東京高等裁判所 昭和28年(行ナ)5号 判決 1958年11月27日
原告 吾妻貞勝
被告 特許庁長官
主文
昭和二十六年抗告審決第六一九号事件について、特許庁が昭和二十八年一月二十九日にした審決を取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一請求の趣旨
原告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求めると申し立てた。
第二請求の原因
原告代理人は、請求の原因として、次のように述べた。
一、原告は、その発明にかかる注射用沃度剤製造法について、昭和二十四年十二月二十四日特許を出願したところ(昭和二十四年特許願第一三七八〇号事件)、昭和二十六年七月十日拒絶査定を受けたので、同年八月十五日右査定に対し抗告審判を請求したが(昭和二十六年抗告審判第六一九号事件)、特許庁は昭和二十八年一月二十九日原告の抗告審判の請求は成り立たない旨の審決をなし、その謄本は同年二月十日原告に送達された。
二、原告の本件出願にかかる発明の要旨は、「沃化カルシウム溶液中に適宜量の沃度酸カルシウムを加え、弱アルカリ性を帯わしめて沃度を遊離することなからしめたことを特徴とする注射用沃度剤の製造方法」であるが、審決は、「沃度酸の塩類を注射するときは、人体に有害であることは、高瀬豊吉著『改訂新版、化学構造ト生理作用』の記載によつて明らかであるところ、本件出願において使用される沃度酸カルシウムが、沃度酸の塩類であることは明瞭であるから、結局本件出願の発明の方法によつて得られる製品は有害で衛生を害するものと認められ、特許法第三条第四号の規定によつて特許することができない。」としている。
三、しかしながら審決は、次の理由により違法であつて取り消さるべきものである。
すなわち原告が製造販売している注射薬「マリアジン」は、本件出願にかかる発明の注射用沃度剤製造法を以て製造した注射薬であるが、審決がいうとおりだとすると、当該注射薬「マリアジン」は有毒であつて、到底医薬とはなり得ない筈である。しかるに事実は全然これに反し、数年間にわたる臨床実験の結果無害なることは勿論、高血圧症、結核その他の治療に著大な薬効を奏すことが明らかとなつており、少なくとも衛生を害する虞は全然ない(甲第三、四号証参照)。
従つて審決が単に高瀬豊吉氏一個の「沃度酸の塩類を注射するときは、人体に有毒である。」との意見に基いて、本件出願の発明が特許法第三条第四号に該当するものとなしたことは、明らかに誤りである。
更に特許法第三条第四号の規定は、その発明の本来の目的に従つて使用せられる場合に、秩序若くは風俗を紊り、又衛生を害する虞あるもの、法令又は公序良俗若くは衛生に害あるの期待の下に作られるものにのみ適用があるものであつて、発明の利用又は製作された物の使用が不当な場合には、秩序若くは風俗を紊り、又は衛生を害する虞があるというものに、その適用のないことは論を待たないところであり、また秩序若しくは風俗を紊り又は衛生を害する虞ある発明なりや否やは、社会通念及び特許法自体の目的により決すべきものである。
本件発明の本来の目的が、注射量中の沃度含有量を極量の数倍ないし数十倍に達せしめ、沃度剤独特の変質作用を十分かつ迅速適確に発揮して、動脈硬化症、血圧硬化症その他の疾患の治療に適する注射用沃度剤を容易かつ安価に得んとするものであることは、特許願書添付の明細書に記載するところであり、メトヘモグロビンの形成ないしは肝臓の脂肪変性等を本来の目的とするものでないことは自明のことである。
本件発明が、その製造の過程において、沃度酸の塩類を使用するものであることは、原告の争わないところであるが、高瀬豊吉の著書を引用する被告の主張は、沃度酸の塩類の化学的性質が、人体に一定の生理作用を及ぼすということを主張するに止まり、本件発明が社会通念及び特許法自体の目的に照し、衛生を害するの虞があるものか否かについては、被告は何等の主張もしていない。
原告は、次の理由から本件発明はその製造過程において沃度酸の塩類を使用するにかゝわらず、社会通念又は特許法自体の目的に照し、衛生を害するの虞なきものであることを主張する。
(1) 原告が本件発明の製造法に従つて製造した注射用沃度剤の一例たる「マリアジン」については、東京大学その他の病院で長期間の臨床実験を行つた結果によれば、その本来の目的たる治療効果が優秀であり、かつ被告が沃度酸の塩類について主張するような有害な生理作用は全然生じなかつた。
(2) 仮りに本件発明によつて製造された注射用沃度剤を人体に注射した場合に、被告の主張するような有害な生理作用が生じたとしても、これらの生理作用には、いずれも適当な対策があつて、これを容易に除去することができる。
(3) 高瀬豊吉氏の前記著書に、沃度酸の塩類の生理作用として記載されたメトヘモグロビン形成作用は、ヒドラジツトその他数種の医薬品もこれを有し、同じく肝臓脂肪変性作用はテビオンその他数種の医薬品がこれを有している。又ストレプトマイシンの如きは、第八脳神経に障害を与え、歩行及び聴力に強度な障害を生ぜしめることは公知の事実である。病患の治療に著効ある医薬品で、その組成部分の化学的性質には有害な生理作用を生ずる可能性があるけれども、その使用方法によつて全く害がないか、又はその害の少ないもの、害があつたとしても除去が極めて容易なものの例は極めて多く、寧ろ医薬品として副作用を伴わないものの数は甚だ少ないのであるが、もし被告の主張するように、右のような場合をすべて特許法第三条第四号に該当するものとするならば、およそ新規の医薬で特許法の保護を享受することのできるものの数は極めて微々たるものであつて、それは決して特許法第三条第四号の法意の求めるところではない。
以上被告の主張は化学的見解を取つて以て、直ちに法律解釈に置き換えたことに帰し、特許法第三条第四号の解釈を誤つたものといわなければならない。
第三被告の答弁
被告指定代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、原告主張の請求原因に対して、次のように述べた。
一、原告主張の請求原因一及び二の事実は、これを認める。
二、同三の主張は、これを否認する。
(一) 原告主張の注射薬「マリアジン」が、本件出願にかゝる発明の注射用沃度剤製造法を以て製造したものであるかどうかは不明であるばかりでなく、仮りに右薬剤が本件出願の発明の方法によつて得られる薬剤で同一であるとしても、本件発明は、その明細書の記載からみて、該方法によつて得られる製品を、人体に注射するときに有害であることは審決が引用した高瀬豊吉氏の著書によつても明らかであるから、審決が本件出願の発明は衛生を害する虞があるものとして、特許すべからざるものとしたのは何等違法ではない。
(二) 本件出願の発明が、その製造法において原告の主張するような新規性があるとしても、すでにその発明の方法によつて得られた製品が、衛生を害する虞のあるものである以上、これを特許することのできないのは、特許法第三条第四号の規定から当然である。
第四証拠<省略>
理由
一、原告主張の請求原因一及び二の各事実は当事者間に争がない。
二、右当事者間に争のない事実とその成立に争のない甲第一号証(本件特許願)とを総合すれば、本件出願にかゝる発明の要旨は、「沃化カルシウム溶液中に適宜量の沃度酸カルシウムを加え、弱アルカリ性を帯わしめて、沃度を遊離することがないようにしたことを特徴とする注射用沃度剤の製造方法で、「注射量中の沃度含有量を極量の数倍ないし数十倍に達せしめ、しかも何等の副作用をも伴うことのなくして、沃度剤独特の変質作用を十分、かつ迅速適確に発揮して、動脈硬化症、血圧亢進症、脳溢血、腺病性体質、機能障害、諸疾患等の治療に最適な注射用沃度剤を容易かつ安価に得ようとすること。」を目的とするものであることが認められる。
三、審決は、高瀬豊吉の著書「改訂新版化学構造ト生理作用」(乙第一号証の一、二)を引用し、「沃度剤の塩類を注射するときは、人体に有害である。」と認定した上、「本件出願において使用される沃度酸カルシウムが、沃度酸の塩類であることは明瞭であるから、結局本件出願の発明の方法によつて得られる製品は有害で、衛生を害するものと認められ、特許法第三条第四号の規定によつて特許することができない。」としたことは、先に認定したとおり、当事者間に争のないところである。
そしてその成立に争のない乙第一号証の一、二によれば、前記著書(改訂新版第四四九頁)には、「Jodsä3及ビ其塩類ハChlorsä用ヲ呈スルノ外、吸収セラレルトキハMethä、其作用ガ徴弱デアル。Jodsä大臣は昭和二十七年五月二十一日薬事法第二十六条第三項、同法施行規則第二十四条の指定に基き沃度酸カルシウムを含有するマリアヂンを公定書外医薬品として製造することを許可していることを認めることができるから、審決が前記著書の記載より直ちに、本件出願の発明の方法によつて得られる製品のすべてが有害であると断じ、本件出願の発明は、特許法第三条第四号にいわゆる衛生を害するの虞れのあるものに該当するものとしたのは失当といわなければならない。
四、以上の理由により、原告の出願にかかる発明は、特許法第三条第四号に該当し特許することができないとした審決は、爾余の争点に対する判断を俟つまでもなく違法であつて取消を免れないものであるから、原告の請求を認容し、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決した。
(裁判官 内田護文 原増司 入山実)