東京高等裁判所 昭和24年(わ)509号 判決 1950年2月25日
上告人 被告人 秋元一
弁護人 浅沼澄次
検察官 渡辺要関与
主文
本件上告はこれを棄却する。
理由
本件上告の趣意は末尾に添附してある弁護人浅沼澄次作成名義上告趣意書と題する書面記載の通りである。これに対し当裁判所は左の如く判断する。
銃砲等所持禁止令の立法趣旨は論旨指摘の如く連合軍占領下の治安を保持するためこれを乱す危険ありとして銃砲等の所持を禁止するにあるものと思われる。しかし拳銃の所持は常に右の危険性を伴うものであるから更に右危険性の有無を検討する必要はない。素より拳銃がその技能を喪失し修復不能の状態となればもはや危険性はないがこれは同時にもはや拳銃とはいえなくなつたもので拳銃という以上それが一時故障等のためその技能を妨げられても修復可能であれば常に危険性のあるものである。又銃砲等所持禁止令の犯罪構成要件としてはただ銃砲等を所持していれば足り更に其のため具体的に危険を生じたことを必要としないのであるから所謂具体的危険の有無を調査認定する必要もなく又これなきの故を以て無罪とすべきいわれもない。論旨の「被告人の拳銃所持は危険性がなかつた」という趣旨が所謂抽象的危険の意味であるならば之は本件物件が拳銃とはいえないというに帰着し原判示に副わない主張で事実誤認を主張することになりもはや本件では許されない。若し又所謂具体的危険の意味であるならば之は法の要求しないところであるから被告人の罪責を左右するものでない。論旨中原判決の科刑の軽減を希求する部分も刑訴応急措置法第十三条第二項によつて本件では許されなくなつたので論旨はいずれも理由なきものとする。
(裁判長判事 吉田常次郎 判事 保持道信 判事 鈴木勇)
上告趣意書
一、銃砲等所持禁止令はポッダム宣言に基き発せられた勅令であることは申上げる迄もないが此の命令の精神は銃砲等を所持することにより一命を殺傷し平和なるべき連合軍占領下の社会秩序を乱す危険性を除去するに在る。
本件についてこれを看るに被告人秋元一のやつた行為は果して爾く認定さるべきものであろうか弁護人は之を否定する成程被告人は判決理由記載の日時に本件拳銃一挺を所持したことは事実である。
然し乍ら右の所持は何等危険性を有せざるものであつた即ち被告人の供述に明らかな如く当初被告人が本件拳銃を入手したのは相被告佐藤より役に立たないものであることを告げられたが当時多額の現金を持つて山中を相当距離歩かねばならぬ仕事上の必要があつた為護身用として所有するに至つたこと自ら調べたところでは矢張り撃針が破損して居り役に立たざるものと思つて居たこと本件認定の目黒区自由ケ丘一八六番地で所持して居つたのも債務者たる大原が反対に日本刀で被告人に切り付けんと追つて来たので懐に在つて本件拳銃を出して一応正当防衛護身用に供したこと此の時も債務者を殺傷する意思なきは固より本件拳銃に人を殺傷するの装置がなかつたこと等より推して客観的にも何等の危険性がなかつたのである。
二、思うに右命令の趣旨たるや銃砲等の所持其の者を絶体禁止するに非ず只許可なく之を所持したことにより其の拳銃が人を殺傷するの危険性を防止するに在ることは疑なき所である。然るに本件の場合斯る危険性は何処にも見出せない第二審の鑑定に依れば本件拳銃は故障なきものとされた。然し乍ら本件拳銃は装填すべく被告人が所持して居つた実包は本件拳銃の口経に合致せず到底実包として技能の発揮が出来ない換言せば人を殺傷するの能力がない本人はまだ拳銃が当初より故障がありこの実包を装填するも何等危険性なきものと思い込んで居つた而かも此の実包も本件拳銃に装填する意思を以つて入手したものでない。たまたま自己の所属部隊から記念の積りで家に持ち帰つたものに過ぎない。斯く観じ来たれば被告人の主観的悪性の表現は発見せんとしても不能である若しそれ刑罰を人に科することがその人の主観的悪性に対するものであるとせば被告人は無罪であるべきである。仮に一歩を譲り之を処罰すべしとするも其の断罪は甚だ軽かるべきである。殊に終戦後の一般世相が険悪にして窃盗強盗の横行頻発であつた当時のことである本件拳銃を所持して見かけの防衛を為し寧ろ非常に同情理解すべきものである。
三、更に一点申上げ度きはピストルなるものの一般的性能であるピストルは一種のメカニズムである。刀劔類と異り其の機構の内一少部分でも破損又は故障がある限り之は無用の長物に過ぎない。即ち人を殺傷するの危険性を失う。刀劔の如きは刄の一部分が破損しても充分人を殺傷するの危険性を有する。被告人は当初から毀損した役に立たざる拳銃であることを認識して所持して居つた。主観的にも客観的にも斯る拳銃を所持することにより身に危険性を具有したものとは云われない。この点からも無罪の御判決があつて然るべきものと思われる。仮に然らすとするも這般の事情を酌量せられて最も軽い判決を頂くのが至当と存ずる次第であります。