東京高等裁判所 昭和30年(う)621号 判決
被告人 吉沢ヨセ子
〔抄 録〕
論旨第二及び第三の(3)、(4)
原審証人渡辺周一の公判供述、同人作成の吉沢栄一に対する診断書、東京大学医学部附属病院木本外科医局長林周一作成の囘答書、及び労働省東京労災病院医師森川良晋作成の囘答書を綜合すれば、被告人の夫吉沢栄一は昭和二四年一二月頃から特発性脱疽に罹病し、同年一二月一二日から昭和二五年二月二八日迄東京大学附属病院に入院して手術をうけ、昭和二七年一月二四日から昭和二八年二月一〇日頃までは渡辺周一医師の治療をうけ、昭和二八年二月九日頃から同年六月一九日までは東京労災病院において治療をうけ、更に昭和三〇年二月一一日右労災病院に入院したもので、本件の発生した昭和二九年九月三日頃には特定の医師或は病院の治療はうけていなかつたことが認められるのである。而して被告人の原審並びに当公判廷における供述、被告人の検察官に対する供述及び当審証人吉沢藤蔵の供述によれば、右昭和二九年九月三日当時頃でも右栄一は度々疼痛におそわれ医師に対し痛み止めの為の麻薬の注射方を依頼したけれどもたびかさなる麻薬の注射は中毒症状をおこすというて注射を拒絶された結果本件麻薬の入手所持となつたものである事実が認められるのである。なお、特発性脱疽の疼痛は極めて激烈であつて、その間栄一はその苦痛に耐えかね自宅の障子にマツチで火を点ずるなどの行為のあつたことも認められるのである。
しかし乍ら本件麻薬の所持は右栄一の苦痛が生じた場合に用いる為に予め備え用意されたものであることも右証拠によつて明白であるからこれをもつては未だ自己又は他人の生命身体に対する現在の危難を避ける為已むを得ず為されたものとは到底認め得ないのである。
又被告人として当時本件麻薬を入手所持する以外他にとるべき如何なる手段方法もなかつたものとも認められないのである。更に適当な病院に入院させることも可能であつたと認められるのである。(被告人は原審において当時医療費に窺していた旨供述しているけれども、当審証人吉沢藤蔵の供述によれば必ずしも入院不可能の状況にあつたものとは認められないのである。)従つて原判決が所論弁護人の緊急避難乃至期待可能性のない旨の主張を排斥してこれを認めなかつたのは結局相当であつて、原判決には所論のような事実誤認はもとより法令適用の誤も存しない。論旨は何れも理由のないものである。
(久礼田 武田 石井文)