東京高等裁判所 昭和25年(う)188号 判決
本件控訴の趣旨は弁護人提出の控訴趣意書記載のとおりだから茲に之を引用する。
職権を以て記録を調査するに原審第一回公判調書(昭和二十四年十一月十四日附)には裁判官高田豊裁判所書記官補荒木雅好列席の上検察官事務取扱検察事務官高松勝一出席し被告人小林健吉弁護人芳井俊輔出頭し公開の法廷で開廷した旨の記載があり、同調書末尾には裁判所書記官補荒木雅好の署名押印のある次行に裁判官高田豊なる文字と高田と刻せる印影とがあることが認められる。そして右高田豊とある文字は記録第十五丁昭和二十四年十一月三十日附の裁判官高田豊名義の公判期日変更求意見書並びに同日附の裁判官高田豊の公判期日変更決定の各高田豊なる文字と字体文字の大さ全く同一であり、更に右の字体文字の色合等を詳細に検討した上これを原審第二回公判調書並びに原判決の各末尾に毛筆にて裁判官高田豊が自署したものと認められる高田豊なる文字と対照するに、右原審第一回公判調書末尾の高田豊なる文字は高田豊と刻せる印章を押印したものであつて裁判官高田豊の自署でないことが明白である。
ところで刑事訴訟規則第四十六条第一項には「公判調書には裁判長が裁判所書記とともに署名押印しなければならない」と規定されているが右に所謂署名とあるは自署即ち裁判長自らがその氏名を記載することと解する。従つて裁判長の氏名を刻した印章を押捺したのでは右署名の要件を満したものと言うことはできない、尤も右印章を押捺したと認められる高田豊なる文字と右裁判官高田豊の自署と認められる高田豊なる文字とを対照するに右は裁判官高田豊の自署を刻した印章を押捺したものと推認されるけれども右刑事訴訟規則第四十六条第一項が押印の外に特に署名を要件としている点に鑑みかかる印章の押捺を以て署名に代えることは許されないものと解する。従つて原審第一回公判調書は裁判長の押印はあるけれども署名を欠くものと断ぜざるを得ない。抑々公判手続は刑事裁判の中核をなすものであり殊に第一審の公判手続は最も重要で審理の全力はここに注がれると言つても過言でなく従つて公判期日における訴訟手続について作成される公判調書に関しては一方刑事訴訟法第四十八条乃至第五十一条刑事訴訟規則第四十四条第四十五条第四十八条等に於てその記載事項を定め且その記載内容の正確を期するとともに他方公判調書の効力については刑事訴訟法第五十二条において公判期日における訴訟手続で公判調書に記載されたものは公判調書によつてのみこれを証明することができるものとしている。此の如く公判調書は極めて重要なものであるからその正確性を確保するため刑事訴訟規則第四十六条第一項に於て公判調書には裁判長が裁判所書記と共に署名押印すべきことを要求しているものと解せられる。そして同規則の最も厳格に要求しているところは押印よりも署名にあることも事柄の性質上自から解し得られるところである。
然らば裁判長の押印あるも署名を欠く公判調書の効力は如何に解すべきであらうか。法定の形式に違背して作成された公判調書と雖も他の訴訟書類と同じく常に当然に無効となるべきではない。その違背の性質の程度によつては有効と解し得られる場合がある。然しながら公判調書に於ける裁判長の署名の意義が右の如き重要なものであるとするならば裁判長の署名を欠く前敍公判調書の如きはその記載事項記載内容の正確性を確保できないから無効のものと言わざるを得ない。そして右原審第一回公判調書には裁判官高田豊裁判所書記官補荒木雅好列席の上検察官事務取扱検察事務官高松勝一出席し被告人小林健一及び弁護人芳井俊輔出頭し公開の法廷で開廷したこと被告人は公判廷において拘束を受けない旨が記載され次で裁判官の人定質問検察官の起訴状の朗読裁判官の被告人に対する黙否権についての説示検察官の冒頭陳述及び証人若林順並びに証拠物契約書(領収書)一通の取調の請求被告人及び弁護人の右証拠調の請求に対する意見の陳述裁判官に於て右証人及び契約書を取調べる旨決定し契約書については直ちに取調をなし証人は次回公判期日に取調べることとし次回公判期日を十二月一日午前十時(此の公判期日は後に十二月十二日午前十時に変更さる)と指定したこと等が記載されているが既に右公判調書が無効であるとすれば公判の開廷について守らるべき法規が右記載のように遵守されていたかどうか右の様な重要な訴訟手続が為されていたかどうか又適法になされていたかどうか到底之を知る由がない。従つて右公判調書に裁判長の署名を欠く訴訟手続に関する法令の違反は判決に影響を及ぼすことの明らかであつて此の点に於て原判決は破棄を免れない。
依つて本件控訴趣旨についての判断を省略し刑事訴訟法第三百九十七条第四百条第一項に則り原判決を破棄し本件を真岡簡易裁判所に差戻すこととし主文のとおり判決する。