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東京高等裁判所 昭和30年(う)3246号 判決 1956年6月27日

控訴人 被告人 岡田美代子

弁護人 田辺恒貞

検察官 小西太郎

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は弁護人田辺恒貞作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これをここに引用する。

控訴趣意第二点について。

原判決は本件被告人の注意義務懈怠の事実を摘示するに当り「小型ローソクをさして之に火を点じて使用したが、不注意にもローソクの火が自然に消えたものと思い込み消えたことを確認しないで、そのまま外部へ出て仕舞つた為(中略)そのローソクから火を発し」云々と判示するに止まり、消火の有無を確認するにつき具体的に如何なる方法を採るべきやを判示していないことは所論のとおりであるけれども、右記載は、ローソクに点火して使用した場合においては、使用後、先ず完全に消火したか否かを確認し、完全に消火していない場合は、完全にこれを消火する措置を講ずべき注意義務があるのに拘らず、不注意にもこれを怠り、漫然ローソクの火が自然に消えたものと思い込みそのまま屋外に出て仕舞つた過失により、右ローソクの残火から火を発した旨を判示したものと解し得られ、消火の有無を確認すべき具体的措置如何は事案に則し社会通念に照らして自らこれを理解するに難くないところであるから、右は注意義務懈怠の事実の摘示として欠けるところがないものと言うべきである。されば原判決には所論の如き理由不備の違法はなく、論旨は採用すべき限りではない。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 三宅富士郎 判事 河原徳治 判事 遠藤吉彦)

田辺弁護人の控訴趣意

第二点原判決はその理由に不備があること明らかであるから破棄さるべきである。

原判決の理由中注意義務に関する部分は極めて不明確であつて「不注意にもローソクの火が自然に消えたものと思い込み、消えたことを確認しないでそのまま外部へ出て仕舞つた為」とあるにすぎないが、これでは注意義務としてどの程度の確認義務を求めているのか判らない。確認の手段方法としても眼をローソク台に近ずけて見るとか、或いはローソク台を手にとつて見る、又はローソクを立てたところに触れてみる等いろいろ考えられる。原判決はどのような確認方法を要求しているのか。手段方法を問わないというのは余りに結果論的な要求であつて被告人にこれを期待するのは酷である。二、三例示した手段方法についてこれを被告人に期待しえたか否かの見地から考えてみるとローソク台を手にとつて見るというのは本件ローソク台が側板に釘付けにされていた事実に鑑み不可能であり、ローソクを立てたところに触れてみるというのは確認の手段としては完全であろうが何人にも期待しうるものではない。してみると眼をローソク台に近づけて見るということが最も妥当と思われる。しかしこれも被告人の入浴当時の状況を調べてみると、実況見分調書によれば火災当時の天候は「稍々無風状態で曇天であつた」(三二丁)し、被告人の供述によればその晩「月は出て居らず真暗」(一一七丁裏)であり、風呂場は約一坪の狭い場所で、ローソク台は「丁度風呂桶の真前辺りの高さ五尺位の所へ四寸と五寸角位の板を使用してローソク台を作りこれを側板に打ちつけて」(実況見分調書、記録第三一丁裏)あつたもので被告人は「その暗い風呂場の中へ入つて行つて持つて行つた神棚へ上げる小さいローソクに火を点けて私が立つて頭の高さよりちよつと高い所に在る木の板で作つたローソク立の釘に立て」(一二〇丁裏)たが「ローソク立の釘は太いのでローソクを押しても下迄届かないで板から一寸位ローソクとの間があいて」(一三〇丁)いたのである。かような状況下では眼をローソク台に近づけて見ると云つても風呂場内の他の場所から見ることと殆ど差はない筈であり、眼をローソク台に近づけなければ判らない程の残火があつたとしても右の状況の下でこれがローソク台を燃やす程のものになるとは考えられない。従つてもし被告人に課するに適当な注意義務があるとすれば立証上の問題は扨ておき「ローソクの残火があつたのに間もなく自然に消えるものと思い込みこれを消すことなくそのまま外部へ出て仕舞つたため」と表現される訳である。原判決が前記のような不明確な注意義務を理由中に掲げたのは徒らに火災の結果にのみとらわれて火災の起る前の具体的状況から注意義務を抽き出そうとせず、逆に結果からこれを割出したために外ならない。即ち原判決はその理由以上のような不備のあること明かであるから破棄さるべきである。

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