大判例

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東京高等裁判所 昭和25年(う)4018号 判決

要するに色々説を設けて原判決は労働組合法第一条第二項但書の適用に関し右但書にいわゆる暴力とは如何に解すべきかについて判断を示さないから理由を附さない誤謬を犯しているものである。且つ同法条の解釈を誤りその適用をしなかつた違法があると謂うのである。

よつて按、ずるのに労働組合法第一条第二項の規定は、労働組合の団体交渉その他の行為について無条件に刑法第三十五条の適用があることを定めたものではない。同条第一項所定の目的達成のためになした行為でもそれが暴力の行使であるときは労働組合の正当な行為と解釈されてはならないことは右第二項但書の明定するところである。よつてその暴力とは如何なるものであるかにつき検討するに、暴力とは暴行、傷害、殺人等の有形力の不法行使だけでなく文化国家における社会通念上暴力と認められるものはすべてこれに包含するものと解するのが相当である。而して逮捕と云うことには必ず一定の実力的力の行使が伴い、その暴力たることは疑なく、又監禁という場合はそれが物理的障碍を手段とする場合(有形的)は勿論脅迫的言語を手段とする場合(無形的)でも、人の身体の自由を束縛するもので、逮捕と同性質のものであるからこれも亦暴力の一種であると解すべきものである(最高裁判所昭和二二年(れ)第三一九号昭和二十四年五月十八日大法廷判決参照)しかして原審が証拠により認めた事実はこの逮捕、監禁の事実であるから、本件被告人等の行為を暴力であると認めて、原審に於ける弁護人の本件は労働組合法第一条第二項により正当であるとの主張を排斥して採用しなかつた原判決は正当であつて、何等右労働組合法の規定を誤解したものとはいうことができない。又原判決は弁護人の所論主張に対し判示逮捕監禁が暴力に該当する旨判断しておるから右第一条第二項但書にいわゆる暴力の意義について判断しているものというべきである。原判決には理由不備の違法もない。更に使用者側に仮に所論のような団体交渉権をふみにじつた不法があつたとしても、これに対し被告人等のとつた本件行動は未だ正当防衛をもつて論ずる余地もないし、又使用者は団体交渉に応ずべき法律上の義務があるとしても、これに応じない使用者に対し実力的暴力を加えてこれに応じさせる権利は何人にもない。たとえ団体交渉のためであつても犯罪を構成するものであつて暴力行使である以上、前に説明した労働組合法第一条第二項の趣旨に則り刑事上の責任を免れることはできない。

団体交渉権は憲法で勤労者に保障されている権利で基本的人権の一種であることは所論の通りであるが、所論のように団体交渉のためならば如何なる刑事上の犯罪を構成しても無条件に刑事上の責任を負わせないというのが労働組合法第一条第二項の規定の趣旨であるとは認められない。憲法第十二条にも規定するように如何なる基本的人権であつてもこれを濫用することは許されないのである。論旨は結局独自の見解のもとに原審の判断を論難するもので理由がない。なお原判決が判示共犯者の各自の行動につき判示しないのは理由不備であるという所論に対しては第二点において説明する。

同第二点について。

その前段は要するに原判決は判示によつて多数の被告人中の何人が如何なる行為を為し各々の行為のどれが、又それ等が如何に複合して逮捕したり監禁したりしたことになるのか不明である。その行為の主体は明示されず更に単独犯なのか、共謀共犯なのか、或は認織共犯なのか不明で犯罪の主体も行為も具体的に特定されていないし故意の存否も明示されていない。これは判決に理由を附せず、その結果刑法第二百二十条の適用を誤つたものであると謂い。

その後段は、本件起訴状によればその記載事実は原判決の事実摘示と同様で犯罪の主体も行為も具体的に特定されていない。かかる公訴は形式的要件を備えていても、実質的に許容し得ないものであるから公訴は受理し得ないものである。しかるに原審はかかる公訴を受理して審理判決したので、不法に公訴を受理した違法があると謂うのである。

よつて按ずるに、原判決は本件を証拠により被告人等の逮捕監禁或は公務執行妨害の共同正犯と認定し、各その法条を適用しているものであることは明白である。而して刑法第六十条に規定する共同正犯とは行為者間に共同行為の認識があり互に一方の行為を利用し、全員協力して犯罪事実を実現させれば足りるので、行為者相互の間に意思の聯絡のあることは必要であるが、行為者間において予め事前に打ち合せ等即ち謀議のあることは必ずしも必要ではない。この場合通常は「共謀して云々」と判示されるのであるが、原判決の同調して或は共同して云々の行為をした旨の判示は正にこの意味のことを表現したものである。而して共同正犯の事実の判示としては所論のように犯人の間で分担した具体的な犯罪行為を詳細に判示するのが最上ではあるが、このように判示しなくても判示事実によつて犯人等が互に共謀して自已の犯意を実現するために共犯者の行為を利用したことが認められれば共同正犯の判示方法としては違法ではないと解すべきである。ひるがえつて原判決の判示事実を原判決に掲げる証拠と対照すれば被告人等は自已の犯意を実現するために相互に行動を共にし、相互にその行為を利用したことが認められるので、被告人等に対する逮捕、監禁、公務執行妨害の共同正犯の判示としては十分であつて、主体も行為も故意も判示されている。原判決には理由を附さないとか、刑法第二百二十条の適用を誤つたという違法はない。

次いで不法に公訴を受理したとの点については前説明の通りで、本件起訴事実としても何等違法のものではないから、これを受理した原審は実質的にも不法に公訴を受理したことにはならない。

論旨は何れも理由がない。

検察官控訴趣意第一点について。

其の要点は原審は本件公訴事実中無罪とした点につき、証拠によりこの事実を認め乍ら、己に監禁状態から解放されたのであるから刑法第二百二十条によつて律すべきものでないとしたのは同法条の解釈を誤つた違法があると謂うのである。

よつて本件記録を調査するのに、原審は所論引用の公訴事実につき証拠によれば之を認めうるところとした(但し、具体的にその証拠は挙示してない)上、該事実は刑法第二百二十条に該当せずとして無罪としたものであることは所論の通りである。而して原審が取り調べた証拠に現われた事実によれば、被告人山野なか、三村好一、田中昭二については優に之を認めうるところであるから、進んで右事実につき刑法第二百二十条を適用すべきであるかどうかにつき按ずるに同条の監禁罪は一定時間継続して人の行動の自由を拘束し、一定の区域から脱出することを不能にすることによつて成立し、被監禁者がその拘束から解放されるか、或は自ら脱出して行動の自由を完全に回復することによつて終了するものであつて、その拘束から脱出して行動の自由を完全に回復したというためには、被監禁者が継続的な一定の場所的拘束を完全に脱して其の自由な意思によつて現実に行動し得るに至ることを要するものであり、又監禁の方法は直接的であると間接的であるとを問はない、また、たとえ監禁された人がその生命身体の安全について他人の庇護の下に置かれるに至つても他人の庇護下にある状態のまゝで引き続きその人の自由を不法に拘束し、一定の場所から完全に脱出することを不能又は困難にしている間は監禁罪は成立するものと解するのを相当とする。今本件右事実を検討すれば、それ迄連合会事務所内に監禁されていた尾島周司、柳沢良助、重信嵩雄等三名が、進駐軍米兵の救援により右事務所の窓から屋外に飛び下り、停車中の進駐軍米兵操縦のジープ内に遁入したのであるが、被告人等は原審相被告人等その他の組合員数十名と共同して、右ジープの進行を阻止したのである。即ち原審が取り調べた証拠に現われた事実によれば、尾島周司等三名がジープに乗り込んだので米兵ブラナー軍曹がジープの運転台に乗ろうとすると、組合員等はそのジープの両側にかたまり「重役の大馬鹿野郎」などと、どなり乍ら右軍曹のバンドに手をかけ、腕章を引張り、殊に被告人山野なかは軍曹にしがみつき、同人をジープに乗せないように妨害し、又他の組合員の一人が同人の拳銃に手をかけたので、軍曹は矢庭に拳銃をとり出し空中に向けて一発発射し、それで始めて組合員等は軍曹から手をはなしたのであり、一方軍曹が拳銃を発射する直前古内金吾が「寝ろ」と云つたのでジープの前面に七、八人がばたばたと寝てしまい、又中川清松は「スクラムを組め、ジープを動かすな」と云つたので、ジープの前を押える者ジープを後方に引張る者などでジープは二、三回スリツプして前進することが出来なかつたところ、同日午後八時三十分頃進駐軍将校が数名来たのでやつとジープは自由に其の場を発車することができた事実が認められるので、右米兵のジープ操縦行為を妨害することにより、ジープの進行を阻止妨害して右三名の救出行為を困難又は不可能ならしめ、又右三名をジープ内から脱出することをも不可能にして、乗車のまゝの状態でその自由に行動することを束縛したことが明らかであるから、右ジープが自由に進行を始めるに至つた迄はやはり不法に右三名を監禁していたものと認めるのを相当とする。

果して然らば原判決は右事実に対し、証拠の標目を掲げず、且つ刑法第二百二十条を適用すべきであつたのに、これを適用しなかつたのは違法である。この違法は勿論判決に影響のあること明白であるから論旨は理由がある。

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