東京高等裁判所 昭和28年(う)3425号 判決 1954年5月12日
控訴人 被告人 苅部栄一
弁護人 保坂治喜
検察官 大久保重太郎
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は弁護人保坂治喜提出の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、ここにこれを引用し、これに対し次のように判断する。
第一点について、
本件記録を調査すると、所論、昭和二十八年七月四日附追起訴状記載の公訴事実第一の要旨は、被告人は昭和二十八年一月二十日頃白井多蔵より伊藤平作に支払うべき現金七千円を預り同人の為保管中、その頃擅に自己の用途にあてる為、東京都内において着服横領したと云うにあり、これに対し、原判決認定の第一の事実の要旨は、被告人は白井多蔵より同人が伊藤平作に支払うべき金員を右伊藤方に支払うよう依頼を受け、その趣旨の下に昭和二十八年一月二十三日頃より同月二十九日頃迄の間三回に亘り右白井から合計一万三千円の現金を預り同人の為保管中そのうち一万円をその頃擅に自己の用途に充てる為、東京都内において着服したというのであつて、その間には一見所論のような不一致があると認められるが、本件記録によれば、右起訴状記載の公訴事実の趣旨は、被告人が白井多蔵より判示伊蔵平作に支払うべき趣旨で預つた金員の内七千円を着服横領したと云うにあることが明らかであり、又原判決認定の第一の事実の趣旨とするところは被告人は白井多蔵より前同一の趣旨で預つた一万三千円の内一万円を着服横領したと云うのであつて、右着服横領の行為はこれを預つた都度その当時各別の犯意に基き行われたと云うのではなく、これを包括して一個の横領行為と認め一罪として処断したものであることが明らかである。従つて両者は表現においては、一見所論のような相違があるけれども両者の相違は、被告人の横領した金が、右預つた金の内の七千円であつたか一万円であつたかの点に帰着するのである。従つて両者は基本たる事実関係においては全く同一であると認められるのであつて、別個の公訴事実につき判決したものではないから原判決は所論のように審判の請求を受けない事件につき判決をした違法があるものと云うことはできない、しかして原判決挙示の証拠並びに本件記録によれば被告人は白井から預つた一万三千円の内三千円を伊藤に渡し、残りの一万円を着服横領したものであつて(この点は被告人自ら原審公判廷において認めているところである)、ただ被告人は伊藤に対し三千円(謝礼金三百円を含む)を渡したのみであるのに、同人から、二千七百円及び三千三百円(合計六千円)の領収書計二通の交付を受けこれを白井に渡しているところから、白井としては被告人に横領された金額は七千円であるとしてその旨の被害届を提出し(記録一四丁)検察官も被告人の横領金額を七千円であるとして前示のように公訴を提起したことが認められるのである。
このような場合に検察官の起訴にかかる横領金額は七千円であるのに、訴因の変更をしないで直ちに一万円の横領の事実を認定しうるかどうかの点につき考察すると、本件のように被告人自ら横領金額が七千円でなく一万円であることを認めているような場合には、これをそのように認定しても被告人の防禦に不利益を及ぼすものでないから、裁判所は訴因の変更を待たないで、一万円の横領事実を認定することも違法ではないとの見解もありうるが、少くとも金銭の横領における横領金額はその構成要件に該当する事実の内最も重要な因子をなすものであつて、その金額が単なる誤記誤算に基くものでもなく、且つ七千円か一万円かと云う程度の相違がある場合においては、起訴状記載の横領金額を縮小して認定する場合は格別、本件のように起訴状記載の金額より大きな金額の横領を認める場合には原審としては訴因の変更を命ずるか、又は訴因変更の有無につき釈明をなし、検察官の請求により訴因を変更した上で、これを認定することが、新刑事訴訟法が訴因制度を認めた趣旨から見て正に取るべき措置と解せられるのであつて、この意味においては原審は、訴因の変更を命じ又は検察官の請求による訴因の変更を待つて、起訴状記載の横領金額より大なる金額の横領の事実を認定すべきものであつたのに、それをしなかつた点において訴訟手続に法令の違反があるものと云わなければならない。
しかし更に進んで右訴訟手続の法令違反が判決に影響を及ぼすか否かの点につき考察すると、本件の場合において被告人が横領した金額が七千円であるか一万円であるかと云うことは、被告人の本件犯罪の成否に消長を来すものではなく、又これにより被告人に対する量刑にも影響を及ぼすものではないと認められるので結局本件においては、右訴訟手続の法令違反は判決に影響を及ぼすことが明らかな場合とは認められない。故にこの点に関する原審の瑕疵は未だ以て原判決を破棄する理由とするに足りない。以上の理由により論旨第一点は結局理由がない。
(その他の判決理由は省略する。)
(裁判長判事 谷中董 判事 荒川省三 判事 福島昇)
弁護人保坂治喜の控訴趣意
一、原判決は起訴せられない事実について判決した違法がある。
原判決理由判示第一の事実は昭和二八年七月四日附本件追起訴状公訴事実第一と対照すると起訴された事実は被告人が一月二十二日頃白井多蔵より伊藤平作に支払うべく預り保管中の七千円也を其の頃着服横領したと言うのであるのに判示事実は同月二十三日頃より二十九日頃までの間三回に亘り合計一万三千円を同様預り保管中其の内一万円をその頃着服横領したとあり右七千円を超ゆる部分迄罪状として判示処罰したのは明かに起訴に係らざる事実を裁判したものと考える、現行法上連続一罪は認められぬ、三回に亘り預り保管中三回に亘り横領したと考えられるが然れば各別の横領罪になる筈で起訴事実以外は裁判すべきものでない、一回の横領行為と認定したと言うとしてもそれでは被害届(記録一五丁)と符合せず又被害者及検察官は七千円の範囲で罪責を問う意向なることに思いを致すと到底承服出来ない。
(その他の控訴趣意は省略する。)