東京高等裁判所 昭和30年(う)2383号 判決 1955年12月06日
控訴人 被告人 加藤三郎
訴訟弁護人 田辺恒之
検察官 田辺緑朗
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役四年に処する。
押収にかかるキツコーマン醤油の広告燐寸(軸八本在中)一個(昭和三〇年押第八四五号の二)はこれを没収する。
理由
本件控訴の趣意は弁護人田辺恒之及び被告人本人提出に係る各控訴趣意書に記載されたとおりであるから茲にこれを引用し、これに対し次のように判断する。
弁護人の論旨第一点について
本件起訴状によると公訴事実の第三として、被告人は人の現住現在しない原判示倉庫に放火して同倉庫一棟を焼燬し、更にその南方の原判示住宅二棟に延焼せしめたとの事実が摘録され、その罰条として刑法第百九条第一項第百十一条を掲げているに対し、原審は訴因及び罰条の変更手続を経ることなく、原判示第三の事実として人の現在する原判示社宅に延焼するに至ることあるべきを認識しながら原判示倉庫に放火したことを認定し、これに刑法第百八条を適用処断していること洵に論旨指摘のとおりである。かくの如く原審の右認定事実は住宅放火であり、これに対応する公訴事実は非住宅建造物放火並に住宅延焼というのであるから、両者は基本的な事実関係を同じうするにしても、犯罪の構成要件を異にするばかりでなく、その被害法益は著しく相異し、罰条においても法定刑に格段の差異がある以上、原審において原判示のような認定をするためには、検察官をして訴因及び罰条の変更をなさしめたうえ、被告人に対し予め防禦の機会を与うべきであつたといわなければならない。然るに原審は右公訴事実に対して訴因並に罰条の変更手続を採ることなく、漫然原判示第三の事実を認定したのであるから、原審の訴訟手続には判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の違反があるものと断ぜざるを得ない。従つて論旨は理由があり、原判決はこの点において破棄するの外はない。
同第二点について
所論建造物放火罪の犯意は、建造物焼燬の結果を発生すべきことを予見するを以て足りるのであり、敢てその結果の発生を目的とすることを要しないものと解するのが相当である。本件において被告人は原判示第一、第二、第四の各住宅及び原判示第三の倉庫に放火する方法として、茣蓙、紙屑、藁屑等に所携の燐寸を以て点火し、これを右各住宅に接着して置かれた塵芥箱又は葦簾に接触せしめ、或は右倉庫内に投げ込んだことが、原判決挙示の証拠によつて認められるので、かような導火材料の燃焼作用により前示各建造物を焼燬するに至るべきことは当然予見し得べきところであるから、たとえ被告人にこれら建造物を焼燬しようとする積極的な意図が窺われないとしても、所論のように放火罪の犯意を欠くものということはできない。ただ原判示第三の住宅放火の犯意のみはこれを容認することができない。すなわち、被告人が増田顕邦所有の原判示倉庫に放火するに際し、同倉庫の焼燬によつてこれに隣接する原判示社宅に延焼するに至ることあるべきことを認識していたとの原審認定は、記録を検討してもこれを首肯し難いのであつて、当時の被告人の心神の状況に徴しても、消極に解するのが相当である。従つて本論旨のうち、この部分については理由があり、原判決はこの点においても破棄を免れないのである。
(その他の判決理由は省略する。)
(裁判長判事 谷中董 判事 坂間孝司 判事 荒川省三)
弁護人田辺恒之の控訴趣意
第一点原判決はその訴訟手続に法令の違反があり、その違反は判決に影響を及ぼすこと明らかであるから破棄を免れないものと信ずる。
原判決はその理由中、罪となるべき事実の第三に於て「………新日本印刷株式会社社長増田顕邦所有に係る人の現住現在しない同会社使用中の増田江古田倉庫を焼燬するときは、その火力により場合によつては同倉庫に隣接した右増田所有にかかる人の現住する同会社社宅に延焼するに至るべき事あるべきを認識しながら同倉庫を焼燬しようと企て………同倉庫内の紙屑数枚を取り出し、所携のマツチでこれに点火し、これを………同倉庫内に投げ込んで放火し、よつて………倉庫を全焼させ、更に隣接の………現住の社宅に延焼して………その目的を遂げと」判示し法令の適用に於て、右事実に対し刑法第百八条を適用している。
然るに右事実に対応する起訴状記載の公訴事実は「………新日本印刷株式会社江古田倉庫東側北寄り出入口前に屈み込み、前記マツチをすつて附近の紙屑に点火しこれを………倉庫内に投げ込んで火を放ち………同倉庫一棟を焼燬し、南方の前記会社の社宅二棟に延焼させて同会社に約二千二万円の損害を与え」たことであり、罰条として刑法第百九条第一項及び第百十一条が掲げられている。即ち右犯罪事実に関し、起訴状では江古田倉庫を焼燬する犯意のみを認めているのであつて、人の現住する社宅を焼燬することについては犯意があるとしていないのである。これに反し原判決の判示するところによれば、被告人は人の現住する社宅に延焼する認識の下に放火し、而もその結果が発生したのであつて、人の現住する建造物を焼燬することにまで犯意が及んでいたと認定されており、従つて起訴状に記載されている罰条と異つて刑法第百八条が適用されているのである。而して原審が右の如く起訴状記載の犯罪事実に対して、構成要件の点に於ても著しく異り、刑罰上の評価に於てもはるかに重い前記犯罪事実を認定するに当つては、その認定の当否はさておき、刑事訴訟法第三百十二条所定の手続に従つて訴因の変更を命じなければならない筋合であつて、然らざれば被告人は充分な防禦を構ずる機会を与えられないままに予期しない犯情の重い犯罪事実につき裁判を受ける不利益に甘んずることとなるのである。右の所論に関し判例を援用するならば、昭和二十四年十一月十二日東京高等裁判所は「起訴の効力は起訴にかかる事実と同一性を有する事実の全体に及び同一事実である限り起訴状記載以外の事実についても公訴提起の効力があるものである。例えば窃盗として起訴せられても賍物罪として審判することが認められるのである。しかしながら専ら起訴状記載の事実について防禦方法を講じて来た被告人に対し右の如き措置は不意打であつて、著しくその防禦権を侵害することになるから何等かの方法によつて新たに認めんとする訴因についても予め防禦の機会を与えなければならない。それで刑訴法第三百十二条は右防禦の機会を与えるに最も適当な方法としてかような場合には予め訴因の変更又は追加をなさしめたのである。検察官に於て自ら又は裁判所の命により訴因の変更又は追加の手続をしない以上裁判所において不意打的に判決でこれを変更し又は追加することはできないと解すべきである。」(高等裁判所刑事判決特報第十六号十五頁)と判示し、又昭和二十七年六月十七日東京高等裁判所は、「上訴事実と原判示事実とを比較検討すると、その基本的な事実関係は同一であるが、その被害者及び被害法益において著しい相異があり、延いては被告人の防禦方法に著しい相異をもたらすものと考えられるから、原審裁判所が本件公訴事実に対して、原判示のような事実を認定するには、訴因変更を要するといわねばならない。従つて本件公訴事実に対して、訴因変更の手続を採らないまま原判示事実を認定した原審裁判所の訴訟手続には法令の違反があつたものというべく而も右違反は判決に影響を及ぼすこと明らかであると認める。」(東京高等裁判所刑事判決時報二巻八号二〇八頁)と判示しているのである。然るに本件について一件記録を精査するもかかる訴因変更の手続は何等なされていないのであつて、このことは正に法令に違反し而もこの違反は判決に影響を及ぼすべきこと明らかであるから原判決は破棄されねばならないと信ずる。
第二点原判決には事実の誤認があり、その誤認は判決に影響を及ぼすこと明らかであるから破棄されねばならない。
原判決はその理由中、罪となるべき事実の摘示において第一の事実については、「アパート桜雲荘を………焼燬しようと企て」と、第二の事実については「店舗兼住宅を焼燬しようと企て」と、第三の事実については、「………人の現住する同会社社宅に延焼するに至るべき事あるべきを認識しながら同倉庫を焼燬しようと企て」と、第四の事実については「店舗兼住宅を焼燬しようと企て」と夫々判示し、右犯意に基く放火行為を夫夫刑法第百八条の既遂又は未遂に該ると判示している。然るに原判決が証拠として掲げるところを精査するも右認定に至ることはできないのである。即ち第一については、「どんな気持でアパートの庭に入つたか判りません。ふらふらと入つてしまいました。するとこの箱の様なものが見えましたので、どうして火をつけたくなつたか判りませんが………マツチをすつて………火をつけ」たと(司法警察員の実況見聞調書及び二月一日付被告人の司法警察員に対する供述調書)、第二については、「アパートの物置に火をつけてから此処迄来ますと、この塵芥箱が目につきました。それでどうしてそんな事をしたかその時の気持が判りませんがこの塵芥箱の蓋を開けてその上に箱の内から紙屑を手でつかみ出してのせ………マツチをすつて火をつけ」たと(司法警察員の実況見聞調書及び二月一日付被告人の司法警察員に対する供述調書)第三については、「車庫か倉庫か判りませんが人の居ない様な建物があるのに気が付きました。………どうしてそんな事をしたのかその時の気持は自分でも説明出来ません………火のついた紙………を内部に投げ込ん」だと(被告人の司法警察員に対する二月一日付供述調書)、第四については、「十字路になつている道の角の屋根の下にヨシズが立てかけてありました。私はそれに火をつけたくなつたのだと思いますが藁くずを持つて来てヨシズの下に入れ火をつけ」たと(被告人の司法警察員に対する二月四日付供述調書)、夫々被告人は述べているがそれ以上に現住建造物等を焼燬しようとした意図のあつたことについては何等述べているところはないのである。而して右以外の証拠を検討するも、単に大火の発生及び被害の状況に関する報告が追加されるに過ぎない。当日被告人は大量の飲酒の後、終電車に乗り遅れ自宅に帰る途中であつたが、目標が定まらずふらふらと歩き続け、放火の前後数度に亘り、交番に立寄つて道を訊ねたり、第四の行為の後道端の自動三輪車に乗つて方向指示器を上げ下げしたりその行動は全く児戯に類しているところよりすれば、ふと目についたまま前記供述の如く単に物置小屋、塵芥箱、ヨシズ等に火を放つ気持になつたものであり、それ以上に隣接現住建造物等を焼燬しようとする意図乃至認識があつたとは認めることは出来ないのである。然るが故に原審も犯行当時被告人は心神耗弱の状態にあつたと認定しているのであるが、右認定の下になお隣接する現住建造物を焼燬する犯意迄認めようとするならば更に積極的な証拠の存在を要すると信ずるのである。而も被告人は被害者の孰れに対しても何等の怨恨もなく、前科もなく、まして放火の前歴もないのである。以上の如くであるから原審が判示の如く被告人に現住建造物等放火の犯意があつたと認定しているのは明らかに事実誤認であり、而も判決に影響を及ぼすこと明白であるから破棄されねばならないと信ずるのである。
(その他の控訴趣意は省略する。)