東京高等裁判所 昭和27年(く)76号 決定
本件抗告の理由は本決定末尾添附の抗告状中「申立の理由」の部分に記載の通りであるから、これについて判断する。
設楽十一郎が国家地方警察新潟県十日町地区警察署長として同署警備係長警部補五十嵐武雄に命じ昭和二十六年四月頃から、犯罪捜査のため密行用増幅器の一般的使用責任の衝に当らしめたところ、五十嵐警部補は同年一一月上旬頃から中旬頃にかけて数日間新潟県中魚沼郡十日町辰甲二八五番地A方二階六畳間北側の襖近くにマイクロホンを置き、之を階下六畳間の押入れ内の増幅器にコードによつて連結し、之によつて数回にわたり、右襖越しに、その北寄り四畳半の間Bの借用居住せる二階の室内における談話その他の音声を階下押入れ内において秘かに聴取したことが所論の通りであり、同警部補が十日町地区警察署管内たる同地において右の聴取をしたのは、当時警察法に基く援助要求を受けて、犯罪捜査の援助に当つていたためであることは、いずれも記録によつて明白である。またその頃日本共産党が合法政党であつたことは当裁判所に顕著な事実である。
右の事実について、所論は、右聴取行為は結局設楽署長が司法警察職員としての権利を濫用し、同党の合法的政治活動の抑圧に資するため、いわゆる同党八幹部の犯罪捜査に藉口して右居室内の同党関係の談話等を秘聴し、これによつてB等が国民として有する住居、言論、集会、結社等基本的自由権の行使を妨害したことに帰する旨を主張する。
仍つて按ずるに、日本国において、主権は国民に存し、国民の住居、言論、集会、結社及び政治的活動等に関する基本的人権については最大の尊重を必要とすることは所論の通りであるが、同時に日本国民は何人も常に公共の福祉のために此等の基本権を利用すべき責任を負うから、此等基本権の行使は無制限なものでなく、公共の福祉の維持と調和するに必要な限度内にとどまるべき関係にある。而して凡そ犯罪の嫌疑がある場合には、その種類及び被害程度等の如何にかかわらず、その搜査に努むべきは当該司法警察職員の職権並に職務に属し、その搜査の方法に関しては特に強制的処分に渉らず、また法の規制するところに従う限り、その搜査目的の達成に必要な処分をなすを妨げない。従つて此の処分の対象となる者は被疑者本人に限らず、当該事件の真相を探知して搜査目的を達成するに必要な関係に在る第三者も亦これに包含せられるものと解すべきである。
これを本件について見るに、本件聴取の行われた時より相当以前から、いわゆる日本共産党八幹部については団体等規正令違反の嫌疑があるにかかわらず、同人等の所在は久しく不明であり、そのため全国的に捜査手続が進められつつあつたところ、前記Bも同党員であつて、同人方にはCその他若干名の同党関係者が屡々出入して集会することもあり、且つ昭和二六年一一月頃になつてからは、同人等の会談内容等によつては右八幹部の動静等も探知し得る様な情勢も見えたため、当時同方面の犯罪捜査を担当していた五十嵐警部補は、かねて一般的に犯罪捜査用として設楽署長から交付せられていた本件増幅器を使用して、前記の様に聴取するに至つたもので、即ち本件聴取の目的は専ら右八幹部の前記被疑事件に関する搜査に在り、その聴取器の取付け及び使用のためA方に出入するについては同家屋管理者たる同人の承諾を受けたのであるが、同器はBの居室の外側近くに取付けられたにすぎず、之によつて同室内の外観、音響等の利用形態には何等の影響をも来さなかつたことはいずれも記録上明白である。また右聴取が所論の様に日本共産党の合法的政治活動を弾圧する準備に資する目的を以つてなされたものであるとの事跡は記録上これを発見し得ない。而して右聴取器の取付け及び使用は聴取せられるB等に対しては穏密裡になされたものではあるが、却つてそのために、前叙の様に、同人等の居室の内外に亘つてこれを附着せしめて使用したものでもなく、また右取付及び使用については家屋管理者の承諾を得たものであるから、捜査当局は此の聴取を以て敢て強制的処分と謂うに当らないものと考えていたことは記録によつて明白である。かくして右聴取は、右搜査目的を達成するに必要な範囲と限度とにおいて行われた限においては、たといその為に前記B等の所論基本権等の行使に軽度の悪影響が与えられたとしても、それは右聴取行為に必然的に伴う結果であつて、これを目して職権を濫用するものであるとすることはできない。何となれば右の範囲と限度内における聴取は合法的な捜査行為として公共の福祉を図る所以であるから右B等は所論基本権等を右の公共の福祉のために利用すべき責任を有するからである。尤も右聴取の遂行過程において、右の捜査目的の達成には直接資するところのない談話内容等が当該司法警察職員の聴覚に触れることはあり得るが、本件においてかかる事実が実在し、そのために、所論B等が国民として有する住居、言論、集会、結社等の自由に関する基本的人権が脅威又は侵害を受けたとの事実を疑うに足る十分な根拠は記録上存在しない。しかしまた右の様な脅威又は侵害を伴つた聴取事実が本件において絶対に発生しなかつたとの事実はこれを十分に証明し得ない関係にある。従つて若し右秘聴行為に際して右の脅威を伴いその結果所論基本的人権が一般的に侵害せられたことがあるとすれば、それは畢竟職権行使の限度を超えたものとして、その濫用に該当するに外ならないと謂わなければならない。しかし、本件において抗告人が問題としている刑法第百九十三条の職権濫用罪が成立するためには、公務員がその職権を濫用して人をして義務のないことを行わしめ又は行うべき権利を妨害したことを要するところ、本件においては右聴取のため何人も義務のないことを行わしめられた事実はないばかりでなく、又何人も行うべき権利を妨害せられていないことは記録に徴して明瞭である。何となれば、同条にいわゆる行うべき権利を妨害するとは、一定の権利が具体化し、それを現実に行使し得る具体的条件の備わつた場合において、公務員が、その職務執行の具体的条件が備わらないにかかわらず、現実に右の権利行使を妨害することを意味するのであつて、前示B等の基本的人権に抽象的に脅威若くは侵害を与えるにすぎない行為は未だ以て右権利行使の妨害に該当することができないからである。加之右の職権濫用罪が成立するためには、行為者において職権濫用の認識があることを要するところ、本件において右聴取者に右の認識がなかつたことは、右聴取行為の目的について前述したところ並びに記録に徴し明白であるから、たとい右脅威乃至侵害行為が右権利行使の妨害に該当するとしても、本件においては右職権濫用罪は、その主観的構成事実を欠くことのために、成立しないものと謂わなければならない。
故に結局これと同趣旨に出て、右五十嵐警部補をして本件聴取器使用の一般的責任に当らしめた設楽署長に職権濫用罪が成立しないものと認め、その結果右設楽には右聴取に関して右職権濫用罪に該当する所為がある為に、事件を原審の審判に付すべきものとする抗告人の請求を棄却した原決定は正当であり、これに対する本件抗告は理由がない。