東京高等裁判所 昭和30年(ネ)1758号 判決 1957年11月15日
控訴人(第一審被告、反訴原告) 又来豊作
被控訴人(第一審原告、反訴被告) 亡 池田浜相続財産
主文
原判決を左のとおり変更する。
別紙目録記載の不動産につき控訴人が所有権を有しないことを確定する。
控訴人の当審で変更した反訴請求を棄却する。
訴訟費用は本訴反訴を通じ第一、二審共控訴人の負担とする。
事実
控訴人訴訟代理人は「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。被控訴人は控訴人に対し別紙目録記載の不動産につき控訴人のため所有権取得登記申請手続をなすべし。訴訟費用は、本訴及び反訴を通じ第一、二審共被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人訴訟代理人は主文同旨の判決を求めた。
当事者双方代理人の事実上の陳述は、被控訴人訴訟代理人において、一、(本訴請求の趣旨の変更)被控訴人は、さきに亡池田浜が昭和二十一年四月三十日自筆証書によつて作成したものとして、昭和二十五年五月十一日東京家庭裁判所で検認を受けた遺言の無効であることを主張し、該遺言の無効であることの確認を求めてきたのであるが、控訴人は「右遺言は有効である。仮りに遺言として無効であつても、昭和二十一年四月三十日書面により控訴人が亡池田浜から包括的にその所有財産の死因贈与を受けたのであるから、いずれにしても浜の死亡に因り、右相続財産の一部たる別紙目録記載の不動産につきその所有権を取得した。」と主張しているので、ここに従前の請求の趣旨を変更して、右不動産の所有権が控訴人に属しないことの確定を求める次第である。
二、なお控訴人の反訴請求の変更並びに本訴に関する本案前の抗弁撤回には、異議はない。と述べ、控訴人訴訟代理人において(一)(反訴請求の趣旨の変更)別紙目録記載の不動産を亡池田浜がその死亡に至るまで所有していたこと、被控訴人主張のとおりであるが、亡池田浜が昭和二十一年四月三十日に作成した同人自筆の「ヤクソク状」と題する書面の遺言として有効であること、仮りに該書面が遺言として無効であるとしても、右書面により亡池田浜と控訴人との間に、同日別紙目録記載の不動産を含む亡池田浜の総財産につき、死因贈与契約が成立したものと認むべきであることは、控訴人が一審以来主張してきたところである。いずれにしても別紙目録記載の不動産は亡池田浜の死亡に因り控訴人の所有に帰したのであつて、右不動産が控訴人の所有に属しないことの確認を求める被控訴人の本訴請求は謂われなく、却つて被控訴人は控訴人に対し右不動産につき所有権移転登記手続をなすべき義務がある。よつて従前の反訴請求の趣旨を変更して、被控訴人に対し右所有権移転登記手続を求める次第である。(二)本訴に関する本案前の抗弁は撤回する。被控訴人の本訴請求の趣旨の変更には異議はない。と述べた外は、原判決事実摘示の記載と同一であるから、これをここに引用する。
証拠として、被控訴人訴訟代理人は、甲第一ないし第三号証の各一、二、第四、第五号証を提出し、甲第四号証は乙第一号証の二「ヤクソク状」と題する書面を控訴人が左手で自ら書き写した書面であると附陳し、原審証人五十嵐義明、同飯田いち、同池田重雄、同久保寺せき、当審証人町田欣一、同五十嵐義明、同池田重雄の各証言、原審における鑑定人町田欣一の鑑定(鑑定書提出後の尋問を含む)並びに当審における鑑定人遠藤恒義、同石井敬三郎の各鑑定の結果を援用し、乙第一号証の一、第六、第七号証第八号証の一、二第九、第十号証、第十六号証の一、二の各成立、並びに乙第十五号証の原本の存在及びその成立を認め、その余の乙号各証の成立につき不知を以て答え、控訴人訴訟代理人は乙第一号証の一、二、第二ないし第七号証、第八号証の一、二、第九ないし第十五号証(第十五号証は写を以て)第十六号証の一、二、第十七号証を提出し、なお右乙第十一、第十二号証中印刷文字を除く部分はいずれも池田重雄の手記にかかるものであり、乙第十七号証は、控訴人が東京家庭裁判所の命により乙第一号証の二を摸写して甲第四号証を作成提出した際、同号証と同日時に自宅で作成した控であると附陳し、原審証人又来ミツ、同五十嵐義明、同飯田いち、同津吹仁三九、同牧野勝、当審証人町田欣一、同五十嵐義明同津吹仁三九、同池田重雄の各証言、原審鑑定人町田欣一の鑑定の結果(鑑定書第二項を除く)、当審鑑定人石井敬三郎及び同遠藤恒義の各鑑定の結果(ただし遠藤鑑定人の鑑定についてはその鑑定書第二項のみ)並びに原審及び当審(第一、二回)における控訴人本人尋問の結果を援用し、甲第四号証は乙第一号証の二の「ヤクソク状」と題する書面を控訴人が左手で自ら摸写した書面であること及びその余の甲号各証の成立を認めた。
理由
亡池田浜がその生前(死亡に至るまで)別紙目録記載の宅地を含む原判決添附目録記載の不動産を所有していたところ、昭和二十五年一月七日控訴人方に同居中死亡したこと、右池田浜死亡当時同人には相続人となるべき直系卑属、直系尊属、兄弟姉妹及び、配偶者がいなかつたこと、並びに控訴人が亡池田浜の自筆証書による遺言書であるとして提出した乙第一号証の二「ヤクソク状」と題する書面につき保管者控訴人の請求により東京家庭裁判所が昭和二十五年五月十一日右遺言書の検認をしたことは、当事者間に争がない。
元来遺言書の検認は、遺言の執行前において専らその形式その他の状態を調査確認し、以て他日における遺言書の偽造変造を防止し、且つその保存を確実ならしめる目的に出でた一種の検証手続に過ぎず、遺言の内容の真否、その効力の有無等実体上の効果を判定するものでないから、裁判所の検認を経たとの一事を以て、当該遺言書が真正に成立したとの推定を受くべき筋合でないこと勿論であるが、被控訴人は右遺言書として検認を経た「ヤクソク状」と題する書面の全文、日附及び氏名は亡池田浜の自書したものでないから、この点において既に自筆証書に因る遺言としての効力がないと主張するに対し、控訴人は右は亡池田浜が昭和二十一年四月三十日脳溢血による右半身不髄のため左手で自書した有効な自筆証書による遺言であると抗争するので、この点につき審按する。
先ず成立に争のない乙第六号証の記載と対照しつつ前顕遺言書であるという乙第一号証の二を検するに、遺言書用紙は日本紙の青罫紙を用い、一行目は「ヤクソク状」と題し、本文は三行に亘り片仮名で「モシヤノトキハバンヂタノム。ザイサンゼンブアゲマス」(若しやのときは万事頼む。財産全部あげますとの記載と解せられる)と書き、日附として「四月三十日」その下に「池田浜」と記し、名下に丸形の印が押捺され、宛名は「又来豊作殿」となつており、右仮名文字も漢字も「タノム」の「ム」の一字を除き全部左り書で漸く判読できる程度のものであることが、認められる。次に原審証人五十嵐義明、同又来ミツの各証言及び原審における控訴人本人尋問の結果によれば、前示乙第一号証の二の作成されたという昭和二十一年四月三十日当時は、亡池田浜が脳溢血で倒れた一ケ月位後の頃にあたり、右側半身不髄の状態にあつたとはいえ、第一回目発作の軽度のもので、右手形の運動機能を喪失していたが、意識も既に正常に復し、左手で文字を書かうとすれば必ずしも不可能でなかつたことが窺われる。そして控訴人の提出援用にかかる成立に争のない乙第六、第七号証、第八号証の一、二、原審証人又来ミツ、原審及び当審(第一、二回)における控訴人本人尋問の結果によれば、控訴人と亡池田浜との間柄、殊に両者の交誼の程度、同居の期間、並びに亡池田浜が前顕乙第一号証の二を自書して控訴人に保管を託するに至つた事情及び経緯として控訴人の主張する事実(記録第三二八丁表六行目以下第三二九丁表十行目まで参照)に副う供述記載ないし供述があり、また原審証人飯田いち、原審及び当審証人五十嵐義明、同津吹仁三九の各証言中には、一、控訴人と亡池田浜とは同居中も仲がよく、昭和二十一年四月初の夕方池田浜が書き物をしたいというので、控訴人方から隣家である飯田方に硯と筆を借りにきたから、飯田は貸してやつた(飯田証言)とか、二、池田浜の生存中に同人から直接聞いたことではないが、控訴人からは同人が浜の遺言書を貰つていると聞いたことがある(五十嵐、津吹各証言)とか、断片的には右控訴人主張事実を支持するような証言はあるが、後記説示の理由によりこれら証拠は俄かに採用できず、その他控訴人提出援用の全証拠を以てするもなお且つ、右昭和二十一年四月三十日当時亡池田浜がその所有であつた前示漠大な財産全部を控訴人に対し贈与する意思を有し、これを自筆証書の方式による遺言書として作成するため、前顕乙第一号証の二の「ヤクソク状」と題する書面を自筆したとの控訴人主張事実を、肯認することは躊躇せざるを得ず、却つて右書面は浜の自書したものでなく、同人以外の者が浜の筆蹟をまぎらわすため浜の右手不髄の状態にあつたのを奇貨とし、わざと左り書の字を以て同人の自筆遺言書を擬装したものではないかとの疑惑を拭い去ることができない。即ち
一、乙第一号証の二の左向文字の点について。
原審鑑定人町田欣一の尋問の結果及び同人の当審における証言(後者については記録第四一四丁口頭弁論調書の記載をも参照)によれば、一般に右手書の人が左手でなければ字を書くことができなくなつた場合、従来の右手書に劣らない字を書かうとする意識が働く結果、左文字を書くことは先ずあり得ないものであつて、過去の経験に徴するもかかる場合故意に左文字を書こうとする場合は別として、何等の指示を与えない限り右文字を書くのが常則であり、本件鑑定に際し十五、六名の者について実験したところ、同様の結果が得られたと謂うにあつて、右は首肯するに足る見解と解すべきところ、前示乙第一号証の二「ヤクソク状」と題する書面によれば、右に反し前示「ム」の仮名文字を除きすべて左向きの文字で記載されているので浜が特に意識してかように左向の文字を書いたが疑問の余地がある。尤もこの点に関し当審鑑定人遠藤恒儀の鑑定の結果によれば、右の場合通例は左向の文字を書くが、右向の文字を書かないとは限らないと、恰かも前示町田欣一の供述と相反するような結論を出しているが、両者を比照し後者の見解は採用しない。
二、乙第一号証の二と甲第四号証の手蹟の対照について。
前示乙第一号証の二の「ヤクソク」と題する書面に記載されている左向の文字と、控訴人が左手で右と同文の文字を摸写した書面であることにつき当事者間に争ない甲第四号証の文字との手蹟の異同に関し、(イ)当審鑑定人遠藤恒儀は同一人の筆跡であると鑑定し、(ロ)原審鑑定人町田欣一の鑑定の結果並びに同人の当審証言によれば、両者は極めて類似の特徴を持つが左向の文字であるため同一人の筆跡であると断定できないと謂い、(ハ)当審鑑定人石井敬三郎の鑑定の結果も略右と同一の結論である。尤も当審における控訴人本人の供述(第二回)並びに成立に争のない乙第七号証の被審人としての控訴人の供述記載にもあるとおり、右甲第四号証は前示遺言書の検認申立事件につき、控訴人が係り判事からできるだけ遺言書原本に似せた書面を作成して提出するよう命ぜられ、左手で摸写して提出したものであるとの点を考慮に入れても、前示各鑑定の結果を総合して得られる結論には左程影響のあるものとも考えられない。
三、その他の情況証拠。
(イ) 成立に争のない甲第一ないし第三号証の各一、二、原審及び当審証人池田重雄の証言並びに同証人の当審証言によりその成立を認め得る乙第十一、第十二号証を総合すれば、亡池田浜はその生前東京都内に居住していた従兄弟にあたる訴外池田重雄とはあまり親密な交際をしていなかつたけれども、矢張り数少い近親者の一人として、戦災後浜が控訴人方に同居中も所用のときは文通もしており、重雄も昭和二十一年四月浜が第一回の脳溢血で倒れた頃には数回見舞にも行つたこともあつた位で、別にその頃は不仲というわけでもなく、殊にその後昭和二十二年から翌二十三年頃にかけて、浜は同居先の控訴人をさしておいて重雄に依頼し、浜所有の前示宅地等(しかもこの宅地等は全部既に昭和二十一年四月三十日附の前示乙第一号証の二の「ヤクソク状」と題する書面による遺贈の対象となつていたというのである)の財産税納入問題につき、浜に代つて申告書の作成提出や、宅地の一部を売却して税金の支払に充てる等相当立入つた財政上の問題を委託処理して貰つた間柄であるにかかわらず、(尤も右池田重雄の当審証言により認め得る如く、同人が納税や土地処分の件に関し浜と意見があわなくなり手を引くに至つたが、それは昭和二十三年四月頃以後のことである。)、その間絶えて浜から遺言や土地の贈与の件については何も告げられたこともなかつた事実を認めることができる。
(ロ) 原審証人久保寺せきの証言と原審証人又来ミツ、原審及び当審における控訴人本人の供述の一部(後記措信しない部分を除く)を総合するときは、戦災後亡浜が控訴人と同居中の両者の関係は、右ミツや控訴人の供述するように、家族同様の親密な仲というのでもなく、控訴人家族は階上を、亡浜は階下をそれぞれ分割使用し、自炊して別世帯を持ち、家賃は折半して負担する等、同居の態様は一般の同居人のそれと大差のない関係にあつたこと、並びに亡池田浜は常日頃控訴人方に同居していることを気兼ねし、他に適当な移転先を物色していた事実を認めることができ、前記又来ミツ及び控訴人本人の供述中右認定に反する部分は採用し難い。
(ハ) 成立に争のない乙第六号証によれば、控訴人が乙第一号証の二の遺言書の検認の申立をしたのは昭和二十五年四月十一日であることが認められるところ、右は浜死亡の同年一月七日より三ケ月以上も経過している点に関し、控訴人は当審第一回の尋問において、遺言の検認を受けることにしたのは、新聞でこのようなものを家庭裁判所で取扱うことを知つたからであり、浜死亡当時娘も死亡したので「ヤクソク状」をどうしようかと思つているうちに日が経つてしまつた。(記録第四五六丁)と弁疏しながら、当審第二回尋問において、浜はあの「ヤクソク状」は裁判所に持つて行き検認を受けなさいといつた。(記録第五七二丁表)とか前後矛盾する区々たる供述をしたり、また原審における供述中、池田浜から「ヤクソク状」を貰つてから財産をもらつたとは初めのうちは考えなかつたし、貰いますとも云わなかつた。(記録第二九一丁表、尤もこの部分は当審第一回の供述で訂正されたが、)などと却て不自然な供述をする等、その信憑性について疑を挟まざるを得ないふしが窺われる。
(ニ) 尤も前顕乙第一号証の二の「ヤクソク状」と題する書面の池田浜名下に押捺されている印影は、成立に争のない乙第十号証(印鑑証明書)の印影と対比すれば、両者同一の印影であり、浜生前に所持していた実印を押捺して顕出せられたものであることが認められるけれども、原審における控訴人の供述にもあるとおり(記録第二九七丁裏)、浜が生前その印鑑を控訴人に預けたことはなかつたにしても、その死亡後財産管理人が選任せられてからこれを管理人に渡したというのであるから、少くもその間は控訴人の手裡にあつたことも窺えるので、右印影が浜の印鑑を押捺して顕出せられたものであるという一事だけでは前示「ヤクソク状」の真正を確証するに足るものということはできない。
これを要するに以上説示の一、二の鑑定並びに三、の(イ)ないし(ニ)の諸般の情況証拠を総合検討した結果、当裁判所は結局本件乙第一号証の二の真否に関する前示の判断に到達せざるを得なかつたわけである。
上来説示の如く前示検認を経た乙第一号証の二の「ヤクソク状」と題する書面が亡池田浜が自書したものであると認められない以上、すでにこの点において自筆証書による遺言としての方式を欠き、その他の形式要件を審査するまでもなくその効力のないことは明らかであり、従つて控訴人は右遺贈を原因として池田浜の死亡に因り同人が当時所有していた財産の一部である別紙目録記載の宅地につき所有権を取得する謂われはない。
控訴人は仮りに自筆証書による遺言として無効であるとしても、これによつて控訴人と亡池田浜との間に右浜が当時所有していた前示宅地等その財産全部につき書面による死因贈与契約が成立したものと認むべきであると主張するが、右乙第一号証の二の書面が作成されたという昭和二十一年四月三十日当時、亡池田浜がこれら財産全部を控訴人に贈与する意思を有しその旨を表示した事実の認められないこと、前段説示のとおりであり、また右乙第一号証の二を外にしては、亡池田浜がその生前常日頃控訴人に対して、財産は全部あげますから、万一のときはよろしく頼むと言つており、控訴人もこれを承諾していたという前顕又来ミツや控訴人本人の供述あるも、単なるかような供述だけでは到底死因贈与契約成立の確証となるものでないから、死因贈与契約の成立を前提とし、浜の死因に因り前同様別紙目録記載の宅地の所有権を取得したいう控訴人の主張もまた理由がない。
そして控訴人が本訴において前示経過の如く亡池田浜の遺産の一部たる別紙目録記載の土地につき自己に所有権のあることを主張する以上、右土地が控訴人の所有に属しないことの確認を求める被控訴人の本訴請求は正当としてこれを認容すべく、控訴人主張のような遺贈ないし死因贈与契約の成立を前提とし右土地の所有権を取得したとして、被控訴人に対しこれが所有権移転登記手続を求める控訴人の反訴請求は、失当として棄却を免れない。そして当審において被控訴人及び控訴人は、それぞれ右の如く本訴及び反訴につきその請求を双方異議なく変更したのであるから、結局原判決を主文第二、第三項記載の如く変更すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十六条、第八十九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 斎藤直一 坂本謁夫 小沢文雄)
物件目録
東京都港区麻布狸穴町二十番地 (実測 四十九坪)
一、宅地 七十坪二合