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東京高等裁判所 昭和28年(ラ)288号 決定 1953年12月16日

抗告人 山田チサ子

右代理人弁護士 田畑喜与英

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告理由は別紙抗告理由書記載の通りである。

右理由第一審判手続上の理由について

(一)  抗告人は先ず原審判当時池下きみ及び池下惠子の各審問調書に家事審判官の氏名の記載又は之に代るべき押印がされてなかつたのに之等調書を唯一の資料としてなした原審判は失当である旨主張するけれども、家事審判官が事件の関係人を審問した場合家事審判規則第十条により家庭裁判所書記官に於てその調書を作成すべきであり、右調書の方式については家事審判規則及び非訟事件手続法に別段規定するところがないけれども右調書上審問に当つた審判官の氏名を明認し得ることを要するものと解すべきは勿論であるところ、記録によれば池下きみ及び池下惠子の各審問調書には審判官の署名捺印がなされてあることを認め得べく、之により同審判官が右審問に当つたことが明らかであるから、審判官の氏名の表示に関する限り右調書は現に完備しているものと言うべく、右以外に別に審判官の氏名の表示又は之に代るべき押印をする必要はないものと言わなければならない。

而して右の場合に審判の資料となり得べきものは審問の結果であつて、審問調書ではないから審問調書が完成した上でなければ審判をなし得ないものと解すべきではなく、従つて右審問がなされ且現に前記審問調書が完備している以上、仮に抗告人主張の通り原審判告知の当時に於て右審問調書に審判官の氏名の表示又は之に代るべき押印がなかつたとしても原審判そのものが違法なるものとはなし難く、抗告人の前記主張は之を認容することができない。

(二)  次に抗告人は原審はその審判書に審判官の署名下の捺印がされていない儘之を抗告人に告示したから違法である旨主張するけれども記録によれば原審は審判告知の方法として審判書の謄本を郵便に付して送達する方法を採つたことが認められるところ、原審判書には現に審判官の署名下にその捺印がされてあることが認められ、この事実と審判書原本に審判官の署名捺印がなされ原本として完成した上でなければ告知手続をしないのが常態である事実とに徴すれば前記審判書謄本の発送の時に於て既に審判書原本に審判官の右捺印がなされてあつたものと推認すべきであり、その反証はない然らば右告知当時右捺印がなかつたことを理由とする右主張も到底之を認容することができない。

右理由第二、実体上の理由について

原審に於ける抗告人及び池下惠子の各審問の結果並びに抗告人及び山田チサ子の各戸籍謄本によれば原審の認定した通りの事実及び池下惠子が昭和十三年二月二十日生の未成年者であることを認めることができ、以上認定の事実に徴すれば本件養子縁組を許可するときは将来之により右池下惠子が藝者となるべく運命ずけられる虞れがあるものと認められるのであつて、現下の社会情勢に照らし池下惠子の年少であること等に鑑みれば同人を右のような地位に置くことは同人の将来の幸福利益の為望ましくないものと認めるべきであり原審も畢竟右と同趣旨の理由の下に本件養子縁組の許可申請を排斥したものである。抗告人の主張は独自の見解に立脚して右原審の説くところを非難するものであつて到底之を認容することができない。

その他記録を精査しても原審判に何等不当又は違法の点のあることを認め難いから、本件抗告はその理由がないものとし主文の通り決定した。

抗告理由書第一省略

第二実体上の理由

(一) 原審のなした申立却下審判の不当

(イ) 原審は「事件本人の母きみは男まさりの女丈夫で月収一万二千円を得て興業の世話人をしており子女の養育に別に事欠かぬ」と「抗告人に昭和一九年生れの実子一女があり藝者二名を拘えて置屋をしている」とを認定しこれを彼此対照比較すれば本件養子縁組は将来事件本人を藝者にすることの目的が申立人にないと断言できないし又将来本人が藝者になることに運命付けられる虞があり本人の人権を侵害するか又はその虞があるとして申立を却下した。

然し右認定は明かに相容れざる矛盾を包蔵している蓋し、本人の母は男勝りの女丈夫で子女四人を優に養育するの生活力を持つているならば何の要あつて本人を原審認定の恐れるような藝妓となる運命の所に養子にやることの代諾をするであろうか、否々その様な危惧の寸分も存しないことを確めているからこそこの養子縁組に同意するのであり安んじて之に代諾するものであること前掲きくの審問調書にある陳述を精読すれば之を理解し得て尚余りある。事実の誤認も甚しい。

(ロ) きくの右審問調書十項には「若し将来惠子が藝者になじみ自分もなりたいというのなら私としてはそれでもよいと思う」旨記載されているが、これこそ前(イ)の真実に反し全く仮定を前提として誘導により陳述せしめられたものに外ならない。こと該審問調書の通読により明かである。これ等仮定のしかも全く意思と希望に反する記述を以て原審認定を為すことは失当も甚しい原審が申立却下をした理由の二つの内の一は正にこの陳述を根拠としている。即ち原審は何か本件が他のものを仮装するかの予断を以て審判したと疑うの余地を明かに示している、藝妓置屋を営む者との養子縁組につき考慮さるべき点は借財等の為め養子縁組に仮装され、ひいては親権の名の下に本人即ち養子の人権を侵害し又は不利をもたらすことにあるのである。

本件は双方真に縁組の意思あり、抗告人、本人共に将来共本人を藝妓にしないならいいと堅い決意を明白にしておりこのことは前段及後段の詳細明瞭にしているところである又右仮定に基く原審の観るが如く万が一にも遠き将来にでも本人の全く自由なる意思に基き藝妓となつたとしても何か故にそれが本人に不利であり、何か故に人権の侵害であろうか何故本件養子縁組がその素因であろうかについて原審は何等肯緊に当る理由を述べない即ち論理の飛躍である、敢ていうまでもなく藝妓を業とすることは何等公共の福祉に反しない、藝妓となること常に必ずしも当人の不幸不利とは云えないし、第一職業には今日と雖も貴賤はない憲法二十二条は国民に対し侵すことのできない国民の基本的権利として職業選択の自由を保障している、原審の思考に於てはこの職業選択の自由を何辺より制限せんとするものであるか、尤も本件は本人を藝妓にする気も、なる気もないのでかく論議することも必要なしと云えばそれまでであるが仮定論を根拠とし憲法の与えた職業選択の国民の基本的権利を以て人権の侵害と看るの誤れることまことに明かである。

更に原審の云う第二の藝妓置屋を営める中は養子をして将来藝妓にする虞がありかくては養子の人権侵害だとなすのは、前述の如く不当目的ある場合なら格別前後述の如く斯る心配ない縁組を許さぬというに至つては藝妓置屋を廃業する迄は絶対に養子縁組の許可は得られないこととなり正に憲法十四条の身分性別により法の下に国民が平等であるとの基本的人権は擁護せられない即ち原審の審判理由は実に右二箇の憲法違反があるから取消は免れない。

(ハ) 加えきくは右審問六項でも前記認定の自己の家庭よりも本人が抗告人の養子となる方が幸福であるといつている我子の将来に多幸を希わない母親はない民法七九八条但書の規定もその原則の適用に外ならない、審判の本来の目的は亦本人たる幼少者の養子の将来の幸福を目的する以外のものであつてはならない、母たるきくも抗告人を藝者にする気は全然ないし本人も藝者になる気はないと断言しているのだから本人が将来藝者になる虞は全くないと云わなければならない、原審は単に抗告人が藝者置屋をしているとの点のみに著眼し且之に執らわれて叙上の如く断定したのは著るしい独断で失当であり、しかもこの事実誤認は次の審理不尽にも基因するもので破棄を免れない。

(二) 原審の審理不尽

抗告人は従来マージヤン屋(クラブ)を営んでいたが思わしくないので三年程前藝者置屋を初めたが元来虚弱な身体でその為め現にこの八月は休業している状態で、永くこの業を続ける体力も亦気もないので予てから、なるべく早くこれを廃業し身につけている和裁の技術で生計を樹てようと計画しており、又本人にはその希望している編物と洋裁を習熟させ将来は裁縫業をさせることにしたい考えで本人もよく承知しており他面抗告人の実子芳子(昭和一九年生)は既に肺門淋巴腺炎を永らくわずらつており極めて健康勝れず小学校も欠席を重ねているのでやがては早目に本人によき配偶者をめあわせてその将来を共に幸福に送らんとしているのである。

本人が今春中学の課程を卒えて後抗告人は本人に先ず洋裁を習わせようといつたが本人は最初編物を覚えたいと希望してまとまらず家にあつて専ら編物の稽古をしていたが過般○○市内○○編物服飾学院本科に入学し専心勉学しており又本人が抗告人と養子縁組をしようという話は一両年前初まり昨年来抗告人と起居を同うし爾来本人は芳子の勉強を援け身のまわりをみてやり芳子は本人に親しみその相和していること実姉妹も及ばない所である。元来職権審理の審判に於て原審は叙上の真相に全然ふれることなく単に抗告人の現業のみに拘泥した審理をして申立却下の審判をもたらしたのは審理不尽で原審判は正に取消を免れず他面本件養子縁組は速かに許可の裁判をせられて然るべきであると信ずる。

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