東京高等裁判所 昭和29年(う)593号 判決 1954年5月18日
控訴人 被告人 東京地検昭和二八年勾留第一七五七号 戸塚九郎こと氏名不詳者
弁護人 植木敬夫
検察官 吉井武夫
主文
本件控訴を棄却する。
当審の未決勾留日数中参拾日を本刑に算入する。
理由
本件控訴の趣旨は末尾添付の被告人本人竝びに弁護人植木敬夫のそれぞれ差し出した各控訴趣意書記載のとおりである。
弁護人の控訴趣意第二点について。
しかし原判決の挙示する標目の各証拠を綜合すれば原判示山口、寒河江両巡査の被告人に対する職務質問は適法であり憲法第三十五条警察官等職務執行法第二条に違反するところはなく適式の公務の執行たること明らかである。すなわち戸塚警察署勤務警視庁巡査山口保は原審第二回公判期日において証人として「私は昭和二十八年七月二十日から引続き捜査係刑事をやつており、主に窃盗関係を担当していたが、特に落合方面で窃盗被害が多かつたので寒河江刑事と密行していたが、同年十一月頃には聞込みなどでは犯人は二十歳から三十歳の男が多くあまり風体のよくない職工か会社員くずれで背は五尺二、三寸から四寸程度と推定していた。十一月十八日も寒河江刑事と二人で午後一時すこし過ぎ下落合一丁目の方へ行つたところ、私達が下落合一丁目四番地先の三丁目の方から高田南町に通じる道路に出ると被告人がどこから来たのか確定できないが、私達の約二十米位先を矢張り私達の行く方向、つまり高田南町の方へ歩いて行くのだが、同人は風呂敷包みを持つて後を振り返り振り返りして行くのでおかしいなと二人で申した。同人の服装は新しくないレインコートを着て茶色つぽい靴をはいて直径二十糎長さ三十糎位の風呂敷包みを持つており、その時ほかに人はいなかつた。私達二人が路地から出て行くと何かこちらを二、三回振り返つてそわそわした感じであつた。歩いている速さはその時すこし速足になつたようであつた。そこで私達二人はどうも変な奴がいるなあと言つて職務質問をしようと申した。その時私達は空巣の犯人でも見つかるかも知れないと思つて歩いていたのだが、同人は聞込みによつた空巣犯人に似ていたので職務質問をした。私達は速足で行き「もしもし」と言つて、「私は警察手帳を出し警察の者ですが、どちらへ行くのですか」と聞いたように思う。その時寒河江刑事と私はその人を挟むような格好であつた。同人は雑司ケ谷へ行くとか言つた。それで職業は何ですかと聞くと紙のブローカーだと言つた。どちらからお出でですかと聞くと高田馬場から来たと言つたように思う。その後持つていた風呂敷包みについて聞くと紙の見本ですと言つたように記憶している。それから失礼ですが包みの中を見せて下さいと言うと何かはつとした感じで顔色が変つたように思う。それで時計を見て急ぎますからと言い私達を残すようにしてさつさと歩き出した。その時ひよつとすると逃げかかつたのではないかと感じ、その包みが盗品ではないかと感じた。そして包みの中を見せて貰つていないしするので君、君と言つたがずんずん行つてしまうので一寸待つて下さいと言つた。寒河江刑事もそう言つたと思う。同人は普通よりも早い足で南町の方にどんどん行つてしまうので私達の方で君、君というとその内ぱつと走り出した。最初に職務質問したところから歩いたのは大体三米位と思う。こきざみに歩き出して私達の方で、君、君といつているうちにぱつと走り出した。走り出してから目白駅の方に左に曲つて全速力で走つて行つた。それでおかしいなという気持が強くなつて追いかけて行つたのであるが追いかけてまた職務質問をするつもりだつたのである。寒河江刑事は私よりおくれて追いかけてきたがそこの道は舗装していない相当きつい登り坂であつた。私は同人に追いつき、始めは真後から追いかけたが前に出ようと思つた。その間何も言わなかつた。そして追いついた時、同人はくるつとこちらを向いて私の方にぶつかつて来た。そのため私はよろめいたが、その時右足の膝の関節の所を蹴つてきたのである。それで私は公務執行妨害の現行犯として逮捕しようと思つた。そこへ寒河江巡査が走つて来てその人を抱きとめ石垣の方に連れて行き君おかしいじやないか逃げる必要はないじやないかと言つたら同人はもう逃げませんと言つた。私達は署まで連れて行つて調べるつもりであつたが空巣のことを調べようと思つた。署へ連れて行く途中また逃げかけたので追いかけて行き組打ちになつた。そして手足をばたばたするので手錠をかけた。署の五十米位手前に来ると同人は高校生らしい二、三人の学生に向つて諸君この弾圧を見よと言つたので私達ははじめて思想関係の人ではないか、これはどうも窃盗の大物かと思つたのにとんだものをやつたなあと二人で話した」と供述しており、また寒河江喜一郎もまた前同公判廷において証人としてこれと同趣旨の供述をなしておるのであつて、これらの証拠によれば前記山口、寒河江両巡査の被告人に対してなした職務質問は警察官等職務執行法第二条所定の条件を具備するものであつてこれを目して職務質問の適法性の限界を越えたものであると非難するのはあたらない。論旨は被告人はその所持に係る風呂敷包みの内容を前記両巡査に呈示することを拒否する態度を示し歩きはじめたのに前記両巡査は約二十三米も追随して更に執拗にその呈示を要求したのであるが、被告人はこれを拒否し遂に坂道への曲り角で両巡査から離脱すべく行動を開始したのである。すなわちそれまでに所持品の内容を呈示することは被告人の意思に反するものであることを明らかにしていたのであるが、曲り角以後の行動により最早や何人にも疑なく、それが被告人の意思に反することであることが明らかになつたのである。然るに両巡査はあくまで所持品の内容を見ようとして、どこまでも追いかけるつもりで追跡したのである。かくの如きはその人の意思に反して所持品の内容の呈示を強要する行為というべく憲法第三十五条に違反するものであり、なんら公務執行行為ではない。警察官等職務執行法によつて許容された職務質問といえどもその者の意に反してなし得ないことは同法第二条第三項に明記されておるところであるのみならず、同法には質問することができる旨の規定はあつても所持品の内容の呈示を求め所持品を捜索することができる旨の規定は全く存しない。従つて両巡査の行為をもつて職務質問行為と認定した原判決は単に法令の適用に誤があるのみならずその解釈は憲法第三十五条に違反すると主張するのであるが、警察は警察法第一条に明記されているとおり国民の生命、身体及び財産の保護に任じ犯罪の捜査、被疑者の逮捕及び公安の維持に当ることをもつてその責務とするものであり、警察官等職務執行法は警察官及び警察吏員が警察法に規定する国民の生命、身体及び財産の保護、犯罪の予防、公安の維持並びに他の法令の執行等の職権職務を忠実に遂行するために、必要な手段を定めることを目的として制定されたものであるが、警察の活動は厳格に前項の責務の範囲に限られるべきものであつて、いやしくも日本国憲法の保障する個人の自由及び権利の干渉にわたる等その権能を濫用することになつてはならないものであることは勿論であるところ警察官等職務執行法第二条第一項は警察官等は異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して何らかの犯罪を犯し、若しくは犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者又は既に行われた犯罪について若しくは犯罪が行われようとしていることについて知つていると認められる者を停止させて質問することができる旨を規定するとともにその第三項には「前二項に規定する者は刑事訴訟に関する法律の規定によらない限り、身柄を拘束され又はその意に反して警察署、派出所若しくは駐在所に連行され、若しくは答弁を強要されることはない」旨を規定しているのであつて、警察官等職務執行法第二条第一項所定の職務質問の適法性の限界の如きも憲法の保障する個人の基本的人権の尊重と公共の福祉のための警察活動によるこれが自らなる制約との調和という観点からこれを定めなければならないのである。ところで本件山口、寒河江両巡査が被告人に対し職務質問をするに至つた経緯は前記山口保証人の供述する如くであつて被告人の服装、年齢、態度、携帯品などから推して当時戸塚署管内に瀕発していた窃盗事件に関係がありはしないかとの疑を抱いたことは警察吏員としてはまさに当然であり、更にその所持に係る風呂敷包みの内容について呈示を求められるや俄かに歩きはじめ更に逃げ出す等の異常の態度を示すに至つたため両巡査において益々犯罪を犯した者ではないかとの疑念を強くし停止を求めるためにその跡を追いかけたことは極めて当然の成行であり追跡という行動は単に逃走する相手方の位置に接近する手段として必要な自然な行動であつてかかる手段をもつて強制又は強制的手段とは認められないことは勿論であり、またこれをもつて逮捕行為と目すこともできない。警察吏員が職務質問をなしたのに拘わらず、相手方がこれに答えようとせず、また停止を求めてもこれに応じないような場合に直ちに質問を中止するが如きはむしろその職務職責に忠実ならざるものであり、かくの如き場合にも更に自己の疑念を解くため強制にわたらない程度においてあるいは注意を与えあるいは飜意せしめて本来の職責を忠実に遂行するための最大の努力を払うのがその職責に忠実な所以であり、また相手方の逃走を漫然拱手傍観して放置してかえりみないような態度は警察活動の本義に照らし到底是認することはできないのであつてかかる場合には逃走する相手方を追跡し停止を求め質問を続行することこそ警羅中の警察吏員としての忠実な職責の実行と称すべきであり、かく解することが公共の福祉と基本的人権の保障との調和を図り且つ警察法の精神に叶う合理的見解であるといわねばならない。なお論旨は警察官等職務執行法第二条第一項は警察官等に停止させて質問することを許しておるのみであつて所持品を呈示させるが如きことは許していないと主張するけれども本件訴訟記録全体を精査しても前顕両巡査が被告人に対しその所持品の呈示を強要したと認められるような証拠はなく、あくまで任意の呈示を求めたに過ぎないこと明らかであり所論に鑑み本件訴訟記録並びに原審において取り調べた証拠に現われている一切の事実を精査すれば論旨摘録の諸般の情状を斟酌しても原審の被告人に対する量刑は相当であり重きに失するものとは認められないから論旨は理由がない。
(その他の判決理由は省略する。)
(裁判長判事 中村光三 判事 脇田忠 判事 鈴木重光)
弁護人植木敬夫の控訴趣意
第二点原判決は憲法第三十五条に違反する。(1) 原判決は、山口保、寒河江喜一郎両巡査が被告人を職務質問した際「突如逃走しようとしたので、更に職務質問を続行する為追跡」した行為を、公務執行行為であるとなし、その追跡行為を妨害したことを以て被告人を公務執行妨害罪なりとし、有罪を言渡した。しかし右両巡査の右追跡行為は公務の執行ではない。(2)憲法はその第三十五条において「何人もその……所持品について……捜索及び押収を受けることのない権利は、第三十三条の場合を除いては正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ侵されない」と規定した。従つて捜索官憲と云えども令状なくして他人に対し、その所持品を提示することを要求することはできないのである。(3) しかるに本件の場合、山口、寒河江両巡査の行動はどうであつたか、これを比較的正直で詳細な寒河江証人の証言についてみよう。それから、私が聞いたと思いましたが、持物を聞きました。すると紙の見本だと云いました。証人はその包みは何と思つたか。何か賍品ではないかと思つたので私は見せてくれと云つたのです。(以上八一丁)(中略)品を見せてくれと云うとどうしたか。方向変えてガードの方を向いて時計を見て急ぐからと云つて早足でガードの方に歩きだしたのです。(中略)早足で歩き出したとはどの位の速さですか。普通より一寸早い程度です。それでどうしたか。ますます不審だと思つて引続いて職質をやろう、持物を見ようと云つて、待つてくれと二人で云つたのです。その人は停つたか。停りません。ガードの少し手前を目白駅の方に上る坂道があつてそこまで来ると、急に早足で走り出し逃げました。それで山口君が先に追駈け、私は遅いので四、五米遅れて追駈けました。(中略)(以上八二丁)それで、何とか追つてもう少し話を聞こうと思つたのです。それに包みを見せて貰いたいと思つたのです。(中略)証人は見たのではないのか。はつきりは見ませんでしたが、山口君がよろよろとよろめいたのを見たので、被告人が左の方によろよろと寄つた時、又逃げられては困ると思つて後から抱きかゝえたのです。(中略)(以上八三丁)何の為連れて行つたのか(警察署え連れて行くこと)、風呂敷包みなど見ようと思つてです。(八四丁)(最初職務質問した場所から)歩き出して一緒に早足で歩いて問答はしなかつたか。品をみせて下さいと云う事と、待つて下さいと云う意味の事を云いました。それから左に曲る坂道は(調書には「坂道は」となつているが、これは「坂道までは」の趣旨であることは前後の関係から明かである。本弁護人も第一審でそのように質問した)一緒にくつついて歩いて行つたのか。殆んど一緒だつたと思います。其処に行く迄見せてくれとか、嫌だとか押問答があつたのではないか。黙つてはいませんでしたが、細い事は忘れました。その間、当然包みを見せてくれとは話したか。話しました。そして見せてくれる気配はなかつたのか。気配はありませんでした。(中略)(以上八八丁)何処までも追うつもりだつたのか。そうです。(八九丁)以上のような状況であつた。すなわち、両巡査は被告人の挙動が不審なりとし、被告人に対し住所、氏名、行先、職業、所持品の内容等を質問した後、更に進んで所持品(風呂敷包)の内容を提示することを要求したのである。(五五丁、八一丁参照)が被告は前者については答えたが、所持品の内容を提示することは拒否する態度を示し、歩き出したのである。しかるに両巡査は被告人に約二十三米(実況見聞調書第二回参照)追随し、更に執拗にその提示を要求したのであるが、それを被告人は拒否し、遂に坂道えの曲り角で両巡査から離脱すべく行動を開始したのである。すなわち、それまでに所持品の内容を提示することは被告人の意に反することであることを明らかにしていたのであるが、曲り角以後の行動によつて最早何人にも疑いなくそれが被告人の意に反することであることが明らかとなつたのである。しかるに両巡査はあくまで所持品の内容を見るべく、「何処までも追駈けるつもりで」追跡したのである。これはその人の意に反して所持品の内容の提示を強要する行為以外の何者でもなく、憲法の前記法条に違反し、何等の公務執行行為でもないことは極めて明らかである。(4) 原判決は右の両巡査の行為を、職務質問行為となしているのであるが、警察官等職務執行法によつて許容された職務質問と雖も、その者の「意に反して」なし得ない(同法第二条第三項)ことは法の明定するところであるのみならず、同法には「質問することができる」旨の規定はあつても、所持品を捜索できる(所持品の提示を求めることも捜索であることは疑いない)旨の規定は全くないのである。(5) したがつて両巡査の行為を職務質問行為(公務執行行為)となした原判決は、単に法令の適用に誤があるに止まらず、その解釈は憲法第三十五条に違反することが明白であるといわなければならない。
(その他の控訴趣意は省略する。)