東京高等裁判所 昭和28年(ネ)600号 判決
控訴人の訴外宮本蔵治に対する長野県下水内郡豊井村大字宮沖二千五百七十六番田二反二十歩の賃貸借契約解約許可申請に対し被控訴人のなした許可処分につき、被控訴人が昭和二十六年十月三日附長野県指令二六農地第三八五号を以てなした取消処分はこれを取消す。
訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。
二、事 実
控訴人訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴人訴訟代理人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の陳述は、控訴人訴訟代理人において、「(一)原判決事実摘示中、控訴人の主張として掲げた(イ)(ニ)(ホ)の三点は撤回する。被控訴人が本件許可処分取消の理由として主張する控訴人の五男津金正幸の帰農は仮装であるとの事実は否認する。尤も右正幸が昭和二十六年三月頃控訴人の許に帰農した後、同年六月十六日川崎市中瀬三丁目百四十一番地に転出手続をしたことは争はないが、右は訴外宮本蔵治、日本農民組合並びに日本共産党員等による本件土地取上反対の示威運動のため、自己の身辺に危険を感じ已むを得ずなしたのであつて、現在その危険が去つたから既に帰農し、現実に農業に従事しているのみならず本件において、農地賃貸借の解約許可につき、右正幸の帰農の有無ないし小作人たる訴外宮本蔵治の土地返還の同意書の有無の如きは、許可処分の必須の前提条件をなすものでなく、要は右解約が農地調整法第九条第一項の定める正当の事由ある場合なりや否やを審査して決せらるべき問題であるから、仮りにかかる点につき一部不備の点があるとしても、一旦なした許可を取消すべき正当の理由となるものでない。そして本件において小作人たる宮本蔵治は、商業を以て生業とし、一部自活の資として農業を兼営する者に過ぎないのに反し、控訴人は農業を本業とし、自作をなすに必要な施設経営能力を有する完全農家であつて、本件農地を右訴外人に小作させるよりは、控訴人に自作させる方がより農地の生産力の増大となることは明らかであつて、即ち許可すべき主要な要件は具備せられているのである。(二)被控訴人の本件農地賃貸借解約許可は農地調整法第九条に基く行政処分であるが、かかる行政処分と雖も、訴願または行政訴訟等法律の認めた不服申立の結果取消または変更せられることあるは格別、かような手続によらないで、一旦なされた行政処分につき、たとい後日不当であつたことを発見したとしても、処分庁自身が紊りにこれを取消し得べきものでない。若しかかることができるとすれば、当事者の権利関係は何時までも安定せず、法律秩序は破壊されるに至るからである。」と述べた外は、原判決事実摘示と同一であるから、これをここに引用する(証拠省略)。
三、理 由
控訴人が昭和二十五年三月二十日、豊井村農地委員会を経由して被控訴人に対し、農地調整法第九条第三項に基き、当時訴外宮本蔵治に賃貸小作させていた長野県下水内郡豊井村大字宮仲二千五百七十六番田二反二十歩につき賃貸借契約解約の許可申請をしたところ、被控訴人は昭和二十六年五月十九日これが許可処分をしたが、次いで、同年十月三日右許可を取消し、同年十月十日その旨控訴人に通達したことは、当事者間に争がなく、右許可の取消処分が右昭和二十六年十月三日附の長野県指令二六農地第三八五号に基くものであることは成立に争のない甲第二号証によつて明らかである。
被控訴人は、さきになした許可は、控訴人の五男正幸が帰農し農業従業員の増加したという新事実をその許可申請の理由としてきたので、長野県農地委員会の意見を聴いた上、一応右正幸帰農の事実を真実と認め、また右解約についても賃借小作人宮本蔵治の同意があつた旨の豊井村農地委員会の確認書の提出があつたので、これを信じて前記許可をなすに至つたものであるが、その後調査の結果、右事実が真実に反し正幸の帰農というも実は仮装であり、解約につき賃借人宮本蔵治の同意も得ていないことを発見したので、さきになした許可は重大な事実の誤認に基く瑕疵ある処分としてこれを取消したものであると主張するので、先ず前記許可ないしこれが取消処分に至る諸般の経過について検討する。
成立に争のない甲第二十四ないし第二十六号証、同第二十八号証の一、二、第三十、第三十一号証、乙第二、第三号証、第七ないし第十二号証及び原審証人西沢一男、同倉沢章平、同関川岩男、同小林長治、同神田明、同小橋真十郎、同宮本蔵治、同原田君治、同田中元、同津金正幸、当審証人宮本蔵治、同小林長治、同原田君治、同田中元、同小橋真十郎の各証言を総合するときは、(一)、本件土地は控訴人において訴外宮本蔵治に賃貸耕作させていたものであるが、終戦後控訴人は数次に亘り居村豊井村農地員委会を経由して被控訴人に対し、戦災復員等による引揚により家族が増加したことを理由として、右賃貸借解約の許可申請をし、その都度却下または書類の返戻を受けて許容されなかつたところ、昭和二十五年三月に至り、控訴人の五男正幸(当時二十二年)が帰農するにつき農業従業員が増加することをも主たる理由の一として、許可申請書(甲第二十四号証)を被控訴人宛前記豊井村農地委員会に提出したので、同委員会は委員小林長治、神田明、小橋真十郎の三名を特別委員に選び、控訴人と右宮本との間に立つて話合の斡旋に当らせた。(二)、ところが宮本は右特別委員等に対して口頭で、控訴人の五男正幸が真実帰農するにおいては、本件土地のうち一部ならば青田でも返還してもよい旨答えたが、これを文書化することは男子に二言なしとて拒絶したので、前記特別委員三名は豊井村農地委員会の書記田中元をして確認書の形式でこれを文書化させ、各自これに連署して甲第二十六号証の如き文書を作成したが、右文面によれば右宮本は控訴人の五男正幸が帰農した場合土地を返還することに同意したが、同意書の提出については同人は男として二言はないから書類の提出を要しないと確言した旨の記載があるだけで、右宮本が返還に同意したという土地が本件農地の一部に過ぎないという前示の趣旨が明確化されて居らず結果においてその全部を意味するが如き記載がなされていること。(三)、豊井村農地委員会の本件賃貸解約許可を可とする旨の意見書に添えて前記確認書の送付を受けた長野県農地委員会においては、右確認書の成立経緯について前記田中書記の補足説明もあつたので、右宮本の本件農地の返還同意書はなかつたけれども、前記確認書の記載を全面的に信用し、且つ前記正幸の帰農の事実も一応真実と認めて、右申請を許可するを相当とする旨被控訴人に答申したため、昭和二十六年五月十九日被控訴人は前記許可処分をしたこと。(四)、しかるにその後間もなく賃借人宮本から、右許可を取消されたいとの陳情があつたので、長野県農地委員会において事実調査の結果、確認書の記載内容につき前示のような事情が判明したのと、真実正幸が帰農したか否かの点について、正幸は昭和二十六年五月十四日その勤務先の会社の所在する川崎市から、控訴人方に転入の手続をしながら本件許可のあつた直後である同年六月十六日旧住所に転出の手続をなし、その頃から右控訴人方で農事に従事していなかつたのみならず、右正幸が昭和二十六年三月頃控訴人の許に帰村した折も、従前の勤務先である川崎市所在の池貝自動車製造株式会社に対しては、退職手続をしていなかつたことなど帰農事実を真実と認め難い事情がわかつたので、前記正幸の帰農というも、実は許可を得んがための仮装に過ぎないとの見解の下に、県農地委員会の意見を聴いた上ここに被控訴人はさきになした許可はかかる重大な事実の誤認に基く瑕疵があるとして、昭和二十六年十月三日前記許可を取消すに至つた諸般の経緯を認めることができ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
しかし一面、前顕甲第二十八号証の一、二、成立に争のない甲第四十三号証、同第四十五号証、真正に成立したと認める甲第四十五号証、原審及び当審証人原田君治、同津金億栄、同津金正幸、当審証人津金源治の各証言並びに原審及び当審における控訴人本人の尋問の結果を総合すれば、前記正幸はかつて農事について特別の訓練を受けて渡満し、開拓農民として数年に亘る経験を積む中終戦となり、昭和二十一年六月父である控訴人の下に帰還した者であるが、当時控訴人方では農耕地も少くその希望する農業に従事することもできなかつたので、離村して前記川崎市所在の自動車修理工場に職工として勤務することとなつたものの、帰農の希望を捨て難いものがあつたこと、控訴人においてはこれら事情もその理由の一つとして前示許可申請をなすに至つたのであるが、前説示の如く右許可申請当時正幸は一旦帰村はしたが、勤務先には退職の手続をとらず、また許可があつて間もなく転出する等、その外見的事実のみから見れば一見、許可申請の理由とした正幸の帰農は単なる仮装のように見受けられるけれども、右は正幸において初めから帰農の意思なく、または中途帰農の意思を抛棄したものでもなく、許可の有無が判明せず、また許可あつた後も控訴人と宮本との間で訴訟沙汰となり農地の返還を受けられず、控訴人の方では必ずしも今直ちに正幸の帰農を必要としなかつたのと、当時農地取上反対示威運動が熾烈であつたため、正幸は已むなく一時元の川崎市在に復帰して父の居村を離れていたに過ぎないこと、そして本件許可取消後ではあるが、昭和二十八年五月頃以来帰村して専心農業に従事していることが窺知できるのであつて、本件許可申請に当り、控訴人側において、初めから右正幸の帰農を仮装する等の詐欺的不正行為があつたものとは、到底認めることはできない。
ところで行政庁が、一旦なした許可という行政処分を自由に取消し得るかどうかについて考うるに、元来許可が行政庁の自由裁量に属するものであつても、それはもともと法律の目的とする政策を、具体的の場合に行政庁をして実現せしめるために授権されたものであるから、処分をした行政庁が自らその処分を取消し得るかどうか、即ち処分の拘束力をどの程度に認め得るかは、一律には定めることができないものであつて、各処分について授権した当該法律がそれによつて達成せしめんとする公益上の必要、つまり当該処分の性質によつて、定まるものと解するのが相当である。本件において長野県知事たる被控訴人は、農地の賃貸借の当事者である控訴人が、農地調整法第九条第三項所定の許可を受けるため、正幸の帰農のことを理由として申請書を提出しても、被控訴人としてはその申請書の記載にかかわりなく、同法施行令第十一条所定の基準に従い、諸般の事情を考慮して許可を与えるのが相当であるかどうかを決すべきものであり、一旦行政庁がその権限に基いて許可を与えればそれによつて私法上の法律行為の効力発生要件となる法律状態が形成されることになるのであつて(同法第九条第五項参照)、かかる場合申請者側に詐欺等の不正行為があつたことが顕著でない限り、処分をした行政庁もその処分に拘束せられて、処分後にはさきの処分は取消できないことにしなければ、農調法第九条第三項所定の、法律行為について特に賃貸借当事者の意思の自主性を制限して、その効力を行政庁の許可にかからしめた法律秩序には、客観的安定性がないことになり、却つて耕作者の地位の安定を計る農調法の目的に副わないことになることは明らかである。
以上の見解を叙上認定の諸般の事実に照らして考うるに、たとえ被控訴人が前記許可処分をするに当り許否の資料とした前記確認書の記載内容において、一部賃借人たる宮本の真意に副わないところがあり、且つ正幸の帰農の事実の有無の判定について、調査不十分の点があつて、若し前示後日判明した事情がわかつていたとするならば、許可すべきでなかつたとの見解に到達したとしても、農地返還に関する賃借人の同意若しくは賃貸人の農業要員の増加の有無の如きは、それのみが前記許可の基準に関する絶対不可欠の要件をなすものでもなく、それは単に被控訴人が主観的に重要視した事項についてさきの調査が不十分であつたかも知れないという内部の事情に過ぎないことであつて、かかる事情の下においては許可処分をなすに当り、重大な事実の誤認ないし要素の錯誤があつたことを理由として、農調法上の法的秩序に優位せしめなければならない程度に、さきの許可を取消すべき公益上の必要あるものと認めることができないと断ずるの外はない。
してみると被控訴人のなした本件許可取消処分は、違法として取消を免れず、これと反対の見解に出でた原判決は不当であるから、民事訴訟法第三百八十四条に則り原判決を取消し、訴訟費用の負担につき同法第八十九条、第九十六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 斎藤直一 菅野次郎 坂本謁夫)