東京高等裁判所 昭和28年(う)2491号 判決
被告人 関寧寿
〔抄 録〕
原判決挙示の証拠を綜合すれば、原判決認定のごとく、被告人が原判示日時頃居村大字半田六百四十五番地関丑六が亡父徳三郎の葬式を執行するため、同所字塚原六百四十四番地の共同墓地内に死体埋葬の墓穴を飯島徳之助外三名に依頼して堀らせた際墓穴が被告人の墓地にかかつたと因縁をつけ、同所にあつたシヤベルをもつて右墓穴を埋めてしまい、ついに右丑六をして別に墓穴を掘つて埋葬するの余儀なきに至らしめ、以て埋葬の時刻を遅延せしめて右丑六の営む亡父の葬式を妨害した事実を認めることができ、記録を精査検討し、当審における証拠調の結果に徴しても原判決に事実誤認の疑は存しない。弁護人は、当初右丑六の掘らせた墓穴の位置が被告人の墓地の境界線内に入つていたことは明らかで、被告人は葬式妨害の意思はなく、単に境界問題について話合いを申し入れたに過ぎないと主張するけれども、元来本件墓地は同部落の田崎清四郎、関恒男、飯島徳之助、堺初太郎、松信熊太郎、龜田庄之助、原田茂一郎及び田上新平の八名の共有地であり、その持分は平等で、共有者協議の上各自の使用区分を定めて使用して来たのであるが、右共有者の一人田上新平は昭和九年一月十七日死亡し家督相続人がないため絶家となつていたところ、被告人はその後右墓地の共有権を取得したと称して昭和二十二年三月頃ほしいままに右墓地内に自家の石碑を建立し、共有権者の石碑撤去の請求に応じなかつたため、ここに当時の共有権者田崎清四郎外六名の者から被告人に対し水戸地方裁判所土浦支部に石碑撤去の訴が提起せられ、その訴訟繋属中被告人は右共有者の一人であつた原田茂一郎からその共有持分の譲渡を受けたため、同裁判所において当時者間に石碑撤去調停事件が繋属するに至り、調停の結果昭和二十六年七月十九日原告たる従前の共有者と被告人との間に調停が成立し、その結果特に共有地の分割はしないで、被告人が墓地として使用できる部分を本件墓地の西側の部分で現在被告人方の石碑の建立してある部分を含む約一、三坪の地域とすることとし、爾後墓地の管理は共有者の協議に基いて行うこととなつたのであつて、その後共有者関恒男方の分家で共有者の一人となつた関丑六が亡父徳三郎の死体埋葬のため飯島徳之助外三名に依頼して掘らせた本件墓穴の位置が少しも右被告人の墓地として使用できる地域の境界線内に入つていないこと、及び被告人は前記調停において認められた地域以外に当時墓地として自己のため使用し得る地域を認められていなかつたことは、原判決挙示の証人関丑六、同田崎清四郎の各証人尋問調書、飯島徳之助の検事に対する供述調書及び水戸地方裁判所土浦支部民事特別調停委員会の昭和二十六年七月十九日附調停書の各記載並びに当審における検証の結果、当審における証人田崎清四郎、同飯島徳之助、同関喜治、同関丑六に対する各証人尋問の結果に徴し明らかなところであつて、また以上当審における各証人尋問の結果の結果に徴しても本件被告人の所為が単に所論のごとく墓地の境界問題について話合いを申し入れたに過ぎないものとなすことはできないことは明らかであるから弁護人の所論は到底採用し難い。畢竟原判決には所論のごとき事実誤認若しくは証拠によらないで事実を認定した違法は少しも存しないから論旨は理由がない。