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東京高等裁判所 昭和29年(ネ)2068号 判決 1955年9月20日

控訴人 被告 バンク・オブ・アメリカ ナシヨナル・トラスト・アンド・セイヴイングス・アソシエイシヨン

日本における代表者 ウイリアム・シー・ライアン・ジユーニア

訴訟代理人 湯浅恭三 外一名

被控訴人 原告 林再旺

訴訟代理人 和光米房 外一名

主文

原判決を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は、被控訴代理人において、「(一)被控訴人は、控訴人に対し当座預金契約に基き預金の支払を求めるものである。(二)控訴人主張の商慣習が存在することを否認する。当座預金契約において預金者の振出名義の小切手が偽造印顆を使用したり、または署名を偽造したものである場合これが支払をなした銀行が右支払による責任を免れる旨の慣習は公の秩序に反するものであつて許さるべきでない。仮に然らずとしても、被控訴人はこのような慣習による意思を有しなかつた。(三)本件偽造小切手は、控訴人が被控訴人に交付した小切手用紙を使用したものではない。控訴人が交付された小切手用紙と偽造小切手とは用紙の色が違い、偽造小切手の番号も被控訴人が既に振り出した小切手の番号と同一で、控訴人の係員が少し注意すれば、偽造であることが判るものであつた。」と述べ、控訴代理人において、「(一)控訴人は、本件偽造小切手の支払に際しては、所定の手続に従い、被控訴人の署名を控訴人保管の署名鑑と照合してその相違ないことを確めて支払つたのであるが、本件小切手の署名は巧妙に偽造されていたので、周到の注意を払うもついにその偽造たることを発見することができなかつた。(二)控訴人が被控訴人と当座預金契約をなすにあたつて預金者の振出名義の小切手を偽造変造されたことにより生ずる損害を預金者の負担とする旨の特約を結ばなかつたことは事実であるが、本件のように偽造小切手が銀行所定の小切手用紙を使用して作成されたものであり、支払人である銀行が、銀行業者としての善良な管理者の注意をもつてその振出人の署名を審査し、その署名を真正であると判断して偽造小切手の支払をした場合は、後日偽造小切手であることが判明しても、銀行は何ら責任を負うことがない商慣習があるので、右特約の有無にかかわらず、控訴人には何ら責任はない。被控訴人主張の偽造小切手の用紙の相違並びに番号重複の事実を否認する。」と述べた外、すべて原判決事実摘示の記載と同一であるから、ここにこれを引用する。(ただし、原判決事実摘示中「警視庁鑑視課」とあるのを「警視庁鑑識課」と訂正する。)

証拠として、被控訴代理人は、甲第一号証の一、二の(一)ないし(八)、三ないし十を提出し、当審証人安原米四郎の証言、原審並びに当審における被控訴人(原告)本人尋問の結果を援用し、乙第一ないし第四号証の原本の存在を認めるが、同第一、第二号証は偽造のものである、同第三、第四号証の成立、同第五号証の二中外務省の印影の成立を認めるが、その余の部分及び同号証の一の成立は不知と述べ、控訴代理人は、乙第一ないし第四号証(写)、第五号証の一、二を提出し、原審証人進藤光次、同平塚康治、当審証人伊達良治の証言、当審における鑑定人安原米四郎鑑定の結果を援用し、甲第一号証の二の(一)ないし(八)、同号証の七の成立は不知、その余の甲各号証の成立を認めると述べた。

理由

被控訴人が昭和二十五年五月頃から控訴人と当座預金契約を結んで、右契約に基く取引を継続していた間に、被控訴人を振出人、控訴人を支払人、訴外ハヤシ・シゲオを受取人とし、振出日一九五〇年八月十三日、支払地東京、(一)金額四十三万二千円(小切手番号十五号)、(二)金額六十万円(小切手番号十七番)と定めた二通の小切手が、控訴人により昭和二十五年八月十六日支払われたこと、その後警視庁鑑識課の鑑定によつて右二通の小切手が被控訴人の署名を偽造して振り出されたものであることが確認されたことは、当事者間に争がないところである。外務省の印影の成立については当事者間に争がなく、その余の部分は当裁判所が真正に成立したと認める乙第五号証の一、二、原審証人平塚康治の証言、原審における原告(被控訴人)本人尋問の結果を綜合すれば、控訴人は、昭和二十五年九月被控訴人との当座預金契約を被控訴人の同意を得て解約し、残額を被控訴人に返還したが、前記二通の偽造小切手によつて支払つた金額は既に支払つたものとして被控訴人の返還の請求に応じなかつたことを認めることができる。

しかるに、被控訴人は、控訴人が右偽造小切手によつて支払つた金額は被控訴人の委託によらないで支払われたものであるとして、右金額についても当座預金契約に基く預金としてこれが支払を求めているので、以下被控訴人の請求の当否を判断する。当座預金契約は預金契約と小切手契約の両者を含む混合契約であつて、銀行は預金者の真正に振り出した小切手に対してのみこれが支払をなすべく、右支払により預金は返還せられたことになるのであるが、その間預金者の意思に基かないところの偽造小切手が預金者の振出にかかるものとして銀行により支払われた場合に、これによる損失を銀行と預金者のいずれに帰せしめるかについて当座預金契約の普通契約条款として定められていることがしばしばあることは当裁判所に顕著なところである。しかし本件においては、このような特約がなかつたことは当事者間に争のないところである。控訴人は、このような場合に適用される商慣習の存在を主張し、当審鑑定人安原米四郎の鑑定の結果、当審証人安原米四郎、伊達良治の各証言を綜合すれば、我が国においては、「銀行所定の小切手用紙を使用して偽造した当座小切手について、その取引銀行が相当注意をしても偽造の署名が極めて巧妙でその真偽の鑑別がむずかしかつたため、この小切手が偽造であることを知ることができないで支払つたときは、その損失は、銀行の責任を免除する旨の特約の有無にかかわらず、支払銀行は負担しない」という商慣習が存在することを認めることができる。しかして、銀行取引における小切手の支払は、短時間の間に数多くの小切手についてなされている取引の実状とこれを敏速になさなければならない取引の要請とを合わせ考えるときは、このような商慣習は公の秩序に反しないものであるというべきである。かつ、このような慣習の存する場合、取引を行う者は特に反対の意思を表示しない限りこのような慣習による意思を有するものと推定するのはもとより当然のことであり、当審における被控訴人本人尋問にあたつての被控訴人の「私は普通の銀行取引の慣習に従つてやるつもりで、サイン(署名鑑)の届をなした」旨の供述から考えても、被控訴人は前段認定の慣習に反対の意思を表示しなかつたことは明らかであるから、本件において被控訴人は、前段認定の商慣習に従う意思をもつて控訴人と当座預金契約を締結したと認定して妨げないものというべきである。

そこで、本件偽造小切手支払の状況を調べるのに、前掲乙第五号証の一、二、原審証人平塚康治、進藤光次の各証言を綜合すれば、本件偽造小切手の支払にあたつて、控訴人の係員は、通常控訴人銀行においてとられている小切手署名審査の方法で被控訴人がかねて提出していた署名鑑と対照したが、本件偽造小切手の署名が非常に巧妙であつたためその偽筆なることを発見することができず、かつ小切手用紙も控訴人の所定のものであつたため、これを真正に成立した小切手と誤認して支払をなしたことを認めることができる。被控訴人は小切手番号の重複を顧みなかつたことを指摘しているけれども、右証人平塚康治の証言によれば、控訴人銀行の小切手には番号は印刷されてなく、番号は振出人が任意に附するため、これが調査はしてないことが認められるから、小切手番号の調査をしなかつたことを以て控訴人係員の過失となすことはできない。また被控訴人は小切手用紙の色彩の相違を指摘しているけれども、本件偽造小切手の用紙が控訴人所定のものであつたことについては、前掲各証拠により疑を容れる余地がない。従つて本件偽造小切手の控訴人による支払は、まさに前段認定の商慣習に従つて振出人たる被控訴人の損失として計算さるべきものであると言わなければならない。そうすると、右支払金額に相当する被控訴人の預金は既に返還せられたことになり、被控訴人は現在控訴人から返還を受けることができる預金を有しないこととなるのである。それ故被控訴人の本訴請求は失当としてこれを棄却すべきものというべきである。

よつて、被控訴人の本訴請求を認容した原判決を取り消し、被控訴人の本訴請求を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十六条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 大江保直 判事 草間英一 判事 猪俣幸一)

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