東京高等裁判所 昭和27年(う)203号 判決 1952年4月15日
控訴人 被告人 東谷正
検察官 伊尾宏関与
主文
本件控訴を棄却する。
理由
弁護人渡辺泰敏の控訴理由は、末尾に添附する控訴趣意書と題する書面に記載するとおりである。
ところで、所論の岡山武夫に対する検察官の供述調書抄本は、同人の署名押印ある検察官の供述調書中、本件被告事件に関連性を有する部分を抄録した書面たることは、該抄本の記載自体によつて明らかであるが、すでに供述者の署名押印ある供述調書があり、しかも供述者たる岡山武夫が原審第二回公判において、右供述調書に記載するところと実質的に異つた供述をしたことが認められ、更に、右供述調書に記載されてある供述が右公判期日における供述よりも信用すべき特別の情況の存するものと認めることを以て相当とする以上、該抄本と雖も、本件被告事件においては刑訴法第三二一条第一項第二号の規定に従い、これを証拠とすることができるものといわなくてはならない。けだし、本件抄本によれば、原本に供述者たる岡山武夫の署名押印あることを明認することができるからである。たゞ一概に抄本なるが故にこれを証拠とすることができないとする所論は、むしろ抄本なるものの性質を正解しない主張たるを失うまい。なお、右にいう「特別の情況の存する」や否は、一に裁判官の自由心証に委ねられている問題であつて、検察官の証明若しくは釈明を要するものではない。そうして、右にいうごとく、本件抄本に記載する供述についてはかかる特別の情況の存することが記録を通じて窺い得るので、この点においても原審の措置には毫も非難すべき廉はない。してみれば、原判決の採証上の違法を主張する論旨第一点は、もとより理由がない。
(その他の判決理由は省略する。)
よつて、刑訴法第三九六条に則つて、主文のごとく判決する。
(裁判長判事 中野保雄 判事 尾後貫荘太郎 判事 渡辺好人)
控訴趣意
第一点原判決には、判決に影響を及ぼすこと明らかな採証上の違法がある。
原判決は、その事実理由に於いて「被告人は、昭和二十六年四月三十日施行された茨城県会議員選挙に際し、その選挙に立候補した間宮信雄の選挙運動者であつたが、同年四月十七、八日頃那珂郡嶐郷村大字高部三千九百九十一番地間宮信雄方に於て、岡山武夫より右間宮候補のため投票取纒等の選挙運動を為されたき旨依頼せられてこれを承諾し、その際右選挙運動の報酬として自己に供与せられるものである事を知りながら、即時金三千円の供与を受けたものである。」との事実を認定し、右の事実は
一、被告人の百円紙幣任意提出書 一、百円紙幣七枚 一、司法警察員作成右領置調書 一、証人岡山武夫の当公廷における供述 一、岡山武夫の検察官に対する供述調書抄本記載の供述 一、被告人の司法警察員に対する供述調書(二通) 一、被告人の検察官に対する供述調書 一、被告人の当公廷における供述
を綜合して、その証明十分であるとしている。然れども、原判決が前記事実認定の資料として採用した岡山武夫の検察官に対する供述調書抄本は、証拠能力なきものであるからかかる証拠能力なき調書抄本を事実認定の重要なる資料に採用した原判決には、採証上の違法があると謂わなければならない。
すなわち、原審昭和二十六年九月二十日の第一回公判期日において検察官は立証として岡山武夫の検察官に対する供述調書抄本の取調を請求したので、弁護人はこれに対し異議を申出でた。そこで検察官は右調書抄本の取調の請求を撤回し、証人として岡山武夫の尋問を申請したところ、右申請は許容せられ、第二回公判期日において右証人の尋問がなされた。その後の公判期日において、検察官は、刑事訴訟法第三百二十一条第一項第二号の規定により、岡山武夫の検察官に対する供述調書抄本を証拠として提出したので、弁護人は (一)刑事訴訟法第三百二十一条第一項第二号により提出すべき供述調書は必ず原本たることを要すべく、従て抄本ではその証拠能力のないこと (二)証人岡山武夫の公判廷における供述よりも、検察官に対する供述を信用すべき特別の情況の存在しない趣旨を理由として、その取調請求に異議あることを申出でた。然るに原審は、弁護人の右異議は理由なきものと認め却下する旨宣し、前記抄本の取調を許容した上、前述の如く、これを事実認定の資料として採用している。惟うに刑事訴訟法第三百二十一条第一項所定の書類が証拠能力を持つに至るのは、所論伝聞証拠若しくは伝聞法則に対する例外規定であるから、同項第二号所定の書類の如きも厳格に解釈されなければならない。従て同号の調書の謄本若しくは抄本の如き、供述者の署名又は押印のない文書は、ここに云う調書ではなく、証拠能力なきものと謂わなければならない。又同条項に云う「特別の情況」の存否を争われた場合には、供述録取調書を証拠として申請する当事者(本件においては検察官側)において、一応その存否につき証明若しくは釈明を促がすべきものと謂わなければならない。然るにこの点につき、検察官側は何等の立証若しくは釈明もせず、原審亦これにつき何等の処置にも出でず慢然取調を許容していること前述した通りである。畢竟原判決は証拠能力なき資料を断罪の資に供したものであつて、かかる採証上の違法は判決に影響を及ぼすこと洵に明白であるから、到底破棄を免かれない。
(その他の控訴趣意は省略する。)