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東京高等裁判所 平成9年(行ケ)265号 判決 1998年7月30日

愛知県名古屋市緑区青山1丁目29番地

原告

森屋功夫

訴訟代理人弁理士

竹中一宣

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官 伊佐山建志

指定代理人

鶴見秀紀

吉村康男

後藤千恵子

小池隆

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第1  当事者の求めた裁判

1  原告

「特許庁が平成5年審判第15685号事件について平成9年9月1日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

2  被告

主文と同旨の判決

第2  請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和61年11月17日、名称を「動植物の体内に抗体を生成する方法」とする発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願(昭和61年特許願第273580号)をしたが、平成5年7月6日拒絶査定を受けたので、同年8月2日拒絶査定不服の審判を請求した。

特許庁は、この請求を平成5年審判第15685号事件として審理した結果、平成9年9月1日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、この審決は、同年10月6日原告に送達された。

2  本願発明の要旨

動植物に不活性な病原体を含有するいわゆる死菌ワクチン又は弱毒性病原体を含有するいわゆる生菌ワクチンを、接種又は経口投与して発病又は感染させた後、所定量の塩化マグネシウムを接種又は経口投与することにより動植物の体内に抗体を生成する方法。

3  審決の理由

別紙審決書写し(以下「審決書」という。)に記載のとおりである。

4  審決の取消事由

審決の理由1は認め、同2ないし4は争う。

審決は、本願明細書の発明の詳細な説明には当業者が容易に実施できる程度にその目的、構成及び効果が記載されていないと誤って判断し、また、拒絶理由通知をしないまま審決をした手続上の違法があるから、違法なものとして取り消されるべきである。

(1)  取消事由1(植物における抗体産生)

審決は、植物には抗体産生機構そのものが備わっておらず、植物がその体内に抗体を生成するということは、技術常識からみるとあり得ず、もやしの試験例の追加も上記技術常識を覆すことはできず、本願明細書の発明の詳細な説明においては、植物体内での抗体生成方法を包含する本願発明について、当業者が容易に実施できる程度にその目的、構成及び効果が記載されているとすることはできないと認定、判断するが、これは誤りである。

<1> 植物にも抗体産生機構が備わっている。すわなち、植物は、栄養を毛細管により根から吸収する生物であり、具体的には、土中の水の中にコロイド状で溶けている栄養分を、まず、根毛より吸収し、この根及び根幹を経由して葉面に達し、この葉面で光合成により栄養として取り入れる構造となっており、水に均質乳化状態で存在する栄養分を吸収して栄養源とする生物であるところ、水中にコロイド状態で存在する塩化マグネシウムも摂取している。そして、塩化マグネシウムは、水中のタンパク質を均質乳化状態に維持する特性と、水中の菌を殺菌して無菌状態を生成できる特性とを備えており、植物は、この塩化マグネシウムの特性を利用して、水中でコロイド状にある栄養成分のみを吸収し、かつ体内にあるタンパク要素と結合するのであるが、この栄養成分のみの吸収による細胞組織の増殖及び体内にあるタンパク要素との結合を総称して抗体ということができ、植物の体内にも抗体が産生されるのである。例えば、大豆からの発芽過程(もやしに変化)において、塩化マグネシウムが黒斑病の原因となる病原菌を殺菌することにより、抗原に変化させ、大豆中のタンパク質に含まれるリンパ球が特異的に反応して直接抗体に変化させるのである。

<2> この点は、次の証拠から明らかである。

(a) 甲第13号証(平成7年5月26日付け手続補正書)の表4は、0.3%の塩化マグネシウムを使用して製造したもやしは、病気(黒斑病)の発生がなく、2、3日間みずみずしさが長持ちすることを示しており、抗体が生成されることが示されている。

(b) そして、植物の体内に抗体が生成されることから、体内に免疫賦活作用を持つ。この免疫賦活作用を持つものが、例えば、キノコ類、緑黄野菜類である(甲第4号証-「食品の生態調節機能の解析」)。

<3> 被告は、抗体は免疫グロブリンと呼ばれる5種類の特定のタンパク質であり、抗体産生能はあらゆる細胞に備わっているわけではない旨主張するが、甲第22号証(「岩波生物学辞典(第4版)」)には、「グロブリンは、一群の蛋白質の総称。アルブミンとともに動植物界に広く分布する。・・・そして、植物性グロブリンとしては、大麻のエテスチン・ダイズのグリシニン・インゲンマメのファセオリンなど種子中のものがよく研究されている。」と説明されている。したがって、植物中にも抗体産生能が存在することは明白である。

(2)  取消事由2(手続上の違法)

審決には、査定の理由と異なる拒絶の理由につき改めて拒絶理由通知をしないまま審決をした違法がある。

すなわち、平成7年3月30日付け拒絶理由通知(甲第8号証)においては、動物、殊に“牛”に対する抗体産生に疑問があることが理由であって、植物には抗体産生されないとの拒絶理由はなかった。

第3  請求の原因に対する認否及び反論

1  請求の原因1ないし3は認め、同4は争う。審決の認定、判断は正当であって、原告主張の誤りはない。

2  反論

(1)  取消事由1(植物における抗体産生)について

<1> 原告の主張する栄養成分のみの吸収による細胞の増殖及び体内にあるタンパク要素との結合の点は、単に植物の栄養の代謝過程を述べているすぎない。

他方、抗体は、免疫グロブリンと呼ばれる5種類の特定のタンパク質であり、タンパク質であれば抗体というものではない(甲第14号証-「絵とき タンパク質と遺伝子」)。また、抗体は、分化増殖したリンパ球により産生されるものであるから(甲第3号証-「岩波生物学辞典第4版」)、抗体産生能は、あらゆる細胞に備わっているわけではない。

<2> 甲第13号証(平成7年5月26日付け手続補正書)の表4には、単に、もやしの製造において、塩化マグネシウムを添加した場合と添加しない場合とに分け、それぞれに製造されたもやしについて、味、病気の発生の有無、日持ちについて記載されているにすぎず、製造されたもやし中に抗体が生成したことを実際に確認しているわけではない。

<3> 甲第4号証(「食品の生態調節機能の解析」)における免疫賦活作用との記載は、この免疫賦活作用を持つ成分が抗体であるとは記載されていないし、ある成分が免疫賦活作用を有するからといって、該成分が抗体であるとはいえない。また、免疫賦活作用を有する成分として知られるシイタケから得られたレンチナンは多糖類であって、タンパク質である抗体ではない(乙第1号証-日経バイオテクノロジー最新用語辞典91」、乙第2号証-「医薬品要覧第4版」)。

(2)  取消事由2(手続上の違法)について

拒絶理由通知書(甲第8号証)においては、本願明細書においては、塩化マグネシウムの投与後、動植物の体内における抗体が生成していることを確認できず、当業者が容易に本願発明を実施することができない旨指摘しており、この「動植物」とは動物と植物の意味であるから、同拒絶理由通知書においては、試験データがなければ「植物」中に抗体が生成していることを確認できないことをも十分に指摘している。

原告においても、同拒絶理由通知書の理由に対し、植物において抗体が生成する点についての記載不備を認めたからこそ、平成7年5月26白付け手続補正書(甲第13号証)を提出し、もやしの実験例を追加して、動物だけでなく、植物中にも抗体が生成することを立証しようとしているのである。

第4  証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録記載のとおりであって、書証の成立は、いずれも当事者間に争いがない。

理由

1  請求の原因1(特許庁における手続の経緯)、同2(本願発明の要旨)及び同3(審決の理由の記載)については、当事者間に争いがない。

2  原告主張の取消事由の当否について検討する。

(1)  取消事由1(植物における抗体産生)について

<1>  甲第11号証によれば、「岩波生物学辞典(第2版)」の「免疫」の項に、「本来はある特定の病原体、または毒素に対して個体が強い抵抗性をもつ状態をいう。・・・これらの異物を排除するための機構として、先天性免疫と獲得免疫(後天性免疫)がある。前者は全動物に備わっており食細胞がその主役である。後者は脊椎動物に特有であり、先天性免疫が対象間の違いを区別しないのに対し、対象(抗原)のそれぞれに特異的に反応する。」(1192頁右欄下から15行ないし1193頁左欄1行)と記載され、また、「免疫応答」の項には、「免疫反応ともいう。動物体内に侵入した異物(抗原)に対する特異的生物反応。脊椎動物に特有の機能である。」(1193頁左欄25行ないし27行)と記載されていることが認められ、これらの記載によれば、免疫は動物に特有の機能であり、植物には存在せず、この点は本願発明の分野における技術常識であると認められる。

<2>  原告は、塩化マグネシウムの特性により、植物の体内にも抗体が産生されるのであり、例えば、大豆の発芽過程において、塩化マグネシウムが黒斑病の原因となる病原菌を殺菌することにより抗原に変化させ、大豆中のタンパク質に含まれるリンパ球が特異的に反応して直接抗体に変化させる旨主張する。

しかしながら、前記<1>に認定の技術常識を覆して、植物においても抗体産生機構が備わっていることを認めるに足りる証拠はない。すなわち、

(a) 甲第13号証によれば、本願の平成7年5月26日付け手続補正書8頁には、もやし製造に0.3%の塩化マグネシウムを使用した場合の実験データによると、塩化マグネシウムを添加して製造したもやしが、塩化マグネシウムを添加しないで製造したもやしに比べ、病気の発生が少なく、日持ちがよい等と記載されていることが認められる。

しかしながら、この結果が真実としても、それは、もやし製造に使用した塩化マグネシウムにより奏される効果であることは理解し得るが、「抗体」が生成されたことにより奏される効果であるとまで認めることはできないから、甲第13号証に基づく原告の主張は、採用することができない。

(b) また、原告は、甲第4号証に基づき、植物の体内に抗体が生成されることから、体内に免疫賦活作用を持つと主張する。

甲第4号証(京都大学農学部食品工学科平成2年3月発行册子)によれば、総括班(代表者千葉英雄)「食品の生体調節機能の解析」には、「食品中に抗体産生を促進する成分を検索し、卵黄リポタンパク質、スキムミルク、ラクトフェリンなどにその効果のあることを明らかにした。つぎに、好中球、マクロファージなどの白血球の局部浸潤を調べる方法を用い、植物性食品を中心に、免疫賦活作用を持つ成分を検索し、キノコ類、緑黄野菜類にその活性のあることを明らかにした。」(9頁21行ないし25行)と記載されていることが認められるが、この「免疫賦活作用」とは、文字どおり、「免疫を活発化すること」を意味するものと認められ、免疫賦活作用を持つ成分自体が抗体であると認めることはできないから、この点の原告の主張は採用することができない。

(c) 原告は、甲第22号証(「岩波生物学辞典(第4版)」)に基づき、植物中にもグロブリンが存在するから、植物が抗体産生能が存在することは明白である旨主張する。

しかしながら、甲第14号証によれば、池内俊彦ら著「絵とき タンパク質と遺伝子」には、「免疫と呼ばれる生体による防御作用にも、タンパク質は働いている。外来の高分子物質(タンパク質など)が私達の体内に入ると、それに特異的に結合する抗体が作られる。抗体は、免疫グロブリンと呼ばれる5種類のタンパク質である。外来の有害な物質(抗原に相当する)に対して、抗体が特異的に結合して中和してしまうのである。」(序章2枚目10行ないし14行)と記載されていることが認められ、この記載によれば、「抗体」は、「免疫グロブリン」という特別のタンパク質の範疇に属するものであるから、この点の原告の主張は、抗体は単なるグロブリンではなく、免疫グロブリンであることを無視したものであり、採用することができない。

<3>  したがって、植物には抗体産生機構そのものが備わっておらず、植物がその体内に抗体を生成するということは、技術常識からみるとあり得ず、もやしの試験例の追加も上記技術常識を覆すことはできず、本願明細書の発明の詳細な説明においては、植物体内での抗生体生成方法を包含する本願発明について、当業者が容易に実施できる程度にその目的、構成及び効果が記載されているとすることはできないとの審決の認定、判断に誤りはなく、原告主張の取消事由1は理由がない。

(2)  取消事由2(手続上の違法)について

<1>  甲第8号証によれば、本願に対する平成7年3月30日付け拒絶理由通知書には、「2.本件出願は、下記イ~ロの点で特許法第36条第3項及び第4項に規定する要件を満たしていない。

イ)本件発明では、動植物に死菌ワクチンまたは生菌ワクチンを、接種又は経口投与して発病又は感染させることを必須の構成要件の一部としているが、実施例においては、上記のようにして動植物を発病又は感染させることについては何も記載されていない。また、塩化マグネシウムの投与後、動植物の体内に抗体が生成していることが確認できる客観的な試験結果が何も記載されていないので、本件明細書は、当業者が容易にその実施をすることができる程度に、本件発明の構成及び効果が記載されているものとは認められない。」(2頁6行ないし3頁1行)と記載されていることが認められる。

上記記載中の「動植物」とは、「動物」と「植物」とを併せて表現するものであるから、同拒絶理由通知書に、「植物の体内に抗体が生成していることが確認できる客観的な試験結果が何も記載されていない」旨の拒絶理由が含まれていたことは明らかである。

<2>  したがって、審決には、拒絶理由通知を欠いたまま審決をしたとの手続上の違法はなく、原告主張の取消事由2は理由がない。

3  よって、原告の本訴請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する(平成10年7月16日口頭弁論終結)。

(裁判長裁判官 永井紀昭 裁判官 濵崎浩一 裁判官 市川正巳)

平成5年審判第15685号

審決

名古屋市緑区青山1丁目29番地

請求人 森屋功夫

愛知県名古屋市緑区鳴海町字姥子山185番地の3 パビリオン東ケ丘A-401号 竹中特許事務所

代理人弁理士 竹中一宜

昭和61年特許願第273580号「動物の体内に抗体を生成する方法」拒絶査定に対する審判事件(昭和63年5月30日出願公開、特開昭63-126830)について、次のとおり審決する.

結論

本件審判の請求は、成り立たない。

理由

1、本願は、昭和61年11月17日の出願に係るものであって、当審における平成7年3月30日付けの拒絶理由の通知に対して提出された、平成7年5月26日付け手続補正書の明細書の記載からみて、「動植物の体内に抗体を生成する方法」に関するものであり、その特許請求の範囲第1項の記載は以下のとおりである。

「動植物に不活性な病原体を含有するいわゆる死菌ワクチンまたは弱毒性病原体を含有するいわゆる生菌ワクチンを、接種または経口投与して発病または感染させた後、所定量の塩化マグネシウムを接種または経口投与することにより動植物の体内に抗体を生成する方法。」

2、一方、上記当審の拒絶の理由は、本願は特許法第36条第3項及び第4項に規定する要件を満たしていないというものであり、その根拠として、本件明細書においては、塩化マグネシウムの投与後、動植物の体内に抗体が生成していることが確認できず、当業者が容易に本願発明を実施をすることができる程度に記載されていない旨指摘している。

3、そこで、上記手続補正書により補正された本願明細書の記載について以下検討する。

上記特許請求の範囲の記載によれば、本願発明においては、植物の体内に抗体を生成する方法を包含していることは明らかである。

これに対して、生体には病原体などの異物を排除する機構として、先天性免疫と獲得免疫(後天性免疫)があるが、これらの免疫機構は動物に備わっているものであって、特に抗体の産生を伴う上記獲得免疫は脊椎動物に特有のものとするのが技術常識である(この点について必要があれば、「岩波生物学事典」第2版第5刷、株式会社岩波書店、1981年11月20日発行、第1192、1193頁の「免疫」および「免疫応答」の項を参照されたい。)。してみれば、植物には抗体産生機構そのものが備わっておらず、植物がその体内に抗体を生成するということは、技術常識からみるとあり得ないことといわざるを得ない。

さらに、本件請求人は、本願発明の手段によって植物体内に抗体が産生することを明らかにしようとして、上記手続補正により本願明細書の発明の詳細な説明においてモヤシの試験例を追加しているが、該試験例においては、塩化マグネシウムを添加した場合と添加しない場合とに分け、それぞれ製造されたモヤシについて、味、病気の発生の有無、日持ちについて記載されているにすぎず、製造されたモヤシ中に抗体が生成したことを実際に確認しているわけではないのであるから、この試験結果をもってしても、上記技術常識を覆すことはできず、本願発明の手段により植物体内に抗体が生成されるとはいえない。

そして、上記試験例の記載をみても、本願発明の手段により植物体内に抗体が生成されるとはいえないのであれば、当然、本願明細書の発明の詳細な説明においては、植物体内での抗体生成方法を包含する本願発明について、当業者が容易に実施できる程度にその目的、構成及び効果が記載されているとすることはできない。

4、以上の通りであるから、結局、本願は、特許法第36条第3項に規定する要件を満たしていないとするほかない。

よって、結論のとおり審決する。

平成9年9月1日

審判長 特許庁審判官

特許庁審判官

特許庁審判官

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