東京高等裁判所 昭和25年(ネ)309号 判決
控訴代理人は主文と同趣旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張は、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。
(立証省略)
三、理 由
控訴人は明治四十一年十月八日アメリカ合衆国ハワイホノルルにおいて日本人山本勝治、山本フジの間に同人等の長男として生れ、日米両国籍を取得したが、昭和七年七月六日日本国籍離脱の手続をなして日本国籍を喪失したところ、その後昭和十七年五月二十五日控訴人は内務大臣に対し日本国籍回復の申請をなし、同年九月十八日その許可処分がなされたことは、当事者間に争いがない。
よつて控訴人が右国籍回復申請の手続をなすに至つた事情について審按する。
成立に争いのない甲第五号証、原本の存在並びに成立に争いのない乙第二号証、原審並びに当審証人鈴木政吉、安藤弘、原審証人山本スエノ、当審証人土田誠吾、五十嵐芳吉(但し後記認定に牴触する部分は採用しない)の各証言、原審並びに当審における控訴人(原告)本人訊問の結果を綜合すると、控訴人は昭和九年渡日し横浜市において英国人経営の商会に勤務する傍ら東京都において昭和十五年十月頃まで海運業を営んでいたが、太平洋戦争勃発直後の昭和十七年一月十七日スパイ嫌疑によつて横浜市伊勢佐木警察署に勾引せられ、爾来その被疑事実について取調を受けてきた、その間スパイ容疑は解消したが、外国為替管理法、外国人の入国滞在及び退去に関する件、外国人旅行等に関する臨時措置令違反等の嫌疑にてなおも取調を受け漸く同年五月一日釈放せられたが、引続き自宅に軟禁せられる状態となつた、而して右警察署に拘禁中は、取調に当る警察署員より毆打、足蹴その他の暴行を受けることも度々あつて、当時票疽を病むも手当を受けることもかなわず、また脱肛も患い出血に苦んでいた控訴人としては苛酷なる取調に堪えられないものがあつた。しかも控訴人はその間係官より日本国籍を回復するよう慫慂せられたばかりでなく、控訴人の釈放直前にも、取調に当つた横浜区裁判所検事局検事よりも今後の生活の便宜上国籍回復を考慮するよう勧告を受け、更に釈放に当つては、鈴木政吉が控訴人の国籍回復を条件としてその身柄を引受けることとなつた、釈放後も依然として伊勢佐木、磯子の両警察署員の厳重なる監視を受けていたばかりでなく、係官よりも度々国籍回復手続を遷延するにおいては再度勾引せられるやも知れずと警告せられるなどのことがあり、その間控訴人としては、控訴人の拘禁を苦慮して単身山口県下に出奔した実父の心情に思を馳せ、かつは警察署員及び身柄引受人である鈴木政吉等より屡々国籍回復を慫慂せられるので、若し国籍回復の手続を今後遅滞するにおいては、再度警察署に勾引される不安を切実に感じ、かくては警察署における従前の処遇よりみて、再度拘禁されるにおいては自己の身体にも如何なる危険があるやも測り知れないばかりでなく、当時経済的に困窮していたので控訴人の監禁によつて妻子五人の生活をも破綻せしめる結果となることを憂慮した末、これらの危害を避けるためには、警察官憲の言に従い心ならずも日本の国籍回復許可の申請をなす以外には他に方法がないものと決心し、ここに前述のように昭和十七年五月二十五日国籍回復の申請手続をなしたものである事実を認めることができる。右認定に牴触する原審並びに当審証人五十嵐芳吉、鈴木輝夫の各証言は措信し難く、他に該認定を左右するに足る証拠はない。
よつて以上認定の如き状況の下になされた本件国籍回復許可申請の効力について考える。
前述の如く控訴人は当時票疽、脱肛等の疾患に惱まされていた身なるに警察署に留置中は取調係官より暴行を受けるなど苛酷な処遇に会い、その釈放の前後を通じ警察官憲より執拗に国籍回復許可の申請方をすすめられ、釈放に伴う身柄引受についても国籍回復許可申請の手続をなすことを条件とせられたばかりでなく、その手続を遷延するにおいては再度勾引するやも知れずと警察署員より度々警告せられている状況にあつて、控訴人としては恐怖のあまり、この際自己の身体等の安全を保持し、かつ家族の生活を擁護するためには、心ならずも警察官憲の言に従い日本国籍の回復許可申請をなす以外には方法がないと決意し、己むを得ず本件申請に及んだものであつて、当時の控訴人の立場から考えると、控訴人が叙上の如き危害を避けるためその好むと好まざるとにかかわず万己むを得ずして本件国籍回復許可申請をなしたことは固より無理からぬことであり、その間控訴人として利害得失を十分考慮した末、国籍回復の道を選んだものとは到底認め難く、該申請は前述の如き事情にあつては、控訴人が国籍を回復するや否やも選択し得べき自由を失い、全く意思決定の自由を抑圧された状況の下においてなされたものであると認定するを相当とするから、本件申請は当然無效なる行為であると断定するを妥当とする。
従つて叙上の如く国籍回復許可申請が無效である以上、これに基く内務大臣の許可処分も亦当然無效に帰するから、控訴人は日本の国籍を取得しなかつたものと謂わなければならない。しかるに控訴人は現に日本国籍を有するものとして取扱われているのであるから、日本国籍を有しないことを即時に確定する法律上の利益を有することは勿論であつて、これが確認を求める控訴人の本訴請求は正当である。
さればこれと異なる原判決は不当であつて、本件控訴は理由があるから、民事訴訟法第三百八十六条、第九十六条、第八十九条に則り主文のとおり判決する。
(裁判官 渡辺葆 浜田潔夫 牛山要)