東京高等裁判所 昭和26年(う)5964号 判決
被告人 中村敏男
〔抄 録〕
論旨第四点乃至第六点について。
原判示第一の(二)の犯罪事実、即ち被告人が原判示のような経緯から、被告人肩書自宅で、行使の目的をもつて、原判示日時頃小幡登勇の住所氏名を冒署し、その名下に小幡なる有合印を擅に押捺して右小幡登勇名義の領収書一通(甲第六号証の二)の偽造を完了し、同月十七日頃右自宅で同人の代理人松井武雄から前記金員の支払の請求を受けるや、同人に対しこれは既に支払済であると申し向けると共に右偽造の小幡登勇名義の領収書を呈示して行使した事実は、原判決挙示の証拠によつてこれを肯認するに十分である。尤も右認定の有合印を被告人が何人をして作成させたか、又は自ら押捺したか、或は何人かに押捺させたのか若しくはその何人かが情を知つてしたのか情を知らないものかこれを確定するに足りる証拠は存しないのであるけれども、右印章が小幡登勇の所持しているものではなく右領収証の各記載の筆跡が全部同一人である被告人のものであつて右小幡においてこれを筆記し又は右印章を押捺したものでないことは原判決挙示の証拠を綜合すればこれを確認するに足りるのであるから、この事実から被告人において有合印を擅に押捺したと推認するも決して経験則に反するものではない。なお右印章を何人が作成したか又は被告人がかねて持ち合せていたものであつたかを確定すること、或は被告人が自ら押捺したか又は何人かをして押捺せしめたかを確定すること若しくは何人かをして押捺せしめたとしてその者が情を知つていたか情を知らなかつたかを確定することは、いずれも本件被告人の罪責を判断する上において直接影響を及ぼすべき重要な事項ではないのであるから、この点を特に的確な証拠によつて確定しないからとて、原判決の違法を来すべき重大な瑕疵とは言えないのである。以上の観点からすれば原審が右事実認定の証拠のうちに原審証人塩谷恒夫の証人尋問調書を挙げていることは所論の指摘するようにその趣旨必ずしも明瞭でないのであるが、原判決は、被告人の使用した印章を有合印と表示し、特に被告人が右塩谷恒夫に作成させた印章と判示していないのであるから、特にこれを掲記する必要のない証拠を挙示したものと解され、これあるが故に原判決の措置に違法を来すものとも断じえないが故に、この点を捉えて原判決を非難する所論はあたらない。然り而して記録を精査するも原判決の右事実認定に過誤あることを発見できないのみならず、当審において事実の取調としてなした鑑定人町田欣一の鑑定の結果、証人町田欣一の当公廷における供述に徴せば右認定が洵に正当であることが窺われるのである。なお同一事項に関する数多の鑑定の結果及び証人の証言等が相互に相異る結果を示すことは通常起り得る事柄であつて、そのうちいずれを措信し証拠に採用するかは、経験則に照し合理的である限り、全く事実審の自由裁量に属し、本件においても鑑定の結果、証人の証言等が相矛盾するもののあること洵に所論のとおりであるけれども、この点に関し原審の措置には何ら経験則に反する点も窺えない。果して然らば原判決には所論のように証拠によらないで此の点の事実を認定した違法もなく理由を附しない乃至は理由にくいちがいのある違法もなく、又判決に影響を及ぼすこと明らかな事実誤認の廉もないから、論旨はいずれも理由がない。
註 本件は他の論旨(事実誤認)をいれて破棄自判している。