東京高等裁判所 昭和28年(う)1578号 判決 1953年7月14日
控訴人 被告人 井上清之進
検察官 中条義英
主文
本件控訴を棄却する。
当審の訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は末尾添附の被告人名義の控訴趣意書と題する書面記載のとおりである。
これに対して次のように判断する。
論旨第一点に対して
原判決挙示の証拠によれば、原判示事実特に被告人がその所有の自動三輪車(幅員一、一五米)を運転して原判示の日時場所で原判示黒沢登美夫(又は深谷晴寿)の運転する醤油詰の樽を満載した自動三輪車を追越そうとした際における前車の道路(幅員六、三米)上の位置は右側に二、二米、左側に二、八米の間隙があつて、その道路上には本件の両車の外附近に車馬の往来等交通の妨げとなるものなく、幅員一、一五米の被告人の車であれば裕に前車の右側を追越し得たこと、而も前車は被告人運転の後者の警笛を聞いて左の方によつたのを後車が更にその左側を追越したものであること、前車の助手が左側車外に頭を出して後を振向いたことはあるが、それは後者の接近を知り不安定な積荷の安否を気遣う為の措置であつて左側追越承認の合図に該当するような方法を示していないことを認めるに十分であり、従つて前者の左側を通行追越すべき止むを得ない場合に該当するものということはできない。所論に徴し記録を精査するも所論の様な左側追越の止むを得ない事情を認め得ない。
原判決には所論の事実誤認は存しない。
証拠の取捨判断を非議する所論は本件には当らない。
論旨は理由がない。
論旨第二点に対して
道路交通取締令第二二条第一項は後車が前車を追い越そうとするときは止むを得ない場合の外後車は前車の右側を通行しなければならないと規定しており、右は道路における危険防止及び交通の安全を図ることを目的として定められているものであるから、前車の左側通行による追越は止むを得ない場合のみに許されるものであつて、然らざる限りは運転者の自由な処分によつて左側追越が許されるものではない。而して本件が右の止むを得ない場合にあたらないことは論旨第一点において詳論した通りであるから、仮に被告人が前車の助手が左側車外に頭を出して後に振向いた所為を所論のようにその左側追越承認の合図であると誤信したとしても、本件左側通行による追越が法令上許された行為となるものではなく、従つて之に対する刑事責任を免れ得るものではない。原判決には所論のような法令適用の誤りは存しない。論旨は理由がない。
(その他の判決理由は省略する。)
(裁判長判事 久礼田益喜 判事 武田軍治 判事 江里口清雄)
控訴趣意
第一点原判決は事実の誤認があり判決の結果について影響を及ぼすものと思いますから御審議の上無罪の判決あらんことを御願いたします。その理由を左に申述べます。
一 私は昭和二十八年二月六日水戸地方裁判所において道路交通取締令違反として有罪の判決を受けましたが私には全然この違反に問わるべき責任はないと思います。
二 原判決に於いては罪となるべき事実として「被告人は自動車運転者なるところ昭和二十五年十一月十二日午後一時二十分頃自己所有の自動三輪車(幅員一、一五米)の荷台に井上作之介を同乗せしめ那珂郡石神村大字外宿地内幅員約六、三米位の六号国道を南から北に向け時速三十粁で運転進行中同道路前方約五百米の地点を同方面に黒沢登美夫(又は深谷晴寿)が漿油を詰めた樽を満載した自動三輪車(幅員一、三米)を運転し道路の中央より稍右寄りに進行してゆくのを発見しこれを追越そうとしたのであるが同車の右側には道路上約二、二米幅の間隙があり、その周囲には運転の妨となるべきものがなかつたので当然右側追越をしなければならなかつたに拘らず警音器を吹鳴し注意を喚起したのみで前者から左側追越承認に該当する合図を受けることなしにその左側に進入してこれを追越したものである」と認定されていますが前車から左側追越に該当する「合図を受けることなし」にその左側進入追越したものでない点を左に申上げます。
一 私は昭和二十五年十一月十二日水戸市より帰宅の途中空自動三輪車の荷台へ助手井上作之介を乗車せしめ時速三十粁の速度で運転進行中茨城県那珂郡石神村地内国道に於て前方に荷物(醤油を詰めた樽及び醤油粕)を満載した茨城県那珂郡前渡村深谷晴寿(無免許者)の運転し同方面に進行する自動三輪車を認めその速度は稍遅いのでその距離が接近するや追越を決意し警笛を吹鳴し乍ら迫つたが何故か前車は益々道路右側に寄り進行するので尚警笛を鳴らしその後方十米位を追随前車の行動を注視しつつ進行中前車の助手席に乗車して居た黒沢登美夫(運転者)が左側より後方に顔を向け私の方を見乍ら数回前後に振向き追越承認を合図したので、その時の状況は道路左側の道幅は相当ありて前方に何物の障害物なく追越も前車との間隔裕に三、四尺あつて交通の安全を期するに十分であり、それに反して右側は僅かに一米半程度で道路に余裕がなく(車輪幅一、一五米)危険で追越すことが出来ない。私は前車は積荷の重量等の関係から左側に寄ることができないためかくすると認め左側追越は止むを得ず且つ交通の安全を期し得られると、確信して前者との間隔約四尺位の位置を保ちつつ何等の支障なく無事に安全に追越したのであります。
前記の様に私は警笛を吹鳴すると前車が益々道路の右側に寄り且つ左側追越が最も交通の安全を期し得られると認められる状況なるのみならず助手席にいた黒沢登美夫が追越承認の合図をしたので止むを得ざる場合と認めたのでありまして黒沢登美夫が追越承認の合図をしなかつたらその時の状況は如何様であつても私は絶対に左側追越は致しませんでした。黒沢登美夫はあれ程明瞭に追越合図をしたに拘らず後になつて「あれは深谷が荷を見る様な風をして後方に振向いたのであつて追越承認の合図ではない」如く証言しその場のがれの口述をして居り全く無責任も甚しいと言わなければならない。
尚私は此処に是非共御考察を載きたいことは証人黒沢登美夫の供述が信用措けない点であります。それは黒沢登美夫は助手席に居り深谷晴寿が運転台に居て運転していた事実を「自分は運転台で運転して居り深谷は助手台に居た」と主張して居る点であります。原判決でも認められている通り黒沢登美夫が助手席に居て後方に振向いていることは確実で即ち追越承認の合図をしたことも私が確認しています。然るに拘らず黒沢は前記の様に「あれは深谷は荷を見る様な風をして振向いたので追越承認の合図ではない」と否定しているが現実は助手席に居乍ら運転台で運転していたと虚偽の主張をなし反面助手席より追越承認合図をしたことを否定するは矛盾も甚だしく遺憾とする処であります。
斯様に私は決して慢然と業務上の注意を怠り警笛を鳴した丈けで追越をしたのではありません。その時の状況は交通の安全を期し得られ且つ立派に追越の合図があつたので止むを得ず左側追越をしたのであります。仮りに黒沢の後方に左側より振り向きこれを数回繰り返したことが荷物の安定を見るためであつたとしても後方より警笛を吹鳴し而かも後車が自己の車輌に迫つていて追越の行動に移らんとする事態が迫つて居る際黒沢の後方を振り向き左側より顔を後より前に数回振向く行為は何人もこれを左側を追越せとの合図であると信ずべき状況にあつたもので追越合図無視の犯意は全く存していなかつたのであります。然るにこれをして私が責任を負わねばならぬとするならば誠に矛盾も甚しいと存ずる次第であります。斯くの如き次第でこれで私が交通違反に問われるのは返す返すも残念でなりませんから何卒事実を御究明の上無罪の判決を下さる様切望いたします。
第二点原判決は法令の適用に誤りがありその誤りは判決に影響を及ぼすものと考えますから御審議の上無罪の判決あらむことを御願い致します。その理由を左に申述べます。
一 私は昭和二十八年二月六日水戸地方裁判所において道路交通取締令違反として有罪の判決を受けましたが前記控訴理由第一点に申上げた通り私は原判決は事実の誤認があつたと確信致していますが、一歩を譲り判決書本件の証拠に『追越の際における前車の右側に二、二米(私は一米半位と確認)左側に二、八米(私は前車より三、四尺の間隔を保つて裕に追越せる道幅と確認)の道幅を有し而も該道路上に両車の附近に車馬の往来なく交通の妨げとなるものなく、裕に前車の右側を追越し得た(私はあの際は右側は危険で絶対追越せぬと確認)前車の助手が車外に頭を出して後を振向いて見た事は後車の接近を知り不安定な積荷の安否を気遣つたのであつて、左側追越承認の合図に該当するような方法は全然示しておらない(私は助手席の黒沢が左側より後方に顔を向け私を見乍ら数回前後に振向き追越承認合図をした事実を確認)』と記載の通りであると致しましても私は「カッコ」内に記載の通り道路交通取締令第二十二条所定の止むを得ざる場合と認め何等の支障なく安全に追越したのであつて例え「カッコ」内の確認が私の過失であつたとしても同令には過失に対する処罰規定がないから犯罪は構成しない。
昭和二十八年一月十二日水戸地方裁判所本件公判廷における松野弁護人弁論を援用致します。
(その他の控訴趣意は省略する。)