東京高等裁判所 昭和24年(を)1480号 判決 1950年3月16日
控訴人 検事・被告人 北野重雄 外四名
弁護人 松坂広政 外八名
検察官 浜田龍信関与
主文
被告人北野重雄を罰金弐万円に
被告人磯崎広行を罰金壱万円に
それぞれ処する。
右罰金を完納することができないときは弐百円を壱日に換算した期間当該被告人を労役場に留置する。
訴訟費用中当審において証人藤枝泉介、同岡田義正、同天田滝治、同飯塚国蔵、同稻垣玄喜に支給した分は被告人北野重雄及び同磯崎広行両名の連帯負担とする。
被告人北野重雄、同磯崎広行が被告人石川薫、同滝沢覚三、同茂呂素之と共謀の上別紙第三表記載の如くコーヒー生豆を不当に高価に販売したとの点については同被告人両名はいずれも無罪。
被告人石川薫、同滝沢覚三、同茂呂素之はいずれも無罪。
理由
被告人北野重雄は昭和二十一年一月二十五日群馬県知事に任ぜられ、昭和二十二年二月十一日願によりその官を免ぜられたが、同年四月五日施行せられた知事選挙に当選し、同月十二日再び群馬県知事に任命せられ、同年五月三日池方自治法施行後も引続きその職にあり、昭和二十三年六月二十五日依願退職するに至るまで群馬県の代表機関及び執行機関として同県が執行する一切の行政事務につき同県を代表し且つこれを統轄掌理する職務権限を有していたものである。
被告人磯崎広行は昭和二十一年十二月十日地方事務官として群馬県経済部長に補せられ、地方自治法施行と共に群馬県吏員に任ぜられ、引続きその職にあり、昭和二十三年六月十三日依願退職するに至るまで群馬県経済部の統轄者として商工、農務、食糧関係等その所管事務を処理し、知事を補佐し、群馬県庁庶務細則の定むるところにより知事を代理し、又は代行する権限を有していたものである。
群馬県警察部においては、昭和二十一年一月三十日附警保局防犯発甲第四号隠匿米麦燃料等の一齊取締に関する内務省警保局長の通牒に基き、昭和二十一年二月九日から同月十五日まで群馬県下一齊に隠匿物資の摘発を行つた。その際同県渋川警察署は、同県群馬郡渋川町所在渋川倉庫株式会社の倉庫に保管せられていた、コーヒー豆九十三屯九百四十瓩を発見した。よつて県警察部においては、部長名義を以て同年四月十五日同県経済部長に対しその旨を通知すると共に、経済部において右通牒を参照して右コーヒー豆を処置されたい旨を通報した。元来右コーヒー豆は、昭和二十年二月初頃浦和陸軍糧秣本廠が軍所有のコーヒー豆を疎開の目的を以て、右倉庫を借入れて之に搬入貯蔵していたもので、終戦当時連合軍に対し引渡をなすべきものであつたが、その引渡並びに接収手続を脱漏していたものであつたので、同警察部においては同年三月八日連合軍群馬軍政部に之を報告すると共に、その処分方針についても併せてその概要を報告し、予めその諒解を得たものであつた。従つて右コーヒー豆は旧日本軍の所有物資で、連合軍に接収された後、日本政府に返還された所謂特殊物件に該当するものであるから、群馬県知事としては内務省の指示に従い群馬県特殊物件処理要領に基き、同県特殊物件処理委員会の諮問を経て払下げ、その他の処理をなすべきものであつたのである。しかるに当時同県経済部においては、右コーヒー豆が前記警保局長通牒に基く一齊取締により摘発されたものであつた為、之を前記通牒による所謂摘発物件として処理すべきものと速断し、且つ右コーヒー豆については、その保管者たる渋川倉庫株式会社から無償供出申告書が提出されていたところから、群馬県所有物資として、その処理は県経済部に一任されたものとして取扱うこととした。よつて群馬県においては、右コーヒー豆を加工して県内に配給することとし、その払下配給その他の事務は経済部食糧課において担当させ、同年十二月下旬右コーヒー生豆中四十屯二百十三瓩を加工して焙豆三十一屯八百瓩、粉末四屯四百五十一瓩余を製造し、曩に群馬県が特殊物件として処理した所謂下仁田コーヒー生豆の払下残余分を加工して粉末としたものと共に、右粉末コーヒーを群馬県食糧品統制組合をして、その頃県下一般家庭用並びに業務用として配給させたところ、右配給は農村方面に頗る不評であり、購入を拒むものが多かつたためコーヒー粉末の一部を払下げたのみで、その余の配給はこれを中止するに至つた。しかるに右粉末コーヒーの一部が東京都内に流入し、極めて高価に一般に販売せられ、業者中に群馬県には多量のコーヒーがあるとの風評を生じたため、県にその払下の陳情をなすものが続出するに至つた。他面当時群馬県においては麦類供出の促進確保が緊急の問題とされていたところ、その生産者に対し供出報奬用として配給すべき物資は、極めて乏しい実情であつた為、被告人北野重雄は当時着任した被告人磯崎広行と共に、同県経済部食糧課長として食糧統制事務の担当者であつた滝沢覚三、同課員茂呂素之をも参劃せしめ、右コーヒー豆を県外業者に払下げると共に、その見返物資として右業者等を通じて同県が最も必要とする農村向報奬用物資を県に導入する方途を講じようと協議するに至つたのである。
かくして被告人北野重雄、同磯崎広行は前記滝沢覚三、茂呂素之及び当時の同県副知事藤枝泉介をも加え、昭和二十二年六月中旬より同年七月中旬までの間前後三回に亘り群馬県庁内知事室において当時の払下申請者中官庁を除くその余の申請者に対し、コーヒー焙豆を払下げるについては、その対価の外見返物資として、コーヒー焙豆一屯につき、地下足袋千五百足、自転車完成品四十台、同タイヤ四百五十本、同チューブ九百本、食塩十屯のいずれか一種類を統制額で取扱機関たる群馬県内統制団体に販売又は販売の斡旋をなすべく、若し即時右履行をなしえない者はその履行を確保する為め、違約金又は信認金名義の下にコーヒー焙豆一屯につき二十五万円を県食糧課に提供せしめることを定め、併せて当時の申請人中払下を受くべきもの及び之に対する払下数量をも協議決定し、以て被告人北野重雄及び磯崎広行両名は群馬県の機関として、同県の右コーヒー焙豆払下の業務を行うに当り、法定の除外事由なきに拘らず右コーヒー豆の払下につきその対価の外前記の見返物資を統制額にて販売又は販売の斡旋を為すべく、即時その履行ができないときはその履行を確保する為め、前記の違約金又は信認金を提供すべき旨の負担を附することを共謀し、爾後滝沢覚三及び茂呂素之は右協議に基き当時の右コーヒー豆の払下申請者等にその旨を伝達し、申請者等をしてこれを承諾させた上、別紙第一表記載のように、同年七月十九日頃から同年九月二十日頃までの間、前後七回に亘り群馬県庁内経済部食糧課室等において、大和無線工業株式会社社長上島治忠外六名に対し、右第一表(一)乃至(七)記載の数量のコーヒー焙豆をその記載の対価にて売渡すにつき、前記見返物資納入確保の為違約金又は信認金名義を以て同表記載の金額を提供すべき旨又同年八月十六日日本国民食糧株式会社栗田新太郎に対し同表(八)記載の数量のコーヒー焙豆をその記載の対価にて売渡すにつきその見返物資として塩五十七屯を群馬県農業会に納入すべき旨の負担附契約を締結した。そしていずれもその頃右違約金又は信認金名義の金員はこれを茂呂素之に、塩はこれを前示農業会にそれぞれ納入させた後、茂呂素之をしてコーヒー焙豆の払下手続をなさしめ、代金はその頃群馬県の委託によりコーヒー豆代金受領の任に当つていた群馬県食糧品統制組合に支払わせた上同表記載の焙豆の引渡を了したもので、被告人北野及び磯崎の右所為は犯意継続に係るものである。
<証拠説明省略>
弁護人等は本件被告人等は、いずれも無罪であるとしその理由として次のように主張するので、以下その主張について判断する。(但し前示認定の事実に関係のない部分はこれを省略する。)
一、本件は群馬県の機関たる被告人等が群馬県の為にした行為であつて本来群馬県自体の行為と認むべきである。しかして公法人たる県は統制法令の処罰の対象となり得ないから被告人等もまた無罪であるとの主張について。
本件は被告人等がそれぞれ群馬県の機関として県の為になした行為であつて本来群馬県の行為であると認むべきことは所論の通りである。しかして県が価格等を受くべき契約を為すに当り物価統制令に触れるが如き事態を生じた場合には公法人たる県は仮令その地方公共団体としての性質上物価統制令違反として刑罰の対象となり得ないとしても統制法令は特別の規定がないかぎり地方公共団体の行為をも規律するものであるから県の機関その他の吏員はその行為をなすに当り該法令に違反しないように注意すべき義務があることは勿論であつて、もしその行為が法令に違反したときは当該機関その他の吏員はその行為者をしてその責を免れ得ないものと解するを相当とする。本件は被告人等が群馬県の機関として焙豆の払下行為をなし、その行為が物価統制令に違反するものとしてその責任を問われているものであるから、被告人等は群馬県が処罰されると否とに拘わらずその責を免れ得ないことは上叙の説明により明らかであり弁護人の主張はその理由がない。
二、<省略>
三、本件見返物資の納入又はその斡旋或は信認金の提供は、物価統制令第十二条に所謂負担に該当しない旨の主張について。
判示認定事実並にその挙示した各証拠によれば被告人等は本件コーヒー豆を払下げるに当つてはその払下を受ける業者を通じてその見返物資として当時最も農村方面で需要の多かつた地下足袋、自転車完成品、同タイヤ、チューブ、食塩等を県内統制団体に販売又はその斡旋をなさしめて、これを県内に流入せしめようとしたものであるが、右物資はいずれも当時統制物資で市中容易に入手し得なかつたものであり、これを多量にしかも公定価格を以て群馬県内統制団体に販売又はその斡旋をすることは、払下申請者にとつて容易に履行し得ないところであつたこと、加之被告人等が之を払下申請者に要望するにつき、右見返物資の数量はコーヒー一屯について地下足袋は千五百足等と云う如く、払下のコーヒーの数量を一定の比率を以て定められていたのであり、且その比率の決定については被告人茂呂が上司の命により当時のコーヒーの市場取引価格(闇価格)と本件払下価格との関係並に前記見返物資の市場取引価格(闇価格)と公定価格との関係を調査し、業者が本件コーヒー豆を払下価格により取得する利益と業者が見返物資を闇価格で買入れ之を群馬県に公定価格で納入するときの業者の負担との関係を検討していること、又右物資を直ちに納入し得ないものはコーヒー豆一屯につき二十五万円の割合による金員(所謂違約金又は信認金)を県食糧課に提供すべきものとされたのであつて、右違約金又は信認金の性質については争があるとしても少くとも右物資を納入し又は納入の斡旋をするまではこれを提供したものにおいてその返還を請求し得ない性質のものであつたことは疑を容れないこと、そしてこのような見返物資の納入又は納入斡旋及び所謂違約金又は信認金を提供すべき旨の要求は官庁関係等特殊関係のものを除きすべての払下を受けるものに対してなされたのであつて、事実その要求に応じて物資の納入をなし又は信認金の提供をしたもの以外には焙豆の払下はされてなかつたこと、が認められる。
以上の事実を綜合すると、被告人等の当審における弁解にも拘わらず、前示の見返物資の納入又は納入斡旋並びに所謂信認金の提供は本件コーヒー焙豆の払下とは無関係に申請者から自発的になされたものとは到底認め難く、申請者が右コーヒー豆の払下を受けるについては対価の外に提供することを余儀なくされた経済的不利益を伴う一種の反対給付に外ならないものと認めるのが相当であり、右は物価統制令第十二条に所謂負担に該当するものと認定するを相当とする。よつて此の点に関する主張はいずれも理由がない。
四、本件コーヒー払下行為は物価統制令第十二条に所謂業務に該当しないとの主張について。
同条に所謂業務とは物価統制令第十一条にいう業務と同じく、これを営利又は価格等を得ることを内容とする業務のみに限らず、苟くも当該契約をなすことがその業務に属すると認められる場合はこれに該当すると解すべきであつて、本件の焙豆は前記二において説示した如く、被告人等が群馬県の機関としてその払下事務を為したものであるから、之を以て同令第十二条に云う業務に属する行為に該当するものと云うことができる。従つて右主張は理由がない。
五、物価統制令第十二条は統制額の存在を前提とするものである。しかるに本件コーヒー豆については統制額は存在しないから本件は同条違反にならないとの主張について。
物価統制令第十二条は法文上同令第九条の如く統制額の存在を前提とするが如き文言はない。しかして物価統制令上統制額のないもの必ずしも直ちに価格を自由に放任した所謂自由価格品であるとなし得ないことは物価統制令制定の趣旨から観て明らかであると云わねばならない。従つて同令第十二条は所論のように統制額のないものにはその適用がないと解すべきではなく自由価格品として明らかに統制の枠外に放任せられたものであれば格別然らざる限り統制額がないものについてもその適用があるものと解するを相当とする。
進んで本件コーヒー焙豆に統制額ありや否やの点につき考察するに、昭和二十四年七月十五日附物価庁次長の回答書によれば昭和二十二年二月二十二日物価庁告示第六十四号同年九月二十日同庁告示第六百九十七号は焙豆にも適用ありとの記載があるが、当審証人稻葉玄喜は右告示はコーヒー焙豆を対象として規定したものではない旨を証言している。而して右告示は荒挽コーヒー及び粉末コーヒー等所謂コーヒー製品を対象として規定せられていることはその内容に徴し明らかであるが、コーヒー焙豆をもその規定の範囲内に包含せしめたものであるかどうかは規定上明白でない。むしろコーヒー焙豆については後記同告示の附記(へ)の場合を除いては右告示はコーヒー焙豆の統制額を定めたものではないと認むべきである。然し所謂コーヒー製品の統制額を右告示によつて規定していること、コーヒー焙豆はその製品の原料であること、又右告示の附記(へ)に「卸売業者が動力をもつた珈琲粉碎業者に焙豆を販売する場合の統制額はこの表の卸売販売価格の統制額の五分引とする」とあるのを見れば、特種の業者に販売する場合には焙豆といえども右告示の適用があること、これらの事実を綜合すれば少くともコーヒー焙豆は前段説示の所謂自由価格品として統制の枠外に放任されたものであるとは認め難く、右告示所定の統制額は焙豆についても所謂適正価格算定の一応の基準となるものと認めるのを相当とする。然らば本件焙豆の取引に関しては物価統制令第十二条の適用があることは叙上の説示によつて明らかであるから弁護人のこの点に関する主張も亦採用するに足りない。
六、<省略>
以上の理由により当裁判所は本件公訴事実中前認定の部分については被告人北野重雄、同磯崎広行は有罪と認めるのであるが本件公訴事実中其の余の部分については左記の理由によりいずれも罪とならないか又は犯罪の証明がないものと認める。即ち、
(1)被告人滝沢覚三及び茂呂素之に対する原判決第一の事実について。
右公訴事実の要旨は被告人滝沢覚三及び茂呂素之が被告人北野重雄及び磯崎広行と共謀の上前示焙豆の負担附販売行為をなしたと云うにある。
案ずるに当裁判所が有罪認定の資料として挙示した前記各証拠によれば、被告人滝沢覚三は群馬県経済部食糧課長として、同茂呂素之は同課員として前示コーヒー焙豆の払下に関し、北野重雄、磯崎広行等と共に判示の如く協議決定し、判示の如く前後八回に亘り判示の如き負担附契約を締結し、それぞれ判示の如き金員の提供又は見返物資の納入をなさしめた上コーヒー焙豆を販売した事実を認めることができる。
しかしながら右被告人両名並びに北野重雄の当公廷における各供述、滝沢覚三に対する昭和二十三年四月三十日附及び同年五月十六日附各検察官の聴取書中の各供述記載、茂呂素之に対する同年一月十六日附検察官の聴取書中の供述記載、原審昭和二十三年十月十五日附公判調書中証人今成磯吉の供述記載を綜合すれば、被告人滝沢は高等小学校卒業後大正十五年群馬県属となり農務課に勤務し、昭和八年農務課庶務係主任、昭和十二年農林主事、昭和十六年三月地方事務官に任ぜられ農務課長となり、昭和十七年七月同課より食糧課が分立するに及び食糧課長に任ぜられて本件に及んだもの、被告人茂呂は蚕糸学校卒業後昭和十四年八月群馬県農林主事補となり、昭和十七年七月経済部食糧課勤務となり、昭和二十年後は団体の監督及び特殊物件の整理事務に従事して本件に及んだもので、いずれも群馬県吏員として上司の命を受けてその職務を処理していたものであること、本件については被告人両名ともその経歴、職責よりして前示払下に関する協議に参画したとは云え、専ら上司の命に副つてその立案に当つたものであること、右協議の席上今成防犯課長の前示意見を輙く信じ、本件コーヒー豆の処理は違法ではないと信じていたこと、爾後決定に基く上司の命令に従い群馬県のため誠実に本件払下の事務に当つたことを認めることができる。
以上の事実を綜合すれば右被告人両名は本件払下行為は同被告人等の職務行為であり、且つ法律上許された行為であると信じ、又そのように信ずるにつき相当な理由があつたものと認めるのを相当とする。従つて同被告人等は前記焙豆の販売行為については罪を犯す意思がなかつたものというべく、右被告人両名はこの点において無罪たるべきものである。
(2)被告人等五名に対する原判決第二の(一)の事実について。
右公訴事実の要旨は、
被告人等は昭和二十二年十月初旬副知事藤枝泉介等と共に群馬県庁知事室に於て前示摘発にかかるコーヒー生豆残余分四十九屯二百二十六瓩余の払下に付協議した際その申請者たる日野道英が自己所有に属する東京都目黒区下目黒四丁目九百八番地所在木造亜鉛葺二階建居宅建坪十坪二階坪七坪五合一棟及び木造瓦葺二階建居宅建坪五十二坪二合四勺二階坪二十二坪七合五勺一棟を提供する旨申入れていたので右日野道英の申込を承認すると共にコーヒー生豆十屯を同人に統制額で払下げる旨決定し以て群馬県の右払下業務に関しコーヒー生豆の対価の外同人をして右家屋を提供させる旨の負担附契約をすることの共謀を遂げ同年十月十一日頃日野から群馬県知事宛該家屋の寄附採納願、寄附証書、登記委任状、登記嘱託承認書等の関係書類を提出させた上同月十三日頃被告人茂呂において群馬県庁経済部食糧課内においてコーヒー生豆十屯を統制額に倉敷料を加算した対価たる八万二千七百円で払下げる旨の手続をなしその頃日野をして群馬県食糧品統制組合に代金支払の上右コーヒー生豆十屯を受取らせて負担附販売をしたと云うにある。
案ずるに被告人等の当公廷における各供述、被告人滝沢覚三に対する昭和二十三年四月三十日附及び同年五月十六日附検察官の各聴取書中の供述記載、当審における証人日野道英の供述、並びに同人に対する昭和二十三年三月十日附検察官の聴取書中の供述記載、被告人茂呂素之に対する昭和二十三年五月十七日附検察官の聴取書中の供述記載を綜合すれば、日野道英は群馬県庁に出入するうち他の府県においては東京都内に出張所があるのに群馬県のみにはこれがないことを知り、同人の所有にかかる前記家屋を寄附しようと考え、昭和二十二年八月頃、茂呂にその旨を申入れたところ、茂呂はこれを滝沢に伝え、滝沢は更に磯崎、北野に伝えたので、北野はこれを受入れたいと考えていた。偶々同年九月の颱風により群馬県は多大の損害を被つたので、北野等は同年十月十日頃後段記載のように本件コーヒー生豆の払下につて協議した際、群馬県として正式に前記家屋の寄附を受け入れることを決定すると共に、その頃同人からコーヒー豆の払下申請があつたので同人にもコーヒー豆を割当てることにした。然しその割当量については未だ確定していなかつたが、その後前記の如く日野より寄附採納願書等を提出せしめた後、その割当量を十屯と決定したものであることが認められる。
然らば日野道英のなした本件家屋の寄附の申込は、被告人等が生豆の払下に関する協議をなす二ケ月も以前において、既に同人から自発的になされたものであることは明らかであるから、被告人等が右家屋の提供を条件として生豆の払下をなしたものであると見ることはできない。即ち右家屋の提供は本件生豆の販売についての負担に該当しないものと認めるのを相当とする。
検察官は右は物価統制令第十二条に所謂負担附契約でないとすれば、生豆一瓩につき六円六十二銭の割合による金額と右家屋の時価三百万円とを合算した金額が日野道英の受領した生豆十屯の対価というべきであるから、同令第九条の二に所謂不当高価売買に該当すると主張するけれども、以上認定の如く家屋の寄附を所謂負担であると認め難い以上、右家屋の価格と生豆払下代金との合計額が生豆の対価であると認めることは益々事実に遠ざかるものと云うべく右主張もまた採用し難い。よつて右公訴事実は結局犯罪の証明がないことに帰する。
(3)被告人五名に対する原判決第二の(二)(三)の事実について。
右公訴事実の要旨は、
(イ)被告人等五名は昭和二十二年九月下旬から同年十月上旬迄の間三回に亘りコーヒー生豆の払下につき協議した際、コーヒー生豆払下申請者中には同年九月中旬群馬県下に来襲した猛颱風の為群馬県の被つた損害に対し見舞金又は寄附を申出るものがあつたので、右コーヒー豆の払下についてはその対価の外一屯当り二十八万円乃至三十万円の割合による寄附金を提供させる旨並びに右寄附金の受領は被告人石川がこれを担当し、コーヒー豆の払下手続は被告人茂呂がこれを担当することを協議し同時に右生豆の払下を受くべき者及びその数量についても協議決定した上被告人滝沢及び茂呂はその頃コーヒー生豆払下申請者に対し前記群馬県庁内等において右決定事項を伝達して申請者等に寄附金名義による金員の提供を承諾させ、同年十月十六日以降同年十一月十三日頃迄の間前後十八回に亘りコーヒー生豆払下申請者たる荒井秀雄外十七名より、別紙第二表(一)乃至(一八)記載のように被告人石川においてそれぞれ寄附金を受領した上、被告人茂呂において同表記載の数量のコーヒー生豆をその記載の代金を以て払下げる旨の手続をなし、いずれも当時群馬県食糧品統制組合にそれぞれ代金を支払いの上右コーヒー生豆の引渡を受けさせ以てコーヒー生豆の対価として同表代金欄記載の金額の外右寄附金額欄記載の金額を交付させて不当に高価にこれを販売した(原判決第二の(二)の事実)
(ロ)被告人等五名は昭和二十二年十一月下旬頃残存コーヒー生豆につき更に前同様その払下申請者よりコーヒー豆代金の外水害に対する寄附金として一屯当二十八万円乃至三十万円を提供させてこれが払下をなすこと、及びその払下を受くべき者及びその数量について協議決定し、爾後昭和二十二年十一月二十二日頃より昭和二十三年一月六日頃迄前後九回に亘りコーヒー生豆払下申請者たる村上儀憲外八名より別紙第三表(一)乃至(九)記載のように被告人石川においてそれぞれ寄附金を受領し、被告人茂呂において同表記載の数量のコーヒー生豆をその記載の代金を以て払下げる旨の手続をなし、いずれも当時群馬県食糧品統制組合にそれぞれ代金を支払いの上、右コーヒー生豆の引渡を受けさせ、以て前同様不当に高価にこれを販売した(原判決第二の(三)の事実)
というにある。
案ずるに被告人等の当公廷における供述並びに被告人滝沢覚三に対する昭和二十三年五月十六日附検察官の聴取書、被告人茂呂素之に対する同年三月十五日附検察官の聴取書、畔柳松太郎に対する昭和二十三年三月二日附検察官の聴取書、荒井秀雄に対する同月八日附検察官の聴取書、長坂徳治に対する同月三十日附検察官の聴取書、吉沢将光に対する同年四月二十一日附検察官の聴取書中の各供述記載を綜合すれば、被告人等が公訴事実記載の如く生豆の払下に関し協議決定をなしその記載の如く生豆の払下をなしたこと、その記載の如き金員を寄附金乃至水害見舞金として県総務部長名義を以て受領したことを認めることができる。
しかし右各証拠によれば前記金員は昭和二十二年九月十五日来襲した颱風により群馬県は未曾有の被害を受けたため、その応急対策或は県民救済を目的として払下申請者が醵出したものであつて、その金員の使用目的は限定されて居り、被告人等が之をコーヒー豆代金と同じく自由に消費乃至処分をなしうべき性質のものでなかつたことが認められる。従つて右金員は物価統制令に所謂対価の範疇に入るべきものではないと云うべきである。従つて右を以て名を寄附金に藉りコーヒー豆代金と右寄附金とを合算したものを対価として本件コーヒー生豆を払下げたものであるとすることは相当でないから、検察官主張のように不当に高価なる対価を以て販売したものと認定することは事実に副わないものと云わねばならない。
更にコーヒー焙豆の場合に準じ本件を物価統制令第十二条違反として処罰しうるかどうかの点につき考察するに、本件生豆を販売するに当つては左記の如き事情があつたので、結局その事情は同条に所謂正当の事由あるときに該当するものと認めるのを相当とするから前記行為は畢竟同条に所謂負担附契約の成立をも阻却するものと解する。
即ち被告人北野の当公廷における供述、当審証人飯塚国蔵の供述、被告人北野提出の昭和二十三年九月五日附上申書、昭和二十二年末における水害復旧工事の実情についてと題する書面、昭和二十二年九月大水害の実相と題する書面の各記載を綜合すれば昭和二十二年九月十五日群馬県を襲つた所謂カスリーン颱風は同県下の都市農村に県史以来の大被害を与え、被害見積総額は百億円に達し罹災者救助費は七、八千万円、災害復旧費の所要額は約三十五億円と見積られたところ、之に対する国庫補助金は容易に支給されず、県はその財政的窮状を打開する為あらゆる方法を講じていたことが認められる。又この時に当りコーヒー豆の払下申請者はこの惨状を見て自ら進んで寄附の申入をしたものもあり或は被告人等からその対策県民救済の為め寄附の提供を申入れられるや異議なくその申出に応じ、自発的に寄附金を出捐した実情であつたことも認め得られる。
以上の如き事情の下において県史以来の災害に対する応急対策県民救済等に苦慮していた被告人等がコーヒー生豆の払下に関し前示の如き寄附金、水害見舞金を受納することを協議決定し、払下申請者より之が提供を受けて払下をしたことは当時の実情に照らし事情洵にやむを得なかつたものと認められるから、かかる場合は物価統制令第十二条に所謂正当の事由ある場合に該当するものと認めるのを相当とする。
以上の理由により前記各公訴事実についてはいずれもその証明がないもの又は罪とならないものと判断する次第である。
よつて当裁判所が有罪と認定した前段認定の事実を法令に照らすと、被告人北野重雄、同磯崎広行の判示所為は物価統制令第十二条第三十五条刑法第六十条第五十五条(但し、第五十五条は昭和二十二年法律第百二十四号による削除前のもの)に該当するので、諸般の情状を参酌して所定刑中罰金刑を選択し被告人北野重雄を罰金二万円に、被告人磯崎広行を罰金一万円に処すべく、被告人等が右罰金を完納することができないときは刑法第十八条により金二百円を一日に換算した期間その被告人を労役場に留置することとし、刑事訴訟法施行法第二条旧刑事訴訟法第二百三十七条第二百三十八条により訴訟費用中当審において証人藤枝泉介、同岡田義正同矢田滝治、同飯塚国蔵、同稻垣玄喜に支給した分は右被告人両名をして連帯してこれを負担させることとする。
本件公訴事実中前認定にかかる以外の部分については被告人等はそれぞれ叙上説示した理由により無罪とすべきであるが、被告人北野重雄、同磯崎広行については生豆の販売に関する別表第三表以外の事実(即ち原判決第二の(一)及び(二)の事実)は前示認定にかかる焙豆販売の行為(原判決第一の事実)を連続犯の関係にあるものとして起訴されたものと認められるから右の部分については特に主文において無罪の言渡をしない。しかし右被告人両名に対する生豆の販売に関する別表第三表記載の事実(原判決第二の(三)の事実)並びにその余の被告人等に対しては刑事訴訟法施行法第二条旧刑事訴訟法第三百六十二条により全部無罪の言渡をなすべきものである。
検察官は原判決が本件コーヒー代金、信認金、寄附金及び見返物資に付没収の言渡をしなかつたのは不当であるとして之等のもの並びに日野より寄附された家屋の没収又は追徴を求めているが、前示のように生豆の販売に関する公訴事実(原判決第二の(一)乃至(三)の事実)は無罪であるからこれに関して授受されたコーヒー豆の対価、寄附金及び家屋はこれを没収すべきではなく、又前記焙豆の販売(当審において被告人北野及び磯崎につき有罪と認定した事実)に関して授受された所謂違約金(又は信認金)及び見返物資は犯人以外の者に属せざる場合に該当しないものと認められ、右取引におけるコーヒー豆の対価についてはこれを没収しないのが相当であると認めるので当裁判所においては、いずれもその没収の言渡をなさない。
以上の理由により主文の通り判決する。
(裁判長判事 三宅富士郎 判事 荒川省三 判事 堀義次)