東京高等裁判所 昭和26年(う)5263号 判決 1952年4月08日
控訴人 被告人 富樫真及び被告人大村欣の原審弁護人
検察官 軽部武関与
主文
本件控訴はいずれも棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、末尾に添附した被告人両名の弁護人竹沢哲夫、同関原勇連名及び被告人各本人の各控訴趣意者のとおりである。
弁護人竹沢哲夫同関原勇連名の控訴趣意第一点について。
しかし、日本国憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならないものであり、又、国民は、常にこれを公共の福祉のために利用する責任を負い、濫用してはならないものであり(日本国憲法第十二条)、なお、生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とするものであり(同第十三条後段)、結局、国民の自由及び権利といえども、公共の福祉に反する場合においては、立法その他の国政の上で、制約を受けるべきものであることは当然である。ところで、軽犯罪法は、刑法その他の刑罰法令には触れないけれども、誰でもが、そんなことをされては危険だと感じ、或は迷惑だと思うに違いないような行為を禁止し、これに違背した者を処罰せんとするものであることが明らかであり、結局、公共の福祉を保持することを目的とするものであり、なお、同法は、特に、同法の適用にあたつては、国民の権利を不当に侵害しないように留意し、その本来の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用することがあつてはならないと明記しているのであるから(軽犯罪法第四条)、同法が国民の基本的人権に関する憲法の規定に違反するものと解することはできない。このことは、原判決が本件について適用した軽犯罪法第一条第三十三号前段(原判決には単に軽犯罪法第一条第三十三号と記載してあるが、その認定した犯罪事実に徴し、同号前段であることが明らかである。)についても、直ちにいい得ることであつて、右規定は、他人の家屋その他の工作物に、その他人の承諾なく、且つ、社会常識上是認されるような理由もなく、はり紙をすることは、少くともその工作物の所有者や管理人に迷惑を与えることであり、且つ、自由に対する国民の権利の濫用であつて、公共の福祉のためにこれを利用するものとはいえないから、これを禁止し、これに違背した者を処罰せんとする趣旨であつて、公共の福祉を保持することを目的とするものであることが明らかであり、しかも、思想、信条及び言論そのものの自由を直接制約しようとするものではなく、又、前記同法第四条の規定と合せ考えれば、思想、信条及び言論の自由をじゆうりんする必然性を持つていると解することはできない。従つて、右規定は憲法に違背するものではないから、論旨は理由がない。
同第二点について。
しかし、本件記録に徴すれば、仮に被告人富樫真が昭和二十六年十月三日の司法警察員に対する供述調書において、氏名、年齢、住居を述べたとしても、被告人等は、同月四日、渋谷簡易裁判所裁判官成田彦政が、被疑事件を告げ、これに関する陳述を聴いた際には、いずれもその氏名、年齢、住居を黙秘したことが明らかであるから、右裁判官が、被告人等は定まつた住居を有しないものとして、同人等を勾留したことは当然であつて、別段の違法はなく、又、その後、同裁判官が、同月十三日、被告人等の勾留の理由を開示した際にも、被告人等は、依然として、いずれもその氏名、年齢、住居を黙秘したので、そのまま被告人等の勾留を継続していたところ、同月十九日、被告人等の原審の弁護人竹沢哲夫及び特別弁護人梅津四郎の連署の上申書によつて、被告人等の氏名及び住居が明らかにされたので、原審裁判官が、これを容れて、直ちに同日付をもつて、被告人等の勾留を取り消したことが明らかであつて、軽犯罪法の本来の目的を逸脱して、他の目的のために、これを濫用して、被告人等を不当に勾留したと認むべき事由は少しも見当らない。なお、本件記録に徴すれば、被告人等はいずれも昭和二十六年十月二日午後九時十分頃、本件の現行犯人として逮捕され、同月三日、それぞれ司法警察員の取調を受け、次いで同月四日、それぞれ検察官の取調を受けるとともに前記のように成田裁判官の勾留尋問を受けた上、同月五日にはいずれも、本件により渋谷簡易裁判所に起訴されたことが明らかであり、又、原審は専ら本件犯罪事実について審理し、本件はり札の記載内容の如何について全然これを問題としなかつたことが明らかであり、本件について、軽犯罪法の本来の目的を逸脱して、他の目的のために、これを濫用したことを疑うべき事由は何ひとつ見当らない。結局、論旨は独自の見解であつて、理由がない。
同第三点
しかし、軽犯罪法第四条の規定は、同法の適用にあたつて、当然守らなければならない事項を特に明文をもつて明記した規定であつて、刑事訴訟法第三百三十五条第二項の規定する法律上犯罪の成立を妨げる理由又は刑の加重減免の理由となる事実に関するものではないから、論旨は理由がない。
(その他の判決理由は省略する。)
(裁判長判事 中村光三 判事 河本文夫 判事 鈴木重光)
弁護人竹沢哲夫、関原勇の控訴趣意
第一点原判決は憲法に違反して無効である軽犯罪法を適用した違法があり破棄されなければならない。
(1) 軽犯罪法第一条各号に列挙してあるようなことは、なるほどそういう行為が世の中から、なくなり、或は少くなることによつて、社会は人々にとつて住みよいものとなるであろう。然しひるがえつて考えてみると軽犯罪法が処罰の対象としている諸々の犯罪類型に該当する行為は、日常我々がその社会生活を送る上に於て、誰もが、三十四もある行為の中の何れかは、自ら行つていることもあり、又、世人がこれを犯しているのを、極めて軽い気持で見聞している事柄が多い。そのように軽犯罪法が規定している行為は、この法律の名も示すように「軽い」ものであり、一方世に日常、数多くある行為である。
(2) しかし、これらの世人が大抵いつかは行つている数々の行為がすべて取締官憲による捜査処罰の対象となるべきものであろうか、そういうことは出来ることでもないし、又、我々の正常な法感情が許すものでもない。
(3) 結局、これらの行為の中で、何れをこの法律に基いて処罰の対象とし、何れをそうでないものとするかは、一般社会の常識に委ねられることになる。しかも、その常識の名の下に、現実に職権を発動するのは司法警察職員、検察官その他の取締捜査官憲である。つまり、捜査官憲はその自由な判断で数多い世人の行為の中、何れかを拾い上げて現実に軽犯罪法違反の名の下にその人を逮捕し処罰を求めることができるわけである。これを、裏からいえば、国民がその日常生活上しばしば行つているこれらの行為の中、誰が、処罰の対象として槍玉にあげられるかは、一にかかつて捜査官憲の自由な判断に委ねられていることになる。
(4) しかも、そのような捜査官憲の判断の基準となるのは、この法律がその犯罪構成要件として書いている文言の中「みだり」とか「正当な理由がなく」とかいう、解釈の余地がかなり広い文言を使用することによつて、ますます漠然たるものにしているのである。
(5) 捜査官憲は、結局、世に数多くあり、従つて軽微であるいろいろの行為を極めて漠然とした基準によつて捜査の対象とし身柄を拘束し、処罰を求めることができるということになる。
(6) その官憲なるものは、強大な、そして応々にして狂暴な国家権力を背景にもつており、時の政府の政策に左右され、その政策の遂行のために、世の常識をすら無視して一部の者を圧迫する傾向がある。そしてそのためには、凡ゆるものをその道具にしようとする民主的風潮が衰え、公然と憲法のいろいろの規定を無視される今日のような時代には尚更である。現に軽犯罪法は本件のようにそういう役目を――民主的傾向に対する弾圧――否、そういう役目だけ果している。軽犯罪法は正に官憲の民衆に対する弾圧の道具になり下つている。軽犯罪法はその自体の中に弾圧の道具にされ、信条、思想の自由を害する必然性を持つており、このことはこの法律が憲法に違反していることを示している。
(7) 本件のように、日本共産党の署名入りのビラをはる。官憲は正に共産党弾圧という政府の政策の故に、そのビラはりを一般化された「みだりに他人の家屋その他の工作物にはり札をした」という軽犯罪法違反の名目にすりかえてその人を逮捕する。彼等官憲はビラはりを名目として人民の思想信条の自由言論の自由を弾圧せんとしているのだ。現在、東京都内には、そのいたるところにどんなビラが公然と貼られているか。それらは何れも、日本の平和を破壊し、戦争へと人民を駆り立てる極めて反動的なビラである。それらのビラは他人の家屋といわず工作物といわず、正に「みだり」にベタベタ貼られている。
(8) 軽犯罪法は元来、国民の道徳的自覚に委ねられるべきいろいろの行為を――従つて世の中に無数にある行為――を定型化しこれに可罰性を与えて犯罪類型としている。結局、その無数の行為の中、何れかを犯罪として、官憲が現実に取り上げ、捜査、処罰の対象とするところの、そのとり上げ方、及びその過程においては、憲法が国民に保障する諸々の基本的人権――特に思想、信条及び言論の自由――をジウリンする必然性を軽犯罪法はそれ自体に持つているというべきである。軽犯罪法の存在、それは人民弾圧を合法化せんとする仮面である。かゝる法律が、新憲法下で存在することは到底許されない。
(9) 或は、いうかも知れぬ。軽犯罪法第四条は「この法律の適用に当つては、国民の権利を不当に侵害しないように留意しその本来の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用することがあつてはならない」と規定しているから、右のような議論で軽犯罪法を違憲とするのは当らぬと。しかし、これこそ偽瞞である。仮面である。先にのべたような国家権力を背景に有する官憲に対し、この法律の適用にあたつての注意を一般的に抽象的に規定したところで何ら国民の基本的人権の保障となり得るものではない。このような規定は当然すぎることの規定であつて、法の濫用の戒むべきはあえてこの法律の場合のみに限らないからである。又、不当に国民の権利を侵害したかどうか、その本来の目的を逸脱して他の目的のために濫用したかどうかに関する立証は極めて微妙な問題となり、結局、この規定によつては国民の権利は保護され得べくもないからである。
(10) つまるところ、軽犯罪法は民主主義の仮面を被つた旧警察犯処罰令である。警察犯処罰令がかつて、取締官憲によつて労働運動農民運動その他の民主的大衆活動弾圧の道具にされたことは吾々の記憶に生々しい。そして、そういう道具にされる可能性は、軽犯罪法になつたからといつて、決して除去はされていない。今後もこの法律の名の下に多く大衆運動が弾圧され、民主的な人々を身柄拘束する危険性は充分ある。本件は正にその適例というべきである。
(11) 新憲法の下にこのような法律が有効に存在することは許されず、結局原判決は違憲の軽犯罪法を適用し、被告人諸君を有罪としたものであつて破棄されねばならない。
第二点原判決は本件捜査取調官憲が不当に国民の権利を侵害し且つ、その本来の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用したものであつて、犯罪は成立せず、無罪を言渡すべきものであるに拘らず、これに有罪を言渡した違法があり、破棄されねばならない。
(1) 本件捜査取調官憲が不当に国民の権利を侵害したことは原審に現われた証拠によつて明かにされている。
(イ) 不当勾留 軽犯罪法違反に該る被疑者は刑事訴訟法第六十条第三項に規定する場合のみ第六十条第一項の規定が適用される。同条同項「被告人が定まつた住居を有しない場合」は、被疑者(被告人)がその住居の不明な場合とは区別して考えねばならぬ。しかるに、本件取調官憲は被告諸君の住居が不明であるとして勾留を請求している。そして勾留は判決後取消されるまで二十日近くも続けられている。本件勾留は明らかに刑訴法第六十条第三項に違反し、法律に基かない不当な勾留であつて許されないものである。(ロ)被告人富樫真は、同人の司法警察員に対する十月三日附供述調書においてその住居、氏名、生年月日を供述しており、仮に百歩を譲つて右(イ)が理由がないとしても、同人に対する勾留は明白な不当勾留である。
(2) 本件は軽犯罪法の本来の目的を逸脱して他の目的のために濫用したものである。要旨は既に第一点においてのべたが、被告人等の貼附したビラは憲法に違反する公安条例の撤廃に関するビラであつてそのことは押収に係るビラの内容によつて明かである。被告人諸君の行為が軽犯罪法違反現行犯として逮捕勾留されたことは結局、法律違反の名の下に被告人諸君の思想信条の自由を奪い、共産党弾圧という最近の政府の政策を強行せんとするものである。このことは反共のビラが到るところにはられていながら、看過されている事実、前項不当勾留の事実によつて明白に認めることができる。
第三点軽犯罪法第四条に該る場合は刑事訴訟法第三百三十五条第二項の「法律上犯罪の成立を妨げる理由」に当る。従つて軽犯罪法第四条に該当する旨の主張が原審でなされた場合は原判決はこれに対する判断を示さねばならぬのである。原審において弁護人は本件は軽犯罪法第四条に当ることを主張したにも拘らず、原判決は何らこれに対する判断を示さなかつた違法がある。
(1) 仮に軽犯罪法が合憲であるとした場合軽犯罪法第四条にあたる場合は刑訴法第三百三十五条第二項の「法律上犯罪の成立を妨げる理由」にあたるものと解しなければならない。そうでなければ、軽犯罪法第四条は全く空文化し、国民の基本的人権の保障の最少限の要求すら満されぬことになるからである。
(2) 原判決は右主張に対する判断を全く示さず、従つて法令の適用に誤りがあり破棄されなければならない。
(その他の控訴趣意は省略する。)