東京高等裁判所 昭和30年(ネ)2037号 判決 1958年5月26日
駿河銀行
事実
控訴人(一審原告、敗訴)太田仁三郎は被控訴人株式会社駿河銀行に対して二口合計金百五十万円の六カ月据置の特別定期預金をなし、該預金を表示する被控訴銀行発行の大福特別定期預金証書二通をそれぞれ受け取つたが、何れも即日その預金据置期間を経過した後はいつでも返還を求め得るとの約でこれを被控訴銀行吉浜支店に寄託した。しかして右預金についての抽せんが行われた結果、これに割増金一万八千百円が附されることになつた。控訴人は右据置期間の経過後被控訴銀行に対して預金証書の返還を求めたところ、同銀行はその請求に応じないので、控訴人は被控訴銀行に対し、右債権の内金百五十万円及びこれに対する完済までの遅延損害金の支払を求めると主張した。
被控訴人株式会社駿河銀行は控訴人の主張をすべて否認し、被控訴銀行に対して控訴人主張のような特別定期預金をしたのは訴外田村省平であつて控訴人ではない。また被控訴銀行は単にその預金証書の寄託を受けたのではなくて、被控訴銀行の右訴外に対する貸金債権の担保として同訴外人から引渡を受けていたものであると抗争した。
理由
証拠によれば、本件二口の預金はいわゆる無記名式の定期預金であり、この種の預金は預金者名を表示することなくして預金証書が発行され、預入れにあたつては金融機関に印章のみを届け出で、満期においては預金証書と印章を呈示したものに対して元利金が支払われ、なお右証書と印章をもつて請求したものに支払がなされたときはその者が無権利者であつても、金融機関は免責される旨の特約がなされるのが通常で、本件の場合もこの方式に従つて預金がなされたことを認めることができるのである。無記名定期預金は法律にいう無記名債権の一種ではなく指名債権に属すると解すべきであり、従つて金員の預入れと同時に預金債権者が特定されるわけであるけれども、現に銀行に預け入れ行為をする者が必ずしも預金債権者といえないのはもちろん、無記名定期預金における届出印鑑は預金者の氏名を刻したものであることは必要でなく、三文判でもよいし、他人の氏名を刻したものでもよいので印鑑はその無記名定期預金自体を特定するが、預金債権者の氏名までも特定するものではないのである。それ故に預金証書の受領者が田村省平であつたことや、預入れのための届出印鑑が「たむら」と刻されていたことなどによつて直ちに預金者を右田村省平であると推断することは早急に失するこというまでもないが、これらの点を考慮に入れても、なおかつ次のような諸事実から本件預金債権者は控訴人ではなく訴外田村省平であることを認定できるのである。
すなわち、証拠を総合すると、かねて控訴人はその持ち金を有利に廻したいと考えていたが、たまたま昭和二十八年八月頃訴外田村省平と相知るようになつた。田村は昭和二十七年五月頃から被控訴銀行と相当多額の取引関係にあつた者であるが、控訴人に対し、「被控訴銀行吉浜支店に預金すれば田村がそれだけの金を借りることができ、これを田村の営む質屋営業に投資すればその収益から控訴人の出金に対して月五分の利息を支払うことができる」と申し向けた。ところで控訴人は被控訴銀行に預金することを承諾したので、田村はまず自分の持ち金百万円を店員の中村に昭和二十八年九月二日被控訴銀行吉浜支店に持参させ、田村の使用印章を届出させ、期間六カ月の無記名定期預金をした。被控訴銀行はこれを受け入れ、同額の大福特別定期預金証書を発行して田村に交付した。ところが田村は同日右預金を担保として被控訴銀行から金百万円を借り受け、前記証書を被控訴銀行に担保のしるしとして交付し、被控訴人は証書の預り証を作成して田村に交付した。田村は即日右預り証を控訴人に送付したので控訴人はその頃金百万円を田村に支払つた。ついで昭和二十八年十月五日控訴人はその所有の自動車を金五十万円で田村省平に売り、控訴人は右五十万円の代金を受け取る代りにこれを被控訴銀行吉浜支店に預金することを承諾したので、田村は前回同様中村を使者として同月六日金五十万円の無記名定期預金をし、被控訴銀行はこれに対し金五十万円の大福特別定期預金証書を発行し、田村は同日被控訴銀行から右預金債権を担保として金五十万円を借り受け、右証書を担保のしるしとして差し入れ、被控訴銀行はその預り証を右中村を通じて田村に交付し、田村はこれを控訴人に交付した。右定期預金は何れも抽せんによる割増金付のものであるが、その割増金はすべて昭和二十八年十二月十四日田村において受領し、同人の当座預金に繰り入れられた。また控訴人の出金に対しては田村から同人が経済的に破綻した昭和二十九年一月頃まで約束どおり月五分の割分の利息金が支払われていた。
以上のような事実を認めることができるのであつて、これらを併せ考えると、前記百万円と五十万円の預金は控訴人が出金することを前提としてされたものであることは相違ないけれども、被控訴銀行との関係において預金契約をした者は訴外田村省平であり、しかもそれは同人が控訴人の代理として右預金をしたというわけではなく、自己のためにしたものといわざるを得ないのである。
なるほど他の証拠によれば、控訴人は本件預金が田村の貸金の担保として銀行に差し入れられたことを知らず、昭和二十八年十月十五日控訴人から被控訴銀行吉浜支店長の勝亦年郎に宛て右本件各預金の割増金抽せん日を問い合せたのに対し、右勝亦は控訴人に宛てその回答を発し、また昭和二十八年十一月頃控訴人は被控訴銀行吉浜支店において右勝亦支店長に対し、本件預金証書の各預り証を呈示して右預り証に預金証書を何時でも返還する旨記載するよう依頼したところ、勝亦はこれに応じて右預り証の表面の末尾にそれぞれ「右証書は期日後何時でも御渡しいたします」と記載し捺印したことを認めることができ、右勝亦は本件預金について実質上の出金者が控訴人であろうとか、或いは田村省平が控訴人に何らかの債務を負担しその担保のために右預り証を控訴人に差し入れたのであろうとか想像していたことを窺い知ることはできるけれども、これをもつて右勝亦が本件預金債権が控訴人に属することを認めたものとはなし難く、まして、前記認定を覆して控訴人が本件預金をしたものと認めることは到底できないところである。
よつて控訴人の主張は理由がないとして本件控訴はこれを棄却した。