東京高等裁判所 昭和29年(ネ)390号 判決
一、ただ前示(一)、(二)の認定と関連して説明を要すべきは、乙第一号証による契約の成否並びにその効力の問題である。そこで右乙第一号証の作成の経過について考えてみるに、前示認定の如く被控訴人を代理して一切を処理していた恒八は昭和二十一年末頃、控訴人等と家屋の撤去並びに立退の交渉を開始すると共に、建築請負業者訴外鈴木寅男との間に時田旅館の新築請負工事契約を締結して置いたのであるが、控訴人等は当初の約旨に反して被控訴人名義の家屋からの退去並びに控訴人繁治名義の家屋の撤去を峻拒したため、恒八は他の替地を探し求めなおも約旨の履行を懇請したが、これまたその容れるところとならず、果ては東京へ帰るため十万円の移転料を出せと要求され、これに応ずることも躊躇しているうち、旅館新築工事は周辺の基礎工事並びに木材切込を初めたままでそれ以上進捗することができないので、右恒八は請負人からは頻りに仮設建物移転手配方を督促される一方、当時諸物価賃金は日々に暴騰し、工事がおくれればおくれるだけ工費は嵩むばかりであつたから、控訴人の明渡拒否のため全く当面の処置に窮し、徒らに焦慮を重ねるのみであつた折柄、昭和二十二年三月十八日控訴人等側から前示乙第一号証の契約書の提示を受けてこれに署名捺印を迫られたので、遂に事態の打開を図るため已むことを得ずしてこれに調印するに至つた経緯を認めることができる。そして右契約書によれば、前示当裁判所の認定と異なり、右恒八において前示移築前の両仮設建物及び移築後の本件係争建物も全部控訴人繁治の所有であることを認めて、契約条項を定める趣旨の記載はあるが、前示認定の諸般の事情から考察して、前示移築前後の両家屋の所有権の帰属に関する前記乙第一号証の契約条項記載の事実が合致するとして右恒八において認めたものと解し得ないのみならず、仮りに不本意ながらもこれを了承して前示建物の所有権の帰属につき一種の和解契約が成立したものとしても、かかる事情の下に成立した契約は果して有効として当事者を拘束すべきものであろうか。思うに前示認定の如く控訴人等が前示一戸の仮設建物の使用並びに自己所有の一戸の仮設建物の敷地の使用を許容されたのは、全く被控訴人等の親戚の情誼に基ずく好意に出でたものであつて、その間何等の対価を支払つたこともなく、その代り使用期間は旅館再建のときまでと確約していたに拘らず、控訴人等において当然に果すべき自己の義務の履行を怠り、因つて相手方をして履行遅延による多額の損失を蒙らしめるべき事態を誘致してその解決策に焦慮せしめ、その機に乘じて相手方に対しいわれなき履行の対価を要求したり、苛酷な条項の甘受を強いるが如きは健全な社会の道義観念に背反するものであつて、以上認定の状況の下に成立した契約は民法第九十条に反し無効と断ぜざるを得ない。従つて右乙第一号証の契約の成否如何に拘らず、前説示のとおりの経過により本件係争の九坪の移築建物は依然被控訴人の所有であると認定して憚らない。
二、以上説示のとおり本件係争建物は被控訴人の所有に属すること明らかであるから、控訴人等において右所有権の帰属を争う以上、これが即時確定を求める法律上の利益ありと謂うべく、この点に関する被控訴人の請求は正当としてこれを認容すべきである。控訴人芳雄は本件係争建物を自己の所有であると主張するものでないから、同控訴人に対する関係においては確認の利益なしと主張するけれども、所有権確認の利益は必ずしも当該目的物に対し或物権を主張し若しくは或利害関係を有する者において、その所有権を否認する場合にのみ限定すべきでなく、苟くも当該目的物の所有権が否認せられる結果、その所有者たる地位に何等かの不利益を生ずべき場合には、当該目的物の所有者はここにその者を相手方として所有権確認の訴を提起すべき法律上の利益ありと謂うべきのみならず、後に認定する如く現に右係争建物につき同控訴人のため保存登記がなされているのであるから、同控訴人の主張は理由がない。