東京高等裁判所 昭和27年(行ナ)10号 判決
原告 雪印乳業株式会社
被告 アメリカン・シクル・コンパニー
一、主 文
昭和二十五年審判第九六号事件について、特許庁が昭和二十七年四月十五日にした審決を取り消す。
訴訟費用は、被告の負担とする。
二、事 実
第一請求の趣旨
原告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求めると申し立てた。
第二請求の原因
原告訴訟代理人は、請求の原因として、次のように述べた。
一、原告は登録第三二九七七三号の商標権者であり、被告は、登録第一二一九七一号の商標権及びこれと連合する五件の商標権を有するものであるが、被告は、原告の有する前記登録商標が昭和二十五年政令第九号連合国人商標戦後措置令第七条に該当するものであるとして、昭和二十五年八月二十四日これが登録取消の審判を請求したところ、(昭和二十五年審判第九六号事件)特許庁は、昭和二十七年四月十五日右請求を認め、原告の前記登録商標の登録を取り消す旨の審決をなし、右審決書謄本は、同月十九日原告に送達された。
二、審決は、原告の前記登録商標と、引用にかゝる被告の商標とは、称呼上まぎらわしく誤認または混同を生ずるおそれがあるといつているが、両商標は、はつきりした差異を有するものであつて、その間誤認又は混同を生ずる虞はない。
原告の商標は、「CHICKER」の文字と「チツカー」の文字の二要部から構成されたものであつて、その称呼は「チツカー」に限られている。外国語の普及せる今日と雖も、日本人たる以上、片仮名の読解力ないし普及度に比すれば問題にならず、従つて取引者特に需要者は片仮名に注目するのは当然であつて、何人も「チツカー」と称呼するものである。副次的に欧文字に着目するとしても、わが国における外国語中最も普及しているのは英語であるから、これまた「チツカー」と発音するのが普通である。特に語学に通じた者は独語式に読んで「ヒツケル」或は仏語式に読んで「シケー」と称呼することはあり得るが、審決が認定した「チケル」のような称呼は、何国語によるも絶対に生ずることはない語学上明白な誤読である。すなわち「CHICKER」の「CK」は促音を生ずるが、「チケル」には促音を含まない。また「チケル」の「チ」は英語式、「ケル」は独語式読方で、両国語を勝手に混合したもので、被告が審判において、かゝる称呼の生ずること一度も主張しなかつたことは、この当然の事理を認めていたものである。
これに対し、審決が引用した被告の登録第三一四五九二号商標は、「Chiclets」の文字から構成せられ、英語式に発音すれば「チクレツツ」、独語では「シクレツツ」、仏語では「シクル」の称呼を生ずるが、そのいずれからも、「チクレ」の称呼は生じない。「チクレ」という略称があるかどうかは、本件外の問題たるべきであるが、(その旨の審判における証人の証言は何等の信ぴよう性がなく、また右は、被告会社の商号が、アメリカン、シルク、カンパニーたることに鑑み、「チクレ」ではなく、「シクル」と略称されるのが正確であると信ずる。)たといこれを是認しても、以上各称呼と原告の商標の称呼「チツカー」との間には、何等まぎらわしい点はない。審決が両者を類似するものとしたのは、原告の商標を「チケル」と誤読したが故に外ならない。
三、原告の商標は、元来商品「クラツカー」に使用されているもので、この商品のうちに「チーズ」を混入してあるところから、「チーズ」「クラツカー」の両語の一部を取り「チツカー」の新造語を構成し、これを商標としたものである。一方被告の引用商標は、「チユーイングガム」に使用されているので、両者の商品は同一ではなく、従つて審決のいうように、この点から混同誤認を生ずる虞はない。
四、被告の引用商標を使用した商品は、国内においては、小量小規模に販売されたに過ぎず、しかも当初昭和八、九年当時の輸入にかゝるものは、「ADAMS Chiclets」の商標を使用したもので、単純に「Chiclets」と記載された商標を使用したものではない。また戦時中は全然輸入販売されなかつたものであるから、審決が引用商標は取引者並びに需要者間に広く認識されたものと認定したのは事実に反する。
五、連合国人商標戦後措置令第七条第二項を反対解釈すれば、自然的観察方法により、合理的考察をなすべき旨の訓示規定であるが、審決の論理は全くこれに反し、明かに違法である。
六、審決が、原告の引用した多数の審査例について何等の考慮を払つていないのは、審理不尽である。すくなくとも、戦後指定国人に対して、登録出願、異議の申立、審判の請求等の途が開かれた昭和二十三年九月以後の審査例は、前記政令第七条第二項にいう「従前の例」を以つて目すべきではない。そして(一)の「Vita-Sweet」「Vitafers」既登録商標が存するにかゝわらず、昭和二十六年五月十六日「Vitacimin」が、(二)「Flavon」「Flevia」の既登録商標が存するにかかわらず、同日「Flavol」が、(三)、「BITAPOLIN」の既登録商標が存するにかかわらず同年七月十四日「Metabolin」が、(四)「VALENCIA」の既登録商標が存するにかかわらず同年十月三日「Valentine」が、それぞれ登録されたことに徴すれば、原告の前記商標が、被告の商標と類似するものではないことは、更に明らかだといわなければならない。
第三被告の答弁
被告代理人は、原告の請求を棄却するとの判決を求め、原告主張の請求原因事実に対し、次のように述べた。
一、原告主張の請求原因一の事実は、これを認める。
二、同二以下の主張は、全部之を争う。
原告の登録商標は、「CHICKER」の欧文字の下に「チツカー」の片仮名文字を左横書して構成されているものであるが、英語が一般に普及し、広く使用せられている現今において、本件の商標の指定商品の如き商品の需要者または取引者の間においては、欧文字に先ず注意が注がれ、この部分が商標として取引上重要な意義を有することは、経験則上明かなところである。従つて本件登録商標は、「チツカー」の片仮名文字を有するものではあるけれども、人は先ず欧文字について注目し、それから「チケル」とも称呼せられると認めるのは、決して不自然でない。
原告の商標が「チツカー」と称呼せられることを否認しないが、元来商標の称呼は一に限定すべき理由はなく、その構成の態様によつて、一つの商標から二つ以上の称呼を生ずるものと認定することは、決して不自然ではないから、「チツカー」の外に「チケル」の称呼を生ずるものと認定するのは至当である。原告は、この点につき、原告の商標は、英語、独語または仏語式に発音しても、「チケル」とは呼称できないと主張しているが、問題は取引界における経験則に照し、商標の自然的称呼を如何に認定するかに存し、決して語学上如何に発音するのが妥当なりやに存するのではない。そして商標は、取引界において、決して語学上の正確な発音のとおり称呼せられるものとは限らず、しばしば正常な発音を転訛して称呼し、或は略称するが如きは、むしろ通例とするところである。
他方審決が引用した被告の登録第三一四五九二号商標は、「Chiclets」の欧文字を横書してなるもので、これより「チクレツツ」の称呼を生ずることはもとよりであるが、右商標が取引者間においては、むしろ一般に「チクレ」と略称されていることは、被告が立証し、該証拠に基き、審決が適法に認定しているところである。
して見れば、審決が「チケル」と「チクレツツ」または「チクレ」とを対比し、両者を時と処とを異にして比較する場合、両者は称呼上まことにまぎらわしく、誤認または混同の虞があると判示したのは、まことに相当で、何等違法の点はない。
しかのみならず原告において審決の判断が違法である旨を主張するには、その然る所以を証拠方法によつて立証しなければならないのに、原告の右主張は、何等の証拠方法を伴わない単なる主張であり、かつ取引界の経験則に反するものであるから、到底採択の価値のない主張である。
三、原告が本件の登録商標を商品クラツカーに使用しているかどうかは知らない。しかしながら、前記政令第七条第一項第二号は「登録商標の指定商品」を問題とするのであつて、「登録商標が現実に使用されている商品」を問題としているのでないから、原告の主張は全く採択の価値がない。
四、原告は、被告の引用商標は、周知でないと主張するが、ある商標が国内において広く認識されたものであるとする為には、当該商標が全国的かつ普遍的に認識せられることを必要とするものでなく、当該商標の使用せられる取引者または需要者の間において、相当広い範囲に亘り認識されていれば足る。そして被告の引用商標を附した商品が、戦前においては多数輸入販売せられ、戦後においても国内に輸入せられ、放出物資の一部として、またその他のルートにより一般市場において、公然販売され、周知であつたことは被告が審判において立証したところである。
しかのみならず、商品の販売と商標の周知性との間には、必ずしも不可分の関係があるものではなく、外国において著名な商標等の場合、これを附した商品は全然輸入販売せられていなくても、この商標を附した商品の広告を掲載した刊行物等が、国内に輸入せられ、広く購読されている場合の如き、或は既往においてこの商標を附した商品の輸入販売がなされたにかかわらず、経済状勢の変化その他何等かの理由により、最近においては全然輸入販売がなされないけれども、なお従前の輸入販売当時の記憶が取引者の脳裡に強く残存している場合の如きにあつては、これら商標を以つて、周知の商標と認めるのが至当である。被告の商標を使用する商品が、たとえ戦時中輸入販売がなされず、戦後においても、通常のルートを通ずる大量の輸入販売がなかつたとしても、当該商標が戦前における取引者または需要者の記憶に強く残り、その認識が残存している限り、これを目して、周知商標と認めることは、何等違法の点はない。
五、原告はまた、審決は、前記政令第七条第二項の規定に違反すると主張するが、いかなる点が違反するか全然主張していないばかりでなく、原告の主張自体前後矛盾し、これを解することができない。
六、審決は、原告の引用した多数の審査例についても、「これは本審決をなすにつき影響がないものであるから、その説明を省略する。」と記載し、明かに検討判断しているばかりでなく、仮りに審決がこれに対し考慮を払わなかつたとしても、取消審判の解釈運用に当つては、一切従前の審査例に拘泥せず、世界的に認められる審査規準に従い、公正かつ妥当な解釈を行わなければならない旨を宣言した、同政令第七条第二項の規定の趣旨に鑑み、それは決して審査不尽を以つて論ずべきではない。
第四(立証省略)
三、理 由
一、原告主張の請求原因一の事実は、当事者間に争がない。
二、よつて先ず審決が引用した被告の登録第三一四五九二号商標について見るに、その成立に争のない乙第六号の一、二によれば、同商標は「Chiclets」のローマ字をジヤーマン体で左横書にして構成され、第四十三類チユーイングガム、西洋菓子を指定商品として、昭和十一年十一月十三日登録第一二一九七一号商標の連合商標として登録出願、昭和十四年三月二十三日登録せられたものであることが認められる。そして右商標は普通、わが国においては、後述するように、右文字の英語風の発音による「チツクレツツ」の称呼を有するものと解せられるが、なお、右商標が一般に「チクレ」と略称せられ、従つて「チクレ」の称呼をも有するものであることは、審決が適法な証拠によつて認定しているところである。
三、次いで原告の登録第三二九七七三号商標について見るに、その成立に争のない甲第一号証によれば、同商標は「CHICKER」のローマ字を普通の書体で左横書にし、その下部に、「チツカー」の片仮名文字を活字体で、右ローマ字とほゞ同じ位の大きさで、これと並べて左横書にして構成され、第四十三類菓子及び麺麭の類を指定商品として、昭和十二年七月十七日登録出願、昭和十五年四月二十二日登録せられたものであることが認められる。
商標がローマ字等外国の文字で構成されている場合、現在わが国における外国語使用の実情に鑑れば、その文字がはつきり英語以外の言葉であつたり、またはその商標を使用した商品の取引者、需要者の間で、英語以外の言葉が慣用されているような特殊な場合を除いては、その商標は、一応その文字の普通の英語風の発音による称呼を有するものと解するを相当とする。また商標中外国の文字と並べて、わが国字である片仮名が記載せられ、その片仮名が、その文字の普通の英語風の発音をそのまゝに表現したものである場合にはわが国における一般の取引者需要者は極めて例外の場合を除き、その片仮名の称呼によつて、これを発音するものと解するを相当とする。以上の見地に立つて、原告の商標を見れば、右は「CHICKER」の普通の英語風の発音であり、かつ、これと並記された仮名文字「チツカー」の称呼を有するものと解せられる。もとより右ローマ字を英語風に発音する場合「チツカー」以外の発音もあり得るであろうし、また英語風以外に発音する人もあるであらうが、前述の理由によつて、それは極めて例外的な場合、特殊な人々であらうからたとい右ローマ字が、審決のいうように、「チケル」と呼ばれ、また「チツカー」以外に発音されることがあり得るにしても、それは通常の取引において、顧客及び商標権者を商品の誤認混同から生ずる危険から守らうとする商標の類否の判断においては、しばらく考慮の外におくべきものと解せられる。
四、よつて原告の登録商標の称呼「チツカー」と被告の商標の称呼「チツクレツツ」または「チクレ」とを対比して見るに、両者の発音から受ける印象は、たといこれをいわゆる離隔的に考察しても、誤認若しくは混同を生ぜしめるおそれがあるほどに、類似したものとは解されない。
なお右両商標は、さきに認定したような構成を有するものであるから、外観上類似しているものとも認められないし、また観念を共通にするものとも解されない。
して見れば、原告の登録商標について、連合国人商標戦後措置令第七条第一項第一号前段を適用した審決は、この点において違法であつて、その余の争点に対する判断をなすまでもなく、取消を免れない。
よつて訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決した。
(裁判官 小堀保 原増司 鈴木勇)