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東京高等裁判所 昭和28年(う)2177号 判決 1954年8月09日

控訴人 原審検察官

被告人 茂木和太郎 外三名

検察官 金子満造 山口一夫

主文

原判決を破棄する。

被告人長谷川清吉を罰金五千円に、

被告人茂木和太郎、同三浦徳八郎、同渋谷安秋の三名を各罰金参千円に処する。

右罰金を完納することができないときは金弐百円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置する。

押収に係る日本刀一振(昭和二五年証第一五四七号の一)大型拳銃一挺(同証号の三)は何れも没収する。

訴訟費用は全部被告人四名の連帯負担とする。

理由

本件控訴の趣意は原審検事田中万一作成名義の控訴趣意書のとおりであるから、これを引用し、次のとおり判断する。

銃砲とは社会通念或は学術上から考察すれば色々に説明され又色々の種類があるであろうが、銃砲刀剣類等所持取締令第一条及び銃砲等所持禁止令施行規則第一条に各定めるところによれば、弾丸発射の機能を有する装薬銃砲をいうのであるところ、右法令制定の趣旨は我国公共の福祉、安寧秩序を確保する為人に危害を加えるに役立つような同令所定の物件が隠匿保存されることを根絶しようとするにあるものである(昭和二四年五月二六日最高裁判所第一小法廷判決参照)点から考えれば、銃砲とは右要件に適合するのみならず、なお人畜に傷害を加えるに足りる威力を有するものであることも必要であることは所論のとおりである。しかも同令制定の趣旨に鑑みれば、その威力は必ずしも所謂戦闘の用に供しうるに足るものでなければならないものとは解し難い。

而して原審鑑定人岩井三郎作成名義の鑑定書並びに同人の原審公判廷における証言及び当審鑑定人河村正弥作成名義の鑑定書並びに同人の当公判廷における証言を綜合すれば、本件大型拳銃なるものは正に弾丸発射の機能を有する装薬銃砲であつて、人畜に傷害(場合によつては殺傷)を加えうる威力を有するものであることを認めるに十分である。

なお、原審並びに当審証人木村常行の各公判供述、原審証人芝伐晃美の公判供述、被告人等四名の各司法警察員及び検察官に対する各供述調書の記載によつて認めうるように、本件拳銃は先頃の大戦の末期我国海軍が敵軍の本土上陸に備えて沿岸防備用に、大量に作成し始めたものであり、且つ被告人等は武器としての拳銃を多量に取引する目的でその見本として本件拳銃を入手したものである経緯に徴しても本件拳銃は銃砲等所持禁止令に定める銃砲であると認めるに十分である。

原審鑑定人西村源六郎作成名義の鑑定書の結論は本件大型拳銃は普通拳銃とは全く異つた一つの筒であつて、例えば作業始の合図に用いる信号筒の如き性能しかもたぬものであるというのであつて、恰も銃砲等所持禁止令に定める銃砲ではないと認めたかの如くである。けれども本件拳銃はその外観上の型態も所謂拳銃の型態を備えており、単なる筒とは到底常識上認め難いところであるのみならず、右鑑定の全趣旨も本件拳銃が弾丸発射の機能を有する装薬銃砲であることは否定せず、寧ろこれを是認しているのであつて、只戦闘の用に供しうるに足る威力を有する造兵学上の所謂拳銃には該当しないという趣旨に帰するものと認められる。その他たとえ射撃の有効距離は十数米であり且つ連続しては数発しか発射できないものである点等を併せ考察しても右西村鑑定人の鑑定書からは本件拳銃が銃砲等所持禁止令に定める銃砲ではないという結論は引き出し得ないのである。

又原審証人木村常行の公判供述によれば、本件大型拳銃は鉄屑の中から拾得して来たものであるというのであるけれども、本件右拳銃が当時単なる鉄屑であるとはそれ自体に徴し到底肯認し得ないところである。

以上のとおりで、本件右拳銃は銃砲等所持禁止令に定める銃砲に該当するものと認めるべきものである。

しからば、これを右銃砲に該当しないと認めた原判決は事実を誤認したか、或は法令の解釈適用を誤つたかの何れかであつてこの誤が判決に影響を及ぼしていることは言うまでもないところであり、論旨は理由がある。原判決は破棄すべきものである。

本件は当審において直に判決するに適するものと認めるから、刑事訴訟法第三九七条、第四〇〇条但書の規定に則り次のとおり更に破棄自判する。

(罪となるべき事実)

被告人等は何れも法定の除外事由がないのに、

第一、被告人茂木和太郎は昭和二四年九月頃東京都目黒区洗足町一、二七六番地長谷川清吉方等において、大型拳銃一挺(昭和二五年証第一五四七号の三)を所持し、

第二、被告人長谷川清吉は、

(一)  昭和二四年九月頃その自宅である前記場所において大型拳銃一挺(前同)を所持し、

(二)  昭和二五年五月二〇日頃その自宅である前同所において日本刀一振(同号の一)を所持し、

第三、被告人三浦徳八郎は、昭和二五年五月初旬頃同都同区東町五七番地の自宅等において大型拳銃一挺(同号の三)を所持し、

第四、被告人渋谷安秋は同年五月初旬頃同都中央区日本橋室町一丁目二番地料理店「千葉家」こと水野禎司方等において大型拳銃一挺(前同)を所持していたものである。

(証拠の標目)<省略>

(法令の適用)

被告人等の各所為は昭和二七年法律第一三号によつて法律としての効力を有する銃砲刀剣類等所持取締令附則3項、銃砲等所持禁止令第一条第一項、第二条、罰金等臨時措置法第二条に該当するところ、所定刑中何れも罰金刑を選択する。被告人長谷川清吉の右各罪は刑法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四八条第二項により各罪に定めた罰金を合算し、その余の被告人三名については所定の金額の各範囲内で、被告人長谷川清吉を罰金五千円に、その余の被告人三名を夫々罰金参千円に処すべきものとし、右罰金を完納することのできないときは刑法第一八条により金二百円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置すべく、押収に係る主文掲記の日本刀一振と大型拳銃一挺は刑法第一九条第一項第一号、第二項に則り日本刀は被告人長谷川清吉から、拳銃は被告人渋谷安秋から夫々没収することとし、訴訟費用は原審当審共全部刑事訴訟法第一八一条第一項、第一八二条に則り被告人全員の連帯負担たるべきものとする。なお本件公訴事実中、被告人茂木和太郎が信号拳銃一挺を所持していたとの点は、同拳銃はその構造性能の点から見て銃砲等所持禁止令に定める銃砲とは認められないところであるから被告人は無罪たるべきものであるが、右事実は前記認定の大型拳銃一挺の所持と包括一罪として起訴されたものと認められるので、特に主文において無罪の言渡をしないこととし主文のとおり判決する。

(裁判長判事 山田要治 判事 石井麻佐雄 判事 石井文治)

控訴趣意

原判決は事実に誤認があつて、其の誤が判決に影響を及ぼすことが明らかである。

原判決は、被告人長谷川清吉に対する日本刀一振の不法所持の公訴事実のみを有罪と認め、「本件公訴事実中、第一、被告人茂木和太郎は、法定の除外事由がないのに、昭和二十四年九月頃東京都目黒区洗足町千二百七十六番地長谷川清吉方において、大型拳銃一挺及び信号拳銃一挺を所持し、第二、被告人長谷川清吉は法定の除外事由がないのに、その頃同所において、大型拳銃一挺を所持し、第三、被告人三浦徳八郎は法定の除外事由がないのに、昭和二十五年五月初旬頃同区東町五十七番地の自宅等において、大型拳銃一挺を所持し、第四、被告人渋谷安秋は法定の除外事由がないのに、同年五月二日頃同都中央区日本橋室町一丁目二番地料理店「千葉家」こと水野禎司方等において、大型拳銃一挺を所持したものであるとの公訴事実については、審理の結果によれば、被告人等が何れも前記日時場所において夫々前記物件を所持したことはこれを認めることができるが、右物件はいずれも拳銃としてその機能を欠くものと認められ、被告事件が罪とならないときに該当する」として、右公訴事実を無罪とした。

併しながら、右公訴事実の信号拳銃は別として、右に所謂大型拳銃は銃砲等所持禁止令第一条にいう所の銃砲としての機能に欠ける所なきものであつて原判決は到底破棄を免れないものと信ずるので、以下に其の理由を述べる。

一、原判決は右大型拳銃(以下本件拳銃と称す)は拳銃としての機能を欠くものと認められるというが、其の用語は正確ではない。銃砲等所持禁止令の対象としては、造兵学上或いは火器設計工学上の拳銃の定義如何は問う所ではなく、唯、本件拳銃が同令所定の銃砲に該当するものといい得るか否かが問題となるのである。而して、其の銃砲の範囲は同令施行規則第一条の規定する所であつて、即ち、銃砲とは弾丸発射の機能を有する装薬銃砲をいうとされているので、同令所定の銃砲といい得る為の要件を掲げるならば次の通りであると思われる。其の要件の第一は、装薬式のものでなければならないということである。此の点に於て、圧搾空気やスプリング等の作用によるもの、例えば空気銃等は同令所定の銃砲より除外される。其の要件の第二は、弾丸発射の機能を有するものでなければないということである。此の点に於て先づ、弾丸を発射するものでなければならないので、爆音信号銃や催涙ピストル中構造上も弾丸発射の機能を有しない種類のものは同令所定の銃器より除かれる。次に、発射の機能を有するものでなければならないので、廃鉱或は通常の用法による手入又は修理を施しても其の発射機能を回復しないものは、同令所定の銃砲とはいい得ないのである。更に、銃砲等所持禁止令の目的よりみて、理論上、第三の要件として、少くとも人畜に傷害を与えるに足りる威力を有するものであることが要求されるのであつて、其の威力の有無によつて玩具銃と区別されるのである。銃砲等所持禁止令所定の銃砲といい得る為には、以上の要件を具備し、而して、社会観念上も銃砲と認め得るものであれば足り、それ以上何等の要件をも必要としない。同令の対象としては、其の製造過程の如何や、同種同型のものが現用の拳銃として存在することの有無、或は又、単発式であるか、連発式であるかの区別や、材料や機能がどの程度優秀であるか等の事柄は総て問題となり得ないのである。

二、そこで、本件拳銃についてみるに、原審公判廷に於ける証人木村常行の証言(記録六〇丁乃至六六丁表)、同芝伐晃美の証言(二七三丁乃至二八九丁)を綜合すれば、本件拳銃は終戦前、当時海軍の監督工場であつた沢藤兵器株式会社が海軍の命令によつて猟用散弾を装填し装薬によつて発射する拳銃として海軍の設計に従い其の提供の材料を用いて組立てた物の中の一つであることが明らかであつて、本件拳銃が拳銃として製作され又、社会観念上も例えば其の形態等に於いて拳銃と認め得べきものであることは右の事実並びに本件拳銃自体(昭和二十五年証第一五四七号の三)によつて明白である。又本件拳銃は後述するように容易に入手し得る十二番経猟用散弾実包を装填発射するに極めて適したものである。而して、本件拳銃の有する銃砲乃至は拳銃としての機能の点に関し、原審に於ては、先づ鑑定人岩井三郎をして鑑定を為さしめ、次いで鑑定人西村源大郎をして再鑑定を行わしめたのであるが其の鑑定の結果は、右の機能の有無について、一方は之を肯定し、一方は之を否定するが如き、一見相反するものであつた。仍て、右両鑑定人の鑑定書の記載(八五丁乃至九五丁)(一四五丁乃至一六五丁)及び右両人の原審公判廷に於ける証言(二八〇丁乃至二八四丁)(一四〇丁乃至一四三丁)によつて、其の鑑定の経過、及び結果等を要約すれば次の通りである。先づ岩井鑑定人の鑑定に付ていえば、同鑑定人は、本件拳銃について、綿密な外観捜査、機能捜査、寸度測定を行つた後、通常装薬による十二番経猟用散弾実包を装填発射しても弾身の破断は起さないと信ずるに至つたので、発射試験を実施することにし(八七丁乃至八九丁表)、先づ本件拳銃薬室に十二番経猟用散弾実包一個(散弾五号型二百二十個、発射薬としてニトロセルローズ無煙火薬二、〇瓦莢体紙製)を装填して撃発を行つた結果、発火し散弾が発射されたので鑑定時現在に於て、本件拳銃は発射能力を有し且つ撃発機構の機能も完全であることを認め得たのである。そこで、同鑑定人は更に引続いて本件拳銃について三回発射を行つたが、銃身、撃発機構等に異状を認めることができなかつた(八九丁裏)。其の発射試験に使用した散弾は前記五号型及びBB型各二発で一般市販のものであり、又使用した装薬の数量は普通の猟銃の火薬の数量と同じであつたが、同鑑定人は、各発射時に少量の未燃焼の発射薬が弾丸と共に射出されることを認めたのであつて、「之等発射弾の初活力は二、〇の前記発射薬が完全に燃焼しつくしたとして最大約八、六瓩米程度と認められ散弾々粒の大きい程距離的存活力が大きいと考えられるから本品(本件拳銃のこと)に使用する散弾々粒を適当に撰べば射距離二十米以内の目標に対し人畜に傷害を与え得るものと推定される。」という(八九丁裏、九〇丁表、二八一丁、二八三丁)。又同鑑定人は右の発射試験に際して二米の距離の所に杉板十数枚を重ねそれを目標として発射し、同人の鑑定書末尾添附の射表の如き結果を得、弾丸は一番深いもので二分五厘の杉板三枚半程度を貫通したのである。(九五丁の射表、二八三丁裏)。而して、同鑑定人は鑑定の結論として、「本品は前記鑑定事由に示した如く発射時(散弾実包発射薬の薬量を過大とし或いは其の種類を誤らない限り)の爆発ガス圧(腔圧)に耐えるものであり又発射試験の結果は本品が散弾を発射可能な事を示した。尚本品は簡単なる照星照門等の照準具を備へている。仍て本品を本鑑定時現在に於て発射能力を有する一種の拳銃と認めざるを得ない。」と断定した。(九一丁表)。之に対し、西村鑑定人の鑑定によれば、本件拳銃は尾栓部(正確にいえば、一般に尾栓といわれる部分ではなくその部分の板なのであるが、同鑑定人の用うる所に従いここでは尾栓部なる言葉を使用する)に欠陥があるという。同鑑定人は、先づ本件拳銃の尾栓部をなす鋼板と同様の鋼板を使用して所謂アムスラー引張試験を行つて、同部に約千四百瓩の荷重が作用することによつて同部隅部に剪断破壊が起り得るとの結果を得た上、之は静荷重試験の結果であつて実弾時に於ける様な瞬間荷重が作用する場合には静荷重の二分の一の荷重で破壊すると考えられるとし従つて、本件拳銃は、発射時尾栓部に七百瓩荷重が作用することによつて同部隅部が破壊すると推論した。そして、同鑑定人は、其の際のエネルギーを約二十八ヂユールと計算する一方、十二番径猟用実包の標準薬量二瓦の持つエネルギーを約八十六ヂユールと考え、従つて本件拳銃に十二番径猟用実包を装填し其の正規の装薬量を使用して発射すれば、尾栓部鋼板の剪断破壊エネルギーの三倍のエネルギーが同部に作用することとなるから、本件拳銃の「最大弱点である尾栓部を安全にして実包を発射せしめるには十二番実包標準装薬の約三分の一以下のエネルギーになるように薬量を減じ減装薬によつて発射さす事が必要であるとの結論を得るに至つた。(一五六丁乃至一六一丁)。そこで、同鑑定人は、次に本件拳銃の実射試験を行うことにし、先づ標準装薬より減じた三分の一エネルギー装薬によつて実射試験を行つた結果安全に発射し得たのである。そして其の際同鑑定人は使用した六号散弾の発射時に有する初速が毎秒約百六十米であつたことを計算した。併し、同鑑定人は、「此の程度の初速ではピストルのもつ射程即ち二十米以内で人体殺傷に充分なる威力を散弾はもつとは考えられない」という(一六一丁裏乃至一六二丁表)。続いて、同鑑定人は本件拳銃に十二番径標準装薬実包NN薬二瓦、六号散弾三十九、二瓦)を装填して発射したところ、散弾は発射されたが、それと同時に、本件拳銃尾栓部隅部に瞬間的に剪断破壊がアムスラー引張試験の基礎的実験結果と全く同じ破断状況を示して生じ、尾栓部は拳銃握り部より瞬間的に離れ非常な速度で後方に飛んでしまつたのである。そして、同鑑定人は其の際の散弾の持つ速度を求め毎秒約三百米以上のものであることを明かにし、「これは人体に適当な射距離にあれば殺傷を起す可能性のあるものである事を知つた」という(一六二丁)。以上の経過により、同鑑定人は鑑定の結論として、「本品は十二番猟用実包のもつ標準エネルギーの1/3以下の発射エネルギーの場合には安全発射が可能であるが、この場合人体を殺傷するに足る充分な偉力を普通ピストルのもつ射程二十米以内に於て充分発揮し得るとは考えられず、又標準装薬の場合には逆に本品の射手が自らの生命を損ずると云う結果を起すと云う事になる。」といい(一六三丁)、本件拳銃は、「要するに普通拳銃とは全く異つた一つの筒であつて、例えば作業始めのあいづに用いる信号筒の如き性能をもつものである。」と断定したのである。(一六四丁)。

以上述べ来つた如く、本件拳銃は、岩井、西村の両鑑定人の鑑定に当つて、岩井鑑定人により十二番径猟用散弾実包正規装薬によつて四発異状なく発射することが出来、次いて西村鑑定人により三分の一エネルギー装薬によつて一発最後に尾栓部が破壊する結果とはなつたが正規装薬によつて一発、いずれも発射することが出来たのである。岩井鑑定人によつて四発の弾丸が安全に異状なく発射し得、而もそれが人畜に傷害を与え得るに足る威力を有するものであつたことは、同鑑定人の鑑定書の記載(八九丁裏乃至九〇丁表)、並びに同人の証言(二八〇丁乃至二八四丁)によつて疑う余地のない事実だといわねばならぬ。西村鑑定人に対する証人としての尋問に際しても、同人は、検察官の「証人がさきに鑑定した大型拳銃について、これからきくが、鑑定する前に、発射の痕跡があつたか、どうか」との問に対し、「痕跡はあつたと思います、私は鑑定するに当つて、前の鑑定書をみましたが、発射試験してあつたようです」と証言しているのである(一四〇丁)。正規装薬によつては本件拳銃は安全に発射し得ないという理論づけが如何に正しくとも、岩井鑑定人が四発安全に発射し得て而も射表の如き結果を得たという此の事実は、事実として否定し得ない所であり、此の事実よりして、本件拳銃が少くとも四発の弾丸を発射し得る機能を有した装薬銃砲であること、従つて前述せる銃砲等所持禁止令所定の銃砲たり得る為の要件に欠ける処なくそれに該当するものであることは、明白である。――被告人渋谷安秋の原審弁護人海野普吉外一名の弁論要旨には、「鑑定人岩井三郎の鑑定書には発射試験の実施方法について一切記述を避け、同人の証言の際も之を明らかにせず、之に反し再鑑定を行つた鑑定人西村源六郎は使用装薬量等を明示して居り、又岩井鑑定人の鑑定書は四回も試射を行つたと記し乍ら重要なる其の結果については何等の証拠を示すことなく、同人の証言に際し杉板を貫通したと述べてい乍ら鑑定書中には全然言及もせず又何等其の証拠として杉板も其の写真も提出されていない。」旨記載されてあつて(三一二丁裏乃至三一五丁)、暗に岩井鑑定人の鑑定の信ずるに足りないものであることが述べられているのであるが、此の批難は全然当らない。即ち、銃器関係について岩井鑑定人が責任者となつている国家地方警察本部科学捜査研究所は周知の通り銃器鑑定に関する限りに於ては我が国に於て最も権威ある研究所であつて、同鑑定人が発射試験に使用した装薬量等を明らかにしていることは前述の通りであり、むしろ後述する如く西村鑑定人が如何なる方法によつて発射試験を行つたかそのことの方が問題であるといわなければならないのである。又岩井鑑定人の鑑定書添附の射表は弁護人のいう処の杉板の弾痕の青写真であり、之に反し西村鑑定人は前述した如く三分の一エネルギー製薬によつて発射することを得たがこの場合は人体を殺傷するに足る充分な偉力を発揮し得るとは考えられないというのであるが、其の弾痕図等何等示す処なく、後述する如くかえつて此の点に疑問があるといわなければならないのである。而して弁護人に於て其の批難を論証しようとして掲げた弁論要旨中の図解(三一五丁)の如きは到底これを採用することができないものであつて、若し其の図の如き比例関係が成り立つものならば、射距離二十米の処では散射は実に直径四米の円状に而も其の中の半径二米は銃身の高さよりも高い位置に散布する結果となるであろう。

三、上述した処によつて、本件拳銃が銃砲等所持禁止令所定の銃砲に該当するものであることは明らかである。然るに、原判決は西村鑑定人の鑑定の結果に誤られてか、本件拳銃を以て拳銃としての機能を欠くとした。若し原判決が西村鑑定人の鑑定の結果によつて岩井鑑定人が発射試験により四発の弾丸を発射し得たことが単なる偶然であると認めたのであるならば、其れは誤りである。岩井鑑定人の鑑定は西村鑑定の鑑定の結果と何等矛盾する処はないのである。そこで西村鑑定人の鑑定を検討することによつて其の理由を明らかにしたい。

西村鑑定人の鑑定について、先づ第一に注意しなければならないことは、同鑑定の鑑定が火器設計工学上拳銃といい得る様なもののみが拳銃であるとの前提に立ち、従つて鑑定の結論もそれによつて左右されているということである。このことは同鑑定人の鑑定書を一読して容易に看取し得る所であつて、同鑑定人が本件拳銃を以て普通拳銃とは全く異つた一個の筒であると断定したことの如きは右の様な前提から生ずる当然の帰結であるに過ぎない。併し乍ら、造兵学上の或は火器設計工学上の拳銃の定義如何は前述した様に本件では全く関係のない事柄である。次に第二に、同鑑定人の行つたアムスラー引張試験及びそれに基く推論が幾多の仮定の上に立つていることを重視しなければならない。アムスラー引張試験なるものは本件拳銃をなしている鋼板と同様の鋼板を使用して行うものであるが、其の際使用される鋼板は学理上本件拳銃の鋼板と全く同質のものとはいい得ないのである(原審公判廷に於ける岩井鑑定人の証言、二八一丁裏二八二丁表)。然るに、西村鑑定人はそれを同質のものと鑑定して其の試験の結果に基いて立論している訳であつて、先づ此の点に於て其の理論は仮定の上に立つたものであることを免れない。更に、其の試験の結果に基く推論の過程に於ても同鑑定人はいくつかの仮定を立てて議論を進めているのであつて、鑑定書自体の記載からしても、其の例として、本件拳銃の尾栓部に作用する荷重を700kg:27mm=Xkg:54mmという比例関係によつて導き出している点(一五九丁裏、一五一丁表)、或は瞬間荷重の場合は静荷重の二分の一荷重で破壊すると考えられるといつている点(一六〇丁裏)等を指摘することが出来る。西村鑑定人自身も原審公判廷に於ける証言に際し、「鑑定はいくらかの仮定の上の計算ですが」(一四一丁表)と之を認めているのである。同鑑定人の理論がいくつかの仮定の上に立ち、而もあく迄一つの理論に止り、本件拳銃の実際の場合と相隔たるものであることは、同鑑定人の発射試験を検討することによつて一層明白となる。ここで第三として、同鑑定人の発射試験が其の条件、方法について全然考慮が払われていないことを重視しなければならない。銃器から弾丸を発射する際銃身の薬室内で発射用火薬が急激な燃焼即ち爆発を起すときに生ずる高熱ガスの銃腔内に働く圧力即ち腔圧は発射用火薬の種類、其の装填、密度、燃焼室の容積等の条件が異ることによつて影響を受けることは岩井鑑定人の指摘する処である(八七丁裏)。火薬を固くつめれば(装填密度を高くすれば)それだけ爆発が大となること、火薬の燃焼が完全であればあるだけ腔圧が大となることは自明の理である。記録上現われてはいないが、西村鑑定人は材料学専攻の学者であるという。之に反し岩井鑑定人はむしろ火薬専門家であるという。ここで、先づ、西村鑑定人が発射試験に際し火薬の装填密度をどの程度にしたのかという疑問が生ずるのである。此の疑問は、後述する様に岩井鑑定人が火薬の燃焼度にまで注意しているのに反し、西村鑑定人の鑑定書にはその様なことが考慮された形跡すら全然ないということによつても、あながち根拠のない疑問ではないのである。西村鑑定人は正規装薬によつて本件拳銃の実射試験を行つた処、尾栓部が破断し後方に飛んでしまつたという結果を得た。そして、同鑑定人は鑑定の結論として正規装薬の場合は逆に射手が自らの生命を損する結果というのである。従つて、同鑑定人は当然本件拳銃を何らかの物件に固定して正規装薬による実射試験を行つたものと考えられる。併し、拳銃は元来射手が之を手にして発射するものである。そして、射手が拳銃を手にして発射する場合、発射火薬爆発の衝撃によつて拳銃が手もろとも後退することは周知の通りである。これによつて銃腔後方尾栓部に作用する腔圧に対する同部の抵抗が緩和されると共に火薬の燃焼度もそれに従い低下する。之に反し、拳銃を固定して発射すれば拳銃は後退されず為に腔圧が文通り其の侭尾栓部に作用する一方、火薬の燃焼も又完全となつて、両々相まつて加重的に大なる腔圧が作用することとなる。従つて、拳銃を実際に使用する場合即ち拳銃を手にして発射する場合には、理論的に考えられる様な大なる腔圧は尾栓部に作用しないのである。このことは後退装置をきかなくして大砲を発射した場合に生ずる結果を想像すれば明白である。西村鑑定人の理論は以上の様な条件を全然考慮していないのであつて、拳銃を固定して発射試験を行つた様な場合に其の理論と同一の結果を得ることがあるとしても、実際の場合には該当しないといわなければならない。従つて、同鑑定人が実射試験によつて理論の正しいことを実証したといつても、其の実射試験に問題がある以上、それは何等の意味も持たないのである。之に反し、岩井鑑定人の鑑定書の記載によれば、発射試験に際し発射時に少量の未燃焼の発射薬が弾丸と共に射出されることが認められたという(八九丁裏)。之は同鑑定人が本件拳銃を手にして実射試験を行つた為であり、同鑑定人の鑑定が信用すべきものであることの証左である。若し西村鑑定人が本件拳銃を手にして実射試験を為したならば恐らく異状なく発射し得たことと思われる。従つて、岩井鑑定人の証人尋問に際し同人が、検察官の「証人がみた処此の大型拳銃は何発位継続して撃てるか」との問に対し、「せいぐ二十発前後撃つたら使用に耐えなくなると思います」と答えていることは(二八一丁裏)、何等西村鑑定人の鑑定の結果と矛盾する処はないのである。のみならず、本件拳銃は元来そう何十発も継続して発射し得るものとして作られたものではない。このことは前掲証人芝伐晃美の証言及び同人に対する検察官作成の供述調書中の記載によつて明らかである。いわば戦時中決戦兵器として作られたものであつて、先に岩井鑑定人によつて四発発射されており、其の為に尾栓部が弱化していたことも当然予想される。それに本件拳銃を固定して発射するという悪条件が加われば、同部に破断を生ずることが一層容易であるともいえるのである。此の点からしても、岩井鑑定人の鑑定の結果は西村鑑定人のそれと何等矛盾しないと考えざるを得ない。要するに、岩井鑑定人が正規装薬によつて四発の弾丸を安全に発射し得たことは単なる偶然ではないといわなければならない。

四、上述した処によつて、原判決が如何なる理由に基いて本件拳銃に付いて拳銃としての機能を欠くとしたのか諒解に苦しまざるを得ないのであるが、若し原判決が銃砲或いは拳銃といい得る為には、何十発もの弾丸を継続して発射し得る機能を有するものでなければならないという趣旨であるならば、其の解釈は失当である。即ち、銃砲等所持禁止令施行規則第一条に於て、銃砲とは、弾丸発射の機能を有する装薬式のものであることが其の銃砲の要件とさせていることは前述した通りであるが、其の外に如何なる要件を必要とするであろうか。ここで問題となるのは、右規則にいう装薬銃砲の「銃砲」を如何に解釈すべきかということである。銃砲の観念は元来飛び道具ということを意味し、其の観念の中には当然には弾丸を継続して発射するものという意味は含まれていない。判例によれば「銃砲等所持禁止令制定の趣旨は、要するに占領軍をはじめその他一般人に対し危害を加えるに役立つべき同令所定の物件が隠匿保存せられることを根絶せんとするにあることは、多言を要しないところである」という(昭和二十四年五月二十六日第一小法廷判決)。従つて、右の「銃砲」の範囲を定めるに当つては、一般人に対し危害を加えるに役立つべきものであるか否かということ、換言すれば、危害を加えるに足る危険性の有無が其の解釈の標準とならなければならない。此の点からみれば、唯一発によつて人畜に傷害を与え得るに足る威力を有するものであれば、一般人に対し危害を加えるに役立つものであつて、継続して弾丸を発射し得るものと其の間に何等の逕庭がない筈である。唯、危害を加えるに足る危険性が大であるか小であるかの相違があるだけである。自己の生命を賭して唯一発の弾丸によつて相手を必殺せんとする者、例えば暗殺者によつて、一発の弾丸を発射し得るに過ぎないものであつても有力な而も極めて危険な武器たることを失わない。従つて、「銃砲等所持禁止令の対象としては弾丸を継続して発射し得る能力の有無は問題でなく、同令所定の銃砲といい得る為には、前記の要件を具備する外、社会観念上例えば形態等に於て銃砲と認め得べきものであつて、且つ、人畜に傷害を与え得るに足りる威力を有するものであれば足るとしなければならない。火縄銃が同令所定の銃砲に該当することは明らかである。火縄銃というものは最初の弾丸を発射し続いて次の二発目を発射する迄に相当の時間を必要とする。従つて、其の間に目標とする者に逃げられ或いは逆に相手方から攻撃を受ける虞があるのであつて、其の相手方に対する効果の点からみれば、即ち相手方に危害を加えるに足る危険性の点に於ては唯一発弾丸を発射し得る銃砲或いは拳銃と何等異る所がない。判例によれば、単に人を傷害する適当な刀剣類も銃砲等所持禁止令第一条に所謂刀剣類と解するのが相当であるとし、指揮刀も之に該当するという。又、「廃銃即ち屑物となつたものでない限りは、使用停止その他故障の為一時拳銃として機能の障害のあるものであつても、通常の用法に依る手入又は修理を施せば機能を回復するものは、銃砲等所持禁止令施行規則第一条第一号に所謂「銃砲とは、弾丸発射の機能を有する装薬銃砲をいう」ものに該当することは、多言を要しないところであろう。蓋し右の如きものは銃砲等所持禁止令の対象たる武器としての危険性を有すること、実に明らかであるからである。」という(昭和二十四年六月十一日最高裁判所第二小法廷判決)。之をみれば、判例が同令所定の銃砲に付いて武器としての危険性の有無を其の解釈の中心としていること、而も其の危険性は抽象的な危険性で足るとしていることが明らかである。武器としての危険性とは要するに上述した人に危害を加えるに足る危険性ということに外ならない。この判例の態度よりみるならば、継続的に弾丸を発射し得る能力の有無の如きことが問題となり得ないことは一層明白である。

五、之に対し、本件拳銃は既述の如く事実として岩井鑑定人によつて正規装薬により四発もの弾丸を「継続発射したのであつて、単に唯一発の弾丸を発射し得るに過ぎないものとは大いに異るのである。又本件拳銃が武器としての危険性の点に於て極めて危険なものであることも明らかである。若し原判決が四発発射し得ただけでは継続的発射能力ありといい得ないとするならば、其の継続的発射能力ありといい得る為の発射数の限界は如何なる理由に基いて如何なる程度に定められるのか、全く疑問なきを得ない。更に、仮に岩井鑑定人が四発の弾丸を発射し得たことが偶然であつたとしても、本件拳銃が最少限度一発の弾丸を発射し得るものであることは西村鑑定人の鑑定の結果からみても明白である。尾栓部に欠陥があつても、銃身に破断を生じない限りは、弾丸一発だけは必ず発射し得るのであつて、岩井鑑定人が銃身のみに注目し尾栓部に考慮を払わなかつたのは此の理由による。而して唯一発の弾丸を発射し得るものであつても銃砲等所持禁止令所定の銃砲というに妨げないことは既述した通りである。

次に、仮に銃砲等所持禁止令所定の銃砲といい得る為には何十発も継続して弾丸を発射し得る能力あるものであることが必要であるとしても、本件拳銃が正規装薬の三分の一エネルギー装薬によれば弾丸を継続的に発射し得るものであることは西村鑑定人も認めるところである(同鑑定人の鑑定書、記録一六三丁、及び同鑑定人の原審公判廷に於ける証言、一四一丁裏)。此の場合問題となるのは其の際の発射弾の威力である。此の点に付いて、西村鑑定人は、鑑定書において三分の一エネルギー装薬の場合は「人体を殺傷するに足る充分な威力を普通ピストルの持つ射程二十米以内に於て充分発揮することは考えれず」という(一六三丁)、又其の証言に於ても「充分の威力はありません」と述べているのである(一四一丁裏)。併し乍ら、同鑑定人の鑑定書によれば、其の場合の六号散弾の発射時に持つ初速は約毎秒百六十米であるという。之を以てみれば、常識から考えても同散弾が相当の威力を持つていることが容易に判る。西村鑑定人は充分の威力はありませんというだけで、それが如何なる根拠に基き又如何なる程度のものであるのか、全く不明であるが、充分の威力はないとしても相当の威力を有するものであることは明らかである。殊に、弾丸の威力が其の弾丸の大小に左右されることは岩井鑑定人の指摘する処であつて(同鑑定人の鑑定書九〇丁表)、西村鑑定人の使用した六号散弾なるものが岩井鑑定人の使用した五号型及びBB型散弾よりも小さい極めて小なるものであることを注意しなければならない。而して、銃砲等所持禁止令所定の銃砲といい得る為には人畜に傷害を与え得るに足る威力を有すれば足るのであつて、其の威力が人体を殺傷するに足る充分なものでなくとも、人を傷害するに適当なものであれば足ることは前掲判例の明らかにする所である。此の点からしても、本件拳銃は同令所定の銃砲たり得る為の要件に欠ける所がないといわざるを得ない。のみならず本件では正規装薬の場合のみが論ぜられていて、二分の一エネルギー装薬の場合の如きは全く問題とされていないのであるが、既述した如く西村鑑定人の理論及び実射試験に疑問がある以上、原審ではかくの如き二分の一エネルギー装薬の場合をも明らかにする必要があつたのである。

六、以上要するに本件大型拳銃は如何なる意味に於ても銃砲等所持禁止令所定の銃砲としての機能に欠ける処のないものである。然るに原判決は事実を誤認し、本件大型拳銃を以て拳銃としての機能を欠くものと認められるとし、右拳銃不法所持の公訴事実に付いて、被告事件が罪とならないときに該当するものとして無罪を言渡したのであつて、其の誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れないものと信ずる。

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