東京高等裁判所 昭和29年(う)1585号 判決 1956年2月27日
控訴人 被告人 植松七之助
弁護人 米村嘉一郎
検察官 小出文彦
主文
本件控訴を棄却する。
理由
論旨第二点及び第三点について
勝間田清一は公務員(衆議院議員)であるところ、公務員に対する名誉毀損の所為は、摘示事実の真実なることにつき証明があるときは罪とならないことは所論のとおりであり、また、公務員に対する名誉毀損罪の成否については、摘示事実の真実性に関する証明の有無は、これを犯意の対象として考察すべく、仮りに、摘示事実の証明が十分でない場合においても、その証明十分ならざることについての認識の欠除(または、その証明ありとの確信の存在)は犯意を阻却するものと解すべきこと、また、所論のとおりであるが、後者につき、犯意を阻却するのは摘示事実の真実性につき証明が十分ではないが、摘示者においてこれを真実なりと信ずるにつき相当の理由がある場合に限るのであり、換言すれば、それは、摘示者の単なる善意の誤認を許容するものではなく、その証明は不十分であつたが、摘示者が摘示事実を真実なりと信じたのは無理のないところであると、健全な常識に照らし合理的に首肯し得る程度の客観的な資料乃至情況がある場合でなければならないと解するのを相当とする(大阪高等裁判所第一刑事部、昭和二五年一二月二三日判決。高等裁判所刑事判決特報一五号一〇〇頁参照)。
よつて考察するのに同証人浅沼稲次郎、同鈴木政之助、同三田村武夫の各供述その他一件記録並びに全証拠を精査検討するも、勝間田清一が現に共産主義思想を抱懐し、右摘示事実の如く、終戦後、共産主義運動を開始するため、たくみに日本社会党にもぐり込んだ者であるとの事実即ち摘示事実の真実なることにつき証明があつたと確認するに足りる証拠はなく、又、被告人が、右摘示事実を真実なりと信ずるにつき合理的にこれを首肯せしめるに足りる客観的資料乃至情況の存在を認めることもできない。被告人が資料として引用する証拠(当裁判所昭和二九年領第五八一号の四)を以つてしても右認定を覆すに足りず、また原審における証人赤尾敏の供述はこれを措信し難い。果して然らば所論の各事由をもつて、被告人の刑責を阻却するに由がなく、各論旨は、いずれもその理由がない。
(その他の判決理由は省略する。)
(裁判長判事 三宅富士郎 判事 河原徳治 判事 遠藤吉彦)
控訴趣意
第二点本件は公務員たる勝間田清一に関する事実であるから刑法第二三〇条ノ二第三項により真実に符合するを以て無罪たるべきである。其真実なりや否やの争点は只勝間田が共産主義の運動をする者であるか否やの一点のみであつて、たくみにもぐり込んだとかは只文章のあやに過ぎない、而してそれは共産主義の運動をすると云うのであつて共産党と云つているのではない。証拠品中の三田村武夫著、戦争と共産主義に記載ある警視総監報告書(三〇七頁以下)に明かに共産主義者と断定してあり、又勝間田の訊問調書(三二一頁以下)には明かに自身我々マルキストと称し、自分等の企画院に於ける活動はマルクス主義社会革命の前衛たる日本共産党が目的を達成する上に将来に於て何等かの寄与をするものであると思つて居りましたと云つている。即ち共産党員にあらずして共産運動をするものであると明確に断言しているものである。即ち共産主義運動をするために企画院に這入り込んでいたものである明確な証拠である。而して此資料の出所正確なことは三田村武夫の原審証言により明らかである。勝間田が無罪に終戦後なつたとしてもそれは只治安維持法違反が無罪になつたと云うだけであつて共産主義運動をしたと云う本人の供述が消滅したのではない、自ら其趣旨の運動をしたと云う自供は厳存しているものである。出所正確なそれが存在する以上終戦後運動方針を転向したと云う声明なり証拠なり存在しない以上依然として其趣旨の運動を内蔵するものと見るが当然である。其他浅沼稲次郎の原審証言の社会党左派は社会民主主義を奉ずるものでマルクス主義を基礎とし共産主義に通ずるものであるとの証言、弁護人提出の各証拠、被告人の供述調書其提出した書類、勝間田が共産党と共同講演会開催の事実其他を綜合して勝間田氏が社会党を看板にしているが共産主義を内蔵しているものであるとした本件記事は真実に符合するものである。
第三点被告人は第二点所論の如き事実により摘示事実を真実なりと確信していたものであつて名誉毀損の故意を有しなかつたものである。其点につき原判決は「行為者において摘示事実が真実であると信ずることが健全な常識に照し相当と認められる程度の客観的状況の存在が立証されたとき初めて犯意の成立を阻却する」としながら本件に於ては其状況までは認められないとせられている。然しながら被告人が本件記事を書いた理由については検察事務官に対する被告人の第二回供述調書(一七二丁)に三田村武夫著書の序文中に内容の正確性については責任を持つと記載してあるから確信したものであると述べている。仍て三田村著戦争と共産主義の序文を見るに当初著者は内務省警保局に勤務し後衆議院議員としての九年間中治安関係法案審議のため職権により政府に要求して入手したもの等であつて出所正確なことは責任を持つと書いてある。又右著書末尾添付の「書評」の部には最高裁長官田中耕太郎氏の書評として「昭和政治秘史の名に背かざるものなることを通読により了解資料を含めて極めて有益に存じ候」と書いてある、其他東大、早大、慶大総長、馬場、鈴木、阿部等一流人の書評を読めば何人か其内容に疑いを持ち得よう。被告人が其内容を真実なりと確信したことは当然の事である。以上の様な状況であつて何月何日警視総監報告書何月何日第何回訊問調書として記載あらば之を疑う者こそ却つて健全な常識に照し相当でないものである。以上の点と社会党左派と云うものに対する世評勝間田が中共讃美の言葉や其他種々の点より真実なりと信じたもので犯意を阻却するものである。
(その他の控訴趣意は省略する。)