東京高等裁判所 昭和28年(ネ)176号 判決
控訴人は、前記相馬本店の賃借権は罹災都市借地借家臨時処理法第一〇条によつて被控訴人に対抗することができると主張するものであるが、相馬本店は本件土地上に建物を所有してきたところ、東京都における、いわゆる、第六次建物強制疎開事業の実施として昭和二〇年春東京都長官から右建物疎開命令が発せられ、除却されたことは、本件当事者間に争のないところである。
被控訴人は、右疎開命令によつて、相馬本店は賃借権を失つたと抗弁し、控訴人は、右疎開命令は控訴人にたいして告知されなかつたから効力を生じなかつたと主張する。戦時中東京都における建物強制疎開事業実施のために建物所有者にたいして東京都長官のした、いわゆる疎開命令は、特定人にたいする行政処分と解すべく、その効力発生には命令が相手方たる特定人に告知されることが必要であると解すべきものである。どういう事実があれば、告知があつたとすべきか。相手方が了知することを必要とせず、了知し得べき客観的状態におかれることをもつて足りるとするのが相当である。かように解することが、行政処分の目的達成のための必要と、行政処分を受ける者の利益とをもつともよく調和するものであるからである。
原審証人大島秀男原審及び当審証人山形修次、同村田正栄当審証人新名哲の各証言、成立に争のない乙第二号証の一、二乙第六号証をあわせて考えると、昭和二〇年春、東京都におけるいわゆる第六次建物疎開事業の一部としての本件土地一帯の建物疎開の実施に際しては、まず所轄区役所の係り職員が町会役員あるいは警防団員をともなつて、除却すべき建物の各戸について疎開命令のあつたことを口頭でふれ歩き、各建物に疎開建物番号の紙札をはりつけてあるき、その際本件土地上の相馬本店所有建物へも右の番号札をはりつけ、当時右建物の賃借人であつた山形印刷株式会社の、本件土地から余り遠くないところにある事務所へも前記係員が行つて、本件土地上の建物について疎開のための除却命令のあつたことを告げたこと、右のほか所轄区役所は疎開命令の出たことを徹底させるため町会役員に区役所へ出頭を求め疎開命令を伝え、これを疎開区域の人々に伝達すべきことを命じ、右の者らは帰つてそのとおり伝達したこと及び町会の掲示板には詳細に疎開命令を記載した紙をはりつけたことを認めることができる。
右のような事実があつただけで、控訴人にたいする疎開命令は控訴人が了知し得べき客観的状態におかれたと認め得るかというに、当時戦局はなはだ不利におちいり、敵はほとんど抵抗をうけずに帝都を空襲し、官民ともに日々夜夜空襲の危険におびえており、交通機関通信機関ともに故障続出のありさまであり、都庁、区役所における職員も戦争要員として召集されるものも多く、これら官庁は熟練しない、かつ減少した職員によつて職務を行うほかない状況であつたことは、公知の事実である。また、建物疎開の事業は空襲の被害を少くするための極めてさしせまつた必要によるもので、その実施は急速を要すること、寸刻を争うともいうべきものである。これに加えて、疎開事業の性質上疎開命令をうける者の数はきわめて多数にのぼることはもちろんである。前記説示のような状況のもとにおいて前示のごとき性質をもつ疎開命令を告知するにあたつて、平常時におけるごとく、処分の相手方にたいして、いちいち書面を作つてこれを送達し、ことに、住所のわからない者についても手段をつくして調査して書面を送達するという方法をもつてするならば、疎開事業の急速実施の要求は全然みたされず、疎開事業は全然無用のことに帰すること明らかである。他方、東京都においては当時までにすでに五次にわたる建物強制疎開が実施され、なお疎開事業が行われることがあろうと予想されておつたことは明らかであり、ことに原審証人村田正栄の証言によると、本件土地附近一帯の人々は、近く疎開命令がでるであろうと思つて、これをうける覚悟もできていたというのである。以上の事情は、いやしくも財産を管理する能力を有するほどの者の当時だいたい了解し心得ていたところであると認めてさしつかえない。以上のような状況のもとにおいて、土地または建物を所有する者は、この財産に関する行政処分のあつた場合に、平常時のとおりの絶対確実な方法による告知を期待すべきものではない。かような状況のもとにおいては、建物を所有する者で、その建物所在地に在住しない者は、その建物に関するなにごとかが生じた場合にただちにこれを知り得るように、たとえば、その建物の賃借人にレンラク方を依頼しておくなどすることが前記情況下においては財産管理のために当然なすべきところである。(あたかも、家事上の使用人もしくは業務上使用人にたいして、使用者にあてた書面を受取つた場合確実にこれを使用者に交付し、もしくはその内容を伝達するよう命じておくことが当然期待せられると同様である。)ことに相馬本店は東京都内に千戸に近い貸家を有し、その管理と金融業のために東京に出張所をおいていたことは、控訴人申出の証人の証言によつて認められるところで、前説示の管理者として当然すべきことはもちろんぬかりなく実行していたものと期待して少しもむりではない。したがつて、本件疎開命令の告知のためにとられた前段説示の措置によつて、相馬本店は疎開命令を了知し得べき客観的状態におかれたと認めるのが相当である。本件疎開命令は告知せられ効力を生じたものというべく、この点に関する控訴人の主張は理由がない。
なお、控訴人は、東京都における第六次疎開の際は建物の除却を命じてその補償をしただけで、その敷地の借地権は収用しなかつた、したがつて疎開命令が告知されて効力を生じたとしても、相馬本店は借地権を失わないと主張するけれども、いわゆる第六次疎開の際にも疎開建物の敷地が借地である場合については借地権をも収用したものであることは、原判決理由中、この点に関する説示と同様に解すべきものであるから、右説示をここに引用する。