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東京高等裁判所 昭和30年(ナ)12号 判決 1956年4月10日

原告 品田泰一

被告 新潟県選挙管理委員会

主文

訴外名塚正一の提起にかゝる「昭和三十年四月三十日執行の新潟県刈羽郡刈羽村議会議員一般選挙における当選の効力に関する訴願」(昭和三十年裁第三号事件)について、被告新潟県選挙管理委員会が、昭和三十年七月五日にした裁決を取り消す。訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

第一請求の趣旨

原告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求めると申し立てた。

第二請求の原因

原告訴訟代理人は、請求の原因として、次のように述べた。

一、原告は昭和三十年四月三十日に執行された新潟県刈羽郡刈羽村議会議員一般選挙に立候補し、八十二票の投票を得て当選したものであるか、同選挙の候補者で当選人となることができなかつた(八十票の投票を得て、次点となる。)訴外名塚正一は、同年五月二日刈羽村選挙管理委員会に、原告の当選の効力に関する異議の申立をなし、同月八日同委員会が右異議の申立を却下するや、同月十日更に被告新潟県選挙管理委員会に訴願を提起した。

被告委員会は昭和三十年裁第三号として右訴願を審議した結果、同年七月五日名塚正一の訴願を容れ、「昭和三十年四月三十日執行の刈羽郡刈羽村議会議員一般選挙における当選の効力に関し、訴願人のなした異議申立に対し、刈羽選挙管理委員会がなした申立却下の決定は、これを取り消す。

右選挙における品田泰一の当選はこれを無効とする。」

との裁決をなした。

二、裁決の理由とするところは、右村議会議員一般選挙の開票の結果によると「品田正一」と鉛筆で記載された投票が二票存する。この二票は、当初村選挙管理委員会によつて無効とされたものであるが、訴願人名塚正一は、今より二十八年以前満二十六歳となるまで、品田正一と称していたものであるから、右「品田正一」と記載した二票は有効であり、同票は名塚正一に投票されたものであるとして、結局最下位当選者たる原告と名塚正一とは、その得票数が各八十二票ずつの同数となる結果、公職選挙法第九十五条第二項の規定によつて、選挙長がくじにより当選人を定めるべき場合に該当し、原告の当選は無効とさるべきであるというにある。

三、しかしながら右選挙において議員候補者として立候補届出をした者のうちには、原告「品田泰一」となお外に一名「品田寅雄」と品田の姓を名乗る者が二名あり、しかも原告の名は泰一であるから、問題の無効投票「品田正一」の記載は、その符合する字数においても、最も原告の氏名の表示に近いものである。

選挙人は多くの場合、候補者の姓に重きを置き、名はこれを明確に記憶しないか、または軽卒に書き誤まることが住々にしてあることで、ことに「何一」というような場合、その上の一字を記憶違い又は書き違いにより、誤記することは、われわれの日常生活においても屡々経験するところである。問題の「品田正一」の票を有効と認めなければならないとしたら、むしろ原告の得票と認めるのが最も条理に適した判断である。

仮りに原告の得票でないとすれば、公職選挙法第六十八条第一項第七号の「候補者の何人を記載したかを確認し難いもの」として無効と断定することこそ最も至当な判断であつて、かゝる判断に基いて、名塚正一の異議申立を却下した刈羽村選挙管理委員会の決定は正に正当なものであつた。

しかるに被告委員会は、これを有効とするのみか、名塚正一の得票と断じたことは、条理を無視した不当な判断であつてこれに基く被告の裁決は取消を免れない。

四、被告委員会が前記二票の投票を名塚正一の得票と判断した理由とするところは、名塚正一が昭和二年当時即ち今から二十八年前「品田正一」と称していたこと、又昭和二年同人が品田正一と称していた頃、同人はすでに二十六歳となつており、相当同人を品田正一として記憶している者が存在することの如くであるが、若し仮りにかゝる二十八年以前の旧姓名を書いた票が有効に同人の票となるならば、自己の投票が間違なく自己の当選せしめようとする候補者の得票となることを希求する選挙人は、全候補者の旧姓旧名まで一々調査してかゝねば、安んじて投票をすることはできなくなつてしまうであろう。

五、原裁決によれば、名塚正一の旧姓名が品田正一であることを知つているものが選挙人中に数名存在したといつているが、この調査の方法範囲等に疑問があり、この結果についても承服することができない。仮りに選挙人中相当数の者が名塚正一は二十八年前品田正一と称したことを知つていたとしても、選挙は現在の氏名によつて行われるべきものであつて、旧姓名の使用は原則として許されないものである。ただ公職選挙法第六十七条の規定に従い、投票した選挙人の意志が明白である場合に限り有効とせられる。若し投票に記載された旧姓名が全く他の候補者の氏名と紛わしくなく、明に特定候補者の旧姓名を記したものと認められる場合ならばこれを有効と認めることは適法であろうが、本件の如き一候補者の旧姓名であると同時に、他の候補者の氏名と全く紛わしい場合には、前記第六十七条の選挙人の意志が明白である場合には該当しないこと多言を要しない。何とならば一候補者の旧姓名を記したものか、または他の候補者の姓名を誤記したものは、投票記載の上では全く判明しないのであつて、投票に記載された氏名が一候補者の氏名の誤記とも考えられ、また他の候補者の氏名の誤記とも考えられる場合と同一であるからである。かかる法の解釈を誤まり「品田正一」なる投票を有効にして、かつ選挙人の意志は名塚正一の旧姓名を書し同人に投票したこと明白であると判断し、しかも、かく解したからといつて選挙の公正をいささかも害することはならないと判示した裁決は、驚ろくべき妄断を敢てしているものといわなければならない。

よつて右裁決の取消を求めるため本訴に及んだ。

第三被告の答弁

被告代表者は、原告の請求を棄却するとの判決を求め、原告の請求原因としての主張に対し、次のように答えた。

一、原告主張の請求原因一及び二の事実はこれを認める。

二、同三、四、五の主張は、これを争う。

本件選挙においては、「品田」姓を有する候補者として、品田泰一(原告)及び品田寅雄の二名が実在し、「正一」なる名を有する候補者として、名塚正一が実在する。従つて「正一」なる名を有する候補者が実在しないならば、原告主張のように「品田正一」と記載された投票は、原告の氏名に最も近似し、「泰」を「正」と誤記したものとも考えられないこともないが、候補者中に「正一」なる名を有する候補者が実在し、しかも「泰」と「正」では字画及び音読からしても全く異つていて、社会通念上混交される字でもなく、またこの二つの字の間に共通性は何ら認められず、他に原告の氏名を記載しようとして誤記したものと認められる客観的事由はない。従つて「品田正一」と記載された投票は、「品田」姓を有する候補者の氏と、「正一」なる名を有する候補者の名とを混記した無効投票であるとも考えられないでもないが、「正一」なる名を有する候補者である訴外名塚正一は、旧姓を品田といい、被告の調査した結果では満二十六歳まで品田正一といい、母親の実家である名塚多市の分家創設のため、戸籍上品田姓を名塚姓に改めたものであること、また出生時より刈羽村大字上高町に居住しており、しかも満二十二歳の時婚姻している事実が認められ、また選挙人が旧姓についてどの程度認識しているかどうかについて、選挙人三十二名について個々面接により調査したところ、旧姓を知らないという者二十五名、旧姓を知つているという者七名、うち一名は改姓されたことを知らなかつたといい、旧姓を知つている者は、大体名塚正一の部落である、上高町の三十歳以上の者及び尋常小学校又は高等小学校において、同級か二、三級前後の者であることが認められた。名塚正一の改姓は、二十八年前ではあるが、満二十六歳まで品田姓であつたこと、また満二十二歳で婚姻していることからみても、品田姓を以て相当期間社会一般的の儀礼交際等も行われたであろうこと、また出生時より現住所地である上高町地内に居住していた関係等からしても、現在なお選挙人の中に訴外名塚正一の姓を品田と認識しているものも決して絶無でないことは、社会通念からして明かである。また「品田正一」と記載された投票が一票でなく、二票もあるということは、これらの記載がなされる程強い客観的要素があつたものといわなければならない。しかもこの投票の記載は達筆ではないが、極めて真面目にしかも明瞭に記載されていることからしても、選挙人は明かに特定の候補者を投票せんとする意志をもつて書いたものと判断することが法の精神に合致し、この票を殊更に混記投票とみるは当を得ない。これらのことを総合判断すれば、選挙人が訴外名塚正一に投票する意思を以て、同人の氏名を品田正一であるとの記憶のものに記載したものと認定が成り立つものであるから原告のいうように、原告の氏名を誤記した有効投票であるということ、及び原告の有効投票でないとすれば候補者の何人を記載したかを確認できないものとして無効投票であるとの判断は至当ではなく、係争の投票は訴外名塚正一の有効投票として認定することが、公職選挙法第六十七条後段の趣旨にも適合して至当である。

第四証拠<省略>

理由

一、原告主張の請求原因一及び二の事実は、当事者間に争がない。

二、右当事者間に争のない事実と、各その成立と争のない乙第二号証、甲第二号証、並びに検乙第一、二号証とを総合すれば同選挙における開票の結果、「品田正一」と記載した投票が二票存在したこと及び右選挙に議員候補者として立候補の届出をした者のうちには、「品田泰一」「品田寅雄」、「名塚正一」の氏名を有する者があつたことが認められる。

三、原告代理人は、選挙人の多くは候補者の姓に重きをおき、名はこれを明確に記憶しないか、または軽卒に書き誤まることが住々あり、しかも右問題の「品田正一」の投票は、名における「正」と「泰」の一字を除いては、原告の氏名「品田泰一」に最も近似するから、若しこれを有効とするとしたならば、原告の得票と認めるのが最も条理に合した判断であると主張するが、仮りに候補者の姓に重きをおくとしても、先に認定したように本件選挙における候補者のうちには「品田」の姓を有する者が二名あり、また他に「正一」の名を有する者が存在する事情に鑑るときは、右「品田正一」の投票は、これら候補者「品田泰一」「品田寅雄」のいずれかの姓と「名塚正一」の名とを混記したもので、その何人を記載したかを確認することができないものと認定するのを相当とする。

四、被告代表者は、右候補者の一人である名塚正一は、旧姓を品田といい、満二十六歳のとき一家を創立して名塚姓に改めたものであり、生出の時から刈羽村内に居住し、尋常、高等小学校への通学及び婚姻等いずれも品田姓の時代においてなされ、選挙後調査したところによれば、選挙人中同人がかつて品田正一と称したことを知つている者も絶無でなく、右問題となつた「品田正一」の投票は、いずれも真面目にしかも明瞭に記載され、ことにかゝる投票が二票も存したという事実を総合して判断すれば、この票は殊更に混記投票とみるべきではなく、選挙人が候補者名塚正一に投票する意志を以て記載したものと認定すべきであると主張し、各その成立に争のない甲第六号証(戸籍謄本)、乙第一号証、証人鴨下政平、名塚正一の各証言によれば、右候補者名塚正一が旧姓を品田といい、出生の時から刈羽村内に居住し、尋常、高等小学校への通学及び婚姻等いずれも品田姓の時代においてなされたことを認めることができるが、これら証拠によれば、また右品田正一(明治三十四年二月十日出生)が一家を創立し名塚正一となつたのは、昭和二年三月二十二日であつて、選挙の当時から二十八年も以前のことであることが認められる。また前記証人鴨下政平の証言及び乙第一号証によれば、選挙後、被告委員会書記鴨下政平が、刈羽村選挙人について調査したところ、被調査人員三十二名中名塚正一が旧姓を品田正一といつたことを知つていると答えた者が七名あつた事実を認めることができるが、他面同証拠によれば、右の調査がなされたのは、本件当選の効力に関し同村選挙管理委員に異議の申立があり、更に被告委員会に訴願が係属した後になされたものであることが認められ、選挙人のうちには多かれ少かれこの問題について何等かの関心を有する者がなかつたとは到底考えられないから、右調査の結果がそのまゝに投票当時の事情を示すものとは解されない。一方原本の存在及びその成立に争のない甲第七号証の一ないし五、証人名塚富栄、名塚正一の各証言によれば、本件選挙について名塚正一の立候補の届出告示が名塚正一の氏名においてなされたのはもちろん選挙運動に当つても、旧姓品田正一の氏名に言及された事実は全くないことが認められる。また右問題になつている二票の投票のいずれもが、果して同一の意志に出でたものかどうかは必ずしも明白ではなく、検乙第一、二号証の記載の筆跡等によつても、これが混記でないとの事実を認めしめるに足りない。

以上認定にかゝるあらゆる事情を総合して考察すれば、本件で問題となつている「品田正一」の投票は、前段三で認定したように、候補者「品田泰一」「品田寅雄」「名塚正一」の何人を記載したかを確認することができないものと解するのを相当とし、右認定を覆えし、選挙人の意思が、「品田泰一」「品田寅雄」のいずれでもなく、二十八年以前に有した旧姓を記載して「名塚正一」に投票したものであることが明白であるとは、到底認定することができない。

五、以上の理由により、右「品田正一」の投票は公職選挙法第六十八条第一項第七号に該当し無効であるから、これを有効としてなされた被告委員会の主文第一項記載の裁決の取消を求める原告の本訴請求はその理由がある。

よつて前記裁決を取り消し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のように判決した。

(裁判官 内田護文 原増司 高井常太郎)

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