大判例

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東京高等裁判所 昭和29年(う)3393号 判決

被告人 佐藤誠

〔抄 録〕

一、弁護人の論旨第一点について。

所論は、原裁判所の訴訟手続には法令に違反したところがあるとして、二つの点を挙げている。

よつて、まずその一について考えてみると、所論は「被告人は本件公訴事実を全面的に否認しているにかかわらず、原審相被告人宮沢寿雄は、被告人と共謀して本件各犯行をなした旨を自白しており、両者の利害関係は全く相反しているから、裁判所は刑事訴訟規則第二百十条に基き、弁論を分離しなければならないのに、原裁判所が両者を併合したまま審判したのは不法である。」と主張している。刑事訴訟法第三百十三条第二項に基く刑事訴訟規則第二百十条は「裁判所は被告人の防禦が互に相反する等の事由があつて被告人の権利を保護するため必要があると認めるときは検察官、被告人若しくは弁護人の請求により又は職権で決定を以て弁論を分離しなければならない。」と定めていることはまことに所論のとおりであるが、ここにいわゆる「被告人の権利」とは、被告人が訴訟当事者として、裁判の適正迅速に行われることを要求する権利、換言すれば訴訟当事者の基本権を意味するものと考えられるから、これを「保護する必要」性の有無もまた、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしながら、事案の真相を明らかにし、裁判を適正迅速に行わせようという刑事訴訟の窮極の目的に照らして判断されなければならないのは論をまたないところである。従つて「被告人の権利を保護する必要」があるかどうかは、裁判所がその訴訟に現われた具体的事情に基き、右に述べたような観点に立脚し、被告人が共同審理を受けることにより、自由活溌な訴訟活動ができない虞があるかどうかを勘案して判断すべきことがらであつて、ただ単に、共同被告人の主張が互に相反するというだけでは必ずしも分離の必要があると即断することはできないのである。そこで、これを本件の場合について考えてみると、被告人は原審公判廷においては勿論、捜査機関の取調に対しても全面的に事実を否認しているのに反し、原審相被告人宮沢寿雄は、被告人と共謀して本件犯行をなした旨を供述していることはまことに所論のとおりであるが、原審公判廷における審理の経過を見ると、本件は昭和二十七年十二月十二日の第二囘公判期日に実質的審理が開始されて以来、昭和二十九年九月八日第十八囘公判期日において弁論が終結されるまで、被告人と宮沢寿雄の両名が共同被告人として審理を受けているが、その間において検察官は勿論、弁護人や被告人らから、一度も弁論分離の請求がなされた事実がなく、しかも共同審理を受けたがために、被告人がその発言を抑制されたとか、その他訴訟上の権利の行使を阻害されたと認められるような事情は一つも発見することはできない。そればかりではなく、一つの事実に関連して、被告人が二人以上に及ぶ事件は、事件相互の間における事実認定のくいちがいをできる限り少くし、事実の合一的確定や科刑の衡平を期し得られるという点からも、また審判に必要な証拠調、その他裁判所や訴訟関係人の訴訟活動の重複を避けようとする訴訟経済の原則からいつても、できる限り共同審理をする方が適当であると認められるものであるが、記録を精査しても、本件の場合に、とくに刑事訴訟規則第二百十条に定めているような、被告人の権利を保護する必要があつたとは認め難いから、原裁判所が弁論の分離をしなかつたのは、毫も違法であるということはできないのである。ところが、所論は、「原裁判所が弁論を分離しなかつた為、原判決は、原審において、被告人の関係においては撤回され、原審相被告人宮沢寿雄の関係においてのみ提出された、佐藤美ツ代の司法警察員に対する第一回供述調書(右は証拠の標目に挙げていないにかかわらず)を証拠に採用して事実を認定した違法がある。」と主張しているが、所論で指摘している「被告人がその頃婦人問題で悶着をおこし云々」という事実は、右佐藤美ツ代の司法警察員に対する供述調書によらなくても、原審証人戸松美ツ代の尋問調書や佐藤美ツ代の検察官に対する昭和二十七年十一月五日附供述調書、その他原判決挙示の証拠を総合すればこれを推認することができるから、原裁判所が右の事実を認定するのに佐藤美ツ代の司法警察員に対する供述調書を証拠にしたという所論は理由がなく、その他記録を調査しても原裁判所が弁論を分離しなかつた為に、被告人の権利が保護されなかつたと認めるような事実は存在しないのは勿論、原判決に所論のような事実誤認の疑もないから、この点に関する所論は採用できない。

次に、所論は、「証人清水清七の証言は伝聞証拠であるにかかわらず、原判決がなんらの措置を講ぜずにこれを証拠に採用したのは違法である。」と主張するから考えてみると、同証人の供述中に「自分は不動産売買の仲介業をやつているが、渋谷区神南町十九番地にある金井冬子又は祝田玉恵という人の所有している土地家屋の売買の仲介を依頼されたことがある。最初にその話を受けたのは、昭和二十二年四月上旬頃と思うが、高橋という人が私の店に申込んで来た。自分はその高橋という人と直接話したのではなく、店の手伝をしていた清水寅吉がその応対に当つたが、後で同人からその話の内容を聞いた。」旨を述べている部分があるから、少くとも、高橋という人物が土地建物の売却申込をして来た時の対話の内容に関する部分は、同証人が清水寅吉から伝聞したものであることが明らかであるけれども、この点について、原審公判廷で被告人や弁護人が異議を述べた形跡は認められないのみならず、右の部分は同証言の極く一小部分で、土地建物の売買条件の内容に関することだけに過ぎず、原判決が認定している事実とは直接にはなんら関連のないものであるから、原判決は同証人の証言中前記の部分は証拠に採用していない趣旨であると推定されるのである。従つて原判決が同証人の証言を証拠の標目に掲げるについて、とくに前記の部分を除外するなどの措置をとらずにこれを証拠に採用したとしても、原裁判所の訴訟手続に判決に影響を及ぼすべき法令の違反があるということはできない。

要するに、記録を調査しても、原判決にはなんら所論のような訴訟手続の法令違背は存しないから本論旨は理由がない。

(花輪 山本 下関)

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