大判例

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東京高等裁判所 昭和28年(う)2705号 判決 1953年11月17日

控訴人 被告人 根本こと呉万泳

弁護人 大塚一男 外三名

検察官 横川陽五郎

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役六月に処する。

この裁判確定の日から弐年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は被告人並びに弁護人大塚一男、同金綱正己、同佐藤義弥、同林百郎(連名)提出にかかる各控訴趣意書に記載されたとおりであるから、ここにこれを引用し、これに対し次のように判断する。

弁護人大塚一男外三名の控訴趣意第二点について、

原判決挙示の各証拠を綜合すれば、被告人は長野自由労働組合の画組合長であつたが、判示一記載の如く昭和二十五年十二月十五日午前十時頃判示組合員等と共に昭和二十五年度の越冬資金として組合員一人当り五千円の支給方を要求する等の目的を以て長野市役所に至り職員の制止にも拘らず全員同市役所二階市長秘書室に立ち入り、同市長不在のため同市助役倉島至に面会を求めたが、同人より代表三名だけになら会うと回答があつたにも拘わらず全員の面会を要求し、なおも同室に留まつていたため、同日午前十一時五十分頃同助役の命を受けた同市役所守衛長森山善太郎から、即時同室より退去方を要求せられるに至つたが被告人は依然これに応ぜず右組合員等と共に右秘書室に居残り、同室から退去しなかつたこと、並びに、判示二記載の如く同日正午過頃長野市警察署勤務巡査青木芳治が被告人に対し判示室内より退去方を要求したのにこれに応ぜず却て同巡査の大腿部を蹴り上げたので、同巡査が被告人を住居侵入の現行犯として逮捕しようとするや同巡査のネクタイを掴んでこれを引き締めその呼吸を困難なしめる等の暴行を加えたものであることが認められるのであつて、記録を調査するも以上の点における原審の認定は事実を誤認した違法があるとは認められない。弁護人は右被告人が室内より退去しなかつたのは正当な団体交渉を行わんがためであつて何等違法ではなく、却つて警察職員等がこれを強制的に退去させようとして被告人を逮捕しようとしたのは違法な行為であるから、かかる行為に対して公務執行妨害罪は成立しないと主張するので、この点につき判断する。

案ずるに、原審証人松橋久左衛門(原審第四回公判)並びに当審証人川本為郎(当審第二回公判)の各供述によれば、長野市は本件当時緊急失業対策法による失業対策事業として土木工事を施行しており、被告人はいわゆる日雇労働者として昭和二十五年三月二十八日長野公共職業安定所より失業対策事業就労適格者と認定され適格者証の交付を受け適格者証を交付された他の日雇労働者と共に輸番制を以て同市その他の失業対策事業に雇傭されていたことが認められるのである。抑も失業対策事業における事業主と労働者との雇傭関係は、公共職業安定所の紹介により当日一日限りの契約を以て締結されるのであるが、元来失業対策事業は、多数の失業者が発生し又は発生するおそれある地域において、失業者の情況に応じてこれを吸収するに適当な事業として、出来るだけ多くの労働力を使用することを目的として計画実施されるものであり(緊急失業対策法第四条参照)、一方において右失業対策事業に雇傭される労働者は労働組合法第三条にいわゆる賃金、給料その他これに準ずる収入により生活する者に該当することは明白であるから、かかる労働者と事業主との関係は仮令その形式上は各人一日限りの雇傭関係に過ぎずその日以外は何等使用者対被使用者と云う関係がないように見えるとしても、その実質においては当該失業対策事業が継続する限り、その事業主との間に使用者対被使用者としての関係が継続するものと認めるのが相当である。しかして失業対策事業の為公共職業安定所から失業者として紹介を受けて地方公共団体が雇用したもので法定の除外事由がないものの職は、地方公務員法第三条第三項第六号に規定する地方公務員特別職であつて、これらの者に対しては労働組合法の規定が排除されていない(地方公務員法補則第五十八条参照)のであるから、右失業対策事業に従事する労働者は労働組合法の規定するところに従いその労働条件を改善する為事業主との間に団体交渉権を有するものと解するのが相当である。事業主体側に賃金の額の決定権がない(緊急失業対策法第十条、同法施行令第五条第三号)ことはこれを以て直ちに失業対策事業労務者に対する労働組合法第七条の規定の適用を排除する事由とは認められない(昭和二七年不再一五号昭和二八年二月一八日中央労働委員会再審命令書参照)。

依つて進んで本件における交渉が右にいわゆる団体交渉として正当な行為と認められるかどうかの点につき判断するに、本件記録により被告人等の交渉の経過を検討すると、本件交渉は前記失業対策事業に従事する労働者としてその労働条件の改善を図る為の図体交渉と云うよりも、むしろ、長野市民たる被告人等失業者の最低生活を保障する為長野市長に対し生活資金を支給すべきことを要求するのが主眼と認められるのであつて、かかる交渉は使用者対被使用者の関係を前提とする団体交渉権の行使と云うには該当しない。仮に本件交渉が前示雇傭関係に基く図体交渉と認められるとしても、前示のように長野市助役より代表者三名とならば会うとの回答があつたにも拘わらず、全員の面会を要求し、数十名の組合員等と共に長時間に亘り市長秘書室に留まり、遂に右助役の命を受けた同市役所守衛長より即時退去方を求められたに拘らず尚もこれに応じないと云うが如きは団体交渉としての正当性の範囲を逸脱しているものと認められるのであるから、被告人か右要求を受けながら右秘書室より退去しなかつた行為は刑法第百三十条にいわゆる「要求ヲ受ケテ其場所ヨリ退去セサル」場合に該当するものであり原判決がこれを同法条により処断したことは正当といわなければならない。

しかして叙上のように被告人等が右室内より退去しなかつたことが刑法第百三十条の罪に該当する以上、これを住居侵入の現行犯として被告人を逮捕しようとした長野市警察署勤務巡査青木芳治の行為は適法且正当な公務の執行行為に該当し、これに対し前示の如き暴行を加えた被告人の行為が公務執行妨害罪を構成することもまた論を俟たない。

故に原判決には所論のような違法なく論旨はすべて理由がない。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 谷中董 判事 荒川省三 判事 中浜辰男)

弁護人大塚一男外三名の控訴趣意

第二点憲法第二十八条違反、事実誤認。

一、本件当時-昭和二十五年十二月十五日-、長野市は被告人をふくむ長野自由労働組合員の就労すべき作業の事業主体であつた。「証人松橋久左ヱ門(二〇二丁以下)判事、問 自由労組員の中で生活保護をうけている者は、五十家族ぐらいということだが同組合の全労組員は何人あるか。答 大凡二、三百名位ときいています。問 それらが越冬資金とかの名義で市役所に金の要求に行く根拠は、答 私にはわかりません。問 市役所は同組合の雇主ではないのか。答 左様です。ただ失業救済事業を政府に代行してやつている形であるから、他所には要求を持つていく処がないので左様な要求にきたものと思はれます。弁護人(二〇五丁以下)問市長は市として工事をおこし収入を増したいというがその実際は、答 市の工事を下請けさせないようにして、直営で昨年十月十七日頃から本年二月十五日迄工事をやり、三日-四日の輸番にて、一日六十名乃至八十名の者が働きました。問 そうするとその間は使用者として事業の主体であつたか、答 左様です。』被告人をふくむ自由労働組合員が長野市長らにたいして要求にでかける根拠は「わからない」のではなく、使用者としての事業主体に労働条件の改善に赴いたことは以上の証言によつても明白である。

二、のみならず被告人らがこの交渉にしばしば赴くにはそれだけの理由があつた。「被告人は、私は長野自由労働組合の副組合長でありますが同組合員は現在二百三十名位そのうち九十名位は生活保護法により生活の扶助をうけているという状態で、組合員はみな極貧者ばかり使う長野市役所にて施行している失業対策事業に働かしてもらへるのですが、同市役所においては、予算上では一日に何百人も働かすことが出来るのを、それだけの人数を働かさず、予算を国に返上しているというやり方であるため、組合員は一ケ月中、完全就労ができず、月の中、少いときは十二、三日位しか働くことができず、一日百七十三円の日当では収入の多い月が四千円位であります。………さような状態でしたから………昨年の十二月、組合大会をひらき組合員にたいし、各五千円の越冬資金を長野市役所より出して貰うことに決議し………私は組合長らと共に組合員を代表し長野市長に面会を求めてその交渉にあたつたのであります。………」(一一一丁以下)しかし市当局は、『証人片桐茂三郎(二一五以下)弁護人、問 証人がその日助役に会つた時、同人は越冬資金の問題に対し解決する態度でいたか、答 全然熱意がなかつた」「証人吉田拾身男(二二一丁以下)弁護人、問 十二月十五日以外に越冬資金の交渉をしたことは、答 あつた、十五日より前に幾度もあつた。問 最初の時と十二月十五日の交渉の時とでは熱意の点において違うところがあつたか、答 市ではあまり熱意を示さなかつた。」終始、このような態度で労働者にのぞんでいた。

三、以上の事実から明白なように、問題の十二月十五日市役所をおとずれた被告人らと、市当局の関係はたんに被告人ら市民が市役所を訪れたという関係ばかりではなく、長野市のおこした事業に働く労働者としての被告人らが事業主である長野市へ交渉に赴いたという二重の事実、法律関係にあつたのである。したがつてこれらの諸君を迎へた市役所の立場もまた市庁舎の管理者(又は市長に代りての管理代行者)という立場と事業主体としての使用者の立場を併せもつことになる、それゆえ被告人の「不退去」が犯罪となるかいなかもこの二つの観点から定めるのは当然であろう。

四、しかるに原判決はこの点の考察を怠り、助役からだされた管理者としての「退去命令」のみで有罪となし、労働法的立場をまつたく無視したものである。使用者は「労働者と会うことを欲せず、団体交渉を避けたがるものである」ことは、長い労働運動の歴史が示している。彼らは好んで退去命令をだす、しかし、これに応じない労働者が直ちに住居侵入罪として原判決のように処断されるならば、労働者の団体行動権(憲法第二十八条)は、有名無実である。それはまた、労働組合法第七条の規定にも反する。それゆえ、原判決の立場は、使用者好みの理論であつて、その意味で階級的判断(使用者本位)であるとの批難を甘受しなければなるまい。要するに「失業対策事業のため地方公共団体から雇用したものは地方公務員特別職であり、労働組合法の適用がある。」のであり、したがつて、使用者が同法第七条の団体交渉を拒否することは、法の禁ずるところなのである。(中労委、昭和二十七年不再第十五号事件にたいする昭和二十八年二月十八日附中労委命令参照)

五、本件被告人は日本国憲法にいうところの「勤労者」であり、労働組合法に定める「労働者」であり、長野市は被告人らを雇用する労働組合法上の「使用者」である。したがつて十二月十五日、退去命令に応じなかつたという被告人を直ちに住居侵入で罰した原判決は、右の事実にたいする法律の解釋適用を誤り、右の事実関係についての審理をつくさないために事実を誤認したものといわねばならぬ。尚、被告人を公務執行妨害の点でも有罪とした原判決が、右と同じ理由で誤つていることは、住居侵入罪を前提として公務執行妨害を認定していることからいうまでもなく明白であろう。原判決は破棄されなければならぬ。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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