東京高等裁判所 昭和25年(う)2671号 判決
原判決が第三事実として、同会社(アサヒ産業株式会社)の賃金支払日は毎月二十五日であるのに、一、昭和二十四年二月二十五日同社の労働者山口鈴二、木内信、柿沼宏、平井道子、泉水美津枝に対し同月分の賃金全部を支払わず、二、同年三月二十五日同社の労働者木内信、柿沼宏に対しては同月分の賃金全部を同平井道子に対しては同月分の賃金五千円中四千五百円を支払わなかつた事実を認定し、右一、二、の点に労働基準法第二十四条第二項本文第百二十条第一号を適用し各月の支払期日毎に労働者を一括し、各一罪が成立する趣旨の法令の適用をしていることは所論の通りである。而して労働基準法が労働条件は労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充すものでなければならない(第一条第一項)、賃金は通貨で直接労働者に、その金額を支払わなければならない(第二十四条第一項本文)、賃金は毎月一回以上一定の期日を定めて支払わなければならない(第二十四条第二項本文)等と規定し、その趣旨が労働者各個人毎に賃金の確実な支払を保障することにあることも亦所論の通りである。
よつて進んで所論のように 労働基準法第二十四条違反罪(同法第百二十条第一号)が、一賃金支払期日毎に賃金の支払を受けなかつた労働者一人毎に各一罪成立し、前記の場合は合計八個の違反罪が成立し、併合罪の関係に立つものであるか否かについて案ずるに右第二十四条の趣旨が労働者各個人毎に賃金の確実な支払を保障する趣旨であつて、使用者の労働者に対する民事上の賃金支払義務が個別的であり、右第二十四条違反罪によつて個々の労働者が各別に被害を受けると考えられることから、直ちに各労働者毎に併合罪の関係に立つ一罪がそれぞれ成立するものと速断することは許されない。蓋し、右違反罪の罪数については、労働基準法に特別の規定がないので、刑法総則の適用があるものであり、右第二十四条違反罪の構成要件の性質を考察し、これに刑法における一罪の観念を適用してその罪数を決定しなければならないからである。
右第二十四条第一項違反罪は賃金を通貨で直接労働者に支払わなかつた賃金支払義務違反の不作為犯であり、同条第二項も亦賃金を毎月一回以上一定の支払期日に支払わなかつた賃金支払義務違反の不作為犯である。而して、凡そ一罪と数罪とを区別する標準としては一個の行為によつて一個の犯罪構成要件を充足するを以て一罪とし、その他の場合は数罪であると解すべきであり、一個の行為によつて数個の構成要件を充足する場合においては、刑法第五十四条第一項前段の所謂一所為数法の場合として科刑上一罪として取扱われるのであるから、前記原審の認定事実について併合罪の関係に立つ八個の犯罪が成立するためには、八個の行為によつて八個の第二十四条違反罪が成立すると考えられる場合でなければならない。即ち右第二十四条違反罪は不作為犯であるから、八個の行為としての不作為の成立がなければならないのである。然るに前記認定事実は被告人が昭和二十四年二月二十五日の支払期日に五名の労働者に同月分の賃金全部を支払わなかつた事実及び同年三月二十五日の支払期日に三人の労働者に賃金の全部又は一部を支払わなかつた事実であるから右各支払期日毎に第二十四条に違反して賃金の支払をしなかつた各不作為が各一個成立することについては何等の問題はないのであるが、これを労働者の数に分割して八個の不作為があつたと認定することは妥当な解釈とは認められない。もとより行為の数従つて犯罪の数の如きは各犯罪構成要件を中心とした法律概念であつて自然的観察のみを基礎とするものではないけれども、行為の自然的観察にもとづく発現型態の相違は重大な影響を持つているのである。不作為は作為義務あるものがその義務に違反して作為に出でない消極的態度であるから、これを作為の場合のように人の外形的行動として捉えることができないのである。従つて、一支払期日における多数労働者に対する賃金支払義務違反の不作為は、使用者の賃金不払という消極的態度の中に成立するのであるから、これを一個の行為と観察することが妥当である。この観察にもとづいて、不作為の行為としての数を一個と解すべきである。これに反し、右の不作為を労働者の数に分割してその数だけの不作為が成立すると解するのは不自然であるといわなければならぬ。
尤も一支払期日毎の一個の不作為によつて、労働者多数ある場合でも、常に一個の右第二十四条違反罪だけが成立するに過ぎないか否かは、別個の問題であつて、多数労働者の中一人のみに賃金を支払わなかつたとしても右第二十四条違反罪が成立するものと解せられることと、右第二十四条の法意は各労働者一人毎に賃金の確実な支払を保障していることと併せ考察すると、右違反罪は労働者一人毎に各別に成立し、同一支払期日に多数の労働者に対して賃金を支払わなかつた場合にはその労働者の数だけの右違反罪が成立するものと解せられる。しかしながら右多数の右違反罪は使用者の行為としての不作為が一個であることから、刑法第五十四条第一項前段の一所為数法の関係に立ち、所論のように併合罪の関係には立たず、科刑上の一罪として取扱われるものと解すべきである。
尚以上の解釈を採ることによつて、少数の労働者に対する賃金不払も極めて多数の労働者に対する賃金不払も支払期日一回毎に同一法定刑である五千円以下の罰金を以て処理せられることは避けられないところである。しかし元来使用者の労働者に対する賃金支払義務は民事上の債務であつて、使用者の賃金不払は従前は債務不履行として民事上の解釈に委ねられていたところであつた。それを労働基準法が新に前記第一条の目的から、これに積極的な統制を加えるに至つたものであつて、罪質として左程重いものとは考えられず、同法の罰則中においても前記第二十四条違反罪は重い方に属しないものである。この違反に対して厳重な科刑を以て臨む必要がある場合においては、立法措置を以て、刑法総則の適用を排除するか法定刑の引上によつて刑の量定範囲を拡大するを以て相当の措置とし、所論のような法令の解釈方法によつてその目的を達すべきではないと考えられる。
以上の理由によつて原審の前記の法令の適用は前記第三の一、二について刑法第五十四条第一項前段を適用しない点に誤があるが、結局右一、二について、一罪として処断せられ、右は判決に影響を及ぼさないことが明かな誤であるから、原判決を破棄する理由とはならず所論は結局採用することができない。