東京高等裁判所 昭和29年(う)3584号 判決
被告人 吉野欽也
〔抄 録〕
原判決の判示事実は、所論業務上過失の点をも含めて、すべてその援用する証拠によつて、これを肯認することができるのである。而して、原判決が、本件における注意義務につき「同所はかなりの急曲角であり進路前方の見透が利かない状況にあるのでかかる際には自動車運転者たる者は事故の発生を未然に防止するため右曲角に入る前より同所を通過する迄絶えず警音器を鳴らし反対方向より進行して来る車馬等に警戒を与える業務上の注意義務がある」旨判示していることは、所論のとおりであつて、所論は、昭和二十九年五月二十七日原審裁判所の検証調書による時は、被害者伊勢栄司が、被告人の車を発見した地点との距離は、百尺(約三十米)であるのに、被告人の車は、セーター薪五百把を積んで、相当上つかぶりする状態であり、被害者の車は、軽自動二輪車で、進退自由の状態であるから、三十米の距離に被告人の車を発見すれば、被告人は、警音器を吹鳴して他車に警戒を与える義務は無くなつており、被害者が被告人の車を発見しても、なお曲角を廻り切る迄警音器を吹鳴する義務があるとすることは、交通取締法上よりも失当である旨主張するにより、案ずるに、当審における昭和三十年五月十日の検証調書の記載によれば、被害者伊勢栄司が被告人の車を発見したときの両者間の距離は、約二十七米であることが認められるばかりでなく、原審及び当審の各検証調書の記載をそう合するときは、本件事故現場は、人家等にさえぎられて、見とおしのきかない曲角であることが認められるのであるから、かかる曲角を通過しようとする自動車運転者たるものは、事故を未然に防止するため、該曲角に入る前より、これを通つて見とおしのきく地点に至るまでの間、絶えず警音器を鳴らして、反対方向から進行して来る車馬等に警戒を与える業務上の注意義務があるものと考えられるのである。もつとも、所論のように既に反対方向から進行して来た車馬の操縦者が、右自動車を発見してしまつた後は、その操縦者に対する関係においては、たとえ、その車馬との間の距離がどうであろうと、既に警音器を鳴らす必要がなくなる訳であるから、これを鳴らす注意義務も当然なくなるものと解すべきことは、所論のとおりであるが、しかし、未だ右の自動車を発見しない他の車馬に対する関係においては、やはり、相互に見とおしのきく地点に至るまでは、警音器を鳴らして警戒を与える必要がある訳であるから、その意味においては、これを鳴らす注意義務がなお存続するものといわなければならない。而して原判決挙示の証拠によれば、本件は、被告人が本件事故現場たる曲角に差しかかりながら、警音器吹鳴の注意義務を怠つたため、軽自動二輪車に乗つて反対方向から進行して来た被害者伊勢栄司は、被告人の自動車が進行して来ることに気附かず、従つて、速力も落さず、且つ、右曲角に近い場所で自己の前方を同一方向に向つて進行中の他の自動車を追い越す等の挙に出たものであることが窺われるのであつて、これがため、被告人の自動車を発見したときには、既に、これが避譲につき適正な措置を採ることができず、その結果原判示のような衝突事故が発生するに至つたものであることが認められるのである。所論は、被害者において、もつと速度を減じておれば、仮りに被告人の車の左側に廻つても、事故を起すことなく廻れたものと考えられるから、被害者において、減速しなかつたことが過失であり、本件事故は、被害者の過失と運転技術の未熟とによつて発生したものであり、被告人には業務上の過失がなかつたものである旨主張するのであるが、記録によれば、被害者にも過失の存在が肯認しえられることは所論のとおりであるけれども、被害者側における右過失の存在は、被告人の本件犯罪にとつては、その情状として、量刑に影響することのあるは格別、犯罪の成否には、何らの消長をも来さないものといわなければならない。してみれば、原判決が、その挙示する証拠によつて、被告人に原判示のような業務上過失の存在を肯定し、原判示事実を認定したことは相当であるというべく、原判決には、この点につき経験則の違背も採証法則の違反も認められない。なお、記録を精査し、当審における事実取調の結果をもそう合して、検討考察してみても、原判決の認定が誤つているものとは考えられないから、論旨は理由がない。原判決には所論のような判決に影響を及ぼすべき事実の誤認があるものとはいわれない。