東京高等裁判所 昭和28年(う)2480号 判決
被告人 八木沢保治
〔抄 録〕
第一事実誤認採証法違背の論旨について。
所論に鑑み訴訟記録を精査するに、当初本件公訴事実の要旨は被告人は「原審相被告人韓鍾太と共謀の上判示日時判示国電山手線内において全員窃盗の目的で仮睡中の石塚清のオーバーの左内ポケツトに被告人が左手を差入れたが警視庁巡査中村清信外一名に逮捕されたためその目的を遂げなかつたものである」となつていたのを、原審証人小島二三男、同中村清信原審第二回公判調書の両名(被告人を逮捕した巡査)が恰も被告人が判示被害者石塚清の背広上衣左内ポケツトに左手を差入れ金品を掏取しようとしたのを現認したので逮捕した旨証言したため原審第三回公判廷において検察官は本件公訴事実中「オーバー」とあるを「背広上衣」と訴因の変更を申出で、原審裁判官は右訴因の変更を許可して上原判決の挙示する関係各証拠を綜合して訴因を変更したとおり判示事実を認定したものと思われるが、原審並びに当審における証人石塚清の証言によると、所論のとおり被害者たる右石塚が当時着用していた背広には左内ポケツトはなかつたことが確認される。一方原判決挙示の各証拠と当審における事実審理の結果とを彼此綜合考覈し仔細に検討して見ると、本件事案の真相は前記訴因変更前の公訴事実のとおり「被告人は原審相被告人韓鐘太と共謀の上昭和二十八年三月十三日午後十一時十五分頃代々木駅から新宿駅に向つて進行中の国電山手線電車内において全員窃取の目的で仮睡中の石塚清のオーバーのボタンを取りはずした上その左内ポケツトに被告人が左手を差し入れたが警視庁巡査中村清信同小島二三男に発見逮捕されたためその目的を遂げなかつたものである」と認定するのが相当であると謂わなければならない。従つて被告人が判示被害者から金品を窃取すべくその左手を差入れた個所を判示被害者の「背広上着左内ポケツト」と判示した原判決はこの点に関し事実誤認のそしりあるを免れない。然しながら原判決がその事実認定の用に供した前掲原審証人石塚清、同小島二三男、同中村清信の各証言を綜合すると、判示当夜右小島中村の両警視庁巡査は所謂仮睡犯人検挙の為め判示国電山手線電車に乗込み警戒中たまたま被告人並びに原審相被告人韓鍾太両名の挙動不審に着眼し同人等に尾行しその行動を監視していたところ、右被告人両名は互に諜し合せ折柄同車内で仮睡中の判示被害者石塚清の身辺に寄り添い同人から金品を掏取しようとして右韓鍾太は新聞紙一枚を拡げ被害者を隠すような姿勢を取り、一方被告人は新聞紙を四つ折にして右手に持ち、被害者の胸附近で読むようにし互に幕を張り判示電車が渋谷、原宿間にさしかかつた頃被告人は左手を新聞紙の下から判示被害者の胸附近に持つて行きその左手で被害者がキチンとかけておいた同人のオーバーのボタンを取りはずしたこと即ち判示窃取行為の実行に著手したこと然る後爾後の金品物色窃取行為に移つたことを確認することができる。尤も被告人が右の如く判示被害者のオーバーのボタンを取りはずしたということは原判決がその判文簡にすぎ聊かその経緯をつくしていない嫌いはあるが、原判決の挙示する前掲各証拠と原判示事実とを比照考えて見るに、原判決の意図するところも、要するに被告人が判示石塚清より金品を窃取すべく同人のオーバーのボタンを取りはずしたことを前提とし同人背広上着左内ポケツトに左手を差入れ云々と被告人が判示被害者の着衣に手を触れ金品の物色窃取行為に関する窃盗未遂の事実を判示しおるものと解することは何等実験則に反するものでない。果して然らば、たとえ原判決に前述のような事実誤認の点があるとしても、原判決は少なくとも被告人が判示被害者石塚清から金品を窃取すべくその同人が着用していたオーバーのボタンを取りはずした上自己の左手を判示被害者の着衣に触れ金品を物色窃取しようとした際判示警視庁両名の巡査に発見逮捕されたためその目的を遂げなかつたものであるという窃盗未遂に関する事実を認定しておるものと謂うべく、この点では前段説示の如く被告人が判示被害者のオーバーの左内ポケツトに左手を差入れ云々と認定する場合と何等異るところがないから、結局原判決の前記事実誤認は何等判決に影響を及ぼさないものであると謂わざるを得ない。従つてこの点に関する論旨は理由のないものである。