東京高等裁判所 昭和26年(ネ)1979号・昭26年(ネ)1823号 判決
控訴審での訴訟費用は五分し、その各二を控訴人上田与十、上田ひさ、その一を控訴人茨城県農地委員会の各負担とする。
二、事 実
控訴人等三名各訴訟代理人は「原判決を取消す。被控訴人両名の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審を通じて被控訴人両名の負担とする。」旨の判決を求め、被控訴人両名訴訟代理人は主文第一項同旨の判決を求めた。
当事者双方の主張の要旨は、原判決の事実摘示と同一であるから、ここに引用する。(証拠省略)
二、理 由
左記の事実はいづれも当事者間に争がない。
(一) 訴外林村農地委員会は被控訴人両名の買収申請に基いて、自作農創設特別措置法第十五条によつて、昭和二十三年十月三十一日控訴人上田ひさ所有の別紙目録記載の(イ)ないし(ニ)の宅地、及び控訴人上田与十所有の別紙目録記載の(ホ)の宅地について買収計画をたて、同日その旨の公告をした。右控訴人両名はそれぞれ同農地委員会に対し異議の申立をなしたが、いづれも同年十一月十七日却下されたので、次で同月二十五日茨城県農地委員会に訴願したが、昭和二十四年二月二十八日右訴願はいずれも裁決で棄却された。右宅地は全部同年七月二日附で買収され更に同日その内の(イ)ないし(ハ)は被控訴人上田英一に、(ニ)及び(ホ)は被控訴人宮本才一郎に売渡された。
(二) 林村農地委員会は被控訴人上田英一の遡及買収の請求に基いて、自作農創設特別措置法第六条の二によつて、昭和二十三年十一月十七日控訴人上田与十所有の別紙目録記載の(ヘ)の畑、及び控訴人上田ひさ所有の別紙目録記載の(ト)、(チ)の畑について買収計画をたて、同日その旨の公告をしたところ、右控訴人両名はそれぞれ右委員会に対し異議の申立をなしたが、同年十二月四日却下されたので、更に同月二十日茨城県農地委員会に訴願したが、昭和二十四年二月二十八日右訴願はいづれも裁決で棄却された。右各畑は同年七月二日買収され、更に同日被控訴人上田英一に売渡された。
(三) 茨城県農地委員会はその後右(一)記載の裁決を再検討した結果、上記(一)記載の(イ)ないし(ホ)の各宅地については被控訴人両名に賃貸借又は使用貸借上の権利(その詳細の内容は後記の認定にゆずる)がないから、買収すべきではなかつたとして、昭和二十五年五月三十一日附で、「上記(一)記載の裁決を取消し、右(イ)ないし(ハ)の宅地合計五百十八坪六合四勺(裁決書には三百九十八坪四合六勺と誤記されている)右(ニ)(ホ)の宅地合計百二十六坪についての各買収計画除外の控訴人上田ひさ、上田与十の上記訴願を容認する」旨の裁決をなした。
(四) 茨城県農地委員会はその後右(二)記載の裁決を再検討した結果、上記(ヘ)ないし(チ)の畑については、被控訴人上田英一においてすでに代替地を提供されて返還済であつたから、これも買収すべきものでなかつたとして、同年六月三十日附で、「上記(二)記載の裁決を取消し、上記(ヘ)ないし(チ)の畑八畝十六歩についての買収計画除外の控訴人上田与十上田ひさの各訴願を容認する」旨の裁決をなした。
先ず、控訴人等は、右認定の(三)及び(四)の買収計画の取消の裁決の取消を求めているについて、被控訴人両名は被控訴人両名への売却処分が取消されているのではないから右買収計画の取消の裁決について何等の権利を害せられることなく、従つて右裁決の取消を求める適格を有しない旨主張しているから、この点について判断する。別紙目録記載の(イ)ないし(チ)の土地については、既に上記認定のように被控訴人両名に対し売却処分がなされているのであるから、右各土地に対する買収処分が取消されて国が右各土地に対する所有権を取得しないこととなると、被控訴人両名に対する売却処分それ自体が取消されないでも、被控訴人両名は右各土地に対する所有権を取得することを得ざる結果となるものであるから、被控訴人両名は右買収計画の取消の裁決については法律上重大な利害関係を有するものであり、その取消を求めるについての適格を有していると解するのが相当である。故に控訴人等のこの点に関する主張は採用するに由ない。
被控訴人両名は、上段認定の(一)及び(二)記載のように、控訴人上田与十、上田ひさ両名はその所有土地の買収処分に対して異議と訴願とを申立て、一旦は全部却下又は棄却されたのであるから、茨城県農地委員会は自らその棄却処分には拘束される関係にあるのであるから、たとえそれにかしがあつたとしてもこれを取消すことを得ないものなのに、上段認定の(三)及び(四)記載のように、自らそれを無視してなした裁決は不法であると主張し、控訴人等は、控訴人上田与十と上田ひさの訴願を棄却したのは被控訴人両名の虚偽の申立と供述とによつたものであるが、その後に至り右申立と供述とが虚偽のものであることが判明したのであるから、民事訴訟法の再審の場合に準じて以前の裁決を取消したので、なんら違法なものでないと主張している。茨城県農地委員会の訴願に対する棄却処分は、利害関係人の意見を聞いた上なされた処分であるが、それが行政処分であることについては変りがないのであるから、裁判においてこのような自らこれを取消し得ないというような羈束力は、原則としては生じないものである。本件の場合においても、上記認定のように別紙目録記載の(イ)ないし(チ)の土地について、被控訴人両名に売却処分がなされていることの一事では、未だ右のような羈束力が生じたとはいえないし、外になんら特別の事情についての主張立証がないから訴願棄却の処分を茨城県農地委員会が取消して、上記認定のように控訴人上田与十と上田ひさの訴願を認容した裁決をなしたのは、この点だけから考えれば適法だといわなければならない。
よつて、進んで控訴人上田与十と上田ひさの訴願を認容して、別紙目録記載の(イ)ないし(チ)の土地に対する買収計画から除外した裁決が適法か否やについて、逐次審按する。
被控訴人上田英一の主張によれば、同被控訴人の父上田時次郎は控訴人上田与十の先代上田新太郎の養子となり、大正十一年頃同人より別紙目録(イ)ないし(ハ)の宅地及び(ヘ)ないし(チ)の畑を、賃料毎年田植時と収穫時に四、五日間宛農事の手伝いをする外、随時雑用をして支払に代えることを約して期間の定なく賃借し、その後昭和十八年に、上田時次郎において労務の提供ができないときは、宅地については年額金五十円、畑については年額金十円を支払うと契約を改め、その後上田新太郎が死亡し、控訴人上田与十が家督相続し、別紙目録記載(ホ)(ヘ)の土地は同控訴人、別紙目録(イ)ないし(ニ)及び(ト)(チ)の土地はその妻である控訴人上田ひさの所有として、買収当時にいたつたものであると主張している。控訴人上田与十と上田ひさは、右控訴人両名の先代上田新太郎は大正五年五月十三日その養子で被控訴人上田英一の先代である上田時次郎に茨城県新治郡林村大字裏須字台二百九十八番地の宅地外一筆を贈与したが、当時右土地を訴外磯山新太郎が使用していたので、同人からその明渡を受けるまでという一時使用の約で、別紙目録(イ)ないし(ハ)の宅地及び(ヘ)ないし(チ)の畑を無償で貸与したものであるが、昭和十九年十二月合意の上右宅地に対する使用貸借契約を解約して控訴人上田与十、上田ひさに返還され、次で昭和二十年八、九月頃上田ひさ、上田与十と上田時次郎及び事実上耕作していた被控訴人上田英一との間で右畑に対する使用貸借契約を合意解約し、昭和二十一年六月に返還を受けたものだと主張している。各その成立に争のない甲第二ないし第四号証、乙第一号証の一、二、当審での控訴本人上田与十の尋問の結果によりその成立を認め得る丙第六、第七号証及び原審と当審証人萩原藤左衛門、上田一清、大里みち(後記信用しない部分を除く)原審証人酒井光男、額賀好雄、当審証人上田林次郎、三輪常太郎、上田多一の各証言、原審と当審での控訴人上田与十被控訴本人上田英一の各尋問の結果(それぞれ後記の信用しない部分を除く)並びに当審での検証の結果を綜合すれば、次の事実を認めることができる。すなわち、上田新太郎のところで長年使用人として実直に働いていてその養子となつた上田時次郎が婚姻したので、独立して世帯をもたせる趣旨で、上田新太郎は大正五年五月十三日その所有の茨城県新治郡林村浦須字浦山二百九十七番の山林三畝二十四歩と右同所字台二百九十八番の宅地九畝二十四歩を上田時次郎に贈与したが、同所には訴外磯山とくが居住して明渡さなかつたので、上田新太郎はやむなく大正九年に至り、同人のところに常に出入して働いてもらうのにも都合がいい関係上、同人の家の隣接地である同人所有の別紙目録(イ)ないし(ハ)の土地を期間の定めなく上田時次郎に貸し、そこに家屋を建設して同人に贈与した。二人の関係が右のように密接であつたので、別に賃料については約束はなかつたが、上田時次郎はそれ以来も従前と同様に上田新太郎のところに出入して田畑の耕作、刈入その他いろいろの雑用をも果していた。上田新太郎が昭和十九年十一月二十日に死亡し、控訴人上田与十がその家督相続をなしその一部の所有権がその妻の控訴人上田ひさに移つた後もその関係には変りがなかつた。上田時次郎は右(イ)ないし(ハ)の土地に居住して、その敷地以外の土地は日当りがよくなかつた関係もあつて畑には使用することなく、杉、竹、松などの林の外、物置、牛舎、家畜小屋、木小屋等を設け、花壇、堆肥置場、甘藷苗床等をつくつて使用していた状態で、農地の買収計画がたてられるに至り、右土地を控訴人上田与十、上田ひさに返還することを約したことはなかつた。上田新太郎は別紙目録(ヘ)ないし(チ)の畑についても上田時次郎に耕作させていたが、上田時次郎は上記のように上田新太郎のために田畑の仕事その他の雑用をなして、別に賃料は支払つていなかつたところ、上田時次郎は老齢になり十分に働けなくなつたので、昭和十七年頃、上田新太郎と上記鍋久保の土地については年五十円、天神の土地については年十円の金納と改めた。上田与十から昭和二十一年四月末頃食糧に困るから一作だけを芋つくらせてもらいたいとの要求があつたので、その当時上田時次郎と事実上実際耕作していた被控訴人上田英一は同情して、別に換地をもらわずに一作だけということを確約して、その当時控訴人上田ひさ同上田与十の所有になつていた右(へ)ないし(チ)の畑を同控訴人等に一時使用せしめたのに、同控訴人は所約に反して遂にそれを返還しなかつたのである。右(ヘ)ないし(チ)の土地は大部分畑に使用されて、その一部約一畝歩が馬車で肥料や収穫物を運搬する必要上空地になつている。上記諸認定に反する原審と当審での証人大里みち、桜井光雄、池羽柄四郎と当審証人友部きんの各証言及び原審での証人、当審での控訴本人上田与十並びに原審と当審での被控訴人上田英一の各供述は上掲各証拠に照し合わせてたやすく信用ができないし、外に上記諸認定を動かすことのできるなんの証拠もない。そうであるとすれば、上田時次郎は昭和二十年十一月二十三日当時別紙目録(イ)ないし(ハ)及び(ヘ)ないし(チ)の各土地に対し賃貸借契約が、少くとも使用貸借契約に基いての使用権を有していたものと認めるのが相当である。
従つて又、右(イ)ないし(ハ)の土地については宅地として、(ヘ)ないし(チ)の土地については農地として買収さるべき関係にあつたものといわなければならない。
被控訴人宮本才一郎は従前控訴人上田与十、上田ひさの先代上田新太郎に雇われていた関係で、昭和七年から別紙目録記載の(ニ)(ホ)の宅地を賃料年額玄米一俵及び金二円の約で期間の定めなく賃借し、その後二回に亘つて賃料が改められ、昭和十七年からは金十七円五十銭となり買収当時に至つたものであるが、仮に賃貸借契約が存在していなかつたとしても、少くとも使用貸借契約は成立していたものであると主張し、控訴人上田与十は被控訴人宮本才一郎と上田新太郎との間の同被控訴人主張の賃貸借契約は、上田新太郎の死亡後、控訴人上田与十、上田ひさと被控訴人宮本才一郎との間で昭和二十年末頃に合意の上解約され、右各宅地は控訴人上田与十、上田ひさに返還されたものであると主張している。上掲の甲第二号証、原審証人上田与十と当審での被控訴本人宮本才一郎の各供述によりその成立を確め得る甲第一号証、及び原審証人酒井光男、原審と当審証人萩原藤左衛門、上田一清、当審証人市塚しま、上田多一の各証言並びに原審と当審での被控訴人宮本才一郎の本人尋問の結果と当審での検証の結果を綜合すれば、下記の事実を認めることができる。すなわち、被控訴人宮本才一郎は上田新太郎に雇われていたこともあつた関係もあり、昭和七年暮に同人からその所有の別紙目録(ニ)(ホ)記載の土地を宅地に使用する目的で借受け、それ以来宅地として居住使用し農業に従事し来り賃料は当初年に米一俵と金二円の約であつたが、その後昭和十八年から年に金十七円五十銭と改められていた。上記認定のように、その後上田新太郎が死亡して控訴人上田与十が家督相続をし、別紙目録記載の(ニ)の宅地はその妻の控訴人上田ひさの所有となつたが依然としてその関係には変りなくそのままで農地の買収計画がたてられ、その間に控訴人上田与十、上田ひさと被控訴人宮本才一郎との間には合意解約の話はなく被控訴人宮本才一郎が右土地を控訴人上田与十、上田ひさに返還したこともない。右諸認定に反する原審と当審での証人桜井光雄、池羽柄四郎の各証言、及び原審での証人当審での控訴本人上田与十の各供述はいずれも上掲各証拠に照し合わせて信用ができないし、外に右認定を動かすことのできる証拠はなにもない。そうであるとすれば、被控訴人宮本才一郎は右土地に対し賃借権を有し、右土地を宅地として使用していたものであるから、右土地が買収さるべき関係にあつたものといわなければならない。
故に上記認定の(一)及び(二)記載の買収処分は正当で、控訴人上田与十と上田ひさの訴願を認容してなした(三)及び(四)の買収計画から除外する旨の裁決は失当であるといわなければならない。そうであるから、右裁決の取消を求める被控訴人両名の本訴請求は正当として認容すべきもので、これを認容した原判決は、理由においては異るが結局においては相当であるから、民事訴訟法第三八四条第二項により本件各控訴をいずれも棄却し、控訴審においての訴訟費用の負担について、同法第九五条、第八九条、第九三条を適用して主文のように判決する。
(裁判官 柳川昌勝 原増司 村松俊夫)
(目録省略)