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東京高等裁判所 昭和30年(ネ)1573号 判決 1957年11月25日

控訴人(被告) 茨城県地方労働委員会

補助参加人 日本炭鉱労働組合 外一名

被控訴人(原告) 重内鉱業株式会社

主文

本件控訴はこれを棄却する。

控訴費用は控訴人の、参加費用は参加人らの各負担とする。

事実

控訴代理人は原判決を取り消す、被控訴人の請求を棄却するとの判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

補助参加人ら代理人は本件において控訴人茨城県地方労働委員会を補助するため参加する旨主張し、その理由として、補助参加人高橋実行は原命令で救済せられた当事者であり、この訴訟の結果について大きな利害関係をもつことはいうまでもなく、補助参加人日本炭鉱労働組合(炭労)は炭鉱労働者の全国組織で、右高橋が属していた同組合重内支部は炭労加盟の労働組合である、高橋実行は昭和三十年六月三日右重内支部に復帰することにより当然炭労の組合員となつた、そして同人は炭労規約・救済規定の適用により現に炭労より救済を受けている、本件判決の結果は不当労働行為の成否にあり、その影響は全国の組織労働者に及ぶものであり、不当解雇として救済規定の適用を受けている者の問題であつて、その利害関係は直接的である、労働組合は所属組合員を不当解雇からまもることをも直接最大の任務とするところであるが、とりわけ不当労働行為による所属組合員の解雇は労働組合そのものに対する権利の侵害でもある、それ故に労働組合法も労働組合による救済申立を認めているのであり、補助参加人炭労が本件につき補助参加をするについての利害関係を有するものであることはいうまでもないと述べた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用、認否は次に附加するほかすべて原判決事実らんに記載されたところと同一であるからここにこれを引用する。

(控訴人及び参加人らの主張)

一、本件は企業整備による解雇ではない。

(1)  被控訴人は当初本件解雇をもつて非行による懲戒解雇を主張していたが、その後にわかに企業整備による解雇であるとして、その主張を変更して来た。しかし本件は企業整備による解雇でもないことは以下に説明するとおりである。

(2)  本件の企業整備は、主として組合員の家族で家計補助的に出ている臨時夫(多くは二ヵ月雇用)二十三名を主体とするものである。組合員については企業分割により除籍される七名は別として、その他の組合員は高橋兄弟を除けば、自発的の希望によるもの二名、停年者一名、極度の近眼で作業に危険あるもの一名、身体倭小虚弱のもの二名、長期欠勤者一名の計七名である。高橋の属した資材係において生じた余剰人員は他に配置転換することによつて企業整備は終つたのである。高橋実行については掛札課長も配転を上申した。高橋実行が自動車部に残つた中島らより成績がおとるかどうかは問題であるが、仮りに配転がやむを得なかつたとしても、それは配転をすればよいのであつて、解雇されるはずはなかつたのである。

(3)  そこで会社側は高橋を機電係に配転すべく試みたが宮内係長の拒否にあつて配転不能となつたというのであるが、この宮内係長の拒否は、自分の係から多くの犧牲者を出して他の係から受入れるわけには行かぬというにある。しかし機電係における退職者はすべて臨時夫で全部停年者であつて、企業整備の場合はまず整理されることを約束されているものであるから、組合員である正規の従業員と同視することはできない。組合員が配転して来ることを拒む理由にはならない、もつとも高橋に若干の非行あることが拒否の理由にあげられるが、ガソリン横流しの話は事実無根であり、いわゆる勤務時間中のパチンコは待時間の多い自動車部であるからこそあり得たが機電その他の抗内にはあり得ないこととなるはずであり、これらの点から配転を拒否したりすることは不可解である。ことに宮内は一係長に過ぎない。少くとも所長、事務長等の上司からいわれれば拒否できない立場にある。このことからいえば当時すでに所長事務長ら会社側では高橋を解雇するということをきめていたので、宮内に対しても配転受入を強く要請しなかつたのである。機電係配転を考慮したが宮内が拒否したというのは、たんなる形を作つただけのものである。

(4)  配転先は機電係にとどまらない。この企業整備においては本人が抗内配転を希望するならば抗内に配転してもよいのであり、殊に抗内は賃金がよいので運転手でも希望しないことはない。それなのに会社は高橋に対しては機電係以外の抗内等他の配転を試みたことはなく、同人に関する団体交渉中も交渉委員が配転による解決を求めたのに会社は話にのらなかつた。

(5)  高橋実行本人に対して会社は配転及び配転先の希望をきいていない。本人が配転を拒否したというのは、掛札課長と会見した四月十五日、井上事務長と会見した同月十六日のことであるのに、当時はすでに会社側は解雇に決しているのである。井上事務長も高橋との会見において、解雇をやめたら配転に応ずるかとはきいていない。誰にとつても配転はもとよりないに越したことはないのであつて、そのこと自体は配転を拒んだこととなるものではないのである。

(6)  以上により高橋の配転受入先がないから企業整備により解雇したとの主張はなりたたない。同人の解雇は企業整備終了後のあらたな解雇である。

二、高橋実行の非行について。

(1)  被控訴人は高橋の非行は解雇の主たる事由ではないとし、従来の態度を変更しているが、それはともかくとして高橋実行の非行の有無について考える。

(2)  パチンコ―高橋実行もパチンコを形式上の勤務時間中にやつたことは争わない。ただ積荷や修理その他の待時間内のことであり、また昼休みが十二時で終るところを通常十二時半ころまで休んだり、運転手が随時休む職場の慣例である場合にその間にパチンコをしたことを認めているのである。積荷が終つて助手がパチンコ屋へ高橋を迎えに行つたことも一、二度はあつたであろう。ただこういうことは待時間の多い職種であることからおこつたものである。職員には朝出勤して昼休みまでパチンコにふけつていた者もありながら何らとがめられていないのが当時の空気である。高橋のパチンコは他の者が雑談したり、将棋をさしたり、昼寝したりする時間にやつたに過ぎず、そのために職務を怠慢したものではない。少くともパチンコというだけでは配転等はあり得ても、解雇には値しない。

(3)  古鉄売り―それが二回あることは高橋も認めているが、いずれも解雇の一年前から一年四月前のことである。当時は会社でも古スプリングの取扱いが一般的にルーズであり、しかも売却代金は修理工員や運転助手にやつてしまい、私したものはなく、もとより解雇に相当するものではない。

(4)  借金―修理工場などで高橋が借金したことはあり、こういうことは会社として、よしそれが私的な借金であろうとも望ましくないことは理解し得るところである。しかし運転手などが取引先で小金を借りるということは一般的に相当多いのではないかと思われ、しかも請求書を水ましされたり買わない物品の請求書が来たりしたからといつて解雇その他の懲戒をした事例もなく、会社側も主張しないところであるから、これを非行として重視すべきでないことは明らかである。

(5)  ガソリン横流し―この点の事実が確認し得ないことは原審以来変らず、高橋実行も前三者については認めながらガソリンの点では対決を迫つている点からみても、これは事実無根のことである。しかるにこの点について、会社としては少くとも嫌疑濃厚と考えていたとするならば、それは誤りである。会社がこの点の一資料として挙げる甲第十六号証(告訴状)は、高橋実行が控訴人茨城県地方労働委員会への本件提訴の後、このことを知つた会社によつて提出されたものであり、しかもこの告訴は本来ならば高橋実行と高橋勲両名に対してなさるべきなのに高橋実行に対してのみなされたものであることから考えれば、これは会社側の確信にもとづくものではなく、地労委の審問における対抗手段としてなされた作戦にしか過ぎないことが明らかである(これによつて会社が嫌疑濃厚と信じていたと認定するならば、正に作戦が図にあたつたことになる)。掛札資材課長はすでに昭和二十七、八年ごろ山崎豆腐屋からガソリン横流しの噂をきいたが一笑に附したし、会社側は早くからこのことを知つていても問題にしなかつた。投書によつて知つたのではなく、企業整備がはじまり高橋の解雇を決意した会社があらためて従来無視して来た問題を解雇理由としてむしかえし、取り上げようとしたものである。会社側にすでに前から分つていることについて、現に高橋実行が爼上に上つているさい、夜中井上事務長の机の上に投書を置くということは通常ではない。すなわち投書は会社が仕組んだものである。要するにガソリン横流しについて会社に嫌疑が濃厚なのではなく、会社に嫌疑濃厚のように会社が自ら作為したものである。

(6)  以上の四つのいわゆる非行について会社側は高橋本人の弁解をきかず、またきこうともしなかつた。当時高橋の弁解をきこうと思えばいつでもきける状態であつたが会社はそれをきく考えはなかつたものである。これは会社が嫌疑がうすれることをおそれとたもいえようし、もともと嫌疑は濃厚でなかつたのに濃厚のようにみせかけようとしたものともとれるのである。

(7)  高橋実行の非行と認め得るものが解雇に当らないことは前記のとおりであり、さらに総括すれば、従来の会社における慣例からみても解雇にはあたらない。甲第十五号証添付の「窃盗類似行為により解雇処分に附した例」は、これを実際に調査すればその解雇された実際の理由はそこに書かれたものに止まらないことは当審寺田証人の証言から明らかである(この証言も組合員や家族に関するものがあるので、組合長としての立場から遠慮してのべられていることを注意しなければならない)。一般的にいつても工場の場合と炭労の場合とは区別すべきであり、従来職員、組合員ともに相当の事故者があるにかかわらず会社は寛大であつたのは炭鉱の特殊性によるものとして理解すべきであり、ひとり高橋の非行についてのみ苛酷であることが指摘される。

(8)  会社は懲戒解雇ではないという、懲戒解雇とするには労働協約第二三条「会社は賞罰執行の諮問機関として必要に応じ賞罰審査委員会を設け、その答申にもとづいて賞罰を行う」との手続によらねばならないが、会社はその手続をふんでいない。のみならず従来の慣例上諮問委員会からは懲戒解雇の答申を得難い。それですでに終つたはずの企業整備にむすびつけたものとみるべきであろう。組合員の整理基準は前述のように極度の低能率者に限られていたが、この段階では企業整備はすでに終つているいるから整理基準を考える必要はなく、配転後懲戒の手段を考えても懲戒解雇となるかどうかは会社に自信がなかつたのでその手順はふめなかつたのである。そして一般的に人員整理においては非行のない者も解雇せられ得るという、本件にはあてはまらない抽象論により企業整備に結びつけて解雇したとするのが真相であろう。

三、本件解雇の真の意図。

(1)  本件解雇は企業整備によるものでもなく、本人の非行によるものでもなく、高橋実行の組合活動によるものである。高橋が組合にあつて強硬幹部として積極的に活動したことは明らかである。従来スポーツや音楽を通じて親しみをもち、公私ともに友好的であつた井上事務長が本人の非行については一度も直接に注意を与えず、弁解をきかず、解雇を強行したのである。井上事務長は「今度は飼犬に手をかまれたようで全く情ない」といわざるを得なかつた(乙第四号証の三)。これがたんに職務上の問題だけであつたら、それがどんな悪質の非行であつても「今度だけは」といつて本人を庇護し、注意を加えるだけですましたろうと思われる。それをしなかつたのは、高橋の賃闘における組合活動を直接の決定的理由としていたからである。

(2)  井上事務長は労働組合について独特の強い考え方をしている。これを井上自身の言葉からみると、重内の組合は「会社が提供した経営分析資料を一顧だにせず、論議すら交わさず、ストを断行するとはけしからぬ」、このような「頭から経営者を否定するようなストを続けることは破壊に通ずる赤い思想である。争議権の濫用というよりむしろ不当のスト指導者、責任者を首にしても不当労働行為とはならない、救済は受けられない」、「企業家は変つても吾々の職場は失わないと炭労内部ではいつていた」が、その統制を受ける重内の組合は、「現実性」をはなれた「理想性」の組合であり、「権力闘争で高い犧牲と冒険をおかす」炭労統制の組合は「民主的組合の常道ではない」というに帰するようである。闘争終了後数日を出ないうちに事務長の職務だと称して組合員の家族を集め、彼の労働組合論を説いて歩いている。これは本来労働組合がなすべきことであるが、重内の組合内の二派、すなわち炭労支持派と井上のいう現実性派の対立が、井上のこの行動を便ならしめている。これらからみるとき、井上はここで重内の労働組合を自分の欲する組合に変えてやろう、組合をためなおして泉、飛田らの支配による「現実性」の組合にしてやろうと考えたとみられる。そのさいのジャマモノは第一、第二戦犯の言葉の意味はともかく、それからみても寺田と高橋である。しかし寺田は企業整備の範囲外の職場にあり、処分の仕様がない。高橋は賃闘で終始山元におりその活動は目についた。そして飼犬にかまれた思いである。高橋が企業整備の名の下に処分せられたのはこの故である。

(3)  重内炭鉱の資材課は本社の直接監督を受け本社の高橋悌治重役が常駐してこれに当つている。高橋重役は今次の賃闘において高橋実行の保安出炭拒否その他強硬な組合活動を好まなかつた。そしてかかる本社の直轄部門に組合の有能な積極分子を置くことを望まなかつた。会社における高橋実行解雇の意思はここにその発源地を得たのである。

(4)  高橋勲の解雇が実行のそれとほぼ同様の理由にもとづくとされることから、逆に実行の解雇の不当労働行為の意図を否定することはできない。高橋勲の勤務成績は実行以下であることを会社は主張している。そうすれば実行を解雇して勲を残すわけには行かない。勲はまさに実行解雇の道づれとされたものである。

(5)  解雇に不当労働行為の意図が少しでもあれば労働委員会はこれを救済すべきものと考えるが、本件では不当労働行為の意図が高橋実行解雇の唯一の原因であると考えられる。この意図は賃闘終了後最初の企業整備決定のときに発現し、四月十日までは解雇理由の模索期間であり、同日から十四日までに解雇理由が決定されたとみられる。これが本件の論理的また直感的結論である。

四、組合及び高橋実行の解雇承認の有無。

本件において組合が昭和二十九年五月九日会社に対してした回答は解雇の承認ではない。それは、依願退職でも企業整備解雇でも同じ退職金を出すというのに将来の就職に不利な企業整備解雇を選んでいること、炭労の救済規定の適用を高橋から依頼していること、闘争後組合が疲労し、ことに寺田発言後組合が混乱し無力化した当時の組合の状勢、本件地労委への提訴が解雇予告期間の切れた六月八日の直後である六月十日に行われていること等からして、組合の回答は企業整備闘争の打ち切り、組合としては高橋実行の問題を取り上げないとの意味と解するほかはないからである。もつとも組合が解雇に同意しても組合員は従業員たる地位の保障を前提として組合に信託しているとみるべきであるから、個々の従業員に専属する解雇の承認の有無の如きは組合は同意できない性質のものである。依願退職をしりぞけた高橋実行に解雇の承認のないことはもちろんである。

(被控訴人の主張)

控訴人及び参加人らの右主張中被控訴人従来の主張に反する部分は否認する。被控訴人が高橋実行を解雇したのは、これを要約すれば次のとおりである。すなわち被控訴人は企業整備のため自動車の縮少をし運転手の減員となり、高橋実行、高橋勲両名は他の職場へ転出させることとなつたが、他の職場では人員の縮少と高橋両名の勤務成績不良及び不正行為を知つてその受入を拒否した。その結果適当な配置転換の場所なく、解雇せざるを得ないこととなり、かつ非行調査の結果この点からも解雇を相当とし組合の承認を求めて解雇したものである。高橋実行の労働運動は従来被控訴会社にとつてかくべつ顕著なものではなかつた。当時の賃金交渉の客観的情勢をみると、大部分の炭鉱は昭和二十八年十二月中に新協定が成立し、中小炭鉱のうち約八百は前協定賃金とほとんど変りなく、十五、六の炭鉱がわずかなベース・アップをしただけで、中にば逆にベース・ダウンとなつた炭鉱もあつた。常磐地区でも常炭連関係では一時金最高千八百円、最低四百円、常日鉱関係でも一時金最高千百円、最低五百円で同年十二月中に協定成立し、賃金は据置となつた。本件をふくむ磐炭労関係のみが昭和二十九年に年を越して争議を継続した。磐炭労関係の炭鉱は七炭鉱でその業態は概して悪く、出炭能率もすでに妥結した他の炭鉱に比して不良であつた。団体交渉は平市の石炭会館で行われ、団体交渉十三回、賃金専門委員会数回、事務的接渉二十数回行われたが、重内炭鉱労働組合からは寺田四智郎、高岩竹次郎、佐藤一雄、目黒重治、石川清孝、飛田忠義が出席し、高橋実行が列席したのは昭和二十九年三月二十九日の第十三回団体交渉一度だけである。またいわゆる保安要員打合せ協議会における行動をみるに、電気事業及び石炭鉱業における争議行為の規制に関する法律によつて争議行為としても鉱山における人に対する危害、鉱物資源の滅失、重大な損壊、鉱山の重要な施設の荒廃又は鉱害を生ずる行為は禁ぜられているところ、重内炭鉱においては長壁稼行の採掘をしているので、この長壁切羽面が主要通気道となつており、長壁稼行を長期に休めば落磐、崩壊等で通気が遮断され、排水、抗内仕繰等の保安職員の入抗作業もできなくなるから、スト中でも長壁稼行を全然休むことはできない場合がある。このため保安係職員から保安採炭要員の提供を申し入れ、前記打合せ協議会となつたのであるが、この時高橋実行は保安採炭を拒否しても違法ではないとの解釈を固執したが、他の列席闘争委員はこれに同調せず、会社側係員も組合側闘争委員も高橋が抗内事情を知らないための発言として取り扱つた。その直後組合事務所で闘争委員文化部長小松清勝が高橋に長壁切羽が主要通気道となつている実情を説明して納得ができ、保安採炭要員が提供されたので会社側でも高橋の言動を重視することはなかつたのである。いわゆる第一戦犯、第二戦犯との言葉の出たいきさつは次のとおりであり、会社が高橋らを戦犯視したものではない。すなわち組合は昭和二十九年三月に入つても数次の波状ストを継続し、同月中下旬中就業したのは十二日、十六日、十九日、二十三日、二十七日(三月三十日午前八時スト中止)の五日に過ぎないところ、三月二十三日就業の三番方出炭実車が抗外線に四、五十車停滞し、二十四日のストで監量受入ができず、ために従業員の稼動賃金に加えることができなかつた。そのことで二十四日高岩副闘争委員長が高橋実行とともに井上事務長を訪問したさい、井上事務長が無謀なスト強行を戒しめ、組合員間に執行部批判の声が起つているから役員改選期には戦犯として組合役員には再選されないではないかとの観測をもつて忠告したのであつて、もつぱら組合内部に関する事項であり、用語である、労働委員会は労働者の保護を使命とする性格をもつから、その載定がいく分労働者の保護に傾くことは避け得られないであろうが、本件控訴人の認定はその度が過ぎたものと信ずる。

(立証省略)

理由

第一、当事者間に争ない本件の基礎たる事実。

参加人高橋実行がもと被控訴人重内鉱業株式会社に、その従業員(被控訴会社重内鉱業所資材課自動車部運転手)として期間の定めなく雇用せられていたところ、被控訴人が右高橋に対し昭和二十九年五月九日、同年六月八日付をもつて解雇する旨の意思表示をしたこと、右高橋は右解雇は不当労働行為であるとして被控訴人を被申立人として控訴人茨城県地方労働委員会に救済の申立をし、右事件は茨労委昭和二十九年(不)第二号事件として係属し、審査の結果、控訴人は右解雇は正当な組合活動をしたことの故をもつてなされたもので、労働組合法第七条第一号所定の不当労働行為であると判断し、昭和二十九年九月二十九日付で「一、被申立人(被控訴人)は申立人(参加人高橋実行)に対する昭和二十九年六月八日付解雇を取り消し、申立人を解雇当時の原職に復帰せしめ、かつ解雇の日より申立人が受くべき賃金相当額を支払わなければならない。二、前項は本命令交付の日より十日以内に履行しなければならない」旨の命令を発し、同命令書は同年十月二日被控訴人に送達されたこと、右命令書の内容が原判決添付命令書(写)のとおりであることは当事者間に争いない。

被控訴人は右参加人高橋の解雇は、同人の組合活動の故ではなく、当時被控訴人の実施した企業整備の結果、右高橋の職場が縮少せられ、他に配置転換(配転)すべきものとなつたところ、これを受け入れるべき適当な職場がなく、かつ同人に非行があつたため、解雇のやむなきにいたり、組合の承認を得た上これを解雇したもので、なんら不当労働行為ではないと主張するのである。よつてまず参加人高橋実行の組合活動の内容について見、次いでその解雇にいたる経過をたどり、それによつて右解雇が、同人の正常な労働組合活動の故になされたものであるかどうかを判断する。

第二、参加人高橋実行の組合活動。

成立に争ない乙第二号証の二、同第十一号証、丙第一、第二号証の各記載、原審における証人泉勇吉、同飛田忠義、同高岩武次郎、同石川清孝、同寺田四智郎、原審及び当審における証人高橋実行の各証言をあわせれば次の事実を認めることができる。すなわち被控訴人の従業員(但し臨時夫を除く)をもつて組織せられ昭和二十一年一月結成された労働組合として重内炭鉱労働組合があり、右組合は参加人日本炭鉱労働組合(炭労)常磐地方本部(磐炭労)の傘下に属したが昭和二十九年五月炭労の単一化とともに日本炭鉱労働組合重内支部と改称したところ、参加人高橋実行は右組合の組合員であり、昭和二十一年七月組合の執行委員(非常任)に選出され、以後、職場代議員、青年部長、同副部長等を歴任し、昭和二十三年十月執行委員を辞任して職場代議員となり、昭和二十六年九月会計監査に就任、さらに昭和二十七年十月非常任執行委員に選出され、体育部長を兼ね、昭和二十九年三月磐炭労がその前年の秋以来あたつて来た賃上げ争議にさいし組合の臨時常任闘争委員となり、同年四月二十九日組合執行部総辞職にともない執行委員を辞任するまで引統き幹部として組合活動に従事した、右賃上げ争議にあつては前後十数日にわたつて断続的に波状ストライキを重ねたのであるが、高橋はこの間青年行動隊長を兼務し、あるいは組合員ならびにその家族に対する啓発宣伝活動に従事し、あるいは団体交渉その他被控訴人との接渉にあたり、なかんずく右争議のさいの平市石炭会館における東部石炭鉱業連盟との団体交渉(同年三月二十八日ごろ)、被控訴人との間の保安要員打合わせ協議会における接渉(同月二十七日ごろ)、ストライキのため被控訴会社重内鉱山の抗口に放置された炭車積載の石炭の処置に関する被控訴会社重内鉱業所井上事務長との会談(同月二十四、五日ごろ)等において相当過激な言辞をもつて相手方の主張を反駁し、さらにまた同年三月二十日ごろ磐炭労の要請により青年行動隊を指揮して同じ磐炭労傘下の華川地区所在の常磐合同炭鉱のピケラインを敷き、磐炭労の統一闘争態勢の維持強化に貢献する等組合のいわゆる強硬幹部の一人として積極的な活動をして来たことが明らかである。

第三、企業整備の進展と高橋実行解雇までの経過。

(一)  企業整備案の決定及びその内容

昭和二十八年ごろから二十九年ごろにかけてわが国石炭鉱業界は石炭需給のアンバランスのため炭価の値下りを招いて一般に不況におちいり、特に中小企業にあつては経営難のため廃業するものも、すくなくなかつたことは公知の事実であり、成立に争ない甲第一号証、第十二号証、第十五号証の各記載に原審における証人高橋悌治、同井上恵助(第一、二回)原審及び当審における証人寺田四智郎の各証言をあわせると、被控訴会社においても昭和二十八年度決算期現在すでに数百万円にのぼる営業上の欠損を生じていたのでこれが打開策として同年中近い将来被控訴会社重内鉱業所につき企業整備を行うべき旨の方針を立て、昭和二十九年二月ごろ組合側にその旨内示したが、当時前記賃上げ闘争がはじまつていた際であつたので刺戟をさけてしばらく実施方を留保していたところ、同年三月末右争議は解決したのでその直後被控訴人は、まず労務者一人当りの出炭量一ヵ月十トンから十二、三トン程度であつたところを十三、四トン程度まで生産能率を向上させることを当面の目途とし、これが達成のためいわゆる抗外事業を縮少し坑外夫を減員してその余剰人員をできるだけ坑内に配置転換し坑内作業能力を拡大充実し、それにより採炭能率の向上を期する方法をとることとし、一、土建関係を全廃して外註制とすること。二、機械工場関係は鉱業所から分離独立せしめ独立採算制とすること。三、製材関係は半減すること(丸鋸二台帯鋸一台のところ丸鋸一台を廃止する)。四、以上施設の縮少にともなう余剰人員の整理については臨時夫を解雇する、また本誓約夫は他へ配置転換するが配転先は原則として坑内とすること、但し特に作業能率の低いものは解雇するが犧牲者は少くすること。以上の企業整備案の大綱を定め、昭和二十九年四月三日これを組合側に呈示して同日その承認を得た、さらに施設の縮少等にともなう余剰人員の整理については各係別に具体案の作成にあたり四月六日開催の主務者会議(課長、係長らいわゆる主務者による会議)において選考の結果ここに最終決定をみ、被控訴会社としてその成案を得るにいつたことを認めることができる。

被控訴人は、被控訴会社において以前にも人員整理をしたことがあり、そのときの整理基準は一、能率(勤務時間中忠実に職務を遂行しているかどうか、及びその作業成績を総合して判定する。)二、部課内部の統制上の適否(同僚と協調を保つて作業しているかどうかを考える。)三、年令(被控訴会社の従業員の停年が五五才であるため、停年に近い者及び病弱者を優先的に整理の対象とする。)四、非行(過去において懲戒を受けたことがあるかどうかを重点的に考慮する。但しそれ以外の非行をしんしやくしない趣旨ではない。)とし、これによつて実施したものであり、本件企業整備においてもこれによることとしその整備案を組合に呈示した際、整理の基準としては従来どおりの方針にしたがう旨を告げたと主張する。しかしこの点については原審証人井上恵助の証言(第一回)中これに照応する部分があるけれども、このうち少くとも部課内の統制及び非行の項については、原審及び当審における証人寺田四智郎の証言及び前記甲第十五号証の記載並びに本件口頭弁論の全趣旨にてらして直ちに採用できず、他にこれを認めるに足りる的確な証拠がないから、これらの二項目についてはあらかじめ組合に呈示されることなく企業整備実施に入つたものと認めざるを得ないが、この整理基準そのものはそれ自体妥当なものであると認められる。

つぎに右企業整備の一環としてなされた参加人高橋所属の資材課自動車部における整備案についてみるに、前記挙示の各証拠によれば、被控訴会社重内鉱業所における採炭はいわゆる第二、第三、第五斜坑からなされていたのであるが、この第三斜坑にはその坑口附近に水洗設備がなく、ために同坑内から掘り出した石炭は一定大の塊炭を除くその余については、これを商品炭に仕上げるために坑口から一粁余はなれた本坑(第二、第五斜坑をいう(以下同じ)の坑口附近の水洗機にかける心要があり、右自動車の主要な仕事の一はこの第三斜坑から採炭した石炭を前記の水洗機まで運ぶことであつたところ、被控訴会社はかねてこの第三斜坑と本坑との坑内連絡による採炭能率の向上を企図して両坑の貫通につとめた結果昭和二十八年八、九月ごろ両坑の貫通がなり、第三斜坑の石炭は坑内運搬により水洗設備を経由することができることとなつたため、前記トラック運搬の仕事は不要となつた、しかし貫通後も坑内運搬系統に属する機電係捲きの設備の完成がおくれたり、第三斜坑口附近の坑木の跡片付があつたりして、自動車部の実際の作業量はなお当分減少せず昭和二十九年二月ごろにいたつてようやくその減少を見るにいたつた、そこで被控訴会社は前記の整備計画の一環としてこの部門の整備をも計画し、資材課自動車部所属のトラック四台のところを常備一台、予備一台に減じ、運転手を三名とする整備案を立て、これを昭和二十九年四月三日組合に対し他の部門のそれと一括して呈示し、同月七日組合の承認を得たことを認めることができる。以上の事実によつて考えれば本件企業整備の必要性についてはこれを疑うべきかくべつの理由はなく、その内容もまたなんらか為にするものということはできず、おおむね妥当なものと認めてさしつかえはない。

(二)  自動車部における余剰人員の選考

被控訴会社は右のような経緯のもとに資材課自動車部の整備案をたて、これにもとづき人員整理(配転ないし解雇)をすることとなつたのであるが、成立に争ない乙第二号証の三、同第三号証の三の各記載、原審証人掛札義男(第一回)、同宮内宏人、同井上恵助(第一、二回)の各証言をあわせると、前記人員整理の具体案については、被控訴会社重内鉱業所長から昭和二十九年四月二日に同鉱業所各課係長ら各職場の長に同月六日までにこれを作成するよう指示があり、その指示にもとづき各職場毎にその長の責任において作成せられ、その具体案にもとづき同月六日の主務者会議の審議を経て被整理者の確定をみるにいたつたのであるが、自動車については資材課長掛札義男が係員の狩野亘、矢野七郎、渡辺香津未ら数人と協議の結果、同月五日資材課として自動車部所属従業員運転手六名助手一名のうち他に配置転換すべき余剰人員として菊地照男、和田彦六、高橋実行、高橋勲(実行の弟)の四名を選び、中島茂次、関川米蔵、松原利夫(助手)の三名は残置することに決定したことを認めることができる。しかしさらにこれらの人選とくに高橋実行選考の経過についてみるに、前記乙第二号証の三、同第三号証の三(一部)、前記証人掛札の証言により成立を認めるべき甲第七号証、原審証人関川米蔵の証言により成立を認めるべき甲第六号証の各記載、前記証人掛札義男、同関川米蔵、当審における証人中島茂次、原審及び当審における証人井上恵助の各証言をあわせれば、右自動車部においても整理の大体の基準として勤務成績、作業能率、部内における融和等の線にそつて選考し、これらの上で比較的上位の者から前記残留者三名を決め、その余を配転者としたものであるが(もつとも松原は心ずしも成績が上位ということでなく、同人は助手でまだ運転免許を得ていなかつたのでそれまでは自動車部においてやりたいということが主たる理由であつた)とくに高橋実行については、同人は昭和二十八年から昭和二十九年にかけてしばしば勤務時間中にパチンコ遊戯にふけり、ためにある時は助手の関川米蔵(但し運転免許はある)に単独でトラックを運転させ、ある時は資材課坑木係の坑木整理作業にさしさわりを及ぼして同係員の非難を受けたこと、資材課長掛札は高橋の右のような勤務態度につきしばしば他の者から苦情をきき、資材課の係員からも、つとに他への配転方をいわれていたので、同人に対して昭和二十八年三月ごろと昭和二十九年一月ごろとの二回にわたり注意して反省を促したが、右の態度はその後もかくべつ改められなかつた、高橋勲は実行の弟であるが勤務時間中パチンコにふけつたり、その他職務の遂行に誠実さを欠く点においては兄実行以上のものがあつた、これに反し他の運転手中にはこれらの点につき眼にふれるような非難はなかつた、そこで右余剰人員選考においては、資材課狩野係員その他からとくに高橋兄弟を現職にとどめたのでは職場規律がみだれ、作業能率に悪影響を及ぼすというので、両名の課外配転が強く主張され、課内の空気も右両人が残留し得ぬことは問題ないとされていたので、掛札資材課長は結局高橋兄弟を右配転者の中に入れたものであることが明らかである。もつとも前記の証拠によれば当時高橋実行は運転手中本俸は最高で運転技術も他の者よりすぐれていたことが認められ、右各証拠と原審及び当審における証人高橋実行の証言をあわせれば、同人は昭和二十六年八月被控訴会社からいわゆる保安表彰を受けたことをうかがい得るが、その作業成績という点については前記証人井上恵助、同掛札義男の各証言に前記認定の事実をあわせれば運転手ら七名中第三位以上には位置するものではないことが認められるし、保安表彰は、前記の証拠によれば、いわゆる保安週間にちなんでなされるものであり、表彰を受ける者の選考基準は勤務成績もさることながら、勤務年限序列、業務上の事故の有無、出勤率等が重要な項目となつており、同人が表彰を受けた昭和二十六年ごろには同人には前記のような、よからぬ勤務態度がまだ現れなかつたことがうかがわれるから、前記表彰があつたからといつて高橋実行を配転者の中に入れた前記事情を疑う理由とはならない。右認定に反する原審及び当審における証人高橋実行、当審における証人関川米蔵(第二回)の各証言は採用せず、その他に右認定をくつがえすべき的確な証拠はない。

(三)  高橋実行の転出先の問題

原審証人宮内宏人の証言により成立を認めるべき甲第三号証の記載、前記証人掛札義男、同宮内宏人、同井上恵助(原審第一回)の各証言をあわせると、前記のように高橋実行の資材課外配転を決意した掛札資材課長は、高橋の運転手としての従来の職種にかんがみその配転先として、坑外機電係の捲手が妥当であると考え、機電係長宮内宏人に、弟勲とともに高橋兄弟の受入方を交渉したが、同人の同意が得られないままに昭和二十九年四月六日の会社主務者会議の開催となり、掛札資材課長は同会議において重内鉱業所長志賀隆寿に対し高橋実行及び勲の機電係捲手への配転につきあつせんされたい旨懇請したので、同所長から宮内係長に席上相談があつたが、同係長は今度の企業整備で同係から少からず犧牲者(解雇者、配転者)を出すこととなるところへ、他からの配転者を受入れるのは忍びない上に、高橋実行や勲の勤務態度素行等に非難が多く、職場規律をみだすおそれがあるとして、高橋兄弟の受入を拒み、その後別の機会に再度所長から相談があつたが宮内係長はさらに係員と協議の上前同様の理由でこれを拒否したので、所長もこれを諒としてそれ以上は強くこれを命ずることもなかつたことを認めることができる。

(四)  高橋実行解雇に決するまでの経緯

被控訴会社が昭和二十九年四月七日組合に対し配転者解雇者の氏名(但し自動車部関係を除く)を発表し、同日組合は闘争委員会(賃上げ闘争後企業整備に入つたため引き続き闘争態勢を保つていたもの)において(一)解雇者、組合員一四名(但し実質上停年退職者を含む)臨時夫二六名(二)配転者二八名につきこれを承認するとともに、自動車部についてはトラック常備一台、予備一台、運転手等三名とする整備案をも承認したことは当事者間に争なく、右配転者解雇の氏名の発表に際し自動車部関係が除かれたのは高橋実行及び勲の配転先が未確定のままであつたからであることは、前認定の事実から明らかである。

しかしてその後一転して解雇に決せられるにいたるまでの経過については、前記乙第二号証の二、成立に争ない乙第三号証の一、七、原審証人宇野内匠、同石塚義雄、同滝正義、同石崎朝光、同山崎晟の各証言により成立を認めるべき甲第四、第五号証、同第九号証、同第十号証の一、同第十一号証、原審証人井上恵助の証言により被控訴人主張のような投書であることを認め得る甲第十四号証、控訴人主張のような投書であることにつき争ない乙第十七号証、当審証人寺田四智郎の証言によりその成立を認めるべき乙第二十、第二十一号証、同証言により当時の組合書記長飛田忠義の作成したものであることを認めるべき乙第二十二号証の一、二、同書記庄次チヨコの作成したもであることを認めるべき乙第二十三号証の一、二の各記載、原審における証人宇野内匠、同石塚義雄、同滝正義、同石崎朝光、同山崎晟(一部)、同掛札義男、当審証人飛田文男、同古橋正次こと古橋昭次、原審及び当審証人井上恵助(各一、二回)、同高橋実行(当審は一、二回)、同寺田四智郎(当審は一、二回)、同泉勇吉、同飛田忠義、同立川正之助、同高岩武次郎の各証言に本件口頭弁論の全趣旨をあわせれば次のとおり認めることができる。

(1)  高橋実行及び弟勲についてはその配転先が未解決のまま同年四月六日の主務者会議は終了し、同月七日組合への発表にも自動車部門の整理者の氏名は留保されたことは前記のとおりであるが、たまたま四月八日鉱業所内の井上事務長の机上に

「今度の事でいくつか事実をお知らせします。

一、二八年一―一三車庫にてフロントスプリング及び補助スプリング交換の時(一時―三時迄の間に)損傷スプリング一揃磯原から来山する古物商に売却した。(内野氏も現場発見)四号実

二、二八年磯原へ炭鉱よりスプリングを下げて古物商に売却(アッセンブリ)金一、〇〇〇円也石塚工場へ朝鮮人が持参し、工場主も全員現場確認す 四号実

三、二八年二―二四磯原水上パンク屋二時より―六時迄の間にガソリン売却の現場、近所の者より発見現場確認す 二号勲

四、二七年―二六年―六月頃迄に二号四号にて水上にて相当数にわたつてガソリン売却の現場を近所の者が発見、現場も何人もの人に確認されています 両

其の他パチンコは毎日の如く今状もしばしば見られる点和田彦六氏も多少現状に付ては知つていると思います」

と記載した無記名の書面(甲第十四号証)がおいてあり、さらに同月十日には一町民という名義で

「自分は磯原町民であるが重内炭鉱の車が水上タイヤー店前において度々貴重なガソリンを下して行くところを見かけている、また時には朝から晩までパチンコ屋で玉と機械をにらめて何もかも忘れたように熱中しているところを再三再四見かけている、このようなことでは運転手本人の将来についても炭鉱側としても互いに不幸をまねく結果であろう、それを思うと見ぬふりもできず、好意的にお知らせするのであるが、事が大きくなつては互いに迷惑であるから、炭鉱側の胸におさめて本人に忠告してやつてくれれば本人のためにも幸と思う」

という趣旨の被控訴人宛投書(乙第十七号証)があつた。被控訴会社の志賀所長、井上事務長らは右投書はいずれも高橋実行、高橋勲に関するものであることは明らかであるとし、協議の上志賀所長は四月十日ごろ資材課係員渡辺香津未を、また同月十三、四日ごろ再度掛札資材課長、労務係員武藤邦雄の両名をそれぞれ磯原町に派遣し調査させる一方、重内鉱業所内についても調査を進めた。

(2)  渡辺香津未及び掛札義男は相次いで調査の結果、前記書面記載のように高橋兄弟についてはガソリン相当量を横流ししたこと、古鉄若干を不法領得したことはいずれも事実として肯定し得る旨信じ、さらに高橋実行は会社運転手たるの地位を利用し被控訴会社と自動車修理等で取引関係のある磯原町内の修理業者部品業者数名からパチンコに使う等の目的で多少の金銭の貸与を要求し、貸与を受けた金銭はまだ返済していないことをも知り、これらの事項を井上事務長に報告した。

(3)  井上事務長としても二度にわたつて調査した結果であるから右の不正行為の事実はまず間違いないものと思い、同月十五日志賀所長、掛札課長らと協議の結果、高橋兄弟については、前記のようにかねてパチンコにふけつて勤務を怠るという非難があり、配転が円滑に行かないところへ、さらに前記のような不正行為があるということが明らかにされたのではそうでない者も企業整備の際には整理の対象となり得るのであるから、この際さらに高橋兄弟の配転先を打開してその受入を強行するよりも、むしろ同人らを解雇することにし、任意退職というおんびんな形をとつて他の会社への就職に便宜を供するのがよいとの結論に達した。

(4)  なお前記高橋実行のいわゆる不正行為の内容については

(イ) 古鉄(スプリング)の売却は、高橋実行が昭和二十八年一月中重内炭鉱車庫前において及び同年五月ごろ磯原町石塚修理工場においての二回にこれをしたことはその数量の点を除き本件当事者間に争なく、補助参加人らもこれを争わず、また当事組合と会者間に高橋実行解雇に関する交渉の行われた際にも高橋実行及び組合側ともにこれを認めている。ただその数量の点については被控訴人は二回とも各十貫代金一千円ぐらいと主張するところ、そのように認めるべき的確な証拠はなく、第一回の分は被控訴会社雑役夫宇野内匠の現認したところではその数量四、五貫目であると認められ、第二回目石塚工場におけるそれは控訴人の認める五、六貫目代金三百円位の限度でこれを肯認すべきである。

(ロ) 高橋実行が会社の取引先等から借金等をした点については、同人は昭和二十八年中磯原町の鋳物屋石崎朝光から二回に合計金四百円を借り受け、同町自動車修繕業石塚義雄から三回位に合計金五百円位をもらい、また別に煙草二十個ぐらいを数回にもらつているが、これらはいずれもパチンコ代にあてるということでもらつたものであり、自動車部品販売業滝正義から、昭和二十九年四月ごろ、これもパチンコ代として数回に五百円を借り受けたが、以上のうち借金名義の金員もまだ返済せず、そのままとなつている。

(ハ) ガソリン横流しの点については、本件訴訟においてはすべての証拠によつてもまだこれを確認するには足りない。しかし掛札資材課長らが磯原町の山崎晟方(前記甲第十四号証の投書にある水上パンク屋の向側、豆腐屋、もと運転手)に行つて調査したさい、山崎は実行が水上方でガソリンの横流しをしたということにつき、いかにもそれが真実であるかのように告げたので(山崎自身も以前自動車の運転手をしていたことがあり、現に部落の消防自動車の担当をしており、修理工場へ出入したり運転手らと談話のさい実行らが何回か水上へガソリンの横流しをしているとのうわさをきき、実行兄弟が水上へ出入する模様を見ていて心ずしも右のうわさが根拠のないものとは思えなかつたので、そういううわさのあること、現場を見たことがあること等を話した)、掛札は以前昭和二十八年中にも山崎豆腐屋の言として実行が水上修理店へガソリンの横流しをしているらしい旨を間接に聞いていたことでもあり、実行が水上修理店へガソリンの横流しをしたという事実は間違いないものと思い、調査の結果を井上事務長に報告するさいにも右事実は間違いないものと思われる旨述べ、井上事務長もその報告によりこれを真実と信じたものである。

(5)  かくして志賀所長、井上事務長、掛札課長らが前記協議の結果にもとずき、井上事務長は、同年四月十六日組合長上京中のため組合側代表副組合長高岩武次郎、同緑川繁雄に対し、高橋兄弟がパチンコにふけり勤務成績不良の上ガソリン横流しの事実あり、また実行については古鉄の不正売却や会社の得意先よりの借金等の事実もあるので、配転の方針を捨ててむしろ解雇するのが相当だと考えていること、会社側としては本人が任意退職してくれるならば他への就職については十分考慮したい旨内示の形式で申し入れたところ、高岩、緑川両副組合長は回答を留保し、上京中の組合長寺田四智郎を呼び戻した。

(6)  そのころ高橋実行は宮崎調査係長から解雇になるらしい旨を聞き同月十五日掛札資材課長を訪い、ガソリン横流しをしたことはない、古鉄売却は大量のものでない、パチンコの点については謝罪する旨を述べて現職に止まり得るよう懇請したが、同課長はもはや自分の一存では何ともしようがない旨を答えたので、翌十六日実行は宮崎につきそわれて井上事務長を訪い、重ねて「ガソリン横流しの事実は絶対にない、鉄屑の点は極く少量である、パチンコの点については今後慎しむから従来どおり自動車運転手の地位に止まらせてもらいたい」旨懇請したが、井上事務長はガソリン横流しについても事実と考えていたので、右申出には応じなかつた。

(7)  組合長寺田四智郎は帰山し同月十八日両副組合長らと協議した上、会社側が内示の形式をとつているので組合としても当面執行部限りの内交渉の形をとることとし、翌十九日高岩副組合長とともに所長、事務長と会見交渉した。会社側は十六日と同様の説明をし、また実行の非行はすでに会社内でも各係長らの知るところで、配転するにも受入先がない次第であり、高橋兄弟解雇の方針は変更しがたい旨述べたが、とくに寺田組合長は会社側の右方針に疑念をいだき、みずから高橋実行のガソリン横流しの事実について調査することとし、翌二十日水上修理店附近に行つて関係者について調査したところ、その結果は実行に有利な陳述をするものもあり、不利な陳述をするものもあつて、結局ははつきりしたことはわからないで終つた。

(8)  同月二十一日寺田組合長は単独で会社側と会見して接渉中、会社側に対して高橋実行以外の組合員及び職員にも不正行為がある旨申し述べたことに端を発して組合に内紛を生じ同月二十九日組合役員は総辞職することとなつた。

(9)  同月三十日会社側は組合に対し正式に(イ)資料課自動車部に残す者は中島茂次、関川米蔵、松原利夫の三名とする。(ロ)菊地照男は資材課倉庫係に、和田彦六は資材課坑木整理係に、それぞれ配置転換する。(ハ)高橋実行、同勲の両名は自発的に退職しないときは解雇を通告するとの旨申入をした。

(10)  その後組合側は右申入中高橋実行の分については組合側として重ねて異議あるものとし、特にガソリン問題については本人はあくまで潔白を主張しているので、司直の手によつてもこれを明白にせられたい旨書面をもつて会社側へ申し入れるとともにこの問題につき正式な団体交渉を開くよう申し入れた。会社側は右書面による申入に対しては実行本人の将来のこと(就職の問題等)を考慮し現在同人を告訴する意思はない旨答えて書面の受領を拒み、団体交渉には応ずることとした。

(11)  同年五月五日団体交渉にさいし会社側は高橋実行同勲の解雇についての従来からのいきさつを説明するとともに解雇については、その方針を変更しない旨重ねて言明し、なお実行のガソリン問題については組合側では否定しているが、仮りにガソリン問題を除外してもなお古鉄やパチンコの非行があるのであり、配置転換が受入先の反対等により事実上至難であるさい、多数の従業員をかかえている会社の立場としては職場規律維持の上から勤務成績不良で非行のある者を企業整備にあたつて解雇するのはやむを得ない旨説明し、組合側の解雇案撤回の要求に対しては応じ得ない旨を述べ、組合側は五月九日に回答する旨を答えた。

(12)  組合側としてはガソリン問題については実行本人は否定しているがその点については、はつきりしたことは分らないままなので直ちに決然たる態度がとれず、結局は本人の意思を尊重して事をきめる外はないということになり、五月六日前組合長寺田四智郎、新執行委員長泉勇吉が高橋実行と会見して協議したところ、実行は「自分としてはあくまで解雇の理由を納得することはできない、しかし現在の組合の情勢を考えると、むしろ組合としての交渉は打ち切つてもらつて、あとは自分個人で地労委に不当労働行為の提訴をするか名誉毀損の告訴をするかして争つて行くことにしたい、そして炭労に対し救済規定にもとづく救済手続をとつてほしい」旨を述べ、結局組合としては本人の意思を尊重し企業整備によるものとして実行の解雇を諒承する旨会社に回答することとし、実行もこれを諒承した。

そこで五月七日闘争委員会において高橋兄弟解雇について組合としての交渉は打切ることを明らかにし、同月九日組合側の副執行委員長立川正之助、前組合長寺田四智郎から会社に対し高橋兄弟の解雇を組合としては承認する旨回答し、会社側との間において、右解雇は企業整備による解雇とすること、解雇通知は五月九日付で出すことを取りきめた。会社はこれによつて同日高橋兄弟に対し同年六月八日付をもつて解雇する旨通告したという次第である。

以上の認定に反する証拠は採用せず、他に右認定を左右すべき的確な証拠はない。

第四、本件解雇が不当労働行為であるかどうかの検討。

(一)  高橋実行の解雇にいたるまでの経過は右第三において認定したとおりであり、これによれば要するに被控訴人主張のとおり被控訴会社重内鉱業所において実施した企業整備において高橋実行はその所属資材課自動車部における余剰人員となり、その配転先の受入が困難であつたところ、さらに本人の従来の非行が明らかとなつた結果、結局解雇のやむなきにいたつたものの如くに認められる。

(二)  しかしすでに前記第二において認定したように高橋実行には一面組合役員としての活溌な組合活動があるのであり、他面一般的に言つて、実は労働組合法第七条の不当労働行為に該当する解雇であつても、使用者がその解雇にあたつて解雇の事由を、労働組合の正当な行為をしたことその他同条第一号所定の事実のあつたことの「故をもつて」であると明示することはほとんどあり得ないところであるから、本件においてはさらに右実行の解雇が表面前記の如き経緯をたどつているにもかかわらず、その実会社側の内心の意思として右高橋の組合活動が解雇を決定せしめた要因となつていないかどうかを検討しなければならない。

(三)  会社側は従来高橋実行の組合活動に対してどの程度の認識をもち、いかなる見方をしていたか。前記第二に認定した如き高橋実行の組合活動は反証のない本件ではいちおうそのまま会社側においても認識していたものと認めるべきである。しかしそのため会社側が高橋に対しとくに悪感情を有していたものと認めるべきとくだんの証拠はない。昭和二十八年秋以来組合が磐炭労の指揮下にあつてした賃上げ闘争、とくに昭和二十九年三月中数度にわたつてくり返されたストは会社にとつて相当の打撃であつたことはこれを否定し得ないが、当審証人今井広、同寺田四智郎(第一回)の各証言によれば、この争議はいわゆる共同闘争で、その大部分は炭労の中央本部、後にはその地方本部たる磐炭労の指令によつて遂行され、その交渉もはじめは中央において後には平市においてそれぞれ炭労、磐炭労の交渉委員を通じてなされたものであり、本件重内鉱業所限りの問題として組合独自の活動をした部面はきわめて限られたものであり、しかも高橋は中央での交渉に関与しないことはもちろん、平市での磐炭労の交渉にもわずかに数度オブザーバーとして出席している程度であることが明らかであるから、この闘争を通じて高橋実行がとくにその組合活動の故に会社側の眼につく人物となつたと見るのは相当でない。当審証人高橋実行(第一回)同石川清孝は従来会社の高橋に対する態度が友好的であつたのに賃上げ闘争後は急に悪化し、今までは公休日労働など好意を見せていたのに、そういうものをさせてくれなくなつたと供述しているが、仮りにこの程度の変化があつたとしても、それが直ちに高橋の右賃上げ闘争においてした活動の故であるかどうかはこれらの供述だけからは明らかでない。会社側が右スト後青年行動隊に属する人員の氏名を調べたことがあることは明らかであるが、当審証人井上恵助(第一回)の証言によれば、当時重内の附近に火薬の事故があり、その捜査のため警察から隊員の名前を知りたいといわれ、労務係においてその氏名を調べて警察に報告したもので、前記組合活動とは無関係なこと明らかであり、しかも当時少くとも高橋実行が右青年行動隊長であることは会社側で知つていたのみでなく、とくにその華川での活動については不祥事を未然に防ぎ得たものとして華川の労使双方から感謝され、会社としてはその行動に対し反感をもつべき事情にはなかつたことがうかがわれる。また当審証人高橋実行(第一回)は前記賃上げ闘争中昭和二十九年三月二十四、五日ごろ坑外炭車積載の石炭の問題で同人が高岩副組合長とともに井上事務長と交渉したさい、井上事務長は「寺田は第一戦犯だ、お前達は第二戦犯だ」といい、あたかも争議終了後は解雇をするかのようにいつた旨供述するところ、右の機会に「第一戦犯、第二戦犯」の言葉の出たことは当審証人井上恵助(第一回)も認めているところであるが、右証人井上の証言によれば、その趣旨は今度のような闘争は経営者の経営まで否定しようとするような無謀なストである、ストによつて賃金が少しでも上る見込があればそれもよいが、現状では無理である、これが不成功に終ればこの争議指導者は組合員から戦犯として批判されるであろうというにあつたこと明らかであり、会社が争議指導の責任を問うて解雇する旨の意思をほのめかしたものとはとうてい認めることができない。さらに右争議中いわゆる保安要員打合せの協議における高橋実行の態度については、当審証人井上恵助の証言(第一回)によれば、会社側では高橋の発言(重内炭坑の切羽が長壁式であることからスト中といえども保安出炭のため要員の提供が議せられたのについて、高橋は提供の必要なしとしたもの)は同人が本来運転手で坑内の事情にくわしくないためのものとして重きを置かず、しかもこの問題は双方諒解して解決したことが明らかであり、右発言のため同人に対してとくに会社側でふくむところがあつたとするのは相当でない。控訴人及び参加人らは井上事務長が「今度は飼犬に手をかまれたようで全く情ない」といつたと主張するが、この言葉の出所はその自認するごとく乙第四号証の三(高橋実行の地労委最終陳述書)中の「八解雇を不当労働行為であると信ずるに至つた根きよについて」と題する項目中の一部であつて、他にこれを裏付ける資料に乏しく、直ちにこれを事実として認めるには足りない。また控訴人は、資材課は本社の直轄するところであつて重役高橋悌治が常駐しているところであり、その職場内に高橋実行のような組合の積極分子が配属されていることを会社側とくに高橋重役においてきらつたものとの説をなしているが、原審における証人高橋悌治の証言を吟味してもまたかかる事跡を認めるには足りず、本社の直轄部門あつても実行は一運転手であり、もとよりその枢機に参与するが如き地位にあるものではないことを考えれば、右主張はむしろ思い過ごしの域を脱しないものと解せられる。これを要するに会社側において高橋実行の組合における地位や活動の故に、とくに同人に対して悪感情をもち、解雇の機会を待つていたものというほどの積極的な事情は認められないところである。

(四)  控訴人及び参加人らは、会社側、とくに井上事務長が労働組合ないし労働運動のあり方につき一種独特の見解をもち、当時の重内の労働組合について強いて不満をいだき、当時の執行部を排除して会社側の望む協調的な執行部をして替らしめようとし、そのために本件の企業整備の機会をとらえたものと主張し、当審における証人高橋実行(第一回)、同石川清孝、同寺田四智郎(第一回)らはこれに符合するような供述をしている。しかし不当労働行為制度が確立してすでに相当期間を経過した当時において、会社側がこのような公然たる組合への挑戦を企図するものと考えることは困難であり、井上事務長がしばしば組合側に対し、あるいは健全な組合の育成とか、無法のストとか、宋嚢の仁とかいう言葉でそのあり方を批判したことは、これをうかがい得ないではないけれども、これらによつて直ちに本件高橋実行解雇の意図を立証するものと解するのは相当でない。もし仮りに会社側に万一控訴人参加人らの主張の意図があつたとして、本件の如く高橋実行をその対象とすることは、高橋の組合における地位、活動前記のごときことを考えれば、余りにも迂遠な方法といわなければならない。高橋が組合内部における強硬分子であるとしても、寺田組合長をはじめ、高橋よりもはるかに有力な幹部については全く問題とした形跡すらないことを考えれば、前記証人らの供述はそのあやまれる推測の範囲を出ず、これを採用し難いこともちろんである。昭和二十八年夏季手当闘争の直後中島茂次ら三、四の闘争委員が組合役員を辞任したことは当審証人石川清孝の証言から認め得るが、これが会社側の圧迫によるとの点はにわかに信じ難く、かえつて当審証人中島茂次の証言によれば少くとも右中島の辞任は自己の職場の意見と執行部の意見との対立に責任を感じ、自発的に辞任したものであることは明らかである。

(五)  本件企業整備においては、原審証人掛札義男、同宮内宏人、同井上恵助(第一回)、同高橋実行、同寺田四智郎の各証言並に右井上証人の証言において引用する乙第十四号証の記載内容をあわせれば、その整理の対象人員は配転者を除き合計三十九名のところ、そのうち二十三名は臨時夫であるから、組合員は十六名で、内七名は工場関係として除籍となるものであり、残りの九名中高橋兄弟を除く七名は、いずれも停年間近で停年退職の扱いを受ける者、強度の近視や身体の弱小で作業能率が著しく劣る者、長期欠勤者等で、企業整備による解雇としては納得し得べきものであることが認められ、従つて前記認定の整理基準にてらしても論議の余地のないものと解される。これに対して高橋兄弟の解雇はこれらとはその事情を異にすることは明らかである。しかしこの点についてはすでに認定したとおり会社は高橋兄弟について当初から解雇をもつて臨んだものではなく、まず配置転換をはかり、その受入が困難となつたところへ非行の問題があらわれたためであることは前記のとおりであるから、結局ここでは問題はその配転案から解雇方針への経過がたんなる形式であるかどうかにあるものといえよう。

(六)  企業整備による整理の基準について会社から組合側へは明示されたものと認め難いことは前記のとおりであるが、その基準そのものがそれ自体不合理でなんらか為にするものというには当らぬことは前説明のとおりであり、組合側としてもその後会社との交渉の機会においてこれを承知したはずであるのに、その基準そのものについてはこれを争つた形跡はないから、この点をとらえて本件の解雇がその表面の事由にかかわらず他の意図に出たものであることの資料とするには足りない。

(七)  高橋実行の資材課自動車部よりの配転については、それがもつぱら資材課長の手許で資材課係員らと協議の上決定されたことからしても、とくにこれを疑うべき事由はなく、控訴人参加人らともその点は強く争つてはいない。もつとも当審証人井上恵助(第一回)、同関川米蔵(第一回)の証言をあわせれば、被控訴会社は早くから第三斜坑と本坑との坑内連絡を企図し、その完成の暁は自動車部の縮少を見越しており、昭和二十六年に自動車部助手として採用された関川米蔵は、当時掛札資材課長からやがては坑内に入つてもらわなければならないといわれたことが明らかであるが、右関川が当時から必ず坑内へ配置換えになるものとして予定されていたというほどのものではなく、そうなることがあり得るというに止まることはおのずから明らかであり、結果として右関川が自動車部に残り、高橋が転出するはめになつたとしても、そのことから何らか会社側の作為的意図を推定するのは相当でない。また配転先をいちおう機電係捲手と予定したことも本人が自動車運転手たることにかんがみればまず妥当なものというべきであろう。しかるにその受入先の宮内機電係長が高橋兄弟の受入を前記理由で拒否したのである。この点につき控訴人参加人らは宮内係長の拒否はたんに形式を作つたものに過ぎないと主張する。なるほど機電係における退職者五名はすべて臨時夫でかつ全部停年者であつたことは原審証人宮内宏人の証言により明らかであるが、なお別に配転者八名を出しており、これらが臨時夫であるか本誓約の組合員であるかは必ずしも明らかでない。しかしいずれにしても自己の係から多くの解雇者配転者を出しているところへ他からの配転者を受入れることが係長として忍び難いとすることは理解し得るところである。しかもそれは従来その勤務態度について非難が多く、またそれ故に自動車部における余剰人員とされた高橋兄弟であることからすれば右宮内係長の拒否がたんに形式上のものとするのは当らない。当時機電係において高橋兄弟以外他からの配転者を受入れたことを認めるべき証拠はない。宮内係長が四月六日の主務者会議において志賀所長からの口添えがあつたにも拘らずこれを拒否し、会議の後別に再度所長からの相談があつたのも係員と協議の上拒絶したことは宮内係長の拒否が真実のものであつたことをたしかめるに足りる。会社が右以上に宮内係長に対し高橋兄弟の受入を命じなかつたことも前記認定のとおりであるが、このことから直ちに本件解雇が会社において予定の行動であつたとするのは不十分である。

(八)  次に会社側において高橋実行の配転先を機電係の外に求めなかつたことは前記のとおりである。配転先がたんに機電係に止まらず、運転免許を有する者で現に坑内で働いている者のあることは当審証人寺田四智郎(第一回)の証言からこれをうかがい得るところである。この点につき会社側が高橋に対し機電以外のどこを配転先として希望するかをきいたことはこれを認めるべき的確な証拠はなく、高橋実行がこの段階で配転を拒否したということも明確ではない。従つてこのままでは会社はさらに別の配転先を考えるべきものであつたというべきではあるが、右機電への配転が困難となり、会社として機電係長に対し強く受入を命令し、もしくは他の配転先を考慮するというようなことにならないうちに、高橋の非行の問題が明るみに出て事の重点は自然にその方へ移つてしまつたものと解すべきである。

(九)  高橋実行が宮崎調査係長から解雇になるらしいと聞いてから掛札資材課長、井上事務長らに対し現職に止まり得るよう懇請したことは前記のとおりであり、同人としてはこの時期においてはもはや現職に止まることを望むよりはむしろ他への配転に甘んずることにより解雇の撤回方をこそ望むべきものであつたというべきであるしかしこのことから同人があくまで配転を拒否したものと解するのは酷であるのみでなく、高橋実行の処置につき配置転換から一転して解雇に変つたのはすでに四月十五日のことであり、実行が現職に止まりたい旨懇請したのはその後であると認められるのであるから、右懇請が解雇の方針を決定する要因となつたものと解すべき理由はない。

(十)  そのいわゆる非行はもとより本件解雇における独立した事由ではなく、この点で会社がこれを懲戒解雇として扱わなかつたのは、たんに同人の将来の問題を考慮したためというに止まらない。その非行の問題はあくまで右企業整備の進行途上にあらわれたものであり、これが他の場合であつたらそれ自体解雇の事由になるかどうかは必ずしも本件で問題ではない。この点につき会社側の態度に前後一貫しないものがあるとの非難は当らない。そしてまず当時あらわれた二通の投書(甲第十四号証及び乙第十七号証)が会社側の作為にもとづくことを認むべき直接の証拠はなく、むしろ当審証人井上恵助(第一回)の証言によれば従来も時々この種の投書はあり、殊に企業整備というような場合には従業員の間に動揺があり、この種の事例が起りやすいことが認められる。会社側がすでに知つているはずのことまで投書の内容とされていることは必ずしも投書が会社の意を受けてなされたものであることの証拠とはし難い。そのいわゆる非行のうち勤務時間中のパチンコは自動車運転手という特殊の業務にあつたことが大いに与つていることはこれを諒し得るが、それも程度の問題であり、他の従業員や一般市民の目にふれ、そのひんしゆくと反感を買い、もしくは他の業務に支障を来たしたりするにいたつては、責任ある労働者として許されないところというべきであり、軽々に見のがしておける問題ではない。古鉄売りは当時一般に重内鉱業所内の屑鉄類の保管がルーズであり、他にもこれを私している従業員のあつたことは証拠上これを認め得るが、そのことによつてこれが会社側から放置されていたものと認むべきではなく、これを私したものはいわば会社の目をかすめてしたものというべきであり、かかる行為が会社に対する不正行為であることは争い得ないものというべきである。得意先からの値金も、それによつて直ちに会社に損害を与えた事実は認め得ないが、それ自体として会社の品位を傷け本来望ましからぬものである。ガソリン横流しについては当時会社はその事実の存在を信じていた、少くともその嫌疑が濃厚であると考えていたことは前記認定の事実から明らかである。あるいは当時山崎豆腐屋がまことしやかにその事実があるかの如く洩したのだとしても、かかるひそやかな語りぶりがかえつて聞く者に信頼感を与えることの多いことはあり得るところであるから、会社側が右ガソリンの点について相当強い疑惑をもつたとしても当然であり、この問題については寺田組合長自らも調査にあたりながら真偽いずれとも判然せず、組合側も最後まだ確信が持てなかつた程であるから、会社側がもつた嫌疑を、たんに嫌疑があるらしく見せかけたとするのは失当である。会社が昭和二十九年七月志賀所長名義をもつて高橋実行を高萩地区警察署に告訴し、その告訴事項の中にガソリン横流しをあげていることは原審証人井上恵加(第二回)の証言により成立を認めるべき甲第十六号証の記載により明らかであるが、右告訴の時期がすでに高橋の控訴人地労委への提訴後であることからして右審問における被控訴人の立場を考慮したものとはいい得るであろうが、これがもつぱら会社の作戦であるとするのは当らない。ガソリン横流しの点につき会社側が事前に高橋実行本人の弁解をきいたこと、またはきこうとしたことは証拠上認むべきものがなく、この点会社としては好意に欠けるものがあるといい得るであろう。しかし会社が解雇を決した直後高橋は掛札資材課長井上事務長らに面接の機会をもち、組合側もその正式回答をするまで会社側と数次の非公式交渉をもち得たのであるから、この事前に弁解をきかなかつたとの一事は本件において必ずしも重要な問題ではなく、これによつて会社側はその嫌疑が失われることをおそれたものとするのは相当でない。以上のとおり高橋実行については非行もしくはその嫌疑があり、これが企業整備の途上その配転先に行き悩んでいた高橋実行の処遇につき、会社側をして一転して解雇を決せしめたものとしても、その心理的過程は十分首肯し得るものというべく、これをしも他の事由のための疑装と解すべき根拠はない。

(十一)  高橋勲についてはなんら組合役員ないし目に立つほどの組合活動の閲歴のないこと本件口頭弁論の全趣旨から明らかであるのに、高橋兄弟解雇にいたる事情はほぼ同様であること前記のとおりであることからすれば、高橋実行についてだけ、とくに別個の意図を蔵したものと解するのは不自然である。高橋勲の解雇は兄実行の通づれになされたものと解すべきとくだんの事由はないのである。

(十二)  以上のような次第であつて、高橋実行の解雇は、企業整備のため同人の職場である自動車部の人員を減らす必要を生じ、会社当局者は同人を他の職場へ配転すべく考慮をめぐらしたが受け入れるべき職場がなくて行きなやみとなつているさいに、同人の非行のあること、非行の疑うべきものあることの現われてきた結果、配転の方針をなげうつて、組合の承認をも得たうえ、これを実行するにいたつたものである。以上の認定をくつがえして被控訴会社が高橋の組合活動の故にこれを解雇したのだと認めることはできない。

第五、結論

はたしてそうであれば本件解雇は労働組合法第七条第一号にいわゆる労働組合の正当な行為をしたことの故をもつてなされたものにはあたらないこと明らかであり、控訴人茨城県地方労働委員会のした本件命令は結局違法なものというべく、これが取消を求める被控訴人の本訴請求は正当として認容すべきものである。これと同旨の原判決は相当であるから、本件控訴は理由のないものとして棄却すべく、訴訟費用及び参加費用の負担につき民事訴訟法第九十五条第八十九条第九十四条第九十三条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤江忠二郎 原宸 浅沼武)

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