東京高等裁判所 昭和27年(ネ)472号 判決
控訴代理人は主文、同旨の判決を、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の供述は、当審において次の点を附述した外、原判決事実摘示と同一につきこれを引用する。
控訴代理人の主張
(一) 控訴人の夫たる訴外武藤良策は横溝松五郎に対し総額金五十九万九千五百円に及ぶ貸金工事代金立替金等の債権を有し、近親の情誼上利息弁済期の確約もせずに経過したところ、昭和二十四年夏頃松五郎は良策に対し本件土地と共に他の家屋四棟及び宅地七十九坪余を一括して譲渡し、債務の決済に充当したき旨申入れてきたので良策はこれを承諾し、同人が松五郎より譲渡を受くべき物件はこれを控訴人の所有とする為、松五郎より直接に控訴人に対し所有権を移転すべき旨の合意が関係者間に成立し、その結果同年十一月十五日附で松五郎より控訴人に宛てた本件土地等の売渡証書(乙第二号証)が作成され、これにより所有権の移転並びに所有権取得登記がなされたのが真相である。
(二) 被控訴人は元来横溝松五郎より本件土地を買受けたものでなく、松五郎と訴外加藤豊治との間の売買につき斡旋仲介をしたにすぎないことは、原審以来控訴人の主張するところであるが、仮に被控訴人が松五郎との契約により自ら本件土地を買得したものとしても、被控訴人は昭和二十一年十月六日更にこれを訴外加藤豊治に売渡し、現在本件土地につき所有権その他実体上の利害関係を有するものでない。それ故被控訴人が本件土地につき依然所有権を有することを前提とする本訴請求は失当である。
(三) 加藤豊治が被控訴人との間における本件土地の売買契約を真実解除したとの被控訴人の主張は否認する。当審における審理の終末段階に至り、突然このような措置がなされたのは、被控訴人の本訴維持の便宜上、加藤と被控訴人とが狎合の上でした虚偽の意思表示にすぎないから無効である。現に当審において本件土地の所有者なりと証言し、且つ地上に邸宅を建設して本件土地を使用しつゝある加藤が、その土地の所有権を喪失する如き不利益の結果を生ずる契約解除を真意に基いてしたものとは、経験則並びに一般常識に照らし到底肯認し難いところである。
被控訴人の主張
(一) 被控訴人と加藤との間の売買契約によつては、被控訴人は完全に本件土地の所有権を喪つたものではなく、買主たる加藤に対する登記手続が完了するまでは、被控訴人は横溝松五郎に対する関係において所有権の主張をなしうべき筋合である。控訴人と加藤との間の契約関係の本旨は、被控訴人が将来取得すべき完全なる所有権の移転を約する予約的効果を生ずるものにすぎない。
(二) しかも本件土地の所有権が売買によつて一旦被控訴人より加藤豊治に移転したものとするも、加藤豊治は被控訴人に対し昭和二十八年九月二十五日付書面を以て同年十月五日までに本件土地に関する所有権移転登記手続をなすべきことを催告すると共に、不履行の場合は本件土地の売買契約を解除する旨の意思表示をなし、その頃右書面は被控訴人に到達したのであるが右催告期間は徒過されたので、売買契約は解除され、その結果被控訴人は再び本件土地の完全な所有権を有するに至つたものである。
<立証省略>
三、理 由
本件において、被控訴人が控訴人と訴外横溝松五郎との間における本件不動産の譲渡並びに所有権移転登記はいずれも両者通謀にかゝる虚偽仮装のものであると主張するに対し、控訴人はこれを否認し、右は控訴人の夫たる訴外武藤良策が松五郎に対して有する多額の貸金工事代金及び立替金債権を決済する方法としてなされた真実の譲渡であり、所有権移転登記も勿論真正であると主張する。そしてこれはもとより本件主要の争点であるが、他面本件不動産の所有権確認並びに所有権移転登記の抹消を求める被控訴人としては、松五郎より控訴人に対する所有権移転行為が仮装であるならば、本件不動産の所有権が被控訴人に帰属し、現にその所有権が被控訴人に存する関係にあることを主張立証しなければならぬこと勿論である。然るに被控訴人の主張によれば、被控訴人は昭和二十一年九月十日横溝松五郎より本件不動産を代金九万円を以て買受けその所有権を取得したというにあるところ、当審証人加藤豊治の証言により成立を認めうる甲第五号証、原審並びに当審における証人加藤豊治の証言及び被控訴本人の供述等によれば、被控訴人はその後同年十月六日訴外加藤豊治との間に代金完済と共に所有権を移転する趣旨の下に本件土地の売買契約を締結し、当時代金全額の授受を了したこと、従つて右売買の当事者はいずれも約旨により本件土地の所有権が当時加藤に移転したことにつき何等の疑念なく、加藤は直ちに登記簿の記載如何にかゝわりなく本件土地の正当なる所有者であるとして所轄官庁に対しその名を以て建物建築許可の申請をなし、住宅を建設所有するに至つたことを認めるに十分である。而して控訴人と横溝松五郎との間の本件土地の譲渡行為が仮装でないとすれば、被控訴人はその所有権取得を以て先に登記を経由した控訴人に対抗し得ない筋合であるが、該譲渡が仮装なりや否やの判断は暫く措き、仮りに被控訴人がその主張の如く横溝より適法に本件土地の所有権を取得したとの前提に立つて見ても、その所有権は被控訴人より転売により加藤豊治に移転し、被控訴人は既にその所有者でないことが前段認定の事実に徴し明白である。被控訴代理人は、被控訴人と加藤との間においては所有権移転登記手続完了に至るまでの間は本件土地の所有権はなお被控訴人の許に残留し、完全に加藤に移転したものではないかの如く主張するけれども、かくの如きは契約当事者の本意に添わざるも甚しく、採用の限りでない。現に買受人たる加藤豊治は勿論のこと、被控訴本人自身も当審において「加藤に売つた代金については全額支払を受けている。従つて私は同人に土地を引渡し、加藤は同所に家を建てゝいるので本件土地は加藤のものと思つている。」と供述している始末である。
被控訴人はまた被控訴人と加藤との右売買契約は、本件訴訟が当審に係属中なる昭和二十八年十月五日限り被控訴人の登記手続懈怠を理由に解除され、本件土地の所有権は完全に被控訴人に復帰したと主張する。而して右加藤が被控訴人に対し同年九月二十五日付内容証明郵便を以て同年十月五日までに本件土地の所有権移転登記をなさざることを条件として、被控訴人との間の売買契約を解除する旨の意思表示をしたことは、成立に争のない甲第八号証によつてこれを認めうるけれども、売買取引後実に七年を経過した後に至り、加藤はいつたい何が故にこのような挙措に出たのであろうか。被控訴人において加藤に対し本件土地の所有権移転登記手続を果し得ない状態にあることは、何も昨今に始つたことでなく、昭和二十一年十月六日の売買当初から引続いて現在に及んでおり、これを催告するも被控訴人の急に応じ得ないことは加藤も十分承知の筈である。加藤は既に本件土地上に住宅を建設所有して敷地を使用している。若し同人が売買契約を解除すれば折角建てた家屋を収去して土地を悉皆被控訴人に返還しなければならない羽目に陥り、多額の損失を招くべきことは余りにも明かである。仮りに売買契約を解除した後、被控訴人から改めて本件土地を賃借しさえすれば該建物をそのまゝ保存しうるものとしても(かゝる手数を重ねること自体極めて無意味且つ不自然な話ではあるが)、右契約解除の時と昭和二十一年十月六日の売買当時とを比較すれば、本件のような大都市近郊における住宅地の市価には一般に格段の相違を生じ、その間地価は殆ど十倍ないし数十倍にまで昂騰していることは世上顕著な事例であるから、契約解除の結果加藤は地価の騰貴による多大の利益をも喪失しなければならないこととなる。要するに右契約の解除により加藤の収めうる利益としては何等見るべきものがないのに反し、その失う所は甚大である。それ故右の不利益をも忍んで今更ら登記手続の遷延を理由に、本件土地の売買契約を解除しなければならない程の実質的の利益若しくは必要の存することにつき、社会常識上十分これを首肯しうるだけの合理的な説明がなされない以上、右解除が加藤の真意に基き真正になされたことは極めて疑わしいものといわなければならない。而して加藤は昭和二十八年七月十三日当審において証人として尋問を受けた際には、自己が本件土地の所有者であると確信する旨を断言しており、それにもかかわらず同人によつてその後間もなく右契約解除が為されているのであつて、この点につき被控訴人は、これ加藤が性短気にして紛糾に巻き込まれる煩わしきを免れるに出たものかと推定する、というのであるか(被控訴代理人提出昭和二十九年四月二十二日付準備書面末尾参照)、如何に短気であるにせよこのような一片の感情だけからして、多年の間登記の遅延を忍んできた加藤にして俄に前示の如き甚大な不利益をも介意せず卒然として契約解除を敢てしたものとは到底認め難い。被控訴人の右主張はその推論の根拠薄弱というべきである。
以上のように考察してくると、加藤豊治がなした売買契約解除の意思表示は、同人において損害こそあれ、何等被控訴人との契約を解除しなければならぬ必要若しくは実益がなく、又その意思も有していないのであるが、唯本件土地の所有権が被控訴人に属せずして加藤に存するものとされる結果、その理由に基き敗訴の判決を受くべきことを恐れる立場にある被控訴人と意思を通じ、恰も真実契約解除をなすが如く作為したにすぎないものと認めるより外はない。されば右解除は虚偽の意思表示にしてもとより法律上無効である。
控訴人と横溝松五郎との間における本件土地の売買が、果してこれを被控訴人主張の如く虚偽仮装のものと一概に断定し去ることができるか否かは別論とし、前示のとおり被控訴本人の供述それ自体に従うも被控訴人は既に本件土地の所有者でないことが明瞭であるから、右所有権に基く本訴確認並びに登記抹消の請求はこの点において失当とし棄却を免れない。
よつて以上とその趣旨を異にし被控訴人の請求を容れた原判決を不当として取消すべきものとし、訴訟費用の負担つき民事訴訟法第八十九条第九十六条に則り、主文の判決をする。
(裁判官 薄根正男 岡崎隆 奥野利一)