東京高等裁判所 昭和30年(ナ)8号 判決
原告 井上安治郎
被告 東京都選挙管理委員会委員長
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告は「昭和三十一年七月八日執行の参議院議員通常選挙における東京都地方選出議員の選挙の無効なることを確定する、訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求め、その請求原因として、
一、昭和三十一年七月八日執行の参議院議員通常選挙は、同年六月十二日告示せられ、東京都選挙管理委員会は松崎権四郎を選挙長に選任し選挙事務の取扱を開始した。
二、右選挙において、右選挙長は、東京都選出議員の立候補者藤田たき同肥後亨ら十七名の立候補届を受理し、同年七月八日投票がなされ同月九日開票の結果が発表された。
三、右立候補者中前記肥後亨は公職選挙法第十一条第一項第三号に該当し被選挙権なきに拘わらず、前記選挙長は、右肥後亨の立候補届を受理し、同人をして公営選挙運動に参加させ、その後東京都内各開票管理者に対し、候補者肥後亨は公職選挙法第六十八条第一項第四号によりその投票を無効として処理するよう通達した。なお、前記肥後亨は立候補届に際し被選挙権なきことを表示し、且つ公営選挙立会演説会及び選挙公報においても、昭和二十八年六月から刑期四年四十日にて服役中のところ昭和三十一年五月仮釈放された者であることを表示していたものである。
四、かように、刑期中のため被選挙権のないことを表示する候補者を選挙に混入せしめることは、未だ事例を見ないところであつて、このことは選挙人をして法の解釈に疑念を懐かしめ、これがため候補者の選任を迷わしめ、且つ甚しく選挙意欲を減ぜしめることが明らかである。これは、開票の結果無効投票中に肥後亨の氏名を記入した投票が相当多数あつたことから見ても明らかである。原告は前記選挙における選挙人であつて、前記選挙は、選挙長が受理すべからざる肥後亨の立候補届を擅に受理し、選挙の規定に違反して執行されたものであつて、まさに、選挙の結果に異動を及ぼす虞のある場合に当るので、前記選挙の無効確認を求めるため本訴請求に及んだ。
と述べた。
被告指定代理人は、主文同旨の判決を求め、原告の主張に対し、原告がその主張の如き選挙人であること、原告主張の一、二の事実及び三の事実中立候補届の受理後調査の結果肥後亨が被選挙権を有しないことが判明したが候補者である身分は継続したことは、いずれも認めるがその余の原告主張事実は不知である、選挙が無効であるには、選挙の規定に違反し選挙の結果に異動を及ぼす虞ある場合に限るのであつて、前記選挙において、選挙長が被選挙権のない(このことは立候補届の受理後調査の結果判明した)肥後亨の立候補届を受理したことは、適法な行為であつて毫も選挙の規定に違反しない。公職選挙法第六十八条第一項第四号が被選挙権のない候補者の氏名を記載した投票を無効とし、同法第六十七条がすべての投票の効力は開票立会人の意見をきいて開票管理者において決定することにしているのに徴するときは、候補者が被選挙権を有するか否かは開票の際開票管理者が判定すべき事項であつて、選挙長は立候補届または推薦届の受理に際し実質的に審査する権限を有せずまたその義務もないものと解すべきである。従つて前記選挙長が肥後亨の立候補届を受理したことは適法であり、また同人が他の候補者と同様に選挙運動をなすことについて抑制されるべき特別の規定も存在しないから、そこに選挙の規定に違反する事実を生ずる余地はないと述べた。
理由
昭和三十一年七月八日執行の参議院議員通常選挙に際し、東京都選挙管理委員会が松崎権四郎を選挙長に選任し選挙事務の取扱を開始し、原告が右選挙の選挙人であつたこと、訴外肥後亨が右選挙において東京都選出議員の立候補届をなし、右選挙長がこれを受理し同人をして選挙運動をなすに至らしめたこと及び、同人が公職選挙法第十一条第一項第三号に該当し被選挙権のなかつたことは、当事者間に争のないところである。
原告は右立候補届の受理は違法で選挙の規定に違反すると主張するのでこの点につき審案する。公職選挙法第八十六条は、公職の候補者となろうとする者は一定期間に文書でその旨当該選挙長に届け出なければならないと定め、同法施行令第八十八条で届出書に記載すべき事項を定めているが、候補者につき被選挙権の有無を判定すべき事項についてはその記載につき何らの定めはなく、またそれについての証明書などの添附書類も定めていないし、同法第六十八条第一項第四号が被選挙権のない公職の候補者の氏名を記載した投票を無効とし、同法第六十七条がすべての投票の効力は開票立会人の意見を聴いて開票管理者が決定しなければならないものと定めているのに対し、選挙長が立候補の届出を受理するに当りその者の被選挙権の有無を審査すべきことに関し何らの規定がないことなど、以上の諸点を考えると、選挙長は立候補の届出を受け付けるに際し候補者となるべき者の被選挙権の有無を審査する権限もまた義務もないものと解さねばならない。
思うに被選挙権のない候補者の立候補をあらかじめ阻止し、これから生ずる無用な選挙上の手続を省くためには、選挙長をして立候補の届出を受理するに際し候補者となる者が被選挙権を有するかどうかを審査し判断させることが適当であろうが、この判断は必ずしも常に容易なものではなく、もし選挙長がその判断を誤つて、当然受理すべき立候補の届出を却下するようなことがあれば、国民の有する選挙権の行使を不当に圧迫し、または制限することとなるであろうから、この場合には右却下の決定に対し当然不服の申立を認めねばならないこととなるのであつて、若しこの不服の申立を認めることとなれば短時日の間に選挙を完了することは甚だしく困難となるであろうから、むしろ選挙が公正に行われるためには、多少手続上の無駄の生ずることは止むを得ないこととして、選挙長においては、立候補の届出はこれを受理し、国民の判断に基ずいて選挙権を自由に行使させ、被選挙権のない候補者の氏名を記載した投票は、投票の効力の判定の段階において、開票管理者が開票立会人の意見を聴いてこれを無効と決定させることとし、この決定に不服である場合には当選の効力に関する争訟として裁判所に終局的判断を求めることとするのが、選挙が選挙人の自由に表明する意思によつて公明且つ適正に行われることを保障する所以である。従つて、前記選挙長が前記肥後亨の立候補届を受理したことはもとより違法ではなく、また立候補届後の選挙運動をもつて選挙の規定に違反するものとなすに由ない。然らば、原告の主張は、選挙の規定に違反するとの点において、すでにこれを認め得ないからその余の主張につき判断するまでもなく原告の請求は理由がないので、本訴請求を棄却し、訴訟費用につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 岡咲恕一 亀山脩平 脇屋寿夫)