東京高等裁判所 昭和28年(う)2184号 判決
原判示事実は、原判決挙示の証拠によつて優にこれを認めることができ、記録を精査するも、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認の存するあるを見ないところ、所論において巡査城厚美、同沢畠信雄は、石沢克己を逮捕するに当つて、同人に対する被疑事実の要旨を告げた事実がないのであるから、その逮捕は、逮捕の要件を定めている刑事訴訟法第二百一条第二項、第七十三条第三項の規定するところに従わなかつた不適法なものであり、従つて、その逮捕をもつて適法な公務の執行ということはできない。而も、被告人等は、右両巡査の逮捕を適法な職務の執行であることの情を知らなかつたのであるから、孰れの観点からするも、被告人等の所為につき公務執行妨害罪の成立する余地はないという趣旨の主張をしているが、原審証人巡査城厚美の証言によれば、城巡査は向島警察署に勤務中昭和二十七年五月二十四日同署に労働争議中の花王油脂株式会社工場事務所内に不法に侵入した者のある趣旨の通報があり、これが取締のため、上司の命により沢畠巡査と共に同工場に赴いたところ、労組員等多数の者が、その正門前に集合しているのを認めたが、その際正門附近で、たまたま、該争議の応援に来ていた石沢克己を発見し、同人が予ねて、昭和二十七年五月一日の皇居前広場及びその附近路上における騒擾事件の被疑者として逮捕状の発せられている石沢某なることを確信し、当時その逮捕状を所持していたわけではなかつたが、時の状況に照らし、急速を要する折柄とて、同人に対し、「宮城前の騒擾事件で君に逮捕状が出ているから逮捕する」と告げた上、沢畠巡査をして同人に手錠を掛けさせ同人を逮捕したことが明瞭に窺われる。(なお、原審証人沢畠信雄は、城巡査が如何なる事件で逮捕状が出ているか説明していなかつたという趣旨の証言をしたと主張して、城巡査の原審公廷における「自分は、石沢に対し宮城前騒擾事件で君に逮捕状が出ているから逮捕する」旨告げたとの証言の信憑力を攻撃しているが、原審証人沢畠信雄の供述(原審第六回公判調書の供述記載)によるも、同証人は「自分は、石沢に手錠を掛けた後に、城巡査がメーデー事件の容疑だと繰り返し繰り返し言つているのを聞いた。その前にも城巡査が逮捕理由を告げたかも知れない。自分は同巡査の後から入つたという時間的関係からかと思うが最初に私の耳に聞えたのは逮捕状が出ているという言葉であつた」と述べてはいるが城巡査が宮城前の騒擾事件で逮捕するのだということを石沢に告げなかつたとは決して証言してはいない。その他所論において、原判決が採用していない証拠を引用して城巡査が石沢を逮捕する理由を告げなかつた根拠としているが、これら所論は、要するに、原審が証拠の価値乃至は事実の認定について専らその有する経験則に基づく自由心証によつて判断したところを非難するに帰し、採用するに由がない。)而して、すでに逮捕状の発せられている被疑者を発見した際、たまたまその逮捕状を所持していない場合でも急速を要するときは、被疑者に対し、被疑事実の要旨及び令状の発せられている旨を告げてこれが逮捕状を執行することのできることは、刑事訴訟法第二百一条第二項、第七十三条第三項の明定するところであるが、その被疑事実の要旨を告知するには、被疑者に理由なく逮捕するものでないことを一応理解せしめる程度に逮捕状記載の被疑事実の要旨を告げるをもつて足り、必ずしも逮捕状記載の被疑事実の要旨一切を遂一告知するを要しないものと解するを相当とする。蓋し、逮捕状を所持しない者においてたまたま被疑者を発見した際それに記載された被疑事実の要旨を遂一記憶していることの洵に困難なるにおいてその要旨を遂一告げることを要求することの酷なるは言うまでもないところであり、若し、その要旨を遂一告げなければならないとするときは、たまたま被疑者を発見しながら逮捕できないという搜査上の不都合を生ずるの多きは事の数であつて逮捕状なくして被疑者を逮捕できるとしている刑事訴訟法の規定はついに空文に等しいものとなるからである。而して同法は逮捕状なくして被疑者を逮捕することを許容する一方、その逮捕後速やかに逮捕状を示すことを要求しているところでもあるから、被疑事実の要旨を告げるのに、逮捕状記載の被疑事実の要旨一切を遂一告げるところがなくとも、理由なく逮捕するものでないことを一応理解せしめる程度に被疑事実の要旨を告ぐるをもつて足りるとするも、憲法の保障する人権保護の上において特段に欠くるものありと言うことはできない。果して然らば、城、沢畠の両巡査が石沢を逮捕したのは、昭和二十七年五月二十四日のことであつて、当時、宮城前の騒擾事件といえば、その日を遡ぼる数旬を出でない同月一日宮城前広場やその附近路上で労働者や朝鮮人等数名と警戒中の多数の警察官との間に発生したいわゆるメーデー事件として普く知られていた騒擾事件を指称するものであることは、常識ある人において何人も容易にこれを理解し得べかりしところであつたのだから、城巡査が石沢に対し「宮城前の騒擾事件で君に逮捕状が出ているから逮捕する」と告げた事実ある以上、殊に当時労働争議の過中に敢て身を投じつつあつた者としての石沢において右騒擾事件に関連する犯罪の被疑者として逮捕されるものであることを理解しなかつたとは到底考えられないところであるから、そのすでに発せられた逮捕状(記録一八九丁及び一九〇丁)には被疑事実の要旨として
被疑者は、外九名と共謀の上、昭和二十七年五月一日午後二時三十分より同六時頃までの間に千代田区祝田町皇居前広場及び同区日比谷公園一号地先路上等においてメーデーに参加した学生朝鮮人、自由労働者その他約六千名の多数聚合して前記場所に警戒中の多数警察官に対し殴打、投石等の暴行を加え、因つて長岡武外十数名の警察官に対し傷害を負わせ、更に前記場所に駐車中の駐留軍自動車十数台に放火して焼燬し、或は顛覆せしめてこれを破壊する等暴挙を敢てし、以て騒擾をなした際現場において他人に卒先して勢を助けたものである。
とあるからといつて、これが被疑事実の要旨を告げたるにおいて不充分であるということはできない。従つて、城巡査等による石沢克己の逮捕をもつて適法でないとする所論の理由なきは勿論、これが前提に立つて被告人等の本件所為を公務の執行妨害でないとする所論は当らない。而して、城巡査が、石沢克己に対し同人に対する被疑事実の要旨及び逮捕状の発せられている旨を告げて適法に同人を逮捕したものであることはすでに前段において説明したとおりであるが、被告人等の城、沢畠の両巡査に対する暴行は、城巡査が石沢に適法に逮捕の理由を告げた上逮捕した後のことであり、而も原審証人沢畠信雄の証言によれば、両巡査において被告人等に対しメーデー事件の容疑で逮捕するものである旨を再三繰り返し告げたことが認められるから、たとえ、城、沢畠の両巡査が、当時私服であつたとしても被告人等においてその逮捕の事情を知らなかつたとは到底考えられないところであるのみならず、その逮捕の具体的態様において、一応適法な職務の執行と認めらるべき状況に在つたということができるから、これが職務の執行に際し、被告人等において原判示暴行を加えたことの証拠上明認される本件において、到底刑法第九十五条第一項所定の公務執行妨害の罪の成立を免かれ得ない。論旨はすべて理由がない。
論旨第三点について。
被告人等においていわゆる黙秘権を行使したからといつて、量刑上被告人等のため不利益に考慮すべき資料たり得ないことは洵に所論のとおりであるが、記録を精査するも、被告人等が本件所為につき黙秘権を行使した故をもつて特に被告人等のため量刑上不利益に考慮した事跡はこれを窺がい得るに由がないのみならず、本件犯罪の動機、態様等諸般の情状において原審の科刑は洵に相当であつて、たとえ被告人等において城巡査等の石沢に対する逮捕を労働争議に対する不当な干渉であると考えたとしても、原審の量刑に重きにすぎるものありとすることはできない。原審の量刑不当を主張する趣旨の所論もまたその理由がない。