唆もなされていない。

発明が実質的に同一とは、対比した発明がまさに実質において異ならないことをいうのであり、目的や作用効果と無関係に、発明の構成を思い付くことができるかどうか、着想することができるかどうか、想到することができるかどうかというだけで、実質的に同一であるとするのは誤りである。

被告は、本件発明と引用技術A、Bとは、上記のとおり、実質的に同一であるから、かかる構成に付随する目的、効果も実質的に同一であり、目的、効果について検討する必要はないと主張するが、本件決定では、実質的に同一とするに足る構成上の比較検討など行われておらず、本件発明の「当該特定の混合紡糸繊維をもって絡合不織布を構成する」との構成要件、「当該特定の混合紡糸繊維をもって構成した絡合不織布を人工皮革用基材シート用として用いる」との構成要件について、単に当業者が強く認識するとしているに過ぎないのであって、本件発明の構成が引用刊行物に記載されていないことは、本件決定も認めているところである。したがって、両者が実質的に同一かどうかの判断、すなわち、当該記載されていない本件発明が引用刊行物に現に記載されている発明に等しいとして同じものとして見るかどうかの判断のためには、記載されていない構成上の観点のみでは異同を判別できないから、本件のような事案においては、発明の目的や作用効果の視点からの検討が不可欠といわなければならない。被告の上記主張は、前提(理由)を欠いて結論し、「結論しているのであるから前提は不要」とするものであり、論理性を欠いたものであって、理由がない。

(4)  法令の違背

本件決定は、特許法29条1項3号の規定を適用するに当たり、同規定における「刊行物に記載された発明」を、刊行物に記載された事項から当業者が思い付くことができる構成ないしその構成の発明と解釈しているものであって、特許法29条1項3号の発明ではないものを同号の規定にいう「発明」であると解釈して、本件発明の特許を取り消しているのであるから、特許法29条1項3号の規定の解釈を誤った違法がある。

第3  請求の原因に対する被告の認否及び主張

1  請求の原因1ないし3は認め、4は争う。本件決定の認定判断は、正当であって、取り消されるべき理由はない。

2  被告の主張

(1)  引用刊行物の認定の誤りについて

(イ) 引用技術A

引用刊行物の375頁19行ないし23行には、「一般に広義の意味でのポリマーブレンド繊維は各種の混合状態をとる。図5・57のポリマーブレンド繊維の製法と断面構造を示す。・・・(c)、(d)は塊状でポリマーを混合し可塑化押出機で混練紡糸した繊維の断面である。(c)、(d)は両者ともにナイロン-6とポリエチレン(PE)の混合組成が50/50(重量分率)であり、(c)はナイロン-6が分散相である。」と記載されており、ナイロン-6とポリエチレン(PE)とは、それぞれ性質の異なる熱可塑性ポリマーであり、図5・57(c)に記載の混合紡糸繊維の断面写真は、ナイロン-6を分散相、すなわち、分散成分とし、ポリエチレン(PE)を分散媒成分(なお、2成分の分散系は1成分を分散成分とした場合、もう一方の成分は分散媒成分とからなるから、ナイロン-6を分散成分とする以上、もう一方の成分であるポリエチレン(PE)は分散媒成分となる。)とする混合紡糸繊維である。このようなポリマー分散成分とポリマー分散媒成分とからなる上記引用刊行物の繊維構造断面写真を肉眼でみれば、混合紡糸繊維の横断面構造が外周領域に分散する成分の繊度が、横断面の中心部に分散している成分の繊度に比較して相対的に小さい繊維構造を持つ繊維が記載されていることは明らかであり、引用刊行物に引用技術Aが記載されているとした本件決定の認定に誤りはない。

(ロ) 引用技術B

<1> 引用刊行物の383頁1行ないし3行には、「また混合する2成分の溶解度パラメーター・・・の中間のSPをもつ第3成分を少量添加すると図5・63に示すように島径は小さくなり島数は増加する。」との記載が、また同頁には、図5・63(a)、(b)の説明として、「PE/ナイロン-6ブレンド繊維にお1ける第3成分の添加と分散相の状態」と「図5・63(a)未添加、図5・63(b)PP2%添加」とがそれぞれ記載されており、図5・63(a)、(b)に記載の混合紡糸繊維も図5・57に記載の混合紡糸繊維と同様、PE/ナイロン-6ブレンド繊維であるから、図5・63(a)、(b)に記載の混合紡糸繊維は、ポリマー分散成分とポリマー分散媒成分とからなる混合紡糸繊維である。そして、図5・63(a)、(b)の繊維構造断面写真を肉眼でみても、混合紡糸繊維横断面構造が外周領域に分散する成分の繊度が、該断面の中心部に分散している成分の繊度に比較して相対的に小さい繊維構造を持つ繊維が記載されていることは明らかであり、引用刊行物に引用技術Bが開示されているとした本件決定の認定に誤りはない。

<2> 原告は、引用刊行物後段にいう「ポリマーブレンド繊維」は、分散相を形成した「少なくとも1種のポリマーが分散媒成分、該他のポリマーが分散成分により形成した混合紡糸繊維」を指すものではない旨主張するが、引用刊行物の392頁下から3行ないし393頁下から10行中には、要するに、「ポリマーブレンド繊維(混合繊維)不織布とポリウレタン樹脂からなるシート素材からブレンド繊維の1成分を抽出除去した」ことが記載されているのであって、引用刊行物の「ナイロンとPPのブレンド繊維からナイロンを溶解するとPPのきわめて細い繊維」との記載からすれば、ナイロンとPPとは性質の異なる2種類の熱可塑性ポリマーであって、ポリマーの1成分であるナイロンを溶解するのであるから、引用刊行物のポリマーブレンド繊維は、混合紡糸繊維を指しており、不織布にして人工皮革基体に用いることも記載されているのである。したがって、原告の上記主張は理由がない。

<3> 原告は、引用刊行物後段の「ナイロンとPPのブレンド繊維からナイロンを溶解するとPPのきわめて細い繊維」との記載は、その文言のとおり「ナイロンを溶解する」ものであって、溶媒を用いてナイロンを抽出除去するものではないから、引用技術Bの「混合紡糸繊維の該ポリマー1成分を抽出除去」するという技術が記載されているとはいえない旨主張するが、ナイロンを溶解した後の後処理について何も記載されていないのであるから、溶媒を用いてナイロンを抽出除去するものではないとする原告の主張は、理由がない。

(2)  対比の認定の誤りについて

本件決定は、本件発明を、本件特許請求の範囲の記載に基づいて、「人工皮革用基材シート用絡合不織布」と認定し、本件発明と引用刊行物記載の技術とを比較して、一致点としての構成が「混合紡糸繊維」であると認定しているのであって、本件発明を「混合紡糸繊維」についての発明であると認定したのではない。

(3)  同一性の認定判断の誤りについて

(イ) 本決定は、上記のとおり、本件発明を、「混合紡糸繊維」と認定したものではない。そもそも、混合紡糸繊維といっても、何らかの用途に用いるのであって、代表的な用途が引用刊行物に記載されているように人工皮革及びエアフィルターなのであり、混合紡糸繊維を人工皮革に用いることは、昭和49年頃から周知の事実である。したがって、当業者が引用刊行物をみれば、引用技術Aにおける「混合紡糸繊維」(ポリマーブレンドの特殊形状繊維)の用途を、まず「人工皮革基材シート用不織布」と認識するのであって、結局、本件発明と引用刊行物記載の技術とは実質的に差異がないから、本件決定の相違点についての判断に誤りはない。

(ロ) 本件発明と引用技術A、Bとは、上記のとおり、実質的に同一であるから、かかる構成に付随する目的・効果も実質的に同一であり、目的・効果について検討する必要はない。

(4)  法令の違背について

本件決定は、本件発明が引用技術Aに引用技術Bを加味すれば実質的に同一であるとして特許法29条1項3号の規定により本件特許を取り消しているのであって、原告主張のような法令の違背はない。

第4  証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

第1  請求の原因1(特許庁における手続の経緯)、同2(本件発明の特許請求の範囲請求項1)、同3(本件決定の理由の要点)は、当事者間に争いがない。

第2  原告主張の本件決定を取り消すべき事由について判断する。

1  甲第2号証によれば、本願明細書には、本願発明について次のとおりの記載があることが認められる。

(1)  技術分野

「本発明は、性質の異なる少なくとも2種類の熱可塑性ポリマーを同一溶解系で溶融し、混合紡糸して得られる混合紡糸繊維を用いた人工皮革用基材シート用絡合不織布に関するものである。」(2頁3欄2行ないし5行)

(2)  従来技術

「従来、混合紡糸繊維は繊維性質の改良、繊維構成成分の一成分を除去して特殊形状繊維として利用するなどと広く使用されている。そして、少なくとも2種類の熱可塑性ポリマーを同一溶解系で溶融し、混合紡糸して混合紡糸繊維を製造する場合、安定な紡糸を行うために多くの提案をしてきた。」(同欄7行ないし12行)

(3)  解決しようとする問題点

「従来の同一溶解系で少なくとも2種のポリマーを溶解して混合紡糸する紡糸法で、繊維相における分散成分の数を変えるとか、分散成分の1つの大きさを変えるための制御法としては混合ポリマーの混合組成比とか、溶解系における混合ポリマーの粘度比を規制する方法がとられ、分散成分の比較的に揃った混合紡糸繊維が得られ、それを用いて実用繊維製品、とりわけ皮革様シートが作られている。しかし、現行製品より高度の要求消費性能を持つ繊維製品、例えばより薄くて高強力、染色性の良好な繊維製品を作るにはより高強力の混合紡糸繊維を製造する必要がある。本発明は、染色性が良好で高強力の人工皮革が得られることとなる混合紡糸繊維を提供することにある。特に混合妨糸繊維の分散媒成分を除去して得られる極細繊維束繊維からなる人工皮革用基材シートにおいて薄くて柔軟性に優れ、かつ高強力、とりわけ引裂強力が高く、良好な染色性を得るための混合紡糸繊維を提供するにある。」(同欄25行ないし43行)

(4)  構成

本件発明は、上記目的を達成するために、特許請求の範囲記載の構成を採用したものである。(同欄45行ないし4欄4行)

(5)  効果

「本発明で規定する条件を満足する混合紡糸繊維は高強力であり、それを用いて作った人工皮革は柔軟性に優れ、引裂強力、引張強力、揉み強力などの強さに優れ、かつ染色性が均一である製品となる。」(4頁8欄20行ないし23行)

2  引用刊行物の認定の誤りについて

(1)  引用刊行物前段に引用技術Aが記載されているか否かについて検討する。

(イ) 甲第3号証によれば、引用刊行物前段の「5・8 ポリマーブレンドとその繊維構造」の項には、混合紡糸繊維とその構造について、「高分子多相系繊維を化学的あるいは物理的に処理することにより、高付加価値繊維を製造することが実用化されている。本節ではその中で、1)非相容のポリマー混合系であってマクロに相分離した繊維の相の形成と、2)その繊維の1成分を抽出除去して得られる特殊な形状をもつ繊維のマクロ構造の形成ならびにその繊維の性質、さらに、3)これらの繊維の応用について述べる。」(374頁末行ないし375頁4行)との記載があり、376頁の図5・57(c)には、ナイロン-6とポリエチレン(混合重量比50/50)を混合紡糸して得られた混合紡糸繊維の断面写真があることが認められ、このことは原告も認めるところである。

そのほか引用刊行物前段には、上記図5・57(c)について、「一般に広義の意味でのポリマーブレンド繊維は各種の混合状態をとる。図5・57にポリマーブレンド繊維の製法と断面構造を示す。・・・(c)、(d)は塊状でポリマーを混合し可塑化押出機で混練紡糸した繊維の断面である。(c)、(d)は両者ともにナイロン-6とポリエチレン(PE)の混合組成が50/50(重量分率)であり、(c)はナイロン-6が分散相である。」(375頁下から9行ないし5行)との記載があることが認められる。

以上によれば、図5・57(c)には、塊状のナイロン-6と塊状のポリエチレン(PE)を、組成比50/50(重量分率)で混合し、可塑化押出機で混練紡糸して押し出して製造した混合紡糸繊維であって、外周域にある分散相(ナイロン-6)の繊度が、中心域にある分散相(ナイロン-6)の繊度に比較して相対的に小さい断面構造のもの(分散媒:ポリエチレン(PE)、分散相:ナイロン-6)が記載されていることが認められる。

(ロ) 次に、甲第3号証によれば、引用刊行物前段の383頁の図5・63(a)及び(b)には、ポリエチレン(PE)とナイロン-6と(混合重量比は不明)とからなる混合紡糸繊維及びこれに第3成分を少量添加して分散成分の繊度を小さくした混合紡糸繊維の断面写真の記載があることが認められ、このことは原告も認めるところである。

そのほか同号証には、上記図5・63(a)及び(b)について、「また混合する2成分の溶解度パラメーター(SP;solubility parameter)の中間のSPをもつ第3成分を小量添加すると図5・63に示すように島径は小さくなり島数は増加する。」(383頁1行ないし3行)との記載があることが認められ、また、上記図5・63(a)及び(b)の断面写真には、外周域にある分散相の繊度が、中心域にある分散相の繊度に比較し、相対的に小さい断面構造のもの(どちらのポリマーが、分散媒もしくは分散相であるかは不明である。)が図示されていることが認められる。

以上によれば、図5・63(a)及び(b)には、ナイロン-6とポリエチレン(PE)(混合重量比は不明)からなる混合紡糸繊維において、外周域にある分散相の繊度が、中心域にある分散相の繊度に比較して相対的に小さい断面構造のものが記載されていることが認められる。

(ハ) ところで、ナイロン-6とポリエチレン(PE)は、それぞれ性質の異なる熱可塑性ポリマーであることは自明であるから、上記(イ)及び(ロ)認定の事実を総合すると、引用刊行物前段の376頁の図5・57(c)及び383頁の図5・63(a)、(b)に記載の混合紡糸繊縦の断面写真には、性質の異なる少なくとも2種類の熱可塑性ポリマーからなる混合紡糸繊維において、該混合紡糸繊維の横断面構造が、少なくとも1種類のポリマーが分散媒成分、他のポリマーが分散相成分を形成し、その横断面構造が外周領域に分散する成分の繊度が、診断面の中心部に分散している成分の繊度に比較して相対的に小さい繊維構造を持つ繊維であること(引用技術A)が記載されていることを認めることができる。

したがって、引用刊行物前段に引用技術Aが記載されているとした本件決定の認定は、相当である。

(2)  引用刊行物後段に引用技術Bが記載されているか否かについて検討する。

(イ) 甲第3号証によれば、引用刊行物後段の「5・8・3 特殊形状繊維の応用」の項の「a.人工皮革への応用」の項において、ポリマーブレンド繊維の人工皮革への応用について、「ポリマーブレンド繊維(多成分繊維)の人工皮革への応用はナイロンとPPのブレンド繊維からナイロンを溶解するとPPのきわめて細い繊維(微細繊維)ができ、この繊維が皮革のコラーゲン繊維の構造に類似していたことから人工的に皮革を再現した試みに始まり、つぎつぎに各種の試みがなされた。その中で抽出法による特殊形状繊維の応用例を二、三記す。1)ポリマーブレンド繊維(混合繊維)不織布とポリウレタン樹脂からなるシート素材からブレンド繊維の1成分を抽出除去した基体を天然皮革の仕上げ方法に準じスムース調〔獣皮の真皮層を仕上げたスムースな表面(銀をもつ状態)〕やスエード調(獣皮の裏面を主としてバフィングなどで仕上げ、表面に微細繊維毛羽をもつ状態)にした人工皮革であって外観、構造、感触などが皮革に類似した人工皮革。」(392頁下から3行ないし393頁下から10行)との記載があることが認められ、この点は原告も認めるところである。

(ロ) ところで、上記記載からは、人工皮革へ応用されるという特殊形状繊維の構造がどういうものであるかは、必ずしも明確ではないが、「5・8・3 特殊形状繊維の応用」の項の直前に、応用されるべき特殊形状繊維について、「図5・72に各種の特殊形状繊維の測定長と相対強度の関係を示した。ノズル直下を急冷して紡糸したポリマーブレンド繊維の分散相の長さは強度から推定すると大多数の分散相は5cm以上の長さをもっていると推定できる。」と記載されており、同記載によれば、上記特殊形状繊維は、分散相成分と分散媒成分からなるものであることが認められる。

(ハ) 更に、上記特殊形状繊維を得るための「抽出法」について、「ナイロンとPPのブレンド繊維からナイロンを溶解するとPPのきわめて細い繊維(微細繊維)ができ」、「ポリマーブレンド繊維(混合繊維)不織布とポリウレタン樹脂からなるシート素材からブレンド繊維の1成分を抽出除去した基体」といった記載があるが、溶解、抽出、除去の技術的意味について必ずしも明らかでないところ、「5・8・3 特殊形状繊維の応用」の項の直前の項である「b.ポリマーブレンド繊維の抽出性」の項において、「溶解性の異なる二成分ポリマーの混合組成を変化させ、ブレンド繊維を各成分ポリマーの溶剤でおのおの独立に抽出除去したときのモデル抽出特性曲線は、図5.67に示すようにx型あるいはⅡ型である。」(387頁)、「このようにブレンド繊維の構造は抽出性と密接な関係があり、抽出性からある程度の混合状態の推定が可能である。図5.69にPSとナイロンのブレンド繊維の混合状態と抽出性に関する模式図を示す。」(389頁)との記載があり、図5.69には、PSとナイロンのブレンド繊維の混合状態と抽出性に関する模式図 (388頁)の記載があり、同記載によれば、ポリマーブレンド繊維の各成分を溶剤で溶解して、これを抽出、除去する技術が示されていることが認められる。

また、乙第1号証(日本繊維機械学会繊維工学刊行委員会昭和58年4月20日発行の「繊維工学(Ⅱ)繊維の製造・構造及び物性」)には、「(2)非相溶性繊維の応用 ナイロンとポリプロピレンのポリマーブレンド繊維からナイロンを溶解除去すると・・・。この構造をモデルとしてポリマーブレンド繊維の不織布とポリウレタン樹脂からなるシート状物からポリマーブレンド繊維の一成分を溶解除去した基体を皮革の通常の仕上方法に順じてスムース調やスエード調にしたものが開発されている。」(153頁2ないし10行)との記載があって、これに乙第2号証(特公昭51-21041号公報)、乙第3号証(特開昭56-134274号公報)をも併せ考えると、混合紡糸繊維から1成分を溶解、抽出、除去することは、本件発明の特許出願の当時、周知技術であったことが認められる。

以上認定の事実によれば、特殊形状繊維を得るための「抽出法」とは、混合紡糸繊維の分散相成分又は分散媒成分を溶解、抽出、除去する工法であることが認められる。

(ニ) この点について、原告は、引用刊行物後段の「ナイロンとPPのブレンド繊維からナイロンを溶解するとPPのきわめて細い繊維」との記載は、その文言のとおり「ナイロンを溶解する」ものであって、溶媒を用いてナイロンを抽出除去するものではないから、引用技術Bの「混合紡糸繊維の該ポリマー1成分を抽出除去」するという技術が記載されているとはいえない旨主張するが、「ナイロンを溶解する」という文言から、直ちに、ナイロンを抽出、除去する工程は含まれないとは解し得ず、前記認定に照らせば、「溶解」の後には、抽出、除去の工程を含むと認めるのが相当であるから、原告の上記主張は、採用することができない。

(ホ) そうすると、引用刊行物後段には、性質の異なる少なくとも2種類の熱可塑性ポリマーからなり、該少なくとも1種類のポリマーが分散媒成分、該他のポリマーが分散相成分により形成した混合紡糸繊維の該ポリマー1成分を抽出除去して特殊形状繊維を形成し、該特殊形状繊維を人工皮革基材シート用不織布に用いること(引用技術B)が開示されているものと認められ、引用刊行物後段に引用技術Bが開示されているとした本件決定の認定は、相当である。

3  同一性の認定判断について

(1)  本件発明の特許請求の範囲請求項1の記載からして、本件発明が混合紡糸繊維から構成された人工皮革用基材シート用絡合不織布に関する発明であることは明らかである。

一方、引用刊行物に、ポリマーブレンドの特殊形状繊維を人工皮革用基材シート用絡合不織布として用いる技術が記載されていないことは、当事者間に争いがない。

そうすると、引用刊行物記載の技術は、本件発明の構成の一部を具備していないから、通常であれば、本件発明は、引用刊行物記載の技術と同一ではないということになるものである。

(2)  ところで、本件決定は、当業者が引用刊行物をみれば、引用技術Aにおけるポリマーブレンドの特殊形状繊維を人工皮革基材のシート用絡合不織布(なお、人工皮革基材用の不織布は、通常「絡合」を有するものである。)に用いることを強く認識することは明らかであり、したがって、引用刊行物前段における引用技術Aにおいて、ポリマーブレンドの特殊形状繊維を人工皮革基材のシート用不織布に用いることの直接的記載はないが、引用技術Bを加味すれば、直接的記載がなくても人工皮革基材のシート用絡合不織布に用いることは、記載されているに等しい自明の事項である旨主張するので、この認定判断の当否について検討する。

(イ) 甲第3号証、甲第12号証の1ないし7によれば、混合紡糸繊維は、本件発明の特許出願の当時、人工皮革に応用されるのみならず、吸水・吸油性素材、吸塵クロス、エアーフィルター、研磨用工具不織布、ラッピング用あるいはポリシング用パット、スエード調織物、天然皮革様起毛布等に幅広く応用されていたことが認められ、同事実によれば、当業者が、引用技術Aに係る混合紡糸繊維の技術を見た場合に、同技術から、これを混合紡糸繊維の技術の多岐にわたる応用例の1つに過ぎない人工皮革基材のシート用不織布として用いることを認識するとは認めがたい。なお、引用技術Aにも引用技術Bにも 「絡合」の技術は開示されておらず、人工皮革基材用の不織布が必ず「絡合」を有するものであることを認めるに足りる証拠はないから、人工皮革基材のシート用絡合不織布として用いることは、より一層認識しがたいことである。

(ロ) また、引用技術Aに係る混合紡糸繊維は、前記認定のとおり、横断面構造が、少なくとも1種類のポリマーが分散媒成分、他のポリマーが分散相成分を形成し、その横断面構造が外周領域に分散する成分の繊度が、該断面の中心部に分散している成分の繊度に比較して相対的に小さい繊維構造を持つというものであるところ、引用技術Bは、性質の異なる少なくとも2種類の熱可塑性ポリマーからなり、該少なくとも1種類のポリマーが分散媒成分、該他のポリマーが分散相成分により形成した混合紡糸繊維に関するものであるから、前記特徴的な繊維構造を前提とする引用技術Aに対して直ちに引用技術Bを適用することはできないから、引用技術Aに引用技術Bを加味することを前提とする本件決定の認定判断は相当ではない。

(ハ) 以上によれば、本件発明が引用刊行物に記載されているに等しいとする本件決定の認定判断は、誤っているものといわざるを得ない。

(3)  被告は、混合紡糸繊維といっても、何らかの用途に用いるのであって、代表的な用途が引用刊行物に記載されているように人工皮革及びエアフィルターなのであり、混合紡糸繊維を人工皮革に用いることは、昭和49年頃から周知の事実であるとしたうえ、当業者が引用刊行物をみれば、引用技術Aにおける「混合紡糸繊維」(ポリマーブレンドの特殊形状繊維)の用途を、まず「人工皮革基材シート用不織布」と認識するのであって、結局、本件発明と引用刊行物記載の技術とは実質的に差異がない旨主張する。

しかしながら、前記2(1)の認定判断に照らせば、引用技術Aに係る混合紡糸繊維は、「ポリマーブレンドの特殊形状繊維」に限られるものではなく、また、前記(2)(イ)の認定判断に照らせば、混合紡糸繊維の用途は多岐にわたっているのであるから、当業者が引用刊行物をみたとしても、 「混合紡糸繊維」から直ちに「ポリマーブレンドの特殊形状繊維」を認識し、「ポリマーブレンドの特殊形状繊維」から直ちに用途として人工皮革基材シート用不織布を認識するということはできないし、まして、人工皮革基材シート用絡合不織布、すなわち、「絡合」を有する人工皮革基材シート用不織布を認識することができないことは尚更であり、しかも、本件発明と引用技術A及びBを組み合せたものとが実質的に差異がないといいがたいことは前記認定判断のとおりであるから、被告の上記主張は、採用の限りでない。

4  以上によれば、本件発明は引用刊行物記載の技術と実質的に同一であるとした本件決定の認定判断は誤っているから、本件決定は違法として取消しを免れない。

第3  よって、本訴請求は、理由があるから、本件決定を取り消すこととし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。

(口頭弁論終結日 平成11年4月13日)

(裁判長裁判官 清永利亮 裁判官 山田知司 裁判官 宍戸充)

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