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東京高等裁判所 昭和28年(う)1733号 判決

被告人は原審公判廷に於て「鹿地亘こと瀬口貢と密接な連繋があり、被告人がその自宅に装置した無線設備により送信したのも右瀬口から交付された暗号電文に基く」旨供述しているに対し、瀬口貢は国会に於て証人として宣誓の上供述するところは被告人の供述と全く違つており、殊に瀬口は被告人との一切の連絡を否定していること、原審に於て右供述の相違にも拘らず、瀬口貢を証人として取調をしていないばかりでなく、又被告人と連絡交渉があつた旨被告人が述べているソ連関係者や、米軍GIC係員等も原審で喚問しなかつたこと、被告人の発信した電波が一度として日本官憲により傍受された事実のないこと及び瀬口貢が山下義雄の名前で被告人に宛てた葉書が、搜査官の不注意により、紛失してその原本を原審公判廷に提出し得なかつたことは所論のとおりである。しかし所論も認めているように、被告人の供述が任意にされたものであることについて疑惑を抱かしめる点は存在しないのみならず、この被告人の任意な供述が強い真実性を持つものであること原判決引用に係る数多の補強証拠の示すとおりである。即ち、被告人の開設した無線局の装置は分解されて了つたが、その部分品はそのまま押収され、原審に証拠として提出されているし、(昭和二八年押第五一七号の一乃至二七)その中のあるものはその製作された所を表示する記号が塗りつぶされて判らなくなつていることからもそれが秘密を要する通信に利用されていたと認められ、しかも、被告人程度の無線工学上の技能を有する人物が、右無線局装置を用いるときは、相当遠距離まで連絡交信し得たものと推認され、従つてこの点に関する被告人の供述が架空のものでないことを立証し得るのである又前記無線局装置から発せられる電波は、被告人の採用した通信方法によると、発信地即ち東京都練馬区豊玉上二丁目一九番地高岡登き代方又は同都北多摩郡保谷町下保谷二三八番地にかなり接近した地域(一〇キロ以内)で特殊の機械を用いないと、日本国内では傍受できない性質のものであつたから、これを傍受し得る機会は著しく制限されていること明らかであり、それ故被告人が発信した電波が一度として日本官憲によつて傍受されなかつたということ、少くともこれを傍受した旨本件に於て立証し得なかつたことは無理からぬものがあると認められると共に、被告人の供述するのと省略一致する日時に、地球上の何処からか判らないが、被告人の供述に符合した波長の電波が被告人の供述するとおりのコールサインを連呼していた事実が存し、この電波が日本国内で傍受されているのであるから、この事も亦被告人がその供述したように海外と送受信したことを推測せしめるに足りるものというべくこの事実も本件の傍証とされているのである。なおその上、被告人の供述の真実性を示す主要なものを例示すると、被告人が鹿地亘こと瀬口貢から交付された無線の送受信プログラム(前押号の二八乃至三〇)や、文書をかくして持ち帰るため同人から受け取つた布製人形(同押号の三六)及び被告人が送信した暗号文書の写(同押号の六八、七一、七三、八六、九六、一二三)等が存在するし、その他昭和二十六年三月頃東京都北多摩郡保谷町下保谷一一〇八番地先墓地内に偶然一都民が発見した小型無線機が本件の証拠となつているところ、この事実は被告人とその頃連絡していたソ連人某が被告人に交付するため、無線機を前記墓地内に埋めておいた旨の被告人の自供とも一致するのである。又山下義雄名義の被告人に宛てた速達の葉書について、原本は紛失したけれど、その写真が撮影されて証拠に提出されているし、その速達が郵政当局に受付けられ被告人の勤務先である東京都文京区指ケ谷町帝国電波株式会社に配置された日時も確認し得るのみならず、その筆蹟と瀬口貢の筆蹟と同一かどうかについて鑑定書も作成され、本件の証拠とされているものである。このように見てくると、以上例示した証拠だけでなく、原判決挙示の全証拠を綜合することにより被告人の供述中本件電波法違反の事実に関する部分は真実を述べたものであることが明確に立証されたものというべく且つこれらの証拠によつて、原判示のとおり被告人が昭和二十四年四月頃より昭和二十七年十二月二日頃までの間、数十回にわたり、東京都練馬区豊玉上二丁目一九番地高岡登き代方並びに同都北多摩郡保谷町下保谷二三八番地被告人自宅に於て、所定の免許を受けないで無線局を開設し、周波数三、三〇〇キロサイクル乃至八、五〇〇キロサイクルの電磁波を利用して送受信した事実を確認できるから、原判決には所論の如き事実誤認はないし原審が瀬口貢その他被告人と連絡交渉のあつた人物を証人として喚問する必要を認めなかつたのも当然の事というべく弁護人もこの点原審に於て一旦証人の取調を請求し、瀬口貢のみ許可されたが、その後右証人申請を全部撤回していること記録上明白であるから、所論の点について証人を取調べなかつたことが理由不備を来すとも考えられない。それ故論旨はすべて理由がない。

論旨第二点について。

(ロ) 論旨は、本件被告人の所為は、在日米軍当局の命令に基く正当行為で違法性がない旨主張する。しかしこの点記録を精査するに、被告人はシベリヤ抑留中ソ連機関から、被告人の帰国後ソ連代表部とソ連本国との無線通信連絡を為すべく要請を受け、帰国の方便として之を承諾誓約し、その後数カ月間モスクワ近郊に於て無線通信技術の訓練を受けていたこと、昭和二十二年十二月三日舞鶴に上陸した被告人は直ちにソ連機関から指示されていたとおり同月十七日上野公園内所定の場所にめじるしを記入して連絡を策し、遂に昭和二十三年四月十七日ソ連人某と連絡することができ、爾後屡々同人等と会合し、毎月相当額の資金を支給されていたこと及び昭和二十四年一月初旬CIC係員から抑留中の静動を尋ねられ、ソ連人との前記連絡状況を供述したところ、該係員より今後米軍のためソ連との連絡状況や通信内容を報告するようすすめられたので、被告人としては舞鶴上陸後相当期間まのあたり国内諸情勢を目撃し、抑留中の認識を改めていた際でもあつたから任意CIC係員の勧誘に応じ之に協力する決意をし、その後はかかる事情の変化したのを知らないソ連人外数名と、東京都内に於て、屡々街頭連絡等を為し、その都度CIC当局にその情報を寄せ、米軍当局からも月々資金を受けとつてきたことを認められると共に、被告人に対し協力を求めたCIC係員の言動から見ても、その雰囲気からしても、被告人を威圧したり、被告人に畏怖心を抱かしめるような性質のものとは認められず、被告人が米軍に協力すると否とは全くその自由意思に委ねられていたことが窺い得られるのである。なるほど原審第五回公判廷に於て、被告人はCIC係員に対し電波法違反に問はれることがないかと質したところ、右係員から、こちらの命令によつて米軍の許可の下にやる通信であるから差支はないとの話があり、被告人としては米軍の方で許可してやらせる通信であるから、警察や電波管理委員から、違反に問はれる心配はないと了解していた旨述べている。しかし同じく第八回公判廷に於ては当時の模様について、CIC係員から今後どうするかと問はれ、自分からどうしてよいか相談をもちかけた有様で、その場の空気は、それ程固苦しいものではなかつたので被告人としては意思強制の下に命令を受けたというより、寧ろ私の方から協力するという気持でいた。係員の右申入を拒否できたか否かは拒否しなかつたから不明であるが、その場の空気からすれば拒否し得ないこともないと思はれ、決して膝詰談判式のものでなかつた旨述べ、又検察官に対して(昭和二十七年十二月二十七日附供述調書参照)CIC係員から取調を受けた際、法律に触れないかと心配になり、電波監視にかかり、問題にならないかと尋ねると、問題になれば、こちらの命令でやつているのであるから、心配するなと言はれ、若し問題になつたら、アメリカ側が何とかもみ消してくれるだろうと考えた旨述べているのである。そこで考えてみるに、終戦後講和条約発効に至るまで、我国は連合国軍隊の占領するところとなり、連合国の委任を受けた連合国最高司令官の支配下に置かれていたわけであるが、ここに云う連合国とはアメリカ合衆国のみでなく、ソ連も亦これを構成する有力な一国であつたこと云うまでもないし、連合国最高司令官は代々アメリカ合衆国軍人であり、アメリカ合衆国軍隊が連合国軍隊の主力を形成していたとはいえ右合衆国軍隊のみが連合国占領軍であつたわけでもなく最高司令官の権能といえども、すべて連合国の委任に基くものである。それ故本件に於て被告人が述べているように、CIC係員のいわゆる命令といつても、その内容は、表面上ソ連に対する誓約に忠誠なるが如く装いながら、その実これを裏切り、却つてアメリカ合衆国のみの利益を擁護せんとするものであつて、アメリカ合衆国には有利でもソ連にとつては著るしく不利益なものであること明白であるから、それがCIC係員から発せられた連合国最高司令官の権能に淵源する適法な命令とは解し得られない。従つて被告人がこれに拘束され、ソ連に対する背信行為を継続することを正当化するものとはいえないこと明らかであるし、況んや、被告人が右係員の説得に応じたことが本件行為の違法性を阻却し、日本国法によつて処罰し得ないものとすることはできないのである。この事は次の事実からもこれを窺うことができる。即ち被告人はシベリヤ抑留中の誓約が単に帰国のための方便に過ぎないとし、これに拘束されるわけがないことが判つていたに拘らず、舞鶴上陸後旬日を出ない中に進んで所定の場所にソ連側との連絡を求めていつたこと前認定のとおりであるから、帝国電波株式会社々員として電波法関係の若干の知識もあり、且つモスクワ郊外に於て無電通信技術の訓練を受けてきた被告人としては、ソ連側との秘密連絡がつきそれが進展すれば、好むと好まざるとに拘らず、嘗て抑留中誓約したとおり、秘密の通信に従事せざるを得ないようになる事を予想し得た筈であり、かく予想しながらしかもなお敢て右のような行動に出たわけであるから、たとえCIC係員の取調を受けるようなことがなくても、被告人には既に電波法違反の犯意が存していたと認められる。それ故CIC係員としては、被告人に対し、積極的に電波法違反行為に出ることを命令する必要は少しもなかつたのであり、被告人の置かれた特殊の地位をアメリカ軍のために利用するには、被告人に対し、ソ連との連絡状況の報告を得るようその協力を勧説し、これと共に被告人の所為が米軍によつて禁止されず、却つて被告人の協力さえ得られるなら ソ連に対し忠実を装いつつその連絡通信を米軍に報告することが米軍の利益に合致することを明らかにすれば足りるのである。而して被告人の協力を求めるため、被告人の所為が発覚した場合に米軍に於て被告人を庇護することを示唆しただけの事で、被告人の所為が日本国法に触れるか否かは該係員の関心の外にあつたものといわなければならない。このように見ていくと、被告人は米軍係員の職務上の命令に従つたものではなく、たかだかその個人的な勧説又は説得に応じただけの事であると認められるのみならず、前認定のとおり被告人が講和条約発効後も依然として、本件違反行為を続けていた点からみても、所論のような適式な命令に基く所為とは認められない。原判決も結局これと同趣旨で弁護人の違法性がないとの主張を排斥したものであつて所論の違法は認められないから論旨は理由がない。

論旨第三点について。

(ハ) 所論は、被告人の所為は、これを行わなければ、生命に危険の及ぶ事情の下に行われたものであり、期待可能性がないと主張する。しかし前論旨について説明した通り、被告人はシベリヤ抑留中の誓約が拘束力をもたない事を自覚しながら、所定の方式によつて、進んでソ連側との連絡を追及していつたものであり、これをしなければ被告人の生命に危険が及ぶような緊迫した情勢が存在したことは認められず、被告人もただ被告人の住居が探知されると思い日本の警察力に信を措けないと述べているのみである。しかし、被告人の住居が探知され、その誓約に反した点を責められたとしても、それは被告人が誓約のとおり通信連絡に当らなかつたというだけの事で、被告人がソ連当局を裏切り、うわべは忠実を装いながら、之に対する背信行為に出た事実に比すれば、前者は物の数でもなく、それが直ちに被告人の生命に危険を招くとは到底認められない。又被告人がCIC係員の説得に応じたのも、被告人が帰国後国内情勢を目撃し抑留中の認識を改めたからであること既に前論旨に説明したとおりで、これも亦所論のような危険の逼迫したことを認めるに足る証拠は存しないのである。論旨はその理由がない。

弁護人の控訴趣意

第一点 原判決の被告人が所定の免許を受けないで無線局を開設し之を運用した旨の認定は事実誤認若しくは証拠不備の違法がある。

一、原判決は「被告人はソ連抑留中の誓約に基きソ連人某と会合連絡していたが昭和二十四年一月初旬頃CIC係員の取調を受けるに及び右連絡を自供し、其後は米軍に協力してソ連人等との連絡及びソ連本国との通信状況を報告すべきことを約し、昭和二十四年四月頃より昭和二十七年十二月二日迄の間数十回にわたり高岡登き代方並びに被告人自宅に於て、所定の免許を受けないで無線局を開設し、周波数三、三〇〇キロサイクル乃至八、五〇〇キロサイクルの電磁波を利用し、以て之を運用した」旨の事実を認定し、被告人を懲役四月に処した。

右認定事実につき被告人は原審法廷に於てそれと同趣旨の供述をしているがその供述が任意の意思に出たものであつて、その内容が真実であろうことは推測するに難くない。

然しながら被告人の供述によつて明らかにせられた事実の内容はまことに驚くべきものであつて、果してそのような事実があつたものか、果して真実のものであるかは尚疑問視せられ、世上一部よりは被告人の自供は全く虚構のものであると考へられているのである。

二、被告人は原審法廷に於て、ソ連人等と諜報の内容を米軍に通報していたことを明らかにしたのであるが、本件につき昭和二十七年十二月十日国警都本部に自首した際被告人は「私は米軍による鹿地氏逮捕の真相を明かにする為に自首したものである」と述べて、先に米軍に逮捕抑留せられていた鹿地亘氏はソ連の諜報報員であつた事実を明かにした。斯の如く被告人の自首は鹿地氏抑留の正当性を立証することを主たる目的としてなされたものであつて、本件は所謂鹿地事件と切離して理解することはできないのである。

然るに本件に関する被告人と鹿地氏の主張は完全に相反し、鹿地氏は新聞、雑誌等を通じて被告人とは全く面識なきこと、且被告人の云う如き諜報活動をしたことはない旨を公表し、多くの知名の士が鹿地氏の主張を信じ、擁護しているのであつて、果していづれの主張に信を措くべきかはにわかに断定でき得ない状態である。

三、単に被告人と鹿地氏の主張が一致しない許りでなく、原審の審理によれば、(イ)被告人がソ連本国に発信したと云う電波は一度も電波監視員に傍受されておらず(船野四五六氏証言)(ロ)又鹿地氏(山下義雄名義)より被告人(宛名は光橋)に宛てたという葉書の原本は搜査官の不注意により紛失したとされているのであつて(永井正之氏証言)被告人の自供があるにも拘らず、或は被告人に発信の事実がないのではないか或は被告人の云う如き葉書は当初から存在しなかつたのではないかとも疑へば疑う余地が残されている。

更に被告人は本件について、(イ)ソ連抑留中の誓約に基いてソ連人及び日本人と街頭連絡をしてその指令を受け、(ロ)右指令に基いて電波を利用して送受信し、(ハ)且米軍CICに対してもその命令により連絡並に通信の状況を通報した旨を述べているのであるが、之等の点に関する関係者は一人も法廷に喚問されず(帰国者、死亡者は止むを得ないとしても)果してそのような命令指令があつたかと云う点についても、直接被告人の供述を裏づける証拠を欠いている。

右の如く本件に於ては被告人の供述は一応その信憑性を認められながらも尚疑問の余地が残され、若し被告人の供述が虚構のものなりとせんか、本件は根底から覆らざるを得ないのである。

四、固より原判決は単に被告人の自白のみによつて前掲事実を認定したものではなく、幾多の人的、物的証拠を検討し之によつて被告人の供述の信用し得べきことを認め、之等の証拠を綜合して事実の認定をしているのであるが、之等原判決挙示の証拠は個々に之を見ればいずれも断片的なもので、被告人の供述を完全に裏づけ得るものではない例へば(イ)被告人の妻三橋和子の「夜眼が覚めた時二度許り夫が機械を操作しているのを見たことがあるが、送信していたとも受信していたとも判らない記憶によると音がしていたから打電していたものと思う」旨の証言、(ロ)倉地重雄氏の「本件証拠品の無電機で夜間は相当遠方迄通信連結出来得たと推定し得る、尚本無電機は全体的に見てアメリカ製と云うよりヨーロツパ製の臭が強い」等の証言を採上げて考へてみても、之が被告人の行為を決定づけるものとは考へ難い。

右の如く証人の供述にせよ、押収の証拠品にせよ、被告人の自供と相俟つて始めて被告人が如何なる行為をなしたかが明かになされるのであつて、若し被告人の供述が真実のものでないとしたならば、如何に之等の証拠を綜合勘案しても原判決の如き事実を認定することは不可能であろう。真に被告人の供述を明白に裏づける為には、関係ソ連人、日本人、米軍CIC係員が喚問されねばならない、仮に之等の者の供述が被告人の供述と一致しなくても、尚且裁判官が被告人の供述を真実なりと認めて前記認定をしたものであれば、之によつて世上並に弁護人等の疑惑を一掃し得たであろう。然るに原審に於ては之等関係者について何等取調をせず、その証言、供述を得ずして結審、判決をしているのであつて、単に形式的な電波法違反の事実を問題とするならば格別、被告人の諜報活動の面に迄立入つて審理する以上は、之等の取調なくしては原審が本件につき審理を尽くしたものと云うことはできないのである。

五、右の如く被告人の供述に全面的の信頼を寄せ得ず、若し被告人の自白なきものとすれば事実の認定をなし得ない本件にあつては、仮令被告人の自白があつても尚証拠不充分として無罪の言渡が為さるべきである、然るに原判決が被告人の自白に基き前掲認定をなして有罪判決を言渡したのは明かに事実誤認若しくは証拠不備の違法あるものと言わねばならぬ。

第二点 原判決が本件は在日米軍当局の命令に基く正当行為であつて違法性なき旨の弁護人の主張を容れなかつたのは事実誤認若しくは擬律錯誤の違法がある。

一、被告人は原審法廷に於て「終戦後ソ連に抑留せられ、マルシヤンスク収容所を経てモスクワ収容所に移監され、同地に於て通信教育を受け、其後ハバロフスク、ナホトカを経て内地に帰還したが、ソ連抑留中ソ連機関より帰国後ソ連代表部とソ連本国との無線通信連絡をなすべきことを要請せられ、帰国の為には止むを得ないとして右の連絡、通信をなすことを誓約し、帰国後右誓約に基いてソ連人と会合、連絡をする中、帰国後の内地の実情を見、米軍側の紳士的、友好的な対日態度に触れるに及び、今後の日本の発展は米国の支援なくしてはあり得ないと考へ、いづれは自己の行動も清算しなければならないと考へていた処、偶々昭和二十四年一月初旬頃米軍CICよりソ連抑留中の事情を尋ねられ、それ迄のソ連側との連絡状況を自供し、今後は米軍の為にソ連との連絡、通信状況を報告することを約し、爾来之を実行し来つた」旨並びに「ソ連との通信は米軍の許可のもとに行うもので、一種の軍事通信であつて、日本の法律には触れないと思つた」旨を述べている。(被告人の第五回公判廷に於ける供述)

二、右の如く被告人はソ連に対する送受信は米軍の命令に基き米軍の許可を得て米軍の機関として行うものであるから正当な行為であり、日本の法令に反するものではないと考へていた旨を述べているのであるが、此の点につき原判決は、「斯る命令のあつたことは本件に現われた全証拠によるも之を認めることができない。むしろ本件は被告人の米軍に協力せんとの意思によりなされたものであること前認定の如くであるから、かかる命令のあつたことを前提とする弁護人の主張は爾余の判断をまつまでもなく理由がないから採用することができない」と述べて、本件は被告人の自由意思に基くもので、米軍の命令に基くものでないから正当な行為ではないとしているのである。

三、成程本件に於て被告人が米軍の命令によつて本件を行つたという点については被告人の供述以外には之を認むべき証拠はない。原審に於て検察官は「当時最高司令官は日本政府に対し命令を下し、政府をして代行せしめると云う間接管理の占領形式をとつていたものであつて、被告人の云う命令も権威ある在日米軍の正式命令であつたとは考へられない」と云う意見を述べているが被告人に対し斯る正式命令が出ていたか否かについては当時の米軍CICに出入し、継続的にソ連との通報状況を報告し、而も毎月固定的に月額一万円乃至二万円の報酬を受領していた事実、並びに米軍の指示に基いて本件の自首をした事実等を綜合すれば、米軍と被告人間に命令服従の関係が厳存していたであろう事情は容易に之を窺ひ得るところである。又被告人の依頼せられた事柄が一般行政事務と異なり、軍事々務の中でも最も機密を要する諜報事務である点より考へれば被告人に対し正式命令が出ていないという事実は、被告人が米軍の命令に基き、米軍の機関として活動した事実を妨げるものではない。

四、原判決は本件行為は被告人の自由意思に出たものであることを強調しているが被告人に対する要請は実質的には命令を意味するものであつて、原判決の認定は明かに事実を誤認せるものである、被告人はCIC係員より取調を受け、米軍に協力を約した事情について「今後どうするつもりかと質問されたので何うしたらよいか此方から相談したいのですと云うと二世の人が、今直ちにソ連側と連絡を切ることは難しいだろう。今後も従来通りソ連側と連絡をし、其の都度此方へ報告をしろと云つた」と述べている。(第五回公判廷に於ける被告人の供述)之に依れば被告人は米軍CICの二世より口頭で要請を受けたと考へられるのであるが、当時既にCIC係員に対しソ連との連絡を自供した被告人が 此の要請を拒否することは到底不可能であつて、若し被告人が之を拒否した場合に何如なる処分を受けたであろうかは鹿地氏、佐々木克己氏の例をひくまでもなく容易に推測されるところである、原判決の認定は斯る実情を無視した空論であると云わざるを得ない。

尤も被告人は「その時の係員の態度は強圧的なものではなく、拒めば拒み得るものであつた」と述べているが(被告人の第八回公判廷に於ける供述)之は被告人が自己の庇護者であり、又将来も保護を受けねばならぬ米軍の立場を顧慮しての発言であると見るべく言葉通りに之を受取ることは危険であつて、矢張実質的には命令があつたものと見なければならない。

五、尚仮に被告人が原判決の認定せる如く自己の自由意思に基いて本件行為を行つたものであるとしても、そのことは被告人が米軍の一機関として行動した事実を妨げるものでないことは勿論である。

六、右の如く被告人は占領軍の命令に基き米軍の機関として本件行為を行つたものであり、当時占領下にあつた我国に於ては米軍の命令は我法令に優先するものであつたから、被告人は占領軍の占領目的を達する為の業務を行つたものと云うべく、その行為は正当行為として違法性なきもので、刑法第三十五条により罪とならないものである。然るに原審が斯る弁護人の主張を採用しなかつたのは事実誤認、若しくは擬律錯誤の違法あるものと云わねばならぬ。

第三点 原判決が被告人の行為は之を行わざれば自己の生命に危険が及ぶべき事情の下に行われた期待可能性なき行為なる旨の弁護人の主張を容れなかつたのは事実誤認若しくは擬律錯誤の違法がある。

一、被告人の本件行為が米占領軍の命令に基く、米軍事機関としての正当行為であることは前点に於て述べた如くであるが、仮に本件が被告人の任務協力に基くものであつて違法性において欠けるところがないとしても、右はソ連機関乃至米軍CICの要請により止むなく行つたものであつて、何人と雖も被告人の立場に置かれた場合斯る行為に出ざることを期待することはできないものである、従つて斯る立場にあつて本件を敢行した被告人に刑事責任を負担せしめることはできない。

二、被告人が終戦後ソ連に抑留せられ帰国に際しソ連機関より帰国後在日ソ連代表部員と本国との無線電信による連絡を担当することを命ぜられ、之を承諾する旨の誓約書を差入れて帰国したことは前述の如くであるが、右誓約書は「日本へ帰国後ソ連代表部とソ連本国との無線通信連絡を致します。もし他言した場合は厳重な処罰を受けても差支えありません。

年  月  日ソ連極東情報部殿」と云う文言のものである。

右の誓約書を書いた事情について被告人は「当時私としては日本内地の事情は全然判らず、浮虜の弱い立場につけ込むソ連側のその申出をけしからぬ行為であるとは思いましたが、さりとて引受けぬ限りは先方とすれば是程大事な秘密を私に打明けたのだから只では済まぬと思い、まず日本へ帰国出来ぬと思つたので承諾する旨答えた」と述べている。(被告人の第五回公判廷に於ける供述)

長く抑留せられ帰国を熱望していた被告人が之を承諾しなければ帰国出来ないと考えて止むなく前記誓約をなすに至つた心情は充分理解出来るところであつて何人と雖も被告人の立場に立たされた場合右の誓約を拒むことはできなかつたであろう。

三、而して被告人はソ連機関より帰国後為すべき行動を指示され、帰国後在ソ中に指示を受けた場所に赴いてソ連人と会合し、以後会合連絡を続けたのであるが、恐らく被告人としてはソ連機関と連絡がとれないことを望んでいたに違いあるまい、何人と雖も多大の犠牲を伴う諜報活動を外国の為に好んで行うことはあり得ないところだからである、唯被告人としては一且ソ連に忠誠を誓つた以上如何にもそれが帰国の為の方便であつたとしても、その誓約に違背することはできなかつたに違いない。

当時の心境について被告人は裁判官の「被告人が内地へ引揚げた当時の状況は生命或は身体に危険を感ずるような緊迫したものがあつたのか」との問に対しソ連代表部或はソ連極東情報部等は秘密の組織を持つており、私の所在は良く探知されるだろうと考えていました。当時日本は未だ占領中であり、ソ連極東情報部を相手に活躍する丈の警察力が日本政府にあるとは考えられず、結局私の気持を率直に云えば日本の警察力を信用できませんでした」と述べているが、之は当時の心境を卒直に述べたものであろう。更にその後被告人は昭和二十四年一月初旬米軍の取調を受け米軍の為ソ連本国との通信状況を報告すべきことを約し且之を実行しているのであるが、之亦前記ソ連に対する誓約と同様、被告人として之を拒み得なかつたものであろうことは前述の如くである。

四、然るに原判決は「(イ)前記誓約は帰国するについての一方の方便に過ぎず、(ロ)被告人は帰国後米国の友好的態度に触れ国内諸情勢を目撃して抑留中からの認識をあらたにし、(ハ)CIC係員より抑留中の動静を尋ねられるに及び自らの執るべき態度を見出し、任意之に協力するに至つた」旨の事実をあげ、被告人が本件所為に出づることなく、他の態度に出ることを期待し得たとしているのである。

然し、若し被告人が在ソ中の誓約に背き、ソ連機関の指示に従がはなかつたならば恐らく被告人の生命の安全は保たれなかつたであろう、又米軍のCICの要請に応じなかつたならば同様安全を期することは出来なかつたであろう此のことは鹿地氏、佐々木氏の運命を見れば明かに看取されるところであつて原審は当時の被告人の緊迫した立場について明かに事実を誤認している。被告人が「私は別に深い考えとてはなく、成り行きに身を任せていた訳です」と述べているのも(第六回公判に於ける被告人の供述)斯る立場に追い込まれた被告人が自己の運命を止むなしとして諦感した結論であつたのである。当時被告人が如何になすべきかについて煩悶苦惱したであろうことは原判決も「ソ連に対する誓約を全く介意せず之を無視し得ないで前記の如く連絡を実施し竟に本件犯行を敢行するに至つたについては相当人知れぬ煩悶に苦しんだであろう消息を窺うに難くない」と述べている如くであつて、その心情は何人にも充分理解できるところである。

五、被告人に対し他の態度を期待し得るとすればそれはソ連機関、米軍CICの命令乃至要請を拒否することに他ならない、終戦後の我国に於て米国、ソ連の冷戦が現実に我国をも舞台として行われていることは何人も否定出来得ない事実であつて、若し被告人が前記要請に違反した場合、当時の我国警察力を以てしては到底被告人の安全を保し得なかつたであろうことは明白である、斯る冷戦の渦中にあつた被告人が自己の意思丈では如何ともなし得ず、止むなく本件を敢行したことは被告人に課せられた宿命であつて何人が被告人の行動を責め得ようか?

六、右の如く被告人の本件行為は自己の生命身体の危険を避ける為止むなく行つたものであつて、何人と雖も被告人の立場に立たされた場合他の態度に出ることを期待し得ない。

然らば本件は期待可能性なき行為として無罪の言渡を受くべきものであるに拘らず、原審が右の弁護人の主張を採用しなかつたのは事実誤認若しくは擬律錯誤の違法あるものと云わねばならぬ。

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