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東京高等裁判所 昭和27年(う)2626号 判決 1953年2月21日

控訴人 原審検察官 田中万一

被告人 松原宏遠 外四名

被告人 斑目栄二 外五名 弁護人 神道寛次 外二名

検察官 松村禎彦

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は東京地方検察庁検事正代理検事田中万一名義の控訴趣意書と題する書面、及び弁護人神道寛次、同布施辰治、同青柳盛雄提出の各控訴趣意書に記載されたとおりであるから、ここにこれを引用し、これに対し次のように判断する。

弁護人神道寛次の控訴趣意第一点について。

告訴とは犯罪の被害者その他一定の者から捜査機関に対して犯罪事実を申告して犯人の訴追を求める意思表示であつて、それは特定の犯罪事実を対象として為されるものであり、特定の犯人を対象として為されるものではない。この点において、告訴は、検察官が指定した被告人以外の者にその効力を及ぼさない公訴提起とは全くその趣を異にするのである。従つて捜査機関に対し一定の犯罪事実を申告し、犯人の訴追を求める意思表示があつたものと認められる限り、ここに適法且つ有効な告訴があつたものと認められるのであつてこの場合において必ずしも被告訴人の氏名を指定する必要はなく、又当該犯罪事実に関係のない者を誤つて被告訴人として表示し、又は「告訴」と表示すべきところを誤つて「告発」と表示したとしてもその為にその効力に影響を及ぼすものではない。そして親告罪についてこのような告訴があつた場合には、検察官は捜査の結果真実の犯人と認められるものを被告人と指定して適法に公訴を提起しうるのである。親告罪の告訴が叙上のような性質を有するものであることは、親告罪についてその共犯の一人又は数人に対してなされた告訴又はその取消は、他の共犯に対してもその効力を生ずることを定めた刑事訴訟法第二百三十八条の規定に徴するもこれを窺うことができる。原審は叙上と同一の見解の下に本件についてはいずれも適法且つ有効な告訴があつたものと認めたものであり、その法令の解釈並びに適用は正当である。所論はこれと異る見解に立脚して原判決には法令の解釈適用を誤つた違法があると主張するものであつて、採用するに足りない。故に論旨は理由がない。

同第三点について。

原判決理由罪となるべき事実第三節第一の(一)乃至(三)において原審が被告人松原宏遠の行為として判示するところは、これをその挙示する証拠と対象するときは、判示第二節において認定したような職責を有する同被告人が、判示のような、竹内四郎、井浦浩一及び赤尾敏の名誉を毀損すべき記事を判示各雑誌に掲載することを決定し右各記事を掲載した判示各雑誌を人民社並びにその販売機構を通じて発行させその頃東京都内その他に発売頒布させて右竹内四郎外二名の名誉を毀損したとの趣旨であつて、右事実は挙示の証拠によつて認めうるところであり、記録に徴するも事実誤認の違法があるとは認められない。蓋し所論のように右雑誌の発売頒布は被告人松原宏遠以外の者の職責とするところであり、又事実上被告人松原が自ら直接これを発売又は頒布したものではないとしても、原判示のような職制機構のもとに判示雑誌が編集発行され、発売頒布されている以上、同被告人がその職責に基き右記事を判示雑誌に掲載することを決定したときは、爾後右記事は正規の過程を経て雑誌として発売頒布されるものであるから、右発売頒布は同被告人としても当然予期しているところであり、従つて右記事を掲載した雑誌の発売頒布により他人の名誉を毀損したときは、編集責任者たる同被告人においても、その結果につき認識があつたものとして、その責に任ずべきものと解すべきことは当然だからである。原判決は必ずしも同被告人が自ら判示各雑誌を発売頒布したものと認めた趣旨でないことは叙上のとおりであるから、原判決には所論のように証拠によずして事実を認定し又は事実を誤認した違法はない。

又判示各記事がそれぞれ竹内四郎外二名の名誉を毀損すべきものであることは右記事自体に徴し明白であり、又同被告人に、右各記事が竹内四郎等の名誉を毀損するものであることの認識があつたことは挙示の証拠によつてこれを認めうるところである。右記事中執筆者又は掲載者の個人的主観が含まれていたかどうかは犯罪の成否に影響を及ぼすものではない。又記録に徴するも右各記事が真実であることの証明があつたものとは認められない。要するに以上の点においても原判決には所論のような事実誤認の違法はないから論旨は理由がない。

第九点について。

いわゆる名誉毀損罪における事実証明の要件及び効果について定めた刑法第二百三十条の二の規定は、基本的人権を尊重し、個人の尊厳を維持高揚することを主眼とする新憲法の下における個人の名誉の保護と、一方において、同憲法の保障する思想良心の自由、表現の自由との調和点をなすものといいうるのであつて、同条所定の要件の解釈並びにその要件を具備すると認むべきや否やの認定にあたつては、常にこの点に留意し、一方において言論の自由、批判の自由を強調するの余り、他面においてこれらの表現により不当に個人の名誉が侵害されることのないよう、適正な解釈運用に努むべきものである。従つて、同条第一項にいわゆる「公共ノ利害ニ関スル事実ニ係ル」場合の意義、並びにこれに該当するものと認むべきか否かは、当該摘示事実の具体的内容、当該事実の公表がなされた相手方の範囲の広狭、その表現の方法等、右表現自体に関する諸般の事情を斟酌すると共に、一方において右表現により毀損され、又は毀損さるべき人の名誉の侵害の程度をも比較考慮した上、以上の諸事情を参酌するもなお且、当該事実を摘示公表することが公益上必要又は有益と認められるか否かによりこれを決定すべきものと解するを相当とする。

原判決がその理由、訴訟関係人の主張に対する判断、第一の(一)に引用する同判決理由、罪となるべき事実第三節の(一)に記載された記事は「インチキブンヤの話昭電事件に暗躍した新聞記者」と題するものであつて、昭電事件につき各新聞社の幹部が相当のもみ消し料を貰つているらしいが、読売の竹内社会部長(読売新聞社社会部長竹内四郎の趣旨)もくさいと社内ではにらまれていると云う旨の記載があるのである。よつて右記事が公共の利害に関するものと認められるか否かにつき判断すると、なる程新聞の発行は一面において公共性を有し、いわゆる大新聞と称せられるものの言説行動が社会上重大な影響力をもつものであり、その新聞記者が社会的重大事件に関しもみ消し料を貰つてその執筆活動を左右にすると云うような事はこれを抽象的に云えば公共の利害に関するものと云えないではないが、本件記事の内容は上記のようなものであつて、既にその表題において不当な侮辱的言辞を用いているばかりでなく、右記事の内容も不確実な漠然たる世間の噂、風聞をそのまま伝えているものであり、このような記事をこのような表現方法を以て公表することは世人への警告、犯罪その他の非行の予防鎮圧等社会を稗益する面において左程効果があるとは認められず、反面においてかかる侮辱的表現により漠然たる風聞を風聞として公表されることによつて前記記事に指摘された人が被る虞ある名誉の侵害の程度はかなり顕著なものがあると認められるので、このような事情を総合考察するときは判示の如き記事を摘示公表することは公益上必要又は有益とは認めがたいものというべく、従つて、これを公共の利害に関する事実に係る場合には該当しないものと解するのが相当である。従つて原審が前記訴訟関係人の主張に対する判断第一の(一)に判示したように判断したことは相当であつて、論旨は理由がないといわなければならない。

弁護人布施辰治の控訴趣意第三点ないし第七点について。

右論旨は要するに原審は刑法第二百三十条の二の解釈適用を誤つた違法があるというのである。

(イ)第四点について。

刑法第二百三十条の二にいわゆる公共の利害に関する事実と認むべきか否かの判断は、当該記事の内容その発表の範囲、その表現の方法等諸般の事情を斟酌し、又一方においてこれにより毀損される虞ある人の名誉の侵害の程度をも比較考量した上右事実を摘示公表することが公益上必要又は有益と認められるか否かによつてこれを決定すべきものであることは、前示神道弁護人の控訴趣意第九点に対する判断において判示したとおりであつて、所論の各事実において公表された事実は、その記事の内容発表の範囲並びにその表現の方法等諸般の事情を斟酌し 又これにより侵害さるべき各被害者の名誉の侵害の程度とを比較考量するときは、右各記事を摘示公表することが公益上必要又は有益であると認められる場合には該当しない。従つて原審がこれらの記事をいずれも公共の利害に関するものと認めなかつたことは相当である。「真相」発行の目的が原判示認定のとおりであること、又は所論の各記事が私怨又は悪感情に出たものかどうかは、被告人等の本件所為が公共の利害に関するものと認むべきか否かの判断を左右するものではない。要するに原判決には所論のような違法はないから論旨は理由がない。

(ハ)第六点について。

刑法第二百三十条の二によれば、刑法第二百三十条第一項の行為が公共の利害に関するものであり且専ら公益を図る目的に出たものと認められたときは裁判所は当該事実の真否の探究に入らなければならないのであつて、この場合においては、裁判所は一般原則に従いその真否の取調をなすべきである。そしてかかる取調の後その事実が真実であつたことが積極的に立証された場合に初めて被告人に対して無罪の言渡がなされるのであつて、取調の結果右事実が虚構又は不存在であることが認められた場合は勿論、真偽いずれとも決定が得られないときは真実の証明はなかつたものとして、被告人は不利益な判断を受けるものである。かくして裁判所がこの点について諸般の証拠を取調べ、真相の究明に努力したにも拘わらず、事実の真否が確定されなかつたときは、被告人は不利益な判断を受けるという意味において被告人は事実の証明に関し挙証責任を負うものと云うを妨げない。所論は叙上の見解と異る独自の見解であつて採用し難い。原判決が真実性の挙証責任は被告人にあるとし、被告人は事実の真実性について立証を尽していないから不利益を負担しなければならないと説示したのは、裁判所が事実の真否を取り調べたがその取調の結果によれば、各記事に記載された事実が真実であつたことは認められず却つてそれが存在しなかつたものと認められ、被告人の挙証によつては右認定を覆すべき事実はこれを認めることができないから、事実の証明がなかつたと云う不利益を被告人が負担しなければならないとの趣旨であるから、叙上説示したところと矛盾するものではなく、また原判決が事実の証明がなかつたものと認めたことも記録に徴し何等不当とは認められないから論旨はすべて理由がない。

弁護士青柳盛雄の控訴趣意第二点について。

刑法第二百三十条第一項所定の犯罪は人の名誉を害する虞あることを認識しながら人の名誉を害する虞ある事実を公表することによつて成立し、所論のように同罪が成立するためには意識的に虚偽の事実を作りあげてこれを発表すること、又は事実の真偽を良心的に調査しないであえてこれを公表することを要するものではない。ただ或る事実を公表したものが、その事実を真実なりと信じ、且かく信ずるにつき過失がなかつたものと認められる場合に限り故意の責任を阻却される場合があるに過ぎないのである。しかして原判決が本件所為につき被告人等が判示事実の真実性を信ずるにつき相当の理由を有していたとは認められないと判示したことが相当であつてこの点につき何等違法がないことは先に神道弁護人の控訴趣意第十三点に対する判断中に説示したとおりである。従つて論旨はすべて理由がない。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 谷中董 判事 荒川省三 判事 堀義次)

弁護人神道寛次の控訴趣意

第一点原判決は其の理由中「訴訟関係人の主張に対する判断」の第六に於て、本件のごとき名誉毀損罪は何人に対しても成立するいわゆる絶対的親告罪であるから検察官又は司法警察員に対する告訴においていやしくもその犯罪事実を申告し犯人の処罰を求める意思表示があつたと認められれば足り、必ずしも被告訴人の氏名を指定する必要がないばかりでなく、犯罪に関係ない者を誤つて被告訴人として指定し或は告訴と表示すべきところを告発と表示したとしても、その告訴の効力には何等影響を及ぼすものではない。然るに前掲各告訴状及び名誉毀損と損害賠償の告発状をみるにいずれも関係犯罪事実を申告し、犯人の処罰を求めていることが明かに認められるから前示のごとく告訴状等に記載されている被告訴人と被告人との間にくいちがいがあつても、その告訴の効力を無効ならしめるものではないと判示した。

然しながら、親告罪にあつては告訴は訴訟条件である。被害者が特定人(加害者)を相手方として其の処罰を求むる意思表示を検察官又は司法警察員に対して請求する行為である。もとより被告訴人の氏名は確認し得ない場合もあり得るが、あくまで告訴は特定人を対象として為さるべきであつて不特定人又は単なる被害事実の申告のみを以て足るべきではない。刑事訴訟法第二百三十五条に親告罪の告訴は犯人を知つた日から六ケ月以内に限られる旨規定した趣旨に徴するも明かである。そもそも親告罪なる制度は被害者が告訴をするに当り其の加害者が甲である場合には告訴をするが若し乙であつた場合には之れを差控えるとか、或は他の方法を採る等の撰択の余地があり夫れが法益の保護を全うする所以であることを立法の趣旨としたものである。原判決の言うが如く単に事実を申告し処罰を求むる意思表示をすれば足るとか又は加害者は乙であるのに誤つて甲を指定して告訴した場合に其の効力が乙に及ぶと云うが如きは告訴人の意思を無視した議論である。告訴人は乙が加害者ならば最初から告訴を提起する意思が無かつたに拘わらず検察官が乙を加害者として起訴した様な場合告訴人は取下すらも叶わず全く親告罪の制度に背反する結果を招来する場合が起り得る。以上原判決は刑事訴訟法第三百七十八条第一項第二号及第三百八十条の解釈適用を誤つた違法がある。

第三点原判決理由「罪となるべき事実」第三節中第一被告人松原宏遠の行為として(一)乃至(三)に於て同人が執筆掲載した事実を摘示し、末段には「その頃東京都内その他において発売頒布し以て竹内四郎、井浦浩一及び赤尾敏の名誉を毀損したものである」と結論して居る。然し乍ら被告人松原は発売頒布に就ては何等の職責を有せず又事実上関与して居らない。原判決は此の点何等の証拠無きに拘らず被告人松原に対し執筆掲載と発売頒布の相異る二つの事実につき事実認定をなし其の責任を負担せしめて居る。右は証拠に因らず事実を認定した違法あると共に事実誤認の違法がある。

又前記記事内容を仔細に検討して見るに該記事が告訴人等の名誉を毀損しようとする認識乃至意図の下に執筆されたものでないこと即ち故意無きは勿論其の記事自体単に世律を世律とし世論を世論とし、客観的事実其の儘を伝えただけで執筆乃至掲載者の個人的主観は存在しないこと明白である。又実際上に於ても此の記事に関係ある原審各証人の証言に依り、当該記事に近似した事実の実在したことも証明せられて居る。右は刑事訴訟法第三百八十二条に所謂事実誤認に該当する違法がある。

第九点原判決理由(訴訟関係人の主張に対する判断)第一の(一)に於いて原判決は公共の利害に係るものと解することはできないと判示した。

然しながら読売新聞は五大新聞の一に数えられ其の言説行動(作為不作為)は社会上重大な影響力を持つことは顕著な事実である。新聞の発行は一面営利事業ではあるが一面公共性を有することは否定出来ない。此の新聞社の記者や社会部長がもみ消料を貰つて、昭電事件と云うような国民関心の的であり国民に利害関係ある事柄につき作為又は不作為の行動に及ぶことは明かに公共の利害に関するところである。

原判決は刑法第二百三十条ノ二第一項の解釈適用を誤つた違法がある。

弁護人布施辰治の控訴趣意

第四点原判決は、被告人ら及び弁護人らの無罪主張につき、松原、中山、斎藤、佐和、浅田各被告関係の竹内、井浦、蔡長郎、佐山、行村らに関する事実は、公共の利害に関する事実にかかわるものとはみとめられないと説明している。けれども竹内、井浦、佐山の新聞記者生活や第三国人蔡長郎の在日生活状態、行村の天皇制関係事実は、原判決において、雑誌「真相」の発行目的を、我が国における天皇制及び資本主義的機構を徹底的に打破した上、人民共和国政府を樹立しようとする思想に共鳴し、現在の支配階級乃至権力階級それらに結託し或いは追随者の行動並びに、社会一般の関心を集める如き事実の実体などを曝露する」ものであると認めている限り、公共の利害に関する事実としてそれらの問題を取上げたものだということは極めて明白である。それは、問題として取上げられた人々に対し、何等の私怨、若しくは、悪感情に出でたものでない事は原判決に於てもこれを認め、検事の論告に於てもそういう主張も立証もなされていないからである。にもかかわらず、漫然それらの人々に関する曝露記事が公共の利害に関するものでないと認定した原判決には理由の不備、若しくは、雑誌「真相」の発行目的と曝露記事が公共の利害に関するものでないと説明した前後の認定に矛盾の不法がある。

第六点原判決は、刑法第二三〇条の(二)において「事実の真否を判断し、真実なる事の証明ありたるときはこれを罰せず」の「証明」は、被告人から、これをなさねばならないものの如く解釈し被告人等がその真実である事につき、被告人に挙証責任があるものと解釈している。その結果、弁護人の主張した、検察官、又は裁判所が挙証責任を負担するとの見解を採用することが出来ないと説明している。けれども第五点論証のとおり、摘発記事の真実でなかつたということを裁判所が各種の証拠によつて、これを判断している。しかし、その証拠は、決して被告人等及び弁護人等の申出た証拠のみによるものではなかつた。検事の申請、若くは提出の証拠があり裁判所の職権による証拠調べもあるのである。したがつて、摘発記事の真実なりや否やの判断は、裁判所の使命であると同時に裁判所が真実なりや否やを判断する使命を遂行するための証拠調もまた、裁判所の使命としてこれを実行すべきものである。それは、原判決の理由説明中「摘示者が、その事実を真実であると思つたと弁解しただけで、故意の成立を阻却するかどうかについてはさらに見解が分れている。」という説明によつて明白なとおり、「弁護しただけで故意の成立を阻却する」という見解は、被告に真実立証の責任がなく、被告は真実だと思つたと弁解すれば、裁判所がその弁解に基いて事実の真否を判断する使命遂行のため 真実立証の責任を負担し、また検事は、摘発記事の真実でないことを立証する責任を負担することを意味するものである。それは、刑法第二三〇条の二の「証明ありたるときは」の証明は決して被告人らの挙証責任でないという正しい解釈当然の結果である。にもかかわらず、原判決は、「被告人らが、摘発記事の真実であることを立証しないから」と説明して、それぞれの摘発記事は公共の利害に関するものであることを認めながら、被告人らの有罪を暴断している。それは、摘発事実の真実性について、その事実が客観的真実に符することの証明を被告の責任とし、被告人等が真実であつたという弁解をしているにもかかわらず、その弁解にもとずいて、裁判所が、その真否を判断するために自ら証拠調をしない方法である。

弁護人青柳盛雄の控訴趣意

第二点名誉毀損罪は行為者が意識的に虚偽の事実を作り上げて発表した場合、または事実の真偽を良心的に調査もしないで敢えてこれをそのまま発表したばあいに成立する。

本件公訴事実について各被告人らはいずれも何ら意識的に虚偽の事実を作り上げて公表したわけは絶対にない。また、問題とされる記事の真否については被告人中自ら執筆した者は自身現地に赴いて調査を行い編集に参加した者は執筆者についてその調査状況を確かめ、いずれも良心的にその真偽を調査しているのである。しかるに、原判決は漫然と「当裁判所に顕出された全証拠を検討してみるに、被告人らがそれぞれ摘示事実の真実性を信ずるにつき相当の理由を有していたとは到底認めることができない。」といつて被告人らが故意に本件名誉毀損罪を犯したものだとした。しかし、これは実に恐るべき独断であつて、原審記録に現われたいくたの証拠特に各被告人の供述内容を公平に判断するならば、いかに各被告人が善意無過失であつたかは容易に看取できるはずである。すなわち原判決はこの点重大な事実誤認を犯している。

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