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東京高等裁判所 昭和24年(新を)1031号 判決 1949年8月23日

控訴人 被告人 小林柳甫 宮野金仁

弁護人 林頼三郎

検察官 鈴木正二関與

主文

原判決を破棄する。

本件を浦和地方裁判所に移送する。

理由

本件控訴の趣意は末尾に添付してある弁護人林頼三郎同小林貫司各作成名義控訴趣意書と題する書面記載の通りである。(但し林弁護人の論旨第二点以外の論旨は省略する)これに対し当裁判所は左の如く判断する。

林弁護人論旨第二点について、

刑事訴訟法第三三五條の規定は戦時刑事特別法第二六條の規定を受継いで來たものであるがこれ等の規定は旧刑事訴訟法第三六〇條の規定を改正したものであるから同規定の趣意を明かにすることによつてその如何なる点が改正せられたものであるかが明瞭になる、右旧規定に「証拠に依り之を認めたる理由を説明し」とあるのは先ず第一に如何なる事実を如何なる証拠によつて認めたかということ即ち事実と証拠との形式的関聯を示し次に証拠の内容を掲記してその証拠によつてこれと関聯せる事実を証明し得ることの合理性を説明せよという意味である。而してこれを改正した新規定の「証拠の標目を示せ」とあるのは只証拠内容の写録の繁を排し右証拠の内容を逐一挙示するに及ばぬことにしただけである。

從つて証拠の内容は逐一写録する必要はないこととなつたが如何なる事実を如何なる証拠によつて認めたかという形式的関聯は尚これを明示しなければならない只証拠の標目を漫然羅列したら事足りるという意味ではないのである。

惟うに旧規定のもとにおいては形式的関聯を示すことに多く意を用いなかつたがこれは証拠の内容を掲示することによつて間接に形式的関聯は判明したからである、而しながら新規定のもとにおいて右内容の掲示を省略するようになれば自然形式的関聯を示すことに十分の注意を注がねばならないこととなる。

從つて数個の独立せる事実認定の証拠を挙示するにあたつては各事実毎にこれを認めた証拠の標目を示さなければならない、数個の独立せる事実の認定にその採用した証拠を区別を示さず漫然羅列するのは違法である。斯くの如き証拠説示は本件記録によりこれを認めるというと大差なき結果となり「証拠の標目を示せ」とある注意が没却せられる(昭和十九年(れ)第四四五号同年十月十二日言渡大審院判例参照)原判決が第一と第二と独立の事実を判示しその認定に用いた証拠を第一、第二事実に区別関聯せしめることなく全証拠を漫然列挙したのは違法である、論旨は理由があり原判決は破棄を免れない、已にこの点において原判決を破棄する以上他の論旨に対する判断は不必要であるからこれを省略し刑事訴訟法第三七八條第四号第四〇〇條本文の規定に從つて主文の如く判決する。

(裁判長判事 吉田常次郎 判事 保持道信 判事 鈴木勇)

控訴趣意

第二点原判決には証拠上の理由不備の違法がある、有罪の言渡をするには罪となるべき事実、証拠の標目……を示さなければならないことは刑事訴訟法第三百三十五條の明示する所である。之は罪となるべき事実は如何なる証拠によつて認定したかを明かにして証拠裁判主義(刑訴三一七)の履践を明かにし被告人等をして裁判の公正を納得せしむるにあるのである。而して此のことは裁判の威信を保持する上に最も大切のことであるのである。故に数箇の犯罪事実を認定した場合には其の各個の事実毎に夫れ夫れ其の認定の資料となつた証拠を示さねばならぬのである。(数人に対する犯罪事実認定の場合も同様である。)最も事柄が不可分的の関聯がある場合には証拠の表示も亦不可分的になるのは止むを得ないが数個の犯罪が全然独立した別個の事実の場合には別々に証拠を表示すべきものであることは当然である。若し独立別個の数個の犯罪を認定しながら其の数個の事実に関する証拠を混交総合して表示し何れの証拠で何れの事実を認定したかが明かでないようであるならば法律が有罪の判決には罪となる事実と証拠の標目を示すべきことを定めた趣旨を没却するものであつて違法であると云わねばならぬ。然るに原判決は被告人小林柳甫に対し第一の一、二の事実、被告人宮野金仁に対し第二の事実を認定し而して第一の一の事実と二の事実及び宮野金仁に対する事実とは独立別個のものであるのに此の全事実に対する証拠として一括して証拠の標目を掲げ個々の事実に対する証拠関係は全然明かになつておらぬのである。若し此の筆法を以てすれば法令の適用も数個の事実に対し一括して表示して差支ないことになるのであるが夫れが法律の精神に背戻することは何人も異論のない所であろう。遉がは原判決も法律の適用は被告人毎に別々にして居るのである。

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